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畿内制圧


元亀四年(1576年)   六月中旬      山城国葛野郡  近衛前久邸  

朽木基綱




「ほほほ、では公方も和歌を詠んだか」

「はっ」

「ほほほほほほ、武家の棟梁ともあろう者が意気地が無いのう。断れば面白いものを」

関白殿下は上機嫌だ。従弟が涙目になっているのが嬉しいらしい。でもねえ、断られても困るんだよ。冗談抜きで御所巻になる。将軍殺しなんて俺はやりたくない。


「已むを得ぬ事でございます。公方様には兵力が無い。それに兄君、義輝公が亡くなられた事を思えば意地は張れませぬ」

「そうよのう」

笑いを収めて関白殿下が頷いた。義輝を助けようとして助けられなかった。その事を思い出したのかもしれない。その所為で義昭には三好に通じたと疑われ朽木に亡命した。


義昭から和歌を貰った。ついでに関東管領職を如何するかは謙信に一任するとの書状も貰った。完全勝利だな。戦争準備を整え義昭に対して和歌を要求してから京へ向かった。兵数は四万、名目は竹の護衛だ。そして三好、松永、内藤も兵を率いて入京した。当然誰も竹の護衛なんて言葉は信じない。でもそれで良いんだ。兵を向けられるかもしれない、三好、松永、内藤も同調している。その恐怖が相手に譲歩を強いらせる。


義昭には兵力が無い。室町第を包囲されれば逃れる術は無いのだ。だが京から逃げるだけの覚悟もつかない。朽木軍が京に入った時点でもう為す術は無かった。義昭の近臣達も命は惜しい。普段は勇ましい事を言ってはいても死にたいとは思っていない。連中は将軍の権威の下で影響力を振るいたいだけだ。俺に対して不満を漏らすのは俺が居ては勢威を振るえぬからだ。


細川藤孝が和歌と関東管領職継承についての一任の書状を渡そうと言った時、真木島玄蕃頭、摂津中務大輔、上野中務少輔等が反対したらしいが公方様の身が危険になっても良いのかと言われて口を噤んだそうだ。義昭の身が危険になるという事は自分達の命も危ういと言う事だ。結局俺は和歌を求めただけで後は向こうが勝手にあたふたして事が済んだ。周囲はそういう風に見ている。そして義昭の事を腰抜けと蔑む人間が増えた。悪くないな。


「来月には従五位下、弾正少弼に補任される。これで上杉も落ち着こう。麿としても養女(むすめ)を嫁がせる以上、混乱されるのは困るからの」

関白殿下は竹が気に入った様だ。昔、朽木に亡命していた時に面識は有った。だが幼かったから竹は自分の事を覚えていないと殿下は思っていたらしい。だが竹は殿下を覚えていた。


但し関白殿下として覚えていたわけでは無い。兄である竹若丸の御友達の明丸の父親、そういう覚え方だった。会って第一声が“明丸様の御父上様!”だからな。だが殿下はむしろその覚え方に好意を持ったらしい。いかにも子供らしいと思ったようだ。養子縁組は無事に済んだ。


「後は喜平次殿次第でございましょう。己の器量才覚を周囲に認めさせ上杉の当主に相応しい人間である事を皆に証明しなければなりませぬ」

「武家は厳しいのう」

殿下が嘆息を漏らした。

「已むを得ませぬ。乱世なれば頼りにならぬ主君を持つ事は出来ぬのです。皆が強い主君を求めております。上に立つ者は常に試されているのです」

それが乱世の掟だ。


上杉だけじゃない、足利も同様だ。常に試されている。だが結局のところ武力を持つ者には敵わない。その言う事に従わざるを得ない。逆らえば京から追い払われる、命を失う事も有る。義昭だけじゃない、ここ数代足利将軍はそういう存在だった。だから足利の力は低下し続けている。力が無い所は朝廷に似ていると言えるが違いが有るとすれば朝廷は権力を求めようとしないが足利将軍は権力を求めるというところだ。


