異世界見聞録魔王付き(51/54)縦書き表示RDF


 大変長らくお待たせしました。

 50話突破記念のリクエスト小説をお届けします。

 このお話は未奈様のリクエストを基に作成しました。未奈様ありがとうございます。

 それではお楽しみください。
異世界見聞録魔王付き
作:朝日光司



番外編:鳥篭の中の小鳥たちは大空を羽ばたく夢を見る


「きゃあっ」

 突き飛ばされ、悲鳴を上げる少女。彼女はそのままバランスを崩し、白い床の上に尻餅をついた。

「あ……」

 か細い声を上げるのはまだ幼い、10にも満たないと思われる少女だった。黒目黒髪のその容姿は美しく整っており、可愛いと言うよりは綺麗だと評するほうが似合っている少女だ。だが今は、その大きな瞳にうっすらと涙が浮かび始めている。

「へっ、こんなきたねーぬいぐるみがそんなに大事かよ」

 そう声を上げたのは今し方少女を突き飛ばした男の子だった。短く刈り込んだ金髪と、同じ金色の眼。こちらも年齢は少女と変わらない様に見えるが、その体格は同年齢の少年達と比べても一回り大きい。こちらも顔立ちは整っているが、どちらかと言うとワイルドな印象が強い、野生的な雰囲気を纏った少年。

 そして、その猫科の動物を思わせるような瞳は、寸前まで少女が大事に持っていた犬のぬいぐるみをつまらなそうに見ていた。

「か……返して……」
「あーん? 聞こえねーな。もっとはっきり言えよ!」
「返して……私のぬいぐるみ」

 少女が大粒の涙をこぼしながら懇願する。だが、少年はそんな少女の反応を見ながら、手に持ったぬいぐるみを乱暴に振り回す。

「ほれほれ、悔しかったら取ってみろー」
「あう……」

 立ち上がり、少年が乱暴に振り回すぬいぐるみを必死で追いかける少女。だが、同年代よりも小柄な少女と、同年代よりも大柄な少年ではいかんせん体格に差がありすぎる。そして、彼女達の年齢でその体格差は身体能力の差にダイレクトに反映される。案の定、少女の方はすぐに息が上がり始めた。同時に足元がおぼつかなくなり……

「きゃっ!?」

 可愛らしい悲鳴と共に足を滑らせ、再び床の上に倒れる。

「う、うああああ……」

 そのまま、少女はとうとう本格的に泣き出してしまう。その姿を少年は面白くなさそうな顔で見つめていた。

「ちっ、もう泣いてやんの」

 そう言う少年の顔はどこかばつが悪そうに見えた。内心ではさすがにやり過ぎたと思っているのかもしれない。だが、いまさら自分の行為をなかったことにできるわけもなく、不貞腐れた様にその視線を少女から逸らす。

「なんだよ! 見てんじゃねーよ!」

 その視線の先には二人を恐々と見守る同年代の子供達が居り、そちらに向かって八つ当たり気味の声を上げる。全員が二人と同じ年端も行かぬ子供であり、なぜか全員が入院患者が着る様な白い服を着ている。

 まるで小児科専門の病院のような光景。そんな中、皆の視線の中には未だに泣き続けている少女への同情と、いじめっ子の少年への恐怖が半分ずつ含まれていた。いじめっ子の少年は喧嘩も強く、子供達の中では暴君として名が通っており、いくら少女が可哀相でも、そんな彼に真正面から喧嘩を売れる者は……

「とう」
「ぐはっ!?」

 音も無くいじめっ子の背後に忍び寄った謎の影が、掛け声と共に棒状のものを容赦なく脳天へと振り下ろす。不意を突かれたいじめっ子はぬいぐるみを放り出しながらも、痛みをこらえながら何とか襲撃者のほうに向き直り……

