第8話.開店! 万屋蒼天その3
「私、ケーイチ君の子供を妊娠しているの」
その言葉は眼に見えない何かを完膚なきまでに砕いた。
「っ!? レイナっ!」
パンッ!
乾いた音が室内に響く。レイナは殴られた頬を押さえながら、しかし勝ち誇ったような眼で殴った相手を睨みつける。
「これでわかったでしょう? ミオトちゃんはもう用済みなの。だから」
「うるさい!」
あざけりを含んだレイナの言葉を遮り、ミオトが叫ぶ。鬼のような目つきで隣を見ると、そこにはレイナの告白で顔色が蒼白になっている夫の姿があった。
「ケーイチ! どういうことなの!?」
「お、落ち着いてくれミオト。俺は」
「あなたもうレイナとは別れたって言ったじゃない! 私を選んだって言ったじゃない!」
絶叫と共に胸倉をつかみあげる。その悲痛ともいえる姿に圧倒されて、ケーイチはただパクパクと口を開閉することしかできなかった。
そんなミオトの姿をレイナは余裕たっぷりに見据えながら、更なる追撃を行う。
「ミオトちゃん。鳴け犬の遠吠えは見苦しいだけだよ」
「黙れッ! 人の夫を誑かしておいてよくもぬけぬけと!」
「それはこっちの台詞だよ? だよ? 元々ケーイチ君は私と付き合っていたのに、それをミオトちゃんが無理やり奪っていったんだから」
「違うッ! ケーイチはレイナより私を選んで」
「嘘だッ!!!」
突然、その表情を憤怒に塗り替えて怒号を上げるレイナ。その迫力にケーイチはおろかミオトですら身を竦めてしまう。
「ミオトはケーイチを無理やり酔わせて既成事実を作っただけだっ! ケーイチの優しさに付け込んで無理やり自分を選ばせたんだっ!」
「!? レイナああああああああああ!!!」
逆上したミオトが懐から拳銃を取り出す。同時にレイナも足元においてあったスポーツバッグから鉈を掴み出した。
ミオトが銃口をレイナの額に合わせ、レイナが鉈を振りかぶる。
そして―――
「……綾子ちゃん。ちょっといい?」
「どうしたの? 雪お姉ちゃん」
引きつった笑みを浮かべながら自分に声をかける年上のお姉さんを、キョトンとした目で見つめる綾子。
「あの子達は、何をしているのかな?」
「おままごとだけど……」
「……ず、ずいぶん過激な内容のおままごとなんだね」
スノウの目の前では3人の子供達が、―綾子の言葉を信じるならば―おままごとをして遊んでいる(はず)。ちなみにどうやら場面的にはクライマックスのようで、相討ちに終わった二人の死体を前に、残った男子が懺悔の言葉をモノローグで語っている(くどい様だがおままごとらしい)。
「最近はやっているんです。普通のおままごとじゃあ面白くないから、少し捻りを入れようって」
「……うん、その気持ちは分かるよ。でもね、捻りすぎておかしな方向に進んでいると思うの」
「やっぱりそう思いますか? 私も少しおかしいかなって思って」
その答えにスノウはほっと胸をなでおろす。よかった、この子はまだまともだ、と内心安堵の溜息を吐いて……
「こういうお話にするなら、やっぱりスクールデ」
「綾子ちゃん、お姉ちゃん頑張るから。学校とか早く設立できるように頑張るから。なるべく普通に遊んで」
「えっと? はい、わかりました」
ちゃんとした道徳を学ばせるためにも教育関係の充実を急ごう。可能な限り。スノウはそう決意した。
「あの、ところでその手の洗濯物なんですけど……」
「え? あ、ごめんなさい。すぐに片付けるから」
「いえ、雪さんには送ってもらった上に、お手伝いまでさせてしまって申し訳ないです」
「そんな、気にしないで。私から手伝うって言ったんだから」
言葉と共に、スノウは取り込んだ洗濯物をたたみ始めた。
ここは健一と綾子が身を寄せる孤児院の一室である。なぜスノウがここで子供達の手伝いをやっているかというと、話は彼女が二人を送ってきたところまで遡る。
