九州へ
天正二年(1578年) 六月上旬 備中国賀陽郡高松村 石井山 朽木堅綱
毛利家が降伏した。畠山修理亮の引き渡しを追放で許して頂きたいとの毛利家の言い分を父上は受け入れた。但し、清水長左衛門の切腹は毛利に飲ませた。これで高松城を攻め落としての和議になる。降伏の条件は厳しかったが領地の引き渡しは年内に、今年の秋の収穫は毛利家の物とする等それ以降はむしろ緩やかだった。
父上の御考えでは降伏したのだから以後は家臣として扱う。必要以上に追い詰める事は無いという事らしい。畠山修理亮の身柄は受け取りたかったようだが修理亮と長左衛門の両方とも毛利に条件を飲ませて屈辱を与えるのは九州攻めを考えれば得策ではないと考えられたようだ。毛利に温情を示し懐柔しようという事らしい。
「毛利が裏切るという事は有りませぬか?」
問い掛けると父上が顔を綻ばせた。
「要心は必要だが疑い深いのは良くないな。猜疑心が強くては毛利も居心地が良く有るまい、その方が裏切りを呼び易い」
「はい、ですが要心とはどのように?」
「常に目を離さぬ事としか言いようがないな」
「はあ」
父上が笑い出した。
「監視するという事では無いぞ。もし困っている事が有れば助ける、不都合な事が有れば注意する。常に毛利には気を配っているのだ、関心を持っているのだと理解させる事だ。それが伝われば簡単には裏切らない」
「はい」
「要するに毛利に安心して朽木に仕えられると思わせる事だな」
「なるほど」
安心して仕えられるか……。仰られる事は分かるのだがどのようにすれば良いのだろう。私だけではない、家臣達にも訝しげな表情をしている者が居る。
「弥五郎、毛利右馬頭に文を書いては如何だ?」
「文、でございますか?」
父上が楽しそうに顔を綻ばせている。
「そうだ、正月に会えるのを楽しみにしている。色々とお話を伺いたい、元就公のお話を伺いたいとでも書くのだ。朽木の次期当主が自分達に好意を持っていると思うだろう。悪い気はしないだろうな」
「なるほど」
なるほど、父上は良く家臣に文を書いている。それは家臣達を安心させるため、心を引き付けるためか。
「そなたにとってもためになると思うぞ。元就公は一代で毛利を山陽、山陰の覇者にした御方だ。色々な人の話を聞くのも大事な事だ」
「はい」
元就は安芸の一国人領主から大毛利家を作った。いわばもう一人の父上と言える。父上に薦められた事も有るが話を聞いてみたいと思った。
「右馬頭だけではない、叔父の吉川駿河守、小早川左衛門佐にも文を書くと良いな。二人とも毛利を支える名将だ」
「はい」
「もっとも駿河守は気性が激しいからな、まともに返事が返って来るかどうか、怪しいものだ」
父上が顔を綻ばせた。
「邪険にされても根気強く文を書く事だ。相手と比べればそなたは未熟な若造でしかない。腹を立てずに相手から話を聞く、その姿勢を貫く事だな。それが出来れば駿河守も多少は認めてくれよう」
「はい」
未熟なのは分かっている。腹は立たない。
「気を付けるのだな、弥五郎」
「は?」
父上が私を見ている。
「向こうが会うと言った時は必ず何処かでそなたの器量を計ろうとする筈。朽木の次期当主がどの程度の器量の持ち主かをな」
「……」
父上が楽しそうに笑い声を上げた。どうして笑えるのだろう。私には笑う事は出来ない。
「左程に難しい事では無い。気負う事は無いのだ。未熟である事を隠す必要は無い。愚かでさえなければ良い」
「愚かとは?」
問うと父上が顔を引き締めた。
「己が未熟である事を認めぬ事、実力も無いのに虚勢を張る事だ。愚かとは馬鹿で傲慢という事だな。駿河守も左衛門佐も百戦錬磨の名将だ。簡単に見切られるだろう。右馬頭も毛利家当主として苦労をしている。蔑まれるだろうな。そうならぬように気を付ける事だ」
「はい」
父上が頷かれた。
「未熟だからこそ人と会って話を聞く。そして何かを得る。そう思う事だ。気負わず、素直に話を聞くが良い」
「はい」
「或いは挑発してくるかもしれぬがそれに乗ってはならぬ」
「はい、御教示、有難うございます」
父上が顔を綻ばせた。
