呟き
天正二年(1578年) 一月中旬 備後国御調郡三原村 三原城 小早川隆景
三原城に書院に七人の男が集まっていた。宮地山城城主乃美少輔七郎元信、冠山城城主林三郎左衛門重真、加茂城城主上山兵庫介元忠、日幡城城主日幡六郎兵衛景親、松島城城主梨羽中務丞景連、庭瀬城城主井上豊後守有景、高松城城主清水長左衛門宗治。備前と備中の国境に位置し境目七城と呼ばれる重要な防衛拠点である七つの城を守る男達。
「わざわざお呼び立てして申し訳ない」
頭を下げると七人も頭を下げた。
「新年を迎え目出度い正月でござるが毛利を取り巻く環境は決して目出度いと喜べるものではござらぬ。各々方もお分かりでござろう」
七人が無言で頷いた。
「昨年、朽木家は山陰道で但馬、因幡を制し山陽道で備前を制した。おそらく今年は美作、備中、備後、伯耆、出雲を狙って来るものと思われる。それらしき動きも有る」
「……」
皆無言だ。微動だにしない。
「朽木家は上杉家と婚姻を結び上杉家は織田家と婚姻を結ぶ。言わば朽木家と織田家は上杉家を通して縁戚。東方に心配は無い。朽木家の動員兵力は十万にもなろう」
ホウッと息を吐く音が聞こえた。上手いものよ、朽木家は味方を増やし敵を少なくしている。毛利家は九州で大友と争い伊予で三好と争った。少ない兵力を更に少なくした。これでは到底勝てまい。
「其処許達の守る城は備前、備中の境目の城でござる。朽木は必ず攻め寄せてこよう。さればこれから言う事を良く聞いていただきたい」
七人が頷いた。表情は硬い。
「十万の大軍を相手にすれば城を枕に討ち死には避けられぬ。そのような事、毛利家としても強要は出来ぬ」
正確には強要しても意味が無い。勝手に降伏するだろう。それに朽木の手が及んでいないとも思えぬ。
「さればこれ以後は毛利に対しての義理立ては無用にござる、御随意に成されよ」
「……好きにせよと申されますか?」
冠山城の林三郎左衛門が驚いたように問い掛けてきた。
「如何にも。どのようにされようとも毛利が其処許達を恨む事は無い。以後は家を保つ事を専一に御考え成されよ。古来、武家とは左様な物でござろう、違うかな?」
七人が顔を見合わせた。
「御情け無き言葉を伺うものにござる。左衛門佐様は我らの心底をお疑いか。我ら一命を捨て毛利家の御役に立ちたいと思うばかりにござる」
日幡六郎兵衛の言葉に六人が頷いた。これで良い、毛利は一度選択肢を与えた。そして七人は毛利を選んだ。後に七人が毛利を裏切っても毛利の恥にはならぬ。裏切った者の節度の無さこそ非難されよう。生き残る道を選ぶのであれば汚名ぐらいは背負って貰う。
「有難き言葉にござる。左衛門佐、感じ入り申した。出来ればこれを御受取頂きたい」
手を二回叩くと家臣達が現れ脇差をそれぞれの前に置いた。もし彼らが本当に毛利のために戦うなら、その脇差は腹を切る時のために使う事に成ろう。七人もその事は理解した筈。
七人が脇差を受け取る。それぞれが勝利を誓う中、高松城の清水長左衛門だけが首を振った。
「敵は大軍であり到底勝てるとは思えませぬ。某は存分に戦い敵わぬ時は腹を切ろうと覚悟を決めており申す。この脇差はその時のために有難く頂戴致しまする」
シンとした。言葉を飾らぬ、本気か、清水長左衛門。残りの六人も脇差に視線を落としている。
「御見事な御覚悟にござる」
頭を下げた。或いは皆毛利のために戦ってくれるやもしれぬ。この男の覚悟が皆の心を纏めてくれるかもしれぬ……。
彼ら七人が押し寄せた朽木の大軍を前に籠城する。包囲する朽木軍を毛利本隊の軍が後方を遮断する動きを示す事で後退させる。要になるのが高松城……。攻め辛い城だ、朽木も手古摺る筈……。しかし備中で防げぬとなった時には……、難しい事になる。
