表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/267

警告



永禄十六年(1573年)  六月中旬      山城国愛宕郡  伊勢伊勢守邸  伊勢貞良  




「山国庄、小野庄を取り戻された事真に目出度く、伊勢守心よりお喜び申し上げる。帝も御喜びでありましょう」

父が頭を下げたのでそれに倣った。大膳大夫様が“いやいや”と首を横に振られた。

「そのように伊勢守殿に褒められては恥ずかしゅうござる。禁裏御料は取り戻しましたが宇津右近大夫には逃げられ申した。何処に逃げたのやら」

ゆったりと話す姿からは余り悔しさは感じられない。禍根にはならないと見ているようだ。


勅命を果たし朽木軍が丹波から帰還した。そして大膳大夫様は朝廷への報告を済ませここにいる。成果は宇津の討伐と川勝氏の服属、それだけ。少々拍子抜けのようなところも有る。丹波を制圧するのだろうと見ていたのは私だけではあるまい。幕府内部でも同じような声が上がっていたのだ。特に公方様の側近からは非難の声が大きかった。丹波を獲られれば京は北を押さえられることになる。だが川勝の服属だけで帰還した事で幕府内部でも大膳大夫様を非難する声は収まりつつある。


「大膳大夫様はこれを機に丹波一国を掌中に収めるつもりかと思いましたが」

「某もそう考えていましたが赤井が裏切り申した」

「赤井が……」

大膳大夫様が頷いた。なるほど、赤井は大膳大夫様に御味方すると約束していた。だがそれが偽りだと分かったので切り上げたという事か。父も大膳大夫様も焙じ茶を口に運びながら寛いでいる。しかし話の内容は……。


「関白殿下の御縁でこちらに味方すると言っていましたが……」

「心変わりしたのですな」

大膳大夫様が“そのようです”と頷いた。

「……赤井に嫁いだ関白殿下の妹姫は後添えだそうですな。悪右衛門の最初の妻は波多野から出ている。悪右衛門の嫡男はその波多野から来た妻が生んだそうです。今回の裏切りにはその辺りも関係しているのでしょう。内で親子喧嘩で分裂するよりはと思ったのかもしれない」

「なるほど」

父がウンウンと頷いている。


「そこに一色も絡んだ?」

「波多野、川勝、宇津の同盟に赤井、一色が加わって朽木に対抗する事を考えていたらしい」

「川勝が服属したようですが?」

「若狭から丹後へと攻め込みましたので戦っても敗けると判断したのでしょう。それが無ければ川勝も手強く戦った筈」

父が“なるほど”と頷いた。なるほど、丹後攻めにはそのような意味も有ったか。


「公方様の手が?」

父が声を潜めて訊ねると大膳大夫様が困惑した様な表情を見せた。

「いや、それがどうも違うらしい。或いは本願寺の手が回ったかと思いましたがそれも違う。どうやら自発的に同盟を結んだようですな。この大膳大夫、余程に嫌われているようです」

