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血族




天正四年(1580年)   八月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  

朽木堅綱




父上が私を励まして下さる。本当なら未熟と叱責されても仕方が無いのに……。足りない、まだまだ父上には及ばないと思った。一度失敗したからと言って落ち込んでいる私は家臣達から見れば頼りない限りだろう。父上は失敗しても動じる事無く次の手を考えている。失敗を嘆く暇が有るなら考えろ、そう父上に言われているような気がした。その通りだ。そうでなければこの乱世を生き抜く事は出来ぬ。


「小兵衛、西美濃三人衆だが稲葉山城の中で殺されたと言ったな。となると家は如何(どう)なるのだ? 安藤、稲葉、氏家、やはり潰すのか?」

「はっ、織田三十郎は兵を出しております。既に可児郡金山城の森三左衛門、恵那郡の遠山七頭がそれに従って兵を出しました。安藤、稲葉、氏家の三家を潰し織田家の蔵入地にすれば美濃の支配は一段と安定する筈、三十郎の狙いはその辺りでございましょう。御屋形様の御推察の通りかと」

「やはりそうか」

父上が頷かれた。


「三十郎も苦しいと見える」

苦しい? 如何いう事だろう。周囲を見たが頷く者が半分、訝しげにしている者が半分だ。

「父上、苦しいとは如何(いか)なる意味でありましょう?」

問い掛けると父上が顔を綻ばせた。


「森三左衛門、遠山七頭が兵を出したという事は事前に知っていた、準備をしていたという事だ。つまり三十郎は最初から西美濃三人衆を殺すつもりでそれを森三左衛門、遠山七頭に相談していたのだ。三十郎が迷った素振りをして何度か三人衆を稲葉山城に招いたというのも三人衆を油断させるためだけではなく戦の準備を整えるための時間稼ぎであろう。三人衆に知られる事無く密かに準備しなければならぬからな」

「なるほど、良く分かりました。しかし苦しいというのが良く分かりませぬ。それは?」

父上が可笑しそうにしている。


「弥五郎、美濃には森三左衛門、遠山七頭しか居らぬのか?」

「あ……」

父上が声を上げて御笑いになった。そして真顔に戻られた。

「殆どの国人衆が声をかけられておらぬ。信用しておらぬのよ。話せば(はかりごと)を三人衆に漏らしかねぬと思ったのであろう」

「なるほど」

「国人衆達も自分達が信用されておらぬ、妙な噂が流れれば何時三人衆同様誅されるかもしれぬと思った筈。首筋が寒かろうな」


そうか、そういう事か。父上が先程調略がかけやすい状況になったと仰られた意味が良く分かった。私を励ますためではない、実際に織田三十郎は苦しい状況にあるのだ。見えなかった……。

「弥五郎、次は如何(どう)する?」

「はっ、美濃の国人衆を調略いたしまする」

皆が頷いた。


「それだけか?」

「と申されますと?」

「国人衆を調略する、当然の一手だ。だがそれだけでは芸が無いな。もう一捻り欲しいものだ」

一捻り? 一捻りと言っても何をすれば……。悩んでいると父上がまたお笑いになった。

「弥五郎、遠山七頭が何故三十郎の信を得たか、分かるか?」

「……いえ、分かりませぬ」

父上が“小兵衛”と声をかけると小兵衛が“はっ”と言って畏まった。


「遠山七頭の旗頭遠山大和守景任は織田弾正忠様の叔母を正室に迎え弾正忠様の御子、坊丸君を養子に迎えております」

なるほど、織田家と遠山家は強い結び付きが有る。三十郎が遠山家を信じたのはそれが理由か。

「弥五郎、遠山家は織田家と強い結び付きが有り東美濃に力を持つ一族だ。その遠山氏が三十郎に力を貸した。遠山氏にとっては当然の事だろう。だが三介殿は如何見るかな?」

「……不安を感じるという事でしょうか?」

答えると父上が頷いた。


「そうだな。三十郎が織田の血族に力を振るい始めた、そう見るであろう。そして他にも三十郎に同調する者が出るのではないかと疑う。自分よりも三十郎に重きを置くのではないかとな」

「同調する者……」

「三十郎の下には弟が居る。その者達が三十郎に同調するのではないか、そう疑うとは思わぬか? 三介殿の様な立場の者にとって一番警戒せねばならぬのは家臣ではない、血族よ。兄弟、叔父だな」

「なるほど」

そういう事か、三介殿にとっては三人衆よりも親族の方が危険な存在なのだ。その事を理解しなければ三介殿の心は分からない、その動きは見えてこない。


「小兵衛、美濃、尾張で噂を流せ」

「はっ」

「三介殿は三十郎と遠山氏に不快を感じている。他にも三十郎に与する者が出るのではないかと疑心を抱いているようだと」

「はっ」

「そして三介殿は叔父達を疎んじ始めていると噂を流せ。後は連中が勝手に踊るだろう。その間にこちらは美濃の国人衆に調略を仕掛ける。三十郎を孤立させよう。先ずは不破太郎左衛門尉を引き寄せるとしよう。美濃への出入り口を押さえるのだ」