「せい」
「ごぶっ!?」

 その咽元に指先がめり込む勢いで貫手が突き刺さる。的確で、まったく容赦の無い一撃だった。周りの子供達の何人かが自分の首を抑えながら顔色を変えるくらいに。

 これにはさすがに耐えられず悶絶し、床の上をのた打ち回るいじめっ子の少年。そして、その姿をどこか満足そうに見つめる襲撃者。

 謎の襲撃者の正体は、いじめっ子と年の変わらない少年だった。黒目黒髪のその少年は、どこか緊張感の欠けた雰囲気を纏いながらも、今床に倒れたいじめっ子を見る眼には若干の怒りが含まれている。彼はいじめっ子の手から放り出されたぬいぐるみを掴むと、少年の姿を確認して泣き止んだ少女の元に向かった。

「大丈夫? ゆきちゃん」
「……ありがとう。てんちゃん」

 天ちゃんと呼ばれた少年が差し出した手を掴んで立ち上がる雪。天は雪の瞳に残る涙を拭ってやりながら、その手にぬいぐるみを戻した。雪はそのぬいぐるみを大切そうにぎゅっと抱きしめ、微笑みを浮かべながら、もう一度天に感謝を述べる。

「ありがとう」
「別に、大したことじゃない」

 あまり感情を顔に出していなかった天だが、雪の微笑を見ると照れくさそうに視線を逸らした。その頬が少し赤く色付いている。そんな微笑ましい二人の背後から……

「きーさーまー」

 地の底から響いてくるような、怨嗟を含んだ声が聞こえてきた。

 その声を聞いた瞬間、雪はびくりと体を震わせて天の背後に隠れる。怯える彼女を背後にかばいながら、天は一つ溜息を付くと声の聞こえてきた方向に向き直った。その視線の先には、予想通り背後に怒りのオーラを纏ったいじめっ子の姿があった。

「いつもいつも俺の邪魔ばかりしやがって、今日こそゆるさねえ!」
「それはこっちの台詞だレオ。いつもいつも雪ちゃんを泣かせて」
「うるせえ!」

 叫ぶなり上半身をかがめ、まるでクラウチングスタートのような姿勢をとるいじめっ子の少年―レオ―。

「今日こそお前をぼこぼこにしてやる! 覚悟しろ!」
「……もういいかげんお前に付き合うのもうんざりなんだが」

 そう言って、天は自らの背後で心配そうに見ている雪を振り返る。彼女は天の服を握り締め、ふるふると首を横に振り、必死で天に喧嘩をやめさせようとしていた。

「雪ちゃん、ここは危ないから少し下がって」
「でも……」
「大丈夫だから。ね?」

 そう言って、天は安心させるように雪の頭に手を置き軽く撫で、雪は気持ちよさそうにその行為を受け入れる。そんな二人の姿に、レオの殺気が更に増したが、二人はそのことに気が付いていない。

「……わかった。無理はしないで」

 やがて、しぶしぶといった表情で天の言葉を受け入れた雪は、心配そうな表情はそのままに、服から手を離して後ろに下がる。天は雪が安全な場所まで後退したのを確認してから、正面のレオに向き直った。

 そこには、さっきよりも怒りの度合いを増したレオの姿が。

「手前……今日こそ本気でぶちのめしてやる」
「何をそんなに怒ってるんだ?」
「うるせえ!」

 天はレオの怒りの原因をまったく理解できていなかった。なので、思いつく限りの原因を口に出してみる。

「もしかして、昨日叩きのめしたことをまだ根に持っているのか?」
「違う!」
「じゃあ、おとついのデザートを盗んだこととか?」
「あれもお前か!?」
「まさか、一週間前に女子更衣室に突っ込ませた黒幕の一人が俺だとばれ」
「がああああああああああ!」

 怒りが我慢の限界を超えた瞬間、レオは咆哮と同時に弾かれたように飛び出した。その速度は子供とは思えないほどに速い。低い姿勢のまま天の懐まで飛び込むと、真下からすくい上げるようにして指を鉤爪状に曲げた右手を振るう。その狙いは顔面。

