武田滅亡
元亀五年(1577年) 一月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
「兵庫頭、その方は京における俺の代理人だ。という事でな、今後は評定衆として評定に参列せよ」
「はっ、有難き幸せにございまする」
兵庫頭が一礼した。
「緊急に行われる物は難しかろうがそれ以外は出席してもらう。評定は月に三度、三の付く日に行われる。良いな」
「はっ」
驚いてはいないな。まあ立場を与えるとしたらそのくらいしかないのだ。朽木の評定衆なら重臣中の重臣だ。軽んじられる事は無い。
「ところで知っているかな? 俺の曽祖父、高祖父は伊勢家、政所執事の伊勢家から妻を娶ったという事を」
「なんと、真でございまするか?」
兵庫頭が驚いている。知らなかったか。まあ俺も大叔父に聞くまで知らなかったのだから無理もない。
「実の娘ではない、養女で有った様だがな。おそらくは分家の娘を養女として嫁がせたのであろう」
伊勢家も朽木家も足利家にとっては大事な家であった。おそらく当時の公方が両家を結びつける事でより足利家に忠義を尽くさせようとしたのだろう。曽祖父の子が御爺だ。足利の狙いは当たったと言える。兵庫頭も察したのだろう、複雑な表情をしていた。
「ま、そういう事でな。伊勢家は朽木家にとっては二代に亘って嫁取りした家だ。決して粗略に出来る家では無い。分かるな」
「はっ、御配慮有難うございまする。懸命に努めまする」
兵庫頭が頭を下げた。伊勢家は朽木家と縁の深い家なのだという事を公家達に伝えて行く。特に俺を育てた御爺が伊勢の娘から生まれたのだ。より立場は強まるだろう。
「ところで所領の方は如何か?」
俺が問うと兵庫頭が首を横に振った。
「地方の禁裏御料、公家の所領は殆ど失われております。残っているのは山城とその近辺になりまする」
「それを返せというのは難しかろうな」
「はい、徒に反発を受けましょう」
だよな、俺の記憶じゃ徳川が天下を獲った後に朝廷の所領を山城で一万石にした筈だ。その後に更に家光が上洛した時に二万石程加えたと思う。合計で三万石くらいだ。要するに地方の所領を取り返すなんて事はしなかったのだ。
「それで、実際にはどの程度の所領が有るのだ?」
「禁裏御料は三千石程になりましょう。宮家は千石程。堂上家は六十家を超えます。しかし五摂家こそ千五百石を越えますがそれ以外は良くて五百石前後、多くは二百石から三百石になります。酷い所は百石に届きませぬ」
溜息が出るわ。禁裏御料が三千石? 山国庄、小野庄を取り返して三千石か。朝廷が困窮するのも道理だし公家が地方の大名家に行きたがるのも道理だ。位は高くても貧しいのだからな。公家にしてみれば内乱しか起こさない足利なんて嫌悪の極みだろう。俺に期待する筈だ。
「飛鳥井は?」
「九百石程でございます」
少し多いな? 五摂家程じゃないがかなり裕福だ。
「飛鳥井家は足利家に近かった事が理由かと」
「なるほど」
俺って感情が顔に出るのかな? 兵庫頭が直ぐに教えてくれた。でも飛鳥井が足利に近いのは事実だ。綾ママが朽木に嫁いだのもそれが理由だろう。世渡り上手な家らしい。
「地下家については推して知るべしだな」
「はっ」
この時代の公家は家格が決まっている。昇殿を許される家を堂上家、昇殿を許されない家を地下家と呼んでいる。当然だが一部の例外を除いて地下家は堂上家よりも収入面で恵まれていない。これが大体四百から五百家程有る筈だ。
「禁裏御料として土地を進呈するのは良い。先ずは七千石程進呈しよう。合計一万石だな。問題は宮家、公家の所領だ。地下を如何するかという問題も有る」
「はっ」
公家は既に所領を持っているのだ。新たに所領を与えるよりも禄を支給する方が良い様な気がする。家格によって最低限の禄高を規定し不足分を朽木家が支給する。要するに徳川の足高の制だな。問題は石高は少なくても家職によって副収入が有るところだ。
