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耳川の戦い




天正二年(1578年)   十二月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




あと半月程で天正二年も終わる。今年は色々と有った。いや、今年もかな。織田は信長の病気が発覚した。小兵衛から定期的に信長の病状について報告が有る。はっきり言って良くない。喉の渇きと頻尿、下肢の痺れが酷いようだ。長くないという予想は強くなる。織田家中では極秘にしているようだが少しずつ漏れている。上杉でも薄々気付いている形跡が有る。


その上杉の姫と信長の嫡男の勘九郎信忠が結婚した。織田にとっては信長が病気である以上大事な縁組と言えるだろう。伊豆の制覇も有った。小田原攻めは来年だろう。駿府城の完成が再来年だがその前に小田原を攻め落とせるのか……。北条も結構厳しいようだから包囲して交渉で降伏という事も有るだろう。だが信長の病気が軍事行動に如何いう影響を及ぼすか、織田からは目を離せない状況だ。


上杉は景勝が着実に足場を固めている。関東管領職も継承し来年には家督相続があるんじゃないかと思う。謙信がそれを強く望んでいるようだ。官位を貰い上洛もした。織田、朽木と縁を結び外交面で得点を重ねている。後は軍事面での成果が有れば完璧といえる。もしかすると家督相続の前に出征というのも有るかもしれないな。或いは相続直後に出征か。関東方面は荒れそうだ。


朽木も最近はお目出度続きだ。西園寺家には永尊内親王が降嫁した。無事に済んでホッとした。母親の千津叔母ちゃんからは屋敷まで新しくして貰って有難うと文が来た。まあこのくらいは良いんだよ。大したことは無い。来年は弥五郎が上杉の奈津姫を嫁に迎える。初陣も済ませたし少しずつだが学び始めている。順調だと思おう。


それと竹田宮永仁親王殿下も結婚相手が決まった。権大納言今出川晴季の娘だ。こっちも来年の後半に結婚だ。今出川晴季って史実では豊臣政権と親密だったよな。秀次の正室って今出川晴季の娘だった筈。もしかするとそれかもしれない。だとしたらこの世界では幸せになって欲しいものだ。婚儀には盛大に祝いの品を贈ろう。二人とも喜んでくれるだろう。


仙洞御所の建設も始まった。再来年の前半には完成させたい。そして後半には譲位だ。ちょっと厳しいかな? まあ朝廷でも楽しみにしている。出来るだけの事はしよう。雪乃と辰が妊娠した。辰の妊娠は本人も喜んでいるが周りが大騒ぎだ。綾ママ、小夜、雪乃、篠、それぞれに世話を焼いている。雪乃は自分の妊娠よりも辰の妊娠が嬉しいんじゃないかと思うくらいだ。夏頃に二人とも子供を産むだろう。辰の産む子は出来れば男の子であって欲しいよ。温井家の名跡を取らせたいからな。そして来年には篠も側室になる。なんか嬉しさよりも義務感が強い。側室ってそんなものなのかな?


武田の二人の姫も相手を決めた。上の松姫は鯰江藤五郎定興。鯰江の伯父の長男満介貞景の三男だ。鯰江一族は山陰から北陸にかけて枝葉を広げる朽木の親族だ。粗略に扱っているとは誰も思わないだろう。藤五郎は当然だが武田の姓を名乗る事になる。妹の菊姫は伊勢兵庫頭の次男与三郎貞興を相手に決めた。


伊勢氏は朽木と密接な関係にある家だ。そして兵庫頭は朽木の京都所司代のような立場にいる重臣と言って良い。元々は足利幕府で政所執事を務めた家なのだ。十分過ぎる相手だろう。与三郎も武田の姓を名乗る。朽木家の中に武田の家が二つ有る事に成る。未だ若い木だがいずれは大きく育ってくれるだろう。大事にしないと。


