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目の先の
作:鎌学 文芸部


日曜日なのに何もすることがなかったから、というのは少し変だけど、久々に太陽の光を浴びようと思って、僕は近くの公園に行くことにした。だぼだぼのジーパンをはき、上はシャツ一枚でとにかく散歩だけだからというかっこうで外に出た。
 公園は僕の住む建て付けの悪いアパートから歩いて五分ほどのところにあった。就職先が決まってから近所を確認するがてら一度来たきりで、大きな公園だなと思っただけだった。
 そうか、ここに来てからもう半年も経つんだな。
 今はもう仕事も生活もある程度慣れたし、引越し当初よりずっとまともな生活を送っている。ちゃんと食事を作って、ちゃんと後片付けまで出来ている。お話の中のダメ学生みたいにはなっていないはずだ。
 いろいろ思い出しているうちに公園の入り口が見えた。
 思った通りの広い公園で、敷き詰められた芝生が太陽に輝いている。僕はその中に足を踏み入れた。
 風は芝生の上を通って、僕の傍を吹き抜けていく。そのまま周りの木も揺らして、駆け足に去っていった。
 気持ちがいい。久々にそう思う。慣れてきた仕事にも、生活にも、どこか退屈で疲れていた。変わらない毎日が過ぎていくことに、どこか苛立っていたのかもしれない。
 そんな気持ちも一瞬にして吹き飛んでいった。
 すがすがしい気持ちになって、ぶらぶらと公園を適当に歩くことにした。レジャーシートを広げている家族の脇を通り、ベンチに座って話をしている老夫婦の前を通り、キャッチボールをしている親子のそばを通って、着いたのは池だった。
 睡蓮が浮いている。ときどき見える魚は多分鯉だろう。
 前に来たときもそんなにいたわけじゃないので、ここに池があることは知らなかった。木陰が多くて、ちょうどいい涼しさを保っていて気持ちがよかったので、僕はそばにあるベンチに座った。
 池の柵を乗り越えようとしている子供がいた。柵の向こう側にカモがいて、もしかしたらつかまえようとしているのかもしれない。やっと気付いた母親らしき女性が、強引に柵から引き摺り下ろした。やっと降りた子供のおでこにデコピンをして、母親が笑いながら何か言うと、少ししょげていた子供が顔を上げて笑った。仲良く手を繋いで、その親子は去っていった。
 田舎にいる母さんを思い出した。
 元気にしているかな。僕が地元の大学に行っているときに病気にかかってから、家の中で寝ながら内職しているらしいということだけは聞いた。母さんは働き者で、父さんの低収入を補っていてくれていた。そのおかげで無事大学を卒業できてここにいる。
ここに来てから電話をしていない。こんなかっこの悪い新米の姿なんて見せたくなかった。それに、電話するときには出世しているから、と出て行くときに母さんに言っといたし。
僕は母さんを尊敬している。
あんなに働き者で、家事もちゃんとこなして、それなのに文句のひとつも言わなくて。
僕が料理を出来るのは、少しでも、せめて料理くらいはやろうと思ったことがきっかけだ。ただ、うまさだけは母さんに教えてもらったけど。
顔を上げてみると、柵の前でギターをもった人――僕と同い年くらいだと思う――が目に入ってきた。その人はギターを肩にかけて、柵の上にひょいと座った。
僕と目があった。というよりも、向こうが僕の方を見たのだけれど。その人はニヤッと笑って、ギターのネックに視線を移し宙に浮かせた足でリズムをとってギターを弾き始めた。
かなりうまかった。
公園に弦の振動が伝わっていくように響いていって、風もがリズムをもっているように思えた。哀しさを表している歌声のひとつひとつの音がしっかりと僕の耳に届いて、僕の感情をかき混ぜる。心が騒ぐとでも言えばいいんだろうか。久々に、本当に久々に感動した。
ジャラーンと最後の音が、寂しく消えていく。
思わず出た単調な拍手にもかかわらず、彼は喜んで受けてくれたようだった。
「では次、「砂時計」。聴いて下さい」
簡単に説明して、ギターにまた手をかける。
その頃にはもう僕と彼との間をどんどん人が埋めていっていた。それでも、なお歌の響きは届いてくる。誰もが静かに聴き入っていた。
曲が終わると、公園は拍手の海になった。レジャーシートを広げていた家族も、ベンチに座って話をしていた老夫婦も、キャッチボールをしている親子も、拍手をしていた。
「うまくなったのう、大広君」
いつの間にか隣に座っている老人が呟いた。
「大広君?」
「彼じゃよ」
ギターを持っている笑顔の男を指した。
「彼の父親は昔な、この公園で同じように弾き語りをしていたんじゃな。よく私と話をしてたもんだよ。プロになったらサインをくれる約束してたんだがな、交通事故で夢は中途に終わってしもうた」
「そうなんですか……」
「でも、息子は叶わなかった父親の夢を実現させたようじゃな」
「え?プロなんですか?」
「今年からデビューするらしいがね」
どうりで上手いわけだ。すごい人はいるものだ。同年代でも、すごい人はすごい。年下にオリンピック選手がいるくらいだ。当たり前かもしれない。
そう考えていると、僕は人を惹きつける何かをもっているわけでもないし、人を感動させることができるわけでもない。ただの、社会を形成する一人に過ぎないのだろう。