一つ一つ、父上が教えて下さる。その度に自分の未熟さに気付く。これからだ、自分に足りぬ部分を埋めていく。だが何時か父上に追い付く事が出来るのだろうか? 知れば知る程自分の未熟さに気付く、そして父上の大きさにも……。
天正二年(1578年) 七月上旬 播磨国飾東郡姫山 姫路城 黒田孝隆
「良いのか、御着には行かずとも」
「構いませぬ。御屋形様より家族でゆっくりと過ごすが良いとの御言葉を頂いております」
俺が答えると父が“そうか”と言って嬉しそうに頷いた。姫路城の一室には父、継母、叔父休夢斎、妻の光、弟の次郎、四郎太、惣吉、それに息子の吉兵衛が揃っていた。勝ち戦の祝いの宴、和やかな空気が漂っている。今頃は御着でも御屋形様が寛いでおられるだろう
「それにしても毛利様が降伏されるとは……、以前にここ二、三年で降伏するだろうと殿と義父上から御伺いしましたが……」
光が首を横に振った。
「信じられぬか、光」
「はい」
妻が頷くと皆が頷いた。
「確かに信じられぬ事だ。だが御屋形様は最初から此度の戦で毛利を降す御心積もりだったようだ」
彼方此方から溜息が聞こえた。信じられぬのだろうな、無理も無い。御屋形様が毛利を降伏させると仰られた時、皆が驚いていた。軍略方の沼田上野之助殿に訊ねたが軍略方では和睦の条件は検討したが降伏はもっと先の事だと思っていたらしい。
「高松城を水攻めにしたのもそれが理由だ」
「その水攻めだが如何いう事なのだ、官兵衛。良く分からんのだが……」
父が困った様な表情で訊ねてきた。腑に落ちないらしい。
「城が周囲よりも低い所に有りましたので城を囲むように堰を造りそこに傍を流れる足守川の水を注ぎこんだのです。この時期ですからな、雨も降り堰の中は忽ち水で一杯になりました」
また溜息が聞こえた。
「想像も付かんの」
父の言葉に妻と継母が頷いた。
「そうでしょうな、その場にいた某も本当にそのような事が出来るのかと思いました。出来上がって行く様を見てもです。堰に水が溜まってからは毎日これは現実なのか、夢ではないのかと思いました。某だけではありませぬぞ、皆同じような事を言っております」
叔父上、そして吉兵衛が大きく頷いている。この二人も同じ様な思いをしたのだろう。
「官兵衛殿、水攻めというのは如何いう効果が有るのでしょう? 兵糧攻めなら分かりますが……」
継母が困惑したように疑問を呈した。
「そうですな、城の内部にまで水が入りますので使える場所が無くなるのです。城下の屋敷も水没しましたので家臣達の家族も城に入りました。城内は人で溢れていました。開城する頃には寝る場所を確保するのも容易では無いような有様だったようです。皆、憔悴しきっておりましたな。ああなっては意地も張れませぬ」
又溜息が聞こえた。
高松城の中は酷いものだったと聞いている。水の浸食により居場所が極端に少なくなったにも拘らず家臣達の家族を受け入れたため城内は身動きも儘ならないほどに人が溢れたらしい。それに糞尿の始末、食事の煮炊きも儘ならぬ有様で城内は争いが絶えぬ状態だったとか。敵が攻めてくれば戦う事で団結出来ようが敵はただ城を囲んで水に沈んでいくのを見ているだけ、攻め寄せてくるのは水、士気は下がる一方だったとか。
「吉兵衛、初陣は如何であった。御屋形様の命で毛利との和睦の条件を検討したらしいが」
父の言葉に吉兵衛が顔を赤らめた。
「検討などと、……某は若殿の御役に立つ事が出来ませんでした。恥ずかしい限りです」
父が此方を見た。余程に孫が心配らしい。
「まあ今の吉兵衛では良くやった方だと思います。吉兵衛、あまり自分を卑下するな。これから精進して若殿の御役に立てば良いのだ」
「はい」
「それと御屋形様に感謝するのだな。和睦を如何結ぶかなど重臣中の重臣でなければ関われぬ事だ。良い経験をさせて貰ったのだぞ」
「はい!」
吉兵衛が力強く頷いた。父が満足そうに頷いている。可笑しかった。
「和睦では毛利は安芸を手放すようだが?」
「はい、安芸は一向宗の力が強いですからそのまま毛利領にしては不都合が有ると御屋形様は考えられたようです。毛利もそれを受け入れたという事は毛利にも一向宗を抑える自信が無いのでしょう」