「っと!?」

 アッパー気味に振るわれた右手を仰け反るようにかわす天。レオはかわされた事など意に介さず、伸び上がった勢いを殺さず逆に利用し、左を振り下ろす。その一撃を天はサイドステップでよける。そこに肩口から突っ込んでいくレオ。避け切れないと悟った天は、腕を交差させて受ける。レオはその体格差を生かしてそのまま天を吹き飛ばそうとするが、手ごたえが軽い。ぶつかる前に後ろに飛んで衝撃を殺していたのだと気が付いたときには、天は体当たりの勢いを利用して大きく後方に下がっていた。そのままにらみ合いに入る二人。

「相変わらず、ふわふわ避けやがって」
「お前こそ、いつもいつも突っ込んで腕を振り回すだけじゃないか。だから女子更衣室に突っ込まされたり」
「黙れやてめえっ!」

 トラウマを抉られて、再び低い姿勢で天に突っ込むレオ。そのまま薙ぎ払う様に腕を振り回すが、天はその攻撃を後ろに下がることで避ける。確かにレオの攻撃はただ腕を振り回しているだけのように見えるが、そのスピードは速く、普通の子供ならば避けきれるものではないだろう。しかし、そんな攻撃を天はまるでどこからくるのか分かっているかのように飄々と避けていく。そのまま緊張感の感じられない声でポツリと呟く。

「やっぱり、単純馬鹿は単純馬鹿のままか」
「!? ぶっ殺す!」

 レオが怒りで顔を真っ赤にしながら腕を振るう。それはもはや暴風と言って良い程の勢いで天を飲み込まんとするが、天はあくまで冷静にその攻撃の嵐を避け続ける。そのことがレオをますますいらだたせ、攻撃を大振りにさせる。

「だから……」

 大振りになってきた事で見切りやすくなったレオの攻撃を静かに見極めながら、天は拳を握り締める。そして―――

「そういうところが馬鹿だって言ってるんだよ!」

 レオの右ストレートにあわせたカウンター。頭に血が上って大雑把になったレオの攻撃の合間を縫った一撃は、的確に彼のあごを打ち抜く―――





 瞬間、レオがにやりと笑みを浮かべる。





(誘い!?)

 天が動き出した直後、それまでの乱雑な動きを捨てるレオ。小さくまとめた、だがそれゆえに素早い一撃を天に繰り出す。同時に首をすくめるようにして、脳への衝撃に備える。

「っこの!」

 クロスカウンター。だが、動き出している天はもう攻撃を止める事ができない。覚悟を決めた天は衝撃に備えながらも、ためらうことなく右を振りぬこうとする。

 二人の拳が交差し、お互いの顔面へと吸い込まれていく。そして―――





「破っ!」
「「ごぶうっ!?」」




 第3者からの予期せぬ攻撃に、天とレオは吹き飛ばされた。お互いの攻撃に集中し切っていた所への不意打ちにはさすがに対応ができなかったのだ。

「天ちゃん!?」

 その光景に、叫びながら天へと駆け寄っていく雪。

「天ちゃん、大丈夫!?」
「な、何とか……」

 実は余り大丈夫ではなかったりするのだが、眼に涙を浮かべながら縋り付いてくる雪を心配させないように、気力を振り絞って立ち上がる天。何とかふらつく足元を安定させて、突然の乱入者のほうを睨む。

「まったく、あなた達はいつも喧嘩ばかりして……。少しは仲良くできないの?」

 そこにいたのは栗色の髪をショートカットにした少女だった。歳は天たちより上だろう。すらりと伸びた手足は健康的に引き締まっており、彼女が体を動かすことを得意としていることを物語っている。

