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寿命




天正三年(1579年)   一月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木堅綱




「大友から使者は参りませぬか?」

安国寺恵瓊が問うと父上が首を横に振った。

「来ぬぞ、恵瓊。それどころではないのだと思う。体制を整えようとしているのであろうが離反する国人衆も出ている。立て直しは容易な事ではあるまい。ま、いずれは使者が来ると思う」

父上が頬に微かに笑みを浮かべた。

「屈辱であろうな」

「屈辱と申されますと?」

私が問い掛けると父上が笑みを浮かべながら私を見た。


「昔、大友の使者が朽木に滞在中の足利義輝公を訪ねてきた事が有る。その方が生まれる前の事だ。未だ元服前の事であったな。あの頃大友は北九州の実力者で義輝公は非常に喜んでいた。大友が傍に居ればと何度か口にされた事が有る。一方の朽木は朽木谷で八千石を領する国人でしかなかった。大友は気にも留めなかったであろう」

「……」


「その朽木に縋る、名門大友家の当主としては屈辱でしかあるまい。九州探題に任じられた家なのだから」

なるほどと思った。自分には朽木が八千石の国人領主だったという事が信じられない。しかし朽木が大きくなったのは自分が生まれるほんの少し前の事なのだ。母上が嫁がれた時は父上は未だ十万石程の領主だったと聞く。それも信じられない。


「皮肉ですな、義輝公は大友家を厚遇したのに義昭公は大友家を敵視しております。義昭公から大友を見限り島津に付けという文が大友配下の国人衆に届いているとか」

父上が笑い出した。

「他人事ではあるまい、恵瓊。文は毛利家にも届いた筈。大騒ぎになったではないか」

「これは、畏れ入りまする」

恵瓊が頭を下げた。右馬頭、駿河守、左衛門佐が微妙な顔をしている。


「喰えぬ坊主だ。この場で俺から毛利を疑っておらぬという言質が欲しいのであろう」

「御明察にございまする」

恵瓊が顔を綻ばせると父上がまた声を上げて笑った。

「右馬頭殿、毛利家は良い家臣を、いや喰えぬ家臣を持たれたな。羨ましい事だ」

今度は皆が笑った。貶された恵瓊も苦笑している。

「案ぜられるな、毛利家を疑ってはおらぬ。まあ朽木に対して思うところは有るだろうがその辺りは信じて貰いたい」

「はっ、御信頼頂き(かたじけの)うございまする」

右馬頭が頭を下げた。他の三人もそれに続いた。


「公方様の使者は長宗我部にも行っている。大友への味方をさせたくないらしい」

公方様は長宗我部を唆そうとしている。だが長宗我部は動かぬだろうというのが父上の見方だ。

「一応一条少将には伝えた。ま、今後は少将も動き辛いだろうな。簡単には九州に渡れまい」

皆が頷いた。


「如何なされます?」

「別に、何もせぬ」

父上が右馬頭に答えると皆が顔を見合わせた。それを見て父上が微かに笑みを浮かべた。

「長宗我部は朽木に臣従したわけではないのでな。咎める筋合いはない。本来なら公方様から文を貰った時点で朽木に送っても良い。そして臣従する。それが良いのだがそれをせぬ。土佐統一を諦めきれぬのだろう。だから一条家と和を結んでも朽木には頭を下げぬと見た。さて、どうなるか……、少将がその辺りを理解していれば良いのだがな」

長宗我部は動かぬと父上は見ている筈。だが野心は捨てていないという事か。では状況が長宗我部に有利になれば動くのだろうか? しかし長宗我部に有利な状況? 想像が付かない。


「宜しいのでございますか? 大友は()たぬやもしれませぬ。九州攻めに差し障りが出る懼れも有りましょう」

大友は益々苦しくなる。左衛門佐の懸念は尤もだ。

「最初から当てにはしておらぬ。九州攻めの拠点は毛利家が保持している。大友は必ずしも必要不可欠な存在というわけではないのだ。それに九州攻めは三好家にも手伝って貰う」

