恩賞
永禄十四年(1571年) 十月中旬 摂津国島上郡原村 芥川山城 朽木基綱
「流石、天下に覇を唱えた三好家の本拠地、見事な物だ」
長九郎左衛門の嘆声が大広間に響くと彼方此方から同意の声が上がった。同感だ、城の構えも見事だが城内の柱、襖等も良い物を使っている。まあ城ってのは権力の象徴のようなところが有るからな、ここに来た公家、大名、国人衆は敵も味方も三好の勢威に圧倒されて帰っていっただろう。清水山、塩津浜とはまるで違う。観音寺城も多少劣るだろう。俺達、田舎から都会に出てきた御上りさんだな。
「殿、この後は如何なされます」
「そうだな、和泉、河内を押さえなければなるまい。特に飯盛山城、あそこはこの芥川山城と並んで畿内における三好の拠点だ。必ず押さえなければならん。それによって三好が朽木に敗れたという事を天下に示さなければ……」
俺が十兵衛に答えると十兵衛が満足そうに頷いた。芥川山城を押さえた事で満足して貰っては困る、そんな感じだ。
第二次山科の戦いは朽木の勝利に終わった。中央が崩れ三好勢は三千程の死者を出して敗走した。その死者の殆どが中央の足軽部隊だった。指揮官だった松山新介重治、今村紀伊守慶満も討死している。武装が軽微だっただけに一方的に叩かれたらしい。悪くない結果だと思う、今後はこんな事をする武将は減るだろう、竹束は攻城戦で使われるのが主体になる筈だ。その分だけ朽木の鉄砲隊は安全になる。
三好勢を余り追い詰めない事、日が暮れた事も有って朽木勢は山科で夜を明かした。もっとも逃げる敵に大筒で攻撃を加えたから最後は潰走に近かった様だ。三好勢は京に撤退したが直ぐに足利義助を担いで京を放棄した。これ以上は戦えないと判断したのだろう。京の北方を守っていた部隊も撤退している。撤退先は摂津だ。当初はこの芥川山城、飯盛山城を拠点に防衛戦をしようとしたようだが朽木の進出が予想よりも早く準備が間に合わないと判断したらしい。
結局畿内での防衛戦を諦め摂津から四国へと撤退を始めている。まあこっちも京は素通りした、それが功を奏した様だ。下手に京に留まって朝廷に挨拶していると義昭がまた騒ぎかねん。大和方面で朽木を警戒していた三好勢も撤退している。重蔵の報告では連中は紀伊の北方に向かっているらしい。そこから四国へと撤収を目指すのだろう。
「ま、難しくは有りますまい」
「そうそう、三好は畿内を放棄したのですからな」
大広間の彼方此方からそんな声が上がった。朽木家の武将、そして国人衆、皆勝った事で意気が上がっている。
「油断するな、三好は畿内から撤退するようだがこれで終わりと言うわけではないぞ。必ず押し返してくる。それに石山本願寺、堺、いずれも朽木には好意的ではない事を忘れるな」
俺が叱咤すると皆が畏まる様な姿を見せた。口煩い小姑にでもなった様な気分だ。落ち込むわ。だが間違った事を言っているとは思わない。三好一族が畿内で大きな勢力を持つようになったのは三好長慶が当主になってからなのだ。それ以前は何度も四国から畿内に進出しては叩き出されて四国に戻る、それを繰り返している。連中にしてみれば捲土重来は御家芸の様なものだろう。嫌な御家芸だ。
長慶以降も同じだ。史実では三好一族は四国に撤退してからもしぶとく戦っている。本国寺で足利義昭を襲撃したし野田・福島に信長を誘い込んで本願寺と共に信長を攻撃した。ましてこの世界では三好実休、安宅冬康が生きている。このままで済む筈が無いのだ。三好と朽木の戦いはこれからが本番だろう。気を抜く事は許されない。
その証拠と言うわけではないが大和の松永・三好・足利、紀伊の畠山、どちらも状況は芳しくない。三好方についていた大和、紀伊の国人衆達は未だ降伏していない。大和では筒井、十市、紀州では湯川、雑賀、根来、湯浅衆。その所為で義昭は未だ京に入れずにいる。海上では九鬼、堀内が雑賀の商船を攻撃しているのだが効果が出るのはもう少し先だろうな。