花音かのんさん……。いきなり何を」
「喧嘩を止めてあげたのよ」
「だからって、いきなり殴りかかるのは」
「文句あるの?」
「……ありません」

 ギロリという感じで睨みつける花音の視線を受け止めきれずに目を逸らす天。そんな天の後ろから、雪が抗議の声を上げる。

「花音お姉ちゃん。でも、暴力はいけないと思うの」
「雪、あなたの言いたいことも解るわ。でもね……」

 そう言うと、花音は手を顔の前まで持っていき、拳を握り締める。

「漢にはね、拳で語り合わなければいけない時があるのよ」
「あんた女でしょうが……」

 男よりも漢らしい台詞を語る花音を前に、疲れたように呟く天。その言葉に周りの子供達もいっせいに頷いた。

「なんか言った?」
「何でもありません」

 再びギロリと睨みつける花音から視線を逸らす。その反応は二人の普段の力関係を如実にあらわしていた。と、逸らした視線の先でレオが起き上がろうとしている事に気が付く。

「痛っ、花音姉ぇ。何すんだよ」
「あんた達がまた馬鹿なことで喧嘩するから止めてあげたんでしょうが」
「余計なお世話だっつーんだよ!」

 花音に向かって大声で怒鳴りながら立ち上がるレオ。だが、花音はそんな彼の激昂にもやれやれと首をすくめるだけだ。

「まったく、いつまでたってもお子様ねえ。どうせまたあんたが雪にちょっかいかけたのが原因でしょ?」
「……だったら何だって言うんだよ」
「そういう子供じみたことをやってるから、あなたは天に勝てないのよ。いいかげん素直に告白でも何でも」
「!? だ、誰がっ!」

 レオは途中で大声を上げて、慌てた様子で花音の言葉を遮る。その突然の反応にキョトンとした表情を見せる天と雪。

「余計なお世話なんだよ! 誰がそんこと」
「そうやって短気をおこすから好」
「うるさいっ!」

 一声怒鳴るとレオは天に向き直る。一方、天と雪の二人は花音の言葉が大声で遮られたため、なぜレオが怒っているのかさっぱりわかっていない。

「よくわからんが……レオ、もういいかげん止めにしないか?」
「黙れって言ってるんだよっ!」
 
 天のほうは花音に水を差されたことで、すでに戦う意欲を失っていたが、レオはまだやる気のようだった。もっとも、天に寄り添う雪の姿がレオの激昂の原因であるなどとは天には理解できていなかったが。

 だから、天はレオの怒りの原因がわからずに首を傾げる。そしてその反応が、レオの怒りに更に油を注ぐ結果となる。完全に悪循環である。

 天はその状況を理解できないまでも、とりあえずどのようにこの場を収めようか考えて……

「!? 待てっ、レオ!」

 レオの気配に変化が現れたのを敏感に感じ、慌てて彼を制止しようとする。

「うるせえって言ってんだよっ!」

 だが、もちろんレオは天の制止の声には耳を貸さない。怒りのままに顔をゆがめて天を睨みつけるだけだ。そしてその体に、ある変化が現れ始める。

 ぎちぎちときしむような音を立てて、レオの体が一回り大きくなっていく。筋肉が膨張しているのだ。それに合わせて、手足の爪が伸び、その口からは鋭い犬歯が見え隠れするようになっていく。その眼の瞳孔は縦に割れて、怪しい輝きを放ち始めていた。

