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不愉快な夏


永禄十一年(1568年) 七月下旬     礪波郡増山村  増山城  椎名右衛門大夫康胤  




幕内に人が入って来た。最初に初老の男、次に壮年の男、そして未だ若い男。初老と壮年の男は畠山親子であろう。若い男が朽木大膳大夫と見た。変わった甲冑を身に着けている。朽木は南蛮の商人と取引をしている。噂に聞く南蛮鎧かもしれぬ。それにしても畠山親子は大鎧か。これまた珍しい物よ。


その後ろから上杉家の家臣達が続いて入って来た。それにしても畠山親子が此処に来るとは……。初老の男が儂の対面に当たる席に着いた。一番上座の席、本来なら大膳大夫殿が座るべき席の筈。そしてその次の座に畠山修理大夫が座った。やれやれ、儂が席を譲らねばならんか。


席を立とうとすると“そのままに”と声が掛かった。大膳大夫殿か。

「陣中なればお気遣いは無用、そのままに」

まごついていると大膳大夫殿が儂の下座の席に座った。困った、しかし関東管領殿が頷いたので“(かたじけ)のうござる”と言って一礼した。大膳大夫殿が軽く礼を返してきた。そして上杉家の家臣達が席に座った。


「大膳大夫殿、御久しゅうござる。此度は馳走忝い」

関東管領殿の言葉に大膳大夫殿が首を横に振った。

「左程の事はしておりませぬ。関東管領殿にそのように礼を言われてはむしろ恐縮にござる」

関東管領殿が声を上げて笑った。


「大膳大夫殿の悪い癖じゃ。直ぐに謙遜をされる」

「そのような事は……」

大膳大夫殿が苦笑を浮かべると関東管領殿また声を上げて笑った。なるほど、関東管領殿と大膳大夫殿は親密な間柄と聞くが真らしい。上杉家の家臣達も嬉しそうにしている。


「初対面でござろう、椎名右衛門大夫殿でござる」

「椎名右衛門大夫康胤にござる、以後は良しなに願いまする」

「朽木大膳大夫基綱にござる。こちらこそ良しなに願い申し上げる」

ふむ、噂とは違うな。気性が激しいと聞くがそのようには見えぬ。むしろ礼儀正しい気遣いの出来る男のようだ。


互いに礼をしてそののち畠山親子の紹介をして挨拶は終わった。畠山修理大夫は能登守護を名乗った。なるほど、関東管領殿に自らを認めさせようという事か。能登は関東管領の管轄外ではあるが関東管領殿の本拠地である越後は能登に近い。後ろ盾にしようという事だろう。或いは大膳大夫殿と上手く行かなかったか。あまり親しそうには見えぬ。


「神保の処分と越中の仕置を決めねばならぬ。先ず新川郡だがこれは椎名殿に治めて頂く」

「有り難き幸せ」

関東管領殿に一礼した。不満は無い、神保めに浸食されていた新川郡を丸々貰えるのなら十五万石程は有ろう。

「続いて礪波郡だがこれは大膳大夫殿に」

「それは辞退致しましょう。某への御気遣いは御無用に願いまする」

なんと、礪波郡は二十万石に近い筈、それを辞退? 皆からざわめきが起こった。関東管領殿の表情にも驚きが有った。大膳大夫殿だけが表情を変えない。


「某から一つ提案が」

「何であろうか?」

「礪波郡を南北に二つに割り北部で十万石程を神保に与え礪波郡の残りと射水郡、婦負郡は上杉家で御持ち成されては如何? その上で増山城を上杉家の物とし越中支配の根拠地とする。飛騨の事を考えるとその方が宜しいかと存ずる」

「うむ」

関東管領殿が唸った。またざわめきが起きた。


なるほど、礪波郡で十万石程、それに射水、婦負郡を合わせれば三十万石程になろう。上杉家は越中にしっかりとした立場を得る事が出来る。それに一向一揆を切り捨てた今、神保家が礪波郡で大きな力を得る事は無かろう。しかし、二十万石を捨てるとは……。

「しかし宜しいのかな? 大膳大夫殿」

「構いませぬ。当家にとっては越中が安定し北陸が安定すれば十分にござる、それ以上は望みませぬ」

関東管領殿が大きく頷いた。


「忝い。ではそのようにさせて頂く。神保右衛門尉に礪波郡で十万石与える事としよう。嫌なら攻め潰す。大和守、使者を出せ」

「はっ」

直江大和守が使者を出すために席を立った。神保右衛門尉から受諾の返事が届くまでそれほど時はかからなかった。かつての半分ほどの身代になるが不満は言えまい。一向一揆の協力が無い今、神保右衛門尉は越中で孤立しているのだから。




