不器用な男達
永禄十四年(1571年) 十一月中旬 山城国葛野郡 一条邸 朽木基綱
「ようやく会う事が出来たの、大膳大夫」
「はっ、真に」
「そなたの事は春齢より良く聞いている。幼い頃は朽木に嫁ぐ事が望みだったらしい。気前の良い従兄弟殿に朽木とは余程に素晴らしい所だと思ったようだぞ」
「これは、畏れ入りまする」
頭を下げると一条権大納言内基が声を上げて笑った。その隣で従姉妹の春齢内親王が母親そっくりの顔でニコニコ笑っている。綾ママの若い頃にそっくりだ。でもね、頼むからそんな昔話は持ち出さないでくれ。まあ俺も従姉妹からの手紙は大事に保存してあるけど。
「して、その者は」
権大納言が俺の背後に控えている土居宗珊に視線を向けた。
「土佐一条家の老臣、土居宗珊でございます」
「初めて御意を得まする、土居宗珊にございまする」
宗珊が挨拶すると権大納言が大きく頷いた。そして隣に居る奥方の顔を見た。
「済まぬが席を外してくれぬか、少々込み入った話が有る」
「はい」
春齢内親王がにっこり笑って席を立った。惜しいな、本当にお嫁さんにしたかった。
「麿も土佐の事は気になっていた。大膳大夫に援助をと頼んだがそれで大丈夫と安心したわけでは無い。此処に土佐の老臣を伴って来たという事は問題が生じたのであろう」
「はっ」
察しが良いのは助かる。土佐の一条兼定を隠居させて嫡男に跡を継がせ宗珊に後見させようと考えていると話した。この件は宗珊も同意している。そうでなければ一条家は長宗我部に滅ぼされるであろうと。話し終わると権大納言がホウッと息を吐いた。
「乱世とは言え武家は厳しいのう。そなた達が他に一条家を保つ術が無いと申すなら麿に異存は無い。しかし少将は素直に隠居するか?」
「伊勢に呼び寄せようかと考えておりまする。今後の事に付いて相談致したいと」
「呼び寄せて押込るか」
「はっ」
その上で朽木が身柄を預かる。土佐に置いては騒動の元でしかない。甲斐の武田信虎と同じ扱いだな。気が重いわ。
「少将の事はそれで良いとしても土佐はそれで収まるか? 収まらなければ意味が無いが」
「後は宗珊に頼むしかありませぬ」
「命に換えましても必ずや一条家を守り通しまする」
確かに一番大きな不安要素なんだ。長宗我部元親は必ずそこを突いて来るだろう。
「……土佐を頼むと言ったのは麿じゃ。麿が土佐に参ろう」
え? ちょっと……。
「麿が後見する。麿は一条本家の当主、筋は通る筈。土佐も落ち着くとは思わぬか」
良い手かもしれん。しかし……。
「京を長期に亘って離れる事になりますぞ。権大納言様は朝廷の重臣、許される事では有りますまい」
「それについては麿から主上に御許しを得る。心配は要らぬ」
そりゃ娘婿だからな、多少の我儘は許されるか。宗珊に視線を向けると大きく頷いた。決まりだな。
「分かりました。権大納言様が土佐へ下向されるのであれば朽木も全力を上げて土佐一条家を援助致しましょう、御約束致しまする」
「権大納言様の下向有れば怖いもの有りませぬ」
「うむ、頼むぞ。大膳大夫、宗珊」
「はっ」
俺が頭を下げると宗珊も頭を下げた。公家には惜しいわ。いっそ土佐一条家の当主がこの男だったらな。長宗我部なんて東土佐で逼塞していたのに……。こうなったら本格的に軍事援助だ。武器、兵糧、金、それに人だな。兵は向こうで雇わせて指揮官クラスをこちらから出す。一条権大納言を失望させることは出来ん。従姉妹姫に朽木の従兄弟は頼りになると改めて思わせよう。気合を入れるか。
……小夜と雪乃には従姉妹姫の事は内緒だな。これはあくまで太平洋方面の交易を活発にするため、そして土佐から阿波を攻略するためだ。
永禄十四年(1571年) 十一月中旬 山城国葛野郡 六条堀川 本国寺 朽木基綱
