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レヴィアタン

作者:小田中 慎
 
 ソレは生物いきものではない。

 身体と呼べるものは無く、一体いつから存在しているのかも分からない。
 実体が無く、飲食も排泄もしないので生物とは呼べないが、高度な知能を有し思考する事が出来るし睡眠も取る。
 中部太平洋に数多あまた点在する環礁。ソレはそのひとつに棲んでいた。
 かなり長い間、その周囲百キロにはヒトが立ち入らなかった。カレは――ソレでは味気ないので仮にそう呼ぶが――それまで渡り鳥や魚、鯨や鮫を日長一日眺めながら環礁の内懐、珊瑚の間に横たわっていた。
 素早しこく動く魚や優雅に円を描く渡り鳥を見ているだけで、カレは癒された。
 それは百年一日の如く全く変化の無い生活でそのまま数百年、そして千年と続いていった。

 ある日、ヒトがやって来た。 
黒い体の二本足で、カレがそれまでに見たどんな生物よりも醜悪に見えた。 
 それは三人いて、素朴な木を刳り貫いただけのカヌーに乗り、原始的な帆を立てて風を受けながら何処からか海を渡ってやって来た。 
 その男たちはカレの目前で上陸し、流木や乾いた海藻でカレが初めて目にした火をこした。
 焚き火を囲んで一晩波打ち際で過ごした後、環礁で魚を獲り生のまま食べ、再び驚くほどちっぽけなカヌーで海原へと消えて行った。
 これはカレには刺激的な体験だったが、その黒い二本足の事を深い嫌悪で記憶した。何故なら奴らは、カレお気に入りの、僅かな砂地に生えていた椰子の木を汚したのだ。
 それはカレが『偉大な旅人』と名付けた、環礁に僅か四本しか生えていない中でも一番古くからある椰子だった。あの者たちは巧みにするすると昇り、旅人の『魂』を四個も地面に落とし、割って中身を飲み食いした。あれは旅人の生命の源、カレはその源が海を漂いこの環礁の僅かな砂浜に寄せられ、芽吹き、成長して行く過程をつぶさに観察して来たのだ。

 その後、暫くは平穏な日々が続いた。およそ500年の間はその地にヒトが寄る事はなかった。カレは魚たちと穏やかな暮らしを続けていたが、やがてそれも終わる事になる。
 ヒトが頻繁にやって来ることになったのだ。

 最初に来た素朴な黒いヒトよりも大きな、白い羽を思わせる帆を付けた船で白い彼らはやって来た。
 環礁の沖合に船は停まると、さらに小さな船を下し、10人程が上陸して来た。奴らは狭い環礁を我物顔で歩き回り、魚を獲った。ここには真水はなかったので奴らが居付く事はなかったが、ゴミを投げ捨ててカレの楽園を汚し、酒を回し飲みして大騒ぎをした。翌日には白い羽を広げて海原へ消えて行ったが、我慢ならない連中だった。

 それからは同じ様な連中を目にするばかりだった。
 1年に二度三度とやって来て、島を汚しては去って行く。ある時など、沖合の船から凄まじい音のする、何かの塊を環礁に投げ付け、珊瑚を吹き飛ばしたりもした。時折、黒いヒトも来たが彼らは比較的おとなしく、環礁で一夜を過ごすと魚を獲っては去って行った。

 カレが静かに過ごせる時間は少なくなって行く。あの白い羽を付けた船がやって来てから300年後には、奴らは空からどんな鳥にも出せないようなスピードで急降下する鉄の鳥に乗って、環礁に穴を開け破裂する塊を落としてカレを驚かせた。やがて大勢で上陸し、何か穴を掘ったりしているな、と思ったら、数ヵ月後に別の集団が鉄の船でやって来て、盛んに爆発する例の塊をぶつけて最初の連中を殺し始め、環礁が血に染まったりもした。
 サメが魚を食べたり、鳥が魚を獲ったりするのはよく目にしていたが、こいつらは殺すだけで食べなかった。何のために殺すのかカレにはさっぱり分からなかった。

 その後50年余り、もうヒトは常にカレの近くにいた。
奴らは環礁に鉄の大船で運んだ大量の土を盛り、家を建て、水の上にさえ小屋が林立した。騒がしく環礁の中の水上を走りまわったり、鉄を背負って海に沈んだり、膨らんだ布を背に空を飛んだりした。
 何と言う愚かしさ、騒がしさ、日々それを感じる度、カレは憤り、存在しない身体が熱くたぎるのを覚えた。 

 いなくなれ、いなくなれ、とカレは祈る。しかし奴らはいなくならなかった。

 …………………………

「課長の野郎、また人のせいにしやがって・・・」

 ステーションビルの地下街、千円札で生中が3杯飲める立ち飲み屋で、安いツマミを前に2人のサラリーマンが飲んでいた。仕事のウラミツラミをさらけると、一人が、
「それにしても今日も暑かったな、どうなってんだ、日本は」
「異常気象だろ、CO2排出のツケが回ってんのよ。ひでえよな、途上国は俺たち並みになれないからと自分たちの排出量を緩和しろと言うしな。考えても見ろってんだ、あいつらが俺たち並みになる頃には、ここいら砂漠になってるって」
「何とかしなくちゃならないなァ、何かするか?」
「木一本植えるのだって金掛るんだ、カミさんが許すわけねえよ」
「そーだよなー、エコったって俺たちが何か出来るのも限られてるよな・・・」
 その時、外では雷が鳴り始め、急に降り出した雨は加速度的に凄まじい集中豪雨へと変わって行った。

 一時間に300ミリという信じられない量の雨が降った。
 駅の地下は急激に浸水し、逃げ遅れた人間の数は想定もつかない有様だった。レスキュー隊は、一日過ぎてもまだ水面下に沈んだ地下街を懸命に捜索していて、ダイバーが既に10名の遺体を収用していたが、まだ辿り着けないその先にはかなり多くの遺体が漂っているのが見えた。あるダイバーは折り重なる人間で入口がふさがった凄惨な状態の立ち飲み屋の前で、胃を引きつらせながら途方に暮れていた。

 …………………………

 南国のカレは、レジャーという名のバカ騒ぎに勤しむヒトの群れを見て、今朝も溜息を付いていた。
 カレの積もった静かな怒りはその熱を伝播させ、海水温をじわじわと上昇させているし、溜息は怨みの籠った冷気となって海面を走り、数千キロ彼方で巨大な雲の渦を作っていたが、そんなことはカレの知ったことではなかった。

 言い忘れていたが、最近、カレにはカノジョが出来た。
 千キロほど離れた環礁にいたカノジョは、そこが海水面上昇で沈んでしまい、仲の良かった珊瑚も死滅してしまったので泣きながらそこを離れ、漂っていたのだ。そして海流に乗ってこの環礁へ辿り着き、カレと出合った。フタリとも自分の同類がいるとは思わなかった。フタリは一目で相手を気に入った。

 そう、これも言い忘れていたが、カレらは繁殖もする。

−完−

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