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朝廷の庇護者



元亀四年(1576年)    九月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木小夜




私の寝所に見えられた御屋形様は幾分お疲れの様だった。

「御屋形様、今日は申し訳ありませんでした。折角の御祝いを」

竹若丸の非礼を詫びると御屋形様は笑い出した。

「そなたが謝る事ではない。竹若丸には宴の席で守らねばならぬ礼儀を教えたと思えば良い。それに何故松千代に主殿を付けたのか、竹若丸が疑問を持つのは道理だ。きちんと説明したからその理由も分かったであろう。竹若丸を責めるには及ばぬ」


「ですが御疲れだったのでは有りませぬか? さぞかし御不快だったのではないかと」

御屋形様が困った様な御顔をされた。

「小夜は気の回し過ぎだ。確かに疲れてはいたが不快ではない。むしろ竹若丸ときちんと話せた事は良かったと思っている。俺はどうしても外に出ざるを得ぬ。その分だけ子供らの事が疎かになる。こういう事は拗らせると大変な事になるのだ。そなたも観音寺崩れの事は覚えていよう。朽木であのような事を引き起こしてはならぬからな」

「それはそうでございますが……」


私が納得していないと見たのかもしれない。御屋形様が言葉を続けた。

「実はな、小夜。悩んでいる事は別にある。或る家から百合を嫁に欲しいと言われている」

「百合を? ですが百合は……」

御屋形様が頷かれた。

「生まれたばかりだ。だが相手も左程に歳は変わらぬ。纏まれば似合いの夫婦であろう、十五年後、二十年後にはな」

「十五年後? 二十年後?」

二親(ふたおや)を失ったばかりでな、朽木の庇護を必要としている」

二親? では……。


「三好様の?」

私が念のために確認すると御屋形様が一つ息を吐いた。

「そうだ。霜台殿から内々に申し込まれた」

「……断る事が出来ましょうか?」

御屋形様が首を横に振った。

「出来ぬ。それをやれば三好、松永、内藤がぐらつく。畿内がぐらついては毛利との戦いに於いて常に後ろを気にする事になる。彼らを朽木の元にしっかりと繋ぐには百合を出さざるを得ぬ」

竹姫の次は百合を……。御屋形様が鬱屈されるのも無理は無い……。


「そんな顔をするな、小夜。上杉と三好は違う、河内は畿内に有る、朽木の勢力範囲に有るのだ。婚約を整えておけば百合を直ぐに嫁がせる必要は有るまい。或いは式を挙げてこちらで預かるという形を取っても良い。実際に百合を河内に送るのは年頃になってからという事になるだろう」

「……」


「舅殿を始め重臣達にも諮らねばならんが反対は有るまい。まあ向こうは今喪中だからな、噂は流れるだろうが正式に公表するのは一周忌を過ぎてからになるだろう」

「……」

「如何した、溜息など吐いて。やはり反対か?」

「いいえ、そうでは有りませぬ。自分の事を考えておりました」

「そなたの事?」

御屋形様が私の顔をじっと見ていた。


「私は御屋形様の元に何の迷いも無く嫁ぎました。六角家では浅井の事が有りましたから如何しても引け目を感じてしまいそこから逃げ出したかったのだと思います。それに御屋形様が私を娶る時に六角家に条件を付けなかったと父に聞きました。嬉しゅうございました、私は納得して御屋形様の元に嫁ぎましたが……」

今度は御屋形様が息を吐かれた。


「そうだな、竹と百合は幼い。これから自らを納得させねばならん」

「ええ」

「だがそなたとて決して順風満帆の人生というわけでは無かったであろう。朽木が大きくなるにつれ六角家と軋轢が生じた。平井の実家(さと)の事では随分と心配したのではないか?」

御屋形様が気遣う様に問い掛けて来た。


「それは心配致しました。ですが御屋形様が気遣ってくれましたから……」

本当にそう思う。御屋形様は私と平井の実家の事を本当に心配してくれた。あの頃の朽木家は周囲に敵を抱えていた。朽木家の事を守るだけでも大変だった筈。如何してあんなにも気遣ってくれたのか……。今にして思えばその十分の一も私は御屋形様を気遣えただろうかと不安になる。