皆が頷いた。父上の言われた一捻りというのは織田一族の目を身内の争いにむけさせようという事か。


「弥五郎、良く覚えておけ」

「はい」

「調略というのは心を攻めるのだ。相手が一つに纏まっていれば手出しは出来ぬ。だから相手を惑わせ、混乱させ、疑わせる。そうする事で相手を分裂させるのだ。その後は潰すか、こちらに引き寄せるかをすれば良い」

「はい」


調略は心を攻めるか。今攻めるべきは三介殿の心、そして織田の一族の心。織田一族を混乱させ分裂させれば織田に服属する国人衆達は迷うだろう。それが美濃での調略を成功させる事になる……。




天正四年(1580年)   八月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  

朽木基綱




暦の間から自室に戻ると小夜が直ぐにやってきた。

「御屋形様、御疲れでございましょう」

「うむ、少し疲れた。年かな?」

答えると小夜が“まあ”と言ってコロコロと笑い出した。

「私の方が御屋形様よりも一つ年上なのでございますよ」

「ああ、そうだったな。では年の話はせぬ方が良いか」

「そうでございますね、余り嬉しくはございませぬ」

二人で声を上げて笑った。もう三十を越えた。独身時代よりも小夜と一緒になってからの方が長いのだと思った。不思議な事だ。


“肩をお揉みしましょう”と言って小夜が後ろに回った。嗅ぎ慣れた良い匂いがする、小夜の匂いだ。ふわっと包まれたような気がした。小夜が指で肩の後ろの辺りを圧してくれる。痛いが気持ち良かった。

「大分凝っておいでですね」

「戦は無かったのだがな、軍を率いるというのは疲れる」

「大変でございますね」

「そうでもない。土佐というのは良い国だったぞ。空が青いのだ、心が洗われるようだった」

「まあ、行ってみとうございます」

小夜が弾んだ声を出したから“そうだな”と答えた。


土佐は無理だ。でも何処かに連れて行ってやりたいな。若狭にでも行ってみようか? 三方五湖とか如何だろう。喜んでくれるかもしれない。

「御屋形様、もう直ぐ上杉家から華姫が参ります」

「華姫が?」

「はい、一周忌に」

「なるほど」

そうか、信長、信忠の一周忌か……。


「弥五郎から御聞きになっていませんか?」

「いや、今聞いた」

「まあ、あの子は」

「そう言うな、小夜。弥五郎もそこまで頭が回らぬのだ。事が多すぎる。いずれ報せに来るだろう」

小夜が後ろで息を吐くのが分かった。心配らしい。


「一周忌か、義理堅い事だが尾張に行くのは止めた方が良いな」

「危ないのでございますか?」

背後から心配そうな声が聞こえる。

「危ういな。三介殿の立場も為人(ひととなり)も危うい。何をするか分からぬ危うさが有る。近付かぬ方が良い」

怯えているのだ、そして腹が据わっていない。だから突拍子もない行動をする。そして頼り無しという評価に繋がる。

「鷺山の御方を頼む事は出来ませぬか?」

「止めた方が良かろう」


鷺山殿か。彼女に三介では無く他の誰かを織田の当主にと訴えてみようか? そして三介の耳に彼女が三介廃嫡で動き出したと吹き込む。三介が鷺山殿を殺せば……。三介信意か、史実での織田信雄だが改名出来るまで命が有るかな? 後で小兵衛を寝所に呼ぼう、これは表には出せない、極秘にした方が良い。弥五郎には……、教えよう。そろそろ汚さも教えなければならん。汚い事をさりげなく周りに知られずに行う。その辺りの呼吸を教える。


「小夜、もう良いぞ。大分軽くなった」

「それは良うございました」

小夜が前に座った。そしてじっと俺を見た。

「織田を獲るのでございますか?」

「分かるか?」

「はい、喰う事を躊躇ってはならぬ。そう御屋形様に教えられました」

そうだな、そんな事を言ったな。あれは六角と戦うかもしれないと言った時だった。


「織田を喰う事で東海から関東に勢力を伸ばすつもりだ。ゆくゆくは奥州、九州も従える。そうする事で天下を統一する事に成る。あと十年で成し遂げようと思う」

「十年……」

「お互い、四十を越えているな」

「そうでございますね」

小夜が感慨深そうにしている。


「今少しの間、苦労をかける」

「先が見えているのですもの、苦労とは思いませぬ」

小夜が朗らかに答えた。十年で統一しその後の十年で統治体制の土台を作る事に成るだろう。二十年後には弥五郎は三十を越えている。十分に経験を積んでいる筈だ。俺の後を継いで天下を治めてくれるだろう……。


「さて、大広間に行こうか。小夜、皆を呼んでくれるか」

「宜しいのですか?」

小夜が目を見開いた。嫁いできた頃もよくそういう表情をした。朽木家は驚く事ばかりだったのだろう。

「皆の顔を見て声を掛けなければな。薄情な男だと恨まれるだろう。それに母上が煩い」

「まあ」

小夜が“ほほほ”と笑いながら立ち上がった。別に冗談を言った訳じゃないんだけど……。


譲位が終ったら今川、北条から側室を入れなければならん。それに北条安王丸の元服を行い菊姫の嫁ぎ先を決めなければ……。御大典も有るな、準備は朝廷に任せておいて大丈夫なのかな? 伊勢に確認してみよう。金銭以外で協力が必要なら手助けしないと。外も大変なら内も大変、武家も大変なら朝廷も大変だな。




