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後継

元亀五年(1577年)   二月中旬    近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




重蔵と下野守に俺の思う所を話そうとした時に真田源太郎、源五郎の兄弟が戻ってきた。一旦お預けだ。

「御苦労だったな。如何かな、姫様方の御様子は」

「取り敢えずは一安心というところだと思いまする。しかし今後の事に不安はお有りでしょう」

源太郎が答えると隣で源五郎が頷いた。


(あらかじ)め言っておくが俺はあの二人を側室にする気は無い、良いな?」

「はっ」

「俺があの二人を側室にしては織田も上杉も不快だろう。そういう事はせぬ。誰か婿を取らせ武田の姓を名乗らせるつもりだ。武田家とは関わりの無い家の人間が良いだろう。五千石を禄で与え徐々に増やして行く。いずれは領地を与える、そうするつもりだ」

源太郎と源五郎が顔を見合わせ、そして頭を下げた。朽木家中における程々の名家、それで良い。その方があの二人にとっても幸せだ。後で信長、謙信、それと景勝にも手紙を書いた方が良いな。


「その方等の母御が此方に来てくれると聞いた。あの二人の世話をしてくれるとな。有り難い事だ、礼を言っておいてくれ」

「世話などと……、ただ話し相手になれればと母は申しておりまする」

「いや、それが大事だぞ、源太郎。こちらからも身の回りの世話をする人間は付ける。だが武田の事を知る人間が傍にいた方が良かろう。心細いだろうからな」

「はっ、御気遣い、有難うございまする」

真田は二度零落した。一度は武田が援けた。もう一度は朽木だ。武田には恩が有ると礼を尽くすのは当然の事だ。


「あの二人にはそれぞれ五千石を与える、意味は分かるな?」

「はっ」

「その方等の母御にも禄を与えよう。化粧料として五百石だ」

「畏れながら御屋形様」

「遠慮は要らぬ、正式に俺の家臣として働いて貰うという事だ。まあ婿が決まるまでの間だ、長い期間ではない」

俺の言葉に源太郎が“忝のうございまする”と言って頭を下げると源五郎も頭を下げた。


「ところで両名は徳川の国替えの事、如何思うか?」

二人が顔を見合わせた。

「聊か訝しい事かと思いまする」

「兄と同じ思いにございまする」

真田の兄弟が答えると重蔵、下野守が頷いた。


「徳川を優遇しているのか、優遇しておらぬのか、良く分からぬ。そういう事だな?」

四人が頷く。

「領地替えの意味はな、あれは恩賞と思うから分からなくなる」

「と申されますと」

「織田は徳川が邪魔なのだ。重蔵、分かるであろう?」

重蔵が“なるほど”と言った。思い当たる節が有るよな、重蔵。他の三人は今一つピンと来ていないようだ。


「織田家は美濃、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐を領する事で東海道を制している。三河はその間に有る。邪魔だな、徳川が反織田の動きをすれば織田は三河を境に東西に分かれてしまう。だから三河から出て行って貰う。織田殿がそう考えたとしてもおかしな事ではないな」

四人がまた頷いた。


「となると替地として相応しいのは美濃、駿河、甲斐のいずれかになる。美濃では小田原攻めに徳川を使う事が出来ぬ。駿河では織田の関東進出に邪魔になりかねぬ。となればだ、小田原攻めに使え関東進出に邪魔にならぬ場所は甲斐しかない。恩賞を名目にした甲斐への国替えはおかしな話ではない。織田殿の考えでは至極当然の事だ」

「なるほど、ではこれは優遇ではなく必然……」

下野守が二度、三度と頷いた。


「そうだ、下野守。これは必然と見るべきなのだと思う。そういう目でもう一度織田殿の甲斐での為さり様を見ると色々と見えてくる物が有る。先ず十万石の加増、金を産出する、水害が有る等という事は無視して良いと思う。行き場所は甲斐しかないのだ。甲斐という国がもつ特性に拘る事は意味が無かろう。そうではないか?」

「確かに」

源五郎が呟いた。


「問題は織田殿が武田の家臣達を狩り立てている事だ。武田で名有る武士は隣国に逃げ去っていると聞く。これが何を意味するか? 後から甲斐を領する徳川の立場に立って考えて見よ」

