波紋
永禄十一年(1568年) 十一月上旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
「これが松千代か」
「はい、殿の二人目の和子です」
越中、能登、飛騨への遠征を終え北陸から塩津浜に戻ると小夜は二人目の子を産んでいた。男子だ。名は松千代、無心に眠っている。二年前、竹若丸が生まれたのも秋から冬にかけてだった。ついでに言うと俺が立ち会えなかったのも同じだ。夫として、父親として最低だな。小夜は気にしていないと言ってくれるが内心忸怩たるものが有る。こら、竹若丸。久しぶりに会ったからといってじゃれつくな。大人しく膝の上に居ろ、後で遊んでやる。少し重くなったな、こいつ。
「舅殿は良くお見えになるのか?」
「はい、ここに来ると二人の傍から離れませぬ」
小夜が心底おかしそうに笑った。
「そうか。舅殿には留守中色々と気を遣って貰った。俺が感謝していたとそなたからも礼を言っておいてくれ」
「まあ、何がございましたの?」
「大した事ではないのだ。だが主人が長きに亘って領地を留守にすると色々と起きる。舅殿、進藤、目賀田に気を遣わせてしまった」
大丈夫だ、そんな不安そうな顔をするな。
六角左京大夫が小倉左近将監高治、永田備中守賢弘を調略しようとした。問題は無い、二人はそれぞれ進藤、目賀田に相談し舅殿を通して俺に異心の無い事を誓っている。小倉、永田の二人には文を送った。その中で今回の処置に満足している事、二人の心を疑う事は無いから安心するように、今後は何か困った事が有ったら遠慮せずに自分に文を送る様にと書いた。
特に小倉左近将監には父親の後藤但馬守とは親しくしていた。随分と教わる事が多かった。但馬守が死んだ時には悲しかった。その方と後藤壱岐守は後藤但馬守の息子、不実な事はしないと信じている。壱岐守にもそう伝えて欲しいと付け加えておいた。進藤と目賀田にも文を書いた。自分が二人を疑う事は無い、遠慮せずに文を書くようにと。
後藤但馬守とは親しかったわけでは無い。俺は朽木家、後藤但馬守は六角家のために働いた。利害関係が一致するから協力しただけだ。強かな交渉をする手強い親父だった。そして憎まれ役を買って出るだけの覚悟もある男だった。好きか嫌いかで問われれば好きだし尊敬していると答えるだろう。だが親しくは無かったし利害関係がぶつかれば容赦無く敵対した筈だ。
左近将監は兄の後藤壱岐守に報告するだろう。そして後藤家、小倉家で後藤但馬守と朽木大膳大夫は親しい関係だったと言い伝えが出来るだろうな。いずれは俺が後藤但馬守の死に涙を流したなんて伝説も出来るかもしれない。その根拠となるのが俺が書いた文だ。真実ではない、だが全然問題無い。後藤、小倉の兄弟が安心して俺に仕えられる、それが大事なのだ。そのために嘘を書く。言い伝えは事実になりそして歴史になる。歴史なんてそんなものだと思う。まさに歴史は作られるのだ。
「少しはゆっくり出来ますの?」
「正月が終るまではゆっくりするつもりだ。領内の事も見なければならないし兵にも休息を与えたいからな」
「そうですね」
小夜が嬉しそうに頷いた。戦国時代の妻って可哀想だ。亭主は数カ月戦争で家を留守にするし場合によっては死ぬ事も有る。少しは傍に居てあげないと。
「でも宜しゅうございますの? 殿の御留守中大和より使者が何度も来ておりますが」
