乱世の掟
【朽木家】
朽木民部少輔稙綱 弥五郎基綱の祖父
朽木小夜 弥五郎基綱の妻 平井定武の娘
日置五郎衛門行近 朽木家家臣 譜代 評定衆
日置左門貞忠 朽木家家臣 譜代 五郎衛門行近の息子
黒野重蔵影久 朽木家家臣 八門の頭領
大津八左衛門兼俊 朽木家家臣 旧六角家臣 大津奉行
【六角家】
六角左京大夫輝頼 六角家当主 細川晴元の実子、六角家へ養子に
駒井美作守秀勝 六角家臣 草津奉行
平井加賀守定武 六角家臣 六角家の重臣、六人衆の一人
平井弥太郎高明 六角家臣 平井加賀守定武の息子
【三好家】
三好修理大夫長慶 三好家前当主
三好孫六郎重存 三好家当主 十河一存の息子、三好本家へ養子に
三好豊前守実休 長慶の弟 孫六郎重存の伯父
安宅摂津守冬康 長慶の弟 孫六郎重存の伯父
松永弾正忠久秀 三好家家臣
内藤備前守宗勝 三好家家臣 松永久秀の弟
【足利家】
足利義輝 第十三代将軍、永禄の変で死去
一乗院覚慶/足利義秋 義輝の弟 史実における第十五代将軍足利義昭
足利義親(義栄) 義輝の従兄弟 史実における第十四代将軍足利義栄
細川兵部大輔藤孝 足利義輝、の家臣
【畠山家】
畠山修理亮高政 畠山家当主 紀伊・河内の守護
【織田家】
織田上総介信長 織田家当主 尾張の国主
【一色家】
一色右兵衛大夫龍興 一色家当主 美濃の国主
【本願寺】
顕如 本願寺第十一世宗主
永禄九年(1566年) 八月下旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
「久しいですな、兵部大輔殿」
「真に久しゅうござる」
「此度はお手数をお掛けしました。心から感謝しております」
「大した事ではありませぬ。御役に立てて何より」
塩津浜城の書院で俺は細川兵部大輔藤孝とお茶を飲んでいる。穏やかにお茶を飲んでいるが此処に来るまでには色々と有った。それを考えればちょっと不思議でもある。
「左京大夫殿の御機嫌は如何ですかな」
「当然では有りますが宜しくは有りませぬ」
藤孝が首を横に振った。
「それは困った事、しかし元はと言えば左京大夫殿が舅を粗雑に扱った事が原因、已むを得ませぬな」
「……」
「左京大夫殿は御存じないかもしれぬが我妻は今は亡き承禎入道様の養女として、つまり六角家の娘として朽木家に嫁いだ者。当家と縁が有るからというだけで平井加賀守を敵視するのは、いささか筋違いというものでござろう」
悪いのは左京大夫、俺じゃない。そこを良く義秋に伝えてくれよ、藤孝殿。
七月も終わる頃、平井の舅殿が朽木に服属してきた。誘ったのは俺だが正直驚いた。まさか本当に? そんな感じだ。もっともそれだけ舅殿は追い込まれていたという事でも有る。息子の弥太郎の話では小夜が懐妊してからは左京大夫の当たりが一段と酷かったらしい。
舅殿が朽木に付いたのは小夜と生まれてくる子供の事も理由として有った筈だ。平井一族が左京大夫に攻め滅ぼされれば小夜は後ろ盾を失う。そうなれば小夜と生まれてくる子供の地位は極めて不安定なものになる。であれば朽木について小夜と小夜の産む子供を守りつつ平井の勢力を拡大した方が良い。
まあ当然だが平井の離反に六角左京大夫は怒り狂った。平井を潰せ! と号令をかけ兵を集めようとしたのだがなかなか集まらない。無理も無い、平井の離反が発覚したのは八月に入ってからだ。あと一月もすれば収穫の時期になる。戦争が長期化すれば収穫にも影響が出る。どうせなら収穫が終わってからで良いじゃないか、そんな思いが有ったのだと思う。だが明らかに左京大夫の統制力は落ちている。承禎入道の命令ならある程度の兵は集まった筈だ。
