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征夷大将軍



元亀三年(1575年)  三月上旬      河内国讃良郡北条村 飯盛山城     三好義継




この城の三本松丸からは京、そして河内、和泉が一望出来た。三好一族が畿内制覇の重要な拠点として使用した城だ。この城と摂津の芥川山城を拠点として三好一族は畿内に覇を唱えた。養父が亡くなって今年で十一年、かつて畿内に覇を唱えた三好一族は今では畿内と四国に分裂している。当然だが覇を唱えているのは三好では無い……。


「殿」

呼ばれて振り返るとそこには妻の(うた)が居た。家臣達の姿は無い。どうやら詩が人払いをさせたらしい。

「どうかしたか、詩?」

「それは私がお伺いしたい事です。最近良く此処に御出でになられます。そして外を見ておいでになる。如何かなされましたか?」

詩は心配そうな顔をしている。溜息が出そうになって堪えた。そしてまた外を見た。


「昔を思い出していたのだ。聚光院様が御存命だった頃の事を」

「……」

「ここから見える風景は少しも変わらぬが世の中は大きく移り変わっている。不思議な事だな」

「迷っておいでですか?」

「……」

「兄から文が来ているのではありませぬか?」

「……」

黙っていると詩が私の隣に立った。


「関白殿下から私に文が来ました」

関白殿下から? そうか、殿下は詩にとっては従兄だ。詩の事を心配しているらしい。

「兄が殿を始めとして諸大名に近江少将様を討てと文を送っている形跡が有ると。そうなのですか?」

「そなたには隠せぬな」

私が答えると詩が息を押し殺した様に吐くのが分かった。隣りを見ると詩は目を伏せている。


「正月に近江少将が四月に兵を起こし本願寺を討伐すると宣言した。その時に兵を起こし近江少将を挟み撃ちにせよと義兄上から文が来ている。何度も、何度もな」

「……如何なされます?」

「迷っている。……霜台、備前守は私と行動を共にしてくれると言ってくれた。義兄上もそれを知るが故に私に兵を起こせと言うので有ろうな」

「勝てましょうか?」

「……難しかろう。いや負けるだろう、滅ぶに違いない」

詩が溜息を吐いた。だが如何見ても勝てまい。甲賀者の一件からして義兄の周辺には近江少将に通じる者が居る。つまり不意は突けぬという事だ。勝ち目は無い。


「御止めなされませ。私への、兄への義理立ては御無用になされませ」

「詩……」

詩が哀しそうな表情をしている。

「足利という家は業の深い家でございます」

「武家とは、武者とはそういうものであろう」

「そうではございませぬ」

「……」

詩がジッとこちらを見ている。


「足利家は将軍職に、征夷大将軍職に囚われた、呪われた家なのです。将軍で有る事を証明しようとして強き者を倒そうとする。細川、三好、朽木、(きり)が有りませぬ。そしてその中で足利の者も死んでゆく……」