義昭からは大和の敵を蹴散らして欲しいと使者が来ている。一日も早く京に入りたいらしいが先ずは摂津、和泉、河内から三好を追い出すのが先だと返事をしている。実際三好勢が四国に撤退すれば畿内の反義昭勢力を降伏させるのは難しくは無い筈だ。兵を向けなくても向こうから頭を下げて来る可能性が高い。無理をする事は無い。
「今日はこの城で休む事になる。疲れていると思うが決して油断するな、三好が四国に撤退しようとしているがここは敵地だと思え」
「はっ」
皆が頭を下げた。そろそろ土居宗珊を呼んで話をしなければならんな。あまり大っぴらに出来る話ではない、寝所に呼ぶか。
「殿」
「如何した、左近」
鯰江左近が緊張した声を出した。
「豊島郡池田城の池田筑後守様、川辺郡伊丹城の伊丹次郎様、殿への御挨拶にお見えでございます」
「うむ、会おう、ここへ通してくれ」
「はっ」
池田と伊丹か。何時裏切るか分からん奴らだが今回はこちらに付いてくれた。連中が居ない事で山科で優位に立てた事は事実だ。ここは素直に礼でも言っておくか。
永禄十四年(1571年) 十月中旬 摂津国島上郡原村 芥川山城 土居宗珊
「さて宗珊、ようやく落ち着いて話せるな」
「はっ」
確かに落ち着いて話せるがまさか寝所に呼ばれるとは……、それに……。
「鎧は御脱ぎにならないので?」
「ああ、俺は臆病なのでな。戦場で鎧を脱ぐつもりは無い」
戦場? 城の中だが。それに臆病? 冗談を言っておられるのか? しかしニコリともされん。となれば本気か? 傍に居る蒲生下野守殿を見たが表情に変化は無い。或いは儂を恐れている?
「下野守には全て話してある。心配は要らん。で、如何なのだ? 長宗我部から文が来るらしいな。その方、長宗我部と通じておるのか?」
「は?」
何を言っているのだ、この方は。それなら此処に来るわけは無かろう。
「正直に申せ、通じているのならむしろ好都合。長宗我部と話す事が有る。仲立ちをして貰いたい。如何だ?」
儂の顔を覗き込んできた。
「そのような事はございませぬ!」
憤然として答えると大膳大夫様が声を上げて御笑いになった。
「殿、御戯れはほどほどに為されませ。宗珊殿、許されよ。我が主には人を驚かして喜ぶといういささか困った癖が有りましてな。某も大分驚かされ申した」
「からかったのではない、試したのよ。これから話す事は秘中の秘。信じられぬ相手に話せる事ではないからな」
なるほど、儂を試したのか……。
「少将様に疑われていると聞くが真に疑われているのか?」
「はっ、疑われておりまする」
「正直に答えよ、少将様は馬鹿なのか?」
「そのような事は……」
「馬鹿ではないか、では猜疑心が強いか?」
「そうは思いませぬ」
「ならばその方が邪魔で疑っている振りをしているという事は無いか?」
儂が邪魔? 疑った振り?
「……まさか、そのような……」
大膳大夫様が頷かれた。
「そうよな、一条家に忠節を誓う者としては己が邪魔だと思われるのは辛かろう。だが如何だ?」
「……無いとは言えませぬ」
有り得るやもしれぬ。少将様は儂が邪魔か、だから疑っている振りをしていると……。そのような事は考えた事も無かった……。
「少将様の為人は?」
「愚かでは有りませぬ、むしろ聡明と言えましょう。ですが誇り高く己を頼む心が些か強うございまする。それのみが心配にて……」
「それでついつい少将様を諌めるか」
「はっ」
「少将様にとっては自分を心許ない、貶めている、そう思えるのかもしれぬ。その方が居る限り周囲は自分を信用せぬと。如何かな、下野守」
「有り得る事と思いまする」
下野守殿が頷いた。儂は間違ったのだろうか……。
「宗珊、少将様はその方の助け無しで長宗我部宮内少輔に勝てるか?」
「……」
「なるほどな、勝てぬか。一条家の家臣達もそう思っているのかもしれんな。少将様がその事に気付いているとなれば……、厄介な事よ」
思わず唇を噛み締めた。
「某、土佐に戻りまして主に我が心の内を伝えまする。決して主を貶めるつもりは無いと。ただ良き主君になって頂きたいだけだと」
「無駄であろうな」
「ですが……」
大膳大夫様が首を横に振られた。言葉を続けられぬ……。
