弓八幡
永禄十五年(1572年) 十一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
闇の中、微かに何かが動く気配がした。注意していなければ気付かない程の気配だ。布団の中に有る太刀の柄を握り締めた。鯉口は既に切ってある。
「御屋形様」
「重蔵か」
「はっ」
押し殺したような声を確認してから太刀をゆっくりと鞘に納めた。そして身体を起こした。
「御見事でございます」
「臆病なだけだ」
「それが大事な事で」
「見事と言えばそちらもだろう。宿直は何も気付かずに眠りこけている」
「八門に伝わる秘伝の香薬、一度嗅げば一刻は目覚めませぬ」
今日は寝所には誰も居ない。重蔵に夜、寝所に来るようにと伝えたからな。昔は自在に入って来たんだが今は不便になった。
「左馬頭様は相当に苛立っているらしいな」
「はっ、諸大名達が動きを見せませぬゆえ」
「まあ当然だろう。将軍宣下の前に密書を出してもな、頭の中がおかしいのかと疑われるのがオチだ。誰も動くまい。少々苛め過ぎたかな? 重蔵」
重蔵が闇の中でクスクスと笑った。
「京の都では公家も庶民も皆が役立たずの左馬頭、兄に及ばぬ愚弟と貶しているとか。散々な評判でございますな」
「已むを得まい、何もせずに邸で震えていただけだからな。せめて三好が去った後に直ぐにでも参内して敵を追い払いましたと言上すれば違うのだが」
「それが出来ぬ事は御屋形様が一番良く御存知で有られましょう。御所は関白殿下が警護しておられました。そこにのこのことは行けませぬ」
「あの二人、仲が悪いのだな、困ったものよ」
重蔵がまたクスクスと笑った。闇の中の方が感情の表現が豊かな感じがする。まあ重蔵が喜ぶのも無理は無い。八門を使って流した評判だが予想以上に広まったようだ。
「御屋形様はお人が悪うござる」
「人が悪いのは俺だけか? 重蔵。その方も楽しんでいよう。それに一色式部少輔藤長、あれも楽しんでいような」
「真に。御屋形様は良い味方を得られました。一色式部少輔藤長殿、一人で二人分、いや三人分の働きをしております」
「やはり重蔵は人が悪い。俺なら煽られる一色宮内少輔昭辰、三淵大和守藤英を憐れむところだ。いや一番憐れなのは左馬頭様か」
そこまで言って口を押さえた。笑い声が出そうだ。宿直は眠らされてはいるが用心しなければ……。
一色式部少輔藤長、丹後一色家の分家筋の男だ。名前の藤の名は足利義輝の最初の名前義藤から貰った。つまり将軍の側近としてはかなりの古参と言って良い。義輝に従って朽木にも亡命した。それなりの立場にあったと言って良い。だが義昭の代になって一色宮内少輔昭辰が現れるとその立場に陰りが出る。昭辰は丹後一色家の当主、一色左京大夫義道の弟だ。
義昭としては当然だが昭辰を、丹後一色家を重視した。何と言っても丹後は石高は小さいが京に近い。丹波の波多野と協力すれば朽木を押さえる有力な戦力になる。兄の義道を侍所の頭人に任命し優遇した。そして昭辰の昭の字は義昭から貰った一字だ。昭辰は有頂天になった。そして何かにつけて一色式部少輔藤長を一段低く見る姿勢を露わにした。自分は本家の人間、藤長は分家筋、そういう事だ。
当然だが藤長は面白くない、そして昭辰を優遇する義昭にも不満を持った。コケにされてまで傀儡の将軍に仕えてられるか、そう思ったのだろう。藤長は朽木に通じた。藤長には義昭を煽る様に言ってある。重蔵が流した噂を義昭の耳に入れているのは藤長だ。そして藤長が義昭を煽ると昭辰も負けじと義昭を煽る。藤長には三淵に細川藤孝が怪しいとも吹き込ませている。その所為で三淵は弟とは違うと言わんばかりに強硬論者になった。重蔵が藤長一人で三人分の働きをすると言ったのはそれを表している。良くやってくれるよ、義昭の周りには慎重論を説く人間も居るが三人の強硬論に押されがちだ。
