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攻略案


永禄十三年(1570年)  六月上旬      近江国高島郡安井川村  清水山城  朽木小夜




「殿様がお戻りになられました」

女中が声を上げた。竹若丸が“父上がお戻りになられた”と(はしゃ)ぐ。それを窘めて大膳大夫様のお戻りを待つ。大方様、私、竹若丸、松千代、雪乃殿、竹姫、鈴姫。そして温井家の辰殿と三宅家の篠殿。大膳大夫様の御部屋には大勢の人間が主のお戻りを待っていた。


少しして甲冑の音と足音が聞こえてきた。段々近付いて来る。大膳大夫様が部屋に入って来た。皆で“お帰りなさいませ”と言って頭を下げた。大膳大夫様が座るのが音で分かった。

「母上、今戻りました。皆、今戻ったぞ」

皆で頭を上げました。兜と太刀を傍に置いて大膳大夫様が座っていた。少し疲れている?


「大変でしたね。今回も見事な勝ち戦だったとか」

大膳大夫様が僅かに苦笑を浮かべました。

「有難うございます。母上、お変わり有りませぬか?」

「ええ、この通りです。鈴殿、辰殿、篠殿も変わり有りませぬよ」

「有難うございます。小夜、元気だったか。竹若丸、松千代、帰ったぞ」

「御無事でのお戻り、嬉しゅうございます。私も竹若丸も松千代も変わりありませぬ」

大膳大夫様が嬉しそうに頷いた。竹若丸、松千代が傍に寄ろうとすると大膳大夫様は笑いながら鎧が汚れているから来てはならぬと言って窘めた。


「雪乃、戻ったぞ。竹は元気か」

「はい、このとおり、私も竹も元気です」

雪乃殿が抱いていた竹姫を大膳大夫様に良く見せるかのような仕草をした。

「うむ。鈴、慶四郎に会った。鈴を心配していたぞ、文を書いてやれ」

「はい」

「辰、篠。元気そうだな、安心した」

「はい」

大膳大夫様が万遍なく声をかけた。皆嬉しそう、辰殿、篠殿も大膳大夫様の事を兄のように慕っている。


「殿、湯殿の用意が出来ておりますが?」

「それは助かる、戦の汚れを落とすとするか」

「その後は少しお休みになられますか」

「そうだな、小夜、用意を頼む」

「はい」

大膳大夫様が鎧を脱ぎ始めると小姓達がそれを手伝い始めた。それを見届け大膳大夫様が湯殿に向かってから部屋を下がり女中に御休息の用意を命じた。後で確認しなければ。


二刻程後、大膳大夫様が私の部屋に現れた。先程まで有った疲れは見えない、少し休んだ事で取れたのだと思う。大膳大夫様が子供達と遊ぶ姿を見て思った。殿方は大変、戦になれば長きに亘って不自由を我慢しなければならないのだから。それに城に戻れば子供達の相手もしなければ……、本当に休息出来る時が有るのだろうか。


「殿、そろそろ竹若丸に傅役を付ける頃合いでは有りませぬか?」

「傅役か。言われてみればそうだな。となると部屋も必要か」

「そうなりますね」

少し寂しい。でもいつまでも私の所に置いてはおけない。朽木家の次期当主として相応しい知識を身に付けなければ……。


「殿には傅役は付けられなかったのですか?」

大膳大夫様が小首を傾げた。

「傅役を付ける前に当主になったからな。というより朽木は八千石の国人領主だ。そんなものを付けたのかな? 後で皆に訊いてみるか。まあ俺の場合は御爺が後見したから傅役は御爺とも言えるな。それに大叔父、五郎衛門、新次郎も居た。傅役では無かったが色々と教わったと思う」


「朽木の譜代から選ぶのですか?」

「譜代に限る事は無いだろう、それなりの人物ならば良い」

本当に? それで親族衆や譜代衆が納得するのだろうか。

「知勇兼備で誠実な人が良いのですが……」

大膳大夫様が笑い声を上げた。


「随分と贅沢な要求だな、小夜」

「まあ、冗談事では有りませぬ」

大膳大夫様がまた笑い声を上げた。

「分かった、分かった。傅役は一人に限る事も有るまい。俺も思うところが有る。少し時を貸せ」

「はい」


大膳大夫様が今度は松千代を膝に乗せてあやしている。松千代の頬を突く。松千代が嬉しそうに声を上げて大膳大夫様の指を掴もうとした。指を掴まれまいと大膳大夫様が手を上にあげる。こんな日がずっと続けば……。