武田の旧臣達も小山田が評定衆に任じられた事、浅利、甘利が弥五郎の身辺に付けられた事で大分安心したらしい。松姫と菊姫の処遇に付いても特に不満は出ていない。鯰江も伊勢も朽木家の中ではそれなりの立場の家だ。俺とも近い、十分だという事だろう。小山田も恭も俺に礼を言ってきた。松姫と菊姫の婚礼も来年だな。ホッとしたわ、ようやく荷が降りた。来年は出産と結婚で大忙しだな。でも戦争よりはましか。


目出度い事が有れば目出度くない事も有る。大叔父が引退したいと言ってきた。家督はとっくに主殿に譲っているんだが俺の為に働いて来てくれた。今度は本当に引退したいらしい。相談役にと言ったんだが朽木に引っ込みたいと言われた。もう年だしな、引き留められん。だが会えなくなるのは寂しい。能興行を奇数月にやっているからその時は一緒に見物すると約束させた。伊賀衆は俺が直接扱う。主殿には松千代を見て貰っている。余り負担はかけられん。寂しいよな。


そして史実通りだが大友が島津に負けた。負けたなんてものじゃないな、ボロ負けだ。大友は四万近い大軍を動員したんだが二万近い戦死者を出したらしい。おまけに指揮官クラスが軒並み討ち死にしている。臼杵鎮続、田北鎮周、蒲池鑑盛、佐伯惟教、角隈石宗、斎藤鎮実、吉弘鎮信。いずれも大友では中核になる男達だ。他にも是恒国賀、元重親朝、吉岡鑑興が討死している。取り返しのつかない敗戦と言って良い。史実通り、これから大友は坂を転げ落ちるように落ちていくだろう。


この戦い、耳川の戦いと俺は記憶しているんだが伊賀衆からの報告だと最初は日向国児湯郡の高城を巡っての戦いらしい。兵力は大友の方が島津より一万程多かったんだが負けた。馬鹿げた話だが大友は戦うのか和睦するのか方針が決まっていなかったらしい。勝手に戦争を始める者が居て島津との全面戦争になった様だ。そして大体三千から四千程の損害を出して大友軍は豊後方面に撤退した。島津軍に追撃され耳川で捕捉されたようだ。丁度その二、三日前からの大雨で耳川は増水していたらしい。島津に殺される者、溺れ死ぬ者で大変な事になったようだ。死傷者が多いのは溺死の所為だろうという事だ。


良く分からんのは大友宗麟がこの戦の指揮を執っていない事だな。伴天連と一緒に後方に居たらしい。本当にやる気が有ったのかと疑問が有る。大事な一戦なんだから最前線で指揮を取っても良いような気がするんだが……。或いは宗麟は最初から和睦が狙いだったのかもしれん。その辺りが徹底していなくて現場が混乱した……。


大事な一戦と思ったのは俺が史実を知っているからかもしれない。宗麟は兵力差から見て有利な形で和睦を結ぶ事が出来ると考えた。狙いは日向北半分に名目的に伊東を復帰させ対島津の防壁にする。そんなところか。戦になっても多分勝つだろう、負けても大した事にはならないと考えていたのかもしれない。だとすると油断だな、島津を甘く見た。……弥五郎にその事を話しておこう。多分関心を持つ筈だ。今でも耳川の戦いの経緯を自分なりに調べて半兵衛、新太郎と話しているようだから。


一条兼定は宗麟と一緒にいたらしい。その所為で無傷で土佐に帰ったようだ。あいつ、何をしに日向に行ったんだ? 宗麟のご機嫌伺いか? それとも散歩? まあ損害は無いんだ、長宗我部も簡単に動く事は無いだろう。しかし大友は今後体制を立て直す迄の間一条を頼るかもしれない。だとするとこれからが大変だろう。こっちにも援助要請が来るかもしれないが予定通り無視の一手だな。


