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豊後侵入




禎兆二年(1582年)   八月上旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




八月最初の評定の後、大評定を開いた。この席に初めて並ぶ顔も有る。評定衆からは駒井美作守と青地駿河守。相談役には平井加賀守。軍略方には御宿監物、黒田吉兵衛、明智十五郎、加藤孫六、小早川藤四郎。そして兵糧方には青地四郎左衛門尉、石田佐吉、吉川次郎五郎、細川与一郎、北条新九郎。……新九郎、緊張しているな。小便を漏らすなよ。


軍略方の御宿監物は武田の遺臣だ。妹が小山田左兵衛尉に嫁いでいる。監物は医師の心得も有るらしい。年齢は三十代半ば、俺と同年代だが中々多才な男の様だ。俺も体調が悪い時は診て貰おう。兵糧方の青地四郎左衛門尉は評定衆に抜擢した青地駿河守の息子だ。親子で大評定に加わる事になる。父親の駿河守は武勇に優れた男だが息子の四郎左衛門尉は穏やかな性格らしい。兵糧方に向いているだろう。駿河守は蒲生下野守の息子だから蒲生忠三郎と四郎左衛門尉は従兄弟という事に成る。


北条新九郎を兵糧方に入れたのだが北条家の女達の間ではちょっとした騒ぎになった。新九郎の未来は明るいと皆泣くやら喜ぶやらで大変だった。実際俺もそれに巻き込まれた。桂が泣いて大変だった。母親が泣くから息子の康千代も泣く。俺は何にも悪い事はしていないのに二人を宥めるので大変だった。まるで子供を二人面倒見た様なものだ。疲れたわ。


全体的に若い人間が多くなった。だがいずれは大膳大夫が家を統べるのだ。同年代の人間に経験を多く積ませるべきだろう。尾張で城造りをやっている連中も完成後はこちらに入れよう。かなり強力な布陣になる筈だ。それと織田一族からも抜擢しよう。但し、徳川攻略後だ。家康の側にはお市が居る。織田一族から情報が漏れる事は避けたい。先ず無いと思うが念のためだ。織田一族は信用出来ないなんて評価が付いてはこれからやりにくくなる。さて、大評定を始めるか。


「皆も知っているだろうが薩摩から亡き公方様の遺児、左馬頭殿と幕臣達が上洛する」

皆が頷いた。

「少々その事で問題が有る。知っている者も居るかもしれぬが幕臣達が上洛するのは島津と組んで俺を殺すためかもしれぬという疑いが有る。困ったものだな」

あらあら、皆無言だ。同意が無い。眼だけが厳しくなっている。


「先ずは幕臣達の動きだ。小兵衛、頼む」

小兵衛が軽く一礼して皆を見回した。

「訝しい事では有りますが一行はゆっくりとこちらに向かっておりまする。余り急ぐ様子は見せませぬ。宿泊する度に町に人を出し情報の収集をしております。二、三日泊まる事も有りまする。勿論左馬頭様御不快、御母堂様御不快等と理由は付けております。そして島津との間では相互に使者を遣り取りしております」

ざわめいている。顔を顰めている人間もいる。伊勢兵庫頭もその一人だ。好い加減にしろ、とでも思っているのだろう。


「確かに訝しいな、小兵衛」

俺の言葉に彼方此方で頷く姿が有った。あの連中が上洛を急がない。それだけで十分に不自然だ。

「一行の動きが遅いのは情報の収集以外に何らかの理由が有るものと判断せざるを得ませぬ」

「その理由というのが俺の暗殺か」

「可能性は十分に有りましょう。用心が必要かと」

小兵衛の言葉に皆が頷いた。


「丹波守、島津の様子は?」

俺が問い掛けると百地丹波守が軽く一礼した。今日の伊賀衆は丹波守だ。いつも商人のように愛想の良い男だが今日もそれは変わらない。流石だな、丹波守。伊賀の上忍に相応しいぞ。そのふてぶてしさ、いや得体の知れなさがどうにも堪らん。背筋がぞくぞくするほどに嬉しい。……俺ってやっぱり変かな? 変だな、でも構わん。


