三好家分裂
【朽木家】
朽木民部少輔稙綱 弥五郎基綱の祖父
朽木小夜 弥五郎基綱の妻 平井定武の娘
日置五郎衛門行近 朽木家家臣 譜代 評定衆
日置左門貞忠 朽木家家臣 譜代 五郎衛門行近の息子
黒野重蔵影久 朽木家家臣 八門の頭領
大津八左衛門兼俊 朽木家家臣 旧六角家臣 大津奉行
【六角家】
六角左京大夫輝頼 六角家当主 細川晴元の実子、六角家へ養子に
駒井美作守秀勝 六角家臣 草津奉行
平井加賀守定武 六角家臣 六角家の重臣、六人衆の一人
平井弥太郎高明 六角家臣 平井加賀守定武の息子
【三好家】
三好修理大夫長慶 三好家前当主
三好孫六郎重存 三好家当主 十河一存の息子、三好本家へ養子に
三好豊前守実休 長慶の弟 孫六郎重存の伯父
安宅摂津守冬康 長慶の弟 孫六郎重存の伯父
松永弾正忠久秀 三好家家臣
内藤備前守宗勝 三好家家臣 松永久秀の弟
【足利家】
足利義輝 第十三代将軍、永禄の変で死去
一乗院覚慶/足利義秋 義輝の弟 史実における第十五代将軍足利義昭
足利義親 義輝の従兄弟 史実における第十四代将軍足利義栄
細川兵部大輔藤孝 足利義輝、の家臣
【畠山家】
畠山修理亮高政 畠山家当主 紀伊・河内の守護
【商人】
組屋源四郎 若狭の商人
古関利兵衛 若狭の商人
田中宗徳 若狭の商人
永禄九年(1566年) 六月中旬 近江高島郡安井川村 清水山城 朽木基綱
「御爺、具合は如何じゃ」
「心配はいらん、この通り起きている。具合の良い日には櫓台に行く事も有る」
「そうか、なら良い。だが余り無理をしてはいかん」
「分かっておる。そう病人扱いするな」
御爺が苦笑を浮かべた。少し痩せたようだな。一回り小さくなったような気がする。だが顔色は悪くない。その事にほっとした。
一月の末に風邪を引いて寝込んだらしい。その後は寝たり起きたりが続いている。腹の立つ事は俺に内緒にしていたことだ。俺が知ったのは二月も末になってからだった。今日は具合が良いのだろう、きちんと服を着て部屋で俺を応待している。
「やったのう、これでお前も国持大名か」
「そういう事になるな。但し小さい若狭の国主だが」
御爺が声を上げて笑った。
「それでも大したものよ、二月で制したのだからの」
「勧修寺が粟屋越中守を説得してくれたからな。粟屋が降伏した事で他の国人衆も降伏してくれた」
御爺が頷きながら茶を飲んだ。京の公家、勧修寺家と若狭三方郡の有力者粟屋越中守勝久は縁戚関係にある。若狭攻めの前に勧修寺家を通して粟屋越中守に降伏するように説得してくれと頼んでおいた。勧修寺家としても粟屋家を失うのは痛い。必死に説得してくれたようだ。後で礼をしなければならんな。
「だが逸見は許さなかったの」
「武田の恩を受けながら三好に付いた男だ、信用出来ん」
「それだけか」
「表向きはな」
真実は違う。逸見駿河守昌経は若狭西部に力を持ち小浜湾に手を延ばそうとしていた。そして西への丹後街道を制している。邪魔なのだ。信用し難い逸見が後ろに居ては若狭から西へは進み辛くなる。結構手強く戦ったが多勢に無勢だ。城を捨てて逃げ出すところを捕え首を刎ねた。
「三好が割れたの」
「うむ、割れた。足利も割れた」
「如何なる?」
「分からん。今重蔵に調べさせている。いきなりの事で驚いている」
「そうか……」
御爺が表情を曇らせた。足利の事はやはり気になるのだ。
若狭遠征中に三好家がいきなり分裂した。三好孫六郎重存、松永兄弟対三好豊前守実休、安宅摂津守冬康、そして三好三人衆。まあ史実でも起きた事だから驚きはしない。だが少々困惑している事も有る。三好豊前守実休達は平島公方家の足利義親を擁立している。これは分かる。だが三好孫六郎重存と松永兄弟は多聞山城で一乗院覚慶、つまり後の足利義昭を擁立している。これが分からない。
三好孫六郎重存は兄義輝を殺した男だ。その男と覚慶(義昭)が手を組む? 何を考えているのか。何か理由が有る筈だが……。この世界では覚慶(義昭)は大和一乗院を逃げ出していない。ただ逃げられなかったのかとも思えるが組んでいるとなると話は違う。つまり覚慶(義昭)にとって大和は、松永久秀は安全と思えたのだろう。逃げる必要が無かった、殺される恐れが無かったという事だが……。