スノウが二人を孤児院まで送ってみると、なぜか中が騒がしい。どうしたのかと思い3人が入ると、そこには散らかった室内と大声で泣き喚く年少の子供達の姿が。話を聞いてみるに、どうも偶然年長組が留守になっていた間に年少組の間で喧嘩が起こったらしい。
実はこの孤児院は大人が院長一人しかおらず、その院長も最近体調を崩して入院中なのだそうだ。更に年の大きな子供が少なく、最年長のお姉ちゃんとほか数人で院長不在の状況の中、何とかやってきていたらしい。なので圧倒的に人手が足りていないのが現状なのだという。
そんなわけで何とか泣く子を宥めて後片づけをしようにも、健一と綾子の二人だけでは人手が足りない。そこで、この後の予定が特に無かったスノウが手伝いを申し出て3人で後始末を始めた。幸い子供達はスノウのことをすんなりと受け入れてくれて(むしろ子供達に好かれて大変だった)、現状に至るというわけだ。
ちなみにスノウと綾子は年少組の子供達を見ながら洗濯物を取り込んでいる最中。健一は少し前に買出しに行った所だ。
「でも、監督役の年長組がいなくなるなんて。何かあったの?」
「それは……」
スノウの言葉に綾子の洗濯物をたたむ手が止まり、表情が曇る。
「普段なら、きちんとローテーションを組んで役割を回しているんです。ただ、最近は少し……」
そこまで言って言葉を濁す綾子。その反応で、スノウは彼女が何を言いたいのかを理解する。
「例の、ハンター達のこと?」
コクリと頷く。
「お姉ちゃんも私達もそっちに気をとられていて、家事とかに少しだけ影響が出てきてるんです」
得体の知れない借金取りに毎日押しかけられているようなものなのだ。ただでさえ敏感な年頃の子供達のストレスがたまって、普段の仕事がおろそかになっても不思議ではない。
「私達が考えていたよりも深刻だったのね。だから天真のところに」
子供達だけで素性のよく知れない人物に会いに行くというのは、少し極端すぎる行動だと考えていたがこれで理解できた。彼女達は、本当に追い詰められていたのだ。だからこそ真実、藁をも掴む思いであの事務所のドアを叩いたのだろう。
暗い顔で俯く綾子の姿からそのことがよくわかった。だから、スノウは……
ポン
「大丈夫」
そう言って、綾子の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
「後は天真に任せて。必ずお姉ちゃんや皆のことを助けてくれるから」
言葉と掌から伝わってくるぬくもりに、綾子は眼にうっすらと涙を浮かべながら頷く。
その姿に、スノウは自分の中のこの子たちを助けたいという思いが強まっていくのを感じていた。
自分にもできることはある。いや、むしろ天真が事件を解決した後は自分の出番なのだ。子供達が笑顔でいられる場所を作るために。
(私も頑張らないと)
と、その時。
「ただいまー」
玄関から声が聞こえてきたかと思うと、パタパタと小走りで駆けてくる足音が。
「あ、あれ? どちらさまですか?」
その女の子はひょっこりと顔を出したかと思うと、スノウの姿を見て疑問符を浮かべた。
「あ! お姉ちゃん!」
その瞬間、その場にいた子供達がいっせいに女の子の元へと走りよって行く。
「お姉ちゃん!」
「お帰りなさい!」
「ねーお土産は?」
「あのね、お姉ちゃん私」
「お姉ちゃん抱っこー」
「お姉様!」
「遊んでー、遊んでー」
「あのね、今日ね、」
「お姉ちゃんお腹すいたー」
そして、あっという間に幼い子供達に取り囲まれる。
「ち、ちょっと待ってみんな……」
わらわらと群がってくる子供達に、あわあわと慌てながらも一人一人にきちんと『ただいま』と声をかけていく。その様子から、彼女達がどれほどお互いを大切に思っているかが伝わってくる。
やがてそんな騒ぎもひと段落して、お姉ちゃんと呼ばれた女の子が改めてスノウに向き直った。
「それであの、どちらさまでしょうか」
「えっと、私は……」
そこでスノウは健一たちの言葉を思い出す。確か、あの子たちはお姉ちゃんには内緒だと言っていなかったか?
