ストーカーだけど、婚約破棄の現場に遭遇しました。
「アイリス! 君との婚約を破棄させてもらう!」
多くの生徒が行き交う学園の廊下。普段は賑やかな話声で満ち溢れているその場所が、一瞬にして静まり返った。その原因を作ったのは、我が国の第一王子。
彼は、自らの婚約者である公爵令嬢に向かって大声で婚約破棄を宣言したのだ。その隣に、分不相応な腹黒女を侍らせて。
「どうして……」
予想外の出来事だったのだろう。名指しされた彼女の驚きに溢れたその顔からは色が抜け落ち、見開かれた瞳からは珠のような一滴の涙が零れ落ちた。
「どうして? 君が…… いや、貴様が一番良く分かっているんじゃないのか?」
「どういう、こと、ですか?」
嗚咽を堪えるように、声を絞り出すその姿は実に痛々しい。
「とぼけるつもりか? いいだろう。貴様の罪をこの場で明らかにしてやろう! 証拠だって揃っているんだ。言い逃れは出来ないから覚悟しろよ」
「罪、ですか?」
「ああ、そうだ。貴様がマリア嬢にした嫌がらせの数々、俺は絶対に許さないからな」
蔑むような王子の声。
「私は、嫌がらせなんてし」
「黙れ!」
「ひっ」
反論しようとした彼女の言葉は、王子が一喝した事で掻き消されてしまった。
「これが何か分かるか?」
「それは……」
それを見た彼女が口を震わせる。
「認めたか。このブローチは貴様の物で間違いないな?」
「はい、どこにあったのですか? それは私の母の形見です。少し前に紛失して……」
「これがどこにあったのか? 教えてやろう。マリア嬢が殺されかけた現場に落ちていたんだ。貴様がやったんだろ?」
「殺され、かけた? そんなの、そんなの私、知りません!」
「この場に及んで見苦しいぞ! 先日マリア嬢がすぐそこの階段から突き落とされそうになった時、犯人がこれを落としていったのだ。これ以上の証拠はあるまい! いい加減認めたらどうだ!」
王子の言葉に周りはざわつき、これまで彼女を慕っていたのが嘘のように、軽蔑の眼差しを向けている。
「そんな…… 私、知らない……」
その場に崩れ落ち、止めどなく涙を流す彼女。その背中はいつも以上に小さく見えた。
「改めて言おう! アイリス、貴様との婚約を破棄させてもらう! そして貴様には罪を償って貰うから覚悟しておけ!」
そう言い放ち、手に持っていたブローチを彼女に向かって投げつけたのだ。
「――ッ!」
投げつけられたブローチは音を立てて激突し、彼女の美しい額を斬り裂いた。流れ出る深紅の血が彼女の白い肌にラインを描き、床へと落ちる。その出血の多さが傷の深さを物語っていた。
――許さない。
気付けば駆け出していた。
あのバカ王子は彼女を傷付けた!
突然現れた俺に驚く人々。握りしめた拳を、王子に叩き付けたい気持ちを必死で堪えて、彼女の前へと跪く。
「大丈夫ですよ」
状況を理解出来ていない彼女に優しく微笑みかけ、切れた額にハンカチを当てて、同時に治癒魔法を使用した。一瞬にして塞がる傷を見て安堵し、流れてた血を拭きとって立ち上がった。
今にも怒鳴り散らしたい気持ちを必死で押さえて、この状況を作った王子を睨みつける。
婚約を破棄するだけならまだしも、いくらなんでもこれはやり過ぎだ。
――なぜなら、彼女は全くの無実なのだから。
俺自らが開発した魔法を使用して二十四時間体制で見守っているのだ。常に俺の保護下にある彼女が、そんな事をしていないは明らか。
それなのに……。
こんな大勢の人の前で彼女を辱め、傷付けた罪は重い。
彼女を傷付ける者は、何人たりとも許さない!
アイリスたんは、俺が護る!
「なんだその目は!? 関係ない奴は引っ込んでろ!」
王子の言葉に呼応するように、ぞろぞろと前に出て来た取り巻き達が威嚇している。今、俺のすぐ後ろで彼女が怯えているのが分かる。俺はゆっくりと振り返り、彼女へと微笑みかける。
「ご安心ください。あなたは私が必ず守りますから。ですから、これを持って待っていてください」
先程投げつけられたブローチを、その手に握らせる。柔らかな手の感触に意識を持って行かれそうになるが、それを必死で我慢した。
「これは……」
「大切な物なのですよね?」
「――ありがとう、ございます」
一瞬の内に目まぐるしく変わる彼女の表情。
そのどれもが……。
きゃわいいー!!
抱きしめてー!!
うぉおおおお!!
