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一周忌




元亀五年(1577年)   八月中旬      但馬国朝来郡竹田村 竹田城  朽木基綱




「これが竹田城か」

「何か?」

真田源五郎の問い掛けに“なんでもない”と答えた。眼の前に有る竹田城を見ながらちょっとイメージが違うなと思った。俺の知っている竹田城は雲海に浮かぶ天空の城、石垣の城というイメージが有る。でも眼の前に有る竹田城には殆ど石垣は無い。所々に有る曲輪の敷地が崩れるのを防ぐために石垣を利用しているくらいだ。


改築したのかな。織田の城になってから改築した可能性はあるな。と言う事はだ、俺もこの城を攻め落としたら但馬の重要拠点として改築した方がいいのかもしれない。近江では観音寺城が有るから石垣の城はそんなに珍しくない。そうだよな、石垣で城が造られるようになったのはそれほど古くない。丁度、俺が生きているこの時代から城石垣が盛んになる。


うん、織田、いや秀吉が改築した可能性はあるな。城石垣で有名なのが穴太衆だ。元々は叡山等の寺院の石垣施工を行っていた。でも俺が叡山を焼いたからな、今では食うために城の石垣を築くのを熱心にやっている。八幡城でも随分と仕事をして貰ったし伊勢でも長野氏の為に頑張って貰った。ここでも頼もうか? 喜んでくれるだろう。


播磨から但馬街道を北上し生野峠から但馬に入った。最初に生野城を攻略して生野銀山を手に入れた。北上して岩洲城を攻略、夜久野城の磯部兵部大輔豊直はこちらの味方に付いた。磯部兵部大輔は五人張りの弓を引く事が出来るらしい。そういう男が味方に付いてくれると他の国人衆もこちらに降り易くなる。大事にしてやらないとな。そして今俺は竹田城を包囲している。後で朝廷に銀を多少なりとも献上しないといかんな。


「御屋形様、如何なされますか?」

「そうだな」

如何したものだろう、力攻めをするか、それとも包囲して敵が降伏するのを待つか。石垣は無いがそれなりに堅固な城だ。無理攻めしても落ちるだろうが、余り犠牲は出したくない。暑いから無理攻めはしたくないという思いも有る、兵が可哀想だ。しかし城主の太田垣土佐守輝延が簡単に降伏するかと言われれば自信が無い。


大筒を持ってきているからそれで攻撃して戦意を挫く事も出来る。しかしあまり使いたくない。城を壊したくないんだ。後始末が大変なんだよ。それに竹田城は但馬街道を押さえる場所にある。出来れば降伏して貰ってそのまま使いたいと言うのが本音だ。

「太田垣は此処が最後か?」

「いえ、養父郡に建屋城がございます」

沼田上野之助が答えた。そう言えば上野之助に細川の息子を預けていたな。そろそろ元服か、竹若丸と一緒にやるか。


「ここに一隊を残し建屋城の攻略に向かおう。攻略後はそのまま養父郡を制圧する。養父郡は朽木寄りの国人衆が多い、制圧は難しくない筈だ。その後で竹田城に降伏を促す。周りが全て朽木に付き孤立しているとなれば太田垣土佐守も強情は張れまい。例え張っても家臣達の心は持たぬ筈だ」

周囲の人間が頷いた。まあ本当にそうだと良いんだけどね。


竹田城の押さえは宮川新次郎に任せた。新次郎が隠居したいと言っている。五郎衛門も隠居したいと言っている。二人とももう年だからな。許さざるを得ない。年内一杯仕事をして貰って年が明けたら隠居という事にした。今回の出兵が最後になるだろう。寂しくなるな。隠居したら相談役として俺の傍に置こうと思っている。俺よりも先にあの世に行くだろうから俺のやっている事を良く見て貰って御爺に報告してもらおう。




養父郡の攻略は上手く行った。十日程で攻略が済んだ。建屋城は直ぐに降伏した。他の国人衆は積極的に味方に付くか抵抗しても形だけで直ぐに降伏した。朝倉城主朝倉大炊兼章、浅間城主佐々木近江守義高、宿南城主宿南修理太夫輝俊、坂本城主橋本兵庫介弘幸、三方城主三方大蔵丞正秀、八木城主八木但馬守豊信。これからは朽木家の家臣だ。