四人が顔を見合わせた。愕然としている。


「十万石を加増されても兵を指揮する物頭、侍大将が居りませぬ。徳川の今の家臣達から選ばねばならぬという事になりましょう」

「しかし三河にも留まる者が出る筈、人が足るまい。これでは兵の強さが損なわれかねぬ」

「それよりも領内の統治は? 甲斐は水害が酷く治め辛い土地。土地の事を良く知る人間が居なければ……」

「これでは加増など意味が無い……。その内見切りをつけて立ち去る者も出かねぬ」


最後に源五郎が言い終わるとシンとした。皆で俺を窺うように見ている。皆ようやく分かったようだ。違和感の正体が何なのかな。普通、領地の加増が有ればそこの土地の武士を雇う。戦力の増強だけが目的なのではない。野に置いていては敵になりかねない存在を味方に取り込む事で新領地の安定を図るのだ。そうする事で百姓達に自分達の仲間が登用されている、という安心感を与える事も出来る。


「分かったようだな、織田殿は徳川を優遇などしておらぬという事が」

「しかし何故、織田様は……」

源五郎が俺を見た。いや、源五郎だけじゃない、皆が俺を見た。何故織田は徳川を苛めるのか?

「多分、徳川が怖いのだろうな」

「……怖いと申されますと」

下野守が訝しんでいる。


「元々三河兵は精強で知られている。そこに信玄公が鍛え上げた甲州者達が加わる。甲斐一国、諏訪を入れて二十五万石を越えよう。兵力はざっと七千から八千。これを如何見るか? 織田の領地は百五十万石を優に越え二百万石に近い。徳川など取るに足りぬとも言える……。だが織田も朽木も元から大きかったわけではない。周囲を喰う事で大を成した。徳川がこの先大きくならぬという保証は無い」

「……」

「織田殿にとって徳川は強過ぎても大き過ぎても困るのだ。適当に強く適当に大きければ良い。だから武田の残党を狩り立てている」


乱世なのだ。大内、尼子、今川、武田、北条、かつて大を成した彼らは滅ぶか弱小勢力に転落している。乱世というのはそれほどまでに浮き沈みが激しい。史実もそれを示している。信玄、信長が生存中に徳川が大を成す、天下を獲ると予測した人間が居たら化け物だろう。だが徳川は大きくなった、天下を獲った。それ程までに先は読めない。つまりこの世界でも徳川には十分にチャンスが有る。


「徳川はその事を?」

源太郎が俺を窺うような表情を見せた。

「知っているかと問うのか、源太郎。当然知っているだろうな。その上で有難く受けたのだと思う」

「しかし……」

口籠る源太郎を見て思わず笑い声が出た。暗い笑い声だ、自分の声がこんなにも暗いのだという事に驚いた。


「徳川を甘く見るな。あの男ほど乱世というものを、弱いという事の意味を知っている男は居らん。弱い以上、強い者に従う。例え足蹴にされようと従う。妻や子供を殺してでも生き残る。今川の下で、織田の下でそうやって生きてきた。徳川はそれが出来る男なのだ」

皆が押し黙った。分かったか? 生き恥を曝してでも生きる、それが家康の怖さ、厭らしさだ。長い人質生活で弱いという事が乱世では悪であるという事を骨身に染みて知っている。そして弱い者にはえげつない程に服従を求め拒めば容赦無く踏み潰す。だから強い、最後に勝ち残った。


信長も既に四十歳を越えた。何時までも徳川を三河に置いておくわけにはいかないと思ったのかもしれない。或いは家康に厭なものを感じたのかもしれん。家康にはしぶといと言うかふてぶてしいと言うか変なものが有るからな。遠くへ追い払おうと言うわけだ。だが今回の一件、俺は家康が文句一つ言わずに甲斐を受けたと思うのだがだとしたら更に厭な感じが増したかもしれん。織田と徳川か、確かに変に粘つく物が有る。これで終わりというわけには行かないだろう。