足利義昭は大喜びだ。早速北九州の国人衆に島津に味方しろと文を送っている。当然だが毛利にも文を送っている。意気軒高、景気の良い内容だ。手紙公方ここに在り、そんな感じだったな。案の定だが島津と龍造寺を協力させて大友を打ち倒す事を考えている。毛利も協力して欲しい。豊前、筑前は毛利に進呈する。その後は九州の兵を率いて上洛する、毛利は旧領を回復せよと毛利への手紙には書いてあった。


義昭もちょっと可哀想だな。毛利は送られた文をそのままこっちに渡した。まるでメールの転送だよ。でも豊前、筑前を渡すなんてちょっと景気が良過ぎるよな。空手形だと誰だって思うわ。俺が毛利の動向を訝しんでいると文を送ったから今度は隠さずに送ってきたらしい。毛利はかなりこっちを意識している。良い傾向だ。あの文の直後、安国寺恵瓊が近江に弁明の使者としてやってきた。


まあこっちだって毛利が本気で朽木に敵対しようと考えていると思ったわけじゃない。だから恵瓊の弁明に分かったと言った。ここまでは問題無い、問題が発生したのはその後だ、恵瓊が毛利の手で安芸の一向門徒に朽木の法に従う様に命じる、従わぬ場合は安芸門徒の根切りも辞さぬと右馬頭輝元が考えていると言った事だ。


一瞬耳を疑ったわ。何の冗談だと思った。そんな事をしたら安芸でとんでもない規模の内乱が起きるだろう。それを避けるために安芸を朽木に寄越せと言ったのだ。それなのに何を考えている? 本末転倒だ。輝元は何も分かっていないのか? 五十万石の大名が馬鹿だとしたらとんでもない事に成る。混乱しているところに大友がボロ負けしたと報せが入った。恵瓊の顔が引き攣っていたな。


だが恵瓊の表情を見た事で何となく分かった。恵瓊は大友が負けるとは思ってもボロ負けするとは思っていなかったのだ。ボロ負けした事で島津の力が九州北部にまで延びると実感したのだろう。となればだ、朽木が毛利の動向に厳しい目を向けるのは無理もない。俺がかけた疑いは真実味を増した。毛利は朽木との戦で多くの領地を失ったから失地回復を図ろうとすると思われても仕方が無いのだ。安芸門徒に対する厳しい対応は朽木に対して二心を持たないという表明なのだろう。毛利は、いや輝元は朽木を酷く懼れている。


朽木を懼れる事は悪い事じゃない。舐められるよりは遥かにましだ。だが余りに畏れ過ぎる事は決して良い事じゃない。ちょっとした失敗からパニックになって反乱を起こす奴は幾らでも居るのだ。輝元を落ち着かせる必要が有る。恵瓊とその辺りを十分に話し合った。


先ず第一に毛利は年内に移転を完了させる事を優先する。多少ずれる時は事前に石山城の十兵衛と俺に伝える。毛利の移転後に朽木が安芸に入り安芸門徒に対して朽木の法に従うように勧告する。もし一揆が起きた場合、毛利は家中の一向門徒が安芸門徒に加勢しないようにする。万一毛利を捨てて安芸門徒に加勢した場合はその者の帰参は認めない。処分は朽木に一任するとした。実際一揆が起きた場合、毛利家からの加勢がゼロというのは有り得ないだろう。恵瓊も有り得ないと言った。だが帰参を認めないとすれば多少は違う筈だ。敵は分断して規模を小さくして叩く、それが基本だ。輝元がやったら規模がでかくなって収拾がつかなくなる可能性が有る。


安芸門徒の一揆を鎮圧するのは朽木の役割とし毛利は移転後の体制固めに専念する。正月の挨拶の時は九州の情勢、そして九州攻めの時期について話し合う。これを恵瓊との間で確認した。そして書状に記した。恵瓊は書状を輝元に渡し説明する事で輝元を安心させる。正月に輝元が来たら歓待してやろう。能興行でもするか。下手な鼓を打つのも一興だな。




天正三年(1579年)   一月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  小早川隆景




「謹みて新年の御慶びを申し上げまする。権中納言様におかれましては御機嫌麗しく右馬頭輝元、心より嬉しく思いまする。新たなる年を迎え我等心を一つにし、権中納言様に忠義を尽くす所存、何卒よろしくお願い致しまする」