天正二年(1578年) 一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「大叔父上、では日向の伊東家が滅んだのだな?」
問い掛けると大叔父が“如何にも”と言って頷いた。俺の周りから溜息が漏れた。蒲生下野守、黒野重蔵、日置五郎衛門、宮川新次郎。皆俺の相談役だ。五郎衛門と新次郎は隠居して俺の側に居られるのが嬉しそうだ。ずっと離れていたけど寂しかったのかな。それともまた俺を玩具に出来て嬉しいのか。両方ありそうだな。
五郎衛門の越前の領地には左門が入っている。但し、越前の旗頭は高野瀬備前守にした。旗頭は世襲では無いと言う事だ。この事は五郎衛門、左門も納得している。新次郎の坂本には息子の又兵衛が入っている。又兵衛は殖産奉行だ。何時かは交代だろうが今は兼任させている。
「日向の伊東家と言えば九州南部でかなり勢力を張った筈」
「島津に押されているとは聞いておりましたが……」
五郎衛門と新次郎が首を振りながら呟く。
「大友を頼って落ちましたか。となると大友と島津で新たな戦いが始まりますな」
下野守の言葉に皆が頷いた。その通りだ、史実では島津が勝ったがこの世界ではどうなるか……。
「御屋形様、毛利にとっては朗報ですな」
「そうだな、重蔵。しかし九州をがら空きにする事も出来まい。一息は吐いたが苦しかろう」
連年戦続きだ、決して楽ではあるまい。だが毛利には石見の銀山が有る。財政的には余力が有るのかもしれない。こっちも生野銀山、そして新たに治田の銀山を得たから銀山の有難さは分かる。しかし毛利の足軽は百姓兵だからな。百姓達への負担はそれなりに有るだろう。
「御屋形様、大友が日向に兵を出すとなれば一条家に兵を出せと頼むのではありませぬか?」
大叔父の言葉に皆が頷いた。有りそうだな、それに一条兼定は舅に頼まれたとか言ってその気になりそうだ。史実だとこの時期の土佐は長宗我部が統一している筈だ。長宗我部にとって一条と縁戚の大友は敵の筈。だから大友と島津の戦いには関与しなかったのだろうが日向と土佐か……。決して遠いとは言えない。
「予め釘を刺しておいた方が良いな。一条家の主敵は長宗我部、それを忘れるなと」
皆が頷いたが不安そうな表情だ。已むを得ん、一条家の本家にも頼むか。内大臣から右大臣に昇進したからな、それなりに重みは有る筈だ。それと長宗我部攻めは三好にも応援を頼んだ方が良いだろう。伊予を攻め獲ったのだから余力が有る筈だ。土佐の東部を三好に取られても良いのかと一条兼定に伝えよう。兼定も長宗我部攻めを優先させる筈だ。その事を話すと皆が賛成してくれた。そうだよな、喰えるものから喰う。一条家が喰えるのは長宗我部だ。
「四月に毛利攻めを再開する」
五人が頷いた。四月から六月頃まで軍を動かす。田植えの時期だ、百姓兵を使う毛利にとっては一番嫌な時期だろう。毛利は改元が有ったにも拘わらず元亀を使っている。義昭が居る以上使わざるを得ないのかもしれないが朝廷は怒っているぞ。改元を願ったのは俺じゃない、朝廷なのだから。
「今回は弥五郎を連れて行く」
「初陣ですな」
「楽しみな事で」
新次郎と五郎衛門がニコニコしている。こうしているとごく普通の爺だ。朽木譜代の二人にとっては竹若丸の元服は何よりも嬉しい事なのかもしれない。
竹若丸を元服させた。朽木弥五郎堅綱と名乗らせた。俺の名前の基綱は朽木の土台を作って欲しいという願いから付けられた。堅綱にはその土台を固めて欲しいという願いを込めている。その事は弥五郎にも伝えた。官位をという話も有ったが断った。実績の無いガキに官位など要らん。勘違いさせるだけだ。まあ本人には弥五郎は朽木の嫡男だけが名乗れるのだから大事にしろと言っておいた。本人も納得していたな。