竹田城の太田垣土佐守も降伏した。養父郡が朽木に付いた事、そして丹波の日根野備前守が出石郡を殆ど平定した事で気落ちしたらしい。俺に仕えるかと聞いたが断ってきた。毛利に行くのかもしれないが余り賢い選択じゃないぞ。日根野備前守は有子山城に籠城した山名右衛門督祐豊、山名右衛門佐堯熙親子も降している。こいつは五千石程で家は残そう。丹後から侵攻した鯰江の伯父も順調に攻略を進めている。残りは気多郡、七美郡、二方郡だ。九月の上旬には因幡攻略にかかれるだろう。取り入れ前だ、敵にとっては厳しい戦いになるだろうな。八幡城に文を書こう、安心するだろう。




元亀五年(1577年)   九月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木 小夜




御屋形様から文が届いたと知らせると竹若丸、松千代、亀千代の三人が私の部屋にやってきた。

「母上、父上からは何と?」

「但馬の攻略はほぼ終わったと文には書いてあります。これから因幡に向かう事になるだろうと」

竹若丸の問いに答えると松千代、亀千代が歓声を上げた。

「私も行きたかった」


「……文にはまだまだ暑い日が続くから気を付けるように、兄弟仲良く喧嘩をしないようにと書いてあります。良いですね、御屋形様に心配をかけてはいけませぬよ」

松千代と亀千代が元気よく“はい”と答え竹若丸は頷くだけだった。松千代と亀千代に部屋に戻るように、そして竹若丸に残る様に言うと竹若丸がバツが悪そうな表情をした。


「何故残る様に言ったのか、分かりますね?」

「はい」

「初陣の事は元服後と決まった筈。いつまでも未練がましくするものでは有りませぬ」

「……はい」

納得してはいない。


「少しは御屋形様の事を労わって差し上げなさい。御屋形様は戦に出れば皆から御命を狙われるのですよ。(まつりごと)でも京の朝廷の事でも御苦労をされているのです。御屋形様が寛げるのはこの城で家族と居る時だけ。何時までも我儘を言うものではありませぬ」

「……」

俯いている。分かっているのだろうか……。


「そなた、御屋形様に不満が有るのですか?」

「そんな事は有りませぬ」

驚いている、嘘では無いようだ。

「ならば未練がましく初陣の事を言うのは止めなさい。他人はそなたが御屋形様に不満を持っていると思いますよ」

「母上、私は」

「そなたが如何思っているかではありませぬ。周りが如何思うかです」

「……」

目が泳いでいる。初めてこの事に気付いた様だ。なんと心許ない。


「朽木家の当主と嫡男が不和などという噂が広まれば必ずそれを利用しようとする者が現れます。敵だけとは限りませぬよ、朽木家の(なか)にもそれを利用して自分の地位を高めようとする者が居るかもしれません。そんな事になれば朽木家は混乱し揺らぎますよ」

「……私は、父上に不満などありませぬ」

困惑している。嘘では無いのだろう、でもだからと言って許される事ではない。


「例えそうであろうとも、そなたはもう少し自分の発言に責任を持ちなさい。朽木家の嫡男という立場は他の者に比べれば色々と恵まれているでしょう。ですが同時に非常に窮屈でもあるのです。自分の発言、行動が周囲にどんな影響を与えるのか。その辺りを良く考えなさい。来年には元服しその後には嫁も娶るのです、何時までも思慮の無い発言や行動は許されぬと理解しなさい。甘えはもう許されませぬ。御屋形様も先日同じような事を言われた筈ですよ」


竹若丸は項垂れて帰った。厳しい事を言ったかもしれない、煩い母親だとも思うだろう。でも何時かは誰かが言わなければならない事。元服が間近になった今、何時までも子供の我儘は許されないのだから……。




元亀五年(1577年)   十月中旬       大和国添上郡法蓮村  多聞山城  内藤宗勝




「近江中将様は因幡の大部分を手中に収められたようじゃ」

兄が背を丸めながら茶を啜った。年を取った、兄も私も。己の手の甲を見れば(しみ)が幾つか浮いている。

「左様ですか、毛利は?」

首を横に振った。


「吉川駿河守が伯耆に一万程の兵を率いて待ち構えているらしい」

「ほう、因幡には入りませぬか」

「入らぬの、どうやら吉川は武田を見捨てたらしい」

「なるほど、水軍も動いていると聞きます」

「そうよな、下手に因幡に入れば後ろに回られかねぬ。入れぬの。山名兵庫頭豊弘も毛利は当てにならぬと見て降伏したようだ」

「では因幡は仕舞ですな」

兄が頷いた。


これまで毛利は武田三河守を通して因幡に影響力を保持していた。だが武田三河守は他国者、必ずしも因幡の国人衆の支持を受けているとは言えぬ。ここで因幡に入り三河守を援けても国人衆にそっぽを向かれては孤立しかねんと判断したのだろう。冷酷ではあるが妥当な判断ではある。一口茶を飲んだ、香ばしさが口中に広がる。