懲りていないのだな。権力を求める事の怖さを知ろうとしない。朝廷は建武の新政から南北朝の動乱で嫌というほど権力を求める事の怖さを知った。公家は勿論だが後醍醐天皇の息子も何人も殺されたのだ。だから権力は求めない、だから権力者に自分の持つ権威を利用させる事で存在価値を認めさせようとする道を選んだ。根性無しと蔑めるだろうか? そうは思えない、武力が無い以上強かで正しい選択だろう。


義昭は如何かな? 同じ生き方が出来るか? ま、無理だろうな。毛利を頼んで動くに違いない。そろそろ追い払う時期だな。

「畠山は如何出るかのう」

「三好、松永、内藤は以後は朽木の配下に入り朽木の陣触れにより軍を動かす事を誓いました。畠山が和歌を寄越さぬと言うなら彼らを先鋒にして攻め潰します」

「ほほほほほ、怖いのう」

関白殿下が扇で口元を隠した。その流し目は止めて欲しいな。俺に色仕掛けは無意味だぞ。


「これまでが甘かったと思っておりますが」

「娘を嫁に出す事でその甘さが消えたか」

殿下が覗き込むように俺を見た。

「……」

無言でいると関白殿下がまた“ほほほほほほ”と笑い声を上げた。そうかもしれないな。そうする事で何処かで竹に詫びているのかもしれない。いや詫びているんじゃない、自分を正当化しているのか……。


和歌を寄越さない畠山を攻めると言うと当然だが三好、松永、内藤が止めた。自分達が畠山を説得するから時間が欲しいと。その方がこちらも有りがたい、紀伊攻めなんて本心を言えばやりたくないんだ。だが降伏したと形にする必要が有る。だから条件を付けた。六月一杯、畠山修理亮自ら和歌を持参する事、随行する兵は百人まで。命の保証はしない、和歌が気に入らなければ首を刎ねる。酷い条件だ、傲慢そのものだな。さてどうなるか……。


その後、関白殿下と勅撰和歌集の事で相談した。事前に文を送っていたから話は早かった。大変乗り気だ、帝も乗り気らしい。和歌だけでなく公家達が家業として受け継いでいる技能を支援したいと言うと嬉しそうに笑い声を上げた。話を聞くと正月の節会でも和歌を詠んだり漢詩を詠んだりする人間が居た様だ。そういう場を作って貰えば嬉しいと言っていた。漢詩か、和歌の次は漢詩だな。その後は雅楽が良いかもしれないな。



畠山修理亮高政が和歌を持って訊ねて来たのはその翌日の事だった。随行者は百人、こちらの条件を守っている。以後は朽木に従う事も誓った。本心から朽木に従うつもりなのかは分からない。だが条件は満たした以上受け入れよう。和歌もそれなりのものだったようだ。修理亮高政は室町第に行き義昭に管領職の辞任を申し出た。俺は何も言っていない。言ったのは蒲生下野守だ。


元々畠山は六角と親しい関係に有った。その縁で忠告という形を取って管領職を辞任させた。これ以上足利に対する忠誠は無用にせよと言わせてな。畠山は直ぐに反応した。躊躇うようなら要注意だが合格だな。まるで徳川と豊臣恩顧の大名だ。ま、やる事はどの時代でも同じという事なのだろう。