「殿、また近々戦が有るのですか?」

「何故そんな事を?」

「先程大方様が戦勝祝いを申し上げた時、余り嬉しそうでは有りませんでしたから」

大膳大夫様が困った様な表情を見せた。


「勝ってはいないからな」

「あんなに城を落としたのにですか?」

「そうだ」

三月も終わろうかという頃、伊勢長島の一向一揆が“仏敵朽木を倒せ”と声を上げて朽木領に侵入した。そしてそれに呼応するかのように伊勢北部から桑名郡を中心に二十人以上の国人衆が朽木に反旗を翻した。


大膳大夫様はその報せを受けると即座に北伊勢に出陣、員弁郡、三重郡、朝明郡の反乱者を鎮圧し桑名郡に向かった。そして一揆に同調した大部分の国人領主を攻略、一揆勢を長島に押し込める事に成功した。一揆勢に同調した反乱者達の中で無事なのは長島に近い所にある城を居城に持つ者だけ。僅か二月程で北伊勢の混乱は終結した。終わってみれば朽木家の北伊勢への支配力は以前よりも強まった。大方様もそれを知るから戦勝の御祝いを述べたのだけれど……。


「城を落とされた国人達は長島に逃げた。むしろ一揆勢の戦力を増強した様なものだ、少しも喜べん」

「長島を攻略する事は難しいのでしょうか?」

「難しい、今攻めても敗けるだろう」

「まあ……、坂本に有る一万五千を使ってもですか?」

「それでも敗ける」

敗ける? 大膳大夫様が? とても信じられない。私の心が分かったのだろう、大膳大夫様がまた困った様な表情を見せた。そして竹若丸、松千代をあやしながら話し始めた。


「長島というのは木曽川、揖斐川、長良川が集まり海に注ぐところだ。幾つかの中洲から出来ている。元々は七島と呼ばれていたらしいな、それがいつしか長島になったと聞く。一揆勢はその中洲に城を築いている」

「はい」


「つまり長島に攻め込むには川を渡る、それも一つとは限らん、幾つかの川を渡る事になるのだが川上ならともかく川下、それも海に面した河口近くだからな、川幅は広いし水の量も多い。重い甲冑を着け鉄砲や槍を抱えて楽に移動出来ると思うか?」

「いいえ」

私が答えると大膳大夫様が頷いた。


「その通り、無理だ。決して楽に渡る事は出来ん。おまけに身を隠すところも無い、川を渡る最中に攻撃されたらとんでもない損害を出すだろう」

「そうですね」

「それにあそこは湿地でな、馬は使えんし大軍を動かすだけの広い場所も無い。戦には不向きな土地だ。土地勘も向こうに有るしまともな地図も無い。如何見ても敗けるな」

「なるほど」

私が息を吐くと大膳大夫様も息を吐いた。


「如何なさるのです?」

「別に特別な事はせぬ。焦らずに勝てるまで準備をするまでだ。先ずは志摩を攻め取る」

「志摩を?」

「急がば回れと言うからな」

溜息が出そうになって慌てて堪えた。殿方は本当に大変、私にはとても……。




永禄十三年(1570年)  六月上旬      近江国高島郡安井川村  清水山城  朽木基綱




「出来たか、重蔵」

「はい」

俺、黒野重蔵、そして軍略方の明智十兵衛、竹中半兵衛、沼田上野之助、内藤修理亮の前に長島の地図が有った。重蔵達八門がここ半年程かけてようやく作った地図だ。敵地に潜入して作った地図だ。容易では無かっただろう。


「随分と犠牲が出ただろうな」

重蔵が視線を伏せた。軍略方の面々も沈痛な表情だ。

「だがこれでどう戦うかが話し合える。感謝するぞ、重蔵」

「はっ」

地図に視線を向けた。伊勢と尾張の境、桑名郡の河口を中心に書いてある。中央に七つの島が書かれていた。


「この部分が長島か?」

指で丸を書いて指し示すと重蔵が“はっ”と言って頷いた。七つの島が固まっている。願正寺、松の木、長島、大島、押付、殿名、小田御崎と一向一揆の拠点が有った。西側の伊勢の海岸線には香取、大鳥居、屋長島、中江、桑名の城が有る。長島の東には幾つかの島が有った。その島にも篠橋、加路戸、五明、海老江、前ヶ洲の拠点が有る。そしてさらに東は尾張領だ。この中で朽木の拠点は桑名だけだ。他は長島の一向一揆の勢力下に有る。


