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ss 恐怖の乗馬訓練
 始まりは些細な一言だった。
「ユーナ。其方は、乗馬はまさか」
「? ええ。まあ…、そうですね。得手不得手をいう前に、まったくの未経験ですけど」
 馬を操って颯爽と現れたフィスフリーク。机仕事のストレスを解消しようと、これから遠乗りに出かけるらしいところに出くわした由那は、馬上に跨っていても上品さを損なわないフィスフリークに若干見惚れつつ、『実際に見ると、馬って本当に大きいですよね』と暢気に言ったことで、彼はもちろん、エフィナや他の護衛たちにも驚愕の表情をされてしまった。
「あの、それが一体…?」
 場の空気がさっと変わったことに、さすがの由那も違和感を感じ、何かやらかしてしまったのかと不安になる。そんな心情が表に出ていたようで、それまで困惑顔だったフィスフリークが僅かに苦笑をこぼし、口元に手を当てながらその答えをくれた。
「ルティハルトやその周辺の国々では、乗馬は貴族のたしなみでね。どんな良家の令嬢でも単騎で走らせられるくらいには馬術を学ぶ。乗馬が苦手だという者は、一部の巫師か深層の姫くらいだろう。しかし、それでも馬に乗ったことがないという話はあまり聞かないな。民? ああ、たぶん彼らのほうが足が限られているから長けているだろう。普通の村娘でも乗馬は得意な者が多いと聞くが。レンウェルではそういった風習はなかったのかい?」
「え、ええと…」
 乗れることが当たり前のような反応に、思わず言葉を詰まらせる。自身の出身を隣国にしなかっただけまだマシかもしれない。
 電車や車のある時代に、誰が好き好んで乗馬を得意とするものか。普通とはまたニュアンスが違うとしても、とりあえずは一般的な女子高生だった由那が、そんな技術に特化しているはずがない。
 知り合いや、その手の金持ちにはそういう趣向を愉しむ者が多いと聞くが、趣味や金銭がからんでいるならまだしも、興味など一切無いものを知識以上に身につけはしない。まず、その必要性を感じていなかった。
 むしろまったくの不要で、そういった趣向を好むブルジョワとは関わり合いになりたくなく、ただ嫌煙していただけとも言える。だからと言って、別に馬術が嫌いというわけではない。
 とことん機能性重視の合理主義者である由那だが、しかし現在、そんな理屈が通るわけがない。
 翌日、緊急に由那のための乗馬教室が開かれた。
「なるべく大人しめの牝馬を三頭ほどご用意しました。良く教育されてますから、初心者でも早く慣れるかと思います」
「すみません。ありがとうございます、エフィナさん」
「いいえ。指導も私の方でしっかりと担当させていただきます」
「エフィナの指導は少しスパルタだから、あまりキツイようならはっきりそう言うと良いよ」
 取り繕う島もなくテキパキと進めていくエフィナに、フィスフリークがそうフォローを入れる。
「よ、よろしくお願いします…」
 きりっとした女性を前に、由那は珍しく物怖じしながら、とりあえず挨拶を返した。


「もっと直立に。膝を引いて。いえ、それは行きすぎです。ええ、ええ。そうです。
 ほら、また姿勢が。そんな格好で長時間走ったら余計腰に負担がきますし、馬にも負担がかかってしまいます。そう怖がってばかりいては馬も不安になります。ますます自分の言うことをきかなくなりますよ」
「…………」
 無表情で無遠慮に容赦のない指導が入る。巫術の技術交換の時もそうだったが、淡々と話す彼女のこのペースはいまいち掴めない。苦手という訳ではないにしろ、少々やりにくいことは確か。
 それでも彼女の指導は厳しくも的確なもので、小一時間ほどでノリスという名の馬なら少しは乗りこなせるようになった。正直、他に用意された二頭の馬とはまったく息が合わなかった。本当に大人しいのかと聞き返したくなるくらい気性が荒い馬たちだったのだ。
「はい、そこで手綱を引く。引きが不十分ですよ。それでは馬は止まってくれません。もっと彼女のリズムに合わせて。そう。そんな感じでいいです。あ、いいえ、違います。そこはもっと手綱を緩めて。指示が正確でなければノリスも困惑します」
 彼女は良い悪いのジャッジが実に素直で、相手を乗せるような飴と鞭戦法とはまた違った指導方針だ。駄目なものは駄目、良いものは良い。実に分かりやすい。
 しかしこれが二、三時間、まして半日と続いた今、もういい加減休憩が欲しいものだと少し疲れ顔の由那はうんざりした息を付く。この世界の女性は一般的な現代人男性とそう変わらない体力を持っている。交通手段が徒歩と馬に限られていて普段から歩いている分、本当に体力の違いが目に見えて分かるのだ。
 RPGで俗にいう魔導師に分類されるはずの彼女だが、その体力・気力ともに半端ない。むしろ由那の体力のなさの方が典型的な魔導師タイプに振り分けられてしまう。
 とはいえ、由那は現代ではそこそこ体力や運動神経には自信がある部類の人間だ。彼女が体力がないわけではない。それを上回るこの世界の基準が高すぎるのだ。
「え、エフィナ…さん。す、少し、休憩にしませんか…」
 息も絶え絶えの由那は辛うじてそれだけを口にする。もう気持ちの上では休憩に入っている。
 あまりに疲労困憊している様子を前に、さすがのエフィナもダメとは言えず、しぶしぶながら了承する。その顔は不本意だと言いたげだ。
「ユーナ様は体力もあまりないようですね。これでは一日を通しての馬の移動は不可能ですよ。乗馬訓練と共にもう少し体力の向上も図るべきですね」
 これほどに体力がないなんて一体どこの箱入りなんですか、と決して嫌みではない素直な感想が飛ぶ。しかし彼女の台詞は最もなもので、由那以上に体力のない女性は、一国の姫か、ほんの一部の高貴な女性くらいなものだからだ。
 エフィナもその所作やフィスフリークの直属の護衛を勤めている点から、それ相応の身分ある貴族の令嬢であることが予想できる。たとえ貴族でなくとも、そこそこ裕福な家の女性でも彼女くらいが一般的らしい。だからか、体力のない由那は相当好奇な目で見られてしまった。
「私は、あまり体が丈夫な方ではないので、馬術はまったく習ったことがなかったんです。むしろそれ以外の習い事を中心に幼少期から徹底的に習わされてきました」
「そうだったんですか。では、あまり無理をなさらないように。疲れたら遠慮なく言ってください。休憩を挟むことを視野に入れておきますので」
 それでも指導の手は緩めないらしい。さすがスパルタ教育。相当手厳しい。
「……お手柔らかにお願いします」
 口元をひきつらせながら苦笑する。彼女の鍛える気満々の意気込みに、多少呑まれている感がある。
 最近ではつき慣れた方便も、意図せぬうちにぺらぺらと喋れるようになったことが少々複雑だが、由那はこれもまた一つの処世術だと割り切ることで己を納得させる。
 しかし、少しだけ浮上した罪悪感も、そのあとの容赦ない指導の前に呆気なく撤回されたのだった。


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