大膳大夫様が苦笑を浮かべた。父も口元が緩んでいる。

「宮内少輔に問うてみましょう。公方様が絡んでいるなら間違いなく何か知っている筈」

「そうですな、よろしくお願いします。……伊勢守殿、公方様のご様子は?」

大膳大夫様が訊ねると父が微かに苦笑を浮かべた。


「改元の事に集中しておいでです」

「なるほど、将軍宣下の次は改元ですか、費用は?」

「御自身で用意なされるようです」

「傀儡ではないと?」

「そのようですな。それを示さなければ諸大名に書状を出しても反応が鈍いと考えられたようです」

二人が顔を見合わせて小さく笑った。


「公方様にお伝えください、銭が必要ならいつでも御相談に乗ると」

「必ずお伝え致しましょう」

二人が声を合わせて笑った。如何して笑えるのか、そんな事をすれば公方様の御機嫌を損ねるだけだろう。


「この後は?」

「関白殿下に赤井の件をお伝えし丹後攻めに専念する所存。丹波攻めはその後に。一見迂遠に見えますが山城、丹後、両方から攻めた方が早く終わるのではないかと」

「そうですな。……朝廷から官位の御沙汰が有りました。勅命を果たした以上、辞退は許されぬと思いますが」

父の言葉に大膳大夫様が頷いた。


「出来ますればその儀は丹後攻めの後に」

「なるほど」

「関白殿下にもその事はお話ししようと考えています」

「心得ました。その方向で進めさせて頂きます」

丹後の一色を下した後に昇進する。公方様の口を封じる、そういう事か。


「此度は室町第には出仕されぬのですな」

「そう考えております。出仕は丹後の制圧後に」

大膳大夫様の言葉に父が頷いた。

「それが宜しいでしょう。今出仕しては何かと煩わしい。某の方から公方様には説明しておきましょう」

「忝い」

大膳大夫様が頭を下げた。


「御身辺、御気を付け頂きたい」

「……」

「何かと良からぬ話を聞きますのでな。今大膳大夫様に何か有ってはようやく落ち着いた畿内がまた乱れる事になる」

「……御忠告、しかと胆に銘じましょう。御心入れ、忝のうござる」

大膳大夫様がまた頭を下げた。それを見て父が“大膳大夫様”と声をかけた。幾分声が硬い。


「一つ御約束頂きたい」

「何でござろう」

「足利の血を(むご)く扱って下さいますな」

「……伊勢守殿。足利の血、と申されますか」

「如何にも。平島公方家に対する御扱いを見れば間違いは無いとは思いまする。されど人は変わるもの。御約束頂きたい。伊勢守、たっての願いでござる」

大膳大夫様が大きく頷いた。

(しか)と御約束致しますぞ、伊勢守殿」

父が深々と頭を下げた。私もそれに遅れる事無く頭を下げた。これが父なりの、いや幕府政所執事である伊勢家の、足利家への最後の御奉公なのだと思った。




永禄十六年(1573年)  七月中旬      丹後国加佐郡喜多村 建部山城 朽木基綱  




「そろそろですかな?」

「そうだと良いのだが」

「しかしこれ以上の抗戦は不可能であろう」

「その通り、徒に滅びるだけでしかない、意味が無いわ」

五郎衛門、下野守等の武将達が少し離れたところで話している。皆表情は穏やかだ。確かに不安要素は無い。


朽木勢四万が丹後を制圧していた。一色左京大夫義道が領内の統治に失敗していた事も有って殆どの国人領主は朽木に寝返った。特に小倉播磨守、河島越前守、桜井豊前守、三富豊前守等の海賊衆は先を争って寝返ってくれた。抵抗しているのは一色一族とそれに従うごく一部の一色家譜代の家臣達だけだ。左京大夫が建部山城、弟の義清が吉原城、息子の義定が弓木城で抵抗しているが大勢は決したと言って良い。


運が良かった。川勝がこちらの味方になった事で赤井を牽制してくれるし波多野は日根野兄弟が牽制しているから丹波からの援軍は無い。それに但馬の山名が一色の味方をするかと思ったんだが赤井が山名の領地を奪った所為で赤井、山名の関係は険悪な状態にある。その事が山名に一色側に立つ事を躊躇させた。此処で一色に協力しては赤井が山名領を奪った事を認める事になりかねないと判断したようだ。


残念だったな、波多野、赤井、宇津、川勝、一色の同盟は何の役にも立たなかった。どうせなら赤井が占領した山名領を返還させ山名も加えるべきだったな。失敗すれば滅びるんだ、腹を括るべきだったのに括れ切れなかった。何処か中途半端だ。まあこっちも手は打った。いずれ赤井を攻略する、その時は赤井が奪った山名領は存分にされよと提案した。山名は楽に領地を奪還出来ると判断したのだろう。一色家から何度か援助を請う使者が出たようだが山名が動く気配は無い。


一色左京大夫が籠っている建部山城は朽木の本隊三万の兵に囲まれている。建部山城は舞鶴湾の西側、伊佐津川の西にある城だ。一色氏の丹後支配の拠点は平時には八田守護所、戦時にはこの建部山城になる。建部山西支城、建部山東支城という二つの支城を持つ中々堅固な城だが既に二つの支城は降伏した。力攻めでも落とせるが無理をする事は無い。何度か使者を出して降伏を促している。