国人領主達の気持ちは分かる。でも俺がそれに付き合う必要は無い。こっちは直ぐに軍を展開させた。朽木本家の軍勢は水軍を使って草津に上陸。堅田の水軍が制海権? いや制湖権になるのか、それを確保しつつ朽木の水軍が兵の輸送を行った。思いのほかに上手く行ったな。
一万の兵を素早く草津に展開する事が出来た。六角の国人衆に対しても十分な示威になった筈だ。今後の調略がし易くなる。そして伊香郡の国人衆に対しては越前の動きに備えるように命じ、浅井郡、坂田郡の国人衆は今浜城に集結させた。今浜城の守備兵と合わせれば四千程の兵が今浜城に集結した。
今浜城を守っている左門には城を守って外には出るなと命じた。城を守りつつ敵の戦力をある程度引き付けてくれれば良いのだ。案の定、南近江の東部では左京大夫の命令を拒否し自領の守りを固める国人衆が続出した。収穫前に兵を出したくないと思う国人衆にとっては好都合な事態だっただろう。
俺の方は栗太郡の国人領主達に書状を送った。
『今回の一件はあくまで舅、平井加賀守を守るためで栗太郡を切り取ろうとしての事では無い。だからこちらから皆を攻めるような事はしない、安心して貰いたい』
それまで栗太郡は結構ざわついていたんだがな、この書状を送るとある程度落ち着いたようだった。左京大夫が平井に辛く当たっていた事は皆が知っている。離反は仕方が無い、そう思ったのだろう。
そうこうしているうちに足利義秋が仲裁に入ってきた。義秋にしてみれば朽木も六角も両方味方に付けたい。ここは両者に恩を売って……、そんな事を考えたのだと思う。それに金の問題も有る。平島公方家の足利義親が従五位下左馬頭に補任され義栄と改名した。室町時代において左馬頭は次期将軍が就任する官職とみられている。つまり義栄は次期将軍候補と認められたわけだ。将軍宣下も間近だろう。
一方の義秋は今苦しい立場にある。三好孫六郎重存と共に松永久秀の居城、大和の多聞山城に居るのだが義栄側の三好豊前守、安宅摂津守、そして奈良の寺社勢力、筒井氏等の勢力に攻められ形勢は良くない。河内、紀伊の畠山が味方に付いているとはいえ劣勢だ。
義秋としてもそれに対抗するだけの地位が欲しい。そして出来れば先に将軍宣下を受けたい。だがそれには金がかかる。仲裁して謝礼金を、そして上手く行けば六角、朽木を味方に、そう考えているのだ。大丈夫、兵を出せというなら断るが金なら多少の援助はOKだ。謝礼金はきちんと払うさ。俺は恩知らずじゃないしケチでもないからな。
左京大夫の周囲は収穫の時期も近いし兵も集まらない。このままでは朽木に良いようにやられる。仲裁を受け入れた方が良いと言って左京大夫を説得した。俺も仲裁を受け入れた、ここで無理をする事は無い。結果は現状の追認だ。栗太郡の中で駒井と平井は朽木の家臣と認められた。それと鯰江の伯父を朽木で引き取った。ま、今回はこんなものだろうな。
栗太郡を今切り取るのはちょっと難しい。ここには六角家の家臣の中でも進藤、青地等の有力者が居る。彼らは実力も有れば人望も有るのだ。左京大夫は怖くないが彼らは怖い。一つ間違うと両家を中心に反朽木で纏まりかねない。史実では信長の前に殆どが降伏したが信長は三万以上の兵を率いていた。一万五千がやっとの俺ではどうなるか分からない。
先ずは湖南から湖東にかけて調略を行う。そして越前を切り取り力を付けよう、その上で湖南を、湖東を切り取る。今回は威力偵察、そんなところだ。六角は兵を出せなかったが俺は出せた。その意味は大きい。南近江の国人衆達は左京大夫を頼もしからず、そう思っている筈だ。無理をせずに少しずつ。もっとも目の前の藤孝はそんな事は分かっているだろうな。
「義秋様は大膳大夫様を頼りにしておりまする」
それ、止めて。
「朽木家よりも六角家を味方にした方が利は大きゅうござろう。此度の仲裁、六角家を引き込む良い機会と存ずる」