「済まぬな。十三代様を殺したのは……」

詩が“いいえ”と言って首を横に振った。


「兄を殺したのは貴方様では有りませぬ、征夷大将軍なのです。それに相応しい力も無いのにその職に就いた。それ故征夷大将軍職の怒りに触れ死んだのだと思います」

「……」

そうなのかもしれない。将軍でなければ死ぬ事も無かった。将軍で有ろうとするが故に死ぬ事になった……。だが殺したのは私だ。


「近江少将様が兄と平島公方家の和解を成し遂げてくれた事は本当に嬉しゅうございました。これで足利の血が流れずとも済むと。それなのに……」

詩の吐く息が重い。

「兄を助けるために兵を起こすのではなく兄を死なせぬために兵を起こさぬ、そう御考え頂く事は出来ませぬか?」

詩が縋る様に私を見た。義兄を死なせぬため、そして私を死なせぬためという事であろう。


「それが出来ぬと御考えなら私を離縁して頂とうございます」

「何を言う」

詩が首を横に振っている。

「もう、足利に関わったが為に人が死ぬ所を見たくないのです。貴方様には足利から離れて頂とうございます」

「……案ずるな、兵は起こさぬ」

詩がほっとしたように息を吐いている。兵は起こさぬ、だが義兄は諦めるまい。これからも文は届く、憂欝な日が続くに違いない。




元亀三年(1575年)  三月上旬      山城国葛野・愛宕郡  室町第  細川藤孝




「兵部大輔殿」

振り返ると上野中務少輔殿が近付いて来た。

「兄君、大和守殿は息災かな?」

「はっ、特に不調を訴える事も無く過ごしております」

答えると中務少輔殿が満足そうに頷いて歩き出す。自然と並んで歩く形になった。


「大和守殿のお預けも今少しで解けよう。直に御許しが出る筈。公方様がそう仰られていた」

「左様で」

「うむ、公方様が今霜台殿に掛け合っておいでだ」

「……間もなく本願寺攻めですな」

中務少輔殿が顔を顰めた。


「左京大夫殿が兵を起こさぬと言ってきた。どうやら本願寺は長くないと考えているらしい」

「そうでしょうな、証意が顕如上人から離れました。皆が顕如上人の力に疑いを持った筈」

「それにしても選りに選って朽木に助けを求めるとは……」

腹立たしそうに中務少輔殿が吐き捨てた。


意表を突かれたのは事実だが何処の大名も門徒を一万人も受け入れたりはしない。少将様が受け入れたのは勿論本願寺対策の一つとしてであろう。そして証意が朽木の法を守ると誓ったからでもある。朽木は宗門に厳しいと言われていたがこれからはそう非難は出来なくなろう。むしろ門徒達にとっては朽木は最後の逃げ場、戦い辛い相手になる。


「石山は孤立無援、誰が見ても長くはもたぬでしょう」

私の言葉に中務少輔殿が唇を噛んだ。淡路が阿波三好家に有る以上、毛利も簡単には援軍を出せぬ。そして紀伊の国人達、雑賀は朽木の水軍を怒らせる事を怖れている。如何見ても本願寺に勝ち目は無い。


「左京大夫殿が兵を起こさぬ以上、霜台殿、備前守殿も動かぬか。皆公方様の御意志を如何思っているのか……、嘆かわしい事だ」

左京大夫殿が動かぬ以上、兄のお預けが解けるのは未だ先だな。憂欝な事だ。それにしても公方様もその周辺も何も分かっておらぬと見える。


兄が起こした甲賀者の一件、公方様とその周辺は霜台殿に断りなく行った事で霜台殿の顔を潰した、それ故霜台殿が怒り兄の処罰を求めてきたと思っている。要するに時が経てば怒りも収まると見ているのであろう。或いは近江少将様には知られていないと思っているのかもしれぬ。どちらにしても度し難い程に愚かとしか言いようがない。


霜台殿が兄を許す時は左京大夫殿が近江少将様と戦うと心を決めた時であろう。そうでもなければ霜台殿が兄を許す事は無い。許せば少将様の兵が甲賀から大和へと進撃を開始しかねない……。場合によっては左京大夫殿も攻撃の対象になるだろう。現状では少将様と左京大夫殿、霜台殿、備前守殿の関係に特別不穏な部分は無い。此度の本願寺攻めにも動く事は無い。だがこのまま少将様の覇権を認めるという保証も無い。一体どうなるのか……。


「兵部大輔殿、近江少将様が朝廷に金銀の事で働きかけている事を御存知かな?」

「存じておりまする。物の売り買いをし易くするために銅銭と金銀の交換の割合を定めるとか。その為に全国から商人も集めたと聞きました」

「武士らしゅうないの、銭の事ばかり考えおって。まるで商人の様じゃ、そうは思われぬか」


中務少輔殿が顔を歪めて吐き捨てた。朽木はその銭の力でここまで来た。公方様もその朽木の銭で将軍職に就任した。御先代様が京に戻れたのも朽木の銭の力によってであった。今回の一件、公方様もその周辺にも不快感を持つ者が少なくない。僭越、公方様をないがしろにしている、様々だ。だが銭を持ち銭を使う者が話をしたと言われればそれまでだ。大体銭を用意出来ない者が何を言っても……。


「朽木は大軍を動かしますからな、兵糧を用意するにも大量の銭が要りましょう。羨ましい事です」

「羨ましいとは?」

中務少輔殿が訝しげな表情を見せた。

「一度、金銀を使うぐらいの買い物をしてみたいと」

「なるほど」

恐ろしいのは朽木には全国の商人を集める力が有るという事、そして商人達も金銀の交換の割合を認めたという事は少将様の考えを認めたという事。少しずつ少将様の力が強くなっていく。公方様もその周辺も分からぬ事であろうが……。




元亀三年(1575年)  三月下旬     近江国蒲生郡八幡町 八幡城   朽木基綱




「御屋形様。申し訳ありませぬ、此度の事、何かの間違いかと思います。父に限って御屋形様に逆意を抱く様な事は……」

目の前で男が頭を床に擦り付けていた。

「分かった、弥太郎」

頭痛いわ、何時かはこんな事が起きると思っていたが……。ばたばたばたばたと廊下を走る足音が近付いて来た。“御裏方様!”という声も聞こえる。今度は小夜か、溜息が出そうだ。


