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面従腹背




天正三年(1579年)   二月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




目の前に坊主が二人いる。詮舜と賢珍という名前の坊主だ。この二人、兄弟で賢珍が兄だ。近江国滋賀郡で生まれたらしい。

「何卒、叡山の再興をお許し頂きとうございます」

賢珍が頭を下げると詮舜も頭を下げた。そうなのだ、この二人は叡山の坊主で俺が焼き払った叡山の復興を願って面会を求めてきた。


これまで何度か叡山の坊主が面会を求めてきた。豪盛、全宗、祐能、亮信、賢珍、詮舜。最近は頻繁に来るようになったな。朽木の天下統一が間近になったと判断したのだろう。もっとも面会を求められても俺が会った事は一度も無い、今日初めて叡山の坊主と会う。その所為かな、賢珍と詮舜の顔には期待の色が有る。阿呆、俺がお前達を呼んだのは弥五郎に俺が宗教を如何思っているかを教えるためだ。叡山の再興を許すためじゃない。


「これ以後は右大将様の御武運を御祈りし天下の平定を祈願致しますれば何卒」

「要らぬ、運気が落ちるわ」

「……」

あらら、目が点だな。弥五郎も吃驚している。運気なんて俺らしくない?

「六角左京大夫、波多野左衛門大夫の武運も祈ったのであろう。二人とも俺が滅ぼした。その方等が仏敵、第六天魔王と罵って忌み嫌った俺がな。調伏祈祷もしたのだろう」

二人が“それは”、“誤解で”とか言いだしたが無視した。


「弥五郎、良く覚えておけ。軍を率いる者は神や仏に頼ってはならぬ。戦で勝ちたかったらそのために努力をしろ」

「はい」

弥五郎が頷いた。そして坊主達に厳しい視線を向けた。

「敵より多くの兵を整え兵糧、武器弾薬を準備しろ。そして調略をかけ敵を混乱させ分裂させ内応者を作るのだ。敵より兵が少なくても調略で敵を混乱させれば勝機を見出す事は出来る。そして勝てると判断出来た時に軍を動かす、それが大将の役目だ」

「はい」

「そして自分の成すべき事の邪魔になると見定めたら神、仏であろうと討ち果たせ。不退転の覚悟を持つのだ」

弥五郎が頷く。同席していた五郎衛門、新次郎、重蔵、下野守も頷いた。賢珍と詮舜の顔には落胆の色が有る。


「畏れながら叡山の再興は……」

「認めぬ」

「……」

「そう気落ちする事も有るまい、賢珍、詮舜。俺は叡山の再興は認めぬとは言ったが天台の教えを否定したわけでは無い。天台宗の寺を全て焼けと言った事も無ければ坊主共を殺せと言った事も無い。朽木領内には天台宗の寺が幾らでも有る筈、違うか?」

勿論、朽木の法に従うと約束させている。本山を焼いたからな、効き目は抜群だ。


「……仰せの通りではございますが叡山は天台宗だけのものでは有りませぬ。浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗も元はと言えば叡山で学んだ者達が生み出した物。謂わば仏教の多くが叡山より誕生致しました。叡山の再興は我ら天台の者だけでなく、多くの仏を信じる者にとっての願いにございます。何卒、右大将様の御許しを頂きとうございます」

弟の詮舜が頭を下げた。賢珍も頭を下げる。中々やるな、グッと来たが駄目だ。


「そうだな、多くの名僧を輩出し多くの宗派が生まれた。仏教の発展は叡山の功績と言えよう。だがその新たに生まれた宗派を排斥したのも叡山であった。違うか?」

「……」

「俺は誰が何を信じようと構わぬ。此処にいる弥五郎が天台の教えに帰依したいと言うなら好きにしろと言うだろう。だが家臣領民達に自分と同じ宗派を信じろと強制する事は許さぬ。一度目は窘める、だがそれで分からなければ廃嫡する。人の上に立つ器ではない」

