ホワイトでー・10倍返し☆
「おい、奈良! はやく企画書提出しろ!」
帰り際になり、突然上司の砂野テマリがピリピリして叫んだ。
シカマルは企画書を手にしてデスクに向かう。
「この企画書じゃない!」
バン! と叩きつけられて、何だかいつにも増して機嫌が悪いのにシカマルは眉を寄せる。
ピーチクパーク新聞社のデスクであるテマリは、バリバリのキャリアウーマンで、
鬼上司として社内でも知られていた。
整った顔に光るメガネが冴え、益々インテリ度を引き立てている。
----どの企画書を指しているんだ…?
シカマルは頭の中を探るが、現在自分が考案中の企画書といえば、
今出したばかりの謎の民・『暁』への密着取材に関する企画書以外、
他に思い当たる節はなかった。
テマリの顔が更に引きつった。
そして、頭のいい割に鈍感な彼を自分のそばまで来るよう手招くと、
「----10倍にして返せと先月言っただろ…」
小声で囁かれ、ああ、そのことことかと、2月14日にデスクに有難く頂戴した義理チョコの件を思い出す。
義理とは言え、まさかこの鬼上司にもらえるなんてことは夢にも思ってもみなかった。
他の女性社員にも沢山義理チョコをもらい、それは全員にお返しした。
だが、この人にだけは実は準備をしていないシカマルだった。
もらった中で一番安い、その辺でよく見かける100円台のチョコレートだったが、
「10倍にして返せよ」と言われ、実は適当に陳列されたクッキーを物色していたが、
「果たしてあの人はこんな物で満足するのか? 下手すれば睨まれるな…」
そう考えると、つい買うのもためらいがちになってしまっていたのだ。
迷った挙句、何も買えずにいたのだが、周りの女子がもらって浮かれているのに、
いつになっても自分にだけ返ってこないのを気にしていたとでも言うのであろうか…?
-----でもまさかこの鬼上司が…?
しかしシカマルも、このまま何も渡さず帰るつもりなど毛頭なかった。
「だったら、今夜付き合ってくれます? 10倍以上お返ししますんで」
「……」
一瞬、躊躇したようにテマリは無言になったが、シカマルをギロッと睨み返すと、
「…ああ、いいぞ。期待しててもいいんだろうな?」
挑戦状を受けて立つとでも言いたそうな彼女に、企みを孕んだ顔でシカマルも微笑んだ。
*
バーに入り、カウンター席に座ると、カクテルを二つ注文する。
「いいか、ここからは上司と部下ではないから、敬語はよせ」
「それはつまり、無礼講ってことっすか?」
「お前まだわかっていないようだな」
「…つまり、今ここにいるオレたちは、ただの男と女ってことか」
「ああ、それでいい」
タメ口に満足したのか、出されてきたカクテルのグラスを持ってテマリはグイッと口に運んだ。
一気に飲み干し「プハーッ!」と、勢いよく息をつくテマリを見て、
「親父か…」と、はにかまずにはいられない。
足を組んで座る彼女の脚線美が、タイトスカートから垣間見えている。
その太ももが目に焼きついて離れずにいるシカマルだったが、勿論気づかれぬよう、
時々横目で視線を送るに留めていた。
元々美人でナイスバディの女だ。
ただそれとは裏腹に、男勝りな気性の荒い性格なので、
恐れを抱く男たちが誰一人寄ってこないのも当然と言えば当然だった。
二十代後半の独身で、まさに今が旬、今が花盛りの年頃なのに、男の影も形も見えない。
陰で男たちが口々にする言葉でさえ、惜しいな…と残念がる噂ばかりが目に付く。
だから、そんな逞しい彼女が、あんなふうに変貌するとはシカマルも思ってもみなかった……。
帰り際、酔ってテーブルに突っ伏して眠るテマリを起こそうと肩をゆすった時、
嫌がるテマリの手が、はずして置いていたメガネにぶつかり、そのまま飛んで床に落ちてしまった。