足利とはあんまり御近付きになりたくないんだよ。藤孝が俺を見た、笑みを浮かべている。
「大膳大夫様の御考えは分かりますが……、六角家は頼りになりませぬ。霜台様もそのようにお考えです」
「霜台殿が」
霜台か……、松永久秀の官職は弾正忠、弾正台の職員だが霜台は弾正台の唐名だ。この畿内で霜台と言えば松永久秀を指す。久秀は大和北部を六角から奪った。六角が味方になるとは思えないのだろう。ついでに言えば六角は比叡山の坊主共を傍に置いている。奈良の坊主共と険悪な状況にある久秀としては六角は坊主共の一味に見えるに違いない。そして叡山を焼いた俺は御友達というわけだ。
「義秋様に御力添えを願えませぬか。皆、大膳大夫様が御味方下さらぬ事を不安に思っておりまする。義秋様の御器量を御見限りになられたのかと」
例の鼎の軽重か? 会ってもいないのに見限るも何も無いだろう。大体なんで俺が足利の忠臣になっているんだ? 俺は足利は好きじゃないぞ。
「某が義秋様の味方になっても意味は有りませんぞ」
「と申されますと?」
藤孝が不思議そうな表情をしている。こいつらってだらだら戦争やるのが好きなんだな。
「朽木は大きくなったとはいえ五十万石。兵力は一万五千程。越前、そして六角への抑えを割けば京方面に出せるのは精々七千程でしかない。余り役に立つとは思えませぬな。せめて三万は動かさなければ……」
「三万と申されますか……」
藤孝が呆然としている。
この世界の三好は三好実休、安宅冬康が生きているだけ史実より強力だ。そして松永も弟が生きているだけに史実より強力ではある。俺が七千程の兵で参戦しても決定的な勝利を得る事は難しい。つまり戦争が続くという事だ。一番拙い戦い方だ。
信長の上洛軍は最終的に七万程になったという覚えが有る。だが信長本隊の軍は三万程だった。だが三万という大軍が有ったから京への進軍の最中に参加者が増えたのだ。そして七万という圧倒的な大軍になったから敵は逃げた。大軍を動かすのは色々と費用がかかる。しかし結果的には短期で終了し費用も安く上がる。
「しかし三万と言えば……」
「越前、南近江を領する必要が有りますな」
加賀への抑えに最低でも五千は欲しい。それを考えれば朽木の総兵力は三万五千以上、百二十万石程は必要だ。如何見ても南近江を獲る必要が有る。銭で雇う事は可能だが銭だけの収入に頼るのは危険だ。やはり米の収入の裏付けが欲しい。
「或いは織田殿が美濃を制すればその力を借りる事が出来ましょう」
「織田ですか?」
「左様」
不思議そうな顔をしている。現時点で義秋とその側近には信長の力を借りるなんて発想は頭に無いという事か。
「織田が尾張、美濃の両国で百万石、朽木が最低でも五十万石、合わせれば三万は堅い。それをもって六角家に圧力をかけ上洛戦に参加させれば四万、その四万を近江から京へ。松永殿が大和から、畠山殿が河内、紀伊から。十分な兵力を用意して三方から攻めれば必ず勝てる」
「しかし織田に美濃が獲れましょうか?」
「獲るとは思いますが……」
藤孝が首を傾げている。俺もちょっと不安だ。多分信長は美濃を獲る。だが何時かと言われれば俺も首を傾げざるを得ない状況に有る。墨俣に城は築いたが調略は思うように進んでいない。理由は三つ。第一に墨俣に城を築いたのが俺の案で築城方法も俺の案だという事が広まった事。つまり織田は大した事が無いと思われている。信長は桶狭間で今川義元を討ったんだけどな。
第二にこの世界では竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り事件が起きていない。一色龍興の権威は微妙に地に落ちていないのだ。稲葉山城の難攻不落伝説は健在だ。第三に伊勢長島の問題が有る。こいつらが一色と同盟を組んで織田の足を引っ張っているという現状が有る。美濃の国人衆は織田に付く事を躊躇っている。美濃攻略にはまだ時間がかかるだろう。