「その方の言葉に心を動かすようなら最初からその方を疎んじたりはせぬ」
「……」
「誇り高く己を頼む心が強いか、それは傲慢という事だぞ、宗珊。傲慢なる者は己を省みようとはせぬ、己の欠点を認めようとはせぬのだ。そして己よりも優れた者を認める事が出来ぬ。上に立つ者としては最も不適当な者であろう」
「そのような事は」
「無いと言えるか? ならば少将様の許に人は居るか? 阿諛追従の輩ではないぞ、少将様を諌め窘める者だ。もし居るのならその方が疎まれる様な事は無い筈、違うか?」
「……」
言葉を返す事が出来ぬ。一条家の当主に相応しい覇気の有る御方だと思った。だがそれは贔屓目であったのか。儂はあのお方の欠点に目を塞いでいたのか……。
「少将様では長宗我部宮内少輔に勝てまい。このままでは一条家は滅ぶな」
「大膳大夫様の御力で我が主を助けて頂く事は叶いませぬか?」
大膳大夫様が視線を下野守殿に向けた。下野守殿は沈痛な表情をしている。
「宗珊殿、朽木家が少将様を御助けするのは難しかろう。残念だが当家は未だ土佐に兵を出せる状態には無い。となれば少将様は自らの力量で宮内少輔から一条家を守らねばならぬ」
「……」
「だが一条家を守るという事なら手が無いわけでもない」
「それは?」
下野守殿が大膳大夫様に視線を向けた。大膳大夫様が頷かれた。
「少将様に隠居して頂き御嫡男万千代様に一条家を継いで頂く。そして宗珊殿が後見する」
「そ、それは」
「宗珊、俺にはそれしか一条家を守る手が浮かばぬ。後はその方の覚悟次第、腹を括れるか否か。今直ぐ答えを出せとは言わぬ、考えてくれ」
だから寝所に呼ばれたのか……。迂闊な、ここに呼ばれた事で尋常ならざる話が出ると察せねばならぬものを……。
「大友を如何なさいます、少将様の御正室は大友家の出でございますぞ」
「大友も何時までも毛利と遊んではいられまい。足元が揺らいでいる」
「……足元? ……肥前、龍造寺でございますか」
儂の言葉に大膳大夫様が口元に笑みを浮かべられた。
「それに大友の味方などしても長宗我部は防げぬぞ。却って毛利を怒らせるだけだ。一条家は伊予と東土佐の二方向から攻められることになる」
確かにその通りだ。だが……。
「腹を括れと言ったであろう、宗珊。大友と組んで長宗我部と戦いつつ伊予に出るか、朽木と組んで長宗我部を潰して阿波に出るか。一条家の命運を賭ける時が来たという事よ」
「……」
「言っておくが朽木の援助を受けつつ大友のために戦う等という事は許さぬ。その事は覚えておけ」
寝所を下がりつつ思った。朽木家を頼ったがもはや土佐一国の事だけを考えれば良い時代では無くなったらしい。朽木、三好、毛利、大友、どの家と結んで一条家を保つか、よくよく考えなければなるまい……。
永禄十四年(1571年) 十一月上旬 山城国葛野・愛宕郡 室町第 朽木基綱
「ほほほ、三好は四国へ去ったか、ほほほ」
上機嫌だな、何度も何度も“ほほほ”だ。いい加減ウンザリしてきた。
「それも大膳大夫様の御力によるものでございます」
「そうじゃのう、兵部大輔。流石に朽木じゃ、もっとも義助めを取り逃がしたのは大膳大夫らしくない失態じゃのう、ほほほ」
こいつ、嫌いだな。声には笑みが有るが目には刺す様な光が有る。分かっていた事だがかなり俺に対して不満が有る。
「申し訳有りませぬ」
「ほほほ、責めているのではないぞ、大膳大夫」
失態と言ったのは誰だ? それに“ほほほ”は止めろ。信長もウンザリしただろうな。大体こいつ“ほほほ”が似合う体型していないんだよ。肩のあたりの肉が盛り上がっていてそこだけ見ればプロレスラー、重量挙げの選手なんだが身体に厚みが無い所為で酷く不恰好に見える。栄養失調で痩せてしまったプロレスラーみたいな体型だ。そこに大きな丸い顔が有る。ますます不恰好だ。
