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予兆

永禄元年(1558年) 十二月中旬  近江高島郡朽木谷  朽木城  竹若丸




永禄元年九月、御大典の儀が執り行われた。前帝の崩御から新帝即位、御大典がここまでスムーズに進むのは近年では珍しい事らしい。何と言っても葬式が出来ないとか御大典が出来ないとかざらにあるからな。多くの人間が帝の治世は上々のスタートだと噂している。


俺が飛鳥井雅教を恫喝した後、物事はスピーディに進んだ。何と言っても帝が動いたからな。御大典が行えるかどうかは帝の面子に関わる問題だ。それに義輝抜きでの御大典はおかしいという俺の言い分には誰もが頷かざるを得ない理がある。直ぐに義輝と三好を和睦させるようにと公家共に命じた。いわば勅令だ。そうなれば誰も反対はしない。三好へと使者が走った。


直ぐに三好から和睦の条件が提示された。管領は細川氏綱とする事。三好の待遇を改善する事。つまり晴元は認められないという事だ。何と言っても三好長慶兄弟にとって晴元は裏切者であり父親の仇でもある。到底認められない、そういう事だ。待遇の改善は今後は三好長慶を相伴(しょうばん)(しゅう)に任命する事だった。


この相伴衆というのは幕府における身分・格式を示す一種の称号なのだが任命されるのは管領家の一族や有力守護大名に限定されている。当然だが朽木の様な小領主が任命される事は無い。三好が相伴衆に任命されるという事は三好と細川は同格という事になる。つまりこれまで三好は細川配下の陪臣だったが和睦が成立すれば今後は足利将軍家の直臣という事だ。三好は単独で新政権を作るより幕府内での地位向上を選んだという事になる。


俺が思うに三好は義輝の扱いに正直困っていたのだと思う。晴元に付いて三好に敵対する事は許さない。だが殺すのは拙い。だから追い払ったがその後の手が無い。如何したものか。そんなところだったのだと思う。朝廷からの和睦の打診は三好には渡りに船だった可能性が有る。和睦の条件も義輝にとってそれほど厳しいものでは無かった。三好は和睦を纏めたがったのだと思う。


義輝は和睦の事を聞いても騒がなかった。騒いだのは周囲の幕臣達だが義輝はそれを抑え素直に和睦を受け入れた。朽木に来て四年、どの大名も義輝の要請には応えなかった。普段は三好討伐を叫んでいても内心では武力による三好打倒を諦めていたのだろう。細川晴元は納得が行かないと言って朽木を出て行ったが誰も止めなかった。人望が無いよな。


俺が飛鳥井雅教を恫喝したのが十月の中旬、和睦が成立したのが十二月の初めだった。二カ月かからないで和睦が成立した。動き出すとあっという間だったな。年が明けると京への帰還だったが六角家が京までの護衛の兵を五百人程提供してきた。他にも朝倉、浅井、北畠等が義輝に資金を提供してきた。幕臣どもは嬉しそうだったが義輝は醒めていたな。今頃援助をされても、そんな気持ちだったんだと思う。


新当流の四人は朽木に残る事になった。俺が京に行く事を止めた。朽木と京は違う。京で陰謀に巻き込まれては新当流そのものに悪影響が及びかねない。それを言って止めた。義輝は寂しそうだったが俺の言う事を道理だと思ったようだ。四人に礼を言って朽木に残る様にと命じた。言葉は悪いが所詮剣術は朽木だから許された遊びに過ぎなかったという事だ。


義輝は京に帰ると三好長慶を相伴衆に任命した。そして長慶は修理大夫に、息子の義興は筑前守に任官した。まあ義興は親父の後を追ったというわけだな。そして義興は御供衆に任命されている。この御供衆というのも御相伴衆のように幕府における身分・格式を示す一種の称号だ。


その格式は、御相伴衆・国持衆・準国主・外様衆に次ぐものらしい。そして如何いうわけか、俺も御供衆に任命された。ガキを任命して如何するんだと思うが義輝としては俺になんとか感謝の気持ちを表したかったらしい。だが出来る事などそれほど多くない。それで格式だけでもという事になったようだ。