本国寺、この寺は本当なら義昭が上洛した後、仮の御所を置いた寺だ。だがこの世界では義助の居た室町第に義昭は居る。そして代わりに俺がこの寺を宿にしている。この寺は法華宗の寺だ。朽木が泊まるのを嫌がるかと思ったんだけどすんなり宿を貸してくれた。理由は簡単、朽木が比叡山を焼き一向宗と血みどろの戦いをしているからだ。俺が生まれる前だが法華宗は一向宗、比叡山と壮絶な戦いをしている。比叡山によって京都の法華宗は壊滅し法華宗の門徒は洛外に追放された程だ。要するに敵の敵は味方という事なのだろう。
そろそろ近江に帰ろうと思っている、義昭にも帰国の意思を伝えて許可を貰った。土佐の件は目処がついたし永仁皇子の親王宣下、宮家創設についても話は付いた。永仁皇子の親王宣下は来年行われる。そして宮家を新たに創設し勅許によって世襲親王家になる事が決まった。宮家の名前は竹田宮。所領は三好家が山城、河内、和泉で所持していた領地から作られる。朽木の懐は痛まない、まあ良いんじゃないの。
義昭による幕府の体制は徐々に整いつつある。多少紆余曲折が有ったが紀伊守護に畠山修理亮高政、和泉守護に内藤備前守宗勝、河内守護に三好孫六郎重存、大和守護に松永弾正忠久秀、摂津守護に和田弾正忠惟政が任命された。畠山が河内守護を望むかと思ったんだが辞退したようだ。三好がこのままで終わる事は無い、捲土重来を図るとすれば摂津、河内、和泉が矢面に立つ。紀伊も十分に支配していない今、河内を得ても重荷になるだけだと判断したらしい。
そして河内、和泉に三好孫六郎重存、内藤備前守宗勝を置けば大和の松永弾正忠、摂津の和田弾正忠惟政と連携が図れる。摂津、河内、和泉、大和と京を囲む城壁を作ったつもりだろう。だが摂津が不安定だ。国人衆、石山本願寺、堺。三好が攻めてくるとすればそこからだろう。和田弾正忠惟政が果たして何処まで摂津を把握出来るか。そして池田、伊丹を始めとする国人衆を何処まで上手く抑えられるかが鍵だな。
面白いのは畠山が管領に就任した事、そして一色が侍所頭人に就任した事だ。聞いた時には“はあ”と声が出た。まあどちらも実権は無い、肩書だけのようだがそれでも領内の国人衆には効き目が有るだろうしその辺の成り上がりの大名とは違うんだというステータスにもなる。畠山も一色も喜んでいるそうだ。義昭君も結構やるな。
気になるのは本願寺だ。今回の上洛戦に本願寺は絡まなかった。義昭と義助の間で中立を守ったのだがこれまでの事を考えれば何らかのペナルティを与えても良い。だが義昭にその意思は無いようだ。本願寺の顕如は義昭に対して朽木と因縁が有るだけで義昭と敵対したつもりはないと釈明しているらしい。義昭はそれを受け入れるようだ。
本願寺は俺と義昭の間が必ずしも円滑ではないと気付いている。其処を突いたのだろう。そして義昭も朽木を抑えるカードとして本願寺が使えると見たという事だ。摂津守護の和田弾正忠としては面白くない事態だろう。俺も面白くない。本願寺の動きは要注意だ。特に四国に撤退した義助、京に復帰した義昭とどう絡んでくるのか。それと紀伊北部の国人衆とどう絡むのか……。
紀伊北部の国人衆は畠山に従う姿を見せている。その中には雑賀衆もいる。九鬼と堀内が交易船の拿捕だけに止まらずかなり雑賀水軍を痛めつけたらしい。雑賀は畠山に泣き付いた。そして畠山から俺に雑賀への攻撃を止めてくれと要請が有った。あれ要請なのかね、俺は管領だとか言ってかなり高圧的だったから内実は命令だったのかもしれない。
畠山には海の上の事だから中止させるまでに時間がかかると答えておいた。畠山は納得していたな、俺を従わせる事が出来たとでも思ったのかもしれない。しかしなあ、何時攻撃が止まるかは誰にも分からんな。何と言っても俺は九鬼、堀内に使者を出すのをうっかり忘れてしまったのだ。ま、こういう事ってそれほど珍しい事じゃない。仕方無いよな。