だが、シカマルがそれを拾おうと椅子から立ち上がったその時、通りかかった人に踏まれてメガネは割れてしまった。
グシャ! という嫌な音に、妙な所で敏感なテマリは跳ね起き、音がした床の方へと目を落とす。
踏みつけてしまった人物は謝るが、その人に責任はないことをシカマルが代わりに代弁すると、
ホッとしたのかその人はへコヘコしながら去って行った。
「あ〜あ…、新しいの買わなきゃ駄目だな。代わりのメガネ持ってんだろ?」
しゃがんだままテマリを見上げると、意外な彼女の泣きそうな表情にシカマルはギョッとする。
「----ない…」
「…あ?」
「代わりのメガネ持ってない…。どうしよう!! メガネがないと、私、何も見えないっ!! 超ド近眼なんだ!!」
極度の近視性乱視。
シカマルを求めて、不安げな顔で探るように両手を伸ばしてくる。
それがとても頼りなく可愛く見え、シカマルの胸が熱くなった。
「----ここにいるって…」
視線の合わないテマリの細い腕を掴み、シカマルはテマリを安心させる。
「……悪いが、マンションまで送ってくれるか…?」
バツが悪そうに頼み込むそんな彼女に、彼は呆れ返った。
「ったく、何当たり前なこと言ってやがんだ。そうでなくても、男が女を家まで送るのは当然の義務だろうが」
そう言ってそのまま腕を引くと、勘定を自分持ちで全て支払って店を出て行く。
テマリの頬がピンク色に染まっている。
酔っているせいもあるのだろうが、それなのにどんどん赤みが増していた。
うつむいてしおらしくなるテマリに、シカマルも何だか調子が狂い気味になる。
*
視界全体がぼやけて何も見えないテマリは、案の定、何度も転びそうになったり、
人や物にぶつかりそうになりながら歩いていた。
シカマルが手を引いてやっている、にもかかわらずにだ。
「危なっかしいな。本当にあの鬼デスクかよ…」
「なっ…何----」
テマリに言い返されない内に、彼女の腰に手を回して引き寄せる。
「-----をする!?」
「この方が安全だ」
思わずテマリは目を光らせ見上げたが、相変わらずこんなに至近距離なのに、
彼の顔の輪郭さえ今一わからない。そう思うと、怒る気も萎えてしまう。
大都会の東京といえども、24時間営業の店も多い中、
深夜でも開いているメガネ屋はさすがにどこにも見当たらなかった。
「明日の午前中、メガネを買いに行かなきゃ…。
見えないと、仕事どころか私生活にも支障をきたしてしまう…」
いつもの彼女からは感じられない、信じがたい弱々しさだった。
覇気の感じられない細いその声に、ついシカマルの手に力がこもる。
見えないだけで、余りにも様変わりする上司に、自分が守ってやらねば-----
そんな感情が芽生えて……。
パッパー!!
狭い道に入っていくと、突然現れた車のクラクションに驚く。
テマリはヘッドライトに目がくらんだが、グイッと強く引かれたかと思うと、壁際に立たされた。
目の前には、壁に両手をついたシカマルが、自分を覆う形で走り去る車から身を守ってくれていた。
「……」
テマリは言葉が出なかった。
-----自分が女扱いされていることが、こんなにも心地いいなんて…。
そう思うと、胸がドキドキしだし、久しぶりに感じるこの想いを懐かしく感じた。
マンションまでたどり着くと、部屋の鍵をぎこちない手つきで何とかはめ込み、
テマリはドアを開けた。
そしてシカマルは、「じゃ…」と言って、元来た道を引き返そうとした。
だが----
「私は全く見えないんだぞ。明日の朝まで責任を取れ!
元はと言えばお前が私を起こそうとしたのがいけないんだ!」
普段の強気な彼女が甦る。
----それは、朝まで一緒に過ごすということだぞ…?
