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初陣

永禄二年(1559年) 一月下旬  近江高島郡朽木谷  朽木城  竹若丸




永禄二年は穏やかに始まった。いつも通り松の内は新年の挨拶と御祝いだ。京からは飛鳥井、目目叔母ちゃん、義輝から酒と椎茸への礼状が届いた。義輝からは朽木が懐かしいと書いてあった。京では色々としきたりがやかましい。流浪の身ではあったが自由気ままだった朽木時代が懐かしく感じるようだ。それと近衛前久の妹と結婚する事になったと礼状には書いてあった。義輝の母親も近衛の出だ。足利は二代に亘って近衛と縁を結ぶ事になる。


高島七頭はそれぞれが密かに戦の準備をしている。朽木は兵農分離で傭兵主体だが他は農民を使っての戦だ。農繁期は無理だし正月も嫌がられる。そういうわけで松の内は平穏無事に済んだが松の内が明けると直ぐに連中が動いた。六家合同で朽木に使者を寄越してきた。使者達の持って来た話は朽木の所為で自分達は酷い迷惑を被っているというものだ。連中の言い分を現代風にアレンジすると次のようになる。


『お前勝手に税率下げてんじゃねえよ、このボケナス!』

『お前の所為で俺達は悪政を布いてる、住民を虐待してるって言われてんだぞ、このボケ。風評被害だろうが!』

『住民が逃げ出してんだよ、このカス! どうすんだよこれ! 人口減少で税収が減るだろうが! 軍事力も低下だ! このままじゃ他の都市に強制的に吸収合併されちまうじゃないか! 俺達殺されちゃうよ? お前責任取れるの? ケンカ売ってんのか?』


『関所を勝手に廃しやがって商人は皆お前の所に行っちまって俺達の所には来なくなっちまっただろうが。おかげで物価が上昇してとんでもねえ事になってんだよ。お前共存共栄って言葉知らねえのか? 自分だけ良ければみたいな事やってるとマジで殺すぞ?』

『足利とか朝廷にチヤホヤされていい気になってんじゃねえよ。これは高島七頭の問題だからな。足利とか朝廷にチクってんじゃねえぞ』


なんて言うか、朽木って本当に酷い奴だな。一瞬だがそう思ってしまった。まあ連中からするとそれが事実であり真実なんだろう。連中の要求だが被った損害を賠償しろという事だった。賠償金額はそれぞれに対して一千貫、合計六千貫というものだ。当然だが断った。丁重にね。


『当社の経営方針は斬新では有りますが極めて真っ当なもので法律に触れるような事は一切しておりません。失礼ですがそちら様の御要望には一切根拠が無いと判断します。よって当社が皆様にお金を支払わなければならないような義務、責任は全く生じません。本日は御疲れ様でした。気を付けてお帰り下さい』


まあこんな感じだな。連中はプンプン怒りながら帰って行った。一応手土産は渡した。焙じ茶と玄米茶とゲンノショウコの三点セットだ。朝廷、幕府では焙じ茶と玄米茶が大評判だ。香ばしさが喜ばれている。これでも飲んで少し落ち着け、そんなところだ。


現代社会ならこれからは法廷で会いましょうになる。しかし今は戦国時代だ。法廷論争は面倒くさいし時間がかかる。手っ取り早く戦場で、殴り合いで決めましょうという事になった。なんて言うか、戦争ってこんな感じで始まるんだと新鮮な驚きが有った。歴史の授業じゃ分からん事だな。


という事で今は戦の準備なのだがちょっと揉めている。

「竹若丸様、某も戦にお連れ下さい」

“某も”、“某も”と声が上がる。梅丸を始め小姓達だ。俺の部屋にまで来て訴えてきた。

「駄目だ。その方等は元服前だ、城に居よ」

不満そうな顔をしても駄目だ。平均年齢で十歳ぐらいだぞ、連れて行けるか。


「殿も元服前です」

俺は殿だから良いんだよ、そう言いそうになって慌てて飲み込んだ。ガキどもには理を分からせないと。

「俺は朽木の当主だ。家臣達を戦場(いくさば)に送る以上、見届ける義務が有る。それに鉄砲隊を作ったのも俺だ。効果の程を見届けなければならん。そうであろう、五郎衛門」