「慌ただしゅうございます。兵糧を買い集め戦の準備に余念が有りませぬ。それに九州の諸大名に頻りに使者を送っております」

「使者の内容は?」

丹波守がニコニコと笑みを浮かべた。

「もうじき朽木が攻めてくる。皆で一致して朽木に当たろうと。九州は九州の諸大名の物だと言っております」


「随分と謙虚な事を言いますな。九州は九州の諸大名の物? 本心は島津の物でありましょう」

嘲笑したのは長宗我部宮内少輔だ。元は大名だからな、遠慮が無い。皆が笑い声を上げた。

「そう言ったのでは味方が集らぬ。ではないかな、宮内少輔殿」

今度は飛鳥井曽衣だ。また皆が笑った。昔はこの二人は敵対していたんだがな、今はそれなりに会話をしているようだ。仲は悪くない。


「大友には使者は送られておりませぬ」

丹波守の言葉に笑い声が止んだ。顔を見合わせて小声で喋っている者が此処其処(ここそこ)に居る。大友は島津、龍造寺、秋月に攻撃されている。そして朽木と親しい。到底味方にはならない、島津はそう考えたのだろう。親しいわけじゃないんだがな。大友なんて滅んでも構わんのだ。不本意だ。


「そして日向に置かれていた一向門徒達が豊後に攻め込みました」

シンとした。身動ぎも無い。不倶戴天の敵、一向門徒が遂に動いた。皆はそう思ったのだろう。

「何時かは豊後に攻め込むと思っていた。しかしここで使うか、上手い使い方をするものよ」

「一向門徒の事でございますか?」

「違う、大友の事だ」

真田源五郎の問いに答えると皆が不思議そうな顔をした。


「九州で大きな勢力と言えば大友、島津、龍造寺、秋月だ。そして島津、龍造寺、秋月は大友とは敵対関係にある。分かるだろう、島津は龍造寺、秋月を誘っているのだ、共に大友を攻めようと。攻めるという事は共に朽木と戦うという事。攻めなければ島津が独りで大友を喰らう事になる」

“なるほど”、“確かに”と言う声が聞こえた。


「龍造寺、秋月は如何致しましょう?」

新九郎が途方に暮れた様な声を出した。おいおい、この程度でそんな声を出して如何する。こんなのは序の口だぞ。

「悩んでいような。大友を食い尽くせば朽木に勝てるのかと。特に秋月は位置的に最初に朽木の攻撃を受ける事になる。悩みは深いだろう」

「……」


「多分秋月は動かぬ、龍造寺も動かぬだろう。島津が大友という肉を独り占めする。美味い肉だ、嬉しかろうな。そして俺が九州征伐に向かおうとした時に幕臣達が俺を殺す。九州遠征は中止だ、大友を喰って大きくなった島津の次の標的は自分に味方しなかった龍造寺と秋月だ。その時になって龍造寺と秋月は全てを理解するだろう。自分達が肉になったとな」

「……」


「島津が九州を制すれば毛利も心変わりしよう。そうなれば朽木の天下など簡単に覆せる。足利の天下をもう一度、幕臣達はそんな事を考えているだろう。……フフフ」

思わず含み笑いが漏れた。やるな、島津。それとも幕臣か? 随分と楽しませてくれるじゃないか。


「大殿、笑い事ではございますまい」

顔を顰めて俺を窘めたのは荒川平九郎だった。小言ジジイ健在だ。

「そう言うな、平九郎。九州攻めを行うと言って島津と幕臣達を追い詰めたのは俺だ。中々見事な切り返しをしてくると思ったのだ」

小言ジジイが溜息を吐いた。その姿が可笑しくて声を上げて笑ってしまった。もう三十年もこんな事をしている。平九郎も六十に近い。この男が生きている内に天下の統一が出来るだろうか……。


「九州の諸大名、大友、龍造寺、秋月への対応は如何なされます」

「何もせぬぞ、重蔵」

俺が答えると重蔵が満足そうに頷いた。俺の心を読んだらしい。

「大友など滅んでも構わぬ。龍造寺、秋月が如何動くか、しっかりと見させてもらう」


「では左馬頭様、幕臣達は?」

問い掛けてきたのは主税だった。

「勿論会う。京の奉行所で謁見する」

皆無言だ。眼だけで会話をしている。拝謁ではない、謁見だ。そして奉行所で会う。奉行所は旧室町第が有った場所に造られた朽木家の政庁だ。伊勢兵庫頭を責任者として京の施政を司っている。足利の物など今の京には無い。京の支配者は朽木だ。