心の中でシカマルは呟くが、
「…オレにメガネまで買わせるつもりか?」
敢えて別の言葉でお茶を濁す。
「いいから入れ。送ってくれたお礼に、茶くらいなら出してやる」
手探りで冷蔵庫まで行き、中から冷えた缶ビールを二本取り出すと、シカマルの目の前に持ってきて手渡す。
「おいおい…、今飲んできたばかりだろ。それも結構な量を…」
「飲み直しだ! お前も付き合え!」
プシュ! っとふたを開け、グビグビ喉を鳴らして一気に胃に収める。
いい飲みっぷりに呆れて感心する。
「…ところでお前は、好きな奴はいないのか?」
テマリの唐突な質問に、シカマルは飲みかけていたビールを吹き出しそうになった。
「な、何でいきなりそんなこと…。あんたには関係ないだろ」
「いるのかいないのかはっきりしろっ!!」
ダンッ!! とテーブルに勢いよく缶を置く。
そしてうつむくと、
「----私は、もう二度と恋なんてしない…。勿論、結婚だってしない……」
聞いちゃいないのに、一方的に続ける。
何か辛い経験でもあったのだろうか、テマリの手と肩が微かに震えている。
そんな彼女の過去に追求するつもりもなく…、
「オレは逆だな。適当に普通の女と恋をして、勿論結婚だってして、のんびり暮らして死んで行きたい」
「そうか……」
遠い目でテマリは顔を上げた。彼女は今誰を見ているというのだろうか…。
それを今も引きずっているというのだろうか…。
もしかしたら、そのせいで恋に臆病になっているとでも言うのだろうか。
次々そんな思考が目くるめき、そうなるともうシカマルは黙ってなどいられなかった。
「…で、お前は好きな奴がいるのか? それともいない…の…」
テマリの言葉が詰まる。
いつの間にかシカマルがそばに近づいていた。
「好きな女は-----いるにはいる、が……」
テマリのそばに寄っていても、彼女と焦点が合わないのは、ぼやけていて見えないからなのだろう。
だがそれが今では好都合だった。
隙だらけの彼女を、シカマルは押し倒す------
「朝まで一緒にいるんだろ? 男と女が一つ屋根の下で朝までいるってことは、当然こうなるってことだ。
本当は、あんたもそれを望んでオレを誘ったんだろう?」
「ち、違う! 誤解だ! さっきのは冗談だ! お前はもう帰って寝ろ!」
意外にも、突然怯え出す彼女をもっとからかってやりたくなって、悪戯心がエスカレートする。
「冗談なんかにしなくてもいいぜ…。オレがちゃんと責任とって、朝までいてやるから……」
白く細い首筋に唇を当てる。テマリが反応して背を反らす。
「お…前…、一体何をするつもりだ…?」
赤らめた顔で虚ろに見上げる。
その目が、唇が、声までもが色めいてシカマルの黒い目に妖しく映る。
もう止められなかった。理性が働かない…。
「朝までには十分わかるさ-------」
*
鳥のさえずりが外から聞こえ、テマリは目を覚ました。
朝が弱いはずなのに、目覚まし時計がなる前に目が覚めてしまった自分を不思議に思う。
「ん…?」
体がひどくだるい上に、ビクとも動かなかった。
それに何だか背中が温かい。
まるで人の温もりのような------
「!?」
自分の頭が、誰かの腕を枕にしていることに気づく。
この太い筋張った腕は男のものだ。
何とか顔だけを振り向かせると、自分の至近距離に見覚えのある男の寝顔があった。
幾ら視力が悪いと言っても、こんなに間近ならばはっきり誰の顔か判別できる。
テマリは青ざめた。
昨日のことは余り覚えていない。
特に部屋に戻って来てから皆無と言っていい……。
「おいっ! 奈良っ! どうしてこんなことになってるんだ!? おい、起きて説明しろっ!!」
絡まる彼の腕を解き上半身だけ起こすと、シカマルの体を揺さぶった。
「んー…、説明するも何も…見りゃわかんだろ……」
「うわっ!」
再びシカマルの腕が巻きついて、彼の腕の中に今度は向き合った形で閉じ込められた。
「昨日今日のことは忘れろっ! 酔った勢いでこうなることは、よくあることだからな!」
「----へぇ…、よくあるんだ…?」
寝起きの低い、かすれた男の声がどこかセクシーだった。
テマリは、自分の部下に一瞬でもそんな思いを抱いた自分を嘆く。
「た、たまにだ! お前も私もどうかしてたんだ! ……いい加減、放せ!」
「い・や・だ。……オレはいつもどうりだったぜ?」
「んなわけあるか!! 好きな奴いるんだろ!?」
記憶がないはずなのに、何故だかそのことは憶えていた。
きつく締め付けていたシカマルの腕が、突然ゆるくなった。
同時に、ハァー…というため息が聞こえた。
「だったら尚更忘れられねーよ! そいつは、今オレの腕の中にいるんだからな」
そう言うと、再び強く抱きしめる。
恋に落ちたのはいつだったか…。
きっと、いつか見せた少女のような無垢な笑顔を見た瞬間が、その始まりだったのだろう…。
しばらく間を置いてから、あの時の彼女が、