「重蔵殿、一揆勢の兵力は?」

「三万を超えましょう」

半兵衛と重蔵の会話に上野之助が息を吐いた。三万か、そんなものだろうな。史実では十万近い兵が長島に居たとか有るが嘘だと思う。大体信長が殺したのが二万人と言われている。十万人居たなら残りの八万は何処に行った? 陸も海も織田軍が包囲していたのだ、逃げる所は無い。十万と言うのは嘘だ。三万という数字に不自然な所は無い。


「周囲を川と海に囲まれた島に三万、容易では有りませんな」

十兵衛、そんな気の重そうな声を出すな。俺まで気が重く、いや既に重いな。

「やはり槍や鉄砲等の重い武器は邪魔になりますな。渡河の時に足を取られかねませぬ」

「しかし半兵衛殿、一揆勢は槍を持っておりましょう。島に上がった時に槍で攻撃されたら不利は免れませぬ。持たせぬわけにはいきますまい」

「鉄砲は如何します? 火薬は濡れれば使い物になりませぬぞ。となれば持たせるだけ無駄となる」

火力が使えない、朽木の強みが消えた。信長が苦戦したのもそれが一因かもしれない。


「鉄砲隊は船に乗せて水上から一揆勢を攻撃させる。渡河する足軽達を援護出来よう」

「となると船をどれだけ集められるかですが……」

皆が俺を見た。

「現状では難しいな。大湊も北畠も俺の依頼など無視だ。荷止めも上手く行っていない。そうであろう、重蔵」

重蔵が頷いた。


長島と戦争状態になった時点で朽木領内には長島への荷止めを命じた。そして大湊には長島攻めのために船の調達を命じている。北畠にも大湊に朽木に協力するように説得せよと頼んでいる。

「今回の戦いで長島には指一本触れていない。朽木は長島を攻めあぐねている、そう思っているだろう。大湊だけではない、四日市、松坂、山田、宇治、いずれも俺の命令を無視だ。唯一俺の命に従っているのは安濃津だけだ。あそこは今九鬼が居るからな。俺では無く九鬼を恐れている」

皆が渋い表情をした。


「秋になれば九鬼が志摩攻めの準備が出来る。我らは九鬼の戦を手伝う事になる」

「志摩攻めですか」

「そうだ、表向きはな」

俺が半兵衛に答えると半兵衛が“表向き?”と声を出した。

「志摩を攻める前に四日市、松坂、大湊、山田、宇治を制圧する。特に松坂、大湊、山田、宇治は自治を取り上げ朽木が直接治める地とする」

皆が頷いている。そうなれば荷止めも船の調達も上手く行くだろう。今重蔵が俺の命を無視した証拠を集めている。楽しみだ。


「それが終った後で志摩攻めだ。九鬼が海から朽木が陸から、一気に志摩を制圧する」

修理亮が頷いた。こいつ、海賊出身の軍略方だからな、興味津々だ。

「では長島攻めは?」

「志摩制圧後、九鬼には長島を封鎖させる。戦は年が明けてからになるだろう。その頃には封鎖と荷止めの効果も出るであろうし船の調達も上手く行っていると思う」

皆が頷いた。


「年が明けてからとなると兵糧攻めは難しいですな」

十兵衛が小首を傾げた。

「難しい。だがな、十兵衛。春から夏になると川の水量が増える。冬の方が水量は少ない、渡河はし易かろう。ただ水は冷たいかもしれぬが……」

最後は語尾が弱くなった。皆も微妙な表情だ。一月、二月の川の水、冷たいよな。


「先ず香取、大鳥居、屋長島、中江を攻略し大鳥居辺りから大筒を使って願証寺、松ノ木城に攻撃をかけようと思う。それが出来ればこの島への上陸はかなり楽になると思うのだが……」

俺が願証寺、松ノ木城の有る島を指差した。

「なるほど、良き御思案かと思いまする」

半兵衛が褒めてくれた。第二次世界大戦の戦訓だよ。上陸前に艦砲射撃で敵を制圧する。今回は制圧までは行かないかもしれんが援護にはなる筈だ。大筒は鉄砲と違って射程距離が長いし弾も大きい。敵にとっては脅威の筈だ。特に上から降ってくる。敵は常に頭上に気を取られる事になる。大筒は現在五十門ほど有る。来年までにもう少し増えるだろう。