「ぐるるるるるるる……」

 まるで猛獣の唸りのような声を上げるレオの姿に、その場の全員が驚愕の表情で固まる。花音もレオの変化にやや顔を青褪めさせながら制止の声をかけた。

「やめなさいレオ! それ以上は……」
「黙れって言って―――!?」

 怒鳴りかけた瞬間、雷にでも打たれたかのようにびくりと震わせたかと思うと、動きを止めるレオ。

「駄目! 拘束バインドが!」
「レオ君!?」

 次に起こる事を想像し、花音と雪が悲痛な声で叫ぶ。そして、次の瞬間―――

「ああああああああああ!?」

 レオの体に幾何学的な文様が浮かび上がったかと思うと、彼はそのまま叫び声を上げた。

「くっ、馬鹿野郎がっ!」

 吐き捨てるように天が叫ぶ。その顔には怒っているような、悲しんでいるようなそんな複雑な表情が浮かんでいた。その表情のままレオに向かって駆け出す。

「天ちゃんっ!?」
「待ちなさい、天!」

 背後から制止の声が上がるが、それを振り切るように天はレオの元に向かう。

「があああああっ!? あがあっ!?」

 レオは叫び続けながら、まるで激痛に耐えるように床を転げ回っていた。奇怪なことにその体に浮かんだ文様が、それ自体が生きているかのように不気味に蠕動している。そして、紋様が蠢く度にレオの口から苦痛の絶叫が上がる。

「っつ、この! 暴れるんじゃねえ!」

 転げまわるレオの元にたどり着いた天は、圧し掛かる様にしてその体を無理やり押さえ込もうとする。だが、変化の途中にあるレオの力は想像以上で、すぐさま振りほどかれ、吹き飛ばされる。

「ぐっ」

 強かに背中を打ち付けて、一瞬呼吸が止まる天。だが、その激痛を無理やり押さえ込み、再びレオの元へと向かう。

「いいかげんにしろっ!」

 怒鳴りながらその体を再び押さえ込む。全体重を使ってうつ伏せに押さえ込むことでようやくレオの動きを止める。だが、相変わらずその力は強く、少しでも気を抜けばすぐさま振りほどかれそうだった。

「このっ、馬鹿力が……」

 何とか押さえ込むことはできたが、このままでは体力に劣る自分はすぐに振りほどかれてしまう。応援を呼ぼうとして、ふと天はいつの間にか近くに立っていた影に気が付いた。

 その影は音も無くレオの頭部の横に屈んだかと思うと……



 ガッ!


 
 首筋に一撃。延髄を的確に打ち抜かれたレオはそのまま気を失った。同時に、その体に浮かび上がっていた紋様が消えて、体も徐々に元に戻っていく。

 ほっと一息ついた天はようやくその影が顔見知りであることに気が付いた。

「ありがとうございます、いつきさん」

 若干口調に尊敬の気配を滲ませながら、レオを止めた少年にそう声をかける。

「…………」

 無言のまま天に視線を向ける樹。彼は花音と同年代の少年だった。だが、まだ若いにもかかわらずその全身から漂う、落ち着いたというよりは年寄りくさい雰囲気が彼を見かけよりも年上に感じさせる。無造作に腰の辺りまで伸ばした黒髪はぼさぼさで、更に眼も半分閉じているような感じなので、起き抜けのように見える。が、これがこの人の普段の姿だということはここにいる子供ならば誰でも知っている事だ。

「天、樹、だいじょうぶなの?」

 レオの暴走が止まったのを見て、慌てて駆け寄ってくる花音。その後ろには心配そうな表情を浮かべている雪もいた。

「俺は大丈夫。レオも、すぐに気を失ったから多分大丈夫だと……」

 そこで天は、自分達を囲んでいた外野がざわめき始めたことに気が付いた。耳を澄ましてみると、遠くから誰かが近づいてくる乱暴な足音が聞こえる。

「ふん、お早いお着きで」

 顔をしかめながらそう吐き捨てる花音。天も誰が来るのか悟り、同じように顔をしかめる。その横で、雪が不安げな表情を浮かべながら、天の服のすそを握った。震える手から彼女の緊張が伝わってくる。だから、少しでも安心させるために、天は雪の手の上から自分の手を重ねた。そんな中で、樹だけが表情を変えず、しかし音が聞こえてくる方向をじっと見つめていた。

 やがて、子供達を掻き分けて現れたのは白衣に身を包んだ中年男性一人と、彼を護衛するかのように取り囲む3人の警備員だった。白衣の男性はこちらの様子を一瞥するなり、不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。