シンとした。毛利家の四人が顔を見合わせている。驚いているのだろう。私も驚いている。父上の大友への評価が低い事は分かっていた。だが切り捨てるとは……。


父上は大友宗麟を当主に相応しからざる人物と見ている。それ故切り捨てた。毛利は如何なのだろう? 右馬頭輝元、父上は毛利家の当主を如何見ているのか……。

「大友対島津、大友対龍造寺、龍造寺対島津。さて、如何なるか。目が離せぬ。だが西ばかりを見ているわけにも行かぬ。厄介な事に少々東が怪しくなってきた」

東? 何だろう? 毛利家の四人もまた顔を見合わせている。


「東と仰られますと上杉家の事でしょうか?」

問い掛けると父上が首を横に振った。

「織田殿だ。飲水病らしい」

またシンとした。毛利家の四人は息を飲んでいる。織田様が飲水病? 良いのだろうか、そんな事を……。

「父上、宜しいのでございますか? そのような事を……」

父上が私を見た。それ以上は続けられなくなった。


「良いのだ、弥五郎。右馬頭殿達には教えておく必要が有る。織田家は織田殿が一代で大きくした。そして嫡男の勘九郎殿は未だ若い。織田殿に万一の事が有った場合、果たして勘九郎殿に織田家を纏めて行けるのかは誰にも分からぬ事だ。場合によっては東海道は大きく乱れる事になる」

「……」


「これから先何が起きるか分からぬ。だからな、その覚悟が有るという事を右馬頭殿達に伝えておく。織田が乱れて朽木は慌てふためいている等と誤解されぬ様にだ」

父上が笑みを浮かべながら右馬頭達に視線を向けると右馬頭達が緊張した面持ちを見せた。脅しなのだろうか? 弱みを見せているかのように思わせながら、信頼しているように見せながら、真実は脅している……。そうする事で毛利が朽木家から離れる事を防いでいる……。


「東海道で騒ぎが起きれば放置は出来ぬ。放置すれば関東にまで影響が出ると見ている。となれば上杉が必ず動く事になるだろう。おそらくはこちらにも協力の要請が有る筈だ。関東管領殿は娘婿なのでな、要請を断る事は出来ぬ。天下大乱だな」

「……」

「九州攻めは東海から関東の様子を見ながら行う事になる。場合によってはかなり後になる事も有り得よう。その辺りを頭に入れておいて欲しい」

右馬頭が頭を下げると後の三人がそれに続いた。


「上杉様は織田様の病の事は知っておられましょうか?」

恵瓊が訊ねると父上が頷かれた。

「薄々は気付いているようだな。何と言っても勘九郎殿の正室は管領殿の妹君だ。それに付き添って上杉家から織田家に行った者達も居る。気付かぬわけは無い。今年は弥五郎が上杉家から嫁を貰う。織田と朽木は上杉を通して縁戚になる。さて、どうなるか……」

どうなるのだろう? 見当も付かない。天下大乱? なるほど、長宗我部が動く機が生じるのかもしれない。溜息が出そうだ。


「それに上杉家は謙信公の問題も有る。弾正少弼殿が養子となり関東管領職を継いだが謙信公に万一の事が有れば影響が出るのは間違いない。織田も上杉も内で混乱する要素が有る。頭の痛い事だ」

「……」

「つくづく思うのだが人間長生きをせねばならんな。そうでなければ家を安定させるのは難しい、なにより大事を成せぬ」

毛利家の四人が頷いた。


「三好家は一度は天下に覇を唱えた。修理大夫殿にあと十年寿命が有れば天下は三好家の物に固まったかもしれぬ。或いは嫡男の筑前守殿が生きていれば……。だがそのどちらも三好家には許されなかった。修理大夫殿が四十半ばで亡くなられた事、筑前守殿が二十代で亡くなられた事を思えば大事を成すのに必要なのは能力よりも寿命なのでは無いかとも思う。戦や政だけでなく命でも戦わなければならぬとは……、乱世とは厳しいものだ」

父上が首を横に振っている。


「朽木家は既に弥五郎様が元服されております。権中納言様もお若い、左程に不安に思われる事はございますまい」

恵瓊の言葉に父上がまた首を横に振った。

「人間の寿命など誰にも分からぬ。三好家だけではない、毛利家も右馬頭殿の御父上、大膳大夫殿は早くに亡くなられた。陸奥守殿が御存命であったから混乱は小さかったがもし陸奥守殿が亡くなられていたらどうなっていたか……。駿河守殿、左衛門佐殿を軽んずるわけではない。だが毛利家は大変な事になったと思う」

