備前争乱
元亀五年(1577年) 三月上旬 備前国邑久郡服部村 服部丸山城 朽木基綱
「まあ、何と言いますか、どうにもなりませんな」
「同感、まるで纏まりが無い」
「こうなって見ると宇喜多和泉守という男は大したものでしたな。この備前を一つに纏めていたのですから」
家臣達が口々に呆れた様な声を出す。口を噤んでいるが俺も全く同感だ。多分毛利側の大将、小早川左衛門佐隆景も似た様な事を思っているだろう。それほどまでに備前の状況は良くない。
宇喜多直家が死んだ。まあ殺されたのだがこいつは仕方が無い。何と言っても毛利も朽木も宇喜多直家を信じていなかった。こんな毒蝮みたいな男は死んだ方が良いと思っていたのだ。俺は積極的に殺そうとはしなかったが死んでも構わない、いや死んでくれれば嬉しいなという扱いをした。朽木だけじゃない、毛利も似た様な事をしたようだ。いや毛利は朽木より切実かな、何と言っても直家の所為で備中を中心に美作まで不安定になっている。呪詛ぐらいはしただろう。
もっとも俺は宇喜多という家そのものを残す気が無かったから毛利より酷いかもしれない。宇喜多を残しては備中、美作で苦労するという現実が有る。だがそれ以上に気味が悪いんだよ、宇喜多は。直家が一代で起こした家の所為なのかもしれないが直家の色に染まり切っている。直家は暗殺大好き、裏切り大好きの精神異常者だった。だが妻も家臣達もそれに劣らない狂人揃いとしか俺には思えない。
史実では直家の妻はかなりの美人で直家の死後、秀吉の現地妻のような立場になっている。直家の死後直ぐの話だ。普通なら何処かから咎める声が出ても良い。だがこの件で宇喜多の重臣達が不満を言ったような形跡は無い。要するに家臣達の考え、いや正確には直家の妻も同意の上での行動なのだろう。戦国時代のハニートラップだな。夫の遺体も冷めないうちに秀吉を籠絡して幼い秀家を守り宇喜多を守った凄腕の女スパイ。精神異常者の夫と似合いの夫婦だよ。家臣達は……、考えたくも無いな。
「御屋形様」
イケメン十兵衛、顔色が良いな。今回かなり自由にやれたから嬉しいのかもしれない。
「うむ、来たか」
「はっ」
「検分しよう」
囲んでいた服部丸山城が降伏した。城主の虫明市左衛門尉は宇喜多家に義理立てしようとしたが家臣達が戦えないと降伏を勧めた。そこで城主の虫明市左衛門尉は腹を切って城兵の命乞いをしたと言うわけだ。感動ものだな、それが事実なら。
宇喜多和泉守直家を殺したのは重臣達の一部だった。宇喜多家中では現状を打開するために直家を出家させ寺に押し込める、その後息子の八郎に宇喜多家を継がせ叔父の忠家に後見させるという意見が出ていたらしい。それによって毛利、朽木との関係改善を図る。そして関係が改善出来た方に付く。そう考えたようだ。
この案の要は直家を出家押し込めと言うところに有るだろう。いざとなれば復帰させると言う事だ。宇喜多家中では直家の能力はこの乱世を生き抜くのに必要不可欠と見ていたのだと思う。そして直家の弟である忠家は野心の無い男で後見役には最適だと思われた。当然だが直家は不満を持った。忠家が後見になれば野心を持たないと言う保証は無い。自分抜きでやっていけるのかという思いも有っただろう。
そして忠家は怯えた。後見になどなれば兄に殺されると震え上がった。俺は元の世界でこいつのエピソードを本で読んだ事が有る。直家の前へ出る時は着衣の下に鎖帷子を着けて出たと告白している。兄の事を戦国武将としては評価しても信用は出来なかったのだ。毎日を怯えながら過ごしていたのだろう。身内にここまで恐れられるのだ、直家には薄ら寒いものしか感じない。
重臣達が両者を安心させようとしたが逆効果だった。かなり揉めたらしい。その後、重臣達の間で直家が邪魔だと言う意見が出た。出家の上、押し込めでは手緩いのではないか? 毛利と朽木が信用しなければ意味が無い。所詮は上辺だけだと思うのではないか? やはり死んでもらうべきではないのか? その方が忠家も安心して後見を務められるだろう。この意見、かなり支持者が多かったらしい。宇喜多の重臣達から見ても宇喜多家が此処まで周囲から信用を失ったのは直家に原因が有った。