天正四年(1580年)   八月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  

進藤賢盛




「此度はまた厄介になりまする」

「いやいや、何程の事でも有りませぬ。御役目御苦労に存ずる。御疲れでありましょう。ゆっくりと御寛(おくつろ)ぎ頂きたい」

上杉家の家臣、直江与兵衛尉信綱殿を労うと与兵衛尉殿が顔を綻ばせた。

(かたじけの)うござる、なれど殆どが船旅なればそれほどでも」

「左様ではござろうが華姫様の御供となれば……」

「確かに。多少は気遣いが要りまする」

与兵衛尉殿が頷いた。未だ若い男だが覇気よりも落ち着きを感じさせる男だ。


「主は今京に居りまする。こちらに戻るのは九月の半ば頃に成りましょう。尾張へは何時頃発たれる御積もりかな」

「左様、遅くとも九月の末にはこちらを発たなければなりますまい」

「御止め頂く事は出来ませぬか? 主も危惧しております」

「それほどまでに危ういと?」

与兵衛尉殿が顔を強張らせている。越後では美濃、尾張の混乱は実感出来ぬのだろう。


「先日、美濃の織田三十郎殿が美濃の有力国人三人を誅しました」

「西美濃三人衆ですな。三十郎殿を担いで美濃で自立しようとしたと聞いております。三十郎殿はそれを拒絶したと」

「如何にも。三十郎殿が三人衆を誅したという事は自身にかけられた嫌疑を晴らし三介様への異心無しと表明したつもりでござろう。なれど……」

「疑いは晴れぬのですな?」

問い掛けてきたので頷いた。


「あの一件で織田家中では三十郎殿への信望が高まり申した。三介様は三十郎殿に織田家の家督を奪われるのではないかと疑心を抱いているとか。疑念はむしろ強まったと某は見ております」

「なんと」

驚いている。


「不安なのでしょうな。血で言えば三介様が跡を継ぐのが道理、なれど今は乱世にござる。血だけでは跡を継げませぬ、人を纏める力が要る。残念ながら三介様にはその力が無い、そしてその事を三介様も感じておられる。だから自分以外で周りを纏めそうな者を疑う」

「なるほど」


「我らは権大納言様の御口添えが有れば三介様も滅多な事はせぬと思っておりましたが……」

「もはや左様な気遣いが出来るような状況では有りますまい。一周忌には織田一族の殆どが集まる筈、その場で何が起きるか……」

「刃傷沙汰が起きると御考えか?」

眉を顰めた。


「その懼れは十分に有りましょう。三七郎様も美濃三人衆も城内で刺殺された事を忘れてはなりますまい。三介様はどうやら戦には自信が無い様子、となれば一周忌を邪魔者を呼び寄せて殺すために利用するという事は十分にあり得る事」

与兵衛尉殿が“そうですな”と言って頷いた。


「三介様に限った事ではござらぬ。三十郎殿が事を起こす、それ以外の者がどちらかを、或いは両方を殺そうとする可能性もある。……法要の場で騒動が起きれば華姫様の御身にも刃が迫りかねぬ」

「確かに」

与兵衛尉殿が緊張も露わに頷いた。


「しかし皆が集まりましょうか? 騒動を恐れて参列せぬのでは?」

「参列せねば三介様に異心有りと思われましょう。誅すための口実を与える様なもの」

「なるほど」

「一周忌は故人の冥福を祈るなどというものにはなりますまい。参列者の生き死にと織田家の当主の座を掛けたものになるのではないかと思っております」

与兵衛尉殿が溜息を吐いた。


家督争い、御家騒動はあくまで身内での争いなのだ、敵との争いでは無い。だから何時、何が起きるか分からない。六角家がそうだった。観音寺崩れは突然に起こった。承禎入道様は自分が殺されるその瞬間まで右衛門督様に観音寺城で殺されるとは思ってもみなかっただろう。織田家でも同じ事が起きないという保証は何処にも無い。


「些かお聞き辛い事をお訊ね致す。織田家の混乱に朽木家は如何なされるおつもりか?」

与兵衛尉殿がひたと視線を向けてきた。多分、今回朽木に立ち寄った目的の一つがこれだろう。

「放置は出来ませぬ。織田の混乱は徳川を喜ばせるだけでござろう。上杉家はそれを許す事が出来ますかな?」

「無論、出来ませぬ」

互いに頷いた。


「改めて忠告致す。華姫様の一周忌御法要への出席はお止めになった方が宜しいかと存ずる」

「御好意、有難く頂戴致す。華姫様の出席は取り止めと致しましょう」

これで良し。朽木と上杉の間で織田の混乱は徳川を利するだけ。それを防ぐために朽木は東に動く。上杉も了承したという事に成る。後は御屋形様、若殿が戻られるのを待つだけだ。





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