畠山の認識はかなり甘い。雑賀が畠山に従ったのは本願寺が動いていないからだ。雑賀にははっきりと理解させる。朽木は雑賀を危険視しているとな。畠山を使って攻撃を止めさせようなんて甘い考えは通用しないと。特にこれから朽木は土佐方面に力を入れる事になる。雑賀水軍がその邪魔をするのを躊躇うぐらいに痛め付ける。そして畠山も理解するだろう、管領なんてもので俺を押さえ付ける事は出来ないと言う事が。これは侍所頭人になった一色への警告でもある。例え侍所頭人であろうとも朽木はそんなものには配慮しない。敵対するなら潰す。
義昭が俺にも守護職を贈って来た。近江、若狭、越前、加賀、能登、伊勢、伊賀、志摩。現状の追認でしかないんだが邪魔になる物でもないから貰っている。世評じゃ俺の事を八州守護、八州様と呼んでいるらしい。俺だけ貰うのもなんだから義昭に信長に尾張、美濃の守護職、それと輝虎と信長に東海道から関東を制圧するようにと書状を送って欲しいと頼んだ。義昭はそういうの好きだから大喜びで送ったな。
義昭は内心では今川にかなり腹を立てているらしい。今川が織田との仲裁を受け入れればもっと前に上洛が出来たと考えている。これは北条、武田も同様だ、上杉が上洛戦に関わってこないのは北条、武田の所為だと見ているのだ。織田、上杉が上洛戦に参加すれば朽木の突出を抑える事が出来た。つまり義昭にとって今川、武田、北条の三国同盟は幕府の事を考えない利己主義の集団でしかない。ま、史実でもそんなところは有ったよ、気にするな、義昭君。
義昭はやる気満々だが義昭の幕府による統治は上手く行かないだろう。義昭は政所から伊勢氏を排除した。伊勢氏は代々政所執事を務めてきた一族だが義輝の頃には三好と組んで幕政を動かしてきた。義輝の意向はまるで無視だ。代々政所を取り仕切って幕府の維持を図ってきた伊勢氏の幕府機構に対する影響力は将軍の決定すら覆す程にまでなっていた。その辺りを義昭は知っている。将軍親政を目指す、それで排除したらしい。
だが伊勢氏には伊勢氏の言い分が有る。足利幕府は将軍の力が弱かった。特に応仁の乱以降は幕府の実力者と争って地方に追い出される事がしばしばあった。将軍が居ない幕府は珍しくなかったのだ。そんな中で幕府を維持し幕政を円滑に動かすには時の権力者と協力してやっていくしかなかった。政所を支配していた伊勢氏にとって大事なのは幕府という体制であって将軍という個人では無かった。伊勢氏にしてみれば三好と抗争していた義輝など馬鹿としか思えなかっただろう。三好と協力して幕府の威光を取り戻すべき、そう考えていたようだ。
伊勢氏は義昭体制から排除された。問題はその後だ、伊勢氏の当主である伊勢守貞孝、兵庫頭貞良親子は如何いうわけか俺の所に一族の人間を送り込んできた。京が朽木の勢力範囲になった以上幕府の内情に詳しい人間が必要だろうと言って。確かにそういうところは有る、だから受け入れた。伊勢与十郎貞知、伊勢因幡守貞常、伊勢上総介貞良の三人。上総介は名前が本家の兵庫頭と同じだ、紛らわしい奴。伊勢守親子にも、この三人にも義昭への取り成しはしないと言ってある。あくまで使うのは朽木のためだ。
伊勢の後任は摂津中務大輔晴門が任じられたが上手く行かないだろうな。政所は幕府の財政と領地に関する訴訟を扱う機関だ。財政も訴訟も素人には難しい職だ、コケれば周囲から信を失う。それに今の義昭には将軍宣下の問題も有る、俺なら我慢して経験豊富な伊勢を使う。首にするのは利用価値が無くなったか、役に立たないと分かってからでも遅くは無い。