(あ、まずいかも)
ここで正直に『弟さん達に調査を頼まれた万屋ですが』と言ってしまうと、健一や綾子が怒られてしまうかもしれない。もっとも、目の前の女の子はそんなことをするようには見えないが、余計な心配をさせてしまうのは確実だろう。
(ど、どうしよう。セールスマンか何かのフリをしてみようかな? あ、でも洗剤とか持ってないし。……洗剤ならトッ○とア○ックのどっちのほうが好みかしら)
突発的な事態に混乱し、だんだん思考がずれていく。
「あ、あの……」
そして、目の前でうんうん唸り始めた女性にどう接してよいのかわからず、おろおろする女の子。傍から見るとなかなか滑稽な図である。
「お姉ちゃん。この人はお買い物の途中でぶつかって荷物を落とした私達を助けてくれたの。迷惑をかけたからって、荷物を運んでくれて。色々お手伝いまでしてもらって」
「あ、そうだったんですか。ありがとうございます」
そんな彼女達を救ったのは綾子であった。スノウの素性を隠すために、とっさに作り話をでっち上げる。それを何の疑いも無く信じた姉の姿に綾子はほっと胸をなでおろした。
「……酵素入りと柔軟剤なしで柔らかくなるのはどちらがいいかしら」
「え?」
「そうじゃなくて。わ、私も子供達と遊べて楽しかったから、気にしないで」
「は、はあ」
脱線した思考を慌てて修正し微笑むスノウに、女の子は眼を白黒させながらそう答える。と、突然子供の一人が女の子の服を引っ張り声を上げた。
「お姉ちゃん僕お腹すいたー。おやつはー?」
「え? ちょ、ちょっと待って。まだお姉ちゃんのお話が」
だがその声に触発されたのか、残りの子供達も口々に『おやつー』と合唱を始める。
「ちょ、ちょっと皆」
「くすっ。そうね、もうおやつの時間よね。じゃあ今から準備するから、皆ちょっと待っててくれる?」
「「「「「「「「「わーい」」」」」」」」」
「え? え? え?」
スノウの言葉に素直に頷く子供達の姿に、更に困惑の度合いを深めていく女の子。
「今はこの子たちの希望を聞いてあげるほうが先だと思うから、詳しい話は後にしましょう?」
「はあ……。すみません、重ね重ねご迷惑を」
「大丈夫。さっきも言ったけど、子供達の相手をするのは好きだから。さあ、皆が機嫌を損ねないうちに準備をしましょう。私も手伝うわ」
「そうですね……、わかりました。詳しい話は後程ということで」
そう言ってお互いに笑みを浮かべる。お互いに何か感じるところがあったのか、会ったばかりの二人はもう打ち解けていた。
食べ盛りの子供達のために、大急ぎでおやつを用意する。皆が歓声を上げて食べ始めるのを見ながら、スノウたちはようやく一息入れることができた。
「そう言えば、お互いにまだ自己紹介をしていませんでしたよね?」
自分達の分のお茶を入れながら、女の子がうっかりしていたという風に切り出す。
「そう言われてみれば、名前すら聞いてなかったような……」
「本当に、何をやってるんでしょうね、私達」
そう言って笑う女の子に、スノウも笑みを返す。まだ会って間もないが、やはり気が合うようだ。
「それじゃあ改めて。私の名前は雪。職業は……家事手伝いかしら?」
「家政婦さんですか?」
「うーん。そんな所かも」
正直に魔王ですと言うわけにもいかなかったので、今朝の天真の事務所での事を思い出しながらそう伝える。改めて口に出してみると説得力のある物言いだと思えたので、今度からはそう言うことにしようと密かに決心する。
何気にこれからも天真の事務所に押しかけるのが当たり前になっている辺り、スノウも強者である。
「では私の番ですね。私は」
「お姉ちゃん!」
女の子が自己紹介を始めようとした瞬間、綾子が大声を上げて飛び込んでくる。驚きつつも女の子が何があったのかと尋ねようとするが、それよりも綾子が口を開くほうが早かった。
「今玄関にあのお客さんが来てて、健ちゃんが」
その瞬間、顔色を変えながら弾かれた様に飛び出す女の子。その後姿を慌てて追いながら、スノウは綾子に問いかける。
「来たのは、例のハンターの人?」
「はい。さっきの人じゃなくて、もう二人の内の一人です。たまたま買出しから帰ってきていた健ちゃんが入り口でばったり会ったみたいで、それで健ちゃんが出て行けって……」
「なんてタイミングの悪い……」
お姉ちゃんを守りたい気持ちは分かるが、荒事専門の大人相手に突っかかっていくなどあまりにも無謀だ。天真の方はまだ時間がかかるだろうし、ここは自分が何とかしなくてはいけないかもしれないとスノウは気を引き締める。
二人が玄関に駆けつけると、そこにはある意味予想通りの光景が展開していた。
「帰れっ! お姉ちゃんに手を出したら許さないぞ!」
「健一、落ち着いて」
大声で太めの男を威嚇しているのはもちろん健一だ。怒りで顔を真っ赤にしながら、今にも目の前の相手に殴りかかろうとしている。そんな彼を女の子が後ろから抑えている。
そして、彼らの前には皮鎧を着込んだ太めの魔族が健一をうっとうしそうな眼で睨んでいた。
