飲水病
天正二年(1578年) 三月上旬 播磨国飾東郡姫山 姫路城 黒田孝隆
「吉兵衛から文が届いたそうだな」
妻の光と息子からの文を読んでいると父が声を弾ませて部屋に入って来た。
「はい、これに」
「どれどれ」
差し出すと奪う様に受け取ってドンと音を立てて座った。貪る様に読み出す。妻がクスクスと笑うのも気にかけない。それほど長いものではない、読み終わるともう一度読んでホウッと息を吐いた。
「元気でやっているようだな、安心した」
「はい」
「若殿の御側で務めるか。吉兵衛の他に細川様、明智様の御子息も一緒か。良い刺激になるであろう」
父がウンウンと頷いている。
「そうですな」
朽木は人が多い、得る物も多い筈。文には八幡の繁栄に驚いている内容が書かれていたがそこから何を得てくれるか……。
「初陣は次の出兵か」
「そうなります。叔父上に八幡城に行って貰いました。大丈夫でしょう」
叔父は嬉しそうに八幡に向かった。おそらくは壺を手に入れるつもりであろうと言うのが善助、九郎右衛門、太兵衛の読みだ。叔父も最近焼き物に煩くなったらしい。
「そうだな。しかし備中、備後を獲られれば毛利も苦しかろう。次は安芸、毛利の本拠地になる」
「山陰では伯耆、出雲に尼子が調略をかけていると聞いております。そちらの方が毛利にとっては危険でしょう。山陽道に夢中になっていると鯰江様に北から攻め込まれますぞ」
父が“それも有るな”と言って頷いた。
「毛利もここ二、三年だろう。それ以上は持つまい」
「まあ、毛利様がですか?」
光が驚いたように父と俺を見た。毛利は未だ山陽、山陰に大きな勢力を持っている。二、三年で滅ぶとは信じられないのだろう。
「父上の申される通りだ。備中、備後、伯耆、出雲を失っては毛利に服属する国人衆が動揺する。一旦崩れれば将棋倒しのように皆が朽木家に靡こう。そうなれば毛利も終わりだ」
俺の言葉に父が頷いた。光が“厳しいのですね”と言った。そう、厳しい。大を成すためには頼りがいが有ると周囲に証明しなければならない。だからこそ中将様も先の戦で先頭に立って戦われたのだ。そして毛利はそんな中将様に押されている。
「まあそうなる前に和睦をと考えるだろう。毛利には安国寺恵瓊という坊主もいる。むざむざと毛利を潰す事はあるまい」
俺の言葉に父が頷いた。毛利が降伏したら顕如と義昭様は如何するのか。九州か奥州に行くしかない。意地を張って九州に行っても影響力は殆ど無いだろう。もはや二人とも死んだも同然だな……。
「毛利の次は九州か。中将様はまた一歩天下に近付かれるな」
父が大きく息を吐いた。
「そうですな。しかし九州は大友、島津、龍造寺が争う所、なかなか簡単には進みますまい」
特に大友の扱いが厄介だろう。明確に同盟を結んだわけでは無いが一条家を通して繋がりが有る。それに形としては毛利を挟撃するようになっている。さて、如何なるか……。
天正二年(1578年) 三月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「病?」
「はっ」
闇の中で小兵衛が答えた。
「織田殿が病だと言うのか?」
「飲水ではないかと」
「飲水……」
飲水、やたらと水を飲み小水を出す病気。現代では糖尿病という名で知られている。信長が糖尿病? 高血圧というのは聞いた事が有る。本能寺の変が無くても数年後にはそれが原因で謙信同様に死んだんじゃないかと言う説が有る事も知っている。だが糖尿病? 甘党だとは史実からも知っているが……。この世界の信長はちょっとメタボ気味だよな。それが影響しているのか? どうも信じられんな。
「水を飲みたがるのか?」
