喪失
永禄十三年(1570年) 一月下旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
御爺が死んだ。昨年の暮れ、正月の準備にかかろうかという頃だった。急に櫓台に上がって城の外を見たらしい。寒かったのかな、その日の夜から熱を出した。報せを受けて俺が清水山城に向かった時にはもうこの世を去った後だった。多分肺炎じゃないかと思う。この時期の景色は余り見ても楽しくないと言っていたのに何を考えて櫓台に登ったのか。
朽木家は正月の祝い事は全部キャンセルで葬儀一色になった。正月だ、一年で一番目出度い時期だ。家臣達には葬儀は身内で質素にやるから普段通りに過ごせと言ったんだが殆どが参列した。御蔭で質素どころか盛大な葬儀になった。京からは公家達も来た。足利義秋、いや義昭だな、年明け早々に改名した。義昭からも使者が来た。応対が面倒だった、疲れたわ。
七十歳を超えての死だ。おまけに朽木は大大名になっている。皆が大往生だと言った。大往生か、別に天下を獲った訳でもないんだがな。御爺にとっては物足りない一生だったかもしれん。御爺が本当に望んでいたのは俺が足利幕府を再興する事だったんじゃないかと思う。六角定頼のように管領代にでもなれば心底満足だったかもしれない。
だが俺は足利を信用出来なかった。だから足利を利用しつつ独立の道を探った。御爺にとって朽木が大きくなるのは嬉しい事だっただろうが一抹の寂しさも有っただろう。自分の夢が潰えるのだから。俺は余り良い孫では無かったな。感謝しているよ、御爺。俺に自分の望む道を押付けなかった。だから俺は自由に進む事が出来た。
御爺の部屋から俺宛の書置きが見つかった。内容は俺との想い出が書かれていた。安曇川で釣りをした事、馬の乗り方を教えた事、初陣に付き添った事等。楽しかったと書いてあった。最後に悔いなく生きろ、儂に遠慮は無用と書いてあった。……御爺が櫓台から見たのは景色だけだったのかな。もしかするとそれ以外の物、自分の望む世界を見ていたのかもしれない。
北陸も能登を制圧して落ち着いた。清水山城に戻るか。綾ママを一人にしてはおけんし京へ睨みを利かせると言う意味も有る。畠山が力を無くした今、大和の松永の存在は重要だ、義昭なんか如何でも良いが松永は援護する姿勢は示さないと。それに清水山城の方が大叔父に会い易い。南近江に城が出来るのは早くて来年だろう。未だ場所も決まっていない。軍略方には観音寺城の傍は駄目だと言ってある。だから安土ではないだろう。八幡か大津か。
「殿、重蔵殿が」
「遠慮は要らん、入れ」
小姓の言葉に俺が答えると重蔵が部屋に入って来た。
「御休息中、申し訳ありません」
「いや、丁度良かった。暇だと碌な事を考えん。人間の器が小さい所為だな」
重蔵が困った様な顔をした。そうだよな、主君が自分の器が小さいと言ったからって同意は出来んよな。馬鹿な事言ったな。
「それで、何が有った」
「長島が頻りに動いております」
「……」
「北伊勢の国人衆に使者を送っているようです」
「ようやく動き始めたか、何処だ?」
「桑名郡。伊藤武左衛門、樋口内蔵、矢部右馬允。他にも送り込んでいると思われます」
「まあ予想出来るところだな」
重蔵が頷いた。
伊勢攻略後、長島一向一揆はちょっとしたパニックになった。まあ無理もない、仏敵朽木があっという間に伊勢を攻め獲った。北畠が殆ど何も出来ずに降伏した事が信じられなかったに違いない。長島一向一揆の戦略は北畠攻略に手間取る朽木の背後を北伊勢の国人衆を寝返らせて突く。そんなものだっただろう。だがその戦略は破綻した。圧し掛かられる様な圧力を感じただろう。長島一向一揆は慌てて兵糧、武器、石鹸の購入を行った。そして兵の増強、雑賀衆の参加も確認されている。兵力は三万を超えるだろう。顕如も必死だな。
