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風魔




天正三年(1579年)   十二月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




俺の自室に七人の男が集まった。黒野重蔵、小兵衛親子、千賀地半蔵、藤林長門守、百地丹波守、そして俺ともう一人。

「お初に御目にかかりまする、風間(かざま)出羽守にございまする」

「うむ、朽木権大納言基綱だ」

「はっ」

風間出羽守と名乗った三十代前半と見える男が頭を下げた。


この男が相州乱波、風魔一族の頭領だ。一般には風魔小太郎の名前で知られているが小太郎というのは代々の風魔の頭領が名乗る通名の様なものらしい。まあ朽木家で言えば弥五郎だな。実際にはこの男は北条家中で出羽守を名乗る家臣だった。風魔は忍びの世界では平将門の乱に加担した一族の末裔と言われている。関東に残った者達が風魔となり西へと逃げた者達が鉢屋衆になった。なかなか楽しい話だ。


「大きいな、出羽守。身の丈は如何程(いかほど)か?」

「はっ、五尺八寸にございまする」

デカいわ。俺が五尺一寸、大体百五十センチから百五十五センチの間だ。この世界では平均と言って良い。五尺八寸と言えば大体百七十五センチ、俺より頭一つデカいだろう。世間では身の丈七尺二寸と言われているらしいが確かに大きい。それに身体つきも逞しくいかにも強そうだ。北畠右近大夫将監も大きいがあれは気の良い熊のプーさんみたいな印象が有る。だが風間出羽守からはそのような暖かい物は感じられない。研ぎ澄まされた戦うための身体だ、肩の辺りの肉の盛り上がりがそれを示している。


「当家に雇って欲しいとの事だったがそれは北条の方々のためか?」

「それもございまする」

「他にも理由が有るか」

「徳川には仕えられませぬ。我らにも意地がございまする」

声に底力が有った。余程に徳川が嫌いらしい。気が合うな、出羽守。俺も徳川が嫌いだ。それに怖い。ゴキブリと蛇を足したような感じだ。


しかし吃驚だな、関東の風魔が俺に仕えたいと言って来るとは。確かに今川、北条の女子供達を庇護したよ。ただ可哀想だからという訳じゃない。いずれ東海、関東に行けば今川、北条縁故の人間が仕えてくれるんじゃないかという計算が有った。しかし早々に風魔が来るとは思わなかった。出羽守は重蔵を頼って来たんだが重蔵も吃驚していた。頼ってきた風魔の扱いをどうするか、それが理由で八門、伊賀が集まっている。先ず有り得んと思うが出羽守が徳川の意を受けて俺の暗殺を狙っているという可能性もある。重蔵、小兵衛、半蔵、長門守、丹波守の目は厳しい。


「出羽守、少々答え辛い質問をするぞ。風魔は徳川の動きに気付かなかったのか?」

出羽守の顔が口惜しそうに歪んだ。

「某は幾度か左京大夫様に徳川は武田では無い、無暗に信じる事は危険だと申し上げました。ですが……」

「織田を徳川の報せで撃退出来た事で聞き入れなかったか」

俺の言葉に出羽守が頷いた。


「はい、徳川はあの時陣を退いただけにございます、織田を裏切った訳では有りませぬ。その事をもっと重視して頂ければ伊豆にて織田を引き付けるのではなく小田原城にて織田勢を待ち受ける事も出来た筈……」

武田を随分と高く評価しているな。史実の武田は今川を潰し、北条と戦っているがこの世界では律儀に最後まで今川、北条の味方をしている。今更ながら川中島の影響は大きいと思った。


「左京大夫様が伊豆を攻められた時、我らは命により伊豆の国人衆達の調略、西から来る織田勢の動向、北から来る上杉の動きを探っておりました。甲斐、相模の国境(くにざかい)には見張りの者を残しましたが徳川の透破に不意を突かれ……、徳川の裏切りを早くに小田原に伝える事が(かな)いませなんだ。……無念にございます」