「はい、尿もかなり出るようで。今月の初めに伊豆攻めを行う予定でしたが足に痛みが走り取り止めたようでございます。未だ寒いのでもう少し暖かくなってからにするとか」
「……なるほど」
サラリーマンをやっている頃に同僚や得意先に糖尿病の人間が居た。色々話を聞いたから多少は知っている。糖尿病で出る症状は頻繁に喉が渇いて水を飲んでトイレに行く事だ。信長の症状は合致するな。そして糖尿病で怖いのが合併症だ。糖尿病が原因で発症する病気、その一つが目だ。網膜に異常が出て失明する。二つ目は神経障害、こいつは身体に痺れが、痛みが発生する。三番目は腎不全。信長は二番目の神経障害を発生しているらしい。
しかし信長が糖尿病? なんか信じられんな。織田は昨年の夏から駿河の今川館を改築して東国攻略の拠点にしようとしている。これから関東に攻め入ろうとしているのに大将の信長が糖尿病? ……いや、待て、神経障害が発生すると痛み、痺れから非常に苛立つと聞いた事が有る。信長の癇性ってまさかこれか? 痩せていても糖尿病というのは十分にある。だとすると史実でも信長は糖尿病だったのか? 分からん、しかし暖かくなったら伊豆攻めという事は信長もその周囲も糖尿病の合併症では無く関節炎とでも思っているのかもしれない。
「駿府の城が出来るのは何時頃だ?」
「大分急いでいる様にございますが来年の完成は難しいかと」
「織田殿は癇性が激しいと聞いたが?」
「はっ、御怒りになると折檻が厳しいと聞きます」
やっぱり糖尿病が原因かな、思わず溜息が出た。糖尿病か、気を付けよう。野菜、玄米、麦飯だな。あんまり美味くないんだよな、でも我慢だ。長生きした人間が最後は勝つんだから。健康に気を付けないと。
いや、そんな事より今考えなければならないのは信長の寿命だ。肥満、糖尿病、高血圧か。完全なメタボ、成人病だな。信長は長くない。その死は史実よりも早いかもしれない。あるいは謙信同様高血圧によって脳に異常が生じるかもしれん。となれば戦国武将としての寿命はさらに短い可能性が有る。
「小兵衛、織田殿の傍に人を入れられるか?」
「それは……、時間を頂けるのであれば可能かとは思いまするが……」
「急ぐ」
「……難しいかと」
重苦しい空気が漂った。小兵衛も俺が信長の寿命が短いと判断していると思ったのだろう。
「では織田殿の側近から情報を入手出来るか?」
「それは」
「出来るのだな?」
「はい」
「どんな小さな事でも良い、何かおかしな事が有れば報せてくれ」
「はっ」
「それと徳川の動きから目を離すな。徳川が織田殿の病の事を知れば……。或いは妙な事を考えるかもしれん」
「……織田からの独立……」
「可能性は有るな」
動くのは信長が動けなくなってからだろう。だが準備はするかもしれん。その兆候だけでも見つけておきたい。……三河か。
「小兵衛、三河にも人を入れてくれ。特に徳川の家臣で三河に残った者から目を離すな」
「はっ」
徳川の人間と密かに会うようだと危険だ。三河で一揆を起こす可能性もある。三河に注意を向けておいて甲斐で事を起こす……。
信長が倒れれば後を継ぐのは嫡男の信忠だ。織田勘九郎信忠、この男に家康の相手が出来るかな? 分からん。場合によっては東海から関東にかけてとんでもない騒乱が起きるだろう。上杉と協力して東海、関東に兵を出す事に成るかもしれない。上杉は織田と婚姻で絆を強めたが上杉の立場を強める事よりも織田の窮状を救う形で婚姻が役に立つかもしれないな。