「そんな心配そうな顔をするな。使者が来たらはっきりと言う。当分動くつもりは無い」
ただ働きは嫌なんだよ。露骨に言わないけれど。それに少し周りを見ないと。今年の夏から秋は事が多かった。
美濃では信長が稲葉山城を攻略した。一色龍興は捕らわれ殺された。史実では解放されたんだがこの世界では殺された。信長は今長島一向一揆、今川と敵対関係に有る。生かしておいて両者に利用されては堪らない、そう思ったのだろう。つまりそれだけ信長は周囲の状況を厳しく見ている。或いは殺しても美濃の国人衆に動揺は無いと見たか……。
畿内では畠山と三好が戦った。河内から紀伊に戦線を移動しながら戦ったが最終的には紀ノ川沿い、九度山の近くで決戦した。動員兵力は三好が四万、畠山が二万三千。そして畠山は大敗を喫した。兵の半分を失う程の大敗だった。畠山高政は命からがら逃げたらしい。当分立ち直れんな。
勝つのは難しい戦いだった。紀伊の有力国人である湯川、雑賀、根来、湯浅衆が三好に寝返っていた。寝返った連中は紀伊の海岸部、平野部を領する国人衆だ。これを放置することは出来ない。畠山高政にとっては絶望的な戦いだっただろう。負けた事で紀伊の西半分も三好の勢力範囲になった。畠山に残ったのは紀伊の東半分だ。動員兵力は一万程にまで減った筈だ。
まあ三好が畠山を攻める事は無いだろうな。残っているのは攻め辛い山の多い土地だ。無理をすれば損害が馬鹿にならない。畠山がしかけなければ少しずつ調略で崩していくのがベストだ。畠山は徐々に追い込まれジリ貧になるだろう。義秋が使者を寄越すのも畠山に力が有るうちにという事なんだと思う。知った事か、俺はもう畠山は沢山なんだ。
三好にとっては会心の勝利かもしれないがその直後に足利義栄が死んだのは皮肉だった。三好は勝利を得たが神輿を失い義秋は支援者を期待出来なくなったが競争相手が居なくなった。まあ痛み分けじゃないの。三好は今平島公方家に次の将軍候補として義栄の弟、義助をと交渉しているらしい。朝廷、公家達もどうして良いか困っている様だ。義秋が騒ぐのも此処で俺が三好を一押しすれば自分が将軍になれると思っているからだろう。
残念だが無理だ。能登に畠山を戻した以上能登にトラブルが起きるのは目に見えている。ここで三好と事を構えれば北で騒動が起きた時対処出来なくなる。最初から俺に任せていれば三好と戦う事も出来たんだがな。義秋は自分でババを引いた。余計な事をするからだ。
俺は三好に義秋を将軍に擁立しようと相談してみようかと考えている。上手く行くかどうかは分からない。だが三好も頭からは断らないだろう、義秋を平島公方家に対するカードとして使えると判断する筈だ。暫くは三好と平島公方家で駆け引きが続く筈だ。そして義秋をカードとして利用するなら朽木との戦争は控えるだろう。
「京では殿はとても無欲な方だと評判だとか」
「どうして? 俺は近江、越前、若狭、加賀の国主だぞ。無欲では四カ国も切り取れまい」
小夜がクスクス笑い出した。
「そうですね。でも越中でも能登でも殿は何も得ていらっしゃいません。それどころか御辞退されたともっぱらの評判だそうでございます」
「まあ虫の居所が良かったのだろう」
小夜が声を上げて笑った。何でだろう? 俺の女達は如何いうわけか俺を面白がる。小夜だけじゃない、雪乃もだ。雪乃は面白そうだから此処に来たとはっきり言った程だ。時々自信が無くなるわ、俺愛されてるのかな?