栄養失調のプロレスラー、何の冗談かと思うんだがこいつが足利義昭だ。俺が飯盛山城を接収し三好勢が四国に撤退した事が分かると反義昭陣営は相次いで降伏した。もっとも彼らに対しての処罰は殆ど無い。理由は簡単でそんな事をしようとすれば彼らが抵抗するのは目に見えているからだ。義昭としては一日も早く京都に入り自分が正統な支配者なのだと周囲に知らしめたい。これ以上もたつく事は避けたい。ここは目を瞑って、そんなところだな。反義昭陣営もその辺りは分かっている。だから強気に出ている。
京に入り義助が使っていた室町第に入ってようやく上機嫌というわけだ。この大広間には義昭の他に細川藤孝、三淵藤英、上野清信、和田惟政、一色藤長、松永久秀、畠山高政等がいる。義昭にとっては苦楽を共にした最も信頼出来る男達だろう。しかし俺に対してはかなりの不満と警戒心を持っている。上洛に対して積極的では無かったという事、特にさっきも口にしたが義助を逃がした事に付いては大分不満らしい。それに俺に対する恩賞を如何するかで大分悩んでいる様だ。俺の耳にも色々と入って来ている。
俺が平定したのは山城、摂津、河内、和泉だが山城は足利の直轄地だから俺が貰う訳にはいかない。河内、和泉には三好孫六郎。大和は松永、紀伊は畠山と考えている様だ。問題は摂津だ。これを朽木に任せるか否かで迷っているらしい。
「大膳大夫様、義昭様は大膳大夫様を頼りにしておられます」
「兵部大輔の申す通りじゃ。そちには副将軍か管領をと思うている」
「某に恩賞は無用に願いまする」
藤孝君、義昭君。俺は幕府の役職になんか就く気は無い。分かるか? 幕府のために働く気はさらさら無いんだ。副将軍だの管領になんかなったらただ働きさせられるだけじゃないか。俺をただで使おうとするのは止めてくれ。それに朽木はそんな役職に就ける家柄じゃない、周囲の反発を受けるだけだ、御免だな。見ろ、畠山が満足そうな表情をしている。自分を差し置いて成り上がりの朽木が管領なんて笑わせるな、辞退するのは当然だ、そんな表情だ。
義昭だってその辺は分かっている。所詮は朽木の働きを高く評価しているというポーズなのだ。多分受けないだろう、もし受ければ自分の周囲で反朽木連合を作る事が出来る、そう考えているのだと思う。史実で信長が副将軍、管領を辞退したのもそれが理由だろう。摂津も今は要らん。何時裏切るか分からん国人衆と本願寺、それに親三好の堺。貰っても苦労するだけだ。
「恩賞は要らぬと申すか。そちは無欲よな、では相伴衆に任じよう。これは受けてくれるな」
「有難いお話では有りますが既に光源院様より御供衆に任じられております。これ以上の栄誉を求めようとは思いませぬ」
「そうか……」
義昭が困惑したように周囲を見渡した。家の格を上げる事が出来るのだ、これは受けると思ったのだろうな。それで恩賞にするつもりだったのだろうが要らんよ。俺は足利幕府の中で地位を向上させる事に興味は無いのだ。
「何か望みは無いのか?」
「では堺に代官を置く事をお許しいただければ幸いでございます」
「そのような事か。良かろう、許す」
あっさりだった。こいつ分かっていないな。おそらく義昭は朽木が堺に社員の駐在所を造る事を求めたと思ったのだろう、堺は自治都市だからな。残念だな、俺が望んだのは堺に朽木の統治機関を置く事だ。これで堺は朽木に所有権が有る事になった。
他にも足利氏の足利二つ引の紋と桐紋を与えると言われたがこれは断った。それと京極、六角の家督を与えると言われた。要するに幕府の名門大名の名跡を途絶えさせたくないという事らしい。輝虎に上杉の家督を与えたのと一緒だな。俺に与えるという事は俺が継いでも良し、誰かに与えても良しという事だ。これは有難く貰った。近江を支配する以上、京極、六角の名を無視は出来ない。いずれ京極の家督を息子達に継がせ梅戸には六角の家督を与えよう。喜ぶだろう。後は屋形号を貰った。朽木の家臣達には京極、六角、畠山、北畠の旧家臣達が居る。何時までも“殿”では格下の家に支配されていると不満を持ちかねんからな。俺が殿から御屋形様になると小夜も御方様から呼び名が変わるな。御裏方様? 御簾中様? ま、好きな方を選ばせるか。恩賞はこんなもので十分だな。後は土佐の件を如何するかだ。