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気の毒な婚約者

わたしの気の毒な婚約者

作者:山吹ミチル
初投稿です。
感想などいただけると嬉しいです。
わたしが婚約者である第二王子のレオン様と初めてお会いしたのは、10歳の時。

王宮でレオン様と年の近い貴族の子女が集められてお茶会を催されるのはたまにあることだったけれど、その時は普段より多くの子供達が集められていた。そしてわたしはそれが初めての参加だったのだ。
王宮にだって足を踏み入れたことのなかったわたしは緊張で心臓が暴れまくっていたため、「王子様とお近づきになるチャンス!」などという殊勝な考えは欠片も思い浮かばす、いかにして平穏無事に、この一大イベントを終えるかということに全神経を集中させていた。
心の中で両親に謝りながら。
お父様、お母様、ごめんなさい。わたしは王子様のお気に入りの一人になって、お父様の出世の手助けをして差し上げられるような出来た娘ではなかったようです。ここに来るまでは、ちょっとばかりがんばってみようかなぁとか思っていましたが、わたしの考えは甘すぎたようです。あの、3日振りに獲物を発見した猛獣のような目つきの皆さんに混じって試合のリングに上がるなんて、チキンなわたしには不可能です。
何よりレオン様が気の毒だ。権力に群がる、本音と建前の使い分けもイマイチできないようなガキどもの相手を、今から延々と続けなくてはいけないのだ。一人減ったところで、どうということもないだろうが、精神的苦痛を与えるとわかっていることを、敢えてやる気にはなれない。
レオン様はわたしの二歳年上だったが、数年前から聡明だと噂されはじめ、地位に胡座をかくような人柄でもないと聞いていたので、媚びを売られて喜んだりはしないだろう。
それに両親だって、粗相をしないようにとしか言わなかった。
本心では期待していたのかもしれないが、今日第二王子と会話が出来なかったからといって怒るような親でもない。
言い訳を正当な理由へと昇格させたわたしは、目立たず騒がずをこの日のモットーにした。
ちなみにこの時わたしが「あわよくば王子様の花嫁候補に!」などとは全く考えていなかったのにはちゃんと訳がある。
別にいくら文武両道で人望があって、その上金髪碧眼のいかにも王子様な外見のイケメンという、奇跡の具現者で、年頃の娘達の(年頃じゃなくても)理想的すぎる結婚相手であっても、王族と結婚なんて面倒くさくて嫌だわ、とか考えていたわけではない。
当時すでに、ほぼ確定していると言われていた最有力の婚約者候補がいたのだ。
幼少期より絶世の美少女と誉れ高いティリル侯爵令嬢である。
地位が高く、とにかくすごい美少女と言われている彼女とは顔見知り程度であるが、この日の彼女はいつもよりなんかすごかった。
普段から同い年の10歳だというのに、女王様然としていて、男達をはべらしているが(ガキだけど)、王宮にいて、まるで第二王子が自分の為にお茶会を催してくれているのだと言っているかのような態度だった。
あんなのと勝負したくはない。
女性の価値が、実家の地位と財力の次に美貌であると思われがちな貴族社会において、ティリル侯爵令嬢に適う女性など、そもそもいないのだ。
そんな訳で、わたしだけではなく、ほとんどの少女が花嫁候補については諦めていたのだが、少しでも気に入られようとすることには諦めておらず、目をギラギラさせているのだった。
狩りがはじまる、と思った。
しかし、珍しく王妃が参加していたせいなのか、子供ばかりのお茶会にしてはとても行儀よく行われ、レオン様にガキどもが群がれるような雰囲気にはならなかった。
彼は参加者全員と少しずつ会話していった。
ほとんどの子供達が彼を褒め称えて気を引こうとしていたが、わたしは笑顔で自己紹介しただけだった。
「はじめまして。リチャード・ハーレイの娘、クリスティナ・ハーレイでございます。どうぞお見知りおきくださいませ」
美辞麗句はお腹いっぱいだっただろうし、目立たず騒がずが今日のわたしのモットーなのだし。
しかし緊張しまくっていたものの、笑顔はわたしのなかで会心の出来だったと思う。
淑女は感情を露わにしないように振る舞うのが美徳とされているけれど、そんなのは嘘っぱちだと思う。実際にそういった淑女の鏡であるとされている人達が好かれているところなんて見たことがない。
わたしなら初対面の人に無表情で挨拶をされるより、笑顔で挨拶をされる方が絶対にいい。
そんな信条を持ってして、笑顔で自己紹介をしたのだけれど、これでわたしの好感度が上がっただなんて全く思ってはいない。今だって思っていない。