「またお前達か。まったく、いつもいつも問題を起こして」

 不愉快なものを見る眼。そう、その眼は同じ人間を見る眼ではなかった。実験動物を、ただのものを見る眼。その眼にさらされて、雪がびくりと震える。そんな彼女をかばうように前に出る天。

「ちっ、まさか壊れていないだろうな? おい、そこのをさっさと運んでくれ」

 白衣の言葉と共に警備員が前に出て、倒れたレオを運んでいこうとする。だが、その前に花音が立ちはだかった。

「あんた達の手を煩わせるようなことじゃない。もう終わってる」

 そう言い放ち、白衣を睨みつける。だが、そんな彼女を一顧だにせず、白衣は警備員に命令を続ける。

「何をやっている。さっさと運べ」
「だから、必要ないと」
「黙らせろ」

 次の瞬間、警備員の一人が花音に向かって腕を振る。いきなりのことに対処できなかった花音はそのまま動くこともできずにその一撃を……



 ガッ!



 受ける直前、いつの間にか花音と警備兵の間に割り込んだ樹が一撃を貰う。

「樹!?」

 花音は慌てて姿勢を崩した樹を支える。その頬に血が滲むのを見て、怒りが一瞬で沸点を超えた。

「あんた達っ!」

 いきり立つ花音は、感情のままに白衣達に掴みかかろうとする。それを見た白衣がめんどくさげに眼で合図をすると、警備員達が臨戦態勢を取った。それを見て花音に加勢しようとする天や他の子供達。正に一触即発の雰囲気が頂点に達しようとした、その時、

「やめんか、馬鹿者共」

 重厚な威厳を伴った声がその場に浸透する。その声と共に、警備員達の動きがぴたりと止まった。よく見てみると、警備員達は驚愕の表情を浮かべたまま、不自然に硬直している。どうやら、動きをとめたのは彼らの意思ではないようだ。彼らの中心にいた白衣は、こちらも驚愕の表情を浮かべて声が聞こえてきたほうを見つめていた。

「か、神裂かんざき主任!」

 やってきたのはひどく小柄な老人だった。だが、その動作に老いは感じられず、その眼光には他者を圧倒する威厳が宿っている。

「安藤、お前さんの脳味噌は穴だらけなのか? 子供達を不必要に傷つけるなと日ごろから言い含めていたはずじゃが」
「は! し、しかし……」
「言い訳は聞かん。この場はわしが預かるから、さっさと行け」

 そう言って警備員達を一瞥する神裂。と、次の瞬間には警備員達の金縛りが解けて体の自由を取り戻す。

 その場の誰一人として理解できなかっただろう。気を通すことにより硬質化させた神裂の毛髪が警備員達に突き刺さっており、点穴によって彼らの動きを封じていたなどと。

「……了解しました」

 その眼に屈辱と、それをはるかに上回る畏怖を宿らせながら、安藤と警備員達は足早にその場を去っていった。その後姿が見えなくなってから、神裂は改めて花音たちに向き直る。

「さてと、あらためて馬鹿をやった坊主を預かろうかの」
「先生……」

 花音がその怒りを和らげて、だがわずかな警戒を纏いながら神裂を呼ぶ。

「心配せんでも大丈夫じゃよ。見たところ影響を受けたのは短時間のようじゃし。さて、連れて行ってもかまわんかの?」

 神裂と呼ばれたこの老人はこの場所の大人達の中では数少ない、自分達を普通に扱ってくれる人物の一人だった。だが、他の大多数の大人たちが自分達を蔑む環境の中で、いくら自分達に好意的だとは言え完全に目の前の人物を信じきることもできない。はたして大事な仲間を目の前の老人に預けてもいいのかどうか、花音は内心で葛藤する。

 と、唐突に肩をたたかれてそちらを見る。そこには殴られたにもかかわらず、いつもと変わらない様子の樹がいた。

「…………」
「えっと」
 
 彼は無言で花音の目を見つめる。無言で相手の目を覗き込むのは、彼のいつもの行動だった。なぜ彼が言葉を口に出さないのか、その理由は誰も知らない。ただ、相手の目を覗き込むのは彼の、コミュニケーションだということはわかっていた。最も……