出羽守が俯いた。辛いだろうな、いや恥ずかしいか。代々仕えた主家を守れないというのは忍びにとって屈辱以外の何物でもない筈だ。


「良く話してくれたな、出羽守。さぞかし辛かったであろう」

出羽守が無言で頭を下げた。

「ところで当家に仕えたいとの事だが良いのか? 徳川と戦うというなら朽木よりも上杉の方が良くは無いか?」

現時点では朽木と徳川の間には織田が有る。上杉の方が良い筈。何故俺を選んだのかが疑問だ。出羽守が俺を見た、強い視線だ。


「畏れながらお叱りを覚悟の上で申し上げまする。織田は長くは()たぬかと思いまする」

「……徳川に喰われると申すか」

「はっ。このままではそうなりましょう」

やれやれだ、あの二人、評価低過ぎだな。それとも妥当な評価か。

「ふむ、それで?」

「されば、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所となりましょう。近江亜相様が天下を目指されるのであれば……」


出羽守がじっと俺を見ている。なるほどな、織田領は朽木と徳川の前に投げ出された生肉か。どちらが先に喰うかの競争になるという事だな。出羽守は俺に躊躇わずに織田を喰えと言っている。織田を喰い徳川を喰えと。だから俺に仕えると言うのか。面白いな、風間出羽守。お前は面白い男だ、俺を試すとは……。その通りだ、俺が喰わなければ徳川が織田を喰う。徳川は史実以上に厄介な存在になるだろう。それを許す事は出来ん。重蔵、小兵衛、半蔵、長門守、丹波守に視線を向けた。誰も首を横に振らない。


「風間出羽守、風魔一党を召し抱える」

「はっ、有難き幸せ。懸命に努めまする」

「うむ、期待している。ところで持ち場だが小兵衛、八門は関東を風魔に渡し東海に専念してくれ、忙しくなる」

「承知しました」

小兵衛がニヤリと笑った。


忙しくなる、その意味が分かったのだろう。織田を混乱させ崩してから喰う。調略が必要とされる。美濃では半兵衛の弟、竹中久作に文を送っている。感触は悪くない。そして土岐郡の小里出羽守、こちらも織田には愛想を尽かしている。味方になると言ってきた。美濃三人衆と不破には手を付けない。あいつらは目立つからな、避けよう。それに些か力が強過ぎる、出来れば潰しておきたい連中だ。八門にとって美濃攻めは久しぶりの大仕事になるだろう。


これで朽木の諜報網の分担は畿内、中国、北陸、東海が八門。関東が風魔、四国、九州、奥州が伊賀になった。今の所上手く機能しているだろう。これからもそうであって欲しいものだ。




天正三年(1579年)   十二月下旬      上野国群馬郡厩橋 厩橋城  上杉景勝




国許から三通の文が届いた。父から、母から、そして竹姫から。竹姫からの文はまあ良い。御実城様から兵法を学んだという内容だ。例の一間四方の城細工で城攻めをやったらしい。竹姫が攻め手で御実城様が守り手。楽しかったと書いてある。御実城様も詰まらぬのだろうな、だが竹姫を相手にそのような事をしなくても……。いや気兼ねなく相手をさせられるのは竹姫だけなのかもしれない。まあ所詮は遊びだ、余り目くじらを立てる事も無いか。


父の文には北条が滅んだ事への驚きが書かれてあった。御実城様も小田原城が落ちた事に対して随分と驚かれたらしい。だが訝しいと仰られているとも書かれてあった。北条は徳川の動きに全く対応出来ていない。これはどういう事なのかと。確かに訝しい事では有る。なにやら裏が有りそうだ。徳川には注意しなければならんだろう。これまで織田の配下であったが今後はどうなるのか? 或いは自立という事も十分に有り得る。いや、織田の混乱が続くのであれば必然か。となれば織田対徳川という構図も有り得る。


その織田だが跡目は未だ決まらない。北条を破ったとはいえ戦の内容は決して褒められたものではない様だ。散々手古摺ってやっとの思いで勝った、そんなところらしい。織田の家臣達も三介、三七郎のどちらを選んで良いのか益々分からなくなったのではないかと父の文には書いて有った。上杉家の跡目は候補者が俺しかいなかったから何とか纏まった。それでも近江の舅殿の援助が無ければ如何(どう)なっていたか。織田に比べれば上杉は遥かに運が良かったと言わざるを得ぬ。