しかしそのお茶会の二週間後、なぜかこのわたしが第二王子レオン様の未来の伴侶に決定したのだった。


わたしの家、ハーレイ伯爵家は一応由緒正しいお家柄で、歴史は古く、代々真面目に王家に忠誠を誓ってきた。
伯爵家のなかではかなり上の方の地位を持っている。
しかしそれでも伯爵家なのである。
王太子ではないとはいえ、王家に嫁ぐ家柄としては、なくはない、といった非常に微妙なところだ。
「そもそもエレン様はどうなさったのです。どうしてわたしなんですか?」
動揺しまくったわたしは、涙目で父に詰め寄った。
普段はそんなわたしに対してもっとおしとやかに振る舞えと小言を浴びせる父だか、そんな彼も動揺していたのか、それどころではないらしい。
「・・やはりティリル侯爵家が王家に嫁ぐとなると、かの侯爵家が権力を持ちすぎるということなのかもしれんな。だからといってウチが、というのがわからんのだが・・・。クリスティナ、本当にお茶会では挨拶しかしていないのか?王妃とも?」
「挨拶だけですわ。王妃様とはお話していません」
「うーん、エレン様のような方がいなければ、お前が可愛いから気に入ったということも考えられるんだか」
珍しく父が親バカな発言をしました。
わたしも自分で鏡を見て「これって美人の範囲内だよね」とか思ったりしていましたが、さすがに王子様に見初められるほどではないです。すぐ近くに超絶美少女がいようがいまいが。
「とにかくこれはもう決定したことだ。クリスティナ、これからはもう今までのようにはいかない。お前はレオン様の伴侶となるのだからな」
わたしは衝撃を受けた。
父のこの言葉で、ようやく自分の現状を理解したのだ。
それまでのわたしは伯爵家の令嬢としてはまずまずの教養があった。しかし王家に嫁ぐことなど度外視したものである。
わたしはやや格上の家に嫁いでも恥ずかしくない娘から、どこに行っても恥ずかしくない娘にならなくてはいけなくなった。
わたしの勉強漬けの日々がスタートしたのだった。


礼儀作法にダンスに歴史。家庭教師を専門的な講師に変えて、勉強時間は倍になった。
プレッシャーに押されて、人生初のやる気を漲らせていた。
しかしわたしはまだまだナメていたらしい。
レオン様ときちんと対面した時に訊かれたのだ。
「今はどんな勉強をしているんだ?」
わたしが答えると、レオン様は頷いてから考えるように言った。
「ピアノは好きならば続けて構わないが、上達する必要はない。それよりも外国語を四カ国は話せるようになれ。あと隣国の歴史と習慣も勉強するように」
すぐさまわかりましたと返事をするものの、戸惑っているわたしにレオン様は将来自分が外交を担うということ、外国を訪れる際には妻であるわたしは必ず同伴しなくてはいけないこと、もうすぐ王太子である兄と隣国の王女が結婚するのでまずはその国の勉強からするのがいいということを丁寧に説明してくれた。
・・泣きたくなった。
基準がわからないので判断が難しいが、レオン様の要求は常に高かった。
完全無欠な王子様の婚約者として、元が釣り合っていないのだと言われているようで悲しくなった。
しかし不満があったわけではない。彼はわたしに望むものよりももっと多くのことを出来たからだ。
レオン様の評判はある程度は誇張されたものだと思っていたのだけれど、とんでもない。噂以上の人だった。
必死で勉強して、ある日経過を報告した。
するとレオン様は満足そうに頷いた。
講師達みたいにべた褒めされたわけではない。なのにわたしは彼の反応が一番嬉しかった。
俄然やる気が湧いた。


しばらくして令嬢達が集まるお茶会に参加した時のこと。
そこにはティリル侯爵令嬢のエレン様がいた。
彼女は取り巻き達に囲まれながら、親の敵でも見るかのようにわたしを睨みつけた後、悲しそうに両手で顔を覆った。
取り巻き達は彼女を慰めながらも、ちらちらとわたしに非難の眼差しをぶつけてくる。
ぐっさーっと何かが心臓に突き刺さった。
レオン様とエレン様は誰もが婚約するものだと思っていたし、幼少期より付き合いのある二人はとても仲が良かったらしい。
片や理想の王子様と、片や地上に舞い降りた天使と称される美少女。
お似合いすぎる彼らを引き裂いたのはわたしではないけれど、まるでわたしが原因であるかのような錯覚に陥って、心の中でエレン様に謝り倒した。
レオン様だって可哀想だ。あれだけすごい人なら貴族であれば、結婚相手は選り取りみどりなはずなのに、王族であるが故に選ぶことが許されないのだ。
いまだにわたしが婚約者となった理由はわからないが、なんらかの政治的思惑があったのはまちがいない。
現王はそういったことに抜かりない方だし、レオン様だって王族は政略結婚をするのが当然だと思っているだろう。
だかそれでもわたしはエレン様が可哀想だと後ろから囁かれるたびに、あんなにも立派な王子様の婚約者がわたしであることが気の毒だと思ってしまっていた。
そしてレオン様から課題を課せられるたびに、不釣り合いなわたしをどうにかまともにしようとしているのだと感じてもいた。




六年も歳月が流れれば、さすがにわたしもレオン様の婚約者として認められるようになってきた。
相変わらずエレン様に同情する声はあるものの、わたしは根が楽天的らしい。中傷に押しつぶされることもなく、レオン様が満足げに頷く回数が増えるだけでがんばれた。
未来の第二王子妃に取り入ろうとする人も多くなり、これは認められてきているようで嬉しかったのだが、レオン様には変なものを見る目で見られた。
・・わたしおかしいですか?