高校生の時、僕もギターをやろうと思ったことがあった。でも、飲んだくれの親父が小遣いをくれるわけでもないし、母さんにせがむわけにはいかなかったから、早めに下校して禁止されていたアルバイトをこっそりしていた。アルバイトというのもいいところが見つかったもので、ちょっと古いスタジオのアルバイト。毎日かすかに漏れてくる音楽を聴きながらギターを弾いている自分を思い浮かべていた。
ある時、ちょっとしたきっかけでお客さんと仲良くなった。隆二さんと言って、インディーズとして活動していたグループのギターの人で、僕がギターを眺めたりしてたら「触ってみるか」と優しく言ってくれた。僕は当然アコギを買おうとしていたけど、隆二さんのはエレキだったから、全く感触が違うのかも知れないけど、とにかく興味で教えてもらった。でも、全く弾けなかった。指は届かないし、思ったとおりに動いてくれなくて、隆二さんは困った顔をしながら僕を教えてくれていた。
今になって、隆二さんは僕にけっこう真剣に教えてくれていたんだなと、思っている。あまりに弾けなかったので、ちょっと僕はやけになって、適当に弦を抑えて、思い切り弦をはじいた。ギターはガンガンに弾き鳴らすものだと思っていたので、ちまちました練習に飽き飽きしていたのは確かだった。でも、加減も出来ずに弾き鳴らしていたので、弦が切れてしまい、変な音がスピーカーから聞こえてきた。隆二さんは激怒していた。
それきり、僕はあのスタジオには行かなくなって、隆二さんも見ていない。

「あの子も大変だったんだよ」
「え?」
老人は目を細めて、人の隙間にかすかに見える大広君を懸命に見ようとしていた。
「ずっと前からここに来ていたんだがね、まあ歌が下手で、ギターも下手で、ひどいもんだったわい」
「あんなに上手いのに」
「努力の結晶、だよ」
さすがにあきらめたように、老人はベンチから乗りだしていた体を背もたれに置く。
「努力の……」
「一言で言えばそれだけで終わってしまうがな、努力というのは誰彼にもできるわけじゃないからの」
懐かしむかのように空を見上げながら老人は続けた。
「努力はな、人にはわからないからのう。だから人と比べられないんじゃよ。でもな、大広君は、あきらめなかったぞ」
「プロの夢、ですか?」
「そう、親父の夢を叶えるんだって言ってね。私が知っているのは、高校生くらいからだったからのう。多分中学生の時にはもう始めていたんだろうに」
「中学の時から毎日ですか?」
「家にいると迷惑がられると言っとったかのう」
三曲目がかかった。一、二曲目とは違う、速いテンポの曲だった。
毎日というのは大変だ。多分、学校が終わってからすぐ帰ってここに来ていたんだろう。中学生からやっているということは僕と同い年だとすると……十年。十年間ギターを弾き続けていた。
十年間も弾き続けて、夢をかなえられるんだ。努力が報われたんだ。
「よくがんばりましたね、大広君」
サビに入ったらしく、高い声が多くなっていた。
「がんばった、とはちょっと違うんじゃないかの」
人の壁を眺めながら老人は微笑んでいた。
「もしプロになれなくても、大広君なら一生ここで歌い続けるんだろうね」
「そうですかね」
「当たり前じゃよ」
二回目のサビに入って、またおとなしかった声が一気に高くなる。きれいに公園に響いていた。
「目標があるんじゃよ」
「プロになって歌うってことじゃなくて?」
「それもあったろうがな」
次第に小さくなっていった声は、ギターの音と共に消えた。拍手がおこる。
「父親のよりも、もっと歌を愛する」
「え?」
「彼はね、歌が上手くなりたいということもあったろうけど、歌い続けたのはもっと歌を愛したかったからなんじゃよ。父親が愛したようにな……」
空はまぶしいくらいに光っているように見えた。街を歩いているときにはうっとしいと思う太陽も、しっかりとこの公園を飾っている。
「どんな人だったんですか、そのお父さんは?」
うーん、と老人は少し悩んだように目を細めた。
「そうじゃの、一言で言えば「音楽人間」かの。恋人もろくにいなかったようじゃしな。あーそうそう、彼が弾く曲で恋人がいるかいないかわかるんじゃよ。失恋した日には本当に暗くなるような歌を弾いていたからのう」
また懐かしむように空を見ていた。
大広君のお父さんが、なんだか母さんに似ているような気がした。仕事一途で、「仕事人」という言葉がぴったりと当てはまる。
ただ違うのは、僕は母さんのような「仕事人」になろうとは思えないことだ。
「大広君はな、父親の愛したものを、同じように愛したからあそこに立っているんじゃよ」
「愛したもの……」
「音楽じゃな」
母さんは愛したものなんてあったんだろうか。僕は何か愛せるものがあるんだろうか。
ジャラーンとギターの音がした。
「では、次。えーと、僕、プロデビューすることになりました。そのデビュー曲です。聴いて下さい「Life たち」」
拍手でざわついていた一瞬で聴衆が静まり返った。やっぱり大広君はすごいんだ。
一度伸びをするように両手を伸ばし、足でリズムをとって、弦に指をかけた。高い音がメロディーを作って響いて、そこへよく通る声が重なる。