無欲か、そう見えるだけだ、無欲じゃない。能登は朽木の物になった。上杉とそういう取り決めになった。輝虎と直江大和守、俺の三人で話した時、酒が欲しい、鎧が欲しいとねだった後に輝虎が言った。
“能登は畠山では頼りなし。大膳大夫殿にこそ”
直江も頷いていた。つまり輝虎も畠山親子に不信を持っている。畠山親子では能登を治めきれないと見ているのだ。能登が乱れれば越中が乱れかねない。関東攻略に集中したい上杉にとって畠山の治める能登は不安定要因でしかない。能登が乱れる事で加賀に影響が出るのを恐れる朽木と一緒だ。
実際能登は混乱が生じ始めている。混乱のその一、七尾城の中だけだった疫病が周囲にも拡散した事だ。理由は死体の片付け、糞尿の片付け、病人の移動等による二次感染だと思う。かなり酷かったらしい、疫病を怖れた鹿島郡の住人が能登から逃げ出すほどの騒ぎになった。疫病は夏が終わり暑さが消えるにつれて治まったようだが逃げた住民は戻っていない。その殆どが加賀に住んでいる。
井口越前守が彼らに新たに土地と金を与えて居住を認めた。加賀は人口が少ないんだよ、一向一揆の門徒を殺しまくったからな。所有者の居ない田畑が有って困っていたんだ。その内奴隷でも買い取って土地を与えようかと考えている。新規移住者は二年間は税を免除だ。その間に生活基盤を整えればよい。
混乱のその二、疫病で痛めつけられた能登を畠山親子が更に痛めつけた。能登国内で戦が有ったのだ。人も大勢死んだ。年貢は多少なりとも減額してやるべきなのだが畠山親子は重い税を課している。理由は義秋への貢物、側近への付け届けだ。義秋とその周囲の機嫌を取っておけば何か事が起きても朽木、上杉の軍勢を当てに出来るとでも考えているのだろう。義栄が死んだ事も影響している、義秋の価値が大きくなったと思っているのだ。だがな、冗談ではないぞ、俺は領民を苦しめる様な奴の援助などする気は無い。
混乱のその三、これは未だ始まっていないが来年雪が融ければ大規模な城造りが始まる。畠山親子は七尾城ではなく穴水城に居る。七尾城は縁起が悪いそうだ。だが穴水城も気に入らない、何と言っても長氏の城だからな。それで新たに城を造るそうだが領民にとってはさらに増税と徴用が待っている事になる。
温井や三宅が諌めたらしいが殆ど効果が無かったらしい。義秋が後ろについているから朽木も上杉も何も出来ないと思っているようだ。両者からは俺に対して文が届いている。あの二人はもう畠山親子を見放している。俺を頼むつもりだ。それを受ける形で俺から畠山親子に文を送った。能登は周辺に敵対勢力はいない。内政はゆっくりやれと。
受け入れられる事は無いだろう。だが忠告したという事実は残る。忠告を無視して苛政を行い国が混乱すれば兵を出す名目になる。能登はもう直ぐ雪が降る、全てが雪に埋もれる。だが来年雪が融ければ混乱が酷くなる筈だ。それに合わせてこちらも出兵する事になる。それまでは内政だ。
永禄十一年(1568年) 十一月下旬 大和国平群郡椿井村 信貴山城 細川藤孝
「戻ったか」
「はい、今戻りました」
私が答えると兄、三淵大和守藤英が“御苦労だったな”と笑みを浮かべて労ってくれた。
「義秋様への御報告は?」
「これからですが」
「では先に私に話してくれぬか。義秋様より御下問が有るやもしれん」
「分かりました」
内心ほっとするものが有った。良い報告ではない、少しでも後にしたいという想いが有る。
兄が近くの小部屋に私を誘った。座ると顔を寄せ小声で話しかけてきた。
「如何であった?」
「駄目ですな、当分京に向けて兵は出せぬと言っておられます」
兄が溜息を吐いた。
「朽木は動かぬか」
「はい」
「動かぬ理由は?」