廃嫡。賢珍、詮舜は身動ぎをしたが朽木の者は弥五郎も含めて皆動かなかった。大友が日向で遣った事を理解しているからな。当然だと思ったのだろう。


「家臣達にも同じ事を言う。朽木の法に従うならば何を信じようと構わぬと。その事で差別はせぬと。分かるか? 俺から見れば兵を集め人を唆し他宗を攻撃し人を殺すなど有ってはならぬ事なのだ。京都の鬼門を護る国家鎮護の寺と言うが、近年叡山がしてきた事は仏の名を口にしながら奢侈に耽り物欲、色欲に溺れ世を混乱させる事だけだった。今、これを再興する意味が何処に有る? 俺にはそんなものは見えぬな」


「お叱りは御尤もにございます。右大将様の御領内では僧に対し人の心を操るのではなく人に寄り添い心を安んじる事こそが果たすべき役割とされております。その事に不満は有りませぬ」

「我らは嘗ての叡山をと望んでいるのではありませぬ。今一度初心に戻り、仏教の興隆に力を注ぎたいと思っております」

賢珍、詮舜が必死に訴えてきた。


「その言や良し。だが最初に聞きたかったな。叡山の再興を願うよりも先に。俺に咎められてから言われても信用出来ぬ」

「その点については」

賢珍が釈明しようとしたが手を振って止めた。

「それにその方達が朽木の法に従うと言っても他の者達は如何かな? 嘗ての叡山に憧れを持つ者は多かろう」

二人が押し黙った。やはり居るのだ。


「賢珍、詮舜」

「はっ」

「叡山を再興したければ俺が納得出来るだけの証を持って参れ。そうでなければ再興は許さぬ」

賢珍、詮舜の二人が悄然として下がった。


実際問題として叡山が再興して再武装出来るかと言えば不可能だろう。再武装には金が要る。その金の収入源を俺が潰した。朽木領内に有った叡山の領地、山門領はその殆どを押領した。おそらく他の大名達も押領しただろう。その点では俺は他の大名達に感謝されていると思う。そして叡山と一緒になって土倉を行っていた日吉大社も焼いた。


土倉というのは早い話が金貸しだ。高利で金を貸してぼろ儲けしていた。返せない者からは土地を奪うなどして酷い事に成っている。中世で徳政令が頻発する一因がこの延暦寺日吉大社の土倉に有る。要するに悪徳金融業者なのだ。それを潰して財産を全て朽木が接収した。朽木領内にある日吉大社系の神社からも吐き出させた。親会社が潰されているのだ、文句を言う子会社は無い。言えば親会社同様に焼き討ちされる。


嘗ての叡山は戻らない。だが嘗ての叡山に憧れる者は要る。そこが大事だ。叡山を焼いたのは弥五郎が生まれる前の事だった。となるともう十五年ぐらい前の事になる。この十五年は連中にとっては辛く苦しい年月だっただろう。それだけに嘗ての叡山に対する想いは強い筈だ。その想いを軽視してはならない。再興は天下を統一してからだ。新たな国造りの一環として再興する。そういう形にしよう。その頃には生き残りの坊主達も残り少なくなっているだろう。




天正三年(1579年)   三月中旬      越後国頸城郡春日村 春日山城  上杉景勝




「竹姫様は如何なされたのです?」

御実城様(おみじょうさま)の下へ御機嫌伺いに行っておられます」

与六が答えると妹の奈津が頷いた。

「この御城で暮らすのもあと三月程なのですね?」

「……」

弾む様な口調だ。近江へと嫁ぐ日が待ち遠しいのであろう。俺もその日が待ち遠しいと鎺元(はばきもと)から鋒の方へと打粉を打ちながら思った。早くその日が来ないものか……。


「兄上、嬉しいでしょう? 姉上に続き私が居なくなって」

「……」

奈津の目が笑っている。ま、この辺で良いか。裏を返して今度は鋒から鎺元(はばきもと)の方に打粉をかけた。居なくなって嬉しいか? 嬉しいぞ、そなたも嫁ぐのが嬉しいのだ、問題は無いだろう。刀に拭いをかけた。うむ、良かろう。