例えば土御門家、陰陽道の元締めだからな。禄高は少なくても裕福な筈だ。となると所領の石高では無くて収入によって不足分を足した方が公平だな。収入に変動が有ればそれによって朽木から支援を受ける事も出来るし支援が無くなる事も有る。つまり毎年確定申告をするわけか。俺に懐具合を全て知られる事になるな。嫌がるかな? 兵庫頭に話すと苦笑を漏らした。そうだよな、嫌がるよな。俺も笑った。
「しかしな、兵庫頭。何らかの事情で費えが増え借財が嵩む場合も有ろう。その事情が已むを得ないもので有るならその分だけ支援する事も出来る。或いはそれが理由で借財をしているなら朽木が肩代わりし朽木に支払わせる事も可能だ。その場合朽木は利子は取らぬし無理な返済もさせぬ。大体借財で潰れる場合は支払いが遅れ利子が増大する事で如何にもならなくなる事が殆どだ。そうではないか?」
「なるほど」
兵庫頭が頷いた。
「一度関白殿下、飛鳥井の伯父上に相談してみようと思う。何と言っても俺は公家ではないからな。殿下や伯父上の意見から何か得る物が有るかもしれん。もっともあの二人、どちらもそれなりに収入は有るからな」
何処まで役に立つか……。兵庫頭が曖昧な様な表情で頷いた。俺の気持ちが分かったのだろう。
元亀五年(1577年) 二月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 真田昌幸
伊勢から叔父の矢沢薩摩守頼綱が訊ねて来た。普段は伊勢で兄を助けているのだが急用で出て来たようだ。
「叔父上、どうなさったのです?」
「源五郎、御屋形様は?」
大分慌てている。
「御屋形様はあと十日もすれば京から戻られる筈です」
答えると叔父が“そうか”と息を吐いた。
「叔父上、どうなさったのです?」
「話が有る、何処か話せる場所は?」
「某の部屋が有ります、そこで良ければ」
「頼む」
叔父を自分の部屋に連れて行くと不思議そうに部屋を見回した。
「何だ、何も無い部屋だな」
「休息用に頂いた部屋ですから」
「だが壺は有る」
叔父が笑いながら部屋の一角にある丹波焼の壺を指で示した。
「御屋形様から頂きました。和みます」
「兄上と同じだな」
「かもしれませぬ。……それで叔父上、何が有ったのです?」
叔父の顔が引き締まった。
「甲斐の武田が滅んだ」
「はい、十日程前に報せが届きました。御屋形様にも使者を出して報せております」
甲斐源氏武田が滅んだ。滅ぼしたのは織田、徳川の連合軍三万。驚く事では無い、武田が滅ぶだろうという事は誰もが分かっていた。水害による凶作で国は疲弊しきっていた。兵糧が無く戦える状況では無かったらしい。甲斐領内に引き摺りこんで戦おうとしたようだが集めた兵は離散、信頼様は最後は僅か三百程の兵で織田軍に突撃し討死した。武田の女子供達は躑躅ヶ崎館に火を放って自害したと聞く。
一時は甲斐、信濃に勢力を広げた武田の当主が最後は三百ばかりの兵と共に討死とは……。改めて今は乱世なのだと思った。十代の半ば過ぎまで武田家に居た。だが武田の滅亡を聞いても思った程衝撃は無かった。むしろ昨年末に紀伊の畠山が国を捨てて逃げ出したと聞いた時の方が驚きが大きかった。自分は朽木の家臣に十分に染まったのであろう。
「信頼様は相模の北条を頼る事無く甲斐で最後を遂げられたらしい。織田による武田の残党狩りは厳しいようだ。武田の一門だけではない、家臣達も主だった者は探し出されて殺されている。惨い物よ」
「織田は武田を恨んでいる、御屋形様がそう仰られていました」
叔父上が頷いた。
「信玄公の御息女、松姫様、菊姫様の事を覚えているか?」
「御名前だけなら」
「そうだな、儂も名前だけだ。その御二方が伊勢に居られる」
「伊勢に? 死んだと聞いておりますぞ、まさかとは思いますが……」
叔父が頷いた。
「そのまさかだ。朽木家の庇護を受けたいと我らを頼ってきた」
「なんと……」
「事実だ」
