父の背中
元亀四年(1576年) 十一月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
如何したものかな。状況は極めて俺に不利だ。包囲網は徐々に迫りつつある。このまま黙って包囲されるのを待つのは愚策だろう。しかし困った事に反撃する手段が無い。打開策が無いのだ。そして相手は味方が多くそのいずれもが手強い。悩んでいると加藤孫六の姿が見えた。こいつもそろそろ元服させないと。藤孝の息子の事も考えてやらないといかん。年が明けたら一緒に元服という事にするか……。
そう、問題は年が明けたらだ……。年が明けたら決断しなければならん。辰を如何するか……。困った事は本人もその気だという事だ。最近は俺の顔を見ると恥ずかしそうに頬を染めたりする。実家が無いし頼りになる家臣も居ない。やはり他家に嫁に行くのは不安らしい。それなら此処で俺の側室の方が安心というわけだ。世継ぎ争いも起きそうにないし家を再興するなら俺は一番都合が良い。いかんな、ついつい壺を磨く手が止まりがちだ。
年が明けたら京に行かねばならんな。権典侍が男皇子を産んだ。名前は康仁。百日の祝いをしなければならんし内親王宣下を受けた永尊内親王の降嫁の話も進めなければ。それに伊勢兵庫頭から領地の事を聞かないと……。頭の痛い問題が目白押しだな。孫六が近付いて来た。
「御屋形様」
「如何した、孫六」
「尼子孫四郎様、山中鹿介様が御目にかかりたいと」
「うむ、通してくれ」
壺と布を横に置くと直ぐに二人の男が部屋に入って来た。一人は華奢な若い兄ちゃんでもう一人は少し年上のごつい兄ちゃんだ。華奢な兄ちゃんの後ろにごつい兄ちゃんが座った。
「尼子孫四郎にございまする。本日は御屋形様に御願いの儀が有り、御前に罷り越しました」
透き通るような声だ、元は坊主だからな、声が通るわ。
「うむ、何かな」
大体何を言い出すかの想像は着く。しかしこの男、やはり武士よりも坊主向きだな。この男に経を読んで貰ったらどんな女でも忽ちメロメロだろう。女達の間で坊主争奪戦が起きるに違いない。そう考えると還俗して正解かな。
「なにとぞ、毛利攻めに於いては我らに先鋒を賜りたく、つきましては播磨へ赴く事の御許しを伏してお願い致しまする」
孫四郎が平伏すると鹿介も平伏した。尼子って切なさと悲壮感の混じった変なオーラに包まれているんだよな。でも不幸な感じとか惨めさは無い。なんか日本人好みのオーラに包まれているんだ。頼られたら何とか助けてやりたいと思うわ。
「焦られるな。年が明け紀伊の畠山を滅ぼした後で毛利攻めに入る。その時は大いに働いてもらう。それまではゆるりとされるが良い」
「しかし我ら山陰には地の利がございます。兵をお借り出来れば但馬から因幡、伯耆へと進み御屋形様の御力になりたいと」
うん、その切迫感と悲壮感が良い。日本人好みだよ。でも駄目。
「孫四郎殿、毛利を甘く見てはいかん。それと尼子の名を軽く見てもいかん」
「尼子の名、でございますか?」
孫四郎がちょっと訝しげな表情を見せた。こいつ、幼少時に京の寺に預けられて坊主になったからな。今一つ尼子のネームバリューが分かっていないところが有る。
「そうだ、尼子はかつて山陰、山陽に大きく威を張った。その事を覚えている者は多い。今お主達尼子の一党が朽木の援助を受けて播磨に入ればどうなるか? 忽ち山陰、山陽は揺れるだろう。そして毛利はそれを許すほど甘くは無い。必ずその者達を潰しお主達を危険と見てどのような手段を使おうと潰しにかかる。俺ならそうする」
孫四郎と鹿介が曖昧な表情をしている。或る意味において俺は尼子を高く評価しているからな、反駁しにくいのだろう。
「だからな、今はお主らを播磨には行かせられぬ。先程も言ったが年が明け畠山を潰した後に播磨に向かう。備前を攻めつつ但馬、因幡にも兵を出す事になろう」
「ではその時に」
鹿介が興奮したように問い掛けてきた。敢えて笑い声を上げた。気を逸らさないと。
「御自重、御自重。そこではまだ浅い、もう少し深く入らないと。伯耆に入ったら大いに働いて貰う。伯耆、そしてその先の出雲、石見は尼子が大いに威を振るったところ。お主達が伯耆に入れば毛利に見切りを付け味方に付く者達も増えよう。特に出雲に迫るにつれて味方に付く者が増える筈だ。違うかな?」