条件は北畠の時と殆ど同じになる。一色一族の助命。それと朽木家に仕える事、所領は五千石。悪い条件じゃないと思うんだが問題は何処で領地を与えるかだ。一色左京大夫は丹後で所領が欲しいと言っている。こいつらって北畠もそうだけど馬鹿なのかな? 危険だって判断されると思わないのだろうか? 近江で五千石与える、それが俺の返事だ。


宇津の行方は未だわからない。波多野にも居なければ赤井にも逃げ込んだ形跡は無い。播磨、本願寺に逃げたわけでもないようだ。城から逃げたのは良いが何処かで人知れず死んだという事も有るのかもしれない。重蔵には宇津捜索を打ち切ってよいと命じた。面目無さげだったな、だが八門にはほかにもやる事が有るのだ。何処かで割り切りは必要だろう。


月が変われば元号が変わる。新しい元号は元亀だ。なんか聞いた事が有る元号だよな。義昭は諸国の諸大名に元号が変わると文を送っている。もっとも俺には文は来ない。但し朝廷からは俺に義昭が元号を変えたがっているが構わないかと問い合わせが来たから構わないと答えておいた。朝廷にとっては大事な収入源だ、反対はしない。


改元の費用は紀伊の畠山が用立てるようだ。京の都では丹後の一色が俺に攻められているのは侍所頭人にも拘らず将軍宣下に参列しなかったからだという噂が流れているらしい。次は管領の畠山だと。畠山もそれを知ったのだろうな。俺に攻め込まれる口実を与えないために義昭の改元に積極的に協力している様だ。頑張れよ、畠山高政。


伊勢伊勢守が妙な事を言った。身辺に注意しろと。誰かが俺を殺そうとしているらしい。それも戦では無く暗殺だ。伊勢守の耳に入ったという事は幕府内部の人間だろう。義昭、その周辺。朽木は後継者が幼い、俺が死ねば間違いなく勢力は縮小する。可能性は有るな。何処に依頼したかな? 簡単ではない筈だ。信頼が出来る事、これは腕だけじゃなく口が堅い事も要求される、そして必ずし遂げる実行力。


そういう相手を見つけてもそこからがまた難しい。そこにどうやって話を持ち込むかという問題が有る。いきなり飛び込みで話を持って行っても警戒されて断られるだけだ。場合によっては殺されるだろう。どうしても伝手が要る。となると頼み先は畿内だろう。伊賀、甲賀、雑賀、根来……。伊賀は無いだろう、甲賀? 可能性は有るな。例えば杉谷善住坊……。甲賀は松永に付いている。義昭が何処まで甲賀と親しくなったか……。雑賀、根来、こいつらは畠山が絡めば幾らでも有りそうだ。本願寺経由で頼む事も出来るだろう。


或いは幕臣を使うか。こっちの方が可能性は高いかもしれない。三好長慶も命を狙われている。伊勢守が室町第に行かない方が良いと言ったのもその所為かもしれない。今後は室町第に行く時は護衛を付けよう。朽木家には新当流の使い手が沢山いる。それと脇差は少し長めの奴にした方が良いな。鎖帷子も身に着けよう。


伊勢守が足利の血を酷く扱うなと言ったのもその所為だな。誰だって命を狙われれば頭に来るからな。怒らないでねという事だろう。安心して良いぞ、伊勢守。殺しはしないよ。でも生きている事の方が屈辱という事も有る。それについては責任は負えんな。心の問題は本人が解決するべきものだろう。


「御屋形様」

「うむ、如何した、下野守」

「城から使者が」

「そうか」

どうやら終わったかな。左京大夫と会見しなければならんだろう。この場は拙いな、左京大夫にとっては朽木軍の中に入るのは屈辱だ。近くに寺か神社が有ったかな?