弥五郎と一緒に細川藤孝、明智十兵衛、黒田官兵衛の息子も元服させた。細川与一郎綱興、明智十五郎綱秀、黒田吉兵衛綱政。それぞれに俺の綱の字を与えこれを機に弥五郎の側に置く事にした。二十年後にはこいつらが朽木の主力になる筈だ。その他に石田佐吉、加藤孫六、藤堂与右衛門、そして朽木の譜代からも人は育っている。後は弥五郎がそれらをどう使っていくかだ。
「毛利攻めは今回も山陰、山陽の二正面からで?」
大叔父が問い掛けてきたので頷いた。
「そうなるな。但し比重は山陽が重い。山陰には二万程度で進ませようと考えている」
「ほう」
「尼子に調略させる。戦が進むにつれて兵力は増えるだろう」
皆が頷いた。
山陰では既に小兵衛が旧尼子家臣の国人衆に対して調略を仕掛けている。感触は悪くない。尼子孫四郎の文が届けば、そして朽木軍が進めば毛利から寝返る者が出るだろう。孫四郎に戦闘はさせるなと言っておく必要が有るな。戦後は出雲で五万石程を与えよう。しかしなあ、御家再興で幸せな尼子家? 想像が付かんな。
もしかすると毛利は降伏を願ってくるかもしれない。その場合どうするか、ある程度検討しておく必要が有るだろう。いやこちらから降伏を促すか? その方が主導権を取れる。となると毛利にはもう朽木には敵わないという心理的なダメージを与える必要が有るだろう。やはり高松城の水攻めだな。講和条件を軍略方に検討させよう。
講和条件の中には義昭、顕如の事も入れた方が良いな。毛利領内に留まる事を許さず。あの二人、如何するかな。朽木に下るか、それとも九州に逃げるか。義昭は島津、龍造寺に行きそうだな。しかし顕如は如何だろう、或いは降伏するかもしれん。その処遇を如何するか……。
「ところで御屋形様、武田の姫様方の事でございますが」
「松姫と菊姫の事か?」
「はい、如何なされます」
如何? 何だ、新次郎。その奥歯に物が挟まった様な物言いは。嫌な予感がしてきたぞ。
「何が言いたい」
「されば若殿が上杉より姫を迎えられます。となると武田の姫を家臣に嫁がせるというのは……」
新次郎の言葉に皆が複雑そうな表情をした。なるほど、それが有ったか……。
「親族衆では駄目か?」
俺が問うと新次郎が首を横に振った。
「若殿の正室が上杉家以外から迎えられるのなら申しませぬ。ですが……、やはりどちらか御一人は御屋形様の御側に置かれませぬと。武田の遺臣達も不満に思いましょう」
「皆も同意見か?」
皆が頷いた。なんだかなあ、来年には篠を側室にするのに武田の姫を?
「しかしな、変な閥が出来んか? 子が出来てその子の周りに武田の者が集まる。それは避けたいのだが」
「御屋形様の御懸念は御尤もにございます。しかし弥五郎様を始め松千代様、亀千代様は御正室腹、それは揺るぎませぬ。武田の姫に子が出来元服する頃には弥五郎様は朽木の家督を継いでおられましょう。余り御心配は要らぬかと」
五郎衛門が断言した。大丈夫かな? まあちょっと検討が必要だな。小夜にも相談しなければならんし恭にも確認してみよう。
天正二年(1578年) 一月下旬 越後国頸城郡春日村 春日山城 上杉景勝
「華に続いて奈津の嫁入りも決まりました。御目出度い事が続きますね」
母の言葉に父が頷く。そして華、奈津が嬉しそうな表情を見せた。竹姫はおっとりと坐っている。確かに目出度い、これで少しは春日山城も静かになる。押し付けられる織田勘九郎殿、朽木弥五郎殿には災厄かもしれぬが一人なのだ。二人押し付けられた俺よりはましだろう。
「喜平次殿、そなたもそう思うでしょう」
「はい」
俺が答えると母がホウッと息を吐いた。嫌な事をする、もう少し言葉を出せという事なのだろう。
「目出度いな、華、奈津」
「有難うございます、兄上」
「嫌々のようですけれど嬉しいですわ」
だから口を開くのが嫌なのだ。我が家の女達は口が達者過ぎる。おまけに父は妹達に甘い。
「秋には華の輿入れを行う事になる。その前に喜平次の関東管領就任を行わなければな。御実城様も頻りに気にしておられる」
