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敦賀制圧

永禄六年(1563年) 九月上旬   近江伊香郡塩津浜  塩津浜城 朽木基綱




「久しいな、与次左衛門。元気そうで何よりだ」

「はっ、御久しゅうございまする。殿には御機嫌麗しく」

「止せ、与次左衛門。今の朽木を見ろ、周りに良い様にやられている。御機嫌麗しくなど到底なれんわ」

「そのような事は有りませぬ。北近江四郡を押さえ日の出の勢いの朽木にござる。六角があのざまでは近江の旗頭は殿にござりましょう」


俺が笑い出すと林与次左衛門員清が身を乗り出して力説した。与次左衛門によれば俺は不世出の英雄らしい。与次左衛門は高島越中配下の水軍の将だったが朽木谷の戦い以降は俺に仕えている。朽木家が勢力を拡大するにつれて与次左衛門の水軍も大きくなっていった。今では朽木家の重要な戦力と言って良い。そして与次左衛門にとって俺は高島越中とは比べ物にならない良い主君のようだ。何と言ってもあいつ、ケチだったからな。


「分かった、分かった。だが南の連中はそうは思っておらんぞ」

「……」

「まあ良い、今浜は如何じゃ」

問い掛けると与次左衛門が嬉しそうに笑った。

「良き所にございまする。これから大いに繁栄いたしましょう」

やはり重要拠点だな、城が欲しい。光秀に作らせるか。資材は高島郡にある廃城から持って来させれば費用は安く済む。要検討だな。


「坂田郡が朽木領になったが船は足りているか?」

「少々足りませぬ」

「分かった。金は出す、船を揃えろ」

「はっ。有難うございまする」

「与次左衛門、堅田と戦って勝てるか?」

与次左衛門が難しそうな顔をした。やはり厳しいか。


「堅田と事を構えると御考えで?」

「好んで構えるつもりはない。だが越前で加賀の一向門徒と戦う事になるやもしれん。その時堅田が如何出るか……」

「……」

堅田だけではない、朽木領内にも本願寺派の寺は存在する。一番身近では塩津浜城の直ぐ傍に浄光寺が有る。浄光寺は今の所妙な動きはしていない。


「本願寺が加賀に下間筑後守頼照、七里三河守頼周、杉浦壱岐守玄任を送ったとも聞く。越前攻めの為だと俺は見ている。となれば加賀一向門徒の独断ではない。石山本願寺として戦うという事だ。朽木と越前でぶつかれば堅田に石山から命令が出る事は有り得よう」

与次左衛門が頷いた。


「しかし殿、堅田の水軍衆、殿原衆は門徒というわけでは有りませぬぞ。あの者共は本願寺よりも臨済宗を信じておりまする」

「それは俺も分かっている。だが戦わずに済むか?」

「さて、そこまでは分かりませぬ」

与次左衛門が首を振った。出来れば戦いたくないのだろう。どちらかと言えば分が悪い戦になる。そう思っているようだ。それほどに堅田の水軍は強力だ。


堅田は自治の町だ。堅田には大きく分けて二つの勢力が有る。地侍達を主体とする殿原衆と商工業者、周辺農民を主体とする全人衆だ。俺が問題視している水軍を率いるのは殿原衆なのだが堅田は今、全人衆の支配下に有ると言って良い。そしてこの全人衆の大部分を占めるのが一向門徒だった。つまり堅田は一向門徒の勢力下に有る。


「お会いなされては如何? 猪飼甚介、居初又次郎、馬場孫次郎」

三人とも堅田水軍の指揮官として有名な男達だ。

「会えるのか?」

「殿が御望みならば某が手筈を整えまする。向こうも殿に関心が有る筈。むしろ声が掛からぬのでやきもきしているやもしれませぬぞ」

会ってみるか、場合によっては調略への布石にもなるだろう。

「分かった、頼もう。しかし日が無い、急ぐぞ」

「はっ、近日中に」

「頼む」


与次左衛門が去った後、主税に茶を用意させて一緒に飲んだ。助五郎、重三郎、平四郎、陣八郎も一緒だ。茶を飲みながら助五郎が問い掛けてきた。こいつ、何時見ても思うのだが白ゲジゲジ五郎衛門の孫なのに綺麗な眉をしている。不思議だ。