毛利を降すのが今年から来年。直ぐには九州攻略に向かえん。旧毛利領の慰撫、そして毛利を完全に従属させなければならん。どのくらいかかるだろう、二年か、三年か……。九州へ向かえるのは最短でも三年から四年は先だろう。その時、信長が倒れたら如何するか? 状況にもよるだろうが九州攻略は後にせざるを得ないだろう。全力で東海、関東の混乱を鎮め早期に終わらせる。そして九州攻めだ。
一番拙いのは九州攻略中に信長が倒れる事だ。その場合、朽木は東西で問題を抱える事に成る。勘弁して欲しいわ。九州攻略を中断するのは拙い、だが片手間に出来る事でもない。九州はこれから統一に向かう。大友、島津、龍造寺、誰であろうと統一させるのは拙い。その前に叩いて朽木の手で秩序を作らなければ……。
大体信長がいつ倒れるかなど誰にも分からないのだ。用心はすべきだが統一事業を遅らせるべきじゃない。
「厄介な事に成ったな、小兵衛」
「真に」
「だがこれまでにも厄介な事は有った。一つ一つ片付けて行こうか」
「はっ」
そう一つ一つ、出来る事からだ。
天正二年(1578年) 三月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木堅綱
遠くから鼓の音がした。
「若殿、鼓の音がします」
「父上だ、与一郎。時折悩み事が有られる時は小鼓を打たれる。大体半刻から一刻。心を落ち着かせるためだと聞いている。他にも壺を磨いたり算盤を弾く事も有る」
細川与一郎、明智十五郎、黒田吉兵衛の三人が感心したように頷いた。
「御屋形様でもお悩みになる事が有るのでしょうか? 父からは御屋形様は何時も力強くて頼りがいのあるお方と聞いております」
吉兵衛が、いや、十五郎、与一郎も訝しげな表情をしている。
「有る様だな、吉兵衛。もっとも私には父上が何をお悩みなのか分からぬ。私には何も相談してくれぬからな」
三人がちょっと困った様な顔をした。自分が未熟な事は分かっている。何時になったら父上の御役に立てるのか……。
母上から父上を労わって差し上げなさいと言われた。母上には父上の御苦しみが分かるらしい。だが私には分からない。吉兵衛の言う通りだ、父上は何時も強く大きい。いつか父上は私を頼ってくれるのだろうか? 私はそこまで大きくなれるのだろうか……。父上に不満など無い、ただ役に立ちたい、それだけなのだ。
「如何なされました、若殿」
心配そうに十五郎が私を見ている。
「いや、今回初陣を済ませれば少しは父上に認めて貰えるのだろうか、そう思ったのだ」
三人が困った様に口を噤んでいる。そうだな、初陣を済ませたくらいでは認めて貰える筈が無い。父上の周りには百戦錬磨の家臣達が揃っている。父上御自身も当代きっての戦上手なのだ。私の様な未熟者では……。
半兵衛や新太郎から何度も聞いた。父上はお若い時から戦に出られて一度も後れを取る事が無かった。皆が父上の下で安心して戦えたと。私には無理だ、とてもそんな事は出来そうにない。
「若殿、千里の道も一歩からと申します。先ずは今回の初陣で一歩踏み出される事が大事なのでは有りませぬか」
与一郎の言葉に十五郎、吉兵衛が頷いた。励まされている、有難いと思う。でも情けないとも思った。私は気遣われている。
「そうだな、与一郎の言う通りだな。少しずつ父上に認めて貰えるように努めなければ……。その方達にも力を貸して貰う事に成る、頼むぞ」
「はっ」
「微力を尽くしまする」
「必ずや」
細川与一郎、明智十五郎、黒田吉兵衛、三人が頷いた。少しずつ、少しずつだ。母上に言われた通り、自分に足りぬ物を埋めて行く。そうやって父上の御力になるしかない……。
天正二年(1578年) 四月中旬 備前国御野郡岡山 石山城 朽木基綱