そろそろ挙式の日取りでも決めようかという頃、エレン様の姿を頻繁に目にするようになった。
それもレオン様の近くで。
別に逢い引きをしているわけではない。
エレン様がレオン様に会いに来て、レオン様がエレン様を避けているという状態だ。
これは大方の人間が、引き裂かれた恋人同士が最後の望みを捨てきれずに、修羅場を演じている図、という想像をしそうな展開だ。
当時十二歳と十歳の子供達に対して、引き裂かれた恋人同士というのもおかしいけれど。
何にせよ、修羅場であることには変わりなさそうだった。
いまだ子供っぽさの残る夢見がちなエレン様と、もう立派な大人と言えるレオン様では意見が食い違っていて当然なのだか、エレン様はそれが認められず取りすがっている様子だった。
わたしも詳しいことはわからないのだ。わたしが近くにいると、レオン様は何としてでもエレン様を遠ざけようとするから。
そんな時、レオン様はエレン様の視線からわたしを遮ってくれる。
何ですかその男前っぷり。むしろやめてください。お願いします。
しかしわたしのいない時には、ちゃんと話し合いが行われているらしい。
どんな話し合いかはわからないが、この事に関しては、わたしはレオン様を一切疑ってはいない。だからむしろ申し訳ないと思っている。
わたしがもっと誰からも認めてもらえるような婚約者だったなら、レオン様も本当に結婚したかった相手に諦めるように説得することもなかったんじゃないだろうか。
精一杯やってきたつもりだし、普段はあまり気にしないようにしているのだけれど、たまに、ほんのたまに、どうしようもなく悲しくて虚しくなるときがあった。


差出人不明の手紙が届いた。
いや、正確にいうと差出人はわかっているが、貴族にあるまじき差出人の明記がない手紙が届いたのだ。
手紙類を管理する執事が怪しんで、中を改めたのだが、危険物ではないと判断したようで、わたし元まで無事到着した。
内容はこう。
 『今までのことに対して、あなたに謝りたいです。
  どうか今日の四時にセブンズパークの西門まで
  来ていただけないでしょうか。
  二人だけで話がしたいです。
                エレン    』
・・・文章に知性が感じられないのですが。
わたしは彼女に謝ってもらう理由なんかない。確かに彼女の態度のせいで風当たりがきついこともあったが、わたしだって王子の婚約者なのだから、擁護してくれる人もたくさんいる。
むしろ彼女や彼女の父親の取り巻きだった人達が、長いものに巻かれろとばかりにわたしの家に付いてきていたので、彼女の方がつらい状況なのではないだろうか。
だからわたしではなくレオン様に謝ってほしいのだけれど。
手紙の文章をじっと見つめながら考えた。
エレン様がどういう人なのか、わたしはよく知らない。
ほとんど話したことがないからだ。
会えば敵意を剥き出しにされるし、嫌われているのはわかるけれど、だからといって嫌な人だと決めつけるのはよくない。
わたしの周りにいる人達はわがままだとか、態度がでかすぎるとか言っているけれど、エレン様がわたしを敵視しているせいで、対抗するように悪口を言っているという部分もあるのだから、信憑性は薄いだろう。
わたしは何より、レオン様が今はどうあれ、昔は好きだった人が、性格の悪い女だなんて思えないのだ。彼は人を見る目がない人間じゃない。
いや、もしかしたら、子供の頃はなかったのかもしれないけれど。
・・・埒があかない。
彼女の人間性について考察しても、結論なんて出てこない。
そして出来るなら会って話したかったけど、今日は無理なのだった。
レオン様と先約があるのだから。
普通は手紙で、この日は空いているだろうかとお伺いを立ててから、相手が大丈夫なら、そのように返事をするというのが礼儀だ。
封筒に差出人名を書いていないことから、内密に会って話したいのだろうけれど、それにしたって今日というのは急すぎる。
いくらこちらが格下だろうが無作法すぎるし、王子との約束を破る理由にはなれない。
わたしは指定された時間に侍女を向かわせるように指示した。
そしてかなり悩んでから、手紙をポケットの中に入れて、王宮へと向かった。


最近は王宮に着いてから、レオン様の元へと案内してくれる人物が、侍女や侍従から騎士に変更された。
結婚が近づいてきているせいだろうか。王宮といえど、いろんな人が出入りするので、用心しなくてはいけないらしい。
今日は天気がいいからか、庭園に案内された。お茶でも飲むんだろうか。
実は今日は用事があって来たわけじゃない。ただのご機嫌伺いだ。
それでも約束は約束。
破ってエレン様に会いに行くなんて、わたしにとっては問題外ですよ。
ただにこやかに談笑できるくらい、根性座ってもいないんだけど。
話すべきか、話すにしてもどう切り出すべきか、悩みすぎて挙動不審だ。
「何かあったのか?」
いつにない態度に、レオン様が真剣な顔で訊いてくる。あまりにも真剣なので、うまく言葉にすることができず、わたしは黙って手紙をテーブルの上に置いて、スッと差し出した。
レオン様の眉間に皺が寄る。
あ、すみません。怪しい小切手とかじゃあないですよ。
「わたし宛てに届いた手紙です」
レオン様はすぐに中を改めた。読んだの?っていうくらい素早く目を通して、こちらに鋭い視線を向ける。
「今日届いたのか?」
「はい。出掛ける前に届きました。あの・・・申し訳ありません。勝手なことをしてしまいました」
「? 行けないと返事をしたのか」
入れ違いになる可能性もあったけれど、すぐに返事を出していれば、行けないことを知らせられただろう。だけどわたしはそうしなかった。
「エレン様のお話に興味があったので、わたしとよく似た背格好の侍女に、わたしの服を着せて向かわせました。会話もあまりしたことがないので、帽子で顔を隠していれば気づかれないでしょう。先に護衛を向かわせて、危険がないと判断した場合のみ、侍女に話を聞き出してくるようにと言いました」
もちろんこれは手紙の差出人が、エレン様の名を騙った別人である可能性も考慮してのことだけど、エレン様本人がわたしに危害を加えることも有り得るからでもある。
わたしは気まずげにレオン様を見た。
エレン様を危険人物扱いしたので、気分を害するのではないかと思ったのだ。
しかしレオン様は微かに目を見張ったあと、ニヤリと笑った。ほくそ笑むという表現がぴったりの顔だった。
「よくやった」
彼は立ち上がると、従僕に何か告げてから、再びわたしを見た。
「ティナ、お前も来い」