毛利の四人が今度は大きく頷いた。自分達の事だ、思い当たる節は多いのだと思った。


「朽木には陸奥守殿は居らぬ。駿河守殿、左衛門佐殿も居らぬ。寂しい、いや厳しい話だな」

「……」

「陸奥守殿はお若い時から養生に気を付けていたと聞いている。見事なものだと思う。中々出来る事ではない。俺も気を付けている、何とか長生きしたいものだ」

父上が私を見た。


「弥五郎、そなたも養生には気を付けるのだな。年老いてからでは無く若い時から養生せよ。生きる事が戦だと思え」

「はっ」

父上が頷かれた。生きる事が戦、その通りだと思う。父上は殆どお酒を嗜まれない。今も戦っておられるのだ……。




天正三年(1579年)   一月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  小早川隆景




「疲れたな」

兄が腰を下ろすなり大きく息を吐いた。腰のあたりをトントンと叩いている。右馬頭、恵瓊が頷いた。権中納言との会食は一刻に満たぬ時間であったが酷く疲れた。こうして右馬頭の部屋で寛ぐと肩のあたりが重石でも乗せられていたかのように凝っている感じがした。軽く右肩を回すとゴキっと大きな音がした。皆が笑った。


「疲れる話が多々有りましたから仕方ありませぬ。銀で銭を造るなど途方もない話ですな、兄上」

「金と銀と銅銭の交換比率を定めたのはもうかなり前の事であろう。あの頃から天下統一後の事を考えていたとは……」

兄が首を横に振った。


安芸の割譲が当然なら石見銀山の割譲も当然だった。朽木の天下運営は武による統一だけでは無く法と銭を使ったものになる。北条や足利は海の向こうから運ばれた銭を使うだけだった。朽木は違う。自ら銭を造り天下に流す。そうする事で天下を仕切っているのは朽木なのだと皆に理解させるのであろう。だが金か、金は如何するのか……。


「なかなか良い会食だったと思いまするが? 権中納言様は毛利家を疑う事はせぬと申されました。九州攻めへの拠点とすると」

「脅しもかけてきた、そうではないか? 恵瓊」

兄の言葉に皆が頷いた。東で騒乱が起きる可能性が有る。敢えてそれをこちらに報せた。騒乱に便乗して敵対しても無駄だという事であろう。実際に無駄かどうかは分かるまい。だが朽木は全て想定していたとなれば毛利の動きは鈍らざるを得ない。


「脅すだけの価値が有るという事でございましょう。権中納言様としても潰す事は出来ましょうが出来れば味方に付けた方が利が有る。そうお考えなのだと思います」

「気楽なものだ、口が上手いだけでは無かったか、暢気なのだな」

兄が皮肉るとまた笑い声が起きた。皮肉は言っているが兄も笑っている。兄にとっても悪い感触では無かったのであろう。


「織田殿が飲水病か。上杉家も薄々気付いているとの事であったが権中納言様はかなり以前から気付いていたように見受けたが……」

右馬頭が困惑したように問い掛けてきた。

「おそらくは。織田家は朽木家にとって味方では有りますが抜かりなく情報は集めているのでしょう」

織田家の当主が飲水病。織田家も厳重に秘匿した筈、それを探り出すとは……。朽木が大を成したのは戦で勝ったが故だがそれを支えたのが情報を探り出す力であろう。毛利も油断は出来ぬ。


「左衛門佐様の申される通りでございます。おそらくは一年以上前でありましょうな。あの高松城の水攻めは東で混乱が起きる前に毛利を降す、そのために行われたのではないかと」

恵瓊の言葉に皆が頷いた。織田の秘密を知って早急に毛利を降す必要が生じた。そのために高松城を水攻めにする事を考えたのだ。毛利を残したのも東で混乱が起きた時に西の防壁にするためであろう。恵瓊の言う通り、脅すだけの価値が有るのだ。手強い、いや強かと思った。