右馬頭が頭を下げたので頭を下げた。兄、恵瓊も同様であろう。下げる直前に正面に居る若い男が微かに頷くのが見えた。


「遠路はるばるご苦労。右馬頭殿、供の方々も頭を上げられよ」

「はっ」

右馬頭が頭を上げたのでこちらも頭を上げた。

「御丁寧な挨拶、痛み入る。心を一つにというのはこちらが願う事、以後は良しなに願いたい」

「はっ、有り難きお言葉、畏れ入りまする」


目の前に権中納言朽木基綱が居る。特に目立つ特徴は無い。ごく普通の男だ。この男が天下を動かしている。今年で三十一歳、右馬頭よりも四歳年上だ。既に嫡男は元服を済ましその下にも男子が何人かいる。隙の無い男、そんな感じがした。父、元就に似ているだろうか……。


「移転では随分と苦労されたであろう、已むを得ない事ではあるが済まぬ」

「いえ、そのような事は」

「当分は内政に励まれると良い。こちらも無理は好まぬのでな」

「はっ」

「幸い右馬頭殿には駿河守殿、左衛門佐殿という頼りになる親族が居られる、それに家臣達も。焦らずにゆっくりと進められると良かろう」

「はっ、御心遣い有難うございまする」


右馬頭が軽く頭を下げた。権中納言が兄、そして私に視線を向けた。声はかけない、しかし無視はしていない。さり気なく見ている。

「折角近江に出て来たのだ、ゆるりとされるが良い。倅の弥五郎が話を聞きたがっている。良しなに頼む」

「はっ」


謁見を終え滞在中の住まいとして用意された部屋に戻った。右馬頭、兄、私、恵瓊、それぞれに部屋が用意されている。陽当たりの良い小奇麗な部屋だ。気を遣ってくれているのだろう。戻ると直ぐに女中が現れてお茶を淹れてくれた。謁見は思ったよりも疲れたのだろう。お茶が身体に染み渡る様な気がした。近江は安芸に比べると幾分寒い、そういう意味でも暖かい御茶は有り難かった。


「失礼致しまする」

御茶を飲み終えて一息入れた頃、障子の外から声がした。

「何用か」

障子が開いた。朽木の小姓が控えていた。

「御寛ぎの所畏れ入りまする。主、権中納言が左衛門佐様をお連れせよと」

「分かった」

「御案内致しまする、どうぞ」

小姓の案内で城中を歩く。前に人が居た、兄か。或いは右馬頭も呼ばれているのかもしれぬ。


案内された部屋はそれほど大きな部屋では無かった。四方に火鉢が置いて有り微かに温もりが有る。部屋には権中納言、弥五郎、右馬頭、恵瓊が車座に座っていた。兄が座った、その隣に座った。反対側は弥五郎だった。

「呼び立てて済まぬ。だが先程の様な席では肩が凝って十分に話せぬのでな、こちらに来てもらった。今膳が来る、適当に食べながら話そう」

権中納言の話が終わる前に戸が開いて女中達が膳を運んできた。酒も付いている。女中達が皆に酒を注いだ。


女中達が去ると権中納言が盃を掲げた。

「では改めて。良く来てくれた、新年おめでとう」

「おめでとうございまする」

皆で盃を掲げて唱和した。

「遠慮せずに食べてくれ、ゆっくりやろう」

そう言うと権中納言が箸を取って食べ始めた。遠慮は無用だろう、こちらも箸を取って小鉢の小魚の甘露煮を食べた。美味い、淡海乃海で獲れた魚だろうか。


「俺がこんな事を言うと不愉快かもしれんが毛利家は領地が減らされて大変であろうな」

「……」

右馬頭が困惑した様な表情を見せた。

「だが毛利家には海が有る。半島、大陸とも近い。領内の産業を盛んにし関を廃せば商人が来る。それを庇護し交易を活発に行えば米は減っても銭は増えよう。米に頼らぬ収入に力を入れると良かろう。朽木もそうやって家を大きくした」

