想い
永禄十一年(1568年) 十二月下旬 伊勢国員弁郡梅戸村 梅戸城 進藤賢盛
「また来たのか」
「如何にも、主命にござれば」
「今年ももう直ぐ終わると言うのに熱心な事よ。朽木大膳大夫、せっかちで短気というのは事実のようだな」
次郎左衛門尉殿の言葉に梅戸左衛門大夫実秀殿が皮肉そうな笑みを浮かべた。“主命”、それが気にいらなかったのかもしれぬ。
「左衛門大夫殿、我が主はせっかちでも短気でも有りませぬ。真にせっかち、短気ならこの城、既に朽木の大軍に取り囲まれており申す」
儂の言葉に同席していた梅戸の家臣達が身動ぎをした。
「儂を脅す気か、山城守」
鼻で笑った。本気ではないと思ったか。
「そうではございませぬ。誤解が有る様なので正したのでござる。誤った認識からは誤った判断が出かねませぬ」
嘘ではない、殿は決してせっかちでも短気でもない。多少身動きが軽いのでせっかち、短気のように見えるだけだ。
「左衛門大夫殿、既にお話ししましたが我が主は梅戸家を決して粗略には扱わぬと申しております。新たに別に家を立てる事も出来ましょう。朽木に御味方されるのが梅戸家にとって吉と存ずる」
「……」
「山城守の申す通りにござる。これ以上我を張れば梅戸の家を潰す事になりますぞ」
口元に力が有る。まだ納得してはいない……。
「お主らは満足なのか? 朽木大膳大夫に仕えて不満は無いのか?」
何処か揶揄するような口調だった。
「左衛門大夫殿、六角家は滅んだのでござる」
「何を言う、次郎左衛門尉!」
「ここで六角家に義理立てしても六角家は梅戸を助けてはくれませぬぞ。六角家は滅んだのでござる! いい加減お認めなされよ!」
「……」
次郎左衛門尉殿の強い口調に梅戸左衛門大夫殿が黙り込んだ。
「これ以上の義理立ては梅戸家が無駄に滅びるだけでござろう。それで宜しいのか? そこの家臣達も無駄に死なせる事になり申す」
「……」
「左衛門大夫殿、次郎左衛門尉の申す通りにござる。無用の義理立ては梅戸家の為になりませぬ。滅びては負けでござる、生き延びてこそ勝ち。そして我等国人衆は一人では生きていけませぬ。強く信頼出来る寄り親が必要でござる」
左衛門大夫殿が大きく息を吐いた。
梅戸家を朽木家に味方させる。決して快い主命ではない。しかし梅戸家が滅ぶのを座視するわけにはいかぬ。六角家に対する最後の御奉公、そう思って引き受けた。何としても左衛門大夫殿を口説き落とさねば……。殿の我慢にも限度が有る。これ以上時をかけてはならぬ。
「梅戸家は南からは長野、北畠、北からは朽木に挟まれており申す。どちらかを選ばねばなりませぬ。長野、北畠を信用出来ますかな? 息子を長野家に養子として送り込み、その上で養父の大和守藤定、養祖父の宮内大輔稙藤を殺した北畠家を」
左衛門大夫殿が首を横に振った。
「北畠が信用出来ぬ事は分かっておる」
「ならば」
「朽木を選べと言うのであろう、次郎左衛門尉。分かっておる、それが最善の道だと言う事はな。浅井の旧臣も六角の旧臣も朽木では大切に扱われておる。儂が下れば同じように大切にして貰えよう。家臣達も朽木に付くべきだと申す、分かっておるのだ」
「……」
左衛門大夫殿が宙に視線を向けた。
「なれどなあ……、儂は亡き御屋形様と共に戦った事が、六角の旗の下で戦った事が忘れられぬのだ。お主達も居たな、皆で戦い長野を打ち払った。嬉しかった、誇らしかった。我が生涯の最良の日々であった」
「……」
懐かしい日々である。だがその事を口には出せぬ。今の儂は朽木の家臣なのだ。次郎左衛門尉殿も同じ想いであろう。
「観音寺崩れで六角家と梅戸家は疎遠になった。寂しかった、だが滅ぶとは思わなんだ。六角家が滅んだ時、あの時は心が壊れるかと思う程に寂しかった。当然よな、儂の身体には六角の血が流れておるのだ」