「小兵衛、あの連中は何時頃京へ来る」

小兵衛が“されば”と言って考え込んだ。

「来月の初頭には京に入るものと」

「では当分は鎖帷子を身に着けるとしよう。身の周りには屈強な者達を置く事にする。念のためだ、その方等も鎖帷子を身に付けよ」

「はっ」

「脇差も長めの物を用意致せ」

「はっ」

皆が頷いた。


「天下はもはや足利の物ではない。左馬頭は足利家の当主では有るが天下人ではないのだ。今回の和解も俺が和を請うのではない、俺があの者共を赦す、朽木への服属を認めるという形式をとる。それから既に幕府は無い。これ以後は幕臣という言葉は使うな。足利家中の者と呼び、そのように扱え。(しか)と心得るように」

皆が頭を下げた。いかん、忘れている事が有った。


「兵庫頭」

「はっ」

「源氏の氏の長者になる。手続きを頼む」

兵庫頭が一瞬俺を見てから頭を下げた。

「早急に取り計らいまする」

「うむ」

謁見の前に源氏の長者になっておこう。足利はもう天下人でも源氏の長者でもないのだとはっきりとさせる。


足利は丁重に扱われるが朽木の家臣だ。要するに旧幕臣共は俺から見れば陪臣という事になる。あの連中の畿内での所領は全て奪った。そして待遇も下げられた。我慢は出来まい。俺を殺す理由が出来た。九州攻めを利用して近付き所領、待遇面での不満が爆発して俺を殺す。左馬頭義尋は関係ない、あくまで個人的な怨恨だ。誰が来るかな、三淵、上野、槇島……。




禎兆二年(1582年)   八月下旬      甲斐国都留郡岩殿村   朽木堅綱




川向こうの岩殿山に城が有った。堅固な城だ、簡単には落ちそうにない。

「城の様子は如何か?」

「はっ、大分弱っておりますようで」

佐脇藤八郎が答えた。


藤八郎は付城の一つを預かっている。そして付城は他に三つ、それぞれ蜂屋兵庫頭、金森五郎八、滝川彦右衛門が守っている。いずれも一千程の兵が詰めている。藤八郎の付城は桂川を挟んで岩殿山と向き合う場所に有る。当初は桂川を背後にして付城を築くという案も有ったが危険だという事で取り止めになった。


「動きは無いのか?」

「ございませぬ」

「兵糧が尽きたとも思えぬが?」

藤八郎が右の眉を僅かに上げた。


「兵糧は未だ有りましょう。ですが周囲を囲まれ人の行き来も儘なりませぬ。その事が城兵の心を重く致しまする」

「そうか」

兵糧攻めというのは兵糧が尽きるのを待つだけではない。身動きを出来なくして相手の心も攻めるのだと思った。物知らずな自分の未熟さが恥ずかしかった。藤八郎も呆れているだろう。


「出羽守、徳川の動きは?」

出羽守が軽く一礼した。

「小田原から動きませぬ」

「……甲斐守に走らされただけか、笑っていような」

気が付けば唇を強く噛んでいた。徳川に動き有り、その報告に一万五千の兵を出したのだが……。


「御屋形様の動きが早かったのでございましょう。徳川も簡単には動けなくなったのでは有りませぬか」

藤八郎が気遣ってくれた。

「申し訳ありませぬ、某が不確実な報せを致しました」

今度は出羽守が頭を下げた。出羽守にまで気遣わせている。


「気にしなくて良い。些細な事でも報せろと命じたのは私だ。出羽守はそれを守っただけの事。それに粗忽と言われようとも後れを取るよりは良い。大事なのは岩殿城を締め上げる事だ」