父が“厄介だからの”と言うと皆が頷いた。播磨も西部は一向宗の力が強かった。本拠地である英賀は根切りを受けている。
「御屋形様は交渉が上手いですな。毛利に本拠地の安芸を割譲させた、その事で毛利は朽木に敵わぬ、その事を心の底から認めたと皆が思った筈です。周囲の御屋形様を見る目は以前とは違う筈」
叔父の言葉に皆が頷いた。
「いずれは毛利も自然とそう思う事になる。……官兵衛よ、公方様、顕如上人はどうなったのだ?」
「二人とも九州に落ちたようです。未だ朽木と戦う事を諦めてはおりませぬ、おそらくは島津を頼るのでしょう」
俺の答えに幾つかの溜息が起きた。何時まで抵抗を続けるのか、既に大勢は決しているのに、そう思ったのであろう。実際九州では一向門徒の力は決して強くない。顕如もそれほど力を発揮出来まい。安芸での混乱を期待しているのかもしれんが御屋形様がそれを認めるとも思えん。この辺りで朽木に降った方が良いのだが……。公方様も何処まで意地を張られるのか……。九州から盛り返すなど到底出来る事とは思えぬ。足利尊氏公は出来たかもしれんがそれに望みをかけているなら余りにも現実が見えていない。もう足利の世では無いのに……。
「九州ですが日向において大友と島津が戦を始めました。大きな戦になるのではないかと思います。御屋形様が毛利との決着を急がれたのも九州の事を考えての事かもしれませぬ」
「ほう、如何いう意味だ?」
父が口元に運んだ手を止めた。皆も俺を見ている。
「切り獲った領地を安定させ九州に攻め込むまでに二年はかかりましょう。毛利攻めが長引けばそれだけ九州攻めが遅れます。その間、九州の諸大名が潰し合いを行うなら良いのですが或いは大きな勢力が生まれるかもしれませぬ。それを嫌ったのではないかと」
「なるほど」
父が一口酒を飲んだ。何かを考えている。
「官兵衛、御屋形様は大友と島津の戦いは島津が勝つと予測しているのではないかな?」
やはり父もそう思うか。
「そうかもしれませぬ。今回の戦いで分かったのですが御屋形様は余り大友を評価しておられませぬ。そして大友と手を組むお考えも無いと明言しておられます」
吉兵衛が顔を伏せた。大友と結んで九州制圧を行った方が良いと考えた事を思いだしたのであろう。
「某が思うに御屋形様は島津が大友を叩き力を弱めるのを望んでいるのでしょう。その後で島津を叩き御屋形様の力で九州を征服する。大友はあくまで朽木傘下の一大名として扱うつもりなのではと思います」
九州に大大名の存在を許さない、御屋形様はそうお考えなのであろう。単なる征服では無い、先を見据えての、朽木の天下を見据えての征服だ。吉兵衛の和睦案にはその辺りの視点が足りなかった。若殿に近侍する以上、教えなければなるまい……。
天正二年(1578年) 八月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
毛利降伏後の後始末を終えて近江に帰ると八月も終わりに近付いていた。毛利の家臣達の引っ越しにはかなり時間がかかるだろう。年内に移動が完了すればよい。安芸には十兵衛光秀を入れる事にした。石高は七万石、中国攻めでは苦労したからな、少し多めにした。今頃は十兵衛も石山城で引っ越しの準備中だろう。
居城は吉田郡山城だが不便だ。海沿いに新たに城を造らせる。吉田郡山城は万一の場合の詰めの城になる。それと念のため兵力は一万程与える。その費用は朽木本家が持つ。当分十兵衛には毛利のお目付役をしてもらう事に成る。当然だが副将はお役御免だ。新たな副将を決めなければならん。
芦田源十郎信蕃、山内次郎右衛門康豊も安芸に配置した。それぞれ三万石。この二人はこれまでも十兵衛を助けてきた。安芸は対毛利、対一向宗で重要な土地だ。気心の知れた者で組ませた方が良いだろう。芦田は父親の四郎左衛門が越前で三万石、息子の源十郎が安芸で三万石だ。源十郎は自分の力量で三万石を得た事が嬉しいらしい。何度も俺に礼を言った。
越前の方は源十郎の弟、左八郎信幸に継がせるのかもしれないな。父親を助けて良くやっていると聞く。それと伊勢国奄芸郡稲生城主稲生勘解由左衛門兼顕、安濃郡津城主細野壱岐守藤敦を安芸に置く。この連中も三万石だ。但し領地を与えるのは十兵衛も含めて皆二年後になる。今は証文を与えただけだ。