「殿、六角はどうなるのでしょう」

「右衛門督では家中が纏まらんので外から養子を迎えようという話になったらしいな。舅殿から文が来た」

派手にドンパチやるかと思ったら交渉で終わりかよ。まあ交渉を上手く進めるためにも力の誇示は必要だけど。


「では右衛門督様は?」

「出家、隠居かな」

隠居出来れば良い。多分殺されるだろう。後藤が父親の仇を討つ。或いは養子の関係者が始末する。養子が決まった以上六角右衛門督義治は不要、いやむしろ邪魔だ。蒲生も三雲も庇わんだろう。下手に庇えばあの騒動の裏に居たのか、だから庇うのかと白い目で見られる事になる。


主税達は“隠居か”等と言っている。疑っていない、少しは鍛えておかないと。

「多分、隠居しても一年以内に殺されるぞ」

“殿”と陣八郎が引き攣った声を出した。

「あれだけの事をして許されると思っているのか? それに外から養子が来る以上右衛門督は邪魔だ。何処ぞの女に子供など生ませられては後々面倒な事になりかねん。御家騒動は一度で十分であろう。そうではないか?」

「……」


この程度で固まるな! 全く。その後は重蔵が来た事でそそくさとお茶の時間は終わった。逃げ腰なのが見え見えだが今回は逃がしてやる。だがガキ共め、元服した以上容赦はしない。これからはビシバシと鍛えてやる。戦国乱世で生きるのは厳しいのだ。そして大人の世界は汚い。お前達はその厳しさと汚さに慣れなければならん。


「何かございましたか?」

「……」

重蔵が訝しげな表情をしていた。

「御腹立ちの様に見えましたが」

「少々な、だが大した事ではない。それより報告を聞こう」

重蔵、鋭いな。俺は主税達にもその鋭さが欲しいんだ……。


疋壇(ひきた)城の疋壇六郎三郎、天筒山城の寺田采女正(てらだうねめのしょう)、殿に御味方するとの事にございまする」

「うむ! ようやってくれた」

「それと氣比神宮大宮司憲直殿、朽木に対して敵対はしない、中立を守ると」

「今はそれで十分だ。いずれな、いずれ……」

「殿、これで敦賀は手に入れたも同然」


その通りだ。疋壇が味方に付いた以上敦賀までの道は確保された。天筒山がこちらの物になった以上金ヶ崎城は孤立した。そして氣比神宮は敵対しない。

「後は越前にて何時騒動が起きるか、或いは加賀の一向門徒が何時攻め込むかだな」

「遅くとも来月には」

「そうだな」

稲の取り入れが終れば動き出すはずだ。そろそろ五郎衛門を始め主だった者にも話しておこう。


「誰か一向門徒に通じているか?」

「されば、朝倉孫三郎景健」

「まさか、安居の孫三郎が?」

「はっ、間違いございませぬ」

思わず息を吐いた。越前安居城主、朝倉孫三郎景健と言えば大野、敦賀に次ぐ家柄の男だ。それが一向門徒に通じている。余程に朝倉式部大輔憲景に対して不満が有るのだ。


「他にも堀江中務丞、朝倉玄蕃助、向駿河守」

「……朝倉式部大輔、危ういな」

「……」

「やはり鉢伏山、木の芽峠を固めねばならん」

「はっ」

雪が降る前に固めるのは難しいかもしれん。その時は来年だな。雪が溶ける四月、五月。田起こしで忙しい時期を使う。


「他には?」

「六角家の跡継ぎが」

「決まったか」

「はっ。春に亡くなられた細川晴元様の御次男を」

「……なるほど、細川は六角と縁続きだったな」

「先の管領代の御息女が晴元様に」

六角家の名君、管領代定頼の孫か、血筋では義治に劣らない。益々不要になったな、右衛門督。


「年は?」

「十二歳、元服をしたうえで六角家に入られるそうでございます」

「公方様の諱でも貰うのだろう」

「おそらくは」

「懲りないお方よ」

重蔵が噴き出しそうな表情をした。


六角家の重臣達が養子を迎えたいと義輝に相談した。六角家は足利将軍家にとって大事な家だ。積極的に京に介入しなくてもそこに居るだけで十分に三好を牽制する。義輝としても六角の動向は気になっていたから喜んで相談に乗った。そして細川晴元は反三好感情が強かった。当然だがその息子も反三好で期待出来るというわけだ。後で祝いの品を用意しておくか。近所付き合いは大切だ、疎かにしてはいけない。