左衛門大夫殿が我らに視線を向けた。目が潤んでいる。
「今近江から伊勢へと兵を出そうとする者が有る。朽木大膳大夫、お主らの主じゃ。六角家と同じ隅立て四つ目の紋を使い六角家の家臣であったお主らを率いておる。昔を思い出すわ、儂にとって最良の日々じゃ。何故御屋形様ではないのだ? 何故朽木なのだ? 儂にはそれが辛うてならぬのじゃ」
嗚咽が漏れた、左衛門大夫殿が泣く、次郎左衛門尉殿、儂も泣いた。堪らなかった、何故御屋形様ではないのだろう……。
永禄十一年(1568年) 十二月下旬 摂津国島上郡原村 芥川山城 三好長逸
「今年も歳の瀬は忙しいですな、父上」
「そうだの」
忙しそうに新年を迎える準備を進める女達、男達を見ながら久介と茶を飲んでいた。今年も残り僅か、もうすぐ終わる。また一つ年を重ねる事が出来そうだ。この時期になるといつもそう思う、後幾つ生きられるか……。
「例の件、どうなりますか?」
「さあ、どうなるか。何とも言えんな」
「大和の義秋様は知らぬのでしょう?」
「そのようだ。朽木の話ではその気が有るのなら義秋様に取り次ぐとの事だからな」
「ふむ」
倅の久介が一口茶を飲んだ。
朽木が妙な話を持ってきた。次の将軍に義秋様を推戴しては如何? その気が有るのなら義秋様に取り次ぐと。
「しかし、なる話なのですか?」
「三好と朽木が手を結べばならぬ話など無いわ」
「それはそうかもしれませぬが……」
語尾が弱い、半信半疑か。無理も無い事では有るな。
「義栄様を失った今、我らは担ぐ御方が居らぬ。平島公方家は義助様を送り出す事に消極的だ。となれば義秋様をというのはおかしな話ではあるまい」
「しかし義秋様は義輝様の御舎弟、我らを憎んでおりましょう」
「我らだけではない、義秋様は平島公方家も憎んでいよう。こちらが義秋様を担ごうとしていると知った時、平島公方家がどう出るか……」
久介が大きく頷いた。喉が渇いたな、茶を一口飲んだ。
「なるほど、平島公方家は孤立しますな。では平島公方家の背を押すためと?」
「まあそういうところは有る。こちらとしても出来得るなら義秋様など担ぎたくは無い」
あの義輝が三好を討てと五月蠅く騒いだ。京に将軍としていられるのが誰の御蔭か、全く分かっていなかった。朽木に五年、少しは頭が冷えたかと思ったが却って馬鹿が酷くなっていた。ああも馬鹿では殺すしかあるまい。あの義輝の弟だ、碌なものではなかろう。案外朽木も持て余しているのかもしれぬ。能登の扱いを見れば想像が付くわ。
「しかし平島公方家がそれでも義助様を出さなければ?」
久介が伺う様に儂の顔を見た。
「公方様無しでは世が落ち着かぬ。義秋様を担ぐほかは無い。平島公方家には先に話を持って行ったのだ。顔は立てた」
思わず口調が苦くなった。平島公方家にも困ったものよ、今更降りて何になるのか。
義秋が将軍になれば必ず平島公方家を討てと騒ぐであろう、それが分からぬのか。まあ騒いだところでこちらは何もせぬ。平島公方家は三好にとって切り札よ、切り札が有るから義秋等いつでも切り捨てられるのだ。切り札を捨てる馬鹿はおらぬ。平島公方家が強気なのもそれを理解しているからであろうな。面倒な事よ。
「先程申し上げましたが義秋様は我らを恨んでおりますぞ」
「……三好は畠山を紀伊の山奥に押し込んだ。朽木は加賀、南近江を得た。久介、朽木に勝てるか?」
「……簡単には勝てますまい」
「では負けるか?」
「そうは思いませぬが……」
あの山科の敗戦以来、三好内部に朽木を侮る声は無い。朽木は今では二百万石に近い大領を所持しているのだ。畠山やかつての六角などよりも余程に手強かろう。おまけに大膳大夫、しぶといわ。
