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不本意極まる事態

永禄十六年(1573年)  二月中旬      摂津国島上郡原村  芥川山城  平井定武




ドンドンドンドン、廊下を複数の人間が歩く音がした。ドンドンドンドン、徐々に近づいてくる。そして大広間に主、朽木大膳大夫基綱様が入ってこられた。付き従うのは蒲生下野守、明智十兵衛、進藤山城守、目賀田次郎左衛門尉、田沢又兵衛、沼田上野之助、真田源五郎、倅の平井弥太郎……、そして近習、小姓が数人。平伏して迎えた。


「御久しゅうございまする、この芥川山城に御屋形様をお迎え出来ましたる事、真に嬉しく思いまする」

上段に坐った御屋形様がにこやかに頷かれた。

「舅殿も元気そうで何より。此度は世話になる。宜しく頼む」

「はっ」


「あと五日ほどで阿波から(さき)の公方様御一行が堺に御到着なされる。それまでこの城に留まらせて貰う」

「はっ、そのように承っておりまする」

「小夜から宜しく伝えてくれと言われた。竹若丸、松千代、亀千代、皆元気だ。まあその辺りは後程弥太郎から話を聞いてくれ」

「はっ、御配慮忝く、心より御礼申し上げまする」

礼を言うと御屋形様が柔らかい笑みを浮かべながら頷いた。


少しの間雑談をすると御屋形様が近習、小姓達を下がらせた。そして上段の間から降りてくると皆に車座に坐るようにと言って腰を下ろした。皆が御屋形様を囲むように座る。遠慮や逡巡は無い、御屋形様はそのような事で時を潰すのを酷く嫌がる所がおありだ。短気でせっかちと言われる事が有るのはその所為もあろう。


「ここに来る前に京に立ち寄ってきた。左馬頭様は酷く御機嫌斜めで有られた。困った事よ」

「それは一体如何なる訳でございましょう。将軍宣下も間近なれば左馬頭様は御慶びでは有りませぬので?」

御屋形様を含め皆の表情が暗い、どうやら拙い問題が起きているらしい。進藤山城守殿が“加賀守殿”と口を開いた


「その将軍宣下が問題になっているのだ」

「それは如何いう事かな、山城守殿」

山城守殿がホウッと息を吐いた。

「参列者が殆ど居らぬ。皆、使者を寄越して終わりだ。このままでは参列者は御屋形様と此度御迎えする阿波からの御一行様ぐらいという事になる。後は幕臣という事になろう」


思わず皆の顔を見回した。予想外の事が起きているらしい。倅の弥太郎も深刻そうな表情をしている。

「能見物も同様だな、折角の十三番も見物人が少なくては興醒めであろう。弓八幡も誰も観る者が居なくてはな。左馬頭様の御機嫌が悪いのも無理はない」

「なんと、真にございまするか?」

問い掛けると御屋形様が頷かれた。


「三好左京大夫、松永弾正忠、内藤備前守からは阿波の一行と席を同じくすれば問題が起きかねぬ。将軍宣下の目出度い日を台無しにしたくないと文が届いた。当日は使者が祝いの品を持って来る事になっている」

「……御屋形様、左京大夫様は左馬頭様の義理とはいえ弟君ですが」

「そうだな、だが参列せぬ。管領の畠山、侍所頭人の一色も参列せぬ。織田、上杉、神保、椎名、筒井、波多野、赤井、別所、小寺、宇野、赤松、山名、三村、浦上、毛利……。皆使者を送る事で終わりだ」

思わず溜息が出た。とんでもない事になっている。


「理由は遠国である事、或いは領内が治まらぬ事、他国と緊張状態にある事を訴えているが幕府政所の書状には俺の副状を付けたからな、成り上がりの若造がと反発したかもしれぬ。左馬頭様が俺に対して頼り無しと思われても仕方が無いな」

他人事のような口調だが事態は深刻と言って良い。


「或いは御屋形様と左馬頭様の争いに巻き込まれたくない、そういう事では有りませぬか? 左馬頭様が御屋形様に大層な不満を持っているという風聞が摂津にまで届いております」

私の言葉に御屋形様が頷かれ“下野守、例の件を”と言われた。

「加賀守殿、先日某の所に三雲対馬守殿が密かに訪ねてきた」

「密かに?」

下野守殿が“如何にも”と言って頷いた。


「弾正忠様から命じられたらしい。左馬頭様より朽木討伐の密書が届いた事、三好左京大夫様を守るためには左馬頭様と左京大夫様を会わせぬ様にするしかない事を理解して欲しいとの事であった」

