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和睦交渉(2)




天正二年(1578年)   六月上旬      備中国賀陽郡高松村 石井山  朽木基綱




「御屋形様、毛利はあの条件を受けましょうか?」

恵瓊が帰ると真田源五郎が訊ねて来た。ちょっと不安そうだ。源五郎以外にも不安そうな顔をしている人間がいる。厳しい条件と思っているらしい。

「恵瓊は納得していたな。毛利のためを思えば説得してくれるだろう」

俺が答えると源五郎を始め皆が頷いた。でも半信半疑、そんな表情だ。


毛利に出した条件はそれほど複雑な物ではない。領土問題の他は足利義昭、顕如を毛利領から追い出す事、畠山修理亮高政を引き渡す事。清水宗治に腹を切らせる事。そして来年の正月には毛利輝元、吉川元春、小早川隆景の三人が年賀の挨拶に来る事だ。降伏の覚悟をしたのなら特別受け入れが難しい条件ではない。


清水宗治の切腹もそれほど問題にはならない筈だ。史実では毛利がごねたといわれているが恵瓊は余り拘らなかった。そうだよな、高松城の水攻めで毛利は降伏したんだ。宗治が生き残っても滑稽な存在になるだけだろう。和睦の条件の一つとして死んで貰えば最後まで毛利のために戦った男として讃える事が出来るし遺族を大切にする事も出来る。非情なようだが後々の事を思えば宗治には死んで貰った方が収まりが良いのだ。


領土問題では結構タフに当たったがそれだって必ずしも毛利に不利な事だけではないのだ。毛利の本拠地は安芸だ。地縁の強い家臣達を土地から引き離す事で力を弱める事が出来るだろう。厄介な一向門徒の多い領民とも縁を切れる。その分だけ当主の力が強まる事に成る。それに毛利には海が有るのだ。日本海側、瀬戸内の入り口に港を持っている、それを使って交易を盛んにすればかなりの収益が有る筈だ。


「父上、何故公方様の引き渡しを条件の中に入れないのです。畠山修理亮の引き渡しは要求されたのに」

弥五郎が不思議そうな表情をしている。

「公方様の引き渡しを要求するという事は公方様に価値を認めるという事だ。父は公方様に何の関心も無い、価値も認めぬ。俺に敵対するというなら何処にでも行けばよい。俺に従うというならそれなりの待遇をする。だから引き渡しの要求はせぬ」

あらあら弥五郎は吃驚している。弥五郎だけじゃないな、他にも吃驚している人間が居る。


「畠山修理亮は一度は俺に頭を下げながら裏切った。これは許す事は出来ぬ。身柄を受け取った後は首を刎ねる」

畠山が義昭に同調しなければ三好左京大夫は死なずに済んだだろう。松永、内藤兄弟の憤懣を抑えるためにも殺さなければならん。義昭は一応主筋だからな、そこは我慢して貰おう。伊勢伊勢守との約束も有る。足利の血を酷くは扱わない。だがな、酷く扱わないのは足利の血だ。義昭が俺に敵対し続けるのなら惨めな境遇に沈む事に成る。


「しかし征夷大将軍職は如何なされます。父上は公方様の征夷大将軍職の解任に反対されたと伺いました。それは公方様から譲り受けるためではないのですか?」

「弥五郎、何故征夷大将軍職に拘るのだ?」

あらら、また吃驚だな。予想外の事を訊かれたか?

「それは、征夷大将軍が、武家の棟梁だからです」

つっかえながら弥五郎が答えた。


「では今の義昭公に武家の棟梁の実が有るか?」

「それは……」

弥五郎の目が泳いだ。

「力が無ければ征夷大将軍になっても武家の棟梁とは認められぬぞ。ただ利用されるだけだ。逆を言えば力が有れば征夷大将軍にならずとも武家の棟梁と認められるのだ」

「……」

弥五郎が考え込んでいる。良いぞ、考えろ、考えるんだ。若いんだから色々考えた方が良い。


「では御屋形様は征夷大将軍にはならぬのですか?」

「そう決めたわけでは無いぞ、十兵衛。だが征夷大将軍に拘っておらぬという事だ」

「……」

「征夷大将軍職には足利家の家職という印象が強いからな。避けた方が良いのではないかという思いも有る」

十兵衛が“なるほど”と言って頷いた。


「御屋形様がそのような事を御考えとは……、では幕府は?」

下野守が問い掛けてきた。

「いずれは皆に話すつもりだったが幕府という組織では無く別な組織を新たに作った方が良いのではないかと思っている。まあ漠然と思っているだけではっきりした構想が有るわけでは無い。それにその辺りは朝廷とも話さなければならぬ問題だ。これからだな」