「そうよな、勝つのは難しいが負けるとも思えぬ。おそらくは朽木も同じ思いであろう。簡単には戦えぬ、そういう事よ。義秋様が将軍になる事を望むのなら戦よりも和睦の方が確実よ。となれば我らに対する恨みは捨てずとも胸の奥にしまって貰わなければならん。それが出来ねば今のままか、或いは将軍になって兄君の後を追う事になる」
久介が頷いた。
「義秋様を将軍に戴いた時、孫六郎殿、松永はどうなります? 許さぬという訳には行きますまい」
「そうよな、揉めるのはそこよな」
ま、何とかなろう。孫六郎には十河家に戻って貰えばよい。そして三好本家の家督は豊前守殿に任せよう。問題は無い筈、松永は大和に放置で良いわ。
むしろ厄介なのは本願寺よ。あの連中紀伊に勢力を伸ばしつつある。このままでは紀伊は本願寺の物になりかねぬ。北陸を失った事で代わりの地を得ようとしている様だがあの坊主共が長慶様の父君を殺した事を忘れてはならぬ。あの連中を抑えるという意味では義秋を公方に迎え朽木と手を結ぶのも悪くなかろう。
永禄十二年(1569年) 一月下旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 雪乃
突然部屋に殿がお見えになりました。そして“少し横になるぞ”と仰られるとゴロリと横に。如何したら良いのでしょう。
「殿、御部屋で休まれては如何ですか?」
「あそこは家臣達が来るのでな、休めん」
「では御方様の所は?」
「竹若丸がじゃれ付いて来る。気兼ねなく休めるのはここだけだ」
まるで落人が避難してくるような。
「ですが此処にも皆様がいらっしゃいましょう」
「皆には急にその気になったと言ってある。一刻程は誰も来るまい」
「まあ」
私がその気になったら如何するのでしょう? 此処も逃げるのかしら?
「お話しても宜しいですか?」
「構わん、仕事をしたくないだけだからな」
何時もは熱心に政務に励まれる殿が仕事をしたくない? それで嘘を吐いて私の所に? 殿は子供のようなところが御有りです。
「能登で騒動が有ったと聞きましたが?」
「ああ、重臣の温井、三宅が畠山修理大夫に殺された。温井、三宅は一族族滅だ。余程に憎かったと見える」
「ですが温井、三宅は畠山様の追放に関わっていなかったと聞いています」
殿が面白そうな表情で私を見ました。
「その通りだ。温井、三宅はそれ以前に畠山の手で追放の憂き目にあっていた。呼び戻されたのは畠山親子の追放後だ。彼らが誅されたのは別な理由だ。分かるか?」
「御重臣方が邪魔になった」
「それも有る。元々能登は重臣達の力が強かった。畠山と重臣達の勢力争いが混乱の原因だ。遊佐、長が居なくなった今、畠山にとって目障りなのは温井、三宅だ」
「……殿はそれも有ると仰られました。本当は温井、三宅は朽木に通じた、そう疑われたのではありませんか」
「そなたは聡いな」
「感心しないでください。殿と畠山様の不仲は有名ですよ。畠山様が先の戦で殿に内応した二人を疑うのは当然でございましょう」
「そうか、俺と畠山は不仲なのは事実だがそれが有名だとは知らなかった」
今度は不思議そうな御顔、本当に知らなかったの?
殿と畠山様の不仲は有名です。家の格式から言えば畠山様の方が上なのですが実力は殿の方が上。昨年の北国遠征では誰もが畠山様よりも殿を重んじるので畠山様は大分御不満だったとか。遊佐、長の遺族を殿が引き取り厚遇しているのも気に入らないようです。二人はそれぞれ一万石の禄で殿に仕えています。
「本当に通じたのですか?」
「いや、通じようとしていたところだった」
通じようとしていたところ?