「能登に不安が有ると」
「……」
「一旦三好との戦が始まれば何時終わるか分かりませぬ。能登が混乱しその混乱が加賀、越前にまで飛び火したらどうなるか。そう言われました」
兄が訝しげな表情をしている。
「畠山左衛門佐、修理大夫親子では落ち着かぬと? 謀反を起こした遊佐、長は処断されたのであろう」
「某もその事を言いましたが……」
言い辛い。
「如何した?」
「笑われました。何も分かっておらぬと。戦で大勢の人間が死んだにも拘らず畠山親子は領民に重税を課したようにござる」
「……」
兄が驚いている。
「一つは能登国主としての体面を保つ為に物入りだという事。今一つは義秋様への御礼、御側衆への付け届けのためだとか」
「なんと」
兄が首を横に振って息を大きく吐いた。羨ましい事だ、兄は首を振る事が出来る。私は恥ずかしさで顔から火が出るかと思った。とてもではないが正面から大膳大夫様の顔を見る事が出来なかった。苛政の原因の一つが自分だとは……。
「他にも年が明ければ新たに城を築くそうにござる。領民にとってはそれも大きな負担でしょう。大膳大夫様は能登が混乱すると見ておられます」
「畠山を能登に戻したのは失敗であったか。義秋様はこれ以上朽木に北に行かれては堪らぬと御考えになっての事であったが……」
「……」
近江、若狭、越前、加賀。朽木の領地は北へ、北へと延びている。義秋様としては朽木には北ではなく西に眼を向けて貰いたい。能登に畠山を戻すというのはこれ以上北には行くな、西に眼を向けよという頼みであった。
「失敗だったと思うか?」
兄が私の顔を覗き込んできた。躊躇いながら頷いた。
「最初から能登は朽木に任せた方が良かったかも知れませぬ」
益々声が小さくなった。越中、飛騨を上杉が獲った以上、朽木がこれ以上北に行く事は無い。そして朽木と上杉はこの乱世で驚く程に仲が良い。両者が北陸で争うという事はあるまい。越中を境に東を上杉、西を朽木、自然な切り分けが出来ている。となれば朽木の眼は自然と畿内を向く。
「しかしな、兵部大輔。あのままでは北陸は上杉と朽木の思いのままという事になったであろう。両者とも大身、その気になれば足利の意向等いつでも無視出来よう。畠山を能登に戻すという事は北陸に足利の意向を重んじる勢力を置くという事でも有った」
「それは分かりますが……、しかし能登が乱れれば加賀、越中にも影響が出るのは否定出来ませぬ。朽木も上杉もそれを許す事は出来ますまい」
兄が太い息を吐いた。
「却って余計な事をしたか……」
「そういう事になります。今回の畠山の能登復帰、上杉も朽木も面白くは思っておりますまい。朽木が上洛に消極的なのはその辺りも有りましょう」
お互い口には出さないが理由はもう一つある。足利にとって大大名の存在は疎ましいのだ。歴代の将軍は大大名の勢力を抑える事に腐心した。
特に畿内で力を振るう存在は許せなかった。その最たるものが三好だ。三好を倒した後、朽木がそれに代わる存在にならないという保証は無い。朽木は朝廷にも独自の繋がりを持っている。三好以上に危険だと言える。大膳大夫様が上洛に消極的なのはその辺りを察しているからであろう。良い様に利用された挙句邪魔者扱いされては堪らぬと思っているのだ。
「兄上、織田は如何でしたか? 使者は戻って来たのでしょう」
兄が首を横に振った。
「今川と長島の一向一揆が有る。上洛に兵を出すなど到底無理だと言われたようだ」
「そうですか」
分かっていた事ではあるがやはり落胆は大きかった。朽木は織田とも良好な関係を結んでいる。織田が上洛に前向きなら朽木も動く可能性は有った。
「義秋様は何と?」
「今川と織田を仲裁出来ぬかと考えておいでだ」
