小康
永禄十四年(1571年) 一月中旬 丹波山中 黒野重蔵影久
「それで阿波は如何であった?」
俺が問い掛けると秀介がニヤリと笑った。目尻に皺が寄った。一の組頭、小酒井秀介ももう五十を越えた。だが忍びの力量には全く衰えが見えない。
「隙が有りますな、頭領」
「有るか」
「はい。三好豊前守に大分不満を持っている者が何人か居ります」
「持隆様の一件か?」
「その通りで」
秀介が頷いた。
細川持隆。十五年以上前、三好豊前守によって殺害された阿波細川家の当主。元々三好家は阿波の国人領主として阿波細川家の家臣だった。だがその力量を認められ細川本家である京兆家の家臣になった。その事が三好家が力を延ばす契機になったといえる。だがその力を延ばす過程において京兆家と対立し阿波細川家とも対立した。阿波細川家当主細川持隆はその対立の中で三好豊前守に暗殺された。当然だが阿波の国人衆の中には三好豊前守を主殺しとして忌諱する者が居ると聞く。事実か。
「それで朽木の役に立ちそうか?」
「立ちますな。朽木と三好が戦えば三好は総力を上げなければなりますまい。当然ですが阿波は手薄になる。それを見逃す事は……」
「無いか」
「はい。……三好は少々焦りましたな。どうしても畿内を押さえる事を優先せざるを得ない。ですがその所為で自らの足元を固める事を怠りました。後々響きましょう」
「うむ」
畿内で朽木と三好が戦う。その時に伊勢の海賊衆を使って四国と畿内の連絡を断てば阿波で反三好の動きが出るのは間違いない。阿波で騒乱が起きれば三好は阿波を押さえるために兵を置かねばならん。畿内に援軍は出せぬか……。
「名は?」
「小笠原長門守成助、多田筑後守元次、福良出羽守連経。主だったところはその辺りかと。他にも日和佐家、新開家にかなり不満が有りますな。そして持隆様の嫡男、真之様。讃岐でも三好の課す軍役のきつさに香川刑部大輔之景、香西伊賀守佳清が反三好感情を露わにしております」
「分かった。後で紙に記してくれ」
「はっ」
秀介が嬉しそうに頷いた。紙に記せという事はその紙を殿にお見せするという事。嬉しいのだろうな。
「弥八、伝兵衛。丹波、丹後は如何か?」
二の組頭正木弥八と三の組頭村田伝兵衛が顔を見合わせると弥八が話し始めた。
「丹後でござるが宜しく有りませぬな」
「と言うと?」
「一色左京大夫義道、かなり朽木を敵視しております。一色家は四職の一つ、朽木とは格が違う。そう息巻いているそうで。それに領内が治まりませぬ。税が重く国人衆への使役がきつい。領内には大分不満が溜まっております」
「なるほど」
頷くと伝兵衛が身を乗り出してきた。
「特に海賊衆に不満が溜まっておりますぞ、頭領」
「溜まっているか、伝兵衛」
伝兵衛が頷いた。
「若狭の海賊衆は南蛮船を持ち鉄砲、大筒も持っております。越前攻め、能登攻めでも大いに働いている。それに比べて丹後の海賊衆は……、お分かりでござろう」
「なるほどな、羨んでいるか」
「はい」
伝兵衛がニンマリと笑みを浮かべた。
丹後を切り取るのは難しくないな。しかし大和の義昭様の下には一色左京大夫の弟が出仕している。殿は如何されるか。取り敢えずは長島攻めを優先ではあろうがその後は……。
「丹波は如何か?」
問い掛けると二人の顔が引き締まった。なるほど、手強いか。
「波多野左衛門大夫秀治、厄介な男にござる。三好から独立して今の波多野氏を作り申した。家臣達も心服しております、一色左京大夫義道などよりずっと手強い」
伝兵衛が答えると弥八が頷いた。
「寝返りそうな家臣は居らぬか」
二人は無言だ。あまり期待は出来ぬか。