セブンズパークの西門からやや離れた路上。
辛うじて人影が見えるというぐらいの距離を置いて、馬車は止められていた。
中にはもちろんレオン様とわたしが座っている。
時刻はちょうと四時になったところ。
わたしに扮した侍女(と思われる。遠すぎてはっきりわからない)がいるが、エレン様はまだ現れていない。
どうやらひとまず危険はないと判断したようだ。何かあったとしても、護衛は隠れて様子を窺っているので、侍女の安全は保証されていると言っていいだろう。
わたしはレオン様をこっそり観察した。
彼は小窓からじっと外を伺っている。
この距離で見えるんだろうか。見えるからこそ緊張感を孕んだ顔で、窓に張り付いているんだろうけど、視力までいいとは、やさぐれたくなってくる。
彼のこの行動はかなり予想外だった。
まるでわたしよりも、エレン様がわたしに危害を加える可能性が高いと考えているかのようだ。それなのに苦渋の色さえ見えない。むしろ上機嫌かもしれない。いや、それはないかな。たぶん。
「━━来た」
レオン様がぼそりと呟いた。
どうやらエレン様がやって来たらしい。本当に見えるんだ。
確かめてみたかったけど、小窓が小さすぎて、覗くとレオン様とかなり顔を近づけてしまう。
どの道わたしじゃ視認できないので、お任せするしかない。
これって着いて来てよかったんだろうか。お邪魔じゃないかな。
いやまあ、来いって言ったのはレオン様だし、後で侍女と話をするなら、わたしがいた方がいいんだけど。
普通に話をしているだけなんだろうか。
いつの間にか大事になっているけど、エレン様が手紙に書いてあった通りに謝りたいだけなら、すごく申し訳ないことをしているんだけど、待って、それはないって気がしてきた。
バンッと音がした。
いきなりレオン様が馬車の扉を開けて跳びだしていったのだ。
わたしが驚いている間に、すごい速さで駆けていく。
「ティナに付いていろ!」
どうやら扉の外で待機していた従僕に言ったらしい。
わたしはとりあえず外に出て、西門に目を向けた。
人が多くなっている。男の人が7、8人はいて、揉めているように見えた。うちの家の護衛は3人だから、非常にまずい状況だ。
わたしはレオン様の後を追った。
行っても間に合わないし、何もできないけれど、ものすごく焦っていたのだ。
想像していたよりずっと酷い事態になっていて、侍女に何かあったらどうしようと血の気が引いていた。
しかしわたしが走り出すか出さないかといううちに、また男の人が二人増えた。そしてあっという間に数人の男を叩きのめしていく。
近づくにつれて、その二人が騎士なのだとわかった。それも近衛騎士だ。
体から力が抜けた。
レオン様、いつの間に配備していたんですか。