叔父がまた頷いた。男では逃げるのは難しい、女の方が武田の血を残し易いと思ったか。
「しかし朽木家は武田家にとって不倶戴天の仇でございましょう。信玄公の御最後は御屋形様を酷く恨んだものだったと聞いております」
「儂もそう聞いている。しかしな、源五郎」
叔父が顔を寄せてきた。
「小田原の北条は頼りにならぬ。かつての勢威を取り戻す事は出来まい。北条を頼っては武田の再興は叶わぬ。そうではないか?」
「かもしれませぬが……」
気が付けば小声で話していた。確かにそうだ。小田原なら身は守れるかもしれぬが武田の再興は難しい。
「それに朽木家は信濃の者達を積極的に迎え入れておる。皆武田に与した者達じゃ。御屋形様には武田に対して隔意は無い」
「……」
「そう考えると松姫様、菊姫様が朽木家を頼るのはごく自然な事であろう。我らが驚くのがむしろおかしい」
そうかもしれぬ。朽木家には武田に縁のある者が多い。それを考えれば朽木を頼るのは当然か。
「兄上は何と?」
「殿は是非受け入れられるべきだと」
「……」
叔父は源太郎兄を俺の前でも殿と呼ぶ。叔父では有るが一家臣という姿勢を崩そうとはしない。そして俺と徳次郎兄は呼び捨てだ。しかし受け入れろと言うが織田との関係も有る。上杉も如何思うか……。簡単ではない。だが朽木が見捨てれば松姫様、菊姫様の将来の見通しは暗い。真田は武田に拾われた事で世に出る事が出来た……。
「源五郎、織田による武田の残党狩りは厳しい。武田の遺臣は甲斐から逃げ出している。御屋形様が松姫様、菊姫様を受け入れればその者達も朽木家を頼って来る筈だ」
「なるほど」
織田、上杉に遠慮するよりも朽木家の力を強化する方が上策か。
「分かりました、某から御重臣方に話しましょう。京の御屋形様にも報せを出します。御屋形様の御許しを得たら叔父上に使者を出します。お二人を此処へ御連れ下さい」
「分かった、頼むぞ」
そう言うと叔父が立ち上がった。そして壺を指差して“良い壺だな、和む”と言って笑った。そう、良い壺だ、和む。
元亀五年(1577年) 二月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 武田 松
「武田大膳大夫晴信が娘、松にございます」
「菊にございます」
私と菊が名を名乗ると上段に座っている方が微かに頷いた。歳は二十代半ばから後半、顔形、姿形に特徴は無い。ごく普通の若い男性。この方が朽木左中将様? 訝しんでいるとその方が口を開いた。
「朽木基綱にござる。此度は兄君信頼殿の事、真に御気の毒でござった。心からお悔やみ申す」
「御丁寧な御言葉、有難うございます」
落ち着いた優しげな声だった。根切りをするような荒々しい方の声には思えない。
「真田より話は聞いております。御苦労されましたな、乱世とはいえ清和源氏の名門武田家があのような事になるとは……。真、乱世とは無情なものにござる」
本当にそう思う。私が物心ついた時にはもう武田家は下り坂であった。武田が信濃を統一する直前まで行ったという事の方が信じられない。
部屋には左中将様の他に初老の重臣が二人、そして真田源太郎、源五郎の兄弟が居るだけだった。他に家臣が居ないのは私達に惨めな思いをさせまいとしての事だろうか? 真田源太郎の話では左中将様はお優しい方、お気遣いをされる方だという事であったが……。
「これからはこの基綱がお二人の後見を務めましょう。心配は要りませぬぞ、遠慮も要らぬ。この城を武田の城と思って御過ごしなされよ。後々の事はゆっくりと相談致しましょう」
「有難うございまする、御世話になりまする」
左中将様の前を下がると真田の兄弟が部屋に案内してくれた。
「こちらの部屋が松姫様の御部屋になります。この隣りの部屋が菊姫様の御部屋です。後程御案内致しますがこの部屋がもう一つ有ると御考えください」
「有難うございます、源五郎殿」