「うう……」

 無言で見つめてくる樹が何を言いたいのかを理解できる者はほとんどいなかったが。樹の無言のプレッシャーに花音は額に汗をにじませる。

「樹さん」

 そんな花音を見かねて、天が樹を呼ぶ。樹は天に視線を向けると、その焦点が合っているのかいないのかよくわからない瞳でじっと天の顔を見つめた。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 そのまま動きを止める二人。同時にその場になんとも言いがたい雰囲気が漂い始める。例えるならば縁側でお茶をすする老人達が発散する空気。どう考えても、10歳前後の子供が纏うものではない。

「ちょっと、二人とも?」
「? ああ、ごめん。ちょっと話し込んじゃって」
「…………」

 天の答えにどういう対応をすれば良いのかわからず曖昧な表情を見せる花音。
 
「すごいよね天ちゃんは。樹お兄さんとちゃんとお話できるから」
「すごいのかなあ? っていうかさ、どうやって意思疎通してるのよ」
「え? どうって、わからない? こう、なんとなくもわもわって感じで」
「いや、わからないから。その説明すらわからないから」
「……それで、樹はなんと言っとるのかのう」

 置いてけぼりにされていた神裂が、困ったように呟く。

「あ、すみません。さっさとこの馬鹿を連れてって治療してやってください。樹さんもそう言ってますので」
「そうか、わかった。任せておけ」

 この場では子供達の最年長である樹の了解を得て、神裂がレオの体を肩に担ぐ。その小柄な姿のどこにそんな力があるのかと思うほどに、同年代の子供より重いはずのレオを軽々と持ち上げた。

「樹、お前さんも来い。ついでに治療してやる」
「…………」
「必要ないって言ってますが」
「子供が遠慮するものではないわい。ほれ、とっとと行くぞい」

 断れないと悟った樹は、神裂の言葉に一つ頷いて歩き出す。

「あ、待って。私も行くわ」

 その後を花音が慌てて追いかけていった。樹の怪我に責任を感じていたようなので、治療の手伝いに行ったのだろう。4人が立ち去り、残りの子供達も安堵の溜息をはきながら、散らばっていった。

 そんな中、雪はその場を動かず、4人が向かったほうをじっと見つめて立ち尽くしていた。

「行こう。俺も少し疲れた」
「……」

 天の言葉に頷く雪。だが、その顔には不安の色がありありと現れていた。そんな彼女の手を握ると、思っていたよりも強い力で握り返してくる。天も大丈夫だという思いを込めながら握り返し、その手を引いて歩き出す。

 そのまま近くにあった備え付けの椅子に座る二人。言葉は無く、しかしその手はしっかりと握られたままだ。そのまま天は視線を上に向ける。

 この場所は子供達のために解放されたフリースペースだった。広い空間にちょっとしたアスレチック遊具や休憩所などが備え付けてあり、運動不足やストレス解消のための空間となっている。しかし、天の心はここに入るたびに、正確にはその天井を見上げるたびに寂寥感に支配されていた。

(……) 

 見えるのは青い空。そして、それを遮るガラスの天井。日光を取り入れるために、ここの天井は温室のようなガラス張りになっている。しかし、見上げる空が青ければ青いほどに天の心は暗く沈んでいく。

 ここは特殊な子供を集めた研究所。レオのような獣憑きライカンスロープや魔術に高い親和性を見せる雪のような子供達、表の世界では御伽噺にしかならないような素性の子供達を隔離、研究する場所だ。ここでは子供達は実験動物でしかなく、毎日のように検査や実験が行われている。 