「多くの者が味方になると思いまする」
孫四郎が答えた。そうであって欲しいよ。
「そうであろう。その時になって毛利が慌ててももう遅い。山陰に兵を回せば山陽が手薄になる。毛利は身動きが取れなくなる。だからな、それまではゆるりとされるが良い。宜しいな?」
二人が一礼して下がった。厄介者とは思っていない、戦力として期待されている。それに毛利攻略の一端を教えて貰った。そう思ったのだろう。二人とも表情に暗さは無かった。
尼子って勢威が強大な時はあんまり良いイメージが無い。毛利を苛めたりして結構悪辣な感じで滅んでも仕方ないんじゃない、そんな感じがする。でも滅んだあとの復興運動は結構感動物なんだよ。尼子孫四郎勝久も可哀想だけれど山中鹿介が良いんだ。戦国一のマゾ男、山中鹿介! 我に七難八苦を与えたまえとか、もうマゾヒストの極致だな。しかしこのまま尼子家を再興させて良いのかな? 幸せな尼子一党ってちょっと想像が付かん。ほのぼのした雰囲気が似合わない様な気がするんだが……。
史実では尼子の残党はかなり頻繁に復興運動を行っていて今頃は秀吉の中国攻めで活躍している頃なんだがこの世界では殆ど活躍していない。多分信長の上洛が無く三好と朽木の睨み合いが続いた所為だろう。尼子は三好を頼った所為で中国方面、特に山陰方面に兵を出す事が許されなかった。それだけにやきもきしているのだろうが焦りは禁物だ。尼子は戦闘で擂り潰すよりも山陰の調略担当官のような役割で使った方が良い様な気もするな。その方が毛利にとっては嫌な存在だろう。
備前から備中、美作。但馬から因幡。山陽道と山陰道の二正面作戦を採る。山陽道も山陰道も毛利次第だ。山陽道は毛利がどれだけ宇喜多を助けるために力を出すかそれで決まる。いや、正確には何処まで宇喜多を信じて周囲から庇うかだな。史実では毛利は宇喜多を信じきれなかった。もっとも宇喜多は今頃疑心暗鬼の塊だろう。八門が宇喜多直家を追い詰める噂を流している。
“宇喜多が味方になっては備中、美作の国人衆がそっぽを向く。朽木はそれを嫌がっている。だから宇喜多の降伏を認めようとしない。直家さえいなければ朽木は備前の国人衆に酷い事はするまい”
“このまま宇喜多直家に付いていては家臣達も酷い目に遭うだろう。英賀の様に根切りにあうかもしれない”
“毛利も宇喜多を持て余している。備中、美作の国人衆を抑えるには宇喜多が邪魔だと思っている”
この状況で宇喜多は何処まで毛利を信じられるか。俺が宇喜多を受け入れない以上毛利を信じきるしかないんだが……、難しいよな。多分、混乱するだろう。
毛利にとっては山陰道も山陽道同様に問題が多い。但馬、因幡は山名氏が治めている。但馬は山名右衛門佐堯熙が当主として領しているが実権は隠居した山名右衛門督祐豊、今は出家して宗詮と名乗っている父親が握っている。
そして因幡はと言うとこちらは山名右衛門督祐豊の弟、山名兵庫頭豊弘が治めている。もっとも兵庫頭豊弘に実権は無い。家臣の武田三河守高信が実権を握っている。そして但馬の山名右衛門督祐豊、右衛門佐堯熙とは敵対関係に有る。何と言っても武田三河守は兵庫頭豊弘を傀儡にして山名右衛門督から因幡を奪い取ったのだ。仲が良い筈が無い。
この武田三河守、因幡の土着の国人領主では無い。元は若狭の武田氏の庶流らしい。父親の代に因幡に流れて来て山名氏に仕えたそうだ。流れ者が実権を握る、当然だが国人領主達の反発は酷い。単独では抑えられない。武田三河守の後ろ盾は毛利だ。つまり因幡は毛利の支配下とは言わないが影響下に有るのは間違いない。まあ但馬と因幡は睨み合う関係だ。毛利をバックに付けた因幡は攻められない但馬と足元が固まらないため但馬に攻め込めない因幡、そういう関係になる。両国とも付け込む隙は大有りだ、八門に工作をさせているがさて、如何なるか……。
紀伊の畠山は年内には安芸の毛利に逃げるだろう。味方は誰も居ないからな。八門の報せでは畠山高政は逃げ支度に忙しいらしい。重代の家宝を一生懸命荷造りしているそうだ。奴が逃げた後に紀州に兵を送り接収する。その方が無駄に兵を損なう事も無いし畠山は朽木に恐れを成して逃げたという評判が立つ。事実上畠山氏は滅亡だ。畿内はそれで一段落する。