「上手く利用しようというのだろうが十二歳ではな。公方様の思う通りに動いてくれるかどうか」

「中々に見物でございまする」

重蔵の目が笑っている。上手く行かないと見ているようだ。

「三好は如何か?」

「修理大夫、腑抜けになったとか」

「そうか」


三好長慶の長男、三好義興が八月に死んだ。長慶には他に男子は居ない、腑抜けになったとしても責めはしない。だが畿内の覇者三好家の後継者が居なくなったのだ、そして義興に替わる後継者も定まらない。三好は内部に火種を抱え込んだという事になる。義輝が六角家の跡継ぎ問題に関与するのもチャンス到来と思っているからだろう。つい先日までは助けろと大騒ぎしていたのにな。だが分かっているのか? 三好はこれまでは余裕が有ったから理性を保ってきた。しかし今後は違う、徐々にだが三好は追い込まれて行く。


「如何なさいます?」

重蔵が引っ掻き回すかと訊いている。

「噂は適当に流してくれ。その中に必ず三好豊前守実休、安宅摂津守冬康、この二人が三好本家を乗っ取ろうとしている、そういう噂を流してくれ」

「承知しました」


「重蔵、どうやら三好にも翳りが出て来たようだ」

「そのようで」

「長かったな」

「はい」

重蔵が頷いた。俺が家督を継いで十三年、ようやく三好にも翳りが出た。三好が崩れれば六角に気を遣う必要も無くなる。


史実ではここから一気に三好の崩壊が始まる。来年長慶が安宅摂津守冬康を殺す。そしてその事を後悔しながら死ぬ。その後残された三好一族は義輝を殺害する。三好が一枚岩なのはそこまでだ。その後は分裂して争う、そこには強大な三好の姿は無い。この世界ではどうなるか……。揺らぐのは近江、越前だけじゃない、畿内も大揺れに揺れるだろう。




永禄六年(1563年) 十月中旬   近江伊香郡塩津浜  塩津浜城 朽木基綱




「小夜、留守を頼むぞ」

「はい、御武運を祈っておりまする」

「うむ」

部屋を出ると外には主税達近習が待っていた。今回は気が進まないがこいつらも連れて行く。皆、鎧が似合ってない。どこかぎこちない。多分、俺もだろうな、溜息が出そうだ。


城の大手門前では日置五郎衛門、明智十兵衛、竹中半兵衛、沼田上野之助が馬を引き連れて待っていた。俺と主税達の分も有る。皆で馬に乗って門を出ると朽木勢三千が隊列を作って待っていた。北近江の秋は寒い、早朝ともなれば尚更だ。塩津浜城は微かに(もや)に包まれていた。

「出陣だ! 続け!」

ハルに鞭を当てて走らせた。後ろから五郎衛門、十兵衛、主税達が“殿!”と呼ぶ声が聞こえたが無視した。


急ぐ! 加賀の一向一揆が動き出した。今頃は越前国境に向かっている筈。そして朝倉憲景も動いている。朝倉孫三郎、堀江中務丞、朝倉玄蕃助、向駿河守からは人質を取ったらしい。だが形勢が不利になれば人質など簡単に見捨てられるだろう。そして憲景もそれは理解している筈だ。決死の覚悟で一向一揆戦に向かう筈。その隙を突く。今日中に疋壇、明日には敦賀、そして五日以内に鉢伏山、木の芽峠を押さえる! だから先頭に立って走る! それが一番早く軍を動かす方法だ。


塩津-沓掛-深坂峠-追分、所々で休息を挟みながら塩津街道を北上する。疋壇に着いた時には夕暮れになっていた。城まであと一キロと言ったところで疋壇城主、疋壇六郎三郎が慌てて挨拶に来た。