「御屋形様」

部屋の外から声が掛かった。石田佐吉だった。

「播磨の明智様より至急の使者が」

皆で顔を見合わせた。何かが起きた。通すように言うと直ぐに若い男が現れた。甲冑姿だ。汚れている、かなり急いできたようだ。


「御苦労、至急の使者との事だが何が有った?」

「備前の宇喜多和泉守直家、殺されましてございまする」

また皆で顔を見合わせた。その可能性は有ると思っていた。だが謀聖とまで言われた男が殺されたか……。あっけないものだ。

「殺したのは?」

下野守が問い掛けると“分かりませぬ”と男が首を振った。

「何時の事だ?」

「昨日の昼の事にございまする。某は夜、播磨を発ちました」


「十兵衛は何と?」

「備前の混乱は必至、御屋形様の御出馬を願うとの事にございまする」

「分かった、直ちに出陣する。疲れたであろう、その方は下がってゆっくりと休め。佐吉、休ませてやれ」

佐吉が“はっ”と言って男を連れて下がった。


「御屋形様、毛利では?」

重蔵が問い掛けてきた。

「かもしれぬし違うかもしれぬ。だが何者が動いたにせよ都合の悪い事は和泉守に押し被せて済ませようという事であろう。或いはこちらにも使者が来るかもしれぬ」

皆が頷いた。その場合首謀者は宇喜多家の内部の人間だな。


「摂津の舅殿に使者を出す、至急兵を集め播磨へと向かえとな。十兵衛にも必ず後詰致す故後れを取るなと伝えよう」

「御屋形様」

「何か、源太郎」

「念のため、但馬の山名を抑えるために丹波の川勝殿、日根野殿に兵を集めさせるべきかと」


「尤もだな、源太郎。良く気付いてくれた」

「はっ」

源太郎が嬉しそうにした。そう、こういう時はきちんと褒める。……秀吉ならもっと大声で騒いだろうな。“源太郎、よう言うた、見事!”。俺には出来ん、詰まらない奴だわ。頭を振った、比べてどうする、竹若丸と同じ事をする気か? 俺は俺だ!


「出陣だ! 重蔵、下野守、触れを出せ! 源太郎と源五郎は播磨、摂津、丹波に使者を走らせろ!」

重蔵、下野守、源太郎、源五郎が声を上げながら部屋を出た。宇喜多直家が死んだか。悪名高い男だがあの男が備前を纏めていたのも事実だ、それが死んだとなると備前、いや宇喜多は混乱するだろう。機先を制した者が勝つ! イケメン十兵衛、頑張れよ!




元亀五年(1577年)   二月中旬    近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木小夜




朽木の大軍が八幡城を離れ京に向かっていく。櫓台から見える軍勢はまるで蟻が列を成して行軍するかのようにも見える。こうして軍勢を見送るのは何度目になるのか……。見慣れた光景なのに何度見ても好きになれない。子供達が無邪気に声を上げる中、御屋形様が無事に戻られるようにと神仏に願う。その事にどれだけの意味が有るのかとは思うがそれでも祈らずにはいられない。おそらく雪乃殿も同じ想いをしていよう。


「私も行きたかった……」

軍勢を見詰めながら竹若丸が悔しそうに呟く。困った事、竹若丸はまた戦場に出たいと出陣前の御屋形様に我儘を言った。幸い半兵衛殿、新太郎殿が竹若丸を抑えてくれたから大きな騒ぎにはならなかったものの御屋形様は切なそうに溜息を吐いておられた。


大方様が部屋に戻りましょうと皆に声をかけて櫓台から降りた。見送りには武田の松姫、菊姫も来ている。どんな気持ちであったのか。素直に御屋形様の無事を祈れる気持ではなかっただろう。因縁の有る相手を頼らざるを得ない、因縁の有る相手の無事を祈る。乱世とは何と厳しく酷いものか。それでも二人は何も言わずに御屋形様を見送った。


部屋に戻り竹若丸を呼ぶと渋々と言った様子でやってきた。何を言われるのか、分かったのだろう。

「何故呼ばれたのか、分かりますね」

「はい」

「評定に出て御屋形様から政を学ぶ、初陣は元服後とする。そう決めた筈です。そなたも了承した筈」

「ですが……」

「ですがなんです?」

竹若丸が唇を噛み締めた。


「評定でも発言は許されませぬ。これでは半人前です」

「半人前なのですから仕方が無いでしょう」

「母上!」

竹若丸が顔を歪めた。

「そなたの戦や政についての力を言っているのでは有りませぬ。そなたの心を言っています」

「……心?」

竹若丸が訝しげな表情をしている。


「そなたがどれほど御屋形様を悲しませているか、分かっていますか?」

「……」

「御屋形様は幼い頃に御父君、そなたにとっては祖父に当たる方を戦で亡くされました。それ以降は朽木家の当主として務めてこられた。簡単な事では有りませぬよ、大方様は御屋形様からは子供らしさが消えてしまった。大人として扱わざるを得なくなったと言っておられました。それがどれほど痛ましい事であったか……」