その準備の所為で三河の一向一揆に対する支援が疎かになった。その分だけ織田、徳川連合は西三河で一向一揆に対して優位に立てた。信長、家康からは礼の文が来た程だ。ようやく対朽木戦の準備が一段落したという事だろう。長島、いや一向一揆は朽木の足元を崩そうとしている。これからが本番という事だ。
「国人衆の動きは?」
「今の所一向一揆に同調する動きは有りませぬ。伊勢攻略が鮮やかだった事で国人衆も慎重なようです」
「だが俺の所には何も言って来ぬ。様子見だな」
「はっ」
卑怯だとは思わない。俺はまだ連中を掌握しきれていないという事だ。史実だって北伊勢の国人衆は長島一向一揆に同調して信長に反旗を翻している。伊勢の国人衆は決して治めやすい存在ではない。そして北伊勢は長島願証寺の影響力が強い。
俺は伊勢では関の廃止、楽市楽座は実施していない。そして百姓の徴兵も禁じていない。現状維持だ。理由は簡単、百姓兵に頼る限り、俺に反旗を翻しても軍事行動を起こす時期は限られる。その分対処もし易い。わざわざ事態を厄介にする必要は無い。
「梅戸、千種は入っているか?」
「いえ、そのような形跡は有りませぬ」
「南は如何だ?」
「直接の使者の遣り取りは有りませぬ」
「大湊か」
重蔵が頷いた。梅戸、千種は見込みが無いと判断したか。北畠は慎重になっている。
「正直に言うがな、重蔵。桑名、三重郡は駄目だろうな。今は俺に従っているが長島に同調すると見ている。員弁郡、朝明郡もかなりの国人衆が同調するだろう。北伊勢は再遠征が必要だ。梅戸と千種がこちらに付くなら問題は無い。長島に付いた連中は全部潰す。長島攻めはその後だ」
重蔵が渋い表情になったが否定はしなかった。大体において間違っていないと思ったのだろう。史実でも信長は伊勢支配にかなり手を焼いている。信長の伊勢支配が完了したのは長島一向一揆を潰し北畠一族を皆殺しに近い状況にまで追い込んだ後だ。
「殿、三瀬御所ですが」
「うん」
「義昭様に使者を出しているようです」
「そうか」
重蔵が俺をじっと見ている。三瀬御所、北畠親子、その側近が暮らしている館だ。城ではない、あくまで館だ。平屋で狭間が無い。防御機能など無い館で去年から造り始め今年になってある程度完成したので移り住んだ。
北畠の旧家臣達は色々だ。俺に仕えている者、浪人になった者、長島一向一揆に加わった者、そのまま北畠一族に付いていった者。この中で厄介なのは長島一向一揆に加わった者じゃない。俺に仕えている者と浪人になった者だ。一旦事が起きた時、こいつらが如何動くか……。想像すると頭が痛いわ。
「おそらくは北畠家の復権でも頼んでいるのだろう。義昭様も悪い様にはしないとでも言っているに違いない。正月早々北畠に縋られて御機嫌だろうな、良い気なものだ」
北畠にとっては長島との連携よりもそちらが大事か。
多分俺と三好を戦わせ将軍になった後だろうな、北畠を復権させたい、将軍の命令だとか言い出すんだろう。代償は訳の分からん国の守護に任命かな。義昭は大名など犬同然に思っている男だ、将軍の良い様に使えば良い、そう思っている。あの男の偏に頼み参り候なんて文には誠意なんて欠片も無い。
「如何なされます?」
「ただ義昭様に使者を出したと言うだけでは処断は出来ん」
「……」
重蔵が頷いた。
「大湊は如何か?」
「北畠だけでは無く長島とも密接に繋がっております」
「志摩の海賊衆もか?」
「はい」
「九鬼は今年から志摩を攻めると言っていたな。先ずはそこに期待か」
何とも貧弱な対抗策だな。ウンザリする。
信長の長島一向一揆戦は三度行われている。第一回と第二回は失敗としか言いようがないんだが敗因の一つが制海権を持っていなかった事に有る。信長は第一回の長島攻めを通常の陸戦と同じだと考えて行った。だから制海権の保持を軽視した。だが第二回目は違う。信長は制海権の保持を重視した、だが失敗した。理由は簡単、伊勢湾の制海権において大きな力を振るっていた伊勢大湊、こいつは堺同様会合衆による自治を行っているのだが長島一向一揆の中心勢力、願証寺の影響下にあったからだ。