一回は断ったんだがな、どうしてもと言われて受けた。聞けば御爺も昔御供衆に任命されたらしい。御供衆に任じられると毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)(しろ)(かさ)(ぶくろ)の使用が認められるのだがこれって本来は守護が使う物なんだよな。格式だけは守護並みか。気持ちは有難いがあんまり意味は無いな。朝廷からも元服時には官位を与えるなんて言ってきたがこいつも同様だ。


そんな事よりも嬉しかったのは義輝が六角、浅井、三好に朽木を大切にするように。間違っても攻めるような事はしないようにと言ってくれた事だ。義輝も朽木の立場が決して安泰ではないと理解していたのだろう。特に多額の献金をしている。危険だと心配してくれたようだ。


義輝が去って朽木は静かになるかと思ったが一向に静かにならなかった。飛鳥井の伯父、祖父、そして近衛から文が届いた。書いてある内容は同じだ。和睦が成り義輝が京に戻った以上これからも従来通りの付き合いを望んでいる、そんなところだった。俺が縁を切ると言った事が余程に堪えたらしい。金蔓が無くなると思ったようだ。


目目叔母ちゃんからも文が来た。葬儀、そして御大典の費用を献金した事について丁寧に礼が書いて有った。そして帝が朽木を頼りにしている事、自分達親子も朽木を頼りにしていると書いてあった。俺だけにじゃない、綾ママにも文を書いた。綾ママから腹立ちは有ると思うが飛鳥井家と、朝廷と縁を切るような事はしないでくれと頼まれた。綾ママには心配は要らないと言ったんだけどなかなか納得しない。仕方ないから綾ママと一緒に飛鳥井と目目叔母ちゃんに文を書いた。


なんだかなあ。俺は息子だよ。呼び付けて馬鹿な事は考えるなと叱り付ければ良いじゃないか。なんか綾ママは俺に遠慮しているんだよな。やっぱり俺って変なのかな。親から見ると不気味に見えるのかもしれん。ちょっと寂しいな。もう少し大きくなれば頼もしく見えるようになるのかもしれん。……期待薄だな。


まあ義輝は戻り元号の改元が行われ弘治から永禄へと変わった。御大典も無事終了した。天下泰平とは言わないがそれなりに落ち着いたと思うんだが朽木城の俺の部屋には辛気臭い顔をした男が十人程集まっている。もう直ぐ正月だぞ。少しは明るい顔をしろ。まあ無理だよな、理由が理由だ。


「重蔵殿、では高島七頭が密かに清水山に集まっていると?」

「はい、殿より皆様にお伝えせよと」

重蔵が五郎衛門の問いに答えると皆の視線が俺に集中した。あのなあ、視線っていうのは痛いんだぞ。少しは優しい目で俺を見ろ。俺は君らの主君なんだから。


義輝が京に戻った後、重蔵を家中の主だった者に引き合わせた。まあ皆胡散臭そうな目で重蔵を見たな。だがな、重蔵が居たから京の動き、六角、朝倉、浅井の動きが把握出来た。交渉で有利に立てた。その事を話して受け入れさせた。重蔵を忍びだからと言って蔑むのも許さんと言ってある。そして今しばらくは八門の存在を伏せる事も話した。皆何故かは理解している。朽木が忍びを抱えた等と知られたら碌な事にはならん。


「それと密かに戦の準備を始めております」

皆が顔を見合わせた。

「如何見る? やはり狙いは朽木かの」

御爺の問いに其々が賛意を表した。朽木は反高島感情が強いからな。決めつける事は無いんじゃないの?


高島七頭、高島、朽木、永田、平井、横山、田中、山崎の七家の内朽木を除く六家が高島氏の居城、清水山城に集まったらしい。そして戦の準備をしている。ただの合同訓練かもしれない。高島連合軍とかいうのを結成した可能性も有る。……だったら密かに戦の準備なんてする筈は無いよな。


「連中、朽木に対してかなり不満を持っております。これまでは公方様が朽木に居られましたゆえ手出しは控えてきたのでしょうが……」

宮川新次郎頼忠の言葉に皆が頷いた。

「領民達が落ち着かぬそうです。朽木に比べて税が高く暮らし辛いと不満が高まっているとか。逃げ出して朽木に来る者もいるようですな」


大叔父の言葉に皆がまた頷いた。税が高いのは俺の所為じゃない、そう言いたかったが五郎衛門が“朽木は税が安いですからな”と言ったので言うのを止めた。確かに朽木は税が安い。住民達から見て不公平感は強いだろう。治める側から見れば遣り辛いのは間違いない。特に住民達が逃げ出すというのは労働力、生産力が減少するという事でも有る。放置は出来ない、そう考えた筈だ。でも戦争? 何というか、ピンと来ないな。