その後は早かった。直家が動いた。自分を殺すべきだと主張した重臣達、そして忠家を城内で上意討ちにした。忠家は死んだが重臣達には逃れた者も出た。こうなれば主君も家臣も無い、直家を殺さなければ自分が殺される。逃れた重臣達も肚を括った。宇喜多氏の居城である石山城内で直家派と反直家派による凄惨な殺し合いが起きた。長船、岡、戸川、延原、花房の重臣達、それに直家、息子の八郎も殺された。要するに宇喜多家の指導者層が壊滅状態になったのだ。その所為で宇喜多家は麻痺状態になっている。各地に配備された武将達も動けなくなっているのだ。
酷い話だよな。だが史実でも十分に起こり得る事だった。直家が寿命を全う出来たのは秀吉の存在が大きいと思う。信長は宇喜多に必ずしも良い感情を持っていなかった。だが秀吉は直家を信じた。自らが緩衝剤になる事で宇喜多を、直家を守ったのだ。秀吉の立場ではそうあるべきなのだが信長を相手に宇喜多を守ったのだ。偉いものだ、大したものだと思う。
拠り所が有れば安心するし其処に縋ろうともする。宇喜多は秀吉に縋り忠義を尽くした。勿論直家なりに天下の行く末は織田家の物になるとの判断も有っての事だろう。だが秀吉という信頼出来る男に出会った事も大きい。天下を獲るとは思わなかっただろうが秀吉なら織田家で更に出世する。秀吉の下で繁栄出来ると思ったのだ。いざとなれば秀吉を担いで謀反、そんな事も考えたかもしれない。毛利と手を結んで毛利、宇喜多、羽柴の連合なら信長の天下も揺らいだだろう。
首が運ばれてきた。城主の虫明市左衛門尉の首だと黒田官兵衛が確認した。以前使者に出て会った事が有るらしい。十兵衛に視線を向けると十兵衛が微かに首を横に振った。そうだよなあ、この首はおかしいわ。十兵衛だけじゃない、皆もおかしいと感じている。城兵の命乞いをしての切腹ならある程度首には満足そうな表情が出る。だがこの首には恨み、怯えの色が濃い。多分、無理やり腹を切らせたのだろう。
城内が割れている事は分かっていた。朽木に付くべしと言う者、毛利に付くべしと言う者。宇喜多直家という支柱を失ってどうにもならなくなっていたらしい。意見を一本化する前に俺が押し寄せた。城内で同士討ちは拙い、朽木勢がそれに乗じて攻めてくればとんでもない事になる。と言う事で家臣達が話し合って降伏した上で開城し各自が好きなようにしようとなった。降伏の条件は虫明市左衛門尉の切腹。酷い話だ。
「確かに確認した。城兵には直ちに城を退去させよ」
「はっ」
「服部丸山城の城代は、……そうだな、紀伊守、前へ」
「はっ」
一色紀伊守秀勝が俺の前に出た。義昭に謀られて安芸で殺された一色式部少輔藤長の弟だ。
「その方に服部丸山城を預ける、頼むぞ」
「御信頼、有難うございまする」
紀伊守が頭を下げた。いずれはこの地で領地を与えよう。義昭を恨んでいるからな、間違っても毛利に付く事は無い。
「小兵衛、毛利の動きは?」
「はっ、既に小早川左衛門佐は御野郡、津高郡、児島郡を押さえ東へと向かっております。石山城を押さえるのが目的でございましょう」
まあ当然だな。しかし早い。流石は小早川左衛門佐か。家臣達にも驚きの声が有る。イケメン十兵衛がちょっと面白くなさそうだ。今のままだと如何見ても相手の方が先に石山城に着く。出遅れたと思っているのかもしれない。宇喜多の居城、石山城。多分岡山城の事だと思うんだが……、良く分からんな。
「さて、この後は如何する?」
俺が問い掛けると真田徳次郎、真田三兄弟の真ん中が“御屋形様”と声を発した。
「宇喜多和泉守が死んだ以上、備中、美作の者達の憤懣は大分薄らぎましょう。毛利は後顧の憂い無く戦えるという事にございまする」
「面白くない話だな」
