第二次山科の戦い
永禄十四年(1571年) 十月上旬 山城国宇治郡山科 朽木基綱
「殿?」
座り込んでいる俺を十兵衛が覗き込んだ。ああ、いかんな、立たないと。
「十兵衛、三好が用意した竹の束だが何に使うものだと思う?」
「さて……、鉄砲の攻撃から身を守るための物でしょうか?」
「だろうな」
「しかし竹の束ですぞ、鉄砲の鉛玉を防げると?」
上野之助が訝しんでいる。いや他の軍略方も同様だ。十兵衛も半信半疑の様な表情をしている。
「防げるのだろうな。竹は幾つか重ねて厚みを持たせている。それに縦に構えるのではない、多少斜めに構えれば弾の威力は削がれるだろう」
「しかし」
「ずっと撃たれ続けるわけではないのだ、源五郎。振り回しているという事はかなり軽い、動きは制限されん。鉄砲との距離を詰める間だけ防いでくれれば良い。二射か三射、不可能だとは思えんな」
皆が考え込んでいる。
竹束、戦国期に発明された防具だ。軽いのと材料が竹と縄であるため比較的手に入り易い。その為にあっという間に全国に普及した。最終的には粘土や小石を入れて防御力を高めた竹束も出来た様だ、大筒用の物も有ったらしい。竹束を発明したのは名前は忘れたが武田家の家臣だ。時期は長篠の戦いより前だと読んだ覚えが有る。だが武田家は長篠の戦いで信長の鉄砲隊の前に大敗を喫した。何で? 竹束は如何した? そう思うよな。
俺が思うに竹束は当初は野戦で用いる防具ではなく攻城戦で使う防具として発明されたのだと思う。野戦なら余程に鉄砲を大量使用しない限り多少の損害を覚悟すれば距離を詰めて潰すのは難しくない。だが攻城戦なら鉄砲は城に守られている。攻め手は一方的に撃たれてしまうのだ。損害は増えるばかりだ。それで作られたのだと思う。
この世界では武田が竹束を作ったとは聞いていない。多分発明者は竹束を発明する前に戦死でもしたのだろう。或いは発明する必要性が無くなったか。この世界では第四次川中島の戦い以降、武田は攻勢を取れずにいる。攻城戦そのものが少ないだろう。竹束を作る必要性は少なかった筈だ。そして代わりに三好が竹束を作った。
前回の山科の戦いで三好は朽木の鉄砲隊に散々に撃ち叩かれた。朽木に勝つためには鉄砲をどうにかして無力化しなければならない、そう考えたのだ。必要は発明の母だ、材料は何処にでもある竹と縄。武田の代わりに三好が発明しても少しもおかしくは無い。むしろ勝つ事への貪欲さに頭が下がるわ。天下獲りにはこの貪欲さが必要なのだろうな。なんか落ち込むわ。
「竹束を一万程の兵が所持しているらしい。その一万が鉄砲隊に押し寄せてくる」
皆の顔が強張った。朽木の鉄砲隊は国人衆が所持する分を除けば中央に配備されている。三好の一万人は其処を目指すわけだ。つまり鉄砲隊を潰すという事は中央突破を図るという事であり中央が壊滅すれば勝敗は決する。朽木の敗北だ。
「鉄砲隊を後方に下げては?」
「この戦では使わないのか?」
「いや機を見て敵の側面、後方に回し攻撃をかける」
「可能かな?」
軍略方の人間が意見を出し合っている。後方に下げるか、つまり三好と殴り合いの戦になるな。
「殿、鉄砲隊を使わずともこちらは三好軍より五割増です。勝てましょう」
「数だけを考慮するなら勝てそうだな、下野守」
俺が同意していないと見たのだろう。下野守が、いや皆が訝しげな表情をしている。
「朽木は未だ負けた事が無い。だが同数の敵に正面からぶつかった事は無い。鉄砲で、奇襲で、挟撃で敵を潰してきた。足軽達の奮戦で勝ったという事は無い。朽木の兵は銭で雇った兵だ。百姓兵に比べれば踏ん張りが利かん。三好は死に物狂いで来るぞ、五割増しでも勝てるとは断言出来ん」
俺が指摘すると“うーん”と呻き声が上がった。
銭で兵を雇い常に備える。これの利点は二つある。一つ目は領内の労働力である領民を戦争で失わずに済む事、つまり生産力が低下せずに済む事だ。二つ目は百姓を使わないために農繁期にも兵を出せるという事、簡単に言えば二十四時間三百六十五日戦えるという事だ。だが利点が有れば欠点も有る。欠点は三つだ。一つ目は金がかかる事、二つ目は忠誠心を期待出来ない事、三つ目は戦慣れしている事。