「それは……、難しいでしょう」
「私もそう思う。だが義秋様は諦めておらん」
纏まるまい、織田は今川にとって不倶戴天の仇なのだ。そして武田、北条と同盟を結んでいる以上、今川は西に向けて進むしかない。その事は織田が一番理解していよう。
「兄上、そろそろ」
「義秋様の下に行くか?」
「ええ」
「私も立ち会おう」
「有難うございます」
嫌な報告だ、また義秋様が嘆かれよう……。
永禄十一年(1568年) 十一月下旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
「殿、員弁郡の上木九郎左衛門、朝明郡の木俣隠岐守、茂福左衛門尉が朽木家に臣従したいと」
「良くやった重蔵」
俺が重蔵を褒めると重蔵はちょっと困った様な表情をした。
「いえ、此度の事は蒲生下野守殿の御力によるものでございまする」
「ほう、やるな、下野守。見事なものだ」
俺が褒めると下野守がちょっと眩しそうな表情をした。
「当家はいささか伊勢とは繋がりが有ります故」
「うむ。関中務大輔、神戸下総守も下野守の説得でこちらに付いてくれたな。感謝している」
俺がもう一度下野守を褒めると何時もの悪巧みメンバーが頷いた。下野守はちょっと照れたような表情をしている。良い傾向だよ、俺が褒めて喜んでくれるんだから。
「大木孫太郎、田能村左近は既に御味方すると約束しております。こうなると問題は員弁郡の梅戸左衛門大夫殿ですな」
半兵衛の言葉に皆が頷いたがちょっと前まで有った明るい空気は綺麗に消えていた。皆が難しそうな表情をしている。気持ちは分かる、俺も憂欝になったからな。
伊勢は南北に長い国だ。近江から攻めるとなれば当然だが北部から攻め込む事になるのだがこの北部、小さな国人衆の集合体だ。その国人衆が纏まったり分裂したりしながら戦国の世を凌いできた。そして南部はというと北畠氏の勢力範囲に有る。その所為だろうが史実での信長の伊勢攻略は北伊勢の攻略と南伊勢の攻略で二段階に分かれている。
北伊勢は比較的簡単に攻略出来た。だが南伊勢の北畠、こいつが侮れない。信長は北畠を攻め潰す事が出来ずに養子を送る形で取り込んでいる。だがかなり反発が強かったのだろう。後年三瀬の変によって信長は抵抗勢力を潰している。信長が本当の意味で伊勢を織田領にしたのはその時だろう。決して楽に攻め獲れる国ではない。
さて朽木家の伊勢攻略だが信長との調整は上手く行った。織田は朽木が伊勢に出る事を了承してくれた。織田にとって美濃が片付いた以上今後の主敵は今川になる。伊勢に進出するのは力の分散だ。そして朽木が伊勢に出るのは長島一向一揆を牽制するにも都合が良い。何と言っても仏敵朽木だ。長島一向一揆は嫌でも朽木に向かい合わざるを得ない。それだけ織田は行動し易くなる。織田からは御丁寧に恐縮ですと返事が来たくらいだ。
それに上杉が飛騨、織田が美濃を獲った事で両者は美濃、飛騨、信濃で国境を接する事になった。織田と朽木の関係悪化は織田と上杉の関係悪化に繋がりかねない。一つ間違うと織田は上杉、朽木、長島、今川に包囲されかねないのだ。そんな馬鹿な事は出来ない。織田は朽木の伊勢進出を認めざるを得ないのだ。越中、飛騨を上杉に譲った甲斐が有ったわ。
そして朽木は楽市楽座、関所の廃止を徹底している。朽木が伊勢を占領し関所を廃止すれば越前、近江、伊勢という日本を縦断する幹線道路が完成する。つまり織田にとって経済活動が阻害される要因は無い。尾張の経済活動は十分な恩恵を受けるだろう。
前提条件は整った。だが朽木家の伊勢攻略は必ずしも順調ではない。幾つか問題が有るのだが先ずは梅戸左衛門大夫実秀、こいつがちょっと、いや大きな問題なのだな。頭が痛い……。