義昭は京に入り幕府を掌握したが将軍になったわけでは無い。征夷大将軍は足利義助だ。義昭が征夷大将軍になるには義助を征夷大将軍から解任し自分がその地位に就くしかない。それによって義昭が名実ともに室町幕府の頂点に立つ。前例の無い事ではない、足利氏は一度それをやっている。第十代将軍足利義材は征夷大将軍を解任され京を追い出されたがその後京に帰還、改めて征夷大将軍に任じられ将軍に復帰した。これが足利義稙だ。
前例が有る以上朝廷も手続きを踏めば嫌とは言えない。しかし此処に問題が二つ有る。第一の問題、銭の問題だ。朝廷に銭を納めなければ義助の征夷大将軍を解任し義昭に将軍宣下が行われる事は無い。この官位を得るために銭を払うというのは官位を金で買うように見えるがこの時代の朝廷は酷く困窮している。大事な収入源で止めろとは言えない。つまり義昭に費用を用意出来るかという問題がある。
第二の問題、銭を用意出来ても義助の解任に朝廷が難色を示す場合が有る事だ。義助が無力な存在なら良い。朝廷も解任を躊躇わない。だが義助には三好が付いている。解任した後に三好に担がれた義助が京に復帰したらどうなるか? 義助の解任に動いた公家達はとんでもない報復を受ける恐れが有る。とてもではないが率先して義昭のために動く人間は居ない筈だ。
特に対三好の最前線になる河内、和泉、摂津。ここには朽木は全く関係していない。それに俺はもう直ぐ近江に戻る。その辺りを公家達は如何見るか? 俺の予想では心許無いと考える筈だ。となると義助の解任と義昭への将軍宣下はかなり遅れるだろう。そうする事で公家達は本意ではないが已むを得ず解任と将軍宣下を行ったと弁解出来るからだ。だがなあ、ちょっと拙いのは飛鳥井の伯父が武家伝奏を務めている事だ。厄介な事に巻き込まれなければ良いんだが……。と言うより俺が厄介な事に巻き込まれそうで怖い。
俺が近江に帰ろうというのもその辺りを考えての事だ。金を出せと言われるのも面倒だし俺が金を出すとそれを利用して義昭が飛鳥井に圧力をかけかねない。将軍宣下に関しては飛鳥井、朽木はノータッチだ。飛鳥井の伯父にもこの問題には出来るだけ関わるなと言ってある。征夷大将軍を解任されたって義助が納得する筈が無い、必ず無効だと騒ぎ出すのは見えているし三好も認めないだろう。この問題はどちらかが圧倒的に優位になるまでは片付かないと思う。
「御屋形様」
「何だ、千四郎」
「松永弾正忠様、内藤備前守様がお見えでございます」
「うむ、分かった」
近習の葛西千四郎に“御屋形様”と言われた。なんかくすぐったい。俺ってつくづく小市民だなと思う。今日はこれから松永弾正忠久秀、内藤備前守宗勝の兄弟に会う。俺が帰国すると知って会いに来たらしい。これからも宜しくね、そんなところだろうな。
二人には寺の奥にある一室で会った。この部屋、四畳半程の小さい部屋だ。多分密談用に作られた部屋なのだろうと思う。寒さ凌ぎに火鉢が有るが余り暖かいとは言えない、三人で焙じ茶を啜りながら寒さを凌いだ。弾正忠は歳はもう六十を越えている、寒さは堪えるのだろう、幾分背を丸めながら両手で茶碗を持ち美味しそうに飲んでいる。弟の備前守は五歳ほど下か、こちらは背筋は伸びている。二人とも端正な顔をしている。ゲームに出てくるような悪人顔じゃない。如何もこの二人、不当に貶められていると思う。
多少の社交辞令と今後の協力を依頼された後、以前から聞きたいと思っていた事を聞いてみた。三好長慶とはどんな人物だったのかと。
「兵法に通じ歌道を極めた素晴らしい御方でした。天下の覇者に相応しい御方だったと思います」
弾正忠が懐かしむような表情を浮かべると弟の備前守がゆっくりと頷いた。そうだろうな、一代の英雄だ。長慶が生きている間、三好はびくともしなかった。俺は何時も三好長慶の巨大さに圧倒されていた。
「御両所は畿内で聚光院様に御仕えしたと聞いておりますが?」