「本気で朽木と事を構えると?」
今度は少し考えるそぶりを見せた。
「朽木に対して良い感情を持っておらぬのは確かめております。丹後の一色と親しい事も。しかし丹波は三好も狙っておりましょう、その辺りが分からぬとは思えませぬ」
「それに波多野は丹波を統一したわけでもござらぬ。領内でも朽木と戦うと言う声は上がっておりませぬ」
二人が答えた。その通りだ、不満は有ろうが朽木と事を構えるのは波多野にとって利にならぬ、今すぐぶつかるという事は考えられぬ……。
「ただ、気になる事が」
「何だ、弥八」
「丹波に六角左京大夫の姿が」
思わず二人の顔をまじまじと見た。
「真か?」
二人が頷く。伝兵衛が口を開いた。
「波多野だけでは無く国人衆の間を回ったようでござる」
「何が狙いだ?」
「残念ながら」
伝兵衛が首を振った。六角左京大夫、近江を追われて石山本願寺に居た筈。それが丹波に? 丹波は代々細川京兆家が守護に任じられてきた。今でも影響力は有るのかもしれぬ。丹波を拠点に再起を考えている? 或いは本願寺、三好のために動いているのか? どちらにしても反朽木の動きだろう。軽視すべきではない。波多野の動きももう一度洗い直す必要が有る。
「追え、狙いは何か? 誰のために動いているのか? 突き止めよ」
二人が頭を下げた。
「拠点を近江に移すぞ。思ったよりも波多野の動きが訝しい。ここは危険だ、捨てざるを得ぬ。皆に触れを回せ」
「はっ」
二人が立ち上がって部屋を去った。持って行くものは身の回りの物だけだ。陽の有るうちに移動の準備は出来よう。日暮れとともに動く。冬の夜間移動か、難儀だが波多野には村雲党が有る。腕利きの忍びが揃っていると聞く、油断は出来ぬ。
永禄十四年(1571年) 二月下旬 近江国高島郡安井川村 清水山城 朽木基綱
「母上、宜しいですか?」
「構いませんよ、弥五郎殿。何か有りましたか?」
綾ママの部屋を訪ねると笑顔で迎えてくれた。最近は当たりが柔らかい。弥五郎殿、これも良い。大膳大夫と呼ばれるより数倍は温かみが有る。
「京から文が来ました」
「妹からですか?」
「それも有りますが新大典侍、阿茶局からもです。二人は今回の親王宣下、立太子礼について礼を言ってきました。今後も親王様を盛り立てて頂きたいと書いてあります」
「そうですか」
綾ママがちょっと複雑そうな表情を見せた。
気持ちは分かる。新大典侍は万里小路家の出身で誠仁親王の母親だ。そして今の帝も万里小路家の出身の母親を持つ。要するに万里小路家は今もっとも帝に近い一族と言える。これまで新大典侍から文が届いた事は無かった。どちらかと言えば目々典侍である千津叔母ちゃんと張り合う立場だった筈。その新大典侍から文が届いたのだからな。
もう一人の阿茶局は勧修寺家の娘で誠仁親王の妻だ。既に皇女が一人生まれている。そして勧修寺家は若狭の粟屋氏と縁戚関係に有る。ちょっと複雑だ、阿茶局にしてみればライバルが増えるのは面白く無いだろう、だが朽木が誠仁親王の後ろ盾になるというのは大きい。それに粟屋は朽木の家臣なのだ。その辺りを考えて文を寄越したのだろう。なかなか頭が良さそうな女性だ。
「叔母上からの文に有ったのですが立太子礼は二百年ほど行われていなかったそうです」
「まあ」
「式の詳細を知る者が居らず古い文献や日記を基に行ったとか。大騒ぎだったようですね。とは言え皆が楽しそうだったとか」
宮中なんて古式豊かにがモットーなのに金が無くて出来ませんとか、やってませんとか面子丸潰れだよな。もっともこの時代では儲君治定ってのが有ってこれで後継者は指名されるらしい。だからあまり必要とはされていないみたいだ。