わたしはその場に着くと、すぐに侍女の無事を確認した。
彼女はうちの護衛に庇われていたけれど、わたしを見るとほっと息をついた。怪我はないらしい。よかった。
4人の男達が拘束されていた。
行商人の護衛をする人達と似たような格好をしているけど、どことなく柄が悪い。
この男達がわたしの侍女を襲って、それを近衛騎士達とうちの護衛が取り押さえたということなんだろう。
わたしはこの場にいるもう一人の女性に目を向けた。
やっぱりエレン様だった。
なら彼女がこの男達を使って、わたしに危害を加えようとしていたのだろうか。
ゾッとする。
つまりエレン様はわたしを社会的に抹殺しようとしていたということだ。
「知らないったら!わたくしはこんな男達は知らないわ!」
喉につっかえたような、必死な声が響いた。
目に涙を浮かべて、エレン様はちょっとびっくりするくらい動揺している。
あれ?なんか想像していた反応と違う。いつもの上から目線はどこ行ったのだろう。悪事がバレたとしても、彼女が強気な態度を崩すとは思えないのだけど。
もしかしてエレン様が起こした事態ではない?
「わたくしは、そのクリスティナ嬢と、話をしに来ただけよ!」
侍女を指さして言う。わたしが隣にいるのに、まだ偽物だと気づいていない。相当混乱しているらしい。
「ティリル嬢、こんな場所で大声を出すのはよくない。話はきちんと聞くから、一度王宮に来てもらう。あなたが乗ってきた馬車はあれか?」
すぐ近くに、ティリル侯爵家の紋章が付いた馬車が止まっていて、メイドと御者が馬車の影からこちらの様子を怯えた顔で伺っていた。
・・・主家の令嬢を助けなくていいんですか。
レオン様は侯爵家のメイドに、エレン様に付き添うように言う。
なりゆきを黙って見守っていると、侍女がこっそりわたしを呼んだ。
「どうしたの?」
「あの、わたしティリル侯爵令嬢は本当のことを言っていると思うんです」
怯えが残っているものの、しっかりとした口調で言った。
話してもらわなくてはと思っていたのでちょうどいい。
わたしは頷くと、彼女の肩を抱いて、前に進み出た。
「レオン様、わたしの侍女が発言をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、許す」
レオン様は軽く頷いてくれたものの、侍女はかなり緊張しだした。
そりゃ、そうよね。一介の侍女が王子と直接話をするなんて、ほとんどあり得ない。でも、がんばって。
わたしが肩を抱く手に力を入れると、彼女は意を決して口を開いてくれた。
「ティリル侯爵令嬢がわたしに話したことは、あなたではレオン殿下に相応しくないから、婚約を破棄するように、ということでした。理由は病気とでもすればいい。とにかくあなたでは身分も釣り合わないし、殿下には相応しくないと言われました」
わたしは呆れつつ、レオン様の顔をチラッと見ると、彼はもっと呆れ果てた顔をしていた。
この反応だとやっぱりもう、エレン様に未練はないんだろうか。
しかし手紙に書いてあったように彼女が謝るなんて思ってはいなかったけど、ただ婚約破棄するように言って、相手が素直にそうするとでも思ったんだろうか。
思ったんだろうなぁ。彼女の周囲はちょっとおかしいくらい、彼女の言うことを聞き過ぎている。
「でも、あの男達がわたしに襲いかかろうとした時、ティリル侯爵令嬢はとても驚いていました。それに怯えてもいたんです。自分も襲われると思っていたんじゃないでしょうか」
普通、目の前にいる女性に、急に男達が襲いかかってきたら、自分も襲われると思うだろう。
それなら彼女の行動は「知らない」という言葉を裏付けていると捉えれるんじゃないないだろうか。
「ティリル侯爵令嬢がすべてやったとは私も考えていない。きちんと調査をするから、心配しなくていい」
レオン様が答えると、侍女は思いきり恐縮してしまった。
「差し出がましいことを申しました」
「いや、助かった」
平伏しそうな勢いの相手に、これまたあっさり頷くと、レオン様はわたしを呼んだ。
「家まで送る。今日はもう、帰って休んだ方がいい。明日迎えをよこすから、王宮まで来てくれ」
わたしがこれ以上付いていても意味はないし、そもそも何もしていないのに気遣われている分、お荷物な気がするので、帰ることに異論はないけれど、送ってもらうなんて心苦しすぎる。
護衛もいるのでと、丁重に辞退すると、レオン様は呆れかえった。
「自分が、ついさっき襲われたというのを忘れたのか?」
そうですよね。もともとわたしの侍女ではなく、わたしが襲われたんです。護衛よりも多い人数の男達に。でも、この後やることがたくさんあるはずのレオン様に送っていただくなんて。
「婚約者が危険な目に会ったすぐ後に、送りもせずに帰して何かあったら、私が後ろ指を差される」
反論の余地がありません。
わたしは大人しくレオン様に従うことにした。