人が大勢集まればどうしても景気の良い話が幅を利かす。そしてトップの義昭が耳触りの良い話を聞きたがっている。慎重論など忌諱されるだけだ。しかし密書を出すところまでいくとは思わなかったな。俺も驚いたが密書を貰った諸大名も驚いただろう。織田、上杉の両家はわざわざ使者を寄越して義昭の頭の中は大丈夫なのかと訊いてきた程だ。
今は欲求不満が溜まっておかしくなっているが征夷大将軍になれば少しは落ち着くと思う。将軍宣下には参列しなくても良いが使者を送って祝って貰えれば有難いと答えた。勿論礼はたっぷりした。それぞれ砂糖と象牙、香木、澄み酒を持たせたからな。使者達はニコニコして帰って行った。
「それで、今宵の御命令は」
「将軍宣下の日取りが決まった。来年二月の二十五日だ」
「はっ、そのように承っております」
「紀伊と丹後に噂を流してくれ。畠山修理亮高政、一色左京大夫義道、京に行けば大恥をかかされるとな。何と言っても先の戦には参加しておらんし今回の将軍宣下にも関わっていない。面目が有るまい。それと領内は必ずしも安定していない、謀反、一揆が起きる可能性が有ると噂を流せ」
「……つまり一色左京大夫、畠山修理亮の両名には将軍宣下に参列させぬと」
「その通りだ」
声は出さないが重蔵が笑うのが分かった。何となくだが闇の中でも雰囲気は伝わってくる。
「管領と侍所頭人が参列せぬとなれば皆驚きましょうな」
「そうだな」
「左馬頭様は管領、侍所頭人から見放されたと」
「折角任じたのにな、甲斐の無い事よ」
「さぞかし恩知らずと御怒りになりましょう。しかし二人にとっては渡りに船でござりますな、参列して朽木討伐を直接命じられる事を望んでいるとも思えませぬ。これ幸いとばかりに使者に祝いの品を持たせて終りでござりましょうな」
“真、御屋形様は御人が悪い”と重蔵が言った。ニヤニヤしてるんだろうな。
「重蔵、将軍宣下に参列する有力者の顔ぶれは如何なる?」
「御屋形様、前公方様、三好左京大夫様、松永弾正忠様、内藤備前守様、三好豊前守様、安宅摂津守様、三好日向守様……」
愕然としている事が声から分かった。
「分かったか、殆どが三好の係累だ。さて、左馬頭様はそれを見て如何思うかな?」
「……」
「畠山、一色が頼りにならぬとなれば必ずや三好を一つにして朽木と噛み合わせようとするだろう」
「上手く行きましょうか?」
「行くまい、必ず揉める。だが左馬頭様は上手く行くと考える。義助様が将軍職を返上した以上、三好豊前守、安宅摂津守、三好日向守は好ましくない者達だが利用出来る存在になった。必ずや密書が届く、朽木を討てとな。混乱するだろう、一つになるどころか戦になりかねん。そして平島公方家も不快に思う筈だ。その全てが左馬頭様の失政となる」
俺が作った平和を義昭が壊す。それも俺を斃そうとしてだ。しかも手段が酷い、自分の兄を殺した者達と手を組もうと言うのだからな。節操が無いと盛大に罵ってやろう。それと一色を潰そう、理由は将軍宣下に参列しなかった事、或いは侍所頭人でありながら将軍宣下で何の役にも立たなかった事を逆恨みして朽木領の若狭を狙った、そんなところだな。多少苦しいが構わん。悪いのは一色で朽木は受けて立っただけだという事にする。領内が治まっていないと聞いた。内通者を用意させよう。
一色を潰せば畠山、波多野は震え上がる筈だ。如何出るかな、服従か敵対か。多分敵対だろう、優先順位は当然だが丹波だな。若狭、丹後、摂津の三方面から攻める形で一気に押し込む。こっちは準備に時間がかかるかもしれない。焦らずに行こうか。丹波、丹後を獲れば義昭は発狂するだろう。その日が待ち遠しいものだ。
永禄十五年(1572年) 十二月上旬 和泉国大鳥郡堺町 今井宗久邸 今井宗久
「今年もそろそろ暮れますな、朝晩の冷え込みが大分きつくなりました」
ぽつんと天王寺屋さんが呟いた。背を屈め気味にして焙じ茶を啜っている。少し寒いのだろうか。
「火鉢に炭を足しましょうか?」
「いやいや、それには及びません。こうして熱い茶を頂くのが一番」
そう言うとまた一口茶を啜った。
「納屋さん、大膳大夫様は今年も琉球に船を出しましたな」
「ええ」
「九州が騒がしくなってきたようです」
「大友、龍造寺、毛利の事ですか?」
