一波纔かに動いて
天正五年(1581年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 北条氏基
御屋形様が書類を取り上げ丁寧に読んで行く。頷く時も有れば眉を寄せる時も有る。読んでいるのは敦賀の湊からの報告書だ。敦賀の湊は朽木家にとって大事な港だ。蝦夷地、そして西国との交易を行う拠点であり明船、南蛮船もやってくるのだとか。それによってこの近江には敦賀の湊から様々な品が運ばれて来るのだという。その事を私に教えてくれたのは石田佐吉殿だがどうにも想像が付かない。
相模国にも湊は有った。でも明船や南蛮船などは来なかった。蝦夷地や西国との交易もしていなかった。多くは上総、下総、安房の船で駿河、尾張、伊勢から時折船が来る程度だったようだ。春伯母上、桂叔母上、菊叔母上からはそう聞いている。船が多く来るという事は物が多く来るという事。伯母上方は近江の物の豊富さに驚いている。
私が驚いているのは近江の刀だ。朽木物と呼ばれる刀はいずれも切れ味の良い名刀揃いだ。御屋形様が刀鍛冶を朽木に集めた事で良い刀が造られるようになったらしい。関東では相州物が有名だったけれど相州物を造る刀鍛冶も朽木には居たようだ。他にも美濃、伊勢から刀鍛冶が来て互いに協力し合って朽木物と呼ばれる刀が出来た。元服した時に御屋形様から関兼匡の太刀と脇差を頂いた。兼匡は元は美濃に居たが御屋形様の呼び掛けに応えて朽木に来た刀鍛冶の一人だ。今では名工として名が高い。
御屋形様が書類を文箱に入れた。
「次郎五郎、藤四郎」
御屋形様が吉川次郎五郎殿、小早川藤四郎殿を呼ばれた。
「敦賀の湊に朝鮮からの船が来ているそうだ」
暦の間がざわめいた。名を呼ばれた次郎五郎殿、藤四郎殿は勿論の事、石田佐吉殿、加藤孫六殿、明智十五郎殿、細川与一郎殿、黒田吉兵衛殿、皆が驚いている。
「美保の関が朽木家の物になった。あそこには以前から朝鮮の船が来ていたらしい。朝鮮から美保、美保から小浜、敦賀へと船が流れているようだ。その方達は美保に朝鮮の船が来ている事を知っていたか?」
次郎五郎殿、藤四郎殿が顔を見合わせた。
「某は知りませんでした」
「某は聞いた事が有ります」
藤四郎殿は知らない、次郎五郎殿は知っていた。同じ毛利の家なのに? 不思議な事だ。
「なるほど、吉川の家は山陰だからな。美保の関には関心が有ったか」
御屋形様が頷いている。そうか、吉川家は山陰、小早川家は山陽、同じ毛利家でも場所が違う所為か。
「次郎五郎、朝鮮からは何を買っていた?」
「さあ、そこまでは……」
「分からぬか」
「はい」
次郎五郎殿、ちょっと面目なさげだ。
「向こうが持ってきたのは朝鮮人参、経典、陶磁器等だな。虎の皮も有る。俺も昔の事だが虎の皮を堺から買った事が有る。あれは朝鮮の物であったのだろう」
「御屋形様、その虎の皮は今どちらに?」
石田殿が問い掛けると御屋形様が御笑いになった。
「一枚は京の叔母上に贈った。後は六角家へ祝いの品として持って行った物が有るな。もしかすると観音寺城の蔵に有るのかもしれぬ。もっとも二十年近く前の事だ、どうなっている事か……。盗まれたか、或いは鼠にでもかじられているかもしれぬな」
二十年も前? 自分が生まれる前の事だ、ちょっと想像が付かない。
御屋形様が御笑いになっている。良かった、御元気になられたようだ。相談役の日置五郎衛門殿、宮川新次郎殿が僅か十日ばかりの間に相次いで亡くなられた。御二人とも譜代で御屋形様が幼い頃から仕えてきた重臣だった。お二人の名は関東に居た私にも聞こえていた。五郎衛門殿は越前で一向宗と戦い新次郎殿は京に押し寄せた三好勢から公方様を守った事で有名だ。隠居してからも相談役として常に傍に居る事を命じられる程信頼が厚かった。それだけに御屋形様は随分と気落ちされていた。
明智殿、細川殿、黒田殿、小早川殿は御嫡男弥五郎様の側に仕えているが弥五郎様は今湯治に行っている。その間は御屋形様に御仕えする事に成っている。御屋形様の側で色々と学びたいという事の様だ。これまで御屋形様が気落ちしているのを心配していたが御屋形様が御笑いになったので安心したようだ。表情が明るい。桂叔母上も安心するだろう、随分と心配していた。後で叔母上に教えて上げないと。
「陶磁器か……、青磁、白磁、やはり物は向こうの物の方が良いな。陶工をこちらに呼んで作らせようか……」
陶工をこちらに呼ぶ? 朝鮮から?