「疋壇城主、疋壇六郎三郎昌之にございまする」

「うむ、朽木弥五郎基綱である」

「驚きました、まさかこのように早く……」

「塩津浜を卯の刻になる前に出た」

「なんと」

先ずは度肝を抜く。平地を走って来たのではない。かなりの強行軍だと理解した筈だ。そして俺が敵なら疋壇城は殆ど何も出来ずに包囲されたと理解しただろう。


「一向宗の動き、何か聞いているか?」

六郎三郎が首を横に振った。

「越前、加賀国境に迫っているとは聞きますがそれ以上は……」

「朝倉式部大輔の動きは?」

「やはり国境に向かっていると」

となると朝倉式部大輔はこちらの動きに気付いていない、或いは気付いていても一向一揆への対応を優先したか。


「明日も卯の刻に出る。敦賀までの先導を頼む」

「はっ、明日は敦賀に?」

「そう考えている」

六郎三郎が頷いた。疋壇から敦賀まではそれほど険しい道は無い。明日敦賀へ着く事は難しくはない。

「御疲れで有りましょう。城へ案内いたしまする。今日はゆっくりと……」

「無用だ、今日はここで休む。気を緩めたくないのでな。それにそちらも明日の準備があろう、邪魔はしたくない」

「はっ」

六郎三郎が頭を下げ、そして城に帰って行った。


「五郎衛門、周囲の警戒は怠るな」

「はっ」

「それと鎧は脱がせるな」

「はっ」

主税達が天を仰いだが無視した。甘ったれるな、六郎三郎の度胆は抜いたが心変わりしないという保証は無いのだ。


「十兵衛、半兵衛、上野之助、敦賀を制したらその方達は鉢伏山、木の芽峠に行け。鉢伏山には高野瀬備前、木の芽峠には田沢又兵衛を送る。二人には既に話してある。二人を助けて砦を築くのだ。それと塩津浜に戻ったら冬の間に城の図面を引け。雪が溶けたら本格的な城造りを始める」

「はっ」

三人が頭を下げた。城が出来れば皆もこの三人を認めるだろう。少しずつ実績を作らせなければ……。



翌朝、出立前に六郎三郎が息子の右近昌定を送って来た。朽木の戦振りを見せてやって欲しいと言っていたが内実は人質だ。年の頃は二十歳前後か。昨日決めたのだろう、良い傾向だ。六郎三郎が先陣を切りその後を朽木勢が追った。疋壇、道口、敦賀。敦賀に入ったのは夕刻だったが日が沈むには未だ間が有った。


天筒山城の寺田采女正成温(てらだうねめのしょうなりあつ)が寝返ると金ヶ崎城主、朝倉修理亮景嘉(あさくらしゅりのすけかげよし)も降伏した。憲景は加賀国境に行っている。援軍は無い。大体この時期に敦賀に置かれたというのは余り信頼されているとは言えない。信頼されているなら加賀へ連れて行く。開城の条件は憲景の元へ行く事を認める事、それだけだった。


城の開城は明日巳の刻、憲景の元へは敦賀から三国へ船での移動という事で合意した。終わった時には夜になっていた。交渉が終了すると主税達が鎧を脱ごうとした。俺が怒鳴り付ける前に五郎衛門が孫の助五郎をその場で殴り倒して怒鳴りつけていた。


五郎衛門が俺に出来の悪い孫で申し訳ないと謝罪してきたが俺は庇わなかった。震え上がっている主税達に辛抱が出来ないなら塩津浜に帰れ、二度と戦場には連れて行かんと言っただけだ。朽木は勝ち戦続きだ、その所為で戦を甘く見ている。主税達だけじゃないのかもしれない。朽木勢全てに当てはまるのかも……。頭の痛い問題だ。


翌日、朝倉修理亮が船で三国へ向かった。そして高野瀬備前守、田沢又兵衛が休む事無く鉢伏山、木の芽峠に向かった。勿論明智十兵衛、竹中半兵衛、沼田上野之助も一緒だ。備前は喜んでいたな。敵との最前線だ、厳しい役目だが守り切れば朽木内部でも評価が上がる、そう思ったのだろう。実際備前は肥田城で六角の大軍を一度は退けているのだ。力は有ると俺は思っている。


金ヶ崎城に入ると早速商人達が挨拶に来た。挨拶を受けながら関の廃止と税の軽減、四公六民を約束した。一向一揆に対抗するためにも税の軽減は欠かせない。出来るだけ百姓達が住み易い環境を作る。元々経済的には敦賀は越前よりも近江に近いのだ。だから疋壇六郎三郎もこちらに付いた。難しくは無い筈だ。


そして奥州、蝦夷地との交易を行う。昆布、鰊、鮭、鱒。出来れば中国とも交易する。昆布と干し椎茸で釣り上げる。そして敦賀を日本海最大の湊にする。西近江路、塩津街道、北国街道、そして琵琶湖。朽木が所有する流通路を使って北近江を、敦賀を繁栄させよう。一揆等という馬鹿げた事を仕出かさないように。






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[一言] ここの最後の方の、殴り倒した近習に冷たい怒りを当ててるシーン。ここではサラッと書いてるけど、漫画版で見て、やっぱりすごく印象に残ってるな…
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