「大分涼しくなりましたな、兄上」

「そうじゃの、虫の音が耳に心地良い」

「確かに」

今年も夏が過ぎた。去年に比べると格段に暑かった。その所為だろうか、去年は凶作だったが今年は豊作とは言えなくても十分に米が採れた。やはり夏は暑い方が良い、寒い夏など碌な物ではない。あのような事は思い出したくも無い。


「毛利も苦しいですな」

「そうよな、備前だけでも手一杯な所に但馬、因幡を攻められては……」

兄が軽く笑い声を上げた。朽木家は山陽、山陰の両方に約五万の兵を動かした。不意を突けば毛利も互角に戦えようが万全の準備をされては到底勝ち目は無い、今頃は毛利右馬頭も青褪めていよう。


「備前ですがこちらも毛利は分が悪いようで」

「徐々に徐々に押されておる、石山城も朽木の手に落ちた。備前一国の切り取りも間近であろう。明智十兵衛と言ったか、小早川左衛門佐を押し切るとは流石よ。重用されるだけの事は有る。春の雪辱と言ったところかの」

春の戦では中将様が負傷した。援軍を要請した明智としては何が何でも備前は独力で切り取りたいところであろう。


「朽木は余力が有りますな」

「そうよな、我らを使わぬのだから」

出陣は止む無しと思っていたがそれには及ばぬと命令が来た。故三好左京大夫の一周忌を優先せよと。正直驚いた。

「……良い一周忌でしたな」

兄が頷いた。


「阿波三好家、安宅家からも使者がきて参列してくれた。中将様が和解を勧めてくれたからの。こういっては何だが左京大夫様が亡くなられた事で向こうも良い頃合いと見たのかもしれぬ」

「そうですな」

かつてのように一族として固い結束は望めまい。だが緩やかな結び付きは可能かもしれぬ。


「ところで改元の事、聞いたか?」

「はい、天正ですな」

兄が頷いた。

「表向きは中将様からの要請となっているが真実は朝廷がそれを望んだらしい」

「なるほど、鞆の御方も大分嫌われたようで」

「そうよな」

二人で顔を見合わせて笑った。


「今回は中将様の御心遣いで戦に出ずに済んだ。次の戦では我等兄弟、先陣を願わねばなるまい」

「左様ですな」

心遣いを受けている以上、それに応えなければならぬ。我等の為だけではない、千熊丸様の為にも……。




元亀五年(1577年)   十一月中旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「これが菊千代か」

「はい」

小夜が嬉しそうに答えた。秋に生まれたから菊千代ねえ、花なんて直ぐ散るから名前には相応しくないと思うんだが綾ママが付けた名前だからな、文句は言えん。菊千代の頬を突くとむずかる様に手を動かした。可愛いかな? 眠っているから良く分からん。膝に乗せた百合に“可愛いか”と訊くと頷いた。なるほど、可愛いか。


「母子共に元気で何よりだ。そなたは百合を産んでから間が無かったからな。心配していた」

「有難うございます、御屋形様こそ暑い中大変だったのではありませぬか」

「戦はそれほどでもなかった。だが確かに暑かった。嫌になるほどな」

二人で顔を見合わせて笑った。竹若丸を連れて行かなくて良かった、連れて行ったら汗で大変だったろう。


「上杉家から使者が見えられました。来年は織田家との婚儀を、再来年に竹若丸との婚儀をと」

「そうか、では来年早々に元服させよう。烏帽子親を誰に頼むか……、一門からとなると長門の叔父上が良いかな」

「そうでございますね」

その後は初陣か、四月から六月くらいだな、その辺りで初陣を済ませよう。ツンツンとまた菊千代の頬を突いてみた。お、またむずかった。小夜が笑う。膝に乗せた百合もニコニコしている。家族団欒だな、元の世界じゃ無縁だったものだ。