「何故あのように気遣って下さったのです?」

「妙な事を訊く、女房殿の実家を気遣うのは当然であろう」

「左様でしょうか?」

戦国乱世、妻の実家を乗っ取る夫、潰す夫、利用する夫など幾らでも居る、珍しくも無い。だが御屋形様は不思議そうな表情で私を見ている。


「ではそなたを大切に思っているから、愛しく思っているから、そう答えれば納得するか?」

「まあ」

御屋形様が声を上げて笑った。本当のような気もするし父を利用出来ると考えたからとも思える。本当の事を教えて貰おうか? いいえ、今のままで十分、無理に聞く必要は無い……。


「小夜、余り心配するな。どんな決断をしても不安が無くなると言う事は無い。我らに出来る事は何か有った時に必ず力になってやる事、それで良いのではないかな」

「……そうでございますね」

何か有った時に必ず力になってやる事。親に出来る事はそれだけなのかもしれない……。考えていると御屋形様に“小夜”と呼ばれた。


「実はな、鬱屈しているのは他にも理由が有るからだ。今回の叙任は余り嬉しくない」

「まあ」

「朝廷が何を考えているか分かるからな。天下を獲ろうとするなら避けては通れぬが正直に言えば気が重い」

御屋形様が疲れた様に息を吐いている。


「朝廷は足利に代わって朽木に朝廷の庇護者になって欲しいと考えている。その意味が分かるか?」

「はい、御屋形様に武家の棟梁になって欲しいという事でございましょう」

御屋形様が首を横に振った。

「少し違う。朝廷の庇護者というのは朝廷を守り支える者、つまり禁裏御料を守り宮家、公家の所領を守り彼らの日々の生活、生業(なりわい)を支える者を指す。必ずしも武家の棟梁とは限らん」


「鎌倉幕府が滅びてから天下は混乱した。戦乱が続き禁裏御料や宮家、公家の所領は押領される事が多くなった。そんな中で足利氏が京に幕府を開いた。本来京は極めて守り辛い場所だ。幕府を開くのに適しているとは言い難い。だがそれでも京に幕府を開いたのは朝廷をしっかりと手中に収める必要が有ったからだ」

「……」


「南朝の事も有っただろうが有力な守護達を抑えるために朝廷の権威を利用しようとしたのだと思う。朝廷にとっても悪い話では無かった。武家の棟梁を利用する事で武家の横暴を抑えようとした。分かるな?」

「はい」

答えると御屋形様が頷いた。


「そういう流れの中で将軍が公家の所領の安堵を行うようになった」

「まあ、公家もですか? 武家だけではなく?」

御屋形様が“そうだ”と言って頷かれた。

「それによって武家による押領を避けようとしたのだが応仁、文明の乱以降将軍の権威、力は衰え武家による押領が横行した。そなたも宇津の事を憶えていよう。宇津は朝廷の目の前で禁裏御料である小野庄、山国庄を押領したのだ。公家の所領や遠国の所領など一溜りも無く押領されたであろうな」

「そうでございますね」


「朝廷が足利を見限ったのはそれが大きな理由だ。そんな時に俺が現れた。所領も有れば財力も有る、戦も強い。十分に期待出来ると見たのだ。だから朝廷は義昭様ではなく俺を選んだ。そして今回、義昭様は洛中で騒動を起こした。朝廷や公家が一番嫌がる事だ。朝廷は義昭様を征夷大将軍から解任したがっている」

「なんと! 解任なさるのですか?」

御屋形様が首を横に振られた。


「それはせぬようにと俺から頼んだ。解任しても本人が納得するとは思えぬ。不当な処分だと騒ぎ立てるだろうからな。それに義昭様を解任すれば次の征夷大将軍を如何するかという問題が発生する。そうなれば阿波の平島公方家が動きかねぬ。それは避けたい」

「御屋形様が就かれるのではないのですか?」

また御屋形様が首を横に振った。


「朽木は大きくなったが畿内、北陸を制しているだけだ。天下を統一してもいないのに征夷大将軍でもあるまい。却って反発を受けるだけだ」

「……」

「今の世の中は征夷大将軍という名前だけが武家の棟梁を表すものとして独り歩きしている。実が無ければ意味が無いのだ。それを教えるためにもこのままで良い。義昭様が無様な姿を晒せば晒すほど皆も醒めるだろう」