「…う、嘘だ!?」
目を大きく見開いて彼を見上げる。
「嘘だったら、こんなことになってねーだろ」
テマリの目は、少しだけ潤んでいた。
「----私は…二度と恋はしないと決めたんだぞ…」
やはり、かつて辛い恋でもしたのだろうか。
それでもシカマルは何も聞かず、零れ落ちるテマリの涙を唇で吸い上げた。
塩辛いような甘酸っぱいような味がしたが、
「じゃあ、三度目の正直だな。……オレと落ちようぜ」
「……はん、誰がお前なん-----」
シカマルによって唇がふさがれ、最後まで言わせてもらえなかった。
その熱いディープキスに、深夜の出来事が何となく脳裏をかすめる。
確かに感じていた。彼の熱さを…。
断片的に思い出すと、カァッと顔と体が熱くなった。
されるがままに、シカマルが覆いかぶさってくるが、不意に見えた時計に驚きテマリは跳ね起きた。
「ってー……」
ベッドから落とされたシカマルは、顔を床に強打していた。
「今、何時だっ!?」
時計が見えないテマリが慌てて聞く。
顔をさすりながらシカマルも時計を見る。
「----8時だが…って、8時------っ!? やべっ、遅刻するっ!!」
バタバタと走って勤務先へ駆けつけるテマリは、後ろをくっついて走ってくる部下に牙を剥く。
「一緒に来るな! 怪しまれるだろっ!」
「仕方ねーだろ。おんなじ部署なんだから。第一まだメガネなしで見えてねーんだから、
-----気をつけて下さいよ…、デスク」
急に仕事の顔に、部下に戻ったシカマルに、怪訝な顔をするテマリだったが、
すぐわきを他の社員が通り過ぎて行ったことに気づく。
刹那、テマリの顔がどこか寂しそうにしていたのをシカマルは気づいていた。
彼女は本当は、上司と部下として接していたくないのだと思うのは、うぬぼれだろうか…?
いつものようにバリバリ仕事をこなす上司の砂野テマリ。
朝礼後、すぐにメガネ屋に駆けつけ新調してきたメガネのお陰で、普段と変わらない彼女に戻っていた。
いつもの鬼上司に…。
「おい、奈良! はやく企画書持って来い!」
「……はい?」
自分が提出すべき企画書は、昨日の内に出したはずだった。
不思議そうな顔でデスクの前まで行くと、
「何の企画書ですか? 『暁』でしたら、昨日提出しましたが…?」
テマリの顔が更に引きつった。
そして、頭のいい割に鈍感な彼を自分のそばまで来るよう手招くと、
「デートプランだよ」
小声で囁かれた。
だからシカマルも、小声で言い返す。
「んなもんねーよ。第一、女にリードさせるつもりねーから、
あっても教えてやんねー…」
「ふん、私を満足できるのか?」
「朝までは満足そうだったぜ? ------それに、随分可愛い声だったしな。
あんな声も出せるんなら、もっと聞いていたい」
「んなっ…!」
思わず叫んで立ち上がるテマリ。
周囲で仕事をする部下たちが、何ごとだ…? という目を向けてくる。
咳払いをしてテマリが椅子に腰掛けると、再び何事もなかったかのように全員が仕事に取り掛かった。
「お前…覚悟しときな」
「そっちこそ覚悟しといて下さいよ。もっともっと満足させますから」
テマリは赤くなったままもう何も言わず、さっさと席に戻るようシカマルを手で追い払う。
仕事とプライベートでの彼女のギャップに気づいたシカマルだったが、
「デスクと付き合う男がいたら、哀悼の念を捧げてやるぜ」と言っていた同僚の男たちを、逆に哀れんでやる。
あんな厳しさと可愛いさを備えた極上の女はそういない。
もう彼女を手放したくないとさえ感じる。
「さぁて、まずは空がよく見渡せる場所にでも連れて行くとするか…」
恋だと実感したあの笑顔をもう一度見るのに、プランなど必要はなかった。
きっと綺麗な景色を見せれば自然と浮かぶだろうから…。
テマリの屈託のないあの笑顔を独り占めできるかと思うと、
今から楽しみなシカマルだった-------。
−完−
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はい。
予告もなしに、いきなり書き出す、突発外伝。
微エロモードは相変わらず健在でしたが、いかがだったでしょうか?
いやぁ、意外に長かった。
実は、実話ネタ混じっております(・・・またか)。
目が見えない状態のテマリ=私(笑)。
10倍返し=私(笑)。
昨日、職場で年下のI君に、「千円貸してv」と言われた際に私が言い放った言葉。
「野口君(千円)が福沢君(一万円)になって戻ってくることを期待して・・・
ハイv」
・・・何ていい話だ。サラ金もいいところ。涙が出てくるよ・・・。
同じく昨日、
「天気いいな〜! 天気いいな〜!」
と誰かが言っているのが、
「テキーラ! テキーラ!」
にしか聴こえなかった・・・。
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