三つ目の戦慣れしている事、悪くない様に思える。だがこいつが二つ目の欠点である忠誠心を期待出来ない事と結び付くととんでもない事になる。ちょっと戦局が不利になると足軽達が踏ん張らずに逃げてしまうという事だ。つまり大将は足軽達に常に味方は有利であり勝てるのだという事をアピールし続けなければならなくなる。
史実の信長は余程の事が無い限り常に敵よりも多い兵を率いた。兵力が多い方が優位というよりも兵力が多くなければ安心して戦えなかったのだと思う。そして指揮官には出来る人間を選んだ。馬鹿が指揮すれば損害が大きくなる。それでは兵が逃げてしまう。銭で雇った兵を有効に使うには敵より多い兵力と有能な指揮官が必要だったのだ。明智光秀、滝川一益、豊臣秀吉、他家ならあそこまで出世はしない。朽木も似たようなところが有る。真田弾正、明智十兵衛、譜代でもないのに朽木の副将を務めている。
軍略方の皆が如何するかを検討している。やはり荷止めをした方が良かったかな。あれをやると京の住人に負担をかける。今後の事を考えれば避けた方が良いと思ったんだが……。少し甘かったかな。
「重蔵」
重蔵を呼ぶと直ぐに寄って来た。
「さっきの男はまだ近くに居るかな、確認したい事が有るのだが」
「直ぐに呼びます」
重蔵が小走りに立ち去った。
敵は竹束を持っている。鉄砲隊を潰すのが目的なら重装備では有るまい。一旦鉄砲隊の中に入ってしまえば鉄砲隊は無力なのだ。機動性を重視した比較的軽微な武装を選択しているだろう。おそらくは短槍か太刀。という事はだ、鉄砲隊、弓隊以外なら互角以上に戦えるという事でも有る。そこが狙い目だな。
要するに戦なんてのは組み合わせの問題だ。パーはグーには勝つがチョキには負ける。グーはチョキには勝つがパーには負ける。そしてチョキはパーには勝つがグーには負ける。世の中には絶対の強者など存在しない。負けそうな相手を避け勝てそうな相手と戦う。それが必勝の秘訣だ。正々堂々戦って勝つなんてのは寝言でしかない。寝言は寝てから言えば良いのだ。
永禄十四年(1571年) 十月上旬 山城国宇治郡山科 三好長逸
三十町ほど先に朽木の大軍が居た。動きは無い、どうやら戦闘前に最後の軍議を開いていると見える。三好もこれから軍議だ。
「五万か、軽々と動かしたものよ」
「朽木はその気になれば八万は動かせましょう。残りは大和方面に動いている筈。父上、豊前守様がお呼びです。軍議へ参りましょう」
「そうだな」
倅の久介の言葉に頷きながら思った。まさかあの時の童子が八万もの大軍を動かす身になろうとは……。
本陣では豊前守が諸将と共に待っていた。岩成主税助友通、松山新介重治、今村紀伊守慶満、新開遠江守実綱、赤沢信濃守宗伝、大西出雲守覚養。ここに居る者達で朽木軍を迎え撃つ事になる。遅参を詫び床几に坐ると直ぐに軍議が始まった。
「雪辱の時が来た」
豊前守の言葉に皆が頷いた。四年前の敗戦は畿内を制してきた三好家にとって屈辱以外の何物でもない。皆がこの時を待っていたと言える。
「敵は五万、味方は三万。数の上では決して優位とは言えぬ。そして相手は朽木大膳大夫、その手強さは皆も分かっていよう」
また皆が頷く。
「朽木の武器は鉄砲と大筒だ。前回の戦ではこれにやられた。だが此度は違う。対策は有る」
その通り、あれは十分に役に立つ筈。鉄砲の玉はあれを貫く事は出来ぬ。
「先ず朽木の鉄砲隊を潰す。そこに我らの勝機が有る。岩成主税助、松山新介、今村紀伊守、頼むぞ」
名を呼ばれた三人が口々に期待に応えてみせると言った。三人が鉄砲隊を潰せば朽木勢は混乱するだろう、そこを全軍で攻撃をかければ混乱から敗走になる筈だ。兵力では劣っているが皆の士気は高い。勝てる、そう思っているのだ。朽木大膳大夫を敗走させる、これ以上の武勲は有るまい。皆がそれを期待している。そして朽木を潰せば朽木を頼りとする義昭も終わりだ。天下は京におられる義助様の下に纏まるであろう。