妹が礼を言うと源五郎が恐縮したように頭を下げた。かつての主家の娘に礼を言われるのは複雑なのかもしれない。
「本当にそなた達には感謝しております。何と礼を言ったらよいか……」
「とんでもございませぬ。今は朽木家に仕えておりますが武田家の恩を忘れたわけでは有りませぬ。中の兄が今播磨に居りまする。いずれ戻りましたら御挨拶に参上いたしましょう」
かつて武田家に仕え今は朽木家に仕えている者は数多くいる。その中でも真田、芦田の一族は左中将様の信頼が厚いらしい。
「月の変わらぬうちに我ら兄弟の母がお二人にお仕えするために参りまする」
「まあ、ですが」
「本人がお仕えしたいと申しております。御屋形様もその方が心強かろうと御許し下されました。御遠慮はなされますな」
「有難うございます、源太郎殿」
礼を言うと源太郎も恐縮したように頭を下げた。取り敢えずは安全だと思う。でもこれからどうなるのか、武田家の再興は……。中将様におすがりするしかないのだけれどあのお方は如何お考えなのだろう……。
元亀五年(1577年) 二月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「如何でしたか、武田の姫達は」
「さあ、分かりませぬ。ですが悪い方達では無いように見受けました」
「そうですか」
武田の松姫、菊姫が部屋を下がると直ぐに綾ママがやってきた。ニコニコしているから俺が武田の娘達を受け入れたのが嬉しいらしい。
「そなたの側室にするのですか?」
「そんな事はしません」
「まあ」
「母上、お忘れかもしれませぬがあの二人は武田信玄の娘なのですぞ。某を恨みながら死んだ信玄の娘なのです。側室になどしたら寝首を掻かれかねませぬ」
「そなたが武田家を再興すると約束すればそんな事はしないでしょう」
綾ママは不満そうだ。なんだかなあ、最近やたらと俺に側室を薦めるんだよな。如何いう訳なのかな? もしかすると名門武田の娘を側室にするとかいうのが嬉しいのかな? でも姉妹で側室とかちょっと変だろう。それに辰を側室にしたんだ、当分新たな側室の必要は無い。次は二年後に篠だ、それで終わりだな。
武田の娘を側室にしないのは他にも理由が有る。朽木家は武田に関わりの有る家臣が多い。これからも増えるだろう。武田の血を引く子供はちょっと危険だ。それを中心に閥が出来かねん。竹若丸がもう直ぐ元服だから心配ないとも言えるがわざわざ危険を冒す必要は無い。
「大方様、御屋形様の仰られる通りでございます。乱世なれば万に一つの油断も許されませぬ。そして御世継ぎの竹若丸様は幼いのです。某も賛成は出来ませぬ」
良いぞ、下野守。綾ママも不満そうだったが反論はせずに自分の部屋に戻った。そうだよな、万に一つも油断は許されない。それは今だけじゃない、未来もだ。あの二人を側室にするなど論外だ。
「助かったぞ、下野守」
下野守が困ったように笑った。
「左程の事はしておりませぬ。それより御屋形様、此度の事如何思われます」
「国替えの事か?」
俺が問うと下野守と重蔵が頷いた。やはり気になるか、そうだよな、俺も気になる。
武田が滅び甲斐が織田領になった。武田の残党狩りが一段落すると織田は徳川に甲斐への国替えを打診した。徳川の領地は西三河半国、ざっと十五万石ほどだろう。それを甲斐一国に信濃の諏訪郡を付けての交換だ。交換すれば大体二十五万石にはなる。多少水害の被害が有るが十万石の加増だ。それに金山も有る。何より織田家に囲まれていない、つまり自力で大きくなれる可能性が有るのだ、これは大きい。
これまで働いた事への恩賞というわけだ。家康は信長の義弟でも有る。それなりの配慮をしたという事だろう。勿論家康はそれを受け入れている。その事を言うと重蔵と下野守が頷きながらも妙な表情をした。完全には納得していない、多分不審な点が有るのだろう。そうだよな、俺も同感だ。一見優遇しているように見えるがこいつは如何も胡散臭い。多分碌でもない裏が有ると俺は思っている。