多分、御屋形様が一番醒めている。足利将軍家の事で御屋形様は何度となく不本意な想いをされている。


「話を戻すが朝廷が従三位左近衛中将の官位を寄越したのは足利に代わって禁裏御料を守り公家達の所領を安堵せよ。つまりは暮らしが成り立つようにしてくれという事だ」

思わず溜息が出た。

「天下を獲るなら避けては通れぬが決して有り難い仕事ではない。今伊勢兵庫頭に禁裏御料、宮家領、公家領、門跡領の実態を調べさせている。多分新たに領地を与えねばなるまい。まあ山城を得た事で足利家の直轄地が手に入った。そこから与えようとは考えているが……」

今度は御屋形様が溜息を吐いた。


「天下を獲るというのは大変なのですね」

「そうだ、外から見ているには楽しそうに見えるのかもしれんが実際にやるとなれば気苦労ばかりだ。いずれはこの国を如何治めるかという事も考えねばならん。もう少し楽をしてこの世を過ごそうと思っていたのだが……、上手く行かぬものよ……」




元亀四年(1576年)    十月上旬      安芸国高田郡吉田村  吉田郡山城  毛利元清




「四郎、戻ったか」

声のした方を見ると兄、吉川駿河守元春の姿が見えた。ズンズンと力強く廊下を踏みしめながら近付いて来る。

「次郎兄上、御久しゅうございます」

「ああ、久しいな」

兄に肩をバンと音がするほどに叩かれた。兄の幼名は少輔次郎、自分は少輔四郎。生まれた順番をそれぞれ表している。この兄と名を呼び合う時は“次郎”、“四郎”だ。そしてすぐ上の兄は“(すけ)の兄上”。


「息災の様だな、何よりだ。備中では大層な働きだったと聞いている」

「有難うございます」

「右馬頭様の元に行くのであろう、その前に話せぬか?」

「構いませぬ」

兄が頷くと先に歩き出した。どうやら兄の部屋に行くらしい。

「四郎が備中から戻って来ると聞いたのでな、二日前からこちらに来ている」

「なんと、左様でしたか」


部屋に入り腰を落ち着けると早速兄が話しかけてきた。相変わらずせっかちな。

「備中はどのような状況かな?」

「月が変わるまでには平定出来ましょう」

「そうか、一安心だな」

「とは申せませぬ」

緩みかけた兄の顔が引き締まりじっとこちらを見ている。


「……毛利への反発が強いのだな」

「はい。備中では此度の一件、三村は毛利と宇喜多に嵌められたとの噂が流れております。今は毛利の支配に服しておりますが……」

兄が顔を顰めた。

「やはり八門か?」

「おそらくは」

先ず間違いなく朽木の忍びが動いている。だが忍びの働きが無くても噂は流れただろう。元々火種が有る所を煽ったに過ぎないのだ。噂は簡単には消えまい、そして不満も。備中は毛利にとって厄介な国になりつつある。


「宇喜多は? 動きは有るか?」

「一度備中平定を手伝いたいと申し出が有りましたが断ってからは何も」

「手伝うなど何を考えているか! 宇喜多が備中に兵を出してみろ、備中は蜂の巣を突いた様な騒ぎになるぞ」

兄が膝を叩いた。


「宇喜多とて我らが助力を受け入れるとは思っておりますまい。しかし味方であるという事を伝えなければ、そう思っているのでしょう」

「味方か、フン」

兄が鼻を鳴らした。笑い出しそうになったが慌てて堪えた。

「佐の兄上が申されておりました。三村が朽木に通じていたのは事実のようだが宇喜多が三村を討ったのは毛利の為ではなく朽木への寝返りの為であろうと」

兄が“そうであろうな”と頷いた。


「……おそらく、三村は宇喜多憎しで朽木に付いたのであろう。三村とは同じ陣営に属せぬ、宇喜多はそう思った筈だ。それで殺した。備中が混乱すれば備前を押さえる宇喜多の重要性は増す。朽木に自分を高く売ろうとしたのであろう」