舅殿か、近江の舅殿が織田の混乱を如何見ているか、気になる所だ。来年は帝が譲位を行われる予定の筈。俺の弾正少弼への任官が支障無く行われたのもそれが影響している。織田の混乱が理由で譲位が延期されるような事になれば舅殿は、いや朝廷は織田を如何見るか……。今織田を一番厳しい目で見ているのは舅殿、そして朝廷やもしれぬ。織田の三介、三七郎がその辺りを認識しているとも思えぬ。さて、どうなるか……。


母からの文には百カ日の法要も終わり華が朽木家に引き取られたと書いてあった。文中からは安堵している事が分かる。父もホッとしたと言っている様だ。華が越後に戻るのは三月を過ぎ四月になってからだろう。華は未だ若い、また新たに嫁ぎ先を考えなければならんだろう。だが良い嫁ぎ先が有るだろうか……。


織田は論外として朽木には男子は居るが歳が若過ぎる。河内の三好、阿波の三好にも適当な相手は居ない。関東の大名から選ぶべきかもしれん。長野、佐野、結城、宇都宮、小山、佐竹。上野、下野、常陸ならそんなところか。だが徳川を抑えるなら武蔵の国人衆から選ぶべきだろう。成田、藤田、大石、三田……。何処も織田に比べれば格が落ちるな、華も不本意に思うかもしれん。さて如何(どう)したものか……。


いや、その前にこれからどうするかを決めねばならん。北条が滅んだ、つまり関東で討ち果たすべき敵が居なくなったという事だ。関東管領として関東の大名、国人衆を集める名分が無くなったという事でもある。しかも北条を滅ぼしたのは上杉では無い、徳川だ。関東に出張ったは良いが身動きが取れぬ状態になっている……。このままでは何のために出兵したのかという事になりかねん。それは関東の国人衆の侮りを受けるだろう……。

「与六」

「はっ」

控えていた与六が傍に寄った。


如何(どう)すれば良い?」

問い掛けると与六が一礼した。

「されば、相模国に兵を進められ鶴岡八幡宮に参拝なされるべきかと思いまする」

鶴岡八幡宮?

「……続けよ」

与六が再度一礼した。


「はっ。御実城様は鶴岡八幡宮にて関東管領職を相続なされております。されば喜平次様も関東の大名、国人衆を鶴岡八幡宮に集め関東管領職を相続なされた事を八幡神に報告するのでございます。その上で北条氏が滅び関東の秩序が回復された事を集まった大名、国人衆の前で宣言されては如何(いかが)かと」

なるほど、面白い案では有る。


「徳川がそれを許すか?」

与六が首を横に振った。

「分かりませぬ。最近の徳川の動きには不審な点が有りまする。その心底、訝しむべきかと」

「……」

「さればこそ、兵を率い鶴岡八幡宮へ」

「なるほど」


関東の諸将を纏め同時に徳川の心底を確かめよという事か。徳川が関東に野心を持つならば鶴岡八幡宮への参拝は許すまい。その時は北条に代わり徳川が敵になるという事か。そして許すという事は上杉の関東管領を認めたという事、その秩序に従うという事でも有る。そして参拝にも参加させられれば……。


面白いな、徳川が下に付くか、或いは徳川と上杉が敵対関係に入るか。それが織田、朽木に如何いう影響を及ぼすか……。少なくとも織田は何も言えまい。言うとすれば舅殿だが……、この辺りで上杉が俺の色を出しても良かろう。

「皆に話してみよう」

「はっ」

与六が頭を下げ、席を下がった。


この厩橋城で皆の新年の挨拶を受ける。その時に話してみよう。その上で大名、国人衆に伝える。となると鶴岡八幡宮に向かうのは二月か。それまでには徳川にも新たな動きが出るやもしれぬ……。