「大和の一乗院覚慶様はお前に味方せよと言って来よう」
「そうだろうな」
「儂に遠慮は無用だ。お前の好きにやるが良かろう」
「心配は要らぬ。俺は何時でも俺の好きにやってきたからな」
「そうか」
御爺が苦笑を浮かべた。
「御爺、朝廷から官位をと言ってきたぞ。従四位下、大膳大夫だ」
「ほう、受けるのか?」
「そろそろ受けようと思う。もう六角への遠慮は要るまい。それに朝廷が官位を送るという事は叡山焼き討ちを非公式にせよ認めたという事でもある。受ける意味は有る」
「そうじゃの、それが良かろう」
坊主共への打撃にもなる筈だ。顕如の奴、また物を投げて暴れるかもしれん。
「御爺、小夜が懐妊した」
「聞いたぞ、お前も父親か」
「御爺は曾祖父だな」
妙な話だ、元の世界では一人だったのにこの世界では妻どころか子供まで出来るとは……。
「楽しみな事よ、まだまだ死ねんのう」
「そういう事だ。長生きしてくれよ」
綾ママの話では生まれるのは来年の正月頃らしい。それまで生きていて欲しいものだ。
永禄九年(1566年) 七月中旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木基綱
「此度、従四位下大膳大夫への御就任されました事、真におめでとうございまする」
組屋源四郎、古関利兵衛、田中宗徳が頭を下げた。
「うむ、有難う。色々と気を遣わせたようだ、礼を言う」
「畏れ入りまする」
祝いの品をたくさん持ってきたんだよな、こっちの方が恐縮だ。
「ところで、三人は若狭に戻るのか?」
俺が問うと三人が顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「いえ、もう商いの拠点は敦賀でございますから……」
「若狭が以前の様に栄えれば戻る事もありましょう」
「是非、そういう日が来て欲しいもので」
辛いだろうな、若狭出身の商人が敦賀で仕事をする。本当なら若狭は小浜を中心に日本海を使った交易で栄えている筈なのに……。
「いずれそういう日が来る。小浜を中心に船が行き来する日がな」
三人が嬉しそうな表情をした。不可能じゃない。戦が無くなれば、そして税が安くなれば自然と若狭の経済力は回復する筈だ。それだけの地理的環境に恵まれている。小浜という良港が有り京という大消費地を背後に抱えているのだ。いずれ朽木の交易は敦賀と小浜の二大良港を中心に行う事になる。
「ところで何か面白い話、気になる話は無いか?」
話しを振ると三人が“そうですなあ”と考えだした。古関利兵衛がポンと膝を打った。
「組屋さん、田中さん。下海通蕃の件が有りましたな」
「そうですなあ」
「ありましたなあ」
残りの二人が頷いている。“どういう事だ”と訊くと組屋源四郎が話し出した。
「面白いかどうかは分かりませんが気になる話ではあります。明国で下海通蕃の禁を廃止してはという声が強くなっているそうですな」
「……」
「明国の中で倭寇が酷くなるのは下海通蕃の禁の所為ではないかと非難が強まっているとか」
「なるほど」
下海通蕃の禁、要するに海禁政策だ。海禁=朝貢システムで交易を限定し密貿易、海賊を取り締まろうという政策だがあまり役に立っているとは言えない。北虜南倭は明の安全保障の二大問題だ。
「下海通蕃の禁が廃止されれば益々船が来易くなるかな?」
“それが”と田中宗徳が首を横に振った。
「他の国とは認めるようですが我が国と琉球は交易を認めないそうで」
「何故だ?」
「まあ一言で言えば倭国は信用出来ないという事ですな」
あらあら、随分な御言葉で。商人三人も苦笑いしている。
「しかし他の国とは認めるのであろう。影響は出るかな? 法を犯して此処へ来るよりも交易を認められた国へ行く方が安全であろう」
俺が言うと組屋が微かに笑った。
「今来ている者達は禁が廃止されてもここへ来るとは申しておりますな」
「禁を犯すと?」
「儲かりますからなあ。昆布に干し椎茸、それに石鹸。なかなか捨てられますまい」
「なるほど」
大丈夫かな? 多少の影響は出るかもしれない。ならば保険を掛けておくか。