俺の言葉に皆が渋い表情で頷いた。
「こちらは四万、小兵衛殿、毛利の兵力は如何程か?」
「約二万にございます」
小兵衛が十兵衛の問いに答えた。意外に多い、もっと少ないと思ったんだがな。
「平地の戦いなら分があるが城に籠られると厄介な事になりましょう。御屋形様、此度は大筒は?」
「残念だが持ってきておらんぞ、官兵衛。急いだからな」
また皆が渋い表情をした。でもね、あれを持って来ると行軍速度が遅くなるんだよ。
「おそらくは増援も要請しておりましょう。城を直ぐに落とせるのなら宜しゅうござるが手間取るようだと挟撃を食らいましょう」
「今から大筒を呼んで間に合えば良いが……」
官兵衛、源五郎の会話に皆の表情が更に渋くなった。間に合わないだろうと皆が思っている。俺も同感だ。多分毛利の増援の方が早いだろう。
「急がなければなりませぬな。毛利に石山城を獲られるのは面白くありませぬ。こちらが獲らなければ」
下野守の言葉に皆が頷いた。だが官兵衛が“お待ち下され”と声を上げた。
「むしろ石山城は毛利にくれてやるべきだと思いまする」
何人かが“何を言う!”と目を剥いて反対したから俺が“落ち着け”と声をかけた。こういう時に案を出す、それが軍師だよな。
「官兵衛、理由は?」
俺が問うと官兵衛が顔に笑みを浮かべた。悪そうな笑顔だ。楽しくなって来たぞ。
「毛利が石山城を押さえれば今回の一件で最大の利益を得たのは毛利となりましょう」
「そうだな」
「裏で糸を引いたのは毛利」
「……なるほど、最大の利益を得た者が犯人か」
官兵衛が“御明察”と言って頷いた。まあ殺人事件の捜査の鉄則だな。TVドラマで見ただけだが。
「当然宇喜多の残党は面白くありますまい。自分達は毛利に嵌められたと思う筈。備前、備中、美作に噂を流しましょう。毛利は宇喜多を越える悪謀の持ち主だと」
「備前、備中、美作の国人衆に毛利への不信を植え付けるか?」
「はっ」
官兵衛の狙いは毛利の足元を弱める事か。なるほど、悪い奴だ。備中、美作の国人衆は三村の件で宇喜多に不信を感じていた。毛利にも感じていただろうが宇喜多への方が強かっただろう。だが今宇喜多が毛利に嵌められたとなれば……、本当は三村も毛利に嵌められたのではと思うだろう。毛利は確実に直轄領を増やしているのだ。石山城は毒饅頭だな。
「良かろう、石山城は毛利に譲ろう。もう少し西へ進み落とせるだけ落として帰還しよう」
皆が頷いた。
「十兵衛、その方をこれまでの播磨に加えて備前の旗頭とする。望みは有るか?」
「はっ、出来ますれば今少し兵を頂きたく」
そんな言い辛そうに言うな。
「分かった。御着に兵を送る。相手が宇喜多から毛利に代わった以上当然の事だ」
「はっ、有り難き幸せ」
十兵衛がホッとした様な表情で頭を下げた。
「俺は一旦山陰道に出て但馬から因幡を目指す。その後は美作を攻める。そうなれば備前の毛利は北と東から攻められることになる」
「……」
「今回の一件で毛利との戦いが本格化した。今後は阿波三好家との連携が不可欠になる。向こうには伊予に兵を出して貰おう」
「良き御思案かと思いまする」
舅殿が膝をポンと叩いた。皆の顔が綻ぶ。雰囲気を変えるのが上手い。こういうのは歳の功なんだろうな。
「それと摂津に九鬼と堀内を呼ぶ。三好の水軍と協力させ海からも毛利に圧力をかけるつもりだ。三好との調整に手間はかかるが効果は有るだろう。但馬、因幡の攻略も含めれば備前攻めに戻るには時間がかかる。それまでは多少受け身になるが、十兵衛、頼むぞ」
「必ずや、御期待に添いまする」
「うむ」
まあ、こんなものだな。今回の成果は備前の東半分、そんなところか。毛利と仲良く分け取りという事だな。
後で小兵衛に今回の宇喜多の一件の裏には毛利の暗躍が有ると噂を流させよう。官兵衛の言う通り石山城を毛利が押さえたとなれば信憑性は有る。それと俺が毛利の速さを訝しんでいたというのも流させよう。証拠が要るな。