美作を攻略し朽木軍六万が備前の石山城に入ったのは四月の中旬だった。美作では殆ど戦は無かった。毛利勢は降伏するか逃げたかだから攻略と言うより接収に近い状態だった。その御蔭で軍の士気は極めて高い。山陰道では鯰江の伯父御が伯耆に侵攻している。負けて堪るかという競い合う心が更に士気を高めている。良い傾向だ。
城の大手門では明智十兵衛が待っていた。十兵衛は備前攻略後は二万の兵を率いて御着城から石山城に居を移している。備中攻めにはその内の一万五千を率いる事に成っている。
「御久しゅうございまする」
「うむ、久しいな、十兵衛。苦労を掛ける」
「いえ、そのような」
「十五郎を連れて来たぞ、十兵衛。初陣を済まさなければならぬからな、十五郎!」
大声で呼ぶと甲冑姿の十五郎が出て来た。十兵衛が嬉しそうな顔をした。やっぱり息子が可愛いらしい。十五郎も嬉しそうな顔をしている。
「なかなか凛々しいものだ、そうではないか?」
「いえ、まだまだでございまする。若殿の御側に付けられたとの事でございまするが御役に立てるかどうか……」
「謙遜は要らぬぞ。先が楽しみだ」
十兵衛が“恐れ入りまする”と言って頭を下げた。嘘はついていない、十五郎は将来性の有望な少年だ。
挨拶を終え石山城に入ると大広間で早速軍議になった。弥五郎だけでなく細川与一郎、明智十五郎、黒田吉兵衛も参加を認めた。傳役の竹中半兵衛、山口新太郎も同席している。この二人にとっては久々の実戦になる。十兵衛が大きな地図を皆の前に広げた。二メートル四方は有るだろう。備前と備中の国境付近の地図だ。皆に分かるようにと大きな地図を作ったようだ。
「備前から備中に攻め込むとなれば境目の七つの城を攻略しなければなりませぬ」
十兵衛の声に皆の視線が国境の付近に集中した。
「北から宮路山城、冠山城、高松城、加茂城、日幡城、庭瀬城、松島城。既に調略は試みましたが全て拒絶されました」
十兵衛が渋い顔をしている。毛利は上手く連中の心を獲ったらしい。
「では攻めるしかないな」
「はい、この七城の中でも要となるのが高松城になりまする」
皆の目が地図上の高松城に集中した。
「かなりの堅城と聞いておりますが?」
官兵衛が問うと十兵衛が頷いた。
「高松城は土塁によって築かれた平城ではありますが周囲が湿地で田、沼、池が多くこれが天然の堀となっております。大軍を動かすには向きませぬ。しかも足守川が城の背後を流れており攻めるのは容易では有りませぬ。大手門の道は一本で騎馬が一騎駆け抜けられるほどの狭さでございます。徒に攻撃を仕掛ければ城から鉄砲で狙われるのは必定、それを避けて湿地に入り込めば、動けなくなる怖れがございます」
十兵衛の説明に彼方此方から溜息を吐く音が聞こえた。これじゃ七万を越える大軍でも簡単には落ちないわ。
「高松城にはどのくらいの兵が?」
「大凡五千人の兵が籠っております」
五千人の敵、放置は出来ないな。先に進んで後背から襲われてはとんでもない事に成る。
「如何なされますか? 大筒で攻撃すると言う手もございますが……」
松永弾正が問い掛けてきた。今回の戦では弟の内藤備前守と共に参加している。今年は三好左京大夫の三回忌だから無理するなと言ったんだけど今回は是非にと言われて参加を認めざるを得なかった。律儀なんだよな、何で史実で評判悪かったんだろう。さっぱり分からん。
「大筒で攻めるにしても残りの六城が邪魔であろう。先ずは高松城を裸にしよう」
皆が頷いた。宮路山城、冠山城を松永弾正と内藤備前守、加茂城、松島城を舅殿、日幡城、庭瀬城を明智十兵衛。俺は高松城が見下ろせる龍王山に陣を布く事にした。弥五郎達が初陣をと願ったが許さなかった。早めに高松城攻めに入りたい。弥五郎達の初陣を認めればそのために攻略が遅れるだろうからな。