永禄十一年(1568年)  八月下旬     近江野洲郡木浜村  木浜城  進藤山城守賢盛




突然先触れも無く目賀田次郎左衛門尉殿が城を訊ねて来た。

如何(いかが)なされた、次郎左衛門尉殿」

「近くまで来たので寄らせていただいた」

「珍しい事も有るものだ」

「御迷惑だったかな?」

「何を言われる。茶でも進ぜよう。いやこの暑さだ、水が良いかな? 酒でも良いぞ」

「水を頂ければ有難い」


近くまで来たとは言っているが偶然では有るまい。先触れが無かった事を考えると内密に話したいという事であろうな。酒では無く水を望んだ事からも分かる。まあこちらも話したい事が有った、多分同じ話であろう。水の用意を命じると自室に案内した。


「次郎左衛門尉殿、領内の様子は如何(いかが)かな?」

次郎左衛門尉殿の顔が綻んだ。

「まあ順調かな。山城守殿は?」

「こちらも順調にござる。百姓共は眼の色を変えて石鹸作りに(いそ)しんでいる」

二人で顔を見合わせ一瞬の間をおいて声を上げて笑った。


「兵は如何程(いかほど)集められた?」

「ようやく六分から七分といったところでござろう。評定衆に任じられた以上余りに不甲斐ない所は見せられぬ。山城守殿は?」

「こちらも同じでござる」

儂の言葉に次郎左衛門尉殿が頷いた。殿からは半分集めれば良いとは言われたが流石にそれに甘える事は出来ぬ。


小姓が水を持ってきた。部屋から下がるのを待って声をかけた。

「して、今日は?」

次郎左衛門尉殿が“お気付きであったか”と苦笑を漏らした。互いに一口水を飲む。落ち着いて飲めるのもこの一口だけであろう

「少々厄介事が生じ申した。御知恵をお借りしたい。……左京大夫様が南近江の国人に使者を送っておるようだ。如何したら良いかと相談を受けた」

「……」

「驚いておられぬな。山城守殿も御存じであったか」

「如何にも存じておる。御手前の所には使者は来ぬか?」

次郎左衛門尉殿が首を横に振った。


「某の所にはござらぬ。評定衆に任じられましたからの。厚遇されておる、不満など無いと思ったのでござろう」

「確かに。某の所にも参らぬな」

二人で顔を見合わせて笑った。自分でも可笑しなくらい厚遇されていると思う。外から見れば尚更であろう。


「使者が参ったは小倉左近将監の所でござる」

「なるほど、そこか。良い所を狙う」

次郎左衛門尉殿が頷いた。小倉左近将監高治は後藤但馬殿の次男で有ったが左京大夫様の命で小倉本家の当主となった。その事で恩に感じている筈と思われたか……。

「左近将監はかなり困惑しており申した。左京大夫様に恩が無いとは言わぬ。しかし御味方する事は出来ぬ、これ以上小倉の家を混乱させる事は出来ぬと」

「……」


「小倉本家は二代に亘って他家から養子を迎え申した。その事で左近将監はかなり分家の者達に配慮せねばならぬらしい」

「分家の者達は左京大夫様を恨んでいよう」

儂の言葉に次郎左衛門尉殿が頷いた。

「小倉の騒動に左京大夫様が介入されなければあの騒動はもっと早くに解決した筈。その左京大夫様の命で小倉本家の当主になった。そういう意味でも左近将監は分家に配慮せねばならぬ立場にある。恩等と言っているような余裕はござらぬ」