思わず溜息が出た。左馬頭様の不興をかっても争いに巻き込まれるよりはましという事か。諸大名は状況を厳しく受け止めているらしい。


「左馬頭様と会う事は出来ぬ、だが欠席して俺の顔を潰すのも拙い。そして使者を朽木に出して弁明していると周囲に知られるのも拙い、だから対馬守を密かにこちらに寄越した。そんなところだな」

また他人事の様な口調だ。興奮されるよりはましではあるが……。


「御屋形様、参列を断ってきた諸大名は左馬頭様より朽木討伐の密書を受け取ったと見て宜しいのでしょうか?」

「見て良い。かなり手広くばら撒いた事は分かっている。大名だけではなく家臣にも送ったらしい。貰った方もさぞかし困惑しただろう。左馬頭様が不機嫌な理由の一つにまともに返事を返してくる大名が居ないからというのも有る。だが家臣にまで密書を送られてはな、良い気持ちはするまい」

左馬頭様の身辺近くに御屋形様に通じる者が居るらしい。左馬頭様の動向は御屋形様に筒抜けか。相変らずの手抜かりの無さよ。


「しかし播磨の別所、小寺、赤松に密書が回ったとすると……」

御屋形様が首を横に振った。

「摂津に攻めて来るだけの度胸が有るなら自ら京に来る。そして左馬頭様と会って恩賞の話をする。危ない橋を渡るのだ、俺ならそうする」

「では心配は要らぬとお考えですか?」

御屋形様が頷かれた。

「誰が先陣を切るか、窺っているのだ。情勢次第で動く、そんなところだろう。自らの意志で動く程の度胸は無い。油断は出来ぬがな」

なるほど、皆危ない橋は渡りたくないか。朽木は恐れられている。


「しかし困った、予定がかなり狂った」

皆が訝しげな表情をした。

「俺は今回の将軍宣下に参列した大名達に朽木の富を見せつけるつもりだったのだ。連中の戦意を挫くためにな。そして畠山、一色を謀略で参列させず左馬頭様を孤立させるつもりだった」

「……」


「丹後から丹波を獲り京を囲む。西を攻める前に畿内を固めようと思ったのだがな。そのために準備したのだが殆どが無駄になった……、上手くいかんな」

御屋形様が太い息を吐いた。西を攻める前に畿内を固めるか。やはり御屋形様は天下を狙っておいでだ。皆も驚いた様な表情はしていない。朽木は天下を目指す、皆がそう思っているのだろう。おそらくは左馬頭様も……。




永禄十六年(1573年)  二月中旬      摂津国島上郡原村  芥川山城  朽木基綱




頭が痛いわ。何でこんな事になるのか……。簡単だよな、馬鹿が頭に血が上って朽木討伐の密使なんて出すからだ。それが無ければ皆が将軍宣下に参列しただろう。そして朽木の財力に感嘆と畏怖を感じた筈だ。畿内制覇のための第一歩になる筈だった。足利の忠臣を演じるために必死で小鼓も覚えた。皆には溜息を吐かれるレベルから眉を寄せるレベルにまで上達した。それなのに……、幾らなんでも将軍宣下前に討伐の密使は無いだろう。煽らせたのは俺だが全てが無駄になった。


考えてみると義昭は俺の計画を潰す最善の手を打った訳だ。なんか凄い不本意だな。こっちが一生懸命やってるのに義昭が頭に血を上らせて勢いでやった事が全てをぶち壊すだなんて。この間の上洛戦の時もそうだった。こっちはもっと後と考えていたのに頭に血を登らせた馬鹿の所為で予定を大幅に変更させられた。相性が悪いんだな、出来るだけ近付かないようにしよう。そして必ずあの男から天下を奪う、そうじゃないと不安だ。嫌な予感がする。


「では播磨に向かわれますか?」

源五郎が問い掛けてきた。何人かが頷いている。そうだよな、播磨は別所、小寺、赤松が争っている。統一した勢力は無いのだ。朽木の力をもって各個に撃破して行けば播磨の領有はそれほど難しくなさそうに見える。多分史実の信長、秀吉もそう思ったのだろう。


「源五郎、播磨に出れば本願寺が必ず立ち上がるぞ、毛利もな」

「……」

皆が緊張した。だが表情には不審の色が有る。本願寺が立ち上がる、その理由が分からずにいるのだろう。現状では朽木と本願寺は自然休戦の状態にある。その本願寺が何故朽木が播磨に攻め入ると立ち上がるのか?