「如何した? 皆何を呆けている」
慌てて周りを見た。皆もキョロキョロしている。呆けていたのは自分だけではないらしい。
「朝鮮から陶工を呼ぶのでありますか?」
石田殿が問うと御屋形様が頷かれた。
「朝鮮とは限らぬ、明からでも良い。この国に呼び陶磁器を作らせる。その技術を学ばせこの国の陶工にも優れた陶磁器を作らせるのだ」
「……」
「この国は天下統一へと向かっている。いずれ戦は無くなるのだ。そうなれば領主の仕事は敵から領地を守る事では無く領地を富ませ領民を富ませる事に成る。違うか?」
確かにそうだ。戦が無くなるのだからそうなる。
「領地を富ませるには様々な産物を作り売らねばならん。良い物ほど高く売れよう。そのために外から人を呼ぶ、新しい技術を学ぶ。少しもおかしな話ではないぞ」
御屋形様の仰られる通りだ、おかしな話じゃない。朽木の刀が有名になったのは様々な刀鍛冶を招いたからだった。陶工を明や朝鮮から招くのもそれと同じだ。でもそんな簡単に思い付く事でもない。やっぱり御屋形様は他の人とは違う。内大臣も直ぐに辞めてしまったし……。
天正五年(1581年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
そんなに唖然としなくても良いだろう。技術が無ければ外部から技術導入を図るのは当然の事だぞ。技術導入をしたら技術革新だ。要するに追い付け追い越せなのだ。そうやって人類は進歩してきた。国を開いて外と交流するのはその為だ。鎖国なんてしたら外の変化に付いていけなくなる。
俺は天下を獲っても国を閉じるつもりは無い。史実の徳川政権の鎖国なんて引き籠りだろう。平和が二百年以上続いたなんて評価する奴も居るがその代償が世界からの置いてけぼりだった。とても評価は出来ん。明治の元勲達はさぞかし徳川を恨んだだろうな。幕府を倒した代償として置いてけぼりの後始末を押付けられたのだから。
朝鮮からの船が敦賀に来た。私貿易、要するに民間の船だな。正式な交易は対馬の宗氏が握っている筈だ。こっちに来る事はないだろう。美保に来た船は隠岐を経由して来たようだ。隠岐って日本海では交易船の中継地としてかなり重要な拠点らしい。間抜けな話だが吃驚だ。
陶磁器か、今の日本には陶器は有っても磁器は無い筈だ。史実では朝鮮出兵で陶工を朝鮮から連れ帰った。その事が有田焼という磁器の生産に繋がった筈だ。確か十七世紀に入ってからだろう。土を固めるんじゃなくて磁器の原料となる岩を砕いてそれを使って焼き物を作った。細かい事は分からんが要するに陶器と磁器は製造原料が違うのだと思う。
俺は中国征服、朝鮮出兵なんて考えていない。つまりこのままでは有田焼は生まれないし同じ磁器である九谷焼も生まれない事に成る。あれ、儲かるんだよな。西洋では大人気だと聞いた覚えが有る。有田焼は無理だが九谷焼は加賀だから今からでも作る事は出来る。このまま放置という手は無い。朝鮮、中国から陶工を呼ぼう。新たな産業育成だ。もっと早く手を打っておけば良かった。失敗した。
しかし朝鮮出兵が無いとアジア史はどうなるのかな? 朝鮮救援は明にとってかなりの財政負担になったと聞いている。財政が破綻しそれによって政治的な混乱が生じた。朝鮮救援は明滅亡の一因だった筈だ。しかしそれが無ければ? 史実では十七世紀の半ばに清に滅ぼされた。明は既に斜陽だが滅亡はもう少し先に延びるのかな? それともだらだらと明が続くのか。最後は内部分裂して後漢末から三国時代みたいになるのか……。
清が成立しない、満州を中心とした後金という国家で終わる可能性が出て来た。この場合朝鮮はどうなるんだろう? 後金が対明戦を行うのなら朝鮮にも攻め込む筈だ。明に攻め込むには後方の安全を確保する必要が有る。朝鮮はその気になれば明に攻め込んだ後金の後方を遮断する事も出来るのだ。後金が朝鮮を放置する事は無い筈だ。モンゴルだって何度も朝鮮半島に攻め込んで服従させている。