「高島だけの問題では無かろう。組屋に聞いたが若狭からも民が朽木に流れているそうじゃ。あそこは近年内乱続きで国が治まらぬからの。戦の所為で税を重くせざるをえん。いずれは武田から苦情が来よう」

御爺が渋い表情をしている。武田から苦情? 俺の方が苦情を言いたいわ。あの馬鹿共の内輪揉めの所為で若狭を使った交易がし辛くなっている。営業妨害だろう。


「朽木から銭を脅し取ろうとでもいうのかな。しかしなあ、一昨年から散々使ってきたから朽木には銭は無いぞ。骨折り損のくたびれ儲けになりかねん。連中に忠告してやるか」

良い案だと思った人間は誰もいないらしい。同意が一つも無かった。まあ俺も期待してはいなかったけどね。それどころか溜息を吐く奴が居た。


「殿、殿の冗談、多分冗談だとは思いますが笑えませぬな」

「冗談というわけでは無いが。……そうか、面白くなかったか、平九郎。残念だ」

荒川平九郎長道。朽木家では御倉奉行を務めている。いわば経理と購買の担当だ。生真面目で計数に明るい、うってつけの人材だろう。朽木の財政状況を誰よりも理解している。但し欠点は冗談が通じない事だ。さっきも溜息を吐いていた。


「確かに朽木の蔵から銭が大量に出て行き申した。しかしそれでも他家に比べれば遥かに大量の銭が残っております。それに当家には干し椎茸、澄み酒を始めとして様々な収入がござる。銭が無い等と言っても誰も信じませぬな」

分かったよ。そんな言い方をしなくても良いだろう。金が有るのは悪い話じゃないぞ。俺は貧乏は嫌いだ。


重蔵がニヤリと笑った。余計な事を言うなよ、重蔵。朽木には平九郎の知らない金が有る。重蔵達八門が預かる金、いわば朽木の裏金だ。八門に米の売買をさせた時、当初八門からは評判が悪かった。そうだよな、忍びに米の売買なんて彼らが嫌がるのも無理は無い。しかしその金の一部が葬儀、御大典の費用になった。要するに和睦に繋がったのだ。


連中が驚いたのは言うまでもない。そして激しく喜んだ。自分達の生み出した金が天下を動かしたのだからな。そして八門は金の力というものに目覚めた。米の売買のために預けた金はその大部分を八門がまだ持っている。そして八門はその金を利用して経済活動を始めた。勿論諸国の大名の情報を探るのが主目的で経済活動はそれを補うためのものだ。俺もそれを認めている。だが次第にその金は増大している……。いずれは八門は表に出して経済活動を主目的とする組織にした方が良いかもしれんな。平和になればそうしよう。


「平九郎殿の言う通りですな、誰も信じませぬ。それに銭だけでは有りませぬぞ、殿。朽木には様々な産物がござる。鉄砲も有れば刀鍛冶も居る。高島達の狙いはそちらやもしれませぬ」

宮川新次郎頼忠、お前は十歳の主君を苛めて楽しいか? 段々俺が余計な事をしたからトラブルに巻き込まれている、そんな感じがしてきたぞ。俺は諸悪の根源か?


「御爺、高島越中という男は如何いう男だ?」

「強欲、吝嗇、小心、嫌な男よ」

御爺が心底嫌そうに答えた。口がへの字になっている。余程に嫌な男なのだろう。だが強欲、小心か……。妙な話だ、高島七頭は朽木を除いて六角に臣従している。強欲、小心……。


「殿の事を大分嫌っているようですぞ」

「どういう事だ、重蔵」

俺が問い掛けると重蔵がニヤニヤと笑い出した。

「高島七頭の頭領は己だと自負しております。何と言っても佐々木越中守ですからな。しかし世間では殿の名の方が評判が高い。それに殿は元服前にも拘らず御供衆に任じられております。面白くありますまいなあ」