元亀四年(1576年)  六月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  黒野影昌




夜、御屋形様の寝所に入ると“小兵衛か”と声が掛かった。そうである事を告げると御屋形様が身体を起こした。

「傍に寄れ、万に一つも知られたくない」

「はっ」

どうやら余程の大事らしい。御屋形様の声にも厳しさが有る。


「足利が邪魔だ」

「……公方様で」

「うむ」

()しますか?」

「いや、そうではなく京から追い払いたいのだ。こちらから攻撃は出来ぬ、向こうから兵を起こさせたい」

「なるほど」

御屋形様は謀反という形を取る事無く足利との敵対を御望みという事か。悪いのは公方様、御屋形様は受けて立っただけ……。


「京に公方様が居るのと居ないのでは周囲に与える影響はまるで違う」

「確かに」

「俺は足利の幕府を無くしたいと考えている。公方様を京から追い払い京を治めているのは俺だとはっきりと天下に示したい。三好、松永、内藤、畠山を押さえるためにもな」

御屋形様が天下を獲るためには幕府は邪魔だ。何時かは潰さねばならないのは事実。その時が来たと御屋形様は考えておいでのようだ。なるほど、上杉は後継問題で揺れている。多少の不満は有っても御屋形様を敵に回す事は出来ぬ。今がその時か。


「しかし三好、松永、内藤、畠山ですが彼らは御屋形様に服属致しました。公方様は心細く思っておられましょう」

「兵を起こさせるのは難しいか」

「味方も無しに兵を起こすかどうかという疑問がございます」

「そうだな」

御屋形様が息を吐いた。


「順番を間違えたかな? 先に公方様に兵を挙げさせた方が良かったか。しかし越後が不安定な今、あまり無理は出来ぬ。毛利の件も有る。……小兵衛、備中の状況は?」

「毛利の小早川左衛門佐が三村の残党を制圧しております。間もなく備中を制しましょう」

三村は当主を失った。効果的な抵抗は出来ずにいる。小早川の敵ではない。

「……毛利の勢力は強まったか……」

「そう見る事も出来ましょう」

御屋形様が“ふむ”と鼻を鳴らした。御機嫌は良くない。


「竹の輿入れには三万人が動く。小兵衛、利用出来ぬかな?」

「公方様に兵を挙げさせろと?」

「そうだ、朽木の兵が減った。今こそ兵を挙げるべきだと」

「焚き付けるのですな」

「うむ」

上手く行くだろうか?


「このまま毛利を待つよりも自ら動いて天下の形勢を変えるべきだと言うのだ。公方様が起てば三好、松永、内藤、畠山も起つと」

「……」

「このままでは身動きが出来なくなる。かつて足利尊氏公は九州に落ち、そこで兵を集めて京を制した。今こそ京を失う事を懼れずに兵を挙げるべきであると」

「なるほど」

上手く行くかもしれぬ。男よりも女の方が上手く焚き付けられよう。


「女を使いまする。それと三好、松永、内藤、畠山は内心では御屋形様に不満を持っていると噂を流しましょう」

御屋形様がクスクスと笑い声を上げた。

「小兵衛、それは噂ではないな。事実であろう。少なくとも畠山はな」

「畏れ入りまする」

確かにその通りだ。だが不満を持つのと兵を起こすのは別、公方様はその辺りの見分けが出来るとも思えぬ。となれば……。




元亀四年(1576年)  七月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木綾




「いや、疲れたわ」

兄、権大納言飛鳥井雅教が部屋に入って来て私の前に腰を下ろした。

「今日はもう終わりでございますか?」

「そうよな、今日は終りにいたそう」

「御疲れでございましょう、今お茶を淹れさせましょう」

「頼む」


兄は竹の嫁入り道具である屏風に和歌を書いている。公卿の方々から頂いた和歌は全部で約八十首、中には帝、東宮様の御歌も詠み人知らずという形で頂いている。兄は頂いた和歌を屏風にそれぞれ書き記して行くが配置を決めながら、一首ずつ乾かしながら書いているため一日に十首程書くのが精一杯の様だ。既に半分が書き終っているとはいえ容易ではない。女中が茶を置くと兄がそれを美味しそうに飲んだ。ホウッと息を吐く。傍に控える者達に席を外す様に命じた。