場合によっては朝鮮を巡って明と後金が争う事に成るのかな? 或いは明は朝鮮を見殺しにし朝鮮は日本に援軍を求める、そんな事も有り得るかもしれない。朝鮮半島に兵を出す? そして後金と戦う? 却下だな。日本は島国なのだからその利点を生かすべきだ。半島や大陸とは交易を中心とした繋がりを持つが戦争には関わらない方が良い。海軍を強化して制海権を握れば可能だ。明治の日本の様に半島に関われば嫌でも戦争に巻き込まれる。避けるべきだ。後々のために遺言状でも作った方が良いかもしれない。日本の行動指針? そんな感じかな。
伊勢兵庫頭から文が届いている。俺が辞任した内大臣の後には予定通り近衛前基が就任した。これで廟堂は関白に九条兼孝、左大臣は一条内基、右大臣には二条昭実、内大臣に近衛前基になる。いずれも摂家の人間だ。公家ってのは本当に家柄が物を言う。武家とは違うな。
その摂家の事で朝廷から兵庫頭に打診が有った。絶家になっている鷹司家を再興させたいと。綾ママに確認したのだが鷹司家最後の当主は鷹司忠冬という人物で従一位関白にまでなった。廟堂では頂点に立ったと言う事だ。三十代半ばで亡くなったのだが跡継ぎが無く鷹司家は断絶した。鷹司家が断絶して三十五年というから俺が生まれる直前の事だな。まあ天下も落ち着いて来た、他人の事を思い遣る余裕が出て来たと言う事だろう。
鷹司家の当主となって再興する人物だが二条晴良の息子、晴房を朝廷は考えているらしい。摂家の当主だからな、同じ摂家の中から選ぶと言うのは分かる。だがな、二条晴良の息子? これが実現すれば五摂家の内二条、九条、鷹司の当主は二条晴良の息子と言う事に成る。多分俺に打診してきたのは俺と二条の関係が微妙だと思っての事だろう。まあ俺は如何でも良い、気にしない。だが太閤近衛前久は如何考えているのかな? そっちの方が問題だろう。それに左大臣一条内基が如何思うか? 兵庫頭にはその辺りを確認させよう。
それとは別に改元の事を兵庫頭が提案してきた。帝が代替わりしたのだから元号も変えてはどうかという事だ。なるほどな、確かに改元をしてもおかしくは無い、いやむしろ行うべきだろう。もしかすると兵庫頭は公家達から何か言われたのかもしれない。良いだろう、改元をしよう。費用は朽木が持つ。臨時収入だ、朝廷も喜ぶだろう。
薩摩に居る足利義昭は相変わらず意気軒昂らしい。俺が島津に琉球から手を引けと言ったのが気に入らないようだ。琉球は島津の物だ、足利がそれを認めたと煩く騒いでいるのだとか。俺の事を僭越だと事有るごとに言っているらしい。側近達は義昭に迎合している様だが義昭の居ない所では早く京に戻りたいとぼやく事も有るようだ。何と言っても収入が無いからな、島津におんぶにだっこだ。肩身が狭いのだろう。昔と違って流浪の将軍に援助しようと言う勢力は無くなった。徐々に追い詰められている。その事を義昭の側近は切実に感じているらしい。
改元したらそれに合わせて義昭の上洛を求めようか。俺が命じても無理だろうが帝の命ならどうだろう。本人は嫌がるかもしれんが側近達は受け入れるべきだと義昭に言う可能性は有る。義昭自身、何処かでもう無理だと理解してはいるだろう。となればどうやって義昭の面子を立てるかだ。帝の命、それに関白は近衛から九条に代わった。九条は親足利義昭の二条晴良の息子だ。帰り易いんじゃないかな。後は俺が義昭の安全を保証すれば……。あ、いかん、源氏の氏の長者の件が有った。一旦棚上げだな。
義昭は三好左京大夫義継、伊勢伊勢守貞孝、細川兵部大輔藤孝、一色式部少輔藤長を殺している。その辺りを宥めなければならんな。それを思えば義昭を余り厚遇は出来ない。或る程度の官位を与えたらすぐに隠居して貰おう。そして息子を元服させる。足利家は一万石程の名門武家として扱おう。そして今義昭に仕えている連中はそのまま義昭が召し抱える事にする。最後まで面倒をみて貰おうか。幕府ごっこでも将軍ごっこでも好きな事をすれば良いさ。
義昭が薩摩から戻れば島津の面目は丸潰れだな。その島津が如何動くか、一向門徒の問題も有る。要注意だな。
天正五年(1581年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 黒野影昌
「こうして話すのは久しぶりだな」
