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お題掌編

掌編――穴

作者: と〜や

「ちっとも変わってないのね、ここって」

 木枠の引き戸に手をかけながら、キリコは声を上げた。ガラスの向こうには、昔ながらの木の机と椅子が整然と並んでいる。

 扉を軋ませながら開けると、なんとも言いようのない、懐かしい匂いがした。

「ほんと、懐かしいわね。昔のままだわ」

 後ろについて入ってきた晴美も、綺麗にはたかれた黒板消しを取り上げて嬉しそうに言った。

 黒板には九月一日の日付と日直の名前。

「小さい頃は背が低くて、いつも一番前だったのよね」

 教卓のすぐ前の席がずっとキリコの指定席だった。

 席に座ろうとしたが、すっかり大きくなったキリコには小さすぎた。

「あたしはいつも一番後ろだったわね」

 晴美はそういうと、一番後ろの席に腰掛けた。でこぼこした木の机の表面を撫でる。

「この机、まだ使ってたのねえ。テストのときに木目にエンピツの先が引っかかってがたがたの文字になってたの、思い出すわ」

 キリコも隣の机に座った。机にはエンピツやボールペンで落書きした跡が残っていた。あの頃の木の机は比較的やわらかくて、シャーペンの先で簡単に削れたのだ。カッターナイフで削ったあともあった。右上の隅にはエンピツの先がすっぽり入るほどの穴が開いていた。昔、キリコが使った机にも、無数の穴が開いていた。自分も授業中によくほじくったものだ。

「そうそう。テストのときだけこっそり下敷きを使ったりしてたわね」

「あったわね。カンニングを疑われて、教師に涙ながらに訴えたこともあったわ」

「実はみんな使ってたのよね。で、先生にみんなで抗議して、透明な下敷きなら使ってもいいって許可をもらったのよね」

 二人は顔を見合わせ、ひとしきり笑った。

「何もかも昔のままなのね」

 キリコは教室を見回した。後ろの壁一面に貼られた「夏」の習字。板張りの床。よく躓いた木製の教壇。ランドセル置き場もそのままだ。

「冬は隙間風が入るからストーブ入れても寒くて、大変だったのよねえ。エンピツを持つ手がかじかんでまともにノートなんかかけなかったし。灯油が切れたら用務員のおじさん呼びに行ったし」

 晴美はうなずいた。

「用務員室ってあの頃すごく怖かったのよね。用務員のおじさんも怖かったし。誰が呼びに行くかって話になって、結局日直に押し付けたり」

 そういいながら晴美は立ち上がり、窓を開けた。

「夏は窓を開けるしかないのに、開けたらうるさいからって授業の間は開けさせてくれなかったし」

 蝉の声がいっそう大きくなった。

「そうそう。先生の声がかき消されちゃうのよね」

「昔は今ほど暑くなかったのかしらね。窓を開けるだけで耐えられてたもの」

「そうかな? こっちはそんなに暑くないわよ? 東京は暑いの?」

 晴美が振り返った。

「暑いなんてもんじゃないわよ。真夏の昼間にオフィス街歩いてたら干からびて死にそうだし、アパートも夏場になったら蒸し風呂だし、エアコンがなかったら生活なんて出来ないわ」

 キリコは苦笑しながら答えた。

「それなら島に戻ってくればいいのに。まだ独身なんでしょ?」

「まあ、それはそうだけど……」

 晴美の指摘にキリコは黙り込んだ。

「同級生に会う度にキリコの話してるのよ? どうしてるのかなって」

「……だって、島にあたしのいる場所はないもの。両親が亡くなって、家屋敷や船も売って、島に残っているものは先祖代々の墓だけ。戻って来ようにも戻れないわよ。それにこの島にはあたしのできる仕事はないわ」

 キリコは小さな貿易会社の事務員だった。何のとりえもない自分が、この島で生活できるとは思えなかった。

「そんなことないわよ。あたしだって似たようなもんだし。家屋敷売ったって言ってもコースケのお父さんに預かってもらってるんでしょ? 船はコースケのお兄さんが買ったって聞いたし。いつでも戻ってきたらいいのよ。知ってる? 今日、キリコが来るって聞いたらクラス全員行くって即答したのよ」

 近くの蝉がぴたりと泣き止んだ。

「それは嬉しいけど……」

 その時、いきなり後ろの扉が開いた。

「あ、いたいた。長谷川、もう皆集まってるぞ」

 振り向くと、見覚えのある顔の男が立っていた。

「コ……安藤君」

「改まって呼ぶなよ、なんか気持ち悪いぞ。コースケでいいって。久しぶりだな。晴美の葬式以来だっけ?」

「え……?」

 コースケの言葉に振り返ると、晴美が座っていたはずの隣の席には誰もいなかった。

「忘れたのか? 薄情だなあ。あんなにお前、仲良かったのに」

 いきなり霧が晴れた気がした。何故忘れていたのだろう。いや、忘れていたはずはない。事故の現場に自分も居合わせたのだから。自分をかばって死んだのだから。

 全てを思い出した。止め処もなく涙があふれてきた。

「コースケ……あたし……今、晴美と話してた」

「晴美と……?」

 コースケは泣きじゃくるキリコを抱き止め、教室を見回した。綺麗にぬぐわれた黒板の傍に黒板消しが落ちていた。

「……信じるよ。きっとお盆だから、戻ってきてたんだな」

「あたし……謝らなきゃいけなかったのに……」

「分かってるよ、晴美は」

 なおも言い募るキリコの頭を優しく撫でながら、コースケは言った。

「晴美、怒ってなかっただろう? きっと、一人になっちまったお前のことが心配でたまらなかったんだよ。……なあ、晴美、そうだろ?」

 応える者はない。コースケは続けた。

「晴美、安心しろ。こいつのことは俺が一生守るから」

「え……?」

 泣いていたキリコは顔を上げた。コースケは真っ赤になりながらも真剣な顔をしていた。

「キリコ。結婚しないか。俺はこんな片田舎の小さな小学校の教師でしかないから、東京の男みたいにかっこよくもないし、あんまり楽はさせてやれないと思うけど、俺、やっぱりお前と一緒にいたいよ」

「コースケ……」

 新しい涙がこみ上げてきた。コースケの胸に顔をうずめながら、小さくうなずく。

 蝉が鳴き始めた。

 おめでとう、と晴美の声が耳元で聞こえた気がした。

外部ブログからの転載です。

なんと10年前の作品です(汗

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