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気体から
作:晴天



春人と亜美


「美味しいです。久しぶりにこんな美味しいものを食べました。手作りのお弁当なんて、子供の時に母親に作って貰って以来です。なんだか、もう、思い残すことはないような気がしてきました。」春人は、薬園ローンの応接室で、亜美の作った朝食のお弁当を、亜美、まゆの三人で食べていました。

昨日、まゆと杉田に連れられてこられた春人は、逃げ出すことのないように、杉田の見張りの元で薬園ローンに泊まらされたのです。
これには、自殺をさせないためと、自己破産をさせないための配慮も含まれるのですが。
自分の分の朝食がない杉田は、しぶしぶと近くの牛丼屋に朝食を食べに行きました。したがって朝の6時に、この事務所に居るのは「春人」「亜美」「まゆ」の三人だけになる訳です。

「昨日、考えたのですが」春人が亜美の作ったお弁当を平らげると話を切り出しました。
「私、離婚して別に暮らしている子供のために生命保険に入っているんですよ。その額が丁度3000万円。これも何かの縁のような気がしてきましてね。」
「何を言ってるんですか、私どもは生命保険を担保にお金を貸すようなことはしません。ご自分で作った借金は、ご自分の力で返せるはずです。」亜美は今までには同じようなことを何度も言って来ました。

「昨日、ここに来たときに安堵したんですよ。ここに居れば全ての苦しみから解放される、重荷を下ろせる。そんな風に感じたんですよ。
のん気に毎日を暮らしているように見えても、嫌な思いや苦しい思いもたくさんしてきました。騙されたのこれが初めてではないのですよ。」
春人は、穏やかに楽しい思い出話でもするように話はじめました。
今までも亜美に生い立ちや苦労話をする人は、たくさん居ましたが、みんな泣きながら自分の不運を嘆くばかりで、春人のように優しく語りかけることはありませんでした。

「司法書士の資格を取ったのも、会社をクビになり他に就職のあてもなかったので取ったんです。3回落ちましたけどね。クビになったのも下らない理由で、要は会社が退職金を払わずに人員整理をしたかったのだと思います。そんな会社ですから辞めても後悔はなかったのですが、司法書士を取るまでの3年間はバイト代や妻のパートが頼りの毎日でした。流石に3回目に落ちた時には、妻は子供を連れて実家に戻りましたけどね。」
ここまで話したところで、まゆがコーヒーを入れに席を立ちました。コーヒーが来るまでの間は春人は微笑みながら少しずつ賑やかになってくる街の風景を眺めてました。

「朝の挽きたてのコーヒーは最高の贅沢です。ありがとうございます。」春人はこの世の最期に飲むコーヒーのようにゆっくりと少しずつコーヒーを味わいました。
「この部屋は落ち着きますね。なんだか良い匂いもする。」
「香を焚いているの。ママの趣味でね」まゆが嬉しそうに言いました。

「さて、落ち着いたら債権の総額を確定して、返済方法を相談しましょう。」亜美が少しずつ出勤してくる社員を見ながら落ち着いた口調で言いました。

朝食後は、まゆを学校に送り出し、返済プランが出来るまで亜美は応接で監視をしながら仕事をしていまいた。

二人きりでいても気にならない春人の存在。まるで居るのか居ないのか分からない存在感。その癖、書類からふと顔を上げるとニッコリと微笑む顔に安堵感を覚えるのでした。
時々、話しかけると楽しそうに昔話をしたり、仕事の話をする春人に「この人は借金を抱えて死ぬことさえも考えたひとなのかしら?」と疑問を感じるほどに穏やかに正直に話しをする人でした。
つい亜美も人柄に魅かれ本来聞いてはいけないことまで聞いてしまいました。

「秋本さんは、法律に詳しいのに、なんでこんなことになったのですか?自己破産なり有限責任にするなり出来たのじゃないですか?」
「そうですよね。社長の夢になんだか乗ってしまいたかったのです。自分に夢がなかったから。自己破産は信用してくれた方々の顔を思い浮かべると踏切りがつかなかったのです。いつも、優柔不断が災いを招いている気がします。」
「これからですよ。まだまだお若いのだから。あら、私より年上の方に言うセリフじゃないですね。」亜美は久しぶりに穏やかな気持ちで笑った気がしました。


「忙しそうですね。」春人が、眉間に皺をよせてノートパソコンを睨んでいる亜美にポツリといいました。
確かに忙しく毎日を過ごし気がつけば、寝る前に飲むビールが唯一の楽しみになっていました。












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