「皆は一向一揆と言えば本願寺、そして加賀の一向一揆を頭に思い浮かべるだろう。何と言っても加賀を制し越前も今一歩の所まで行ったのだからな」

皆が頷いた。

「だがな、一向一揆は極めて銭儲けに熱心な連中だと言う事を忘れてはいかん。堅田、長島を思い出せ」


堅田は水軍の拠点であり琵琶湖の水運に大きな影響力を振るう存在だった。長島は木曽、揖斐、長良川の集合地点であり三川を利用した物流の一大集積所だった。そして長島は東海地方の物資を海を使って伊勢から雑賀、堺、石山に運ぶ海上輸送ルートの拠点でもあった。どちらも大きな利を生み出す所だ。一向一揆は経済活動に熱心な連中なのだ。


現状では朽木、上杉、織田、徳川によって京から東の一向一揆は根絶された。つまり石山本願寺は東日本から叩き出され利権を失ったわけだ。では西は如何なのか? 西日本の物流の大動脈と言えば何と言っても瀬戸内海と山陽道だ。この瀬戸内海、山陽道沿いに一向一揆の拠点が二つある。一つは安芸、もう一つが播磨だ。その事を指摘すると何人かが唸り声を上げた。


「播磨には英賀(あが)が有り一向一揆の拠点英賀御堂が有る。英賀は海に面し川も夢前川、水尾川、菅生川が流れているから長島同様に物流の拠点なのだ。そして安芸は毛利の本拠地でもある。毛利と本願寺の繋がりは極めて強い。朽木が播磨に侵攻すれば必ず英賀は本願寺、毛利に救援を要請する。英賀は毛利と本願寺を繋ぐ重要な拠点だ。失う事は出来ぬ。失えば本願寺は孤立する事になる」

うーんという唸り声が車座の中から起きた。


史実では千五百七十年代前半が一向一揆の最盛期だと思う。越前を信長から奪い一向一揆はその強大さを天下に誇った。だが七十年代半ばには越前、長島を信長に奪われる。ここから一向一揆の勢いは退潮になる。そしてその苦境を救うためと言わんばかりに毛利が本願寺側に立って参戦する。第一次木津川口の戦いで九鬼が敗れるのはこの時期だ。


七十年代後半になると織田は石山本願寺を包囲しつつ播磨に侵攻する。この時期になると織田が優位に立ったかに見えるが毛利・本願寺は荒木、別所を寝返らせて反撃する。織田が鉄甲船を使って毛利水軍を破り大阪湾の制海権を握る事に成功するのがこの時期だ。ひっくり返されかけた戦局をなんとか押し留めた、そんな感じだ。ヒヤヒヤものだろう。そして八十年になると織田は播磨の攻略を終える。つまり本願寺は完全に孤立したわけだ。本願寺は織田に降伏し石山を明け渡す。


「では播磨攻めは危険と御屋形様は御考えですか?」

つらつら考えていると次郎左衛門尉が問い掛けてきた。

「楽な戦にはならんと考えている。多分その時には丹波、丹後も参戦するだろう。それにな、次郎左衛門尉。厄介なのは別所、小寺、赤松が今回の将軍宣下に使者を出す事だ。使者を出した相手を攻めれば左馬頭様が朽木を煩く責めるだろう、相手に大義名分を与える様なものだ、それは避けたい」

何人かが溜息を吐いた。面倒くさい、そう考えているのが分かる。皆うんざりした表情をしているからな。俺もウンザリだ。


「土佐一条家の問題も有る。毛利と事を構えれば土佐一条家は伊予と長宗我部の二つを相手にする事になる。勿論毛利も大友、土佐一条、朽木を相手にするのだから楽ではない。しかし戦線を広げ過ぎるのは得策とは言えぬ、どれも中途半端になる恐れが有る。となればやはりここは丹波、丹後を攻める事を優先すべきだろう」