思わず溜息が出た。


「左近将監ははっきりと断ったのかな?」

「無論の事、しかし相手に諦める様子は無かったという事でござる。殿が塩津浜に居られれば直ぐにも報告しそれで終わるのだが……」

殿は北陸に遠征中だ。既に越中を下し今は能登を攻略中と聞く。攻略は順調、直に埒が明くらしい。だが戻るまでには未だ間が有ろう。


「殿が居られぬ今、二度、三度と使者が来ては妙な噂が立ちかねぬ。その時殿が、その周辺が如何思うか。左近将監はそれを怖れている」

「或いはそれが左京大夫様の狙いか」

「かもしれぬ。左近将監は実兄の後藤壱岐守にも相談しておらぬ。但馬殿があのような事になったからであろうが後藤の家を捲き込みたくないと考えている様だ」

次郎左衛門尉殿の口調が苦い。左京大夫様と言うよりも本願寺の顕如かもしれぬ。左京大夫様は石山に居られると聞いている。


「相談を受けた某も胸を張って請け合う事が出来ぬ。何と言ってもこちらも元は六角家の家臣。某が左近将監の潔白を保証しても周囲が信用せぬ可能性が有る」

「それは某も同じ事」

殿は家臣を差別せぬがだからと言って無条件に信じられているという事にはならぬ。そこは履違えてはなるまい。


「山城守殿の所には誰が?」

「永田備中守が相談に参った。永田家は高島七頭の一つ、永田家の分家だ。その事で脈が有ると思ったらしい」

「愚かな」

次郎左衛門尉殿が溜息を吐いた。確かに愚かではある。分家と言っても既に他家も同然の関係、永田備中守賢弘にとっては迷惑な話でしかあるまい。


「正直に話すが現時点で南近江の国人衆が殿に反旗を翻すなどとても某には考えられぬ」

儂の言葉に次郎左衛門尉殿が頷いた。

「某も同感でござる。朽木に服して約一年、領民達は喜んでおり申す。税が安くなり物の値も下がった。戦に行く必要も無い。この状況で朽木に反旗を翻して領民達が納得するとは到底思えぬ。殿に荷止めされたらどうなるか、それこそ領民達が我らに反旗を翻しかねぬ」

次郎左衛門尉殿の言葉に思わず息を吐いた。


「左京大夫様はその辺りを分かっておられぬのだ」

儂の言葉に次郎左衛門尉殿が頷いた。どの大名でも国人衆の統制には気を遣う。緩めず締め付け過ぎず、時に褒め時に叱責する事で自分に心服させる。決して容易な事では有るまい。敵よりも国人衆の方が扱いは難しい。一つ間違えば国が乱れ滅ぶ事も有るのだ。六角家も最後は国人衆に見離されて滅びた。


その点では朽木家の国人衆に対する扱いは極めて緩やかと言って良い。人質を取る事も無ければ手伝い普請を命じる事、無理な軍役を命じる事も無い。敵にとっては殿の国人衆への統制力は弱く付け込む隙が有る様に見えるのであろう。だが違うのだ、殿が支配しようとしているのは国人衆ではない。殿の(まつりごと)で豊かになった領民達、商人達だ。


朽木の支配下にある限り豊かで安全でいられる。そこから外れれば全てを失う。次郎左衛門尉殿の言う通りよ。殿に反旗を翻せば忽ち領民達が離れるに違いない。外からは見えぬのかもしれぬが内に居れば良く分かる。殿の国人衆に対する統制力は極めて強力だ。離れては生きていけぬ。


「山城守殿、我ら両名が連名で殿に文を書いては?」

「そうだな、先ずは我らが文を書こう。……だが殿に直接書くのでは無く誰か殿の御信頼の厚い方、そして左近将監、備中守を良く知る方に書くとしよう。殿にはその方から文を書いてもらう」

次郎左衛門尉殿が眉を顰めた。


「そのような都合の良い方が居られるか? 居れば重畳だが」

「加賀守殿が居られよう」

「加賀守殿? 平井殿か!」

「うむ、加賀守殿は若君竹若丸様の祖父、間違っても朽木家に害を成す事は無い。誰よりも朽木家を第一に思っておられる事は皆が認める筈」

儂の言葉に次郎左衛門尉殿が明るい表情でウンウンと頷いた。


御方様も臨月間近、加賀守殿も落ち着くまいな。そのような時に頼むのは少々気が引けるが……。御方様が本当に承禎入道様の姫君であられたらな。さすればあの観音寺崩れの後、殿を六角家の御養子に迎える事も出来たであろう。近江は争いも無く統一され六角家は新たな当主の下でより強く輝いた筈……。いや、例え養女であろうとも殿を六角家に御迎えすべきではなかったか? さすれば血統は途絶えようと近江守護六角氏の名跡は残せた。考えなかったわけでは無いが今一歩踏み出せなかったな……。




永禄十一年(1568年)  八月下旬     能登国鹿島郡古屋敷村     朽木基綱




越中攻略後、朽木、上杉、椎名、神保、それに畠山の連合軍四万五千は能登に侵攻した。それに対して遊佐、長は戦力を七尾城に集結する事で抵抗した。国人衆だけではない、一向一揆、そして越中からの逃亡者。俺に寝返りを約束した温井、三宅達も七尾城に入った。無理矢理集められたようだ。


七尾城の総勢は二万を越えた。城攻めの前に先ずは能登の制圧をしようという事になった。その方が敵の士気を挫き易いと思ったからだ。温井、三宅達も寝返り易い。上杉、椎名、神保軍が七尾城を包囲し朽木軍が羽咋郡、鹿島郡、鳳至郡、珠洲郡を制圧した。制圧そのものは難しくなかった。兵が殆ど居ない空き家の様な城ばかりだったから。


制圧を終えて戻ると七尾城が落ちていた。大小の尾根にも無数の砦を配置した堅固そうに見える城でちょっと観音寺城に似たところが有る。なかなか落ちないだろうと思ったんだがあっけない程に簡単に落ちていた。こんな事って有るんだな、ちょっと意外だった。七尾城が落ちた原因は軍事的なものではない。この城が欠陥住居だったから、つまり造った奴が阿呆だったからという現代なら訴訟が起きそうな理由が原因だ。訴えられるのは畠山義続、義綱親子になるんだがまあ城に居た連中は不法侵入だから自業自得だろう。畠山義続、義綱親子の祟りだな。