皆が頷いた。


征夷大将軍職は源頼朝が就任し鎌倉に幕府を開く事で武家の棟梁を表す職となった。だが源氏が三代で途絶えその後は摂家、皇族が将軍になる。将軍になったのは武家では無い。だがそれ故に武家の府のトップが征夷大将軍になるという慣例が鎌倉幕府で成立したと思う。


室町幕府になると足利氏が将軍職を独占する。十五代に亘って将軍職を独占したのだ。征夷大将軍職は武家の棟梁が就く職であり足利氏の家職であるという認識が出来る。しかしだ、室町幕府と言うのはどうにも収まりが悪かった。創成当時から内部分裂で混乱している。代々の将軍の仕事は有力守護の勢威を削ぐ事で家督継承には必ずと言って良い程関与した。その所為で非常に混乱が多かった。応仁の乱以降は更に混乱し弱体化した。当然だがその混乱と弱体化をもたらした足利将軍家には厳しい視線が向けられた。


足利氏が天下をまともに治めていれば征夷大将軍職は権威を高めただろう。だが混乱させた事で征夷大将軍職の権威は低下した。史実で秀吉が関白になる事で天下を治めた事は征夷大将軍では権威が弱いと考えたのだと思う。特に秀吉は出生の面で引け目が有った。権威は高い方が良い、ならば朝廷を抱えて関白を、そういう判断が有ったのだと思う。関白になる事で武家、公家両方のトップに立った。


だが関白の地位は武家のトップとしては定着しなかった。原因は朝鮮出兵と関白豊臣秀次の死、その一族の族滅が有ったと思う。当時の武家にとって関白は馴染みが無かっただろうし余り縁起の良い職には見えなかったのだと思う。特に豊臣政権後に天下を獲った家康の本拠地は関東だ。関白は公家のトップでも有るのだから色々と不都合が有った。やはり征夷大将軍になって関東に幕府を開くのが妥当と見たのだと思う。


秀吉が足利義昭の養子になる事で、足利家の人間になる事で征夷大将軍職を望んだ、だが義昭に断られたので関白になったという話があるが俺には信じられない。征夷大将軍職の権威を高めるため、徳川家の権威を高める事を目的として造られた話じゃないかと思っている。


俺は如何いう制度、政権を作るかを考えなければならない。面倒だけど避けては通れない。頭が痛いな、上杉、織田を如何するかという話もある。それに朝廷との関係も。まあ先ずは毛利を降しそして九州だな。




天正二年(1578年)   六月上旬      備中国賀陽郡高松村 小早川隆景




「備中、備後、伯耆、出雲、隠岐の他に安芸まで渡せと言うか! あの男は我らに何処に住めと言うのだ!」

兄が膝を叩いて声を荒げた。彼方此方から同意する声が聞こえた。

「領地に関しては他にも条件が有りまする。九州の領地はそのまま。石見の銀山は朽木に引き渡す」

「銀山の無い石見に何の意味が有る! 何処まで愚弄するのだ!」

兄の怒号に恵瓊は微塵も動じなかった。決して好ましい男ではないが胆力は有る。


「鞆におられる足利義昭公、そして顕如上人を毛利領から追放する事。畠山修理亮殿を朽木へ引き渡す事。高松城城主清水宗治に腹を切らせる事。そして来年の正月には右馬頭様、吉川駿河守様、小早川左衛門佐様の御三方が近江八幡城に年賀の挨拶に赴く事、以上にございます」

言い終ると恵瓊は右馬頭に深々と頭を下げた。


「恵瓊殿、一体これはどういう事だ! 何故毛利はここまで愚弄されねばならんのだ」

「安芸を寄越せ? 銀山は取り上げる? ふざけるな!」

「お主、何を交渉してきた? ただ黙って聞いて来ただけか?」

宍戸左衛門尉、熊谷二郎三郎、口羽下野守が口々に恵瓊を詰ったが恵瓊は動じなかった。


「はて、領地の事に関して言えば愚僧はそれほど酷い条件を提示されたとは思いませぬな。周防、長門、石見、それに豊前、筑前の領地もございます。合わせればざっと五十万石程には成りましょう。降伏した者に対する扱いとして不当と言えましょうか?」