元亀元年(1573年)  八月中旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  雪乃




「父上」

「父上」

娘達が燥ぎながら御屋形様に纏わり付くと御屋形様が嬉しそうに笑い声を上げながら二人をそれぞれ膝に乗せました。こうして二人の娘をあやしていると御屋形様は十ヵ国を領し近隣から畏れられる御方には見えません。娘に甘い子煩悩な普通の父親です。


御屋形様はこの八月に丹後からお戻りになられると正四位下左近衛権少将に叙任されました。従四位下から正四位下への昇進、越階です。朝廷は余程に山国庄、小野庄が戻って来た事が嬉しかったのでしょう。御屋形様もこれで少しは朝廷の困窮も改善されるだろうと仰られています。大方様のお話では目々典侍様、権典侍様だけでなく大典侍様、阿茶局様からも感謝の文が届いたようです。


御屋形様への叙任は別な意味も有りそうです。この八月は元号が永禄から元亀にと変わりました。公方様がそれを望まれたそうです。朝廷も新しい公方様の代になったという事で改元を断りませんでした。ですが公方様と朝廷の関係は決して良くありません。朝廷は公方様が少しも朝廷に奉仕しないと不満をお持ちだそうです。


大方様のお話では改元後に御屋形様の叙任が為されたのはその所為だとか。この叙任で御屋形様は公方様よりも位階は上になったのですから信じて良いお話だと思います。京では公方様が今回の丹後遠征から昇進までの事に大分不満をお持ちだと噂になっているそうです。


公方様は御屋形様が丹後に攻め込んだ事をかなり御怒りになったと聞いています。ですが丹後制圧後、丹後の一色左京大夫様が宇津、波多野、赤井、川勝と同盟を結び御屋形様と戦おうとしていたと説明を受けて何も言えなくなったとか。そして同盟者の残りである波多野、赤井の討伐を御屋形様が宣言した時も何も言わずに沈黙していたと聞いています。足利家と朽木家の関係は日増しに険悪になっていくようです。御屋形様が天下を目指す以上仕方が無い事でも有ります。


「今月の末にはまた出陣されると伺いましたが?」

「うむ、出来れば今年中に丹波攻略の目処を付けたい。宇津が滅び川勝がこちらに服した。そして丹後が制圧された事で丹波の国人衆の中から朽木に味方をすると申し入れてくる者が出始めた。今が攻め時であろう。今月末に攻め込めば秋の取り入れは自由に出来ぬ。それに百姓を徴集するのも容易ではない筈だ」

「父上、またいっちゃうの」

「いっちゃうの」

娘達が御屋形様を見上げて寂しそうに尋ねると御屋形様が“直ぐに帰って来るからな”と仰られて二人の頭を撫でられました。


「赤井悪右衛門は関白殿下の妹姫を妻に迎えていると聞きました。攻めても宜しいのですか?」

「赤井は関白殿下の妹姫を離縁したそうだ。妹姫は娘を連れて関白殿下の元に戻った」

「まあ」

「妹姫は帰りたくないと泣いて嫌がったそうだ」

「……切ない御話でございますね」

御屋形様が“そうだな”と頷かれました。


「悪右衛門も返したくは無かったであろう。だが自分の元に置いては城を枕に討死となりかねぬ。関白殿下の元に返せば赤井の血を引く娘が生き残る事になる。殿下の養女にすれば幾らでも嫁ぎ先は有ろう。そう考えたのだと思う。悪右衛門は討ち死にを覚悟したのだ、何故俺に下らぬのか。やりきれぬ話だ」

「そうでございますね」

御屋形様は遣る瀬無さそうな御顔をしておいでです。世評では御屋形様を厳しい方と見る向きもありますが本当はそうでは有りません。御屋形様は御優しい方です。


「乱世というものは生き辛い事だ。男だけではない、女も振り回される」

「……私は御屋形様の御側でお仕え出来て幸せでございます」

御屋形様が“そうか”と仰られて笑みを浮かべられました。本当の気持ちです。乱世という事を感じぬほどに幸せです。

「竹と鶴を嫁に出すまでにはあと十年と言ったところだろう。それまでに乱世が終っていればとは思うが難しいだろうな」

御屋形様が二人の頭を撫でられます。竹が御屋形様を見上げました。


「竹は何処かに行くのでございますか? 行きたくありませぬ」

「鶴も」

「そうか、二人とも行きたくないか」

「はい」

「困ったものよ、これでは行き遅れになってしまう」

御屋形様が声を上げて御笑いになりました。本当に困ったもの、でも何時までもこんな日が続けば……。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 関白殿下の妹姫って羽林の方に出てくる寿かな?
[一言] 最後の忠臣にすら見切りをつけられたな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