「どういたしまして」
内心を隠して微笑みながら、彼女の目元の涙をそっと拭い、俺は再び王子へと向き直る。その刹那、高速で動いた俺の手。指に付着した彼女の涙を舐め取った事に気付いた者は誰一人としていない。
激うまでした。
「なんだと言われましても、か弱く無抵抗な女性に暴力を振るうのを、見て見ぬフリはできません」
「さっきの話を聞いていなかったのか?そいつは……」
バカバカしい。王子の話を途中で遮り、ほんの少し魔力を滾らせ威圧する。
「彼女は無実です」
「ど、どこにそんな証拠があるというんだ?」
さすがは王族。少しは魔力への耐性があるようだ。
「おや? ご存知ありませんか? この学園の至る所には魔術による防犯装置が設置されています。その中には映像を記憶する類の物があったはずです。どの程度の期間、映像が保存されているかは知りませんが、ほんの数日前の映像ならば簡単に見つかる事でしょう。そうですよね、学園長?」
「なっ!?」
突然、何もない空間が歪んで中年のおっさんが姿を現した。このおっさんこそが、この学園の学園長だ。
「よく気付いたな? まぁ今はこっちが先か」
俺を一瞥してすぐに王子の方へと視線を向ける。
「学園長! そいつの言った事は本当ですか?」
慌てたような王子の態度を見て、溜息が零れる。
「如何にも。彼がどうしてその事を知っているかは知らないがね……」
一瞬だけこちらを睨みつけた学園長が周囲を威圧した。膨大な魔力が圧として向かってきたが、アイリスたんを守りつつ、涼しい顔で受け流す。一般人ならいざ知らず、その程度では俺にとって脅威にはなりえない。
なぜなら。
始めてアイリスたんに出会った十三年前から、文字通り命懸けで彼女の身辺を探り続けてきたのだ。国内屈指の軍事力を誇る公爵家だ。死を覚悟した事だって一度や二度ではない。その度に乗り越え、今尚バレずに活動を続けているのだから。
そんな俺に、その程度の威圧は通用しない。
しかし、無事なのは俺とアイリスたんのみ。王子や隣にいた腹黒女、取り巻き達は一様に青白い顔で怯えている。
「わたしは悪くない。殿下が勝手に……」
王子が侍らせていた腹黒女があっさりと裏切った。
「なっ! 貴様が言い出したことだろうが!」
「そんな…… 私は……」
あの二人の間でどんなやり取りがあったかは分からないが、もうすでに映像を見る必要もなさそうだ。それにしてもこの防犯装置には感謝しなければならない。今回助けて貰ったばかりか、愛しのアイリスたんを保護する為に開発した魔法も、これを参考にさせて貰ったのだから。おかげで俺は二十四時間、いつでもアイリスたんを見ている事が出来るようになったのだ。それは当然、風呂やトイレにいる時だって。ぐふふふふ。
「あの……」
不意に響いた天使の声。反射的に振り向きそうになったのを何とか抑え込み、余裕を見せつける演技で、ゆっくりとアイリスたんの方へと振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
「助けて頂き、ありがとうございました」
「いえ、当然の事をしたまでです。あなたが無事で良かった」
「どうしてそこまでしてくれるのですか?一歩間違えれば、あなたは……」
まぁ確かにその通りだ。王族に対して喧嘩を売ったのだから。下手すれば一族郎党、晒首なんて事もなくはない。
しかし、そんな事俺にとっては大した問題ではないのだ。
「どうして、ですか?それは、あなたをお慕いしているからです」
「私を、ですか?」
驚いた様子のアイリスたん。それも仕方のない事だろう。
「はい。覚えていないかもしれませんが、私はあなたに助けて頂いた事があるのです。幼少の頃、初めての王都で迷子になっていた私に、あなたが手を差し伸べてくれたのです。その時、私は恋に落ちました。そしてその恋は今も尚続いているのです」
彼女は必死で思い出そうとしてくれているようだ。その優しさに頬が緩みそうになるのを堪えながら、言葉を続けた。
「もちろん、身分違いの恋だと言う事は分かっているつもりです。今日、あなたを御守する事が出来た事を誇りに思います。それではこれで」
「待って! 待ってください!」
立ち去ろうとした俺を彼女が引き止めた。
何このご褒美。
ドラマみたい。
「何でしょうか?」
後ろを向いたまま、それに答えた。
「お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「はい。大変身勝手で申し訳ないのですが、こんな状況ですので…… 信頼出来る方に傍にいて頂きたいのです。その、少しの間で構いませんので、護衛として傍にいていただけませんか?」
キターーーーー!
まさかのチャンス到来。
生きてて良かった。
「私で宜しいのですか?」
落ち着いた声で問い返す。
「もちろんです。あなたが! あなたに傍にいて貰いたいのです」
勿体ぶっては見たものの、答えは最初から決まっている。
「分かりました。私をあなたのお傍に置いてください。全力で御守いたします」
跪き、頭を下げた。
見つめる先にはアイリスたんの美脚。
ぺろぺろしたい。
せめて足にキスだけでもさせて貰えないだろうか。
「ありがとうございます。それでは行きましょうか」
その声に顔を上げれば、手を差し出されていた。俺は迷わずその手の甲へとキスをした。
よっしゃーーー!!
ふぉおおおおお!!
「お供致します」
カッコつけて立ち上がれば、アイリスたんが顔を赤くして固まっていた。どうやら対応を間違えたらしい。
なるほど。
差し伸べられた手は握手が目的だった訳ですね。
ごめんなさい。
知ってました。
ぐふふふふ。
軽い謝罪をし、二人で歩き出す。王子達の方を見れば、学園長に連行されていく所だった。ざまーみろ!
そして俺達が進んで行くと、それに合わせて野次馬共が道を開けていく。
フハハハハ
下民共よ、跪け!
至近距離でアイリスたんの香りをクンカクンカと楽しみながら、今後の展開に想いを馳せる。いつの日か、結婚出来るその日を夢見て。
俺、ストーカーだけど。