太刀を鞘に納めた。刀の手入れをしている間は刀身に息を吹きかけてはならぬ。喋らなくて済む、それが良い。

「戯けた事を、一旦嫁げば二度と此処へは戻れぬのかもしれんのだぞ」

「それは……」

「浮かれている場合では有るまい。父上や母上の御気持ちを考えよ。あと三月だ。親孝行をしておけ」

バツの悪そうな顔をしている。フン、勝ったな。二人なら負けるが一人なら多少は勝てるのだ。


「姉上は如何しておいででしょう」

「……文が来たのであろう」

「はい、元気でやっていると」

「なら心配は要るまい」

「ええ」

表情が優れない。与六に視線を向ける、微かに与六が頷いた。


「華の事より自分の心配をしろ。朽木家は子が多い、そなたにも義理の弟、妹が出来る。姉らしくするのだな」

「はい」

悄然として俺の部屋から去って行った。妙に元気が無い。華の事になると不思議と不安そうな表情をする。そして俺に華の事を聞きたがる。或いは何かを感じているのか……。


与六に声をかけると頷いて傍に寄って来た。

「如何思う?」

「はっ、気付いてはおられないと思いまするが……」

語尾が弱い。

「話した方が良いと思うか?」

「……」

与六が考え込んでいる。そして頷いた。


「朽木家に嫁げば遅かれ早かれ知る事になりましょう。何も教えずに近江に送っては朽木家でも訝しむ筈。奈津姫様も何故教えてくれなかったのかと不信を持ちましょう」

「うむ」

「それに、万一の場合は朽木家を頼らざるを得ませぬ。その場合奈津姫様の御力を借りる事も有りましょう」

「そうよな」

同意すると与六が頷いた。


織田殿に飲水病の疑い有り、状態は決して良くは無い模様……。華の付き添いから報告が入った。織田殿は戦場にも出ている、まさかと思ったがどうやら事実らしい。朽木家でも織田殿の病に付いては気付いている形跡が有る。父と母は奈津を心配させまいと隠しているが……。やはり話しておいた方が良かろう、後で父と母を説得しなければ……。面倒だな、与六にやらせるか。


「上手く行かぬな」

与六が頷いた。朽木と上杉では朽木が大き過ぎる。そう思って織田と婚姻を結んだ。それによって釣り合いを取ろうとしたのだが……。関東での事も有るが将来的にはそちらの方が意味が大きくなる。おそらくは織田も同じ事を考えた筈。だが織田殿が病……。織田殿にもしもの事が有れば織田は混乱するだろう。それを凌ぐには朽木家に頼らざるを得ぬ。ますます朽木家の存在が大きくなる。


「勘九郎殿でないだけましか」

また与六が頷いた。

「万一の場合、織田家は朽木家を頼りましょう。(さき)の右大将様は上杉家も御助け下さいました。織田家はそれに倣う筈」

「うむ」

与六の言う通りだ。織田は上杉に力を借りるのを是とはするまい。関東で譲歩を強いられるのを嫌がる筈。となれば頼るのは朽木となるのは必定。朽木の影響力は織田家内部でも増す事になるな。