「それにしても今回の毛利の動き、少し早すぎるな。いささか腑に落ちん、そうではないか」
俺の言葉に同意する声が上がった。勿論、皆笑っている。ま、こんなものだな。後は小兵衛に任せようか。
元亀五年(1577年) 三月上旬 越後国頸城郡春日村 春日山城 樋口兼続
喜平次様が御刀の手入れをしておられる。少し離れた場所に座った竹姫様が喜平次様を見ておいでだ。喜平次様が竹姫様に声をかけたのは最初だけ、“危ないから近付いてはならぬ”というものだった。それ以来竹姫様は今の場所に座ってじっと喜平次様を見ている。もう小半刻にはなるだろう。如何見てもあと小半刻は刀の手入れに時がかかる。喜平次様は如何するのだろう? 此の儘か、それとも……。私が声をかけた方が良いような気もするがちょっと掛け辛い。さて、如何したものか。
すっと戸が開いて華姫様、奈津姫様が部屋に入って来た。一礼して御二方に挨拶をすると喜平次様の眉が微かに動くのが見えた。内心では御二方が此処に来た事を歓迎していない。嫌いではないが苦手なのだ。何と言ってもこの御二方は兄である喜平次様を直ぐにからかって遊ぶ悪い癖を御持ちだ。今も入って来るなり華姫様がわざとらしく溜息を吐いた。
「また御刀の手入れですの、兄上」
「……」
喜平次様が無視すると華姫様が妹君の奈津姫様と顔を見合わせた。
「困った事、母上が嘆かれますわ。刀の手入れなどよりも竹姫様と貝合わせでもすれば良いのにと」
華姫様の言葉に奈津姫様がクスクスと笑い出した。喜平次様の口元に力が入った。耐えておられる。一度竹姫様と貝合わせをなさったが華姫様、奈津姫様が大笑いで周囲に吹聴した。今では春日山城で誰一人として知らぬ者の無い笑い話になっている。あのむっつり屋の喜平次様が八歳の童女と貝合わせ……。誰でも吹き出すだろう。
「竹姫様、御免なさいね、変わり者の兄で」
奈津姫様の言葉に竹姫様が首を横に振った。
「そんな事は有りませぬ。御刀の手入れをなさっている喜平次様はとっても凛々しくて素敵です」
一瞬間が有って華姫様、奈津姫様が声を上げて笑い出した。喜平次様、打粉を付け過ぎです。それでは動揺しているのが分かってしまいますぞ。
「良かったですわね、兄上。竹姫様は兄上を凛々しいと褒めておいでですわ」
「本当ですわ。私なら兄上のような変わり者とはとても……」
またお二人が笑った。喜平次様の顔が朱に染まっている。落ち着いて頂こう。
「畏れながら、竹姫様の御父君、近江中将様は御刀の手入れはなされるのでしょうか?」
声をかけると竹姫様が首を横に振った。
「父上はあまり御刀の手入れはなさりませぬ。でも壺の手入れは良くなさります」
「壺?」
思わず喜平次様と顔を見合わせた。喜平次様も手を止めて訝しげな表情をしている。華姫様、奈津姫様もお困りの表情だ。
「壺とはあの壺の事で?」
手振りで壺を表すと竹姫様が頷かれた。
「壺を磨くのです」
壺を磨く……。近江中将様が?
「か、変わった趣味をお持ちなのですね」
華姫様が声をかけると竹姫様が不思議そうな御顔を成された。
「皆、磨いています」
「皆?」
「下野守、重蔵、又兵衛、平九郎、新三郎、弥兵衛、皆壺が好きです」
皆? 朽木家では壺の蒐集が流行っているらしい。
「竹も壺が欲しかったのですが父上が未だ無理だ、竹には大き過ぎると……」
「……」
「父上がお持ちの壺は大きくて艶が有って本当に綺麗なのです。竹もあんな壺が欲しい」
なるほど、壺か。上方では流行っているのかもしれぬ。上洛の時は注意して壺を見てみよう。
「兄上、来月の御上洛には私と奈津も同行いたします」
喜平次様が華姫様、奈津姫様に視線を向けた。目が必要無いと言っている。
「竹姫様も上洛されるのですもの。道中私達が御相手しないと。兄上には無理ですものね?」
「母上の御命令ですわ、兄上」
お二人が楽しそうに御笑いになると喜平次様の顎に力が入った。喜平次様、打粉を付け過ぎです、それでは……。