「菊殿は親王様の御側に?」
「はい、出仕したそうです。母上、有難うございます。面倒な事にならずに済みました」
「少しは役に立てたようですね」
綾ママが嬉しそうにしている。飛鳥井から宮中に出仕した菊は権典侍として東宮の傍に居る。菊を宮中に出仕させてはとアドバイスをしてくれたのは綾ママだ。流石公家の娘だな、俺には思いつかない事だ。綾ママも俺に二人目の正室を持たせる事は反対だった。
誠仁親王が皇太子になった以上、その傍に娘を出仕させるのはおかしな話じゃない。それに俺に二人目の正室を持たせるなんて考えるより次期天皇の傍に置いて俺に利用価値が有ると思わせた方が得だ。その辺りは誠仁親王の立太子の件と合わせて千津叔母ちゃんが飛鳥井の祖父、伯父に話し説得してくれた。助かったわ。飛鳥井って男よりも女の方が頼りになるな。千津叔母ちゃんには明から来た絹織物を送った。喜んでくれるだろう。
「今回の件、宮中でも評判が良いそうですね」
「はい、朽木は朝家の忠臣と言われているようです」
「良い事です」
あくまで帝を立てる形をとったからな。帝も公家も自分達が大切にされていると思えば上機嫌になるのだよ。千津叔母ちゃんからの文によると帝は朽木の事も永仁の事も決して粗略には扱わない、そう言ったらしい。まあ何処まで当てになるかは分からんが。
公家達が朽木に好意的なのは他にも理由が有る。今回皇太子が誕生した事で何人かの公家が皇太子付きの役職に就いた。嬉しいんだよ、これが。今の朝廷に実権なんて無い。だからこそ肩書きを公家達は求めている。それに皇太子付きの役職に就けば、上手く行けば次代の帝の下で出世という事も有り得る。
「これからは叔母上だけでは無く新大典侍、阿茶局、権典侍とも関係を築いていく必要が有ると考えています」
「そうですね、その方が良いでしょう。私も時折は文を書きましょう」
「有難うございます、そうして頂けると助かります」
男には話せない事も有るからな、綾ママから文を送ってもらうのは好都合だ。いずれは小夜にも頼む事になるだろう。今から綾ママの手伝いをさせるか。
自室に戻ると小姓に命じてお茶を用意させた。焙じ茶を飲みながら寛ぐ、寒い冬に熱いお茶は最高だ。今年の正月は穏やかでゆったりと過ごした。将軍宣下から親王宣下、立太子で慶事が続いた事で年末から年明け三月までは戦は自粛だ。御爺の一周忌も有ったし丁度良かった。やっぱり年末年始ぐらいはゆっくりした方が良い。伊勢長島攻めは四月に延期だ。川の水はちょっと増えるかもしれないが水は温むだろう。
でもそういう年末年始はゆっくりしたいという気持ちが分からない奴もいる。大和の義昭がキャンキャン騒ぎ出した。特に俺が義助への将軍宣下を認めたと知って『如何して認めたんだ、今からでも拒絶しろ』とか『京へ攻め込め』とか阿呆な事ばかり言い出す。全部却下だ。帝に無理強いは出来ないし伊勢の長島を放り出して京で戦争なんて出来るわけないだろう。おまけに北畠の件も有る。
その北畠だがやってくれた。義助に将軍宣下がされると聞いて義昭よりも義助の方が優位だと考えたようだ。密かに義助に使者を送っている事が分かった。伊勢で復権するには義助と結んだ方が良い、朽木と三好が京方面で戦った時に伊勢で蜂起しよう、そんなところだな。義昭も哀れだと思う、ちょっと落ち目だと思われると露骨に掌を返される。
北畠は鶴松丸が元服して北畠具成と名乗った。家督相続したんだ、本当なら俺に挨拶に来るところだが鳥屋尾石見守満栄が来て終わりだ。後見の坂内兵庫頭具義、大河内相模守教通は来なかった。北畠の当主、分家はプライドが邪魔して朽木程度に挨拶は出来ないらしい。北畠具成は俺に挨拶するくらいなら腹切って死んだ方がマシだと騒いでそれを聞いた父親の権中納言具教は頼もしいと喜んだとか。