「南蛮船を呼びたいな」
三人が顔を見合わせた。
「明船の代わりでございますか?」
「それも有る。だがな、利兵衛。本音を言えば俺はあの者達の船が欲しいのだ。それに大筒もな。朽木でもあの船と大筒を作れるようにしたい」
「なるほど」
三人が頷いた。
「南蛮人となりますと堺か九州ですな。少し御時間を頂ければ」
「頼めるか?」
「はい」
組屋源四郎が答えると古関利兵衛、田中宗徳も頷いた。頼もしいぞ。まあ取引先が増えればそれだけ利益が生まれる。そういう計算は有るだろう。だがそれで良いのだ。商人は儲けるのが仕事、理想に走ったらそれは商人ではない。
「ところで、朽木様は如何なされます? 大和の義秋様より御味方せよとの御内書が届いていると聞きますが」
古関利兵衛が俺に問い掛けてきた。他の二人もじっと俺を見ている。足利、三好の分裂は遂に実力行使の段階に入った。三好実休、安宅冬康は松永方の城だった摂津の越水城を落とし阿波に居た義親を摂津の富田に迎え入れた。おそらく筒井順慶、興福寺を味方に付け軍を大和に進出させるだろう。そして一乗院覚慶は還俗して足利義秋と名乗っている。
「残念だが義秋様は将軍に就任されたわけでは無い。という事で俺が貰ったのは御内書に似た書状だな」
御内書は室町幕府の将軍が出した私的な書状の形式を取った公文書だ。通常は側近である侍臣による副状が添付されるのが慣例らしい。俺が貰った書状には細川藤孝が副状を書いていた。今から将軍面するなよ。
「それで、如何なされます?」
古関利兵衛がまた問いかけてきた。余程に気になるらしい。
「俺が義秋様に付いても意味が無いな」
「有りませぬか?」
「無い。俺が義秋様に味方するという事は松永と組むという事だ。その時は六角が義親様に付くだろう。義秋様は敵に囲まれる事になる」
六角は大和を松永に奪われた、そして朽木に大津を奪われている。この二つと組む事は無い。今は幕臣達が宥めて何とか中立を守っているが俺が義秋に付けば間違いなく六角は義親に付く。
「俺を味方にするよりも六角を味方に付けた方が利が有る。少なくとも大和北部から伊賀、近江への道が使える。六角の援軍を得る事も出来れば逃げる事も出来る。紀伊、河内の畠山も味方に付けばなかなか負ける事は無い。そう返事をしておいた」
京の政争は勝手にやってくれ。精々援助するにしても金銭での援助だ。俺は越前攻略に力を注ぐ。目指せ百万石、だな。三人が顔を見合わせた。
「仰られる事は道理と思いますが諦めませんぞ、義秋様は」
「何故だ? 宗徳」
「鼎の軽重が問われておりますから」
「如何いう意味だ?」
鼎の軽重? 妙な事を言うな、宗徳。……組屋源四郎、古関利兵衛も神妙な顔をしている。同意見か。それにしても鼎の軽重か、随分と大袈裟な言葉だが。
「畿内ではもっぱらの評判でございます。朽木様は故義輝様の忠臣。義秋様が朽木様の忠義を勝ち取れるかどうか、鼎の軽重が問われていると」
「阿呆な。何処の馬鹿が流しているのか知らんが無責任にも程が有るな」
思わず罵声が出た。義輝の奴、死んでからも朽木に祟るか。本当に朽木の祟り神になって来た。
永禄九年(1566年) 七月中旬 近江伊香郡塩津浜 塩津浜城 朽木小夜
「小夜、具合は如何だ? 気分が悪いとか無いのか?」
「大丈夫でございます」
「そうか、なら良いがこれから暑さが厳しくなる。気を付けるのだぞ」
「はい」
弥五郎様は一日に何度か私の元を訪れ身体を気遣って訊ねてくる。夜は必ず私の所で休んでいく。
「殿、殿は御辛くは有りませぬか?」
「ああ、毎日面倒な事ばかりで嫌になる」
「いえ、そうでは無く、その私がこのような身体なので……」
「ふむ、閨の事か?」
「はい」
弥五郎様がちょっと首を傾げた。
「誰かに何か言われたのか?」
「……平井の父から殿の御側に仕えさせたい者が居ると……」
「そなたの見知りの者か?」
「家中の者の娘です」
弥五郎様が私をじっと見た。ちょっと恥ずかしい。
「舅殿も気を遣うものよ。だがそれには及ばぬと伝えてくれ」
「はい」
「そなたは丈夫な子を産む事だけを考えれば良い」
「はい」
弥五郎様が優しく笑みを浮かべている。側室は要らないのかしら?