「真に」
闇の中、二人だけで話す。声の様子から御屋形様が寛いでいるのが分かった。表で話すよりもこちらの方が気が楽なのかもしれない。
「それで、織田の様子は?」
「織田三介様が清州城内にて襲われました」
空気が重くなった。
「……三介殿は死んだのか?」
「いえ、掠り傷にございます」
じわりと空気が緩んだ。御屋形様が“くっ、くっ”と笑った。
「三介という男、能力は無いが長生きは出来る男のようだな。この乱世では得難い資質だ」
「織田家にとっては不運な限りで」
御屋形様が声を上げて笑った。
「小兵衛は酷い事を言う」
「御屋形様もそうお思いでございましょう」
死んでいれば織田家は新たな当主を立てる事が出来た。その方が織田家にとっては幸いだっただろう。そして朽木家は新たな当主の下に纏まった織田家を相手にする事に成った。織田家は運が無いが御屋形様は運が有る。
「襲った男だが何者だ?」
「織田三七郎様に所縁の者だとか」
「……恨みか、誰かに唆されたかな」
「それが己一人の思い立ちのようにございます」
「……」
御屋形様が考え込んでいるのが分かった。誰かに唆されたのではない、単独での凶行……。
「織田も危ういな」
「はい」
「俺が三介殿なら邪魔な連中に罪を押し被せて纏めて始末するのだがな、難しいか」
「難しゅうございます。それをやれば織田家は分裂致しましょう」
美濃を捨てた事で三介様への求心力は急速に失われた。無茶は出来ない。
「今年の正月でございますが」
「うむ」
「殆どの国人衆が年始の挨拶に代理を遣わしたそうにございます」
「ほう、本人は出向かぬか」
「はっ、正月の宴は随分と寂しいもので有ったとか」
御屋形様が“くっ、くっ”とまた笑った。
「なるほど、それも有って殺そうとしたかな。三介殿では国人衆が付いて来ぬと」
「かもしれませぬ」
国人衆が織田を見離しつつある。三介様は頼りにならぬと国人衆は見ている。三介様を除こうとしてもおかしくは無い。
「森三左衛門は如何か?」
「こちらに付くとの事でございます。なれど人質を取られているので内応は難しいと。敵対しない事で許して欲しいと言っております」
「そうか、まあ良い。敵に付かねば十分だ」
内実は織田を裏切るのが心苦しいのだろう。御屋形様も察している様だ。
「こちらにも動きが有った。鈴村八郎衛門の親族が鈴村を通してこちらに付くと申し出てきた。仲が悪かった筈なのだがな、かなり危機感を抱いているようだ」
「左様で」
鈴村と言えば岩作の鈴村か。岩作は瀬戸に近い。寝返りが織田に漏れれば忽ち潰されるだろう。その危険を冒して寝返った……。
「攻め時だな。織田の親族衆、重臣達に接触し寝返りを誘え。遅くとも四月の下旬には攻め込む。寝返りは確実でなくとも良い。織田の親族衆、重臣達が迷ってくれればな。俺の方からも三十郎に文を送らせよう」
「はっ」
つまり出来るだけ多くの重臣達に声を掛けろという事か。三介様のために命を落とすのは無駄死にだと思わせろという事だな。となると誘降だけでなく流言も要るな。
「美濃から尾張に攻め込むとなれば木曽川沿いの国人衆を味方に付けねばならん」
「川並衆と呼ばれる者達ですな」
「うむ、その者達にも調略をかけてくれ。味方に付くのが難しければ手を控えてくれとな」
「敵対しましょうか?」
国境沿いの国人衆ならばこの手の判断には敏感な筈だが。御屋形様が闇の中で首を横に振るのが見えた。
「分からん。あの者達、織田家臣の木下藤吉郎と親しいようだ。その者次第だろう」
「木下は如何します?」
御屋形様の元に挨拶に来ていたな。調略の障害になるようなら場合によっては殺す事も考えなければなるまい。
「……何もしなくて良い。いや、木下には俺が心配しているとだけ伝えよ」
「はっ」
どうやら御屋形様は木下には思い入れが有るらしい。
「それと津島、知多の佐治、瀬戸、生駒も忘れるな」
「はっ」
「こちらは織田と関係が深い、それだけに厄介かもしれん。だが織田よりも朽木に付いた方が将来が明るいと説得しろ。それと朽木は過去に拘らぬと」
「承知しました」
時が無い、急がなくてはならん。