だからそんな御供衆なんて面倒な物は要らなかったんだ。義輝の馬鹿野郎。朽木の事なんて忘れて女遊びでもしてれば良いのに……。妙な所で律儀なんだから……。それにしても高島越中、強欲、吝嗇、小心の他に嫉妬深いも有ったか。人間のクズだな。美点が見つからん。


「それにしても妙な話ですな。公方様からは朽木を攻めるなというお達しが有った事は高島も知っておりましょう。朽木を攻めれば御咎めが有る筈ですが……」

「煽る人間が居るのだろう。それ以外は考えられぬ」

大叔父と御爺が話している。俺も同意見だ、小心な高島を煽った人間が居る。連中が六角に臣従している以上六角以上の力を持つ者。或いは六角そのものが煽ったか……。しかし理由は? 金? 鉄砲?


「六角やもしれませぬな」

重蔵が六角の名を出した。誰もそれを窘めない。同じ事を考えていたのだろう。

「義輝公を京へ御送りしたのは右衛門督です。その時義輝公は大分殿の事をお褒めになったとか。殿に近江半国も有ればと仰られた事も有ったようです。六角家としては面白くありますまい」


溜息が出た。俺だけじゃない、他にも溜息を吐いている人間が居る。義輝の奴、本当に碌な事をしない。右衛門督? 短慮でお馬鹿な六角義治だぞ。そんな事を言ったらどうなるか……。冗談抜きで義輝は朽木の祟り神だ。しかも本人に悪意が無いから始末が悪い。


「戦の準備をせねばなるまい」

俺が言うと皆が頷いた。

「厳しい戦になりますな。向こうは最低でも一千は出しましょう。おそらくは一千二百から三百。こちらは三百、四倍ですな」

五郎衛門の言葉にまた溜息が聞こえた。俺も溜息を吐きたい。


「籠城だな」

「御爺、籠城の準備はした方が良いが俺は外で戦うぞ」

皆がぎょっとしたような表情をした。

「籠城などすれば六角の思う壺よ。仲裁と称して和睦をさせ恩に着させるであろう。詰まるところは六角への臣従になる。良い様に利用されるだけだ」

彼方此方で唸り声が聞こえた。


「しかし、勝てるか? 相手は四倍の兵ぞ」

「さあて、如何かな。だが朽木城への道は幅が無い。敵が押し寄せて来るなら少数でも戦い様は有ろう。後は天気だな、晴れれば野戦の方が勝ち目は有る。雨なら已むを得ん、籠城だな。そして将軍家に仲裁を頼む」

皆が頷いた。


「鉄砲を使うか」

「まあそうだ。五郎衛門の日頃の鍛錬の程を見分しよう」

俺が言うと五郎衛門が大きく頷いた。朽木の鉄砲は既に二百丁を超えた。火力は十分に有る。そして敵は四倍と言っても六家集まっての事だ。最大は高島だろう。こいつが三百から四百。残りは平均して二百程度。一撃喰らわせれば損害の多さに蒼褪めるだろう。戦意喪失、後ろに隠れるに違いない。要するに天気と場所、後は先手を取れるかで勝負は決まる。


「重蔵」

「はっ」

「連中の領地で噂を流せ」

「どのような」

「朽木を攻めれば将軍家、六角家からきついお叱りを受けよう。場合によっては潰されるやもしれぬと」

「はっ」

嬉しそうにするな、自分が悪人になった様な気がする。


「それとあそこの家は損害を出すのを恐れている。本気で戦うのか怪しい。……これは適当に名を選んで流せ。但し高島の名は必ず入れよ」

「はっ」

「高島越中は他の者に戦いを押付け自分は楽をしようとしている」

「高島以外に流すのですな」

「高島にも流せ」


皆が驚いた様な表情をしている。高島越中が噂を打ち消そうとすれば、軍を一つにしようとすれば自らが先陣を切って戦わざるを得ない。そこを鉄砲隊で叩く。最大兵力を持つ高島が崩れれば残りは及び腰になるだろう……。後は例年通り、飛鳥井、朝廷、そして義輝に清酒と干し椎茸を送る。こちらが何も気付いていないと思わせるためにな。戦いはおそらく年が明けてからだろう。正月早々こちらの油断を突く、そんなところだろうな。







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[気になる点] 「これまでは公方様が朽木に居られました」コミックス二巻ではよせばいいのに平仮名にして読み違えが発生しています。「居られました」を「いられました」となってましたがこれは「おられました」と…
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