「後はこの島の敵を掃討し大筒を運び長島、小田御崎、押付、殿名、大島を攻略する。九鬼には海上から攻撃させる。一つ一つ確実に潰す」

「織田への協力要請は?」

「志摩を制圧したら要請する。尾張の国境を固めて貰えば良い」

「殿、北畠は如何します?」

十兵衛が俺を見た、十兵衛だけじゃない、皆が見ている。


「北畠が俺に敵意を持っているのは間違いない。そして独立を策し長島と組んでいる事も事実だ。そして北畠には分家が有るがその大部分が北畠本家と行動を同じくしている」

皆が頷いた。

「北畠を処分するのは長島を潰してからだ。長島を潰す前に処分すれば北畠の旧臣達が長島に合流しかねん。或いは長島攻めの時に南伊勢で反乱を起こす事も考えられる」


「なるほど、一つ一つですな。大湊などの町、志摩、長島、北畠」

「そうだ、一つ一つだ。北畠も本家は残し分家、家臣から潰す。北畠本家を担いで俺に謀反を起こそうとした、そういう名目で俺に敵対する者を潰す。手足を失えば北畠本家も大人しくなろう。それでも敵対する場合は本家も潰す」

皆が満足そうに頷いた。ここに居る人間は北畠に対して一欠けらの好意も持っていない。足利を利用して朽木の邪魔をする敵としか見ていない。


北畠も馬鹿な事をした。大人しく近江に来た方が存続は難しくなかった。この連中を怒らせた以上、酷い事になる。本家を潰すのは五年から十年後になるだろう。その頃には南伊勢の人間も朽木の支配を受け入れている筈だ。権中納言北畠具教の妻が六角定頼の娘であろうと何の影響も無くなっているだろう……。


「となると気にかかるのは大和ですが」

「丹波の波多野が義昭様の御味方に付いた。三好はそちらにも手当をせねばならん。半兵衛よ、一息ついた、そんなところだな。煩くこちらに言って来る事も有るまい」

半兵衛が首を横に振った。あれ、違うのか?


「だからこそ危のうございましょう。義昭様が何を考えるか?」

「……」

「大体波多野が味方に付いたのも怪しゅうございます。何を見返りに出したのか? 殿は訝しいとは思われませぬか」

「……まさかとは思うがな」

俺は見落としていたか? 元々波多野は史実でも義昭の味方だった、そう思ったんだが……。


「若狭か? 半兵衛」

半兵衛が頷いた。

「可能性は有りましょう。丹波は海が有りませぬ。若狭の塩、海産物は何よりも手に入れたいものだと思いまする。それにここ最近は明、南蛮の船が若狭の小浜に来るとか。波多野がそれをどう見ているか?」

半兵衛の言う通り可能性は有る。だがな、可能性と実現性は同一じゃない。


「しかしな、俺を敵に回す事になるぞ。有り得るか?」

皆の顔を見た。拙いな、誰も有り得ないと断言しない。義昭、信用無いな。

「空手形、という事も有りましょう。波多野を味方に付けるために出来もしない約束をした。しかし波多野はその約束の履行を迫る筈」

重蔵の言葉に皆が頷いた。上野之助が“有り得る”と口に出した。


「それに朽木家には敦賀があります。敦賀が有るなら若狭は譲っても良かろう、そう考えたとしてもおかしくは有りますまい。勿論替えの地は用意しましょうが」

「なるほど」

重蔵の言う通りだ、有りそうだな。替えの地は何処だろう? どうせ碌な所ではないだろう。


「何よりも北畠の一件で已むを得ぬ事とは言え殿は義昭様に御譲りなされました。その辺りを義昭様が、波多野が如何見たか?」

「押せば譲ると見たか、修理亮」

修理亮が頷いた。北畠は祟るな。いや祟るのは足利か。何処かで手を切るべきなんだがタイミングが掴めん。


「分かった。高浜の伯父御に兵と武器を送ろう。それで波多野が如何動くか。重蔵、波多野と義昭様の動きを追え。逐一報せよ」

「はっ」

重蔵が頭を下げた。足利との決別か、そろそろ本気で考えよう。これが切っ掛けになるかもしれん。





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