「時間はもう少しかかるやもしれませぬ」
「……」
「ですから今は六角家を味方に付ける事が大事」
「義秋様が納得されるかどうか……」
藤孝が沈んだ表情をしている。まあ頑張れ、俺は積極的に義秋のために動く気は無い。呼べばすぐ来るなんて思われるのは御免だ。六角に押し付けておこう。
「ところで兵部大輔殿、一つ教えて頂きたい事が有る」
「何でございましょう」
「義秋様は何故兄の仇である三好孫六郎殿と行動を共にされているのか、その事でござる」
俺が問い掛けると藤孝が大きく頷いた。
「孫六郎殿は嵌められたのでござる」
嵌められた? やはり裏が有るか……。
永禄九年(1566年) 九月上旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
「では内部分裂は必至か」
俺が問うと重蔵が口元に笑みを浮かべた。
「既に加賀の門徒達と越前の門徒達の間で今年の税を巡り騒動が起きておりまする。収まる事は有りますまい」
まあね、煽る人間が居るから収まる訳は無いよな、重蔵。命じたのは俺だけど。
「それで、今攻めるべきか? それとも明年にすべきか?」
十兵衛、半兵衛、上野之助に問い掛けると三人が顔を見合わせ、十兵衛が口を開いた。
「直ちに攻めるべきかと思いまする」
「雪が降るまで刻が無いぞ。門徒共に潰し合いをさせ明年攻める方が良くは無いか?」
「殿、明年まで待つと四月、五月まで門徒達が相争う可能性が有りまする。そうなると米の収穫が……」
「それが有ったか。……飢饉とはいかなくても凶作は必至だな」
重蔵、十兵衛、半兵衛、上野之助が頷いた。今攻めるべきか。だが攻め切れるかな? 難しいだろうな。丹生北、今南、今北辺りまでか……。その事を口にすると半兵衛が首を横に振った。
「若狭の海賊衆に海沿いの湊を襲わせまする。それに合わせて軍を北上させるのです。さすれば坂南、坂北まで切り取れましょう。それから東に向かい後方から一揆勢を襲う形を取れば加賀の門徒は帰路を断たれる事を怖れて加賀に逃げる筈」
「そう上手く行くかな? ……若狭の海賊衆だが大丈夫か?」
戦力化出来てるのか? 疑う訳じゃないけどずっと内乱起こしていた連中だぞ、今一つ信用出来ないんだよな。
「多分、大丈夫だと思いまする」
半兵衛の答は歯切れが悪かった。十兵衛、上野之助、重蔵の表情も渋い。
「……分かった、此処で一度使ってみよう」
まあ良いか、以前から水陸両用作戦をやって見たかったんだ。琵琶湖では上手く行った。今度は海で試験だな。上手く行けば加賀でも使える。
「殿、一つ御検討頂きたい事が」
「何だ、上野之助」
「越前の一向宗の事でございまする」
「……」
「本願寺派と対立しておりまする高田派、出雲路派、三門徒派、誠照寺派等は布教を御認め頂きたく……」
上野之助が緊張している。俺って坊主嫌いと思われているらしい。出雲路派、三門徒派、誠照寺派はいずれも一向宗だが本願寺とは対立している高田派の系統を引いている。高田派は本願寺と対立している所為かもしれないが統治者寄りだ。当然出雲路派、三門徒派、誠照寺派も統治者寄りと言える。
そして高田派を率いるのが俺にとっては母方の伯父に当たる尭慧だ。そして叔母の一人が一向宗佛光寺派を率いる佛光寺経範に嫁いでいる。佛光寺派も高田派の系統だ。妙な話だが飛鳥井家は一向宗と結構縁が深い。しかも本願寺とは敵対する勢力とだ。顕如が俺を嫌うのはそれも有るのかもしれない。
「御認め頂ければ越前制圧は速やかに進むものと思われまする」
「構わぬぞ、但し条件が有る」
「と申されますと?」