もう一つ、滅亡を迎えている家が有る。甲斐の武田だ。今年は冷夏だった。九州、中国は平年並みに米が獲れた。畿内、東海、北陸から越後は多少不作だろう。関東、奥州はやや凶作だ。問題は甲斐だ。ここは水害が酷くてとんでもない事になった。信玄が始めた治水工事は途中で打ち切られていたからな、それの影響が出ていたらしい。餓死者も出ているという報告も有る。
当然だが織田がそれを見逃す事は無い。信長は今戦の準備をしている。おそらく月が変われば出兵だろう。武田は北条に応援を求めるのだろうが関東も凶作なのだ。とてもではないが応援する様な余裕は有るまい。むしろ小田原城の防備を固めるので精一杯だろう。甲斐の武田が滅べば次は自分なのだ。早ければ年内、遅くとも来年一月の中旬までには片が付く筈だ。
厄介なのは九州だろう。日向の伊東がそろそろ危ない。島津の攻勢の前にボロボロだ。味方が救援を求めても見殺しにするような状況が発生している。家臣を見殺しにするようになったら御終いだ。多分、伊東はここ一、二年で滅ぶだろう。そうなれば大友は島津と国境を接する事になる。毛利、島津、龍造寺の三強に囲まれるわけだ、大ピンチだな。如何なる事か……。
元亀四年(1576年) 十二月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木 雪乃
そろそろ申の刻かという頃に御屋形様が私の部屋にお見えになった。珍しい事、普段は暦の間で御仕事か休息を入れるにしても自室に戻られる事が多いのに。
「如何なされました?」
「一息入れようと思ってな。そなたに伝えたい事も有る」
「まあ、何でございましょう」
御屋形様に焙じ茶をお出しすると一口飲んでホウッと息を吐かれました。
「万千代は如何かな」
「今は眠っております」
「そうか、初めての男の子故思い入れが有ろうが入れ込み過ぎるなよ。万千代にとってはそなたの思い入れが重荷になる。伸びやかに育てよ」
「はい」
御屋形様が“うむ”と頷かれました。御屋形様は余り子育てについて口は出しません。でも無関心というわけでは有りません。さり気無く気を配っておいでです。
「何かございましたか?」
「竹若丸がな、そろそろ初陣をと願ってきた」
「まあ、初陣を」
「うむ、年が明ければ数えで十二歳だ。俺は十一の時に初陣だった。遅れは取りたくない、そう思っている様だ。頻りに俺の初陣は十一の時だったと言い募ったからな」
御屋形様がまた一口お茶を口に運ばれました。
「御許しになるのですか?」
御屋形様が首を横に御振りになられます。
「分からん。俺の初陣は敵が攻めて来たから已むを得ずの物だった。俺と張り合う必要は無いのだ。決めていたわけでは無いが初陣は元服後で良いと思っていた」
「元服後でございますか」
問い掛けると“うむ”と頷かれました。だとすると竹若丸様の初陣は十五歳前後を考えておられたのでしょう。今直ぐの初陣は少し早いと思っておいでのようです。
「傅役の半兵衛、新太郎も早いと諌めた様だが聞かなかったようだ。どうも俺と比べている様だな。小夜に俺と比べているのかと聞いたのだがそういう事はしていないらしい」
御屋形様が大きく息を吐かれました。
「御屋形様、竹若丸様に限らず男の子というのは父親を意識せざるを得ぬのではございませぬか?」
「そうかもしれぬ。だが俺は俺、竹若丸は竹若丸、別な人間なのだ。俺の真似をする必要は無い。無理に押さえ付けても良いのだがそれでは竹若丸の心が歪みかねん。如何したものか……」
また大きく息を吐かれました。大分悩んでおられます。
「竹若丸様は御寂しいのかもしれませぬ」
「寂しい?」
御屋形様が私を見ました。
「俺は確かに良い父親ではないかもしれぬ。だが子供達を差別はせぬし皆大切に思っている。その事は以前に話した筈だ。竹若丸も納得した筈」
思わず首を振っていました。
「そうではございませぬ。竹若丸様は御屋形様に少しでも追い付きたいと御思いなのでございましょう。ですが御屋形様は先へ先へと行ってしまわれる。ドンドンと大きくなってしまわれる。寂しいとはそういう事でございます」