「ぼくは誰のために生きてるの?
 君は何のために生きてるの?
 それはきっとわからないでしょ
 それは絶対わからないでしょ
 ねえ わかってどうするんだ」

激しく弦が弾かれて、悲鳴をあげているようだった。
徐々にゆっくりと静かな曲になっていく。

「うまくいかないってわかってても
 My Life Your Life 誰も知らない
 やってみるだけやってみよ
 Success Lose いいじゃんよ

 目をにじませて生きていこうよ」

高い音が、この公園に吸い込まれるように響いた。
最後の歌詞は、かすれるような声なのに、僕の耳にははっきりと届いた。
「さすが、というべきかの」
目を閉じながら老人が言った。
「そうですね」
僕は空を見ていた。
そうだ、まだこれからの人生何がおこるかわからない。だからやってみる。だから生きていく。
今愛するものがあったら、人生なんてつまらなくなってしまうのかもしれない。母さんが愛したものと同じものでなくても、何か愛するものができるまで、目をにじませて生きていこう。

終わって、大広君は自分でレーコーディングしたCDを売り始めた。これからメージャーデビューするのだから、オリジナルのマイナーな曲はもう聞けなくなるだろうということと、安いことと、あと生で聴いた後で感動した人が多かったらしいのが足されて、CDは文字通り飛ぶように売れていた。サインをもらっている人もいるようだ。
僕はベンチに座って、徐々に消えていく人ごみを眺めていた。
10分くらいするともう人はいなくなって、やっと大広君の顔が見えた。僕や同僚のやつらと同じくらいの歳の顔が見える。
来たときのように目があった。僕は笑えていた。
売れきれていたと思っていたCDが、一枚だけかごの中に残っていた。
「一枚ください」
「五百円です」
財布からちょうどあった五百円玉を取り出して、大広君の手に直接渡す。ごつごつとした手だった。誰かが言っていた。手のひらはその人の力量をあらわすそうだ。これが努力の結晶というものもなんだろうか。
「はい」
CDが僕の手に渡った。ジャケットは目の前の池。ここから撮ったのだろう、まったく同じ風景が見える。
「がんばってね」
大広君は何も言わないで、笑みのまま頭をさげた。
池を離れてからもう一度CDを眺めて、写真がすこしぶれていることに気づいた。

買った雑誌にたまたま載っていた大広君は、もういっぱしのミュージシャンという感じがしていた。僕のウォークマンにはちゃんとあの歌が入っている。
「目をにじませて生きていこうよ」
イヤホンから流れてくるたびに、どこかすがすがしい気持ちになる。

「母ちゃん、元気か?」
「雅樹かい?もう出世したんかえ?」
「いや、まだだけど‥‥‥」
まだ、これからだ。


ギター始めて一ヶ月
あまり進歩してないけど知ったかぶって書いてみました

大広君みたいになれればいいなぁ

宜しくお願いします













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