翌日の昼過ぎ、近衛騎士に護送されて、わたしは王宮に辿り着いた。
どこに連れて行かれるのかと思ったけど、何てことはない、いつもレオン様と会っている応接室だった。
レオン様はいつも通りに、わたしを迎えてくれる。
忙しくないんだろうか。
「襲った男達がすぐに吐いた。イグナス男爵の差し金だったよ」
わたしが座るとすぐに話を切り出した。
「えっ?!そんなにすぐにわかったんですか」
下っ端の実行犯って、親玉が誰かなんて知らされないものなんじゃないだろうか。
「イグナス男爵からしたら、悪事をさせるための男達と直接顔を会わせても、自分が何者かなんて平民にはわからないと思ったんだろう。だがそもそもあいつは怪しかったし、ティリル嬢の証言もある。ティリル嬢にお前をおびき出すように唆したのもイグナス男爵だからな。奴を理由をでっち上げて王宮に来させて、男達にこっそり顔を確認させたら、間違いなくあいつだと言った」
確かに彼は一番怪しい。
ティリル侯爵の腰巾着で、わたしに対してもよくエレン様の方がレオン様の伴侶に相応しいのにと嫌味を言っていた。
少しはうまい汁を吸えると思っていたのに、わたしがレオン様と婚約したので、当てが外れて腹立たしかったのだろう。隠しようもなく、野心的な人だった。
「それにしても詰めが甘いと言いますか・・・」
「のし上がりたいくせに、頭が悪い男だからな。だがこんなに早く捕まえられたのは、奴がバカなせいだけじゃない」
相変わらず外見に反して口が悪いなぁと思っているわたしを正面からじっと見て、レオン様はニッと笑った。
「お前がのこのことおびき出されたフリをして、思いきり警戒しているなんて、イグナス男爵は思いつきもしなかったんだろう。バカな奴に限って、女はみんな頭が軽いと思っている」
誉められたんだろうか。レオン様は急に機嫌がいい。
緩みそうになる口元を必死に抑えつけて、冷静を装う。
「エレン様にお咎めはあるのですか?」
イグナス男爵のことはどうでもいいし、わたしが口出ししても何にもならないけど、エレン様は利用されただけじゃないだろうか。
「ティリル嬢本人にお咎めはない。まだはっきりと決まったわけじゃないが、多分そうなるだろう。お前に言い掛かりをつけただけで、害そうとしたわけじゃないからな。だがティリル侯爵は少なからず罰が与えられるだろうな」
「ティリル侯爵ですか?侯爵も関与していたのですか」
驚いた。そこまで娘を王子と結婚させたがっているようには見えなかったのに。
「いや、ティリル侯爵は何もしていない。何もしていないことが問題になったんだ」
どういうことだろう。
わたしは首を傾げて、わからないと示した。
「イグナス男爵は今までも、率先してティリル嬢が私に相応しい。お前では釣り合いがとれないと吹聴していたらしいな」
見劣りするとか、仲を引き裂いたとかも言われました。
「私とお前はもうとっくに婚約式もすませた、正式な婚約者なんだ。そのことに関して、ただの貴族が文句をつけるのは間違っている。だがイグナス男爵が堂々と批判していたせいで、同調する貴族が出てきてしまった。ティリル侯爵は娘が私と婚約できなかったことに対しては納得しているようだったが、イグナス男爵を諫めることもしなかったんだ。イグナス男爵はあきらかにティリル侯爵の庇護下にいたし、同調していた貴族も同様だ。ティリル侯爵には彼らを抑える義務があったんだ」
確かにイグナス男爵達は王家を批判していたとも取れる。わたし達の婚約は王家からの打診だったのだから。
「侯爵はそれらを放置していたばかりか、ティリル嬢がよからぬことを吹き込まれていたのも見過ごしてしまった。未だにティリル嬢が私と結婚できると思い込んでいたのを正しきれていないし、そもそも侯爵はさっさと娘の婚約者を決めてしまうべきだったんだ。私の婚約者最有力候補などと勝手に言っておいて、そうならなかった時にちゃんとしたフォローも出来ない。あんな無能が侯爵位など持っているから碌なことにならないんだ」
「ではティリル侯爵は侯爵位剥奪ですか?」
「そうなるだろうな。他にも爵位は持っているから、大したことじゃない」
そうは言っても、王族を怒らせての侯爵位剥奪では、今後彼に関わろうとする貴族は皆無だろう。ティリル侯爵はかなり窮地に立たされるはずだ。
しかしそれでもティリル侯爵は自業自得と言える。可哀想なのはエレン様だ。レオン様の婚約者になれなかった悔しさを煽り立てられて、何もしていないのに、父親同様に貴族界から爪弾きにされる。
どうしようもないとわかるから、余計に心が痛んだ。
「ティナ、ティリル嬢に同情する必要はないぞ。彼女は数日前から父親に婚約者候補達と会わせられていたんだ。どれも優良物件だったのに、気に入らないとだだをこねたのは彼女だ。貴族の令嬢として、父親の決めた相手と結婚するのは当たり前だし、どうしても嫌なら親を納得させられるだけの相手を自分で見つけてこればいい。わがままだけ言っている女に同情することはない」
わたしは驚いてレオン様を見た。考えを言い当てられたことも驚いたけど、それだけじゃない。
多分、エレン様の婚約者をさっさと決めるように、ティリル侯爵にせっついたのはレオン様なのだ。
「・・もしかしてレオン様はもともと、侯爵位剥奪とまではいかなくとも、ティリル侯爵に何らかの罰を与えるつもりでした?」
恐る恐る聞くと、レオン様はニッと笑った。
「さすがだ、ティナ。ティリル侯爵はすでに、厄介事の種を蒔きすぎていたから、そもそも何らかの措置は必要だったし、機会を窺ってもいた。取り巻きの貴族達は勘違いの増長がひどかったしな」
わたしはエレン様の手紙を渡した時の、レオン様の顔を思い浮かべていた。
もしかしてあの状況はレオン様にとって願ったり適ったりだったのではないだろうか。
イグナス男爵が関わっていたにしろ、エレン様の独断だったにしろ、どちらの場合もわたしに害を与えようとした時点で、ティリル侯爵とその周辺貴族を糾弾することができたわけだ。
そういえば最近、あまり外出させてくれなかったような・・・。
行き先といえば王宮で、迎えが来ていたし、城内を歩く時にも、隣には騎士がいた。
もしわたしがエレン様におびき出されて、のこのこと出掛けて行ったとしても、途中で止められていただろう。
危険について何も言われなかったのは恐らく、わたしに何かが起きる可能性は低いと思われていたのだろう。
今まで彼らがやっていたことといえば、わたしとレオン様との婚約の批判を声高にしていただけで、実力行使に出るなんて、誰にとっても予想外だったはずだ。
きっとイグナス男爵が暴走したんだろうけど。
わたしはまた機嫌がよくなったレオン様を見て、何とも言えない気持ちになった。
わたしが言い当てたことにご満悦なんだろうな。
しかしそのことは置いておいて、さっきからレオン様の言葉に違和感を覚えている。
そのせいで長年疑問に思っていたとこが、またしても頭に浮かんでいた。
今なら答えてくれるかもしれない。絶好の機会だ。
わたしは思いきって口を開いた。
「あの、レオン様がエレン様と婚約をしなかったのは、ティリル侯爵家の権力が大きくなりすぎないためですよね」
「いや?」