「生き返るようじゃ」

「まあ」

私が笑うと兄も笑い声を上げた。

「御迷惑をおかけします」

「何の、麿は迷惑だとは思っておじゃらぬ。あの屏風は後世にまで残る、ならば和歌を書いた麿の名も後世まで残る、そういう事でおじゃろう」

兄が嬉しそうに笑っている。


「まさかあの子が御堂関白様の真似をするとは、宮中では不遜と言う声が上がってはおりませぬか?」

兄が“案ずるには及ばぬ”と言ってまた笑った。

「御堂関白様は屏風を宮中での勢力争い、帝への圧力に使った。だが少将はその屏風を越後に持って行くと申す。それゆえ公卿達も負担を感じずにすんでおる。気軽に詠めるのじゃな。むしろ皆面白がっておじゃるの、おかしな事を考えると」

「それなら宜しいのですが」

兄が“そなたは心配し過ぎじゃ”と言ってお茶を飲んだ。


「しかし、屏風はそなたの発案ではおじゃらぬのか」

「いいえ」

私が否定すると兄が小首を傾げ“妙な事よ”と呟いた。

「少将はそのような事に関心が有るとは思わなんだが」

「そうでございますね」

確かに息子は和歌等の文事には親しまない。こういう事を想い付いたのが不思議だ。


「京では少将にこの件を薦めたのはそなただという事になっておじゃる。中々の策士、女には惜しいと大層な評判でおじゃるぞ」

「まあ、私がでございますか」

驚いて兄を見ると兄がおかしそうに笑い声を上げた。

「麿も千津も信じてはおじゃらぬ。まあ高く評価されたのじゃ、良かったではないか。千津も笑って、いや喜んでいた」

「少しも嬉しくありませぬ」

兄が更に笑った。


「少将は勅撰の和歌集を編纂(へんさん)しては如何かと関白殿下に提案したようだ。それにかかる費用は朽木家が出すと」

「まあ」

「我らの家に代々伝わる家業を後世にまで残したい。そう言ったそうな。和歌集の編纂はその一つでおじゃろう」

「……」

「これまでは財で援助をしてきたがこれからはそれ以外でも朝廷を援けるという事でおじゃろう。帝だけではなく公家達も守る、より強く朝廷を庇護する姿勢を出すつもりと見た」

もう兄は笑ってはいない。


「反発は有りませぬか?」

私が問うと兄が首を横に振った。

「応仁、文明の乱以降足利は自分を守れぬほどに弱体化しておじゃる、もう頼りにはならぬの。特に今の公方は……」

「……」

「朝廷には新しい庇護者が必要でおじゃろう。一時は三好がその庇護者になるかと思ったが無理でおじゃったの」

兄が茶を飲んだ。茶碗の中は空、女中を呼んで兄にお代わりを持って来るようにと命じた。


お互い喋らない。女中が新たなお茶を持って来るまで沈黙は続いた。

「朽木が天下を獲る。少将がその姿勢をはっきりと出した。そなたも分かっておじゃろう」

「はい。竹の輿入れもそのためでございましょう」

兄が頷いた。


「朽木は悪くない、皆がそう言っておじゃる。少将の朝廷への奉仕はもう二十年にもなる。武家が朝廷に近付くのは朝廷を利用するためでおじゃるが少将からは余りその匂いがせぬ」

「そうでございますね」

兄が笑みを浮かべた。


「皆、その事に安心しておじゃる。公家の血の所為でおじゃろうかの」

「……そうでしょうか」

「朽木は武家だが公家の血が二代に亘って入っておる」

「ですがあの子には公家らしいところは有りませぬ」

「そうでおじゃるの」

兄が頷いて茶を一口飲んだ。もっとも武家らしくない所も多い。家臣達にも変わり者と思われている。


変わり者の息子、不思議な息子、武士らしくない息子。一体何処へ行こうとしているのか。私はそれを見届ける事が出来るのだろうか……。





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綾ママの困惑、ここに至れる?
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