源十郎は小倉山城、次郎右衛門は新高山城に入る、勘解由左衛門、壱岐守はそれぞれ有田城、吹屋城だ。それと九鬼孫次郎に上蒲刈島、下蒲刈島を、堀内新次郎に大崎上島、大崎下島を与えた。きちんと領地を与えようと思ったんだが島の方が良いらしい。この辺りは海賊衆だな。これは直ぐに与えた。
親族にもそれなりの配慮をした。叔父達には備中、備後で領地を与える事にした。これも二年後だ。場所はまだ決めていないが大体五万石を想定している。鯰江の伯父にも褒美を出した。但し加増ではない。伯父には息子が多い、俺にとっては従兄に当たる。彼らに領地を与え独立させる。鯰江小次郎氏秀、鯰江重三郎貞治、鯰江又四郎貞種、鯰江小五郎貞豊。いずれも山陰で三万石だ。鯰江一族は全部入れれば二十万程になる。中々だな。
尼子は出雲の西部に五万石で入れた。元々地縁が有る、これは直ぐに入れた。喜んでいたな。何度も頭を下げて感謝していた。まあ毛利が妙な事を考えても尼子は同調しないだろう。その辺りは安心している。毛利に降伏した尼子の本家は如何するのかな? その辺りは気を配らないといかんな。トラブルは避けなければ……。東出雲は朽木の直轄地だ。あそこは美保関が有るから押さえなければならん。
毛利との戦の最中に周りもかなり変化が有った。先ず織田が伊豆を征服した。もっともかなり手古摺ったらしい。伊豆は地形が険しいからな、大軍の利を十分に生かせなかったようだ。だがこれで北条は相模だけになった。上杉との婚儀が終れば次は北条攻めだろう。
上杉では景勝が関東管領に就任した。上杉家内部での景勝の地位は着実に固まりつつあるという事だ。秋になれば織田との婚儀、来年には朽木との婚儀。先ずは戦よりも外交攻勢だ。家督相続はどのタイミングかな? ここ一、二年じゃないかと思うがまあ順調と言って良い。
土佐では長宗我部が一条との和睦を受け入れると言ってきた。俺に頼んだのではない、直接一条に和睦を請うたらしい。ちょっと驚いたな。長宗我部が簡単に和睦を受け入れるとは思わなかったんだが。元親は毛利の敗北は間近だ。毛利が敗北すれば朽木と三好が攻めて来ると思ったのだろう。屈辱だった筈だが已むを得ないと受け入れた様だ。
だがそれ以上に驚いたのは一条兼定がそれを受け入れた事だ。長宗我部を潰すまで受け入れないと騒ぐかと思ったんだがあっさりと受け入れた。何でかと思ったら土佐での戦を終わらせて九州の戦に参加するつもりらしい。要するにだ、長宗我部との戦は朽木の援助で戦っているから勝っても誰も兼定を認めない。だが九州での戦なら妻の実父の大友宗麟が認めてくれるという事の様だ。馬鹿じゃないのと言いたくなるわ。
止めたいんだけどな、理由が無い。土佐での戦は終った。伊予は三好領になったし毛利も朽木に降伏した以上土佐一条家を囲む状況に不安は無い。二正面作戦じゃないから妻の実家の応援をするといわれては反対はし辛い。老臣の土居宗珊も反対したようだが聞く耳を持たない様だ。どうにもならんな。
その九州だが大友は日向に攻め込んだ。島津と決戦だがさてどうなるか。史実では大負けした。だがこの世界では一条兼定が大友に付いたし毛利も敵対していない。足利義昭と顕如は島津を頼って行った。この辺りが如何いう影響を及ぼすのか……。目を離せない状況だ。
大友は案の定だが九州の毛利領を寄越せと言ってきた。相変らずの上から目線だ。事前に約束したならともかくいきなり寄越せとか有り得ないだろう。はっきり断った。毛利は朽木の家臣だから毛利を攻めるという事は朽木に敵対する事を意味する。一切妥協は無いと返事をした。一条兼定が大友の味方をするのはもしかすると俺への反発かな? 俺が大友に冷淡だから当てつけに肩入れするとか。有りそうだな。大友も一条もウンザリするわ。
京では内親王殿下の降嫁がもう直ぐ行われる。新築の屋敷で仲良く暮らして貰いたいものだ。仙洞御所の建築も始まった。建物だけじゃない、庭も作る。全部伊勢兵庫頭に任せているが一度建設現場を見に行った方が良いだろうな。それと兵庫頭に加増してやろう、良くやってくれている、頼りになるわ。