権中納言は謹慎の筈なんだがそんなものは何処かに忘れたらしい。平気で外を出歩いているようだ。挨拶に来た鳥屋尾石見守に権中納言は如何しているかと訊いたら大人しく謹慎していますと答えやがった、ふざけやがって。あんまり腹が立ったから辛かろう、いずれはそういう想いをせずに済むようにしてやろうと言ってやった。馬鹿が喜んでいたな、お前も含めて全員皆殺しだ。既に真田の兄弟と八門の手でお前達を極楽浄土に送る準備は出来ている。苦労も悩みも亡くなるさ。義昭も文句は言わんだろう、義助に通じたんだからな。
馬鹿ばかりでウンザリする。史実では北畠は信長を怒らせて滅ぼされたけどこの世界でも同じになるらしい。俺が権中納言具教なら鶴松丸の元服は俺に烏帽子親を頼むだろう。そして綱の一字を貰って綱成とか綱教と名乗る。名門北畠が俺から諱を貰う、そうなれば俺だって多少は考える。それなりの待遇を与えるだろうに。馬鹿と言うより世渡りが下手なのかもしれない。あいつらの事を考えると茶が苦いな、別な事を考えよう。
松永弾正忠久秀と三好孫六郎重存から年賀の挨拶の使者が来た。両家ともホッとした、そんな感じだ。義助側の攻勢が厳しいからここで休息がとれるのは有難いという事だ。態勢を立て直す事も出来る。状況が良くないのはこっちも分かっている。俺の方から三千貫程を送った。伊勢で荒稼ぎしたから余裕なのだ。兵糧を買うか、武器を買うか、防備を固めるか、自由に使えば良い。二人からは丁重な礼状が届いた。義昭も少しは見習えよ。
新年の挨拶と言えば今年は伊賀の百地丹波、藤林長門守から使者が来たので吃驚した。如何いう事だろう、これまでは甲賀郡の存在が朽木と伊賀を阻んでいたが伊勢が朽木領になったので朽木の影響力が伊賀に伸びている、そう考えて良いのかな。伊賀が使えれば朽木は伊賀から大和へも兵を出せる。松永久秀への援護も容易だ。だがそれも長島攻略が上手く行けばだろう。もたつく様だと朽木は頼りない、そう判断されかねない。
他にも驚いた事が有る。毛利からも使者が来た。天下の大大名、毛利元就からの使者だ。正直に言うと信長の使者よりも興奮したし戸惑いも有った。直接領地が接しているわけでもないし朽木は京を支配しているわけでもない。何でかなと思ったら案の定尼子が関係していた。京に尼子の残党が集まっているらしい。連中、三好の援助で尼子再興を期待しているようだ。
史実だと信長が畿内を制覇してその援助で尼子再興運動を起こすんだがこの世界では三好と朽木が張り合っている。三好にとって尼子はちょっと迷惑な存在だ。朽木と毛利の両方を相手にする事は出来ないからな。だがいずれはという想いも有る。そこで捨扶持を与えて京にとどめているようだ。つまり毛利にとっては尼子を支援する三好は敵でその敵である朽木は味方という事らしい。爺さんも御歳だからな。御身御大切にと言伝を頼んで寒さ凌ぎにと綿入れ半纏を使者に託した。喜んでくれるだろう。
丹波の波多野、丹後の一色からも使者が来た。こっちは年賀じゃなく親王宣下の件だった。朝廷への奉仕に感嘆している、そんな文だ。だが本音はそこじゃない。両家とも使者が若狭、敦賀で兵を増強しているのは何故か? 自分達は朽木と事を構えるつもりは無いと言ってきた。こっちも波多野、一色と事を構えるつもりは無い。だが兵を減らすつもりもないと答えた。要するに信用していないと言ったのだ。