「……」

益々ウンザリモードだ。


「案ずるな、手は有る」

皆が俺を見た。

「丹波国桑田郡に宇津右近大夫頼重という男が居る。聞いた事が有る者も居よう」

十兵衛を始め何人かが頷いた。

「禁裏御料所である小野庄、山国庄を三十年以上横領している男だ。朝廷の困窮の一因と言って良い。長年返還せよと朝廷は命じているが宇津は無視し続けている。宇津が強気なのは一つには畿内が混乱しているから、そしてもう一つは波多野と同盟を結んでいるからだ」


「では宇津右近大夫を討つのですな?」

「そうだ、十兵衛。そして波多野を討つ。そうなれば丹波のかなりの部分が朽木領になる。特に摂津、山城の北を守る形になる。これは大きい」

皆が頷いた。討伐は朝廷から勅を受ける形にしよう。足利では無く朽木に勅が下りる。ワンポイントアップだな。後で近衛に相談だ。


丹波の攻略後は丹後だ。そして土佐を安定させる。問題はそこだな、あまり手間取りたくない。……摂津が安定し丹波、丹後が朽木領なら外交方針を変えるべきだろう。今回阿波の三好がやってくる。阿波三好、土佐一条、朽木で協力関係を結ぶ。対象は毛利と長宗我部。その上で三好左京大夫、松永弾正忠、内藤備前守をこちらに付けるか中立の立場にする……。


如何だろう? 可能だろうか? 今回の将軍宣下を三好豊前守、安宅摂津守が如何捉えているかだな。阿波には討伐の密書は未だ送られていない。しかしこちらの状況は分かっているだろう。俺と義昭が決裂すると判断している筈だ。俺に付くか、義昭に付くか、それとも別の道を選ぶか……。打診してみるか、その前に目の前の連中に話してみよう。




永禄十六年(1573年)  二月中旬   和泉国大鳥郡堺町   顕本寺   三好長逸




「朽木大膳大夫様が御挨拶に見えられました」

小姓からの報せに皆が顔を見合わせた。上段に居られる大御所義助様、そして下段に居る豊前守殿、摂津守殿、そして儂と倅の久介。

「こちらへ御通しせよ」

「はっ」

一礼して小姓が立ち去った。


皆緊張している。

「日向守、その方は大膳大夫に会った事が有るそうだな」

「されば二十年も前の事になります。まだ向こうは(わらし)の頃でした」

「ほう、童か」

義助様が頷いた。あの童が今では天下を動かす程の勢力を持っている。二十年という月日の長さが身に染みた。既に我が身は六十歳を超えた、あと何年生きられるのか……。


直垂姿の若い武士が現れた。下座に座り扇子を前に置く。平伏した。

「大御所様には初めて御意を得まする、朽木大膳大夫基綱にございまする」

「うむ」

「この度は大御所様の御決断にて畿内での争いが収まりましたる事、心より御礼申し上げまする」

「大膳大夫には随分と骨を折って貰った。礼を言わねばならんのはこちらの方である」

「過分な御言葉、畏れ入りまする」


大御所様が面を上げるようにと言うと大膳大夫がゆっくりと顔を上げた。面影が有る。あれから二十年か……。

「大膳大夫は初対面であろう、三好豊前守、安宅摂津守だ。日向守とは旧知だそうな、随分と久し振りであろう」

大御所様が引き合わせると三人がそれぞれに名乗った。そして大膳大夫が儂に視線を向けた。


「日向守殿、御久しゅうござる。此度は随分と御力添えを頂いたとか、天王寺屋より聞いております。心から感謝致しまする」

「いや、こちらこそ礼を言わねばならぬ。大御所様だけでなく我らにも配慮して頂いた」

大膳大夫がゆるゆると首を振った。

「いえ、当然の事をしたまで。礼を言われる様な事では有りませぬ」

「隣に控えるは倅の久介にござる、以後は良しなに願いたい」

大膳大夫が久介と挨拶を交わすと視線を上座に向けた。


「畏れながら明日、京へ向けて出立致しまする。京での滞在中宿は大徳寺となります。そして二十五日には本国寺にて将軍宣下、翌二十六日には観能の宴に御参列を願いまする。二十七日に京を発ち堺へ戻る事となります。その間は朽木家の者が皆様方の警護に付きまする。御不自由をおかけするかもしれませぬが何卒御許し頂きたく、伏して御願い致しまする」

大膳大夫が深々と平伏した。




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