五郎衛門が渋々頷いた。


「正直に申し上げれば某は殿の出陣に賛成出来ませぬ。しかし殿の申される事は道理と心得ます」

「分かったか」

俺が駄目を押すと小姓どもが渋々頷いた。


「しかし殿、まことその格好で戦をなさるので?」

「うむ」

五郎衛門が顔を顰めた。俺が身に着けているのは胴回りと脛当てだけだ。

「太刀は如何なされます」

「要らん、脇差だけで良い」

溜息を吐くな、ゲジゲジ眉毛。ガキなんだからしょうがないだろう。重いの付けたら動けないんだよ。大体俺が使う馬は未だ子馬だ。馬が潰れたら如何する? 万一の場合逃げられんぞ。それに太刀だって俺に武者働きなんて出来る筈がないんだ、邪魔になるだけ、要らん。……いっそ平服で行くか。


「竹若丸殿、入りますよ」

綾ママが入ってきた。キリも一緒だ。珍しい事だ、綾ママが俺の部屋に来るなんて。小姓共も吃驚している。皆で姿勢を正して迎え入れた。綾ママ今日も綺麗だ。ゲジゲジ眉毛、綾ママに見とれてるんじゃない。

「如何されました、母上」

「戦に出ると聞きました」


あら、心配してくれるのかな。ちょっと嬉しいぞ。

「はい」

「相手は四倍を超えると聞きました」

綾ママが心配そうな顔で五郎衛門を見た。……馬鹿野郎、なんか言えよ、ゲジゲジ眉毛。綾ママが不安に思うだろう。


「ご安心ください、母上。朽木は負けませぬ。そうであろう、五郎衛門」

「……勿論でございます」

「でも」

駄目だ、納得していない。ゲジゲジ、お前が一瞬間をあけるからだ。

「四倍を超えるとは言いますが所詮は烏合の衆、畏れる事は有りません。叩きのめしてやります」

綾ママが少し俯いて息を吐いた。……逆効果だった?


「……武運を祈っていますよ、竹若丸殿」

「はい、有難うございます」

綾ママとキリが出て行くと部屋には微妙な空気が残った。五郎衛門が咳ばらいをした。何だよ、ワザとらしいな。


「殿、少しは弱い所を御方様に御見せなされませ。殿は少し強過ぎまするぞ」

「如何いう意味だ、五郎衛門」

「母親という生き物は子供の弱い姿を見て安心致しまする。この子には自分が必要だと思うのでござる。ですが殿は……」

弱さを見せないから自分が必要無いと思うか……。

「……五郎衛門、俺は朽木の当主だ。弱い姿など見せられぬ。だがその方の言い分は(しか)と聞いた。心に留めておく」

五郎衛門が深々と頭を下げた。俺、今年で十一歳なんだよな、でも中身は五十男。子供らしくないのは仕方ないよな……。




永禄二年(1559年) 二月上旬  近江高島郡朽木谷   朽木城  黒野影久




「敵の兵力は約千二百、清水山城に集まっておりましたが朽木に向かって進軍を始めたそうにございます。我が手の者より連絡が有りました」

俺が報告すると大広間がざわめいた。清水山城から朽木までは約二里半、早ければ二刻程でやって来るだろう。


「意外に少ないの。もう少し多いと思ったが」

御隠居が首を傾げた。

「敵は疑心暗鬼になっております。特に高島に対する不信が酷いようで」

俺が答えると彼方此方から笑い声が上がった。少ないと言っても敵は四倍、だが広間の空気は明るい。


「聞いての通りだ。敵は四倍とは言え所詮は烏合の衆、恐るるに値せぬ。兵達にもその事を良く言い聞かせよ。心を一つにして戦えば必ず勝てるぞ」

殿の言葉に大広間に“おーっ”と声が上がった。

「今日は天気は良いが風が強い、少し冷える。兵達に握り飯と熱い味噌汁を与えよ。一刻後、出撃する。(おん)(じゃく)も忘れるな」

また声が上がった。大広間から何人かが出て行った。


「五郎衛門、左門、又兵衛」

「はっ」

日置五郎衛門行近、日置左門貞忠、田沢又兵衛張満が殿の前に出た。

「五郎衛門、鉄砲隊は我が命に従え」

「はっ」

五郎衛門殿が頭を下げた。


「左門、その方が前に出る時は勝敗が決まった時じゃ。敵に追い打ちをかけるのが役目、それまでは前に出てはならん。俺の命を待て」

「はっ」

「又兵衛、戦が始まればその方は弓隊に弓を射続けさせよ。止める時は俺が命を出す。それまでは止めてはならん」

「はっ」

三人が頭を下げるのを見てから殿が俺を見た。


「重蔵、例の手配は済んでいるか?」

「はっ、十分に」

殿が満足そうに頷いた。敵が負けたら六頭の城下、城中で噂を流す。公方様の命に背いた以上攻め滅ぼされると。殿は朽木が負けるとは微塵も思ってはいない。必ず勝つと考えている。その証拠に皆が鎧に身を固める中、殿は平服だ。武者働きが出来ぬ以上鎧は不要、そういう事らしい。太刀も持たない、脇差一本を身に付けただけだ。