信長は伊勢大湊衆を自分の味方にしようとしたが上手く行かなかった。北畠を使って説得したがそれも上手く行かなかった。上手く行かない筈だよ、北畠は反織田だ。武田信玄の上洛の際には船を出して協力するという密約まで結んでいた。その船が何処の船か、簡単に想像が付く。要するに大湊、長島、北畠は反織田で協力体制を結んでいたわけだ。この世界ではそれが朽木に代わった。おまけに志摩の海賊衆迄敵に回っている。状況は信長と似たり寄ったりだ。
「重蔵、八風街道、千種街道、伊勢街道を整備しようと思うが如何かな」
「……軍の移動を容易にするためですな」
「表向きは商人の行き来をし易くするためだ。北陸は冬の間は雪で整備は出来ぬ。兵糧方に命じて伊勢を優先させよう」
「良き御思案かと」
「街道の整備が終ったら志摩を攻める。九鬼を支援しよう」
「はっ」
志摩を攻める時は最低でも二万は北伊勢に置く必要が有るな。何とも非効率な戦だ。後は大湊か。
「細野壱岐守の安濃津城を改築しようと思う。今のような小さな城では無く大きな城に。城下町を整え今浜の様に繁栄させる。あそこは良い湊も有る、賑わうと思うがどうかな」
「大湊、北畠を抑える為ですな」
「まあそうだ。それと長野城も改修しよう。防備を固める。北畠の件が有るし鈴がこちらに居る以上長野一族が裏切る心配は有るまい」
馬鹿共が鈴のために城を造った、城を改修したとでも言いそうだな。後世ではロリコンと言われるだろう。鈴を長野に帰せなくなるかもしれん。本当に側室になりそうだ。南近江の城は後回しだ、先に安濃津城と長野城に取り掛からせよう。当分の間、清水山城で我慢だ。
永禄十三年(1570年) 二月中旬 近江国高島郡安井川村 清水山城 小夜
「御婆様」
「はいはい、大人になさい。松千代が眠っていますからね」
竹若丸が甘えて抱き着くと大方様が嬉しそうに抱き締めて背中をトントンと叩いた。そして膝の上に座らせた。
「一日毎に重くなりますね、小夜殿」
「はい、抱き上げると重くなったと思う時が有ります」
大方様がにこやかに頷かれた。
「幸せでしょう、羨ましい事」
「……羨ましい?」
思わず問い返すと大方様が困った様な笑みを浮かべられた。
「あの子は甘えてくれなかったから」
あの子?
「……殿ですか?」
「ええ」
驚いてしまった。殿にも大方様に甘える時期が有ったのだ。でも甘えなかった? 竹若丸が大方様の膝の上で頻りに動く、大方様が“大人になさい”と窘めた。
「滅多に泣く事も無くて手のかからない子だったの。襁褓も取れるのが早かったし喋るのも早かった。でもこの子の様に甘えるという事が無くて……。抱き上げられるのも嫌そうだった。子供らしい遊びにも関心が無くて何時も一人でむっつりとしていて周りからは変わり者と思われていたわ。私もどう扱って良いのか途方にくれてしまって……」
「……」
大方様の寂しそうな御顔、胸を衝かれた。
「夫が亡くなった後は急に大人びてしまって困惑しました。子供なのに子供ではない、子供として扱えない、気が付けば大人として扱うしかなかった。亡くなられた御隠居様も私も……」
「……殿は朽木の家を守るために懸命だったのだと思います」
大方様が頷かれた。
「そうですね、そうなのだと思います。でもあの子は私の事を如何思ったか……」
御寂しいのだと思った。そして殿に申し訳ない事をしたと思っている。
「殿は大方様をお慕いしていると思います。こうして清水山城に戻って来たのですもの」
「……」
「大方様を御一人には出来ないと言っておいででした」
「そうですか」
「ええ、殿はお優しい方です。お口は少しお悪いですけれど」
「……怖くは無いですか、あの子が」
胸を衝かれた。大方様は殿を恐れているのだろうか?