「小夜、六角家は大和と摂津、どちらに付くのかな? 舅殿は何か言っているか?」
「いいえ」
「そうか、……では舅殿に言伝を頼む。朽木は当分越前の一向一揆対策に専念するつもりだと。京の争いに介入するつもりは無いとな」
「……はい」
父も弥五郎様も私を通してお互いに探りを入れている。
「六角左京大夫が騒いでいるらしい。今浜の城に左門を入れたのは六角を攻めるつもりではないか、坂本に城を築くのは何のためか、大津の次は草津に手を伸ばすつもりではないか、とな。何かと朽木を敵視するので舅殿も幕臣達も困っているとか。誓って言うが大津の件はこちらも予想外であった」
「まあ」
「舅殿も御辛い立場よ。朽木と縁続きになった所為で何かと白い眼で見られるようになってしまった」
「……」
「いっそ朽木に付いた方が舅殿にとっては良いのだがな。朽木は何時でも舅殿を受け入れる。それも伝えてくれ」
「……はい」
永禄九年(1566年) 七月下旬 近江栗太郡平井村 平井城 平井定武
弥太郎が部屋に入って来た。
「父上、お呼びですか」
「小夜から文が届いた。読め」
文を差し出すと弥太郎が受け取り文を読み始めた。読み終えると少し考えもう一度読む。読み終えると文をこちらに差し出した。
「如何します、父上」
「……その方は如何思う」
「朽木の領地が滋賀郡にまで迫った今、大膳大夫様はいずれ栗太郡に手を伸ばしましょう。残念ですが左京大夫様ではその手を撥ね退けられますまい」
「朽木に付けと申すか?」
弥太郎が頷いた。
「父上、このままでは左京大夫様に殺されかねませぬぞ。平井家は朽木家と縁続きなのです。そして勢いは如何見ても朽木に有る。大膳大夫様も案じておられますが左京大夫様は平井家が朽木家と通じていると疑っておいでです。それは左京大夫様だけの事ではない筈」
「……」
「現にこうして大膳大夫様から誘いが来ております。むしろ今まで来なかった事が不思議でした」
「不思議ではない」
「……」
「分からぬか、弥太郎。三好家が割れて争い始めた。大膳大夫様は朽木家と六角家が争い始めても三好家が介入する事は無い、そう踏んだのだ」
「なるほど」
弥太郎が頷いた。
「永禄六年の騒動で六角家は力を失った。妙な話ではあるが三好家の存在が六角家と朽木家の安定を保っていた。だが三好修理大夫殿の死でそれが崩れ始めた。今回の分裂で決定的になったな」
「……」
「承禎入道様が居られればな。斯様な事にはならずに済んだのに……」
「如何なさいます、父上」
やれやれ、若い者は年寄りが感慨に耽るのも許さぬか。
「弥太郎、その方塩津浜に出仕せよ」
「では」
「朽木に付くほかあるまい。既に駒井美作守も付いていよう」
「駒井も?」
まだまだ甘い。
「大津八左衛門が朽木に付いた。駒井が付いていないと思うか?」
「なるほど」
「他にも気付いている者は居よう。だが皆気付かぬ振りをしているのだ。事を荒立てたくないからな。だがこれで公になる……」
あの事件が無ければ六角家は十分に周囲から畏れられる存在だった。六角家と朽木家の協力体制はずっと続いた筈……。いかんな、もう六角家の家臣ではないのだ。朽木家の家臣になる、心を切り替えなければならぬ。