軍議が終わり陣に戻ったが朽木勢は未だ動かない。動き出したのは更に二刻以上経ってからだった。昼食を挟んだとはいえ随分と軍議に時間をかけている。逸る久介を落ち着かせるのが大変だった。向こうも決して気を抜いてはいない。十町足らずの距離をおいて対峙することになった。敵は中央に鉄砲隊が配置されている。いつも通りの陣だ。あの鉄砲隊が回転しつつ途切れる事無く鉄砲玉を連射してくる。前の戦いではそれにやられた。
こちらは中央に岩成主税助、松山新介、今村紀伊守の率いる九千。その後ろに本隊五千。右翼に儂と新開遠江守の八千、左翼に赤沢信濃守と大西出雲守の八千。馬に乗っているのは侍大将以上、殆どが徒歩だ。朽木勢は五万の大軍だが幅はこちらと同程度にしている。その分だけ陣に厚みを持たせた。どちらかと言えば守りを重視した陣形だろう。こちらの息切れを狙うつもりかもしれん。
作戦は難しくない。朽木の最大の武器で有る鉄砲隊を潰す。鉄砲隊は本陣の直ぐ傍に有るのだ、潰せば必ず動揺、混乱が起きる。そこを両翼が攻撃に参加する事で一気に敵を崩す。止めは本隊が刺す。兵力は三好が劣勢では有る。だが戦は数だけが全てでは無い。先手を取り敵を引き摺り回した方が勝つのだ。勝算は十分に有る。
朽木勢は動かない。こちらから五町まで距離を詰めた。これ以上詰めれば弓での攻撃を受ける事になる。幸いなのは大筒の攻撃が無い事だ。ジリジリと攻撃の命令が出るのを待つ。迷っているのか、豊前守。既に時は未の刻を過ぎ申の刻に近い、今から攻撃をかければ戦闘は酉の刻、いや戌の刻にまで及ぶだろう。夜間の戦いとなれば何が起きるか分からぬ。それを恐れているのかもしれん。だが朽木が夜襲をかけてくる可能性も有る、ここは先手を取って攻撃をかけるべきなのだが……。
法螺貝が鳴った! そして懸太鼓が打たれた! 決断したか、豊前守! それと共に岩成主税助、松山新介、今村紀伊守率いる足軽隊八千が竹束を構え喊声を上げながら敵陣に、いや鉄砲隊に向かって走り始めた。五町有った距離が忽ち縮まる。敵が弓矢による攻撃をかけてきた。二町まで縮まったところでこちらも敵陣に向かって突撃を始めた。もう直ぐ鉄砲隊の第一射が有る。
ダダーンという凄まじい音が戦場に響いた。乗っていた馬が怯えるのを何とか抑える。兵達の上げる喊声を掻き消す鉄砲の音だ。だが倒れる兵は殆どいない。効果有った!
「見たか! 朽木の鉄砲だとて無敵ではないぞ! 恐れる事無く突き進め!」
声を上げると兵達が“おう”と声を上げた。それを打ち消す様に第二射が、だが結果は同じだ。倒れる兵は居ない。もう直ぐ、中央の足軽隊は鉄砲隊に打ち掛かる筈、勝った!
「父上!」
直ぐ傍で馬を走らせていた久介が声を上げた。顔が引き攣っている。
「如何した?」
「朽木の鉄砲隊が……」
朽木の鉄砲隊?
「馬鹿な、如何いう事だ……」
鉄砲隊が居ない、代わってそこには長柄槍の足軽隊が居た。如何いう事だ?
朽木の足軽隊が長柄の槍を三好の足軽隊に叩き付けた! 足軽隊の動きが止まった。拙い! 中央の足軽隊は竹束を持っているために武装は短槍か太刀でしかない。一方の朽木の足軽隊は長さ三間の長柄槍で武装している。あれでは一方的に叩かれてしまう。竹束では鉛玉は防げても長柄槍の叩き伏せる衝撃は防ぎきれぬ。叩く、突く、叩く、突く、交互に攻撃を受け忽ち後退した。
……してやられたか。朽木はこちらが竹束を使う事を察知していた。鉄砲隊をあえて使ったのは竹束を使った足軽隊を引き寄せるためだろう、真の狙いは引き寄せた足軽隊を長柄槍の足軽隊で叩き伏せる事か。軍議の時間が長かったのはその辺りの調整の為か……。してやられた!
如何する? 迷うな! 此処まで来て退く事は出来ぬ!
「恐れるな! 朽木に鉄砲隊は無い、突っ込め!」
声を張り上げると“おう”と声が上がったが先程よりは弱い。兵達は不安を感じている。今一度!