「あの二人から文が届いた。畠山の領内統治が酷いという内容だった。二人が諌めても何の効果も無かったらしい。俺からも諌めて欲しいと書いてあった」
「……」
殿が御身体を起こしました。
「あの二人は早晩畠山の能登統治は失敗すると見たのだ、酷い混乱が発生するとな。その時動くのが朽木だと判断した。だから俺に文を寄越した。自分達が能登の苛政に関与していない事、諫言したが受け入れられなかったと書いてな」
「身の潔白を訴えたのですね」
私の言葉に殿が頷きました。
「そうだ、自分達を使っても大丈夫だ。能登の領民達に恨まれる事は無い、そう訴えたのだ。或いは諫言も俺に近付くためかもしれん。いずれはあの二人から出兵依頼が有っただろう。能登の領民のために畠山親子を排除してくれとな。俺はそれを口実に兵を出す事になった筈だ」
通じようとしていたとはそういう意味なのですね……。吃驚です。
「それを畠山様に知られた……」
「俺は二人に頼まれて畠山に文を出した。勿論、温井、三宅の名は出していない。しかし畠山は裏に温井、三宅の存在を感じ取ったのだろう。或いは二人が俺の名を出したのかもしれぬ、自分達の後ろには俺が居る、蔑にするな、とな。畠山は年が明ける前に二人を粛清した。御丁寧に俺には温井、三宅は不忠の臣なので始末したと文を寄越したわ。要するに温井、三宅の二人を信用するな、或いは能登の政に口出し無用、そんなところだろう」
溜息が出ました。殿方は何と厳しい世界に住んでいるのか……。
「畠山からは義秋様の元へ使者が行っている。おそらくは同じ内容の文が届いているだろう。そして朽木を抑えて欲しいとも言っている筈だ」
「では義秋様から使者が?」
殿が小首を傾げました。
「どうかな、義秋様が馬鹿なら使者が来るだろう。まともなら来るまい。この件で朽木を抑える事は無理だと分かっている筈だ。昨年細川兵部大輔に話したからな。第一能登の苛政には義秋様も関与しているのだ、口など出せまい」
義秋様も関与? 疑問に思っていると殿が義秋様への貢物のために税を重くとったのだと教えてくれました。また溜息です。
「遊佐殿、長殿と連絡を取り合っていたのでしょうか?」
「それは無い。俺が許さぬ。朽木と畠山は敵ではないが主に隠れて家臣同士での文の遣り取りなど許される事ではない」
殿は許されなかった。そんな事をしなくても能登の情報は殿の元に届いているという事なのでしょう。温井、三宅以外にも殿に通じている、或いは通じようとしている国人衆が居るのだと思います。
「上杉家は殿が能登を獲る事を承認しているのですか?」
「勿論だ、朽木と上杉の間では取り決めが出来ている」
「越中で礪波郡をお譲りされたからですか?」
「そうではない、朽木も上杉も何時までも北陸に関わってはおれぬという事よ。義秋様のした事は余計な事でしかない。上杉は内心怒っておろう」
上杉家も朽木家も足利家にとっては忠義の家と思われています。でも内実はかなり違います。朽木も上杉も先ず第一に考えるのは自分の事です。義秋様はそれを理解しているのか……。
「月が替われば伊勢に出兵する」
「梅戸左衛門大夫様は御味方に付いたのですか?」
「付いた、進藤と目賀田が良く説得してくれた。年を越したが待った甲斐が有った。これで北伊勢攻略も目処が立った」
「我慢なされた甲斐が有りましたね」
「うむ」
殿は嬉しそうです。朽木家の家臣達は殿が説得を諦めて力攻めを行うと見ていました。私もです、ちょっと意外でした。
「皆様驚いておいでですよ。殿が何時力攻めを選ぶかと思っておられましたから」
殿が苦笑を浮かべました。
「南近江の国人衆の心を踏み躙るような事はせぬ。近江は日ノ本の中心なのだ。ここをしっかりと掌握しなければ何も出来ぬ。未だ南が不十分だ。彼らの心には六角への想いが有る」
「……」
果断さの陰に隠れていますが殿は非常に慎重だと思います。
「能登攻略が終り伊勢攻略が一段落したら城を南近江に築く」
「南近江を掌握するため、ですか」
「そうだ。居を移す」
「観音寺城を御使いにならないのですか?」
殿がちょっと不満そうな表情をされました。
「そなたらしくも無いな。あれは六角家の城だ、俺の城ではない。何時までも六角への想いを引き摺らせる事は出来ぬ」
なるほど、殿が南近江に城を築くのは御自身の権威を確立するためなのでしょう。多分、城は大きな城になる筈です。
「今年は忙しくなりそうだ。能登で混乱が起きればそちらにも行かねばならん。ゆっくり出来るのは今だけだな。というわけでだ、雪乃、こちらに参れ」
「え?」
「その気になったと言ったであろう」
あれ、本当でしたの?