「いいえ、怖くは有りません」
大方様がじっと私を見た。そして微笑みを浮かべられた。
「これからもあの子をお願いしますね」
「はい」
永禄十三年(1570年) 三月上旬 近江国高島郡安井川村 清水山城 蒲生定秀
大和の松永弾正から使者が来た。使者は三雲対馬守、妙な使者よ。殿は自らは会わず儂に応対するように命じた。“久し振りであろう、茶でも飲みながら話をすると良い”と言って。試されているわけでは無いようだ。むしろ三雲の肚の内を探れという事のようだ。書院にて三雲対馬守と応対した。
「まさか下野守殿とこうして会う事になるとは思わなかった」
「それはこちらも同じ事。久し振りじゃ、対馬守殿。少しも変わらぬ」
「下野守殿は少し老けたようじゃ、六年振りなれば無理もないか」
「うむ」
互いに一口茶を飲んだ。
「随分と信頼されているようじゃ、加増されたと聞いた」
「隠居が一万石加増されただけよ、某一代で終わりじゃ」
「某との応対も任された」
「試されておるのやもしれぬぞ」
「その割に緊張しておらぬ」
「分かったか。朽木は過去は問わぬ、働けばそれに酬いるという家だ。対馬守殿も来るか? 厚遇されるのは間違いないぞ」
「遠慮しておこう」
笑いながら拒否された。松永家ではそれなりに扱われているのであろう。
「して、使者の趣は?」
「うむ、既に知っておられよう、足利義助様が従五位下、左馬頭に任じられる事になった」
「京に入られた以上次は将軍宣下であろう」
「うむ」
対馬守が頷いた。
山科の戦いで三好は朽木に敗れた。その事で朽木の勢威が強くなった。だが三好が畠山を下した事で三好が勢威を盛り返した。そして京は三好が押さえている、次期将軍争いは足利義助様が優位になった。
「朽木家は如何されるか、我が主が知りたがっておる」
「殿は何もするまい」
対馬守の表情が曇った。
「と申されると」
「動けぬ」
「動けぬか」
「動けぬ。長島に三万もの一揆勢が居る。北伊勢にはそれに同調する者も少なくない。おまけに南には復権を目論む北畠が居る。伊勢は表向きは朽木領だが内実は朽木、長島、北畠が争う戦場だ。他所に手を出している余裕は無い。殿は常々そのように申されておいでだ。某もそう思う」
対馬守が小さく息を吐いた。
「伊勢はこちらでも気になっていたがどうやら予想以上に酷いようじゃ」
「義昭様が朽木に三好を攻めさせろ、京を占領させろと言っておいでかな」
「義昭様は大膳大夫様を偏にお頼みしておる」
「その割には邪魔ばかりする。能登、北畠」
「その事は我が主も御諫めしたのだが……」
「嬉しい事を聞く。だが結果が出なくてはな。北畠の件が無ければ伊勢は長島と北伊勢だけの問題で済んだ」
対馬守の顔が歪んだ、揶揄されたと思ったか。だが事実だ、殿はその事で頭を痛めている。
「義助様が第十四代様となられれば三好豊前守、安宅摂津守が大和に攻めかかるのは必定。畠山様はもう頼りにならぬ」
「同意致す」
「主、弾正は大膳大夫様と力を合わせて事に当たりたいと」
「先程も言ったが当家は動けぬ」
「西近江に兵を出して頂く事は? 一万、出来る事なら二万」
「牽制か」
「然り、如何かな?」
対馬守がこちらをじっと見た。
「大和は厳しいのかな?」
「……正直に申せばかなり厳しい。松永家は常に劣勢にある。今までは畠山家との連携で何とか互角に戦えたが……。次の戦では敵は先ず信貴山城を攻撃するであろう。畠山家が紀伊に逼塞した今、信貴山城を攻撃しても挟撃される心配は無い。信貴山城が何時まで持つか」
信貴山城は河内への押さえ、多聞山城は大和の押さえ、松永にとっては両方とも失う事の出来ぬ城の筈。対馬守の口調には沈痛な響きが有った。
「大膳大夫様が居を清水山城に移してくれた事は幸いであった。敵が明らかに京方面を重視する動きを見せ始めた。何と言っても近年三好と戦って勝利を収めたのは大膳大夫様しかおられぬ。三好だけではない、京の公家達も無視出来ぬ。京方面に兵を出して頂ければ敵は京を守るために兵を割かねばならん。その分だけこちらが楽になる。それでも信貴山城を守れるかどうかは分からぬが……」
「……殿にお話してみよう」
「忝い」