「まったく、最近の餓鬼はしつけがなってねーな。まあ、親なしなら仕方ないか」
「アランさん!」
男―アラン―の暴言に、女の子がさすがに声を張り上げて講義する。だが、アランは気にも留めずに侮蔑の表情を浮かべた。
「もっとも、仲間を騙して金を盗むような女がいる孤児院の餓鬼に何を言っても無駄か」
「それはっ! 何度も言ってるように」
「うるせえっ! ネタは上がってるんだよ!」
アランの怒号に健一がびくりと体を震わせる。女の子はそんなアランの反応に戸惑った表情を見せた。
「ま、待ってください。急にどうしたんですか、こんな……」
「どうしたもこうしたも無いんだよ。もう期限切れってだけの話だ」
「期限切れって……どういうことですか」
「ようするに、だ」
不吉なものを感じ、健一をかばうために前に出た女の子にアランがにじり寄っていく。
「もうこっちとしても我慢の限界だって話だ。こうなったら出るとこに出てもらうしかねえ」
「出る所って……」
「まああんたは捕まってブタ箱入り。運が悪ければここも閉鎖になるかも知れねーなあ」
「なっ!?」
その言葉は女の子だけではなく、健一や綾子にも大きな衝撃を与えた。三人の顔が眼に見えて青褪め、綾子にいたっては今にも倒れそうになっている。
「そんな横暴な……」
「だから俺達は最初に言ったよな? さっさと罰金を払わねーと大変なことになるって。あんたが悪いんだぜ、さっさと罪を認めねーから」
「わ、私のせい……」
「そうだよ。あんたのせいで子供にも迷惑がかかるんだ」
その言葉は女の子に更なる衝撃を与えた。がくがくと体を震わせて今にも倒れそうになっている。そんな彼女を泣きそうな顔で健一が支えようとしていた。
「姉ちゃん! こんな奴の言葉なんて信用すんなよ!」
「で、でも……」
「餓鬼は黙ってろ! こっちは大人の話をしてるんだ」
余計なことを言う健一に怒鳴りつけるアラン。と思うと今度はその表情を一変させ、猫なで声で女の子を諭し始める。
「な、あんたも家族に迷惑をかけたくはねえだろ? こんな小さな子供達を路頭に迷わせるわけにはいかねーもんな」
「で、でもそんなお金家には」
「なーに心配はいらねえ。そういうこともあろうかとちゃんと用意してあるんだ」
そう言ってアランは自らの懐に手を入れる。そこから取り出したのは一枚の紙だった。なにやらびっしりと文字が刻まれている。
「そういうお前さんのために、高給の仕事を用意してあるんだ。ここで働けばハンターなんぞするよりよほど儲かるようになってる」
「仕事って……」
「別におかしな仕事じゃないぜ? 少し男の相手をするだけでガッポリ稼げるんだからよ」
「!?っ」
アランの言葉でその仕事がどのようなものなのか思い当たり、自らの体を抱きしめるようにして後ずさる。そんな彼女の体を文字通り舐める様に見つめながら、アランは更に言葉を重ねた。
「心配すんなよ。あんた年は低いが器量はいいからな。すぐに稼げるようになるって。それに前金だけでこっちの罰金は全額返せるんだ。な? おいしい話だろ」
「だけど、そんな体を売るなんてっ」
「おいおい、こっちは親切で紹介してるんだぜ? それとも、あんたは餓鬼共がここから追い出されて路上で生活する羽目になるのを黙って見てるつもりか?」
「…………」
その言葉は心の奥に深く突き刺さる。身に覚えの無いこととはいえ、確かにこのままでは自分は捕まって、孤児院は閉鎖されてしまうのかも知れない。自分のせいで幼い兄妹達が苦難にさらされる、それは到底許せる事ではなかった。今この場にいない院長先生にも迷惑がかかる。それならばいっそ……。
悲壮な思いと共に震える手で目の前に突き出された契約書を掴む。健一が涙声で『駄目だ!』と何度も叫んでいるが、こんなになってもまだ自分を心配してくれている兄妹達のために自分は……
「はい、ちょっと待ってね」
と、唐突に横から伸びてきた手が契約書を持っていく。びっくりしてそちらを振り返ると、先程知り合った雪という名の女性が眼を細めて契約書を眺めていた。
「な、なんだ手前は!?」
アランも驚いて彼女を見つめる。だが、契約書を奪い取ったスノウはそんな視線を気にする風も無く、じっと手元の紙から視線を外さない。
「ふん、ふん、なるほど。大体わかったかな」
やがて一通り眼を通し終えたのか、そう呟いて視線を上げる。そこには……
「「「「!?」」」」
その場の全員が彼女の眼を見た瞬間、得体の知れない感覚を覚える。それはまるで、圧倒的な存在を前に畏怖を感じるような、遥か高みにある存在を前に自らの存在の矮小さを悟らされるような。
王の絶対的な権威の前に問答無用で平伏してしまうような。
しかし次の瞬間、そんな感覚は幻のように消えうせていた。だからその場の全員が、一瞬感じた正体不明の感覚に気付く事は無く、無意識のうちにそれを忘却の彼方へと押し去ってしまう。
彼女の眼の奥に見た、紅い輝きと共に。
「さてと、これ以上黙ってみているわけにはいかないかな」
身の内に湧き上がる怒りを抑えつつ、真紅の魔王はそう呟いた。 |