この城、二万人を収容するスペースは有ったのだが二万人が生活出来る機能が無かった。つまり糞尿の処理が追い付かず城内の各所に糞尿が溢れ不衛生な状況になった、端的に言えば居住空間が無駄にデカかったのだ。おまけに夏だ、暑さで食物は傷み易く食中毒を起こし易い。ここまで条件が揃えば疫病が発生するのは時間の問題だった。そしてO-157とか赤痢みたいな奴が発生した。疫病、死体。死体も傷みやすい、城内は悲惨な状況になった。風の強い日は城から悪臭が城を囲む上杉軍にまで届くほどだった。外回りしていて良かった。


温井や三宅が寝返るまでも無かった。このままでは戦えない、糞尿に塗れて死ぬのは嫌だ。という事で俺が七尾城に戻る前に連中は降伏した。疫病で死んだ犠牲者は足軽や一向一揆の坊主、門徒に多かった。結構上級の武士達には被害が少ない。理由は石鹸だ。


上級の武士達は石鹸を使っていたから衛生面では比較的恵まれていた。足軽はそんなの使わないし坊主、門徒は朽木の作った石鹸なんて使う筈が無い。不衛生な手で物を食っていれば当然だが病気になる。遊佐や長が降伏を決めた理由に坊主、門徒達が大勢死んで少数派になった事。石鹸を使いきって危険だと判断したというのが有ると知った時には吃驚した。石鹸は籠城の必需品だな。軍需物資に格上げだ。益々売れるだろう。


これから降伏した連中を引見する。場所は上杉の陣だ。七尾城は危ないからな。でもあんまり上杉の陣には行きたくない。上杉の武将達って困るんだよ。直江とか本庄は“御立派になられて”なんて言って涙ぐむし他の連中も俺の顔を見て澄み酒が美味しいとか珍陀酒を飲んでみたいとか、南蛮鎧が欲しいとか言い出す。輝虎も鎧が欲しいって言ってた。後で用意しないと、越後上布とバーター取引だな。さて、行くか……。




上杉の陣に着くと直ぐに席に案内された。正面に輝虎と俺の席、そして畠山親子、椎名、神保、上杉の家臣達が下座に控えた。これって良いの? 俺は関東管領と同格? 少なくとも屋形号を許された能登守護畠山家の上になるぞ。畠山親子が喰い付きそうな目で俺を見ている。俺がやらせたわけじゃないぞ。


先ず畠山修理大夫義綱が能登国主として復帰する事が確認された。三宅、温井等既に寝返りを誓っていた者は許され今後は重臣として修理大夫を支えて行く事も確認された。それ以外の畠山家臣、遊佐、長を除く連中は罰金を払って許される事になった。坊主・門徒共は全員死罪。越中から能登に逃げた神保の家臣達は神保右衛門尉に引き渡された。おそらく右衛門尉の手で殺されるだろう。そうしなければ右衛門尉の立場が危うくなる。


最後に遊佐美作守続光、長対馬守続連が席に引き出された。二人とも白装束だ、降伏の条件が両者の切腹、一族の追放だった。既に死は覚悟しているだろう。

「謀反人共めが!」

畠山修理大夫義綱が憎々しげに吐き捨てた。二人の表情は変わらない。それを見て更に左衛門佐が顔を歪めた。


「遊佐美作守、長対馬守、その方等には切腹を命ずる」

輝虎の言葉に二人が一礼した。

「最後に何か言う事が有るか?」

遊佐美作守、長対馬守が顔を見合わせ美作守が口を開いた

「我らの一族は国外追放との事でござるが……」

「うむ」

「朽木大膳大夫様に庇護を願いとうござる」


「何を言うか!」

「控えろ!」

畠山親子が喚いた。だが遊佐美作守、長対馬守は視線を俺に向けたままだ。この二人、残った一族が危険だと考えているな。俺に召し抱えて欲しいという事か。認める事は出来ぬと喚く畠山親子を輝虎が抑えた。

「俺で良いのか? 関東管領殿も居られるぞ?」

「朽木家は外様に優しいと聞いておりまする、何とぞ」

また頭を下げた。断れんな、死を覚悟した人間の頼みは断れん。


「良かろう、その願い聞き届ける。残された者の事は心配するな。安心して腹を切るが良い」

二人が頭を下げ畠山親子がまた騒いだが輝虎が一喝して黙らせた。二人の切腹にも立ち会った。見ていて気持ちの良い物じゃなかった。畠山親子が満足そうに見ているのが更に不愉快な気分にさせた。暑くて不愉快な能登の夏だった。




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