「はい、某は祐筆として、弟は武者として聚光院様に召し抱えられました。かれこれ三十四、五年以上前の事になりましょう」
聚光院というのは三好長慶の戒名だ。十年以上前にはこの二人は三好家の最高幹部になっていた。要するに二十年ちょっとでそこまで出世した事になる。その辺の田舎大名じゃない、天下の覇者、三好家でだ。余程に長慶に才能を買われ可愛がられたのだろう。言わばこの二人は三好家の秀吉、光秀と言って良い。
三好家は松永兄弟以外にも岩成友通、松山重治、鳥養貞長、野間長久、野間康久など外部の人間を積極的に登用している。多分長慶が始めた事じゃない、それ以前からだろう。三好家の当主は長慶に至るまで何度も畿内に進出しては叩き潰されてきた。その過程においてどれだけの人材を失ったかは分からない。その補充は容易では無かった筈だ。親族や譜代だけでは短期間に国力を回復出来たとは思えない。外からの血を入れる事でそれを成してきたのだと俺は考えている。
「あと十年、十年御存命であれば三好家は盤石で有ったと思います。揺らぐ事は無かったでしょう」
同感だな、備前守の言葉に俺も頷いた。あと十年あれば嫡男の義興が死んでも後継者孫六郎の体制を盤石に出来た筈だ。三好家の不幸は嫡男の義興、当主の長慶と立て続けに死んだ事だろう。三好孫六郎を頂点とする体制を十分に整えられなかった。長慶は四十代半ばで死んだ。あと十年というのは贅沢な望みではない。
「残念な事にそうはならなかった。三好家は割れましたな」
「はい、某と兄は聚光院様の御遺志に従う道を選びましたが余の者は……」
備前守が首を横に振った。聚光院、つまり長慶の遺志に従う者は僅かだった。多くの者は三好豊前守を三好家の新たな頭領に選んだ。まあ誰が見ても妥当な選択だろう。だがこの二人にとって長慶は主君では無く神だったのだろう。二人は長慶の遺志を守ろうとした。
「聚光院様は大膳大夫様の事も気にかけておいででしたぞ」
「某を?」
問い返すと弾正忠が頷いた。
「左様、朽木に妙な童子が居ると仰られていました。日向守殿に大膳大夫様を御味方にせよと」
なるほど、それであの一件が起きたか。裏に居たのはやはり長慶だったわけだ。急に可笑しくなって笑ってしまった。弾正忠、備前守も遅れて笑い出した。
「一度で良いからお会いしておくべきだった……。亡くなられたと聞いた時にそう思いました」
「見とうございましたな、お二人が会うのを」
「某も兄と同じ想いにござる」
会っていたらどうなっていただろう。三好の味方に付いたかな? 或いは断って殺されたか。義輝との和睦を薦めたかもしれない。
「そうそう、大事な話をするのを忘れていました。この度、孫六郎様が義昭様の妹君を娶られる事になりました」
「それは目出度い事ですな、霜台殿、備前守殿。心からお慶び申し上げます」
俺が言祝ぐと二人が嬉しそうに顔を綻ばせた。要するに三好孫六郎による義輝弑逆の罪は義昭の義弟になる事で消されたわけだ。まあ本人にとっては不本意な事件だった筈だ。これで一安心だろう。
だがこれで三好孫六郎は義昭と命運を共にする事になった。史実でも三好孫六郎は義昭の義弟であり義昭を守って信長と戦い死んでいる。彼にとって将軍殺しの汚名を拭い去ってくれた義昭は命に換えても守らなければならない恩人だったのだろう。そして久秀にとって三好孫六郎は何よりも尊いものだった。孫六郎死後の久秀は全く精彩が無い。三好本家が途絶えた事で生きる甲斐を失ったのだろう。そして信長に背いて死ぬ。
松永弾正忠久秀、内藤備前守宗勝。二人とも誠実で不器用な生き方しか出来ない男だった。嫌いじゃない、いや嫌いになれない男達だ。義昭と敵対する時は三好孫六郎と松永兄弟を敵に回す覚悟が要るという事だ。ウンザリだな。