皆が言葉に詰まった。以前に比べれば確かに少ない。しかし五十万石の領地は決して少ないとは言えない。

「恵瓊、御坊の言い分は尤もだ。その上で尋ねる。石見と安芸を交換する事は出来ぬか? 石見と安芸を交換すれば多少石高は多くなる。その分は他の地で朽木に割譲する。如何か?」

何人かが頷いている。毛利の本拠地は安芸、皆、それを失う事に耐えられぬのだ。それに銀山が無いのなら石見に拘る必要は無い。


恵瓊が首を横に振った。不同意か。

「愚僧もその事は中将様に申し上げました。ですが受け入れられませんでした。理由は毛利を潰さぬために安芸は朽木に割譲した方が良いからと中将様は申されました」

皆が顔を見合わせた。兄も訝しんでいる。毛利を潰さぬため? 安芸割譲には何か裏が有るのか。

「如何いう事だ、それは」

右馬頭が問うと恵瓊が軽く頭を下げた。


「安芸は一向門徒の力が強い国でございます。中将様はその事を重視、いえ危惧しておられます」

一向門徒か……。

「安芸で騒乱が起きると?」

問い掛けると恵瓊がぐっとこちらに身を乗り出した。

「左衛門佐様、もしその騒乱が九州攻めの最中に起きれば如何なりましょうや?」

なるほど、そういう事か。皆も想像したのだろう。彼方此方で呻き声が上がった。


「朽木は退路を断たれかねぬという事か」

「そうなりましょう。さればこそ安芸は朽木に割譲せよとの要求。中将様の言い分には一理も二理もございます。それゆえこの場に持ち帰った次第」

皆口を閉じた。兄も無言だ。これまでは朽木は敵であったから一向宗と協力出来た。だが毛利が降伏すれば一向宗との協力は難しくなる。恵瓊の言う通り毛利を潰さぬためにという朽木の言い分には理が有るだろう。横暴、傲慢とは言えない。むしろ安芸の割譲を要求するのは当然とも言える。拒否すれば敵意有りと疑われかねぬ。


「安芸と石見の交換を望むのであれば安芸では一切騒乱は起こさせぬ。中将様に迷惑をかける事は絶対にせぬと右馬頭様の誓約が要りましょう。それを頂けるのであれば愚僧が中将様に今一度掛け合いまする」

「……それで成るのか?」

右馬頭の言葉に恵瓊が頷いた。


「おそらく、成りましょう。ですがその場合には顕如殿に朽木への抵抗を止めて頂かなくてはなりませぬ。朽木の法の下で生きて頂く。その約束無しでは難しゅうございます。中将様も納得成されますまい。それを確かめる時が有りましょうか?」

「……」

今この場から使者を走らせ顕如を説得する。……難しいだろう、例え顕如が了承しても使者が戻る前に高松城が落ちかねぬ……。


「もし騒動が起きれば毛利は中将様を欺いたという事になりまする。その場合、毛利はその責めを負わねばなりませぬぞ。一万石でも所有を認められれば儲けものでございましょう。近江に御礼言上に赴かなければなりますまい」

何人かが“恵瓊殿”と窘めた。


「右馬頭様には御腹を召して頂く事になりましょう。新たな毛利家当主が右馬頭様の御首を中将様に差し出して不始末を詫びる事になりまする」

「恵瓊殿、御控えなされよ、言い過ぎでござろう!」

吉見式部少輔が苦々しげに恵瓊を叱責した。皆が同意する中、恵瓊が“言い過ぎでは有りませぬ”と首を横に振った。


「毛利は降伏するのでございますぞ。これ以後は朽木家の家臣となり中将様にお仕えするという事。それを肝に銘じて頂かなくてはなりませぬ。主君の九州攻略を邪魔して家臣として面目が立つと御思いか? そのまま生き恥晒せと申されるか? 腹を切るか、謀反を起こすか、右馬頭様だけの問題では有りませぬ、皆様方の問題でもございますぞ」