わたしは肯定されるとばかり思っていて、ならわたしと婚約した理由は何ですかと続けるつもりだった。
至極あっさりと否定したレオン様を凝視して、ぽかんと口を開けてしまう。
「え?ええっ・・・?」
「別に私とティリル嬢が結婚したとしても、問題があったわけじゃない。王太子妃ならともかく、第二王子妃だ。王位を継ぐのは兄だし、私と結婚しても、王妃にも国母にもなれない。万が一にも可能性がないわけじゃないが、兄は健康体だし長生きするだろうな。第二王子妃の父親の権力なんて、たかがしれてるんだ。その地位で幅を利かすなんて、先代のティリル侯爵ならともかく、今の侯爵では無理だな」
伯爵位であるわたしの父なら、娘が第二王子妃になるなんて、出世に繋がるすごいことだが、侯爵ともなれば変わりばえしないのだろうか。
それとティリル侯爵の権力が強いのって、先代のおかげだったんですね。それなら尚更問題はない。
ちょっと待って、じゃあレオン様ってエレン様と婚約してもよかったってことよね。
「それなら何故、エレン様と婚約しなかったのですか?」
「・・・はあ?」
あ、レオン様が変な顔してる。
「なんで私がティリル嬢と婚約しなくちゃいけないんだ」
なんでと言われましても。
「お二人はとても仲がよかったのではないのですか?だからこそわたしと婚約する前は、皆がレオン様とエレン様が婚約するのだと思っていたはずです」
「それは私と年の合う娘の中で、ティリル嬢が一番身分が上だったから、周りが勝手にそう思い込んでいただけだろう。だいたいにして仲がよくなんてない。子供の頃に遊び相手として王宮に来ていた貴族の子女の、何人かのうちの一人というだけだ。直接会話したことも、あの頃はほとんどなかった」
「ええっ?!」
ものすごく衝撃を受けているわたしを、レオン様は不思議そうに見ている。
「あの頃から性格悪かったぞ。王子である私の相手をしに来ているはずなのに、男はみんな自分をちやほやするものだと思い込んでいて、私よりも偉そうだったな。そのくせすごく話しかけてほしそうに見ていたから、なるべく目を合わせないようにしていた」
それってむしろ避けていたってことですか。
いや、でもでも。
「でも絶世の美少女ですよ!」
身分がなくたって、男なら誰だって結婚したいと言われている人だ。
「そうか?普通の美人だろう。幼少の頃は確かに、天使だと言われても納得していたが、あの女、性格の悪さが年々顔に出てきているぞ」
「・・・・・・・」
もう面倒臭くなったのか、あの女呼ばわりだ。
実はわたしもちょっとだけ、ちょっとだけ思っていた。
エレン様、段々と美人度が落ちていってやしないかと。
でも相変わらず美貌に関しては褒め称えられていたので、気のせいか、もしくは僻み根性でも出てしまったのかと。
「噂に惑わされて、そう思い込んでいる人間が多いんだろう。私と仲がいいというのも、誰かが勘違いして言ったことが、独り歩きしていったんじゃないか?」
あり得ることだった。貴族というのはゴシップが大好きなのだ。
それならわたしが今まで、エレン様に申し訳ないだとか、レオン様が気の毒だとか思っていたことは、全くもって見当違いということ?
エレン様に鋭い視線を向けられて「わたしくしとレオン様の仲を引き裂いた人」だと思われていると感じていたのは、妄想だということですか。
「わたしの苦悩って・・」
思わず漏れた呟きに、レオン様が顔をしかめた。
「ずっと私がティリル嬢と結婚したくても出来ないんだと思っていたのか?今までずっと?なんだってそんな・・・・いや、いい。わかった。イグナス男爵らが、お前がそう信じ込むように仕向けていたんだな」
忌々しそうに舌打ちする姿は、かなり苛立っているようだ。
確かにレオン様の言う通りなんだけど、わたしだって自分に悪意を持っている人の言葉を、すべて鵜呑みにするほどバカじゃない。
他にも理由があるのだ。
わたしはずっと、どうしてレオン様の婚約者が自分なのかがわからないでいた。聞きたいけど聞けなかったのだ。
何か身分が高すぎない娘にしなくてはいけない理由があるんだと思っていた。
そしてたまたま選ばれたのがわたしなんだと。
それぐらいしか思い付かなかったから。
負い目というのだろうか。本来なら選ばれるはずのなかったわたしが選ばれたものだから、少し卑屈になっていたのだ。
「レオン様」
「何だ?」
「では、わたしが選ばれた理由は何ですか?」
姿勢を正して、何を言われてもいいように身構える。
「私が望んだからだ」
こっちが真剣な顔をしているのにも関わらず、飽くまでもあっさりと言う。
首を傾げた。
答えが簡潔すぎて、意味が掴めない。
「初めて会ったのが王宮の、少し規模の大きいお茶会だっただろう?」
わたしは頷く。
大きいといっても、まだ大人になっていない第二王子のためのお茶会にしては、というものだったけど。
「あの時、両親に言われていたんだ。この中でなら、誰を選んでもいいと」
「・・・・・・え?」
「私は子供の頃から出来がよかったが、周りが誉めそやしても妥協しなかったからな。王子としての勤めをこれだけがんばっているのだから、結婚相手くらいはある程度は選ばせてやるということらしい。ただ兄が、隣国の王女と結婚することになったものだから、王族と縁を結ぼうとしていた貴族が私に集中して、いらぬ諍いを起こさせないために、さっさと決めろと無茶を言われた」
「・・・・はぁ」
ちゃんと話を聞いているはずなのに、内容が頭に入ってこず、まともな返事もできない。
お茶会に参加していた令嬢なら、誰でもいいと言われた?
確かにあのお茶会は令息も多くいたけど、令嬢は二十人くらいいた。レオン様とお似合いの年齢の令嬢が。