「……俺は大きいのかな?」
御屋形様が情けなさそうに問い掛けてこられたので笑い声が出てしまいました。
「大きゅうございます。私が初めてお会いした時は近江、越前、加賀、若狭の御殿様でございました。あの時でも大きゅうございましたのに今ではもっと大きゅうございます。それに公方様に代わって京を治めておられる。竹若丸様にとっては御屋形様に置いて行かれてしまうような寂しさが有るのかもしれません」
御屋形様が大きく息を吐きました。
「……楽に生きているのではないのだがな」
「分かっております。でもそれが分かる程には竹若丸様は大人ではないのです」
「困ったものだ。何の心配もせずに生きられるのは今だけだと言うのに。元服すれば嫌でも現実に向かい合わなければならん。逃げる事も出来ん……」
「御見せなさりますか?」
御屋形様が私をじっと見ました。非難されるかと思いましたが御屋形様はホウッと息を吐かれました。
「そうだな、評定に参加させよう。但し、発言する事は認めぬ。分からぬ事は評定の後で俺か傅役の半兵衛、新太郎に聞けば良い。それと初陣もまだ先だ」
「……」
「当主の仕事は戦だけではないという事を教えよう。元服までにまだまだ学んで貰わねばならん」
御屋形様が万千代に入れ込むなと仰られたわけが分かりました。万千代を伸びやかに育てよと言われるわけも。御屋形様の子として産まれるのは決して楽な事では無いという事でしょう。男であれ女であれ。
「雪乃、来年の春だが竹に会えるぞ」
「まあ」
「先程、上杉から使者が来てな。上杉弾正少弼殿が来年上洛する。官位を頂いたからな、その御礼言上に来るそうだ。その時、竹も同行すると言っていた。俺も上洛する、そなたも行こう」
先程までとは違う、御屋形様の顔に笑顔が有りました。
「はい、楽しみですわ。竹は元気なのでしょうか?」
「元気そうだ、最近は直江津の湊に頻りに行きたがるらしい。何かを欲しがるわけでは無いが湊の賑わいが楽しいらしいな」
「御屋形様に似ておいでです」
「そうかな、好奇心が旺盛な所はそなたに似ていると思うが」
二人で声を揃えて笑いました。竹は間違いなく私と御屋形様の娘のようです。
元亀五年(1577年) 一月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
槇島城は宇治川の本流と支流に挟まれた中州を利用して築かれた城で宇治川の渡河点にも当たる軍事上の要衝だ。元々は真木島玄蕃頭昭光の城だったんだが昨年の騒動で義昭に味方して毛利へと去った。その後は朽木が接収した。京における俺の本拠地にしようと考えている。史実では義昭が挙兵した城でなかなか堅固な城だ。或る程度の兵を置いて此処に居れば本能寺の変のような事は無いだろう。
「三節会も無事終わった。公卿の方々も御喜びであった。兵庫頭、色々と大変であったろう、御苦労であったな」
俺が労うと伊勢兵庫頭が深々と頭を下げた。
「畏れ入りまする。御役に立てて幸いにございまする」
「戦乱で朝廷も困窮した。その所為で三節会も細々と行うのが精一杯だったようだ。たかが儀式、政とは縁の無い儀式とも言えるが一度失われてしまえば復活させるのは容易ではない。守らねばならんと思う。これからも色々と頼む事になる。頼むぞ」
「はっ、精一杯努めまする」
「次は百日の祝い、その後は内親王様の御降嫁だ」
「はっ、百日の祝いの準備は問題ありませぬ。ですが内親王様の御降嫁につきましては……」
兵庫頭が口を濁した。無理もない、降嫁先は西園寺実益。今回の除目で権大納言に昇進している。年齢は数えで十八歳、ちょっと有り得ないスピード出世なのだ。母親が帝と深く繋がる万里小路の娘という事が大きく関わっているだろう。
降嫁問題を扱うとなれば飛鳥井、西園寺、万里小路と話をせねばならん。幕府は事実上無くなった。今の伊勢は幕府の後ろ盾が無い。そして朽木との繋がりは何処まで強固なのか、皆が疑問に思っているだろう。この状況で伊勢が降嫁問題を扱うのは少々荷が重いというわけだ。さて、俺はこいつを何とかせねばならん。