皆が俯いて黙り込んだ。


「駿河守様、駿河守様が右馬頭様なら如何なされます」

兄が問われて迷惑そうな顔をした。

「儂にそれを問うか、恵瓊」

「問いまする。何卒、御答を」

敢えて答えを強いると兄がフンと鼻を鳴らした。

「謀反など起こして勝てるのか? 恥じの上塗りであろう。腹を切るわ! 当然の事よ!」

怒鳴る様に兄が答えた。恵瓊が頷いた。


「右馬頭様が御腹を召される時は愚僧も同道致しまする。主に腹切らせる様な交渉をしたとあっては末代までの恥、愚僧も面目が立ちませぬ。中将様にこの坊主頭、差し上げる他有りませぬ」

恵瓊が頭を撫でた。

「今一度、皆様方にお伺いしたい。愚僧は中将様から提示された割譲案、受け入れるべきものだと思いまする。如何か?」


誰も返事をしない。恵瓊が此方を見た。答えを求めている。

「受け入れよう。右馬頭様、この左衛門佐、朽木からの提案を受け入れるべきかと思いまする」

また誰も言葉を発しなかった。しかし私が頭を下げると皆が頭を下げるのが分かった。


「……恵瓊、一つ頼みが有る」

「はっ」

「畠山修理亮殿の事だ、毛利の領内から追放する故引き渡しはお許し願いたいと中将様に頼んでくれ。毛利は降伏する、以後は中将様に御仕えする。二心は抱かぬ。それ故毛利の面目を立てて頂きたいと。頼む」

「はっ」

毛利の面目を立てて欲しいと懇願する、……負けたのだと改めて思った。


右馬頭の前での話が終ると兄が二人で話したいと誘ってきた。兄の陣で二人、酒を酌み交わす。苦い酒だ。

「やはり負けたな」

「負けましたな」

“やはり負けたな”か。兄は勝てるとは思っていなかったらしい。それは私も同じだった。勝つのは難しい。だが毛利は大きくなり過ぎた。何もせずに頭を下げる事は誰もが拒んだ。いや朽木が毛利を受け入れるとも思えなかった。


「それでも酷い負けにはならなかったな。周防、長門、石見が残った。上首尾であろう」

「毛利を潰す意思は無かったのでしょう。甘く見られたのか、それとも潰すとなれば手強いと見られたのか……」

「難しい所だな。ま、どちらでも良い、毛利は残ったのだ」

兄が盃を干した。苦そうな表情だ。酒を注いだ。毛利は残った。大内、尼子が滅んでも毛利は残った。兄の言う通り、上首尾であろう。


兄が突然笑い出した。私を見て可笑しそうに見ている。

「坊主が頑張ったな」

「そうですな」

「何かと気に入らぬ坊主だが腹を切ると言いおった。皆に責められても動じぬ。口先だけの坊主ではないらしい。坊主らしくない、気に入らぬ坊主よ」

また笑った。


「勝負所では腹を括れる男なのでしょう」

「そのようだな。今後はあの坊主の力が毛利には益々必要となろう」

「確かに」

これからは朽木との交渉が大事になる。兄が盃を口に運んで止めた。


「朽木は一向宗を大分気にしているな」

「そのようですな」

「顕如殿は如何なされるか……」

「九州に行くか、朽木に降るか」

「……やはり安芸は朽木に渡した方が良かろう。毛利が持っては顕如殿も諦めが付くまい。それに引き摺られては堪らぬ」

兄が首を横に振った。


「そうですな、鞆の御方もおられます。辛い事では有りますが安芸を渡すのは上策やもしれませぬ」

九州に下り島津、大友、龍造寺のいずれかと組む。そして朽木が九州に攻め込んできた時に安芸で騒乱を起こす。そう考えるのだろう。だが近江中将がそれを許すのか……。


「これから忙しくなります」

「そうだな、領地は減る、それに暫くすれば九州攻めが有る。それまでに内部(なか)を固めなければならん」

「それも有りますが右馬頭様の事」

兄が顔を顰めた。

「そうだな、今のままでは頼りない。情に厚い所、義に厚い所、良い所は有る。だがそれだけでは……、何とかしなければならぬ」


先程の場でも殆ど口を開かなかった。こちらが水を向けてようやく決断を下した。頼りない、もどかしいとしか言いようがない。朽木が毛利を残したのもその辺りを察しての事かもしれぬ。右馬頭では思い切った事は出来ない。五十万石を残してもそれほど脅威ではないと。だとすれば右馬頭の凡庸さ、優柔不断さが毛利を救った事に成るが……。朽木の天下が続くのならそれでも良いのかもしれぬ。だが頭の痛い事よ……。




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