侍女達が握り飯と味噌汁を大広間に運んで来た。それぞれに受け取り食べ始める。殿の前にはキリが食事を運んでいた。良くやっている様だ。俺の前にも運ばれてきた。これを食べれば出撃か。香の物が入った握り飯が美味い。そして熱い味噌汁。最後の食事になるかもしれぬ。そう思いながらゆっくりと食べた。




永禄二年(1559年) 二月上旬  近江高島郡朽木谷   竹若丸 




現代と違ってこの時代は道路が舗装されているわけでは無い。むしろ悪路の方が攻められなくて良いと考える風潮が有る。朽木谷に通じる道は決して悪路と言うわけでは無いが何と言っても谷を通る道だ。幅は狭く軍用道路として適しているとは言えない。朽木がこれまで安全だったのはこの地形によるところが大きい。


その道路に高島勢千二百が集結している。大体こちらとは距離五百メートル、この時代だと五町、そんなところか。向こうから見て朽木勢は不思議な軍勢だろうな。朽木勢三百の内二百は鉄砲隊だ。そして弓隊が五十、槍隊が五十。騎馬隊は無い。馬を使っているのは指揮官だけだ。もっともその馬も一カ所に纏めて繋いであるから全員徒歩(かち)だ。極端な火力偏重。鉄砲隊は三隊、七十、七十、六十に分かれている。


勝てる、と思う。ここは軍勢を横に広く展開出来ない。つまり大軍の利を生かし切れないのだ。包囲される事はまず無い。正面突破、押し合いの戦になるだろう。この場合、勝負を決めるのは速さと持続力だ。勢いを付けて敵にぶつかりその物理的な衝撃力で敵を混乱させ突破、或いは粉砕する。この時代は通信手段が劣悪だ、一旦混乱したらそれを収めるのは容易ではない。衝撃力を持続出来れば勝利を得られる。これがセオリーだ。


だがこの時代その衝撃力を無にする兵器が出現する。鉄砲だ。火力による防御、つまり衝撃力を受ける前に火力によってその衝撃力を削ぐ、無にするという戦い方が出現する。長篠の戦がそれだ。戦国でも最強レベルの衝撃力を誇った武田の突進力を織田信長の鉄砲の集中運用が粉砕した。


これから始まるのはそれだ。規模は十分の一以下になるが鉄砲の集中運用による敵の撃破。突進力を使わない戦だ。念のため軍の前面には障害物を置いてある。丸太を組み合わせて作った平均台の様な障害物だ。多少は速度を落せるだろう。そして風は朽木から高島に吹いている。こちらが風上だ。敵は向かい風で戦う事になる。敵が四倍の大軍という事を除けば初陣としては悪い条件じゃない。


「竹若丸、なかなか攻めて来ぬの」

「誰が先陣を務めるのか揉めているのだろう」

「先陣は名誉な筈だが……」

「噂を流したからな。皆自分だけが貧乏籤を引くのを恐れているのだ」

御爺が“ふーん”と唸った。困ったものだ、城で留守番していれば良いのに鉄砲の効果を見たいと言って付いて来た。重蔵がニヤニヤしていた。役に立つよな、八門。


敵陣に動きが有った。出てきたのは四つ目結の旗、丸の内釘貫……。

「動いたの、高島と田中か」

皆を纏めるために高島が出た。だが高島一人に功を挙げられては困る。だから田中が出て来た。そんなところだろうな。それまでじっと動かずに敵陣を見ていた五郎衛門がブルブルっと身体を動かした。武者震いか。