「宗門の教えを以って門徒を唆し政に関与するような事はせぬ、それを守れるなら認める。例え本願寺であろうとな」
四人が顔を見合わせ頷いた。
「それを起請文として頂きたく思いまする」
「良かろう。相手からも起請文を取れ。決して政に関与せぬとな」
「はっ」
朽木は政教分離が原則だ。一向宗だろうと政治に関与しない限りは認める。だが政治に関与しようとするなら例え高田派と言えども処罰する。それを徹底しよう。先ずはこれが最初だ。
「五郎衛門を呼べ」
上野之助が席を立って五郎衛門を呼びに行った。今回は五郎衛門には六角の抑えをして貰わなくてはなるまい、清水山城に入って貰おう。今浜城の左門と協力しながら六角を抑える。清水山と今浜で五千、越前出兵には一万が限界だな。門徒共が仲間割れしているとはいえ厳しい現実だ。俺の傍には五郎衛門の代わりに真田に付いて貰おう。……小夜の出産には立ち会えんな。後で詫びておかないと。代わりに弥太郎に傍に居て貰おう。少しは心強い筈だ。
永禄九年(1566年) 十二月中旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木小夜
「兄上、殿は?」
「間もなく越前には雪が降る。その前には近江に戻られる筈だ」
「ではもう直ぐ戻られるのですね」
「ああ、嬉しいか?」
「はい」
もう直ぐ弥五郎様に会える。和子を御見せ出来る。すぐ隣で無心に眠る和子を見た。名前は竹若丸、弥五郎様と同じ御幼名。越前に行かれる前に決めて行かれた御名。男子ならば竹若丸、女子ならば竹姫。男子で良かった……。
「今回の遠征で越前の西半分は朽木領になった。残っているのは大野郡、吉田郡等だが既に門徒衆には力が無い。明年には越前は朽木家の物になっておろう」
「そうなのですか、兄上」
「うむ、門徒達は加賀の者と越前の者で争っている。殿は見事にあの者達を分裂させたわ」
「殿が?」
驚いて問い返すと兄が楽しそうに頷いた。
「朽木家の忍びは凄腕の者達が揃っておる。門徒達を見事に仲違いさせたぞ。彼らが一つに纏まっていれば手強かろうがそうなる事はもうあるまい。加賀の門徒達は加賀に逃げ帰るので精一杯であろう」
「越前が朽木家の物になれば朽木家の所領は百万石を超える」
「百万石……」
実感が湧かなかった。私が嫁いだ時、朽木家は十万石程の小大名だった筈。それが今では百万石に達しようとしている……。兄の言葉に溜息が出そうになった。そして竹若丸はその跡継ぎ……。
「これで平井の家も安泰だろう」
「兄上?」
問い掛けると兄が柔らかく笑みを浮かべた
「六角家も平井の家を攻める事は出来ぬ。むしろ今後は朽木が六角を攻める事になる筈だ」
「やはりそうなりますの?」
兄が“うむ”と頷いた。
「六角左京大夫は愚かにも少々朽木への敵意を露わに出し過ぎた。殿も看過は出来ぬ筈だ」
「殿が以前仰られた事が有ります。食わなければ食われる。食う事を躊躇ってはならぬ。食う事で生き残れる、それが戦国の掟だと」
兄が大きく頷いた。
「その通りだ、小夜。左京大夫は六角家は名門、朽木は格下と言っていたがそんなものはこの乱世では何の役にも立たぬ。左京大夫は戦国の掟を理解しておらぬ」
口調が冷えていた。兄はもう左京大夫様へは敬意を払わない。そしてそれを隠そうとしない。兄にとって主家はもう朽木なのだ。兄は已むを得ずではなく心から朽木家に仕えようとしている。
「兄上、六角家は如何なりましょう」
兄が私を見た。
「……泥舟だな」
「泥舟?」
問い返すと兄が“そうだ”と言って頷いた。
「戦国の掟が理解出来ぬ者には誰も付いて行かぬ。付いていけば滅びる事になるからな。国人衆達は離れ六角は水に溶けたように無くなってしまうだろう。泥の様に……」
六角が滅び朽木が興る、乱世なのだと改めて実感した。