「面識のあった令嬢の中には、妻にしたいと思える相手はいなかったからな。だけどそれまで会ったことのなかった令嬢と、急に頻繁に会うわけにはいかない。大々的に相手選びをしているなんて知られたら騒ぎになるからな。だからあのお茶会の間中に決めることにしたんだ」
丁寧に説明してくださっていますが、何かおかしいですよ。
「あの、あのお茶会でわたしはレオン様と挨拶しかしていませんよ」
「ちょっと話したか、挨拶だけしたかの違いなんて、あってないようなもんだろ。相手がどんな人間かなんて、わかるわけがない。だから勘で選ぶことにしたんだ。お前を見たときに、お前がいいと思ったんだよ。まあ、要するに顔と雰囲気が気に入ったってことなんだろうが」
この人はさらりとすごいことを言う。
わたしは顔に熱がこもるのを感じた。
告白をされたわけではない。
でも政治的な理由で選ばれたわけでもない。それは、
「レオン様ご自身が、わたしを選んでくださったということですか」
「そう言っているだろう。だいたい他にどんな理由があるんだ。大金持ちでもない伯爵の娘と婚約するのだから」
さも当然、といった顔だ。
考えもしなかったわたしが馬鹿のような気がしてきた。
だめだ、顔が緩んでしまう。
「お前以上に王家にとって利のある相手はいた。だがそんな理由で、生涯の伴侶を決めてたまるか。選んでいいと言われたら、そりゃあ気に入った相手を選ぶだろ」
確かに夜会のパートナーを選ぶのとは訳が違う。その後の人生をずっと共にいるのだから、結婚するのに家の都合がいいけど、気の乗らない娘よりも、結婚するのに家の都合が悪くはない程度だが、気に入っている娘となら、気に入った娘を選ぶのが人情というものだ。
つまり本当に、レオン様の個人的な感情で、わたしという人間を選んでくださったのだ。それが直感によるものだとしても。
顔が赤くなっている気がして、俯いてしまう。
今すぐ走って自分の部屋に閉じこもりたくなったが、頭の半分くらいはまだ冷静だった。
まだ確認しないといけないことがある。
どうせなら、すっきりしたい。
「ではレオン様が、わたしの勉学についての要求が高くていらっしゃったのは、ただ必要だと思われたからですか?」
これも勘違いの理由のひとつなのだ。
わたしの教育水準は、レオン様の指示によりかなり高かった。
身につけて損のないものばかりだったが、王族の伴侶になるのだとしても、やや行き過ぎであるようだったのだ。
本来なら礼儀作法さえきっちり出来ていれば、勉強は基礎知識さえあればいい。
エレン様がいい例だ。彼女は立ち振る舞いはいいものの、頭はあまりよろしくない。そんな彼女が立場上ではわたしより、第二王子妃に相応しいのだから。
だから彼の隣に立つには不相応なわたしを、レオン様はなるべくまともに見えるように努力しているのだと思っていた。
でもこれも誤解だったのなら、理由をちゃんと知りたい。
しかしここにきて初めて、レオン様は言いづらそうに口ごもった。
「もちろん必要だというのもあるんだか・・」
「違うんですか?」
「いや、まあ・・お前と婚約したばかりの頃なんだが、年頃の娘を持つ上流貴族が『ティリル侯爵令嬢ならわかるが、なぜハーレイ伯爵令嬢なんだ』って、かなり文句を言っていたんだ。あいつらは勝手に私がティリル嬢と婚約すると思っていたから、ティリル嬢なら格上だから納得していたのに、お前では納得できないらしい」
つまりわたしに不満があったのは、レオン様ではなくて、チャンスがあったことに気づかず見逃していた上流貴族の方々ということですか。
「家格だけ見て、ティリル嬢の方が相応しいなどと言うあいつらに腹が立ったんだ。あんなわがままで考えなしの令嬢よりも、お前の方がよほど王子の妻に適していると証明してやりたくなった」
「え?」
「実際にお前は私の予想以上に優秀だった。やれと言ったことは必ずやれるようになったし、美人びいきのあいつらが、文句のつけようがないくらい、綺麗にもなった」
「ええっ?」
「あいつらにお前が四カ国語を話せるようになったと言ってやった時の顔は愉快だったぞ」
その時のことを思い出したのか、レオン様は楽しそうに笑った。見返してやったと、実に満足そうに。
でもわたしはそれどころじゃない。
きっと耳まで赤くなっている。恥ずかしすぎる。
というか、それならそうと言ってくれたらいいのに。何も聞かずに言われた通りにしていたわたしにも問題はあるけれど。
でもレオン様って、女性に綺麗とか言ったりするんだ。初めて聞いた。わたしが言われたんだけど。
そうです。わたしが言われたんだよ、レオン様に、綺麗って。
もう、ダメだ。
わたしは両手で顔を覆った。
ずっとわたしなんかが婚約者で申し訳ない、気の毒だって思っていたのに。
本当は望まれていたなんて、そんなのないでしょう。
胸が熱くなって、涙が出そうになる。
クッという声が正面から聞こえた。
ひどい。笑い事じゃないですよ、わたしには。
ここは一応、優しい言葉をかけるところじゃないんですか。
指の間から恨みがましい目を向けると、レオン様は笑い声を堪えていた。
なんて人ですか。
理想の王子様なんて、誰が言い出したんだろう。
こんなに女性に優しくない王子様なんているはずがない。
「まあ、これで心配事はなくなったわけだな」
平然と会話を続けるのは、無神経なのではなくてわざとだろう。
わたしをからかおうとしているに違いない。わかっているのに何も言えず、ただ上目使いに睨むしかない。
「それで」
許容量をとっくに越えているわたしに、レオン様はこの上なく楽しそうに言った。
「結婚式はいつにする?」

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