天正四年(1580年)   一月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木奈津




「義姉上、如何(いかが)でございますか? 少しは落ち着かれましたか?」

夫、朽木弥五郎堅綱様が姉の部屋を(おとな)うと姉は穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ、大分落ち着きました。何より尾張に居た頃の様に不安に怯えずに済みます。有難い事です」

さぞかし不安な日々を送ったのだろう。幾分痩せた様な気がする。頬の当たりが以前に比べれば丸みが無いと思うのは気のせいではないだろう。


「それは良うございました。越後に戻られるのは四月頃になりましょう。それまで気兼ねなくお過ごしください」

「お気遣い、有難うございます」

「朽木は北条、今川の方々を庇護しております。御不快かとは思いますがお許し下さい」

弥五郎様が頭を下げると姉が“いいえ、そのような事は”と言って手を横に振った。


「あの方々は夫だけでなく家まで失ったのです。聞けば乳飲み子を抱えた方も居られるとか。さぞかし御辛い事と思います。それに比べれば私は実家も有りますし頼りになる縁戚も有ります。ずっと恵まれておりましょう。どうか私への遠慮は御無用に願います」

姉は少し変わったかもしれない。以前は活発で陽気な人だった。今は落ち着いた穏やかな気性になっている。


「有難うございます。そう言って頂けると助かります」

夫が礼を言うと姉が顔を綻ばせた。

「妹からの文に書いて有りました。弥五郎様は大変律儀な方だと。その通りですのね」

「そうでしょうか」

夫が困惑していると姉が私を見てクスクスと笑い出した。私も笑った、夫は確かに律儀者だと思う。夫が私と姉を見て益々困った様な顔をした。本当に可笑しい。


「ごめんなさいね、でもこんな風に笑うのは久しぶりです」

夫が柔らかい笑みを見せた。

「御苦労成されたのですね、義姉上。御安心を、某は気にしておりませぬ」

「有難うございます。織田家では居場所が有りませんでした、落ち着ける場所が。でもそれは私だけでは無く織田家中の皆が感じている事だと思います。これから織田家はどうなってしまうのか……」

独り言のような呟きに弥五郎様が御顔を曇らせた。


「朽木家も困っておいでなのでしょう」

「はい」

「東が混乱しては西に進み辛い筈、如何(どう)なされるのです」

「さあ、某には何とも……」

夫の口調は歯切れが悪かった。

「そうですね、答えられる事では有りませんね。愚かな質問をしました。許してください」


「……いえ、宜しいのです。それより義姉上、いささか訊き辛いのですが三介殿、三七郎殿の御二人ですがどのような方なのでしょう?」

姉が表情を曇らせた。

「このような事を言うのは何ですが三介様は不覚人と言われておりました。その為さり様が余りに心許ないために皆から三介様の為される事よと……」

夫が頷いて聞いている。


「三七郎様は三介様よりも(さか)しらと言われておりますが癇性が激しく織田の義父上の悪いところだけが似たと皆から言われております。織田家の重臣達は三七郎様の癇性を恐れて余り近寄ろうとは致しませぬ。その事が本人にとっては不満なようです」

「なるほど」

姉が眉を顰めている。姉本人が嫌な思いをしたのかもしれない。


「御二人は何かにつけて張り合っておられますが周囲の者は見て見ぬ振りをしておいでです」

「それは何故でしょう」

「下手に仲裁すればどちらからも疎まれるからです。御二人とも自分の味方をする事だけを要求しておいでです」

夫がホウッと息を吐いた。とても信じられないのだろう。


「織田家の家督争いは当分決着が付かないと思います。織田は混乱するでしょう。その事は弥五郎様も覚えておかれた方が宜しいかと思います」

「御教示、有難うございます。義姉上」

沈痛な表情で弥五郎様が頭を下げられた。これからどうなるのか……。





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この世界では平均と言って良い。 ここは、この時代では平均と言って良い。 の方が良くない?
[良い点] ちみつ [一言] 読み進めています だいぶ過去投稿にも関わらず、読みやすい語り口と整頓された情報の流れで関心しきりです 竹ちゃんの動向が面白くてついコメントを。 まだ伏線程度ですが、 軍…
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