となると関東管領職への就任は遅くとも夏までには終わらせなければならんという事になる。華は関東管領の妹として織田家に嫁ぐのか。……このお喋りで可愛げのない妹が? いくら乱世とは言え世も末だな。
「来年は奈津が嫁ぐ。寂しくなるな」
父上、貴方は寂しいだろうが俺は清々する。来年、いや二人が居なくなった再来年が待ち遠しい気分だ。だが言葉には出せん、重々しく頷く事で我慢した。上杉家の家督相続は多分来年だな。奈津が嫁ぐ前というところだろう。それにしてもこの騒々しい妹が朽木家に嫁ぐ? 淡海乃海の鯰が怒るぞ。そっちの方が心配だ。
「華と奈津が居なくなっては竹姫様も寂しくなりますね」
「はい、寂しいです。でも喜平次様がいらっしゃるから大丈夫です」
母の問いに竹姫が答えると皆が笑い声を上げた。
「良かったですわね、兄上」
「本当、竹姫様だけですわ、無愛想な兄上を慕ってくれるのは」
余計な御世話だ。お前達も少しは竹姫のような大らかさと素直さを持て。そうすれば可愛げも出る。
見ろ、竹姫は今も何が可笑しいの? と言う様にきょとんとしている。大らかな性格で嫌味が無い、素直なのだ。刀の手入れをしても文句を言わないし喋らなくてもそれを気にする事も無い。傍に居られても負担に感じずに済む。時々妖怪の話や壺の話をされるとちょっと困るが何時も俺を困らせるお前達に比べればずっとましだ。お前達の御蔭で俺は女という生き物に大分耐性が出来た。直江津の湊に行きたがるのも散歩だと思えば悪くない。別に何かが欲しいと強請るわけでもないからな。そのうち壺を買ってやろう。
「嫁入りにはどのくらいの供が付きますの? 竹姫様の時には三万人の供が付きましたけれど」
華の問い掛けに奈津が頷いた。
「まあそんなには無理だ。精々五千人と言ったところだろう」
「そうですね」
父と母の会話に妹達が不満そうな表情を見せた。
当然だろう、あの時朽木家が三万人もの供を付けたのは俺の立場を強固なものにするためだ。他にも屏風や花火などで皆の度胆を抜いて俺の立場を固めてくれた。そうでなければ上杉家は今でも後継問題で揺れていただろう。近江中将様が無理をして下さったのだ。お前達の婚儀が決まったのは俺の立場が強固になったからだ。供は五千で十分だ。十分過ぎて御釣りが来るな。
「詰まらないの」
「本当」
詰まる詰まらぬの問題ではない。その必要性を認めぬという事だ。五千でも相当なものだぞ。
「我儘を言うな、嫁入り道具も揃えなければならん。二年続けての嫁入り、上杉家と言えども容易ではないのだぞ」
父の言葉に不承不承二人が頷いた。納得したらしい。俺が同じ事を言ったらギャーギャー盛りの付いた猫の様に騒いだだろう。可愛くないのだ、この二人は。
確かに上杉家にとっては容易ではない。だが織田、朽木としっかりとした絆を結ぶ。その事が上杉にとって何よりも大事なのだ。織田は武田を滅ぼしいずれは伊豆攻めに入る。それが終れば相模攻めだ。関東に織田が入って来るのだ。だから多少の無理をしてでも二人を嫁がせる。その辺りを華と奈津にはしっかりと理解してもらわなければ……。今の上杉は盤石とは言えぬのだ。土台を固めなければならぬ。
「そうですね、嫁入り道具は京で揃える物も出て来ましょうし……」
母が溜息を吐いた。
「公家の方々に頼まなければならぬ物も有ろう。越後屋に京に行ってもらわなければならぬ」
「頭の痛い事ですわ」
両親の心配はもっともだ。特に奈津は朽木家に嫁ぐ。向こうは京を治めているのだ。在り来たりな嫁入り道具では奈津も肩身が狭かろう。上杉の色を出さなければ……。
まあ上杉領の特産と言うと海産物に越後上布、絹織物、木材だが……。まさか鮭や白海老を持って行くわけにも行かんしなあ……。贈り物としては喜ばれるだろうが嫁入り道具にはならん。さて一体何が用意されるのか……。