「喜平次様」

戸が開いて竹姫が姿を現した。今年で十一歳、嫁いできた時に比べれば大分背が伸びた。与六が離れ平伏する。

「与六はいつも喜平次様と一緒ね」

と言って竹姫が楽しそうに笑った。与六が“畏れ入りまする”とまた頭を下げた。与六は竹姫に弱い。幼い者に頼られると断れぬのだ。


「御刀の手入れは終わりましたか?」

「今少しだ」

「では与六を借りても?」

「うむ」

与六が此方を見ているのが分かったが知らぬ振りで太刀を抜いた。少し曇りが有るな。


「与六、五目並べをしましょう」

「五目並べでございますか? そ、それは……」

そろそろ囲碁を教えた方が良いかな? 五目並べでは勝てなくなってきた。与六も同様だろう。

「それとも算盤?」

「あ、いえ、それは」

竹姫は算盤が得意だ。朽木家では男女に関わらず算盤を習うらしい。あと三月有る、奈津も学んでいる様だが上達したのだろうか……。


「では直江津の湊?」

「五、五目並べを御願い致しまする」

正解だ。湊になど行ったら引っ張り回されて大変な事になる。頑張れよ、与六。竹姫は手強いぞ。俺はもうしばらく刀の手入れだ。




天正三年(1579年)   四月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  浅利昌種




四月下旬、寒さも和らぎ穏やかな日差しが部屋の中にまで入って来た。近江は甲斐に比べれば暖かい、有難い事だ。日差しを浴びながらそう思っていると御屋形様に呼ばれていた若殿が部屋に戻って来られた。朽木弥五郎堅綱、朽木家の嫡男。今年十四歳、元服を済ませたとはいえまだまだ子供だ。その器量がはっきりするのはこれからだろう。だが性格は悪くない。新参者の俺と甘利郷左衛門に対しても避ける様な所は無い。素直に伸びて行ってくれれば良いのだが……。


若殿が上座に座られると傅役の竹中半兵衛が

「どのようなお話でございましたか」

と問い掛けた。同席している山口新太郎、甘利郷左衛門、細川与一郎、明智十五郎、黒田吉兵衛、そして自分、皆が若殿に視線を向けた。若殿が少し眩しそうな表情を見せた。


「安芸の事であった。十兵衛から父上に文が届いたのだ」

「明智殿から」

新太郎の問いに若殿が頷く。皆の視線が十五郎に向かった。

「若殿、父は何と?」

「十兵衛は今新たに城を造ろうとしているのだがその場所が決まったと報せてきた。佐東郡にある比治山に城を築くらしい。比治山は小さい山で海にも近いようだ。周りは平地も有り町造りもし易い。猿猴川と京橋川という川が傍を流れているから水利も良い。それを利用して海にも出られるという事だった」


小高い山、海が近く川も有るか。発展するだろう。甲斐には海が無かった、その分だけ豊かさとは無縁だった……。

「楽しみですな、十兵衛殿がどのような城を築くか」

半兵衛が笑みを浮かべている。元は美濃の国人領主だったと聞くが笑みを絶やさぬ穏やかな男だ。だが朽木の軍略を支えてきた男でも有る。そして朽木家の嫡男の傅役を任されてもいる。御屋形様からの信頼は厚い。


「一緒に縄張りをしたいのではありませぬか? 半兵衛殿」

「そういう想いが有る事は否定しませぬよ、新太郎殿」

「坂本、今浜、八幡、数多くの城を築きましたな」

「木の芽峠、鉢伏山、観音丸、西光寺もです。新太郎殿には随分と世話になりました」

「なんの」

二人が楽しそうに笑い声を上げた。二人を若殿も含めて若い者達が眩しそうに見ている。


山口新太郎、若殿のもう一人の傅役。朽木家では兵糧方に任じられている。兵糧方は朽木家独特の役職だ。最初は荷駄奉行のようなものかと思ったが違う。兵糧、武器、弾薬の備蓄、購入を平時から行い戦の時はそれを速やかに戦場に届ける役目を持つ。朽木家が長期に亘り戦を行えるのも兵糧方の働きによるものだ。そのために街道の整備もしている。


武田は常に兵糧の不足に悩まされた。そのために十分な戦いを出来なかった事も間々有った。朽木にはそれが無い。膨大な財力とそれを効率的に使う兵糧方の存在によって解消してきた。朽木家における兵糧方の地位は高い。大評定では評定衆、奉行衆、軍略方、兵糧方の討議で戦が決定される。その事に小山田殿が驚いていた。


「十兵衛からの文にはもう一つの報せが有った」

若殿の言葉に空気が変わった。

「十兵衛は安芸の一向門徒達に朽木の法に従うようにと命じた」

皆が顔を見合わせた。

「断って来たのですな?」

郷左衛門の問いに若殿が首を横に振った。


「では朽木の法に従うと?」

驚いて問うと若殿が頷いた。

「十兵衛の文にはそう書いてあった。仏護寺を始めとして皆朽木の法に従うと言って来たそうだ。だが何処まで信じてよいかは分からぬとも書いてあった」

「……面従腹背、ですな」

半兵衛の呟きに若殿が頷いた。安芸は厄介な事に成っているらしい……。








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