「九州に有る毛利の領地を大友に渡さなかったのも毛利への好意でも安芸を譲らせた事への償いでもないか」

「そうですな、大友が敗れる、頼りにならぬ、切り捨てる事を見越しての事でございましょう」

兄と恵瓊の会話に右馬頭が頷いた。自分も尤もだと思う。九州が混乱する中で確実に拠点を確保する為には大友よりも毛利を利用する方が良いと判断したのだ。


「大友は自分が切り捨てられると理解していようか?」

右馬頭が問い掛けてきた。

「毛利領をと望んで断られたのは耳川の戦いで負ける前の事、おそらくは気付いておりますまい。しかしこれから大友家は権中納言様を頼る事に成りましょう。その段階で気付くのでは有りますまいか」

恵瓊が答えると右馬頭が頷いた。


「では大友が公方様に従うという事は?」

なるほど、九州が公方様の下に一つに纏まるのではないかという事か。可能性としては有り得なくはないが……。

「難しゅうございましょう。公方様に従うという事は島津の下に付くという事にございまする。先程の会食でも話に出ましたが大友家は名門、簡単に島津の下には付けますまい。それに島津も龍造寺も自らが大きくなる事を望む筈。暫らくの間は公方様が望んでも島津は受け入れぬかと思いまする」

私が答えると兄、恵瓊が同意した。右馬頭も頷く。


「しかし大友家も真に危うくなれば、そして権中納言様を頼れぬとなれば島津に従う事を決断するかもしれませぬ。或いは龍造寺と組んで島津に対抗する事を選ぶか。まだまだ予断を許しませぬ」

「左衛門佐の申す通りにございます。我らはその間にしっかりと体制を整えなければなりませぬ」

私と兄の言葉に右馬頭、恵瓊が頷いた。


九州が如何動くかは何とも言えぬ。島津の力が大きくはなったが九州を制するまでにはまだ紆余曲折が有る筈。そしてそれに織田の病が如何絡むか。東海、関東が如何動くかで変わる筈。朽木はそれを睨みつつ体制を整えようとしている。兄が言った通り我らも体制を整えなければならぬ。天下は朽木が押さえつつあるがまだ確定はしていない。


「朽木弥五郎殿を如何見た?」

右馬頭が我らを見た。朽木弥五郎か……。

「悪い印象は受けませんでしたな。今年で確か十四歳、才気は余り感じませんでしたが愚かさは感じなかったと覚えております」

「恵瓊に同意致します。まだまだこれから、そう思いました」

恵瓊、私の評価に兄が頷いた。


「亡くなられた兄上を思い出しました」

「兄上? 父上を?」

右馬頭が目を瞠った。

「はい、兄上は日頼様の後を継ぐ事の重さに苦しんでおいででした。同じ様な苦しみを負うのではないかと……」


私の言葉に兄が大きく頷いた。我らは外に養子に出た事でそれほど感じなかったが我らの長兄隆元は父の下で苦しんでいた。皆が父と兄を比較した。何よりも兄自身が己と父を比較して苦しんでいた。弥五郎堅綱はどうなるのか……。会食の席では懸命に皆の話を聞いていた。今は学ぶ時と考えているのであろう。だが権中納言の重さに耐えられるのか……。


父が毛利は天下を望むなと言ったのは父以後の事を考えたからかもしれぬ。兄は愚かな人では無かった。だが心は決して強くなかった。仮に天下を獲っても保てぬと父は思ったのかもしれぬ。そして右馬頭……。目の前の甥を見た。欠点は有るが良い所も有る。だが天下を保てようか? 私と兄が助けても難しいだろう、父もそう思ったのではないだろうか。つまり毛利の天下は長続きしない、ならば無理に天下を望む事はないと思った……。父は寂しかったかもしれないな……。


「似ていると言うなら権中納言様は日頼様に似ていよう。酒を嗜まぬとは聞いていたがあの席でも殆ど酒を飲まなかった。形だけであったな」

兄が会食の席を思い出すかのように言った。

「確かにそうですな、権中納言様は日頼様の事を大分調べておいでのようです。戦も上手いですが調略も上手い。似ておられますな」

恵瓊の言葉に皆が頷いた。


確かに似ているかもしれぬ。似ていない所は天下を目指しているところだろう。それともう一つ、父上と違い若い内に大を成した。天下を目指したのはそれも有るかもしれない。自分の代で天下を獲れると見たのだ。だが織田が揺らぎかけている。さて、如何なるか。まだまだ予断は許さぬようだ……。




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