「殿」

「うむ、敵が二町まで近付いたら第一列、第二列に撃たせよ」

「はっ、その後は」

「第三列には俺が直接指示を出す。五郎衛門は第一列、第二列に二射目の準備をさせよ」

「はっ」

身震いが出た。俺も武者震いだ。落ち着け、俺は勝てる筈だ。


敵が動き出した。喊声を上げ少しずつ速度を上げ始めた。正面戦力は百五十程か、地響きがこちらにまで届く。流石に迫力が有る。TVドラマでは味わえない臨場感だ。先頭は槍を抱えた足軽、その後ろを騎馬武者が続く。敵に騎馬隊は無い、騎馬武者はこちら同様指揮官だろう。


「放て!」

又兵衛が大きく叫んだ。それと共に矢が敵に飛んで行く。距離、約四百メートル。矢が敵に降りかかったが敵は怯む事無く近付いて来た。まあ当然だな。百メートルを切らなければ致命傷は与えられん。それに僅か五十本の矢だ。しかし負傷はさせられるし追い風だ。多少は期待出来るかもしれん。


「鉄砲隊、構え!」

五郎衛門の命令に鉄砲隊が片膝を着いて構えた。矢が降り続く。敵が近付いて来た。三百、二百五十、二百……。

「第一列、放て!」

轟音が響き敵がばたばたと倒れた。馬が棹立ちになって武者を振り落している。ざっと五十人くらいは打倒したか。上々だ。御爺が“ほう”と嘆声を上げた。


敵は呆然としている。音にも驚いただろうがいきなり五十人が倒れたのだ。衝撃を受けたのだろう。だがこれで突進力が失われた。

「第一列後ろへ! 第二列前へ! 放て!」

また轟音が響き敵がばたばたと倒れた。今度は四十人くらいか。


「田中勢がおかしいの」

「うむ」

おかしい。田中勢の混乱が酷い。その所為で高島も動けずにいる。まさかとは思うが……

「御爺、田中久兵衛重政、死んだか?」

「かもしれんの」


「殿!」

「暫し待て、五郎衛門。高島の出方を見る。第一列、第二列の準備は?」

「今少し!」

「急げ!」

「はっ!」

五郎衛門が“玉込め急げ!”と声を張り上げた。壊乱状態の田中勢に矢が降り注ぐ、明らかに田中勢はおかしい。戦意喪失だ。如何する? 高島越中。


声が聞こえた。怒号に近い声だ。騎馬武者が一人叫んでいる。それに応えるように高島勢が動き出した。……あれが高島越中か。

「第三列! あの騎馬武者を狙え。……放て!」

轟音、悲鳴、混乱、高島勢が潰走する。田中勢も逃げ出した。そして後方にいた永田、平井、横山、山崎も逃げ出す。戦は未だこれからなのに、寄せ集めの弱点が出たな、左門に追撃させるか……。




永禄二年(1559年) 二月上旬  近江高島郡朽木谷   黒野影久




「では越中は生きていたのか?」

「うむ、死んだのは馬でその下敷きになったらしい。家来達はそれを見て越中本人が死んだと思ったようだ」

「なんとまあ」

御隠居と殿が話している。呆れた様な口調の御隠居が何処となくおかしかった。


戦は朽木勢の勝利で終わった。御味方に損害は無し、敵は何も出来ずに敗走した。一方的な勝利と言って良いだろう。田中勢の大将、田中久兵衛重政は死んだ。一射目で息子が撃たれ混乱している時に二射目を喰らって死んだ。田中勢の混乱が酷かったのはその所為だ。


「もしかすると馬と越中を見誤ったのかもしれん」

「そうかもしれんのう、儂には見分けがつかん」

御隠居が首を横に振った。

「……御爺は酷い」

「お前の方が酷いわい」

二人が顔を見合わせて笑い出した。


「これからどうする?」

「清水山に向かう」

「取るか?」

「出来ればな。それと田中城も」

「そうか」

満足そうに御隠居が頷いた。


「御爺、公方様と六角に使者を出してくれ。永田、平井、横山、山崎と和睦する。その仲裁を頼みたい」

「和睦か?」

御隠居は少し残念そうだ。

「うむ。清水山、田中を得れば朽木の領地は格段に広がる。戦力を整えなければ到底戦えん。守る事すら出来んだろう」

「そうじゃな。分かった、では儂は城に戻る」


御隠居が立ち去ると殿が俺を呼んだ。

「何か?」

「これで終わりではないぞ」

「……」

「まだまだ働いて貰う。高島は俺が獲る」

殿の目が鋭く俺を見ていた。





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[良い点] モンクいう奴にお土産渡す?いいノリツッコミでした。こんな子ども時代が特に好きです。
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