“御屋形様!”と叫んで小夜が暦の間に飛び込んできた。

「御屋形様! これは何かの間違いにございます。父が、父が御屋形様に逆らうなど」

「小夜」

「一生のお願いにございます。どうか、どうか父を」

「某からも、何とぞ」

駄目だ、二人とも頭を擦り付けるばかりで俺の話を聞こうとしない。俺ってそんなに怖がられているの? そりゃ戦国で一番人を殺しまくっているのは俺だけどさ。


「小夜、弥太郎」

「御屋形様、父は」

「父は決して」

「喧しい!」

二人とも吃驚している。頭痛いわ。

「俺の話を少しは聞け!」

こくりと二人が頷いた。


「舅殿の兵が本願寺に兵糧を流した」

「それは」

「話を聞け!」

また二人が頷いた。俺は信長じゃないし舅殿は荒木村重じゃない。そんなに心配するな。

「舅殿の兵と言っても銭で雇った兵だ。銭欲しさに転ぶ事など幾らでも有る。それに兵糧を流したと言っても大した量では有るまい。そう騒ぐな」

二人が少し安心した様な表情を見せた。


「舅殿が俺に逆意を抱く等と思った事は無い。舅殿は摂津で十分に役目を果たしている。特に証意を朽木に引き入れた事は大手柄だ、国一つ切従えたに等しい。石山本願寺を片付けた後は舅殿に新たに所領を与えようと思っている程だ、案ずるな」

「おお」

二人が声を上げて喜んでいる。


「弥太郎、俺の文を持って舅殿の所に行け。詰まらぬ噂に惑わされずに俺を信じよと。俺も舅殿を信じている、疑うような事は無いと伝えよ」

「はっ」

「四月には兵を起こす、それまで抜かりなく本願寺を見張れと」

「はっ」


俺が“紙と筆を”と言うと加藤孫六が巻紙と筆を持ってきた。何て書けば良い?

『此度の兵糧横流しの一件、取るに足らぬ事にて義兄、妻の騒ぐ有様可笑しく存じ候。基綱、舅殿を疑う事全く無し、これまでの働きに十分満足致し候。されば舅殿も周りに惑わされず基綱を信じる事が肝要にてござ候。詳しくは義兄よりお聞き頂きたく、これを摂津へ遣わし候』

こんなものかな? 面倒な部分は弥太郎に押し付けよう。


最後に名前を記入して『君臣豊楽』の印章を孫六に押させた。孫六の奴、ガチガチになりながら押した。弥太郎に渡すと文面をじっと見ていたが“有難うございまする”と言って一礼して下がった。これから摂津だ、“頼むぞ”と声をかけた。小夜が泣きながら“有難うございまする”と何度も礼を言うから“分かったから下がれ”と言って下がらせた。


「下野守、重蔵、俺はそんなに怖いか? 家臣の過ちを許さぬ情け容赦無い男か?」

俺が問い掛けると下野守と重蔵が苦笑を浮かべた。

「そうは思いませぬが相手が本願寺でございます。御屋形様にとっては十年戦い続けた相手、御裏方様と弥太郎殿が慌てるのも無理は有りませぬ」

重蔵が答えると下野守が頷いた。そんなものかね、なんかトンデモナイ暴君扱いされて不本意なんだが。寂しいわ、理解されていない様な気がする。


「本願寺を包囲したら降伏を促すつもりだ。条件は朽木領からの退去。如何思うか?」

下野守と重蔵が顔を見合わせた。

「根切りにするのでは有りませぬので?」

下野守が不思議そうな声を出した。やっぱり俺って残酷なイメージが有るんだ。落ち込むよ。


「殺すよりも生かして使う。顕如が行く場所は紀州、播磨、安芸、そんなものだ。紀州なら畠山と争いになるだろう、悪くない。播磨でも構わん、どのみち播磨は攻めるのだ、足元が固まらぬ内に叩き潰す。安芸は遠いが毛利にとって顕如は自分の地位を脅かす存在になりかねぬ男だ。これも利用出来る」


二人が頷いた。“流石は御屋形様”なんて重蔵が言っている。如何いうわけか素直に喜べない。顕如はババ抜きのババみたいな存在だ。ババを引いた国は混乱と流血が生じるだろう。そして顕如を受け入れた事を後悔するに違いない。徐々に徐々に顕如を受け入れる国は無くなっていく。いずれは混乱の中で潰されるか、俺に慈悲を請うて朽木の法の下で生きるかだ。今顕如を殺せば顕如は殉教者になってしまう。門徒達は顕如の死をきっかけに団結を強めかねない。そんな事は下策だ。


石山を得た後はそこを後方支援の拠点として使おう。播磨から中国方面に攻め込むには最適の場所だ。兵糧方の人間を石山の城代にする、あくまで城代、一時的なものだ。叔父を置くか? しかしなあ、舅殿も居るから摂津で変に張り合われても困る。……伊右衛門にしよう。山内伊右衛門を城代にする。性格も悪くないし適任だ。下に何人か若いのを付けよう。




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