「いえ、島津と伊東の事」
「島津と伊東……」
天王寺屋さんが頷いた。島津と伊東? そう言えば……。
「確か今年の初夏のころでしたかな、日向の伊東が島津領に攻め込んで派手に負けたとは聞いています」
「かなりの負け戦だったようです、重臣達の多くが討ち死にしているとか。伊東は立ち直れますまい」
相変わらず天王寺屋さんは背を屈め俯きながら話す。遠くから見れば愚痴でも零しているように見えるだろう。
「それほどまでに酷いのですか」
「はい、今直ぐという事は無いでしょうが……」
島津が日向に進出すればその先は豊後。なるほど、少々騒がしくなりますな。
「その御話、どちらで?」
「大膳大夫様より伺いました。納屋さんにも伝えておこうと思いまして」
「それは、有難うございます」
軽く一礼すると天王寺屋さんも僅かに頷いた。
「島津が大きくなれば琉球と島津の関係も難しくなるだろうと、あのお方が御顔を顰めておいででした」
「それはそれは」
あの大膳大夫様が顔を顰めた? 思わず笑い声が出た、天王寺屋さんも笑っている。多少は良い気味という想いも有る。胸のつかえがすっと降りた様な気がした。
「こうなると土佐が重要になりますな、天王寺屋さん」
「そうなります、大膳大夫様が島津を牽制し琉球に力を伸ばすには是非にも土佐が必要です」
「土佐一条家に肩入れし長宗我部を排除しようとするのはそのためでしたか」
「そのようですな、私は阿波を狙わせるのかと思いましたが……」
「私もです」
二人で顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。如何もあのお方には意表を突かれる。また胸につかえが……。
「大友、龍造寺、島津、毛利、土佐一条に長宗我部、大変ですな、天王寺屋さん」
「大変です、そこに琉球と朽木が絡みます」
「畿内でも大きな騒乱が起きそうです。左馬頭様が大分大膳大夫様に不満を御持ちだとか」
天王寺屋さんと顔を見合わせた。天王寺屋さんがニコニコとしている。
「大膳大夫様も大変ですな」
「真に、どうなる事か」
「お手並み拝見ですな、納屋さん」
「はい、拝見いたしましょう」
天王寺屋さんがクスクスと笑う。私は声を上げて笑った。胸のつかえが下りた様な気がした。
永禄十六年(1573年) 一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
ポォ~ンと大きな音が部屋に響いた。
「今一度」
小夜の声が冷たく響く。萎えそうになる心を励まして背筋を伸ばす。大丈夫だ、お前は出来る! 右肩に乗せた小鼓をもう一度打った。小鼓を打ち終えた直後に速やかに左手を緩める。調緒が緩められたことでまたポォ~ンと大きな音が部屋に響いた。小夜は無表情、雪乃は懸命に笑いを堪え、綾ママは溜息を吐いた。三人三様だが如何見ても酷い出来らしい。
「では次はチの音を」
「分かった」
チの音はカンという小さな音が出る。こいつは薬指一本で打ち左手で調緒を握る。集中集中、コンという硬い音が出た。悪くないような気がする、恐る恐る三人を見ると……、論外だな。溜息が出そうになったが耐えた。
「御屋形様」
「何だ、雪乃」
「真に皆様の前で小鼓を打たれるのですか?」
「左馬頭様からそういう御要望が有ればな」
「御辞退なされては?」
雪乃の言葉に二人が頷いた。
「左馬頭様、いや新しい公方様のたっての御求めとなれば断っては失礼であろう。下手でも良いのだ、下手でも公方様の求めに応じた、その事が大事なのだ。あちらも俺が小鼓の名手だなどとはこれっぽっちも思っておるまい。笑いはしても怒りはせぬ」
「そうは申されてもこれでは……」
雪乃がホッと息を吐いた。小夜、綾ママが頷いている。我が家の女共には男を励ますというしおらしさは無いらしい。これでも傷付いているんだぞ。
義昭の将軍宣下の日程が決まった。やらなければならない事は沢山ある。基本的には政所の伊勢と協力しながら準備をしている。先ず本国寺で将軍宣下を受ける、つまり勅使を迎えるわけだから本国寺の修繕を行っている。当然だが畳は全部新品に換えた。こいつは伊勢が手配し朽木が銭を出した。二月の上旬には終わるだろう。