「……」

大方様の寂しそうな御顔を思い出す。私はそんな寂しさとは無縁だった。でも今は別な寂しさを感じている。


「御屋形様はそなたにはそのような想いはさせたくないと思っておいでなのです。せめて元服までは伸びやかに過ごさせたいと。元服すれば嫌でもこの乱世と向き合うのですから……。御屋形様の御気持ちが分からぬそなたは半人前でしょう」

「私は、私は早く一人前になりたいのです! 父上の御側で働きたいのです!」


「愚か者! そなたの様な者が御側に参っても邪魔になるだけです! (わきま)えなさい!」

「母上!」

竹若丸がこちらににじり寄った。

「何故御屋形様の御無事を祈れませぬ! 御屋形様は戦に行かれるのですよ! そなたは戦を遊びとでも思っているのですか!」

竹若丸の目が泳いだ。


「そ、それは、父上が負ける事など有り得ぬからです!」

「……そなた、それは本心ですか? 本心ならそなたはどうしようもない増長者ですよ」

「……」

「私が御屋形様に嫁いだ時、朽木家は未だ小さい大名でした。この近江で一番小さい存在だったのです。御屋形様は朽木家よりも大きい敵を倒してきた。敵は皆そなたの様に思ったのでしょうね、自分が負ける筈が無いと」

竹若丸が項垂れた。手は袴を強く握り締めている。


「心が半人前と言った意味が分かりましたか?」

「……」

「そなたは自分の事しか考えていません。そして自分の都合の良いようにしか考えていない。それがどれ程危険な事か、そなたにも分かったでしょう。そのような事では無駄に首を獲られるだけです」

「……」

「もっと周りを見なさい。皆が何を考えているのかを知ろうとするのです」


「……そうなれば父上に認めて頂けるでしょうか?」

「足りませぬ」

竹若丸が唇を噛み締めた。哀れではある、でも甘やかす事は出来ない。

「まだまだ足らぬのです。だから足らぬ物を少しずつ埋めなさい。焦らずにゆっくりと」

「……」

「御屋形様はそなたが足らぬ物を埋め、御屋形様の後を継ぐに相応しい大将になるのを待っています。焦らずに務めなさい」

竹若丸に部屋に戻る様にと言うと気落ちしたように下がって行った。


御屋形様の後を継ぐ、簡単な事では無い。六角家も後継の乱れから勢威を落とした。でもその元になったのは右衛門督様の無謀な戦。御屋形様に対する対抗心から美濃に攻め入った事だった。竹若丸にはあのような事をさせてはいけない。あの子の心を鍛えなければ……。





前回の話で武田の松姫、菊姫が登場しました。

この小説の中では松姫が姉、菊姫が妹としています。通常逆だと考えられていますがそれぞれの結婚相手を考えると松姫が姉、菊姫が妹ではないかと思うのです。


松姫:1561年生まれ

菊姫:1558年説と1563年説が有ります。

織田信忠:1555年説と1557年説が有ります

上杉景勝:1556年生まれ


見ていただけると分かるのですが菊姫が姉だとすると何故信忠の妻に松姫が選ばれたのかという疑問が生じます。むしろ年齢的には菊姫の方が相応しいと思うのです。菊姫と松姫は同母姉妹なのですから母親の身分で選ばれたわけではない。となると年下の松姫が選ばれるのは不自然だと思うのです。松姫が選ばれたのは姉だからだと思います。


そういう点から菊姫が妹とすると上杉景勝との結婚も納得が行くのです。二人が結婚したのは1579年です。菊姫は1563年生まれですから十七歳、おかしな年齢ではありません。1558年生まれにしてしまうと二十二歳でこの時代では相当に晩婚になる。ちょっと不自然だと思うのです。


そういう事でこの小説では松姫を姉、菊姫を妹に設定させていただきました。





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― 新着の感想 ―
[気になる点] クズの血筋には無能しか生まれない。
[一言] 名前からもその通りだと思います。 松竹梅と言うように”松”が先でしょう。
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