団欒を切り上げて暦の間に戻ると早速仕事が押し寄せてきた。先ずは大叔父からの報告だ。九月に土佐の一条が長宗我部領に攻め込んだ。長宗我部元親が出て来ると兵を退き元親が戻ると攻め込むのを繰り返した。元親の兵の主力は百姓だ。当然農繁期の動員は嫌がる、動きは鈍い。一条兼定は好き勝手に荒らしまわった様だ。当然だが元親への不満は強まる筈だ。


そろそろ長宗我部の重臣達に和睦の手紙を出す頃合いか。伊賀衆からの報告では桑名弥次兵衛吉成、谷忠兵衛忠澄、久武肥後守親信、久武内蔵助親直、長宗我部新左衛門親吉、香宗我部安芸守親泰の名が有る。長宗我部は元親の叔父、香宗我部は元親の弟か。そうだな、家臣では言えなくても親族なら言える事が有る。もっとも受け入れられるかどうかは別だが……。


元親は如何思うかな? 結構強情なところが有ると俺は見ている。土佐統一間近で挫折、口惜しいだろうな。和睦を素直には受けないだろう。だが冷静に考えれば和睦を受けた方が得だ。和睦を受け入れようという家臣達との間で齟齬が発生すれば面白くなる。特に叔父の新左衛門親吉だな、親族の年長者が和睦を唱えた場合和睦派の勢力は長宗我部内部で無視出来ないものになる筈だ。長宗我部が割れれば面白くなる。


九州の伊東はもう駄目だと書いて有る。となるといよいよ島津と大友がぶつかるな、そして龍造寺もそこに加わって九州は三つ巴の戦いになる。元の世界では島津が力を延ばした。しかしこの世界ではどうなるか。まあ大友は駄目だな、内部がぐだぐだだ。決戦は龍造寺と島津だろう。どちらが勝つか、分が良いのは島津だろうが……。


阿波の三好家、安宅家から文が来た。今回の故三好左京大夫の一周忌に色々と配慮して貰って忝いと書いて有った。阿波三好家、安宅家も三好本家、松永、内藤との関係改善は望むところだったらしい。松永、内藤からも感謝の文が来ている。次の戦では好意に応えたいと書いて有った。そうだな、しっかり働いてもらおうか。


伊勢兵庫頭からも文が来ている。来月に改元が有るらしい。元亀は五年で終わりという事だ。それと永尊内親王の西園寺家への降嫁が正式に決まった。降嫁は来年の後半になる。これからその準備だが西園寺家の家も建て替えた方が良いんじゃないかと提案してきた。文に書いて来たという事はかなり酷いのかもしれん。建て替えさせよう。新築の家に内親王を迎える。喜んでくれる筈だ。西園寺家は大儲けだな。


それと仙洞御所用の土地の確保がもう少しで終わると書いて有る。となるとこっちも御所を建てなければならん。設計図とかってどうなるんだろう? 良く分からん、兵庫頭に確認してみよう。或いは朝廷に過去の事例から設計図の様な物が有るのかもしれん。


但馬、因幡、備前を切り取った。美作が残っているが三方を朽木領に囲まれている。調略で或る程度崩してから攻略しよう。その方が楽に進む筈だ。三好も同時期に兵を起こして伊予を完全に三好家の物にしたようだ。西園寺、河野は三好に降ったらしい。河野が三好に降った事で来島村上氏も三好に降った。また一つ毛利は追い込まれた。というより毛利は手を広げ過ぎだろう。九州、四国、山陰、山陽。天下を望むなと元就に言われたのに戦線を縮小していない。これじゃ中途半端だ。


次の戦では山陰方面は尼子の調略を仕掛けてから伯耆、出雲を攻略。山陽は美作、備中になる。備中か、高松城が有るな。水攻めか。金が掛かるな。しかし毛利配下の国人衆の度肝を抜くという効果は有る。毛利にもプレッシャーを与える事は出来る筈だ。やってみるか、竹若丸の初陣で水攻め。思い出になるだろう。


伊勢国員弁郡治田で銀が採掘されたと報告があった。前々から多少は採れていたみたいだが大々的に採掘が可能? 将来性有り? 良く分からんが本当なら有り難い。生野銀山も手に入れたし貨幣鋳造を本気で考えるべきかな? どんなものか一度見に行くか……。






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[一言] 子供との思い出作りに水攻め 最高に戦国してて面白い
[一言] 太田垣氏が滅ばずに降伏出来たのはよかったw この世界でも末裔が描く「ガンダムサンダーボルト」が読めるだろう。
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