そうだ、一万五千の兵を見た岩殿城の城兵は圧力を感じている筈だ。ここに来た意味は有るのだ。


「降伏を勧めてみるか?」

二人に視線を向けたが藤八郎が首を傾げ出羽守は首を横に振った。

「岩殿城の守将は鳥居彦右衛門尉と平岩七之助にございます。二人とも甲斐守が今川の人質であった頃からの側近とか。主従の絆は強く簡単には下りますまい」

出羽守の言葉に藤八郎が頷いた。

「今降伏の使者を出せばこちらが焦っていると敵に見透かされましょう」

「……そうか」

焦っているか、そうだな、既に藤八郎と出羽守に見透かされている。


「御屋形様、焦ってはなりませぬ。兵糧攻めは根競べにございます」

「うむ」

「米が無くなっても敵は耐えまする。敵が音を上げるよりも一日だけ長く我慢なされませ。さすれば御屋形様の勝ちにございまする」

「そうか、一日だけか。面白い言葉だ」

藤八郎の言い様に心が軽くなった。出羽守も表情を緩めている。そうだな、一日だけ長く我慢すれば良い。


「出羽守殿、徳川に駿河方面に出るという動きは無いか? 此方に出て来ぬ以上十分に有り得ると思うのだが」

「今のところはございませぬ」

藤八郎が小首を傾げている。


「案ずるな、藤八郎。駿河には二万近い兵が有る。甲斐守が駿河に出ても精々国境を侵すのが限度だ。駿府城を落とす事は出来ぬ」

「はっ」

駿河に出てくるとすれば岩殿城への圧力を緩めようという陽動だろう。その手には乗らぬ。十分に備えは有る。


「問題はこちらだ。小田原から此処に来るのに比べれば駿府からでは少し遠い。徳川が動けば私が後詰に行くまで耐えて貰わなければならん」

「御安心を。一千を城の抑えに残し三千で徳川を抑えまする」

「うむ」

徳川が岩殿城救出に動かせる兵は相模領内への抑えの兵を除けば三千が限度であろう。大丈夫だ、藤八郎の言う通り互角以上に戦える。


「他に何か有るか? 無ければ駿府に戻るが……」

「御屋形様、昨年甲斐は冷害にて米が獲れなかったそうですが今年も冷害で凶作になりそうだとか。既に八月も終わろうというのに稲穂が実らぬようにございます」

藤八郎が表情を曇らせている。出羽守に視線を向けると藤八郎の言う通りだと言う様に頷いた。

「甲斐は貧しいと父上から聞いていたが……」

「某も驚きましてございまする」


予想以上に酷いらしい。もしかすると甲斐守は甲斐を捨てたのか? 治め辛い甲斐を切り捨てたという可能性も有るな。小田原を拠点に相模一国を守る……。となると甲斐守が考えているのは岩殿城の徳川勢を如何にして撤退させるかという事かもしれない。今回の徳川の動きはこちらの反応を確かめたという可能性も有る。次の徳川の動きが大事だな。


「まだ暫くは包囲が続こう。米はこちらで用意する。都留郡の百姓から徴収する事は止めよう」

二人が頷いた。

「米が獲れぬとなれば百姓達は難儀であろう。百姓達の分も用意しようと思うが如何か? 徳川から離反させるという狙いもある」

二人が首を横に振った。不同意か。


「その儀は御止めなされませ」

藤八郎の表情が厳しい。

「いかぬか?」

問い返すと“なりませぬ“と藤八郎が言った。

「米を与えれば百姓達は御屋形様をお慕い致しましょう。なれど甲斐は上杉領にございまする。百姓達がその事に不満を持てば、朽木領にして欲しい等と言い出せば、後々上杉との関係に問題が生じかねませぬ」


なるほど、道理だ。出羽守も大きく頷いている。

「では黙って見ているしかないのか……。見殺しにしては百姓達から恨まれよう。何かと遣り辛いのではないか?」

藤八郎の顔が歪んだ。やはりその怖れは有るのだ。如何する? 押し切るか? それとも藤八郎の意見に従うか……。徳川が甲斐を見捨てるのが確実なら放置という手も有る。


「銭を使えば宜しゅうございまする」

「銭を? 百姓達に銭を与えよと言うのか、出羽守」

米を銭に代えても同じであろうと思っていると出羽守が与えるのではなく使うのだと言った。


「これから甲斐は秋を迎え冬が到来致しまする。その準備を致さねばなりますまい。薪、炭を百姓達から買い代価として銭を与えれば百姓達はその銭で米を買いましょう。他にも寒さ防ぎに獣の皮も求めれば宜しゅうございますし普請をして百姓達を使うという手もございます」

「なるほど、与えるのではなく銭を払うのか」

出羽守が頷いた。


「それなれば百姓達も御屋形様にそれほど恩を感じますまい。後々上杉との関係も損なわれずに済むかと思いまする」

「出羽守殿の案、名案かと思いまする」

藤八郎が“うん、うん”と頷いている。余程に気に入ったらしい。冷静沈着な藤八郎が喜んでいる姿が少し可笑しかった。


「良かろう、その案を採ろう。銭を使うのが朽木の戦だ。藤八郎、出羽守、その方達から蜂屋兵庫頭、金森五郎八、滝川彦右衛門に今の話をしてくれ。私は駿府に戻り銭の手配をする。頼むぞ」

「はっ」

二人が頭を下げた。城攻めの成果は無かった。だが得る所は有った、無駄ではなかったと思おう。





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