「御教示、有難うございまする」

右馬頭が答えると権中納言が頷いた。朽木に対する反発を抑えようとしているらしい。或いは朽木は毛利に対して悪感情を持っていないという意思の表明か。ふむ、蛤の吸い物か。これも良い。


「いずれは銀の銭を造ろうと考えている」

「銀?」

兄が声を出した。権中納言が顔を綻ばせた。

「銅銭では大きな取引がし辛い、という事で金、銀と銅銭の交換比率を定めた。諸国の商人達もそれを使っている。金、銀を使うという基盤は出来た。それをもう一歩進めようと思っている。銀の銭を造り領内で使わせる。取引もずっとし易くなる筈だ。今御倉方に検討をさせている」

銀の銭……、とんでもない事を考える男だ。息子の弥五郎も吃驚している。


「父上がそんな事を御考えとは……」

権中納言が笑い声を上げた。

「未だ天下を獲ったわけでは無い。だが天下が見えてきた以上銭の事を考えぬわけには行かぬ。今は明から持ち込んだ銅銭を使っているがそれも改める。朽木が銭を造る、銅、銀、金を使ってな。石見の銀山はそのために使わせてもらう事になるだろう」

右馬頭が大きく息を吐いた。確かに溜息を吐きたくなる男だ。我らとは違う物を見ている。


「時間はかかる。銭を造る場所、銭を造る職人、銭の形、銀と銅の割合等を考えなければならん。それに金を如何するか? 朽木領内では殆ど金は出ない。金を持っているのは上杉と織田だ。まさか戦で攻め取るわけにもいかん。頭の痛い事だ」

呆然としていると権中納言が苦笑を漏らして“話を変えよう”と言った。


「明智十兵衛が安芸に入った。先ずは領内の把握、それと新たな城造りに取り掛かる筈だ。寺に朽木の法に従えと突き付けるのは四月を過ぎてからになるだろう」

「田植えが間近でございます。一揆が起きれば秋の収穫にも影響が出ましょう」

問い掛けると権中納言が顔を綻ばせた。


「構わぬ、それが狙いだ。朽木の領地は安芸だけでは無い、米は他から持ってくる。秋に腹を減らした領民達に米をやろう。一揆など起こしても何の意味も無いと皆が理解するだろう」

なるほど、朽木は余力が有る。それと当分戦は無いと見ているようだ。もし戦が有るなら安芸での騒動は避けたい筈。


「右馬頭殿、九州はどうなると思われる。公方様は島津と龍造寺を結び付けようとしているが」

小鉢の甘露煮を食べていた右馬頭が箸を置いた。

「難しいかと思いまする」

「ぶつかると見るか」

「いずれは」

権中納言が二度、三度と頷いた。


「何時頃かな? 駿河守殿の考えは?」

「さて……」

問い掛けられた兄がじっと考え始めた。わざとか? 皆が焦れ始めても考えるそぶりを見せている。権中納言は黙って待っていた。

「龍造寺は先ずは肥前の統一を目指すものと思われまする。その後は大友の領地を奪いにかかりましょう。島津と龍造寺がぶつかるとすれば考えられるのは肥後を巡っての事と思いまする」

権中納言が大きく頷いた。


「そうよな、肥後でぶつかる頃には龍造寺もかなり大きくなっている。簡単には退くまい、戦の可能性は大きいか」

皆が頷いた。

「島津も龍造寺も勢いが有る。そして大友は下り坂、大友にとっては苦しい時が続くな。生き残れるか如何か……、肥後では相良と阿蘇が大友に付いているが……、正念場だな」

正念場、その言葉に皆が頷いた。








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― 新着の感想 ―
[一言] 銭を作る話をしていた際に、経済重視だった毛利隆元を意識していたなどと言っていれば毛利の心を取れていたかもしれませんね
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