「突っ込め!」
声を張り上げた。
永禄十四年(1571年) 十月上旬 山城国宇治郡山科 朽木基綱
長柄槍の足軽隊が三好の中央の足軽隊を叩いている。
「上手く行ったようだな」
「うむ、一方的に叩いている」
周囲からも満足そうな声が上がった。戦況は上々だ、皆の声も明るい。ようやくほっとした。
「源五郎、鉄砲隊は如何した?」
「既に後方に下がり隊を整えつつあります」
問いかけると源五郎が答えた。嬉しそうだ、勝ちを確信している。
「準備が出来たら敵の後方に回せ。左兵衛尉の叔父御にも鉄砲隊と協力して敵の後方を遮断せよと命じよ」
「はっ」
源五郎が使番を二人呼んで俺が言った事を命じている。聞き終って使番が走り出した。
竹束を使って距離を詰め鉄砲隊に接近戦を仕掛ける。そうなれば鉄砲隊はただ混乱するだけだろう。だから鉄砲隊を半数だけ配置して二射させて後は長柄槍の足軽隊を前に出した。敵の足軽隊は竹束を持っている以上長柄の槍は持てない。短槍か太刀だ。となれば武器の長さで勝てる。叩かれるのを竹束で防ごうとすれば両手で掲げて踏ん張る必要が有るだろう、防戦一方になる。そして竹束を上に掲げれば胴ががら空きになる。槍で突かれれば終わりだ。
賭けだったな、必ず竹束を持った足軽が来るという保証は無かった。皆を説得するのが大変だった。それにしてもヒヤリとした。敵を引き寄せるために敢えて鉄砲隊を前面に出したが思った以上に三好の足軽の突進が速かった。二射で良かった、三射していれば三好の足軽隊に侵入を許していただろう。何とか長柄槍の足軽隊が前に出るのが間に合った。圧勝に見えても紙一重の勝利だ。
両翼の足軽隊も三好の足軽隊に押される事無く戦っている。いやむしろ押し気味のようだ。もし劣勢なら聞こえてくる声は何処か悲痛さが滲む。だが聞こえてくる声は明るく勢いが有る。戦況を報告してくる使番も味方が優勢な事を伝えてくる。中央の足軽隊が優勢な事で不安を感じる事無く戦っているのだろう。兵達は勝利を確信している。
「殿! 鉄砲隊が敵の側面に出ようとしています」
源十郎が声を張り上げた。源十郎は信濃衆、芦田四郎左衛門信守の息子だ。なかなか出来が良い。真田源五郎が打てば響くような才気に溢れたタイプなら源十郎は冷静沈着なタイプだ。この二人は組ませれば良い仕事をするような気がする。
「敵の本隊が鉄砲隊に! あ、騎馬隊が敵の本隊に向かいます!」
騎馬隊は二千、五千の足軽隊を相手にするのは楽では無い。しかし無理に戦う必要は無いのだ、牽制するだけでいい。敵が遮二無二鉄砲隊に向かうようなら隙が出る、そこを突けば楽に勝てる。ここは叔父御達の活躍に期待だな。如何判断して如何動くか。
「殿、追い打ちは如何なさいますか?」
十兵衛が訊ねて来た。
「……追撃か」
秋の日暮れは早い、それを考えての事だろうが未だ勝ちが決まった訳じゃないぞ。少し気が早くないか?
「ここは厳しく追撃すべきです! 三好勢に大きな損害を与えなければ」
源五郎の言葉に彼方此方から同意の声が上がった。そうだな、前回の戦いでも追撃が徹底しなかった。越前に一向一揆が攻め込んでいたから仕方なかったが今回は後方を気にする必要は無い。出来るだけ損害を与えるべきだろう。
「某は反対でござる。追撃は早めに切り上げるが宜しいかと」
反対者は蒲生下野守だった。皆が追撃は厳しくすべきだと詰め寄ったが全く動じない。正直その腹の据わり具合に感心した。下野守が皆を睨み据えた。
「あまり厳しく追撃すると三好は京の街に火をかけて逃げかねぬぞ、それで良いか?」
あらら、皆黙り込んじゃった。勝負有ったな。
「下野守の言う通りだ。京に火をかけられては戦には勝っても上洛戦としては負けも同然だ。少々腹立たしいが三好に京を放棄する余裕を与えてやらねばなるまい」
皆が不承不承頷いた。鉄砲の音が響いた。一射、二射。それと同時に朽木勢から歓声が上がる。どうやら勝負が付いた様だ。