「そうですな、しかし朽木は兵を退きました。宇喜多は当てが外れた」

「あれはわざとだな。日頃の行いが悪いから嫌われたのだ。良い気味だ」

兄がまた“フン”と鼻を鳴らした。思わず吹き出してしまうと兄も笑い出した。


「兄上は御口が悪い」

「宇喜多を褒める奴が居るとも思えぬな」

「まあそうですが」

「で、如何なのだ。後が無い宇喜多は信用出来るか? 左衛門佐は何と?」

兄が身を乗り出してきた。


「無条件に信用は出来ぬ。佐の兄上はそう御考えのようです。某もそう思います」

「その方等は優しいな。俺なら無条件に信用せぬというところだ」

「またそのような事を」

「フン」

駄目だ、笑いが止まらぬ。


「他には?」

「気になる事が一つ、三好の元に居た尼子の残党が朽木に仕えました」

「真か!」

兄が目を剥いている。

「近江中将は彼らに二万石の禄を与えたようです」

「うーむ」

兄が腕を組んで唸った。


「では儂の方に来るか?」

「かもしれませぬ。山名は女達を毛利へと渡しましたからな。朽木は山名と毛利が通じていると判断したやもしれませぬ。山名との連絡を密にする必要が有るだろうと。佐の兄上から次郎兄上にお伝えせよと命じられています」

「分かった。……とうとう山陰にも来るか……」

普段なら“叩き潰してやる”等と威勢の良い言葉が出るのだが兄は宙を見据えている。容易ならん相手、そう思い定めているのであろう。


「ところで、公方様は?」

問い掛けると兄が顔を顰めた。

「意気軒昂だな。自分を押し立てて京へ上洛すれば向かうところ敵無し、そんな事を言っておる」

「……」


「三好左京大夫を殺してしまっては利用価値など半分も有るまい。畿内には畠山が居るが先は見えている。朽木のために畿内で騒乱を起こしたようなものだ」

兄の口調は苦みを帯びている。全く同感だ、何もせずに畿内で不満分子として存在してくれた方がまだ利用価値が有った。朽木の兵力を多少は引き付けられた筈。そしていざという時に起つ! そうであれば朽木を慌てさせられた……。


「やはり畠山はいけませぬか?」

兄が頷いた。

「味方が集まらぬようだ」

「雑賀も? 顕如上人が声をかけた筈ですが」

兄が力無く首を横に振った。

「一度朽木の水軍に手酷く痛めつけられたからな。おまけに今は四国の三好も朽木に付いている。そして堺は朽木領だ。この状況で顕如上人の声に応えて畠山に味方すれば兵糧攻めから根切りだろう」

思わず溜息が出た。朽木は本願寺に味方する者は決して許さない。播磨の英賀は女子供まで皆殺しにされた。


「公方様も頼りにならぬが顕如上人も当てには出来ぬ。朽木は本願寺と対立しているが浄土の教えを否定しているわけでは無い。かつて敵対した長島の者達でさえ朽木の法を守ると誓えば受け入れられている。英賀の様に根切りに遭うか、長島の様に朽木の下で浄土の教えを信じるか。雑賀は朽木の下で浄土の教えを信じる道を選んだようだ」

また溜息が出た。兄が低く笑い声を上げた。


「兄上?」

「済まぬな、笑う時ではないのだがつい可笑しくてな。味方は頼りにならず役に立たぬ者ばかり毛利には集まると思ったのよ」

「それは……」

確かに役にたたぬ者ばかり集まる。二人で顔を見合わせ笑った。一頻り笑うと部屋には寒々とした空気が漂った。


「公方様は備後の鞆に移る事を御考えの様だ」

「鞆?」

兄が頷いた。

「鞆はかつて足利尊氏公が新田義貞追討の院宣を受けた場所らしい。足利義稙公も大内氏の支援を受けて京都復帰を果たした時に鞆に滞在した事が有るとか。要するに鞆は足利家にとっては吉兆の地らしいな。公方様もそれに倣いたいという事の様だ」


「縁起担ぎですか、それならもっと良い場所が有りましょう」

「ほう、何処だ?」

「朽木」

「朽木?」

「何人もの公方様が朽木に逃げ込み朽木から京に戻られた筈。朽木こそ足利家にとっては吉兆の地でありましょう」

兄が笑い出した。“酷い奴だ”と言って笑う。自分も一緒になって笑った。




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― 新着の感想 ―
敵対勢力の本陣が一番縁起が良い場所… とんでもない皮肉だけどまさにその通りですね。
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