そして阿波から来る一行の行路と休息場所の確保、それから警護体制の確立。これは朽木の担当だ。そして参列する大名や祝い客への引き出物の用意、これも朽木の担当になる。ケチる様な事はしない、盛大にやる。そうする事が朽木が新将軍に尽くしているという証になるし同時に朽木の財力を周囲に示す事になるからだ。無駄遣いというのは金を使う事ではない、見返りの期待出来ない金遣いを言うのだ。
そうして準備を進めているところに伊勢から連絡が有った。将軍宣下後に能興行を行うのが足利家の慣例なのでその準備を宜しくと。要するにこっちの費用も忘れないでねという事だ。全然問題無い、そう答えようとして気付いた。能って何番やるのかって。確認したら十三番だった。史実と同じなので可笑しかった。そして俺が小鼓の練習をしているのも能興行のためだ。
史実における信長と義昭の不和はこの能興行に始まるという説も有る。先ず信長に長過ぎると五番に削られた十三番の能だが必ずしも長いというわけでは無いらしい。能の演目数は時代によって変化する。この時代だと十七番というのも有る。演目にも信長は注文を付けている。義昭は弓八幡を脇能に選んだ。脇能というのは最初に演じる能の事だが信長はこいつを高砂に変えさせている。削るだけじゃなく演目まで変えさせているわけだ。それは何故か?
こっちの世界に来て改めて確認したんだが実は弓八幡は足利家にとっては重要な意味を持っている。この弓八幡は源氏の氏神、石清水八幡宮を讃えたものだ。そして何時頃からかは分からないが足利家の嫡流が征夷大将軍に任じられると宣下御祝いのために必ず演じられるようになったらしい。要するに弓八幡を演じる事で自分は源氏の嫡流であり武家の棟梁なのだ、将軍なのだと周囲に宣言する事になる。だから将軍はこの能興行を必ず行う。
となると長過ぎると削り弓八幡を高砂に変えさせた信長の真意は自分の力で将軍になった訳でもないのに能興行なんてふざけるな、俺の前で将軍面するな、そんなところかもしれない。或いは未だ天下は治まっていないんだから浮かれるんじゃないと一喝したつもりだったのか。だが義昭にとっては将軍宣下後に能興行を行いながら弓八幡を演じられないとなると面目丸潰れだ。義昭は大名は将軍のために働くのが当然と思っている男だ。信長という男は如何いう男なのかと疑問に思った筈だ。
その事が能興行において義昭が信長に鼓を打ってくれという要求になる。あれを座興と受け取ってはいけない。あれは義昭から信長への打診なのだ。将軍の要求を受け入れるか、拒否するか。能興行に参列している諸大名の前で信長を試したのだと思う。信長はこれを拒否、義昭は諸大名の前でまた面目を失した。信長は如何思ったのだろう? 拒否する事で自分の方が力は上なのだと周囲に見せつけ義昭を抑えるつもりだったのか。或いは自分が試されていると気付かなかったのか。その後に起きる本国寺の変、二条城の建築を考えると信長は一生懸命義昭に尽くしている。どうも気付かなかったんじゃないかと思う。
だがこの事で義昭は信長を完全に危険視する。そして信長包囲網を作り上げ信長と戦う事になる。義昭が京を追われた後、波多野、一色等の大名が反織田に転じる。はっきり言って馬鹿だと思う。だが彼らには義昭への同情と信長への不信が有ったんじゃないかと思っている。あそこまでコケにされれば誰だって牙を剥く。自分が悪いのに将軍を京から追い払った、信用出来ないと……。
「小夜、もう一度チの音だ」
「まだ続けるのですか?」
「そうだ、続ける」
赤っ恥を掻こうが将軍の求めに応じて小鼓を打つ。朽木は足利への忠義の家だと諸大名の前で表明する良い機会だ。そしてその朽木を討とうとする義昭は信用出来ない最低の公方様という事になる。
背筋を伸ばして調緒を握る。薬指一本で打つ! コンという音がして溜息が三つ聞こえた。天下への道のりは遠そうだ……。