重蔵の報せでは丹後では税の取り立てが厳しく百姓の逃散が起きているらしい。若狭の朽木が目障りだろうという事は想像が付く。丹波も妙な動きが有る、六角輝頼が丹波に現れた。どうやら六角輝頼は反朽木を掲げて丹波の大同団結を図ったらしい。だが上手く行かなかった。朽木が攻めてきたわけでもないのに何故? そんなところだ。今更守護面するな、そんな感情も有るだろう。だが油断は出来ない、朽木が西へ出れば何処かで波多野とぶつかる、そんな気がする。
重蔵も八門の拠点を近江高島郡の三国岳の麓に移した。丹波にキナ臭さを感じているようだ。聞けば丹波には村雲党という忍びが居るらしい。伊賀甲賀に比べれば知られていないが丹波の山で鍛えた腕利きが揃っている。石川三左衛門、雑賀五郎兵衛、龍野善太郎の三人は他国にまで名が聞こえる凄腕の忍びだと重蔵が言っていた。そして党首の村雲甚右衛門、波多野秀治が丹波から三好の勢力を追い払えたのは村雲甚右衛門の働きが大きかったらしい。なんか嫌な予感がするよ。
ゆっくり休む暇が有ったんで内部の懸案事項も片付けた。先ず竹若丸の傅役を決めた。竹中半兵衛重治、山口新太郎教高の二人だ。半兵衛は軍略方、新太郎は兵糧方の知識で竹若丸を鍛えて貰えばと考えている。二人とも誠実で信頼出来る人柄だ。一度家を失っているから苦労もしている、適任だと思う。二人とも若いが竹若丸が元服する頃には三十代の後半で一番働き盛りだ。竹若丸の力になってくれるだろう。半兵衛は体が丈夫じゃないからな、この辺で外勤から内勤に回した方が良い。軍略方のまま戦場には出さない様にするつもりだ。傅役の事を二人に話したら感激してたな。必ず若君を立派な大将にします、なんて言っていた。
傅役の問題が片付いたと思ったら真田弾正が朽木の副将を辞任したいと言ってきた。もう五十を越えて六十に近い、疲れたのだろう、気が付けば目尻に大分皺が有った。長島の戦いを最後に辞任を認める事にした。弾正には辞任と同時に領地を与えようと思っている。伊勢が良いだろう。気候も温暖だし海辺の領地が欲しいそうだから喜んでくれるだろう。だが楽隠居をさせるつもりはない。評定衆に取り立て扱使ってやる。
後任は明智十兵衛光秀だ。弾正が推薦した。問題は無いと思う、外で大軍を預けるより傍で使った方が安全だ。だがその所為で軍略方が手薄になった。そこで真田源五郎昌幸、芦田源十郎信蕃、長左兵衛綱連、長九郎左衛門連龍を新たに加えた。真田と芦田は信濃、長は能登の出だ。軍略方には近江出身者は居ない、なんでだろう。
軍略方を増強したから兵糧方も増強する事にした。増田仁右衛門長盛、山内次郎右衛門康豊、建部与八郎寿徳、石田藤左衛門正継。増田仁右衛門と山内次郎右衛門は新規召し抱えだ。増田仁右衛門は豊臣五奉行の増田で山内次郎右衛門は伊右衛門の弟だ。どちらも問題は無い。そして建部与八郎寿徳は旧六角の家臣で土木工事が大好きという変わった男だ。兵糧方の仕事がしたいと志願してきた。石田藤左衛門正継は旧浅井の家臣であの石田三成の父親だ、これまで敦賀で専売所の責任者をやっていたが兵糧方に引っこ抜いた。
月が変われば長島攻めの準備だ。朽木の総兵力は四万程になるだろう。長島の兵力は約三万、兵力的には優位だが長島は攻め辛い場所だ、決して楽な戦いじゃない。だが明るいニュースが無いわけでもない。長島が封鎖された事で補給が滞っている。その所為で士気が下がり気味らしい。特に元々の一揆勢と北伊勢から逃げ出した国人衆、桑名周辺の国人衆との間が思わしくないようだ。国人衆達は今更だが朽木に敵対した事を後悔していると八門から報告が有った。上手く行けば切り崩せるだろう。来月になったら一度下見に行こう、長島への威圧にもなる筈だ。