 もっとも、衣食住が保障されているだけ難民や紛争地帯の子供よりは幾分かましな扱いなのかもしれない。天は皮肉気にそう考えるが、その心は更に暗く沈んでいく。

 いつからだろう。はるか遠くにある青空を求めるようになったのは。そして、それがかなわない願いだと悟ったのは。

 フリースペース。そこで自由に遊ぶ仲間達。だが、ここにあるのは偽りの自由。所詮は鳥籠の中の自由でしかない。子供たちはその異能を封印するための拘束バインドと呼ばれる特殊な術式を体に直接刻まれ、力を使うことはおろか、この施設から離れることすらできない。それをすれば先ほどのレオのように術式が体を蝕み、最悪の場合は死に至る。それは不可視の首輪となって子供たちをこの場所に繋ぎ、閉じ込めていた。

 そう、視線の先の青空の前に、見えない壁があるように。伸ばした手に触れるのは無機質な壁。決してその先に行くことはできず、ただ向こう側をを見つめることだけしかできない。その眼に映る色彩が鮮やかであればあるほど自分の心はくすんでいく。

「天ちゃん」

 傍らの少女の声が、天の意識を思索の底から現実へと引き上げる。視線を向けると、その眼に未だ不安の色を宿した雪の顔がそこにあった。

「レオ君、大丈夫かな……」

 自分をいじめていた少年のことを心配する人のよすぎる彼女に、溜息を付く天。もっとも、レオは乱暴なところはあるものの、それほど悪い奴ではないということは天も理解していた。なぜか雪限定で意地悪になるのだ。その原因については、天は理解できていない。

「まあ、あの先生は信用できると思う。樹さんもそう言ってたし」
「……うん」

 そう言ってぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる雪。その姿を見て天は、ふと気になった事を雪に尋ねた。

「そのぬいぐるみ、前は持っていなかったはずだけど。どうしたの?」

 天がそう言った瞬間、雪の眼に再び涙が浮かぶ。その反応に、何かまずいことを言ったのかと慌てる天。

「……友達が、くれたの。自分の代わりに大切にしてねって」

 雪の言葉にはっとなり、次の瞬間には知らず奥歯をかみ締める。その言葉の意味を理解してしまったからだ。

「……その子は、向こうに?」

 無言のまま頷く雪。その悲痛な表情を何とかしたくて、繋いだ手に更に力を込めた。

 向こうとは、天たち子供の間で使われている一種の隠語だった。この施設にいる子供達は、例外なく検査や実験を受けることになっている。そんな中で、ある日突然大人に連れていかれて、そのまま戻ってこない子供達が何人も居た。その子達がどうなったのか、大人に聞いても詳しい説明はない。だが、その雰囲気からいなくなった仲間がどうなったかはおぼろげに理解していた。

 おそらく、もう生きてはいないのだろう。あらゆる意味で。心臓が動いている“だけ”の状態を、生きているとは言わないから。

「少し前から、体調がよくなくて。多分もう駄目だから、これを私にって……」
「ごめん。もう良いから」

 そう言って天は雪の言葉を遮る。だが雪は口を閉ざすことなく、そのまま続ける。

「私も、いつか……」

 瞬間、天の腹の底から激情が迸った。その勢いに突き動かされるまま立ち上がる。そんな天を、驚いた顔で見つめる雪。だが、天は無言のまま、視線をガラスの向こうの空に向けているだけだった。

 やがて、ポツリと呟く

「いつか、一緒に外に行こう」

 その言葉に、更に大きく目を見開く雪。彼女の驚愕を気配で感じながら、天は言葉を続ける。

「こんなガラス越しじゃない空を、一緒に見に行こう。青い空の下を一緒に歩こう」

 まるで、自分に言い聞かせるかのように言葉を続けながら、その手を空へと伸ばす。

 かなわない願い? それがどうした! それは彼女の涙よりも重いというのか!

「地面に寝転がって、風を感じながら、空を見上げよう」

 その手に空を掴むかのように握り締める。もちろん、その小さな手で空をつかめるはずも無い。だが、それでも……

「いつか、必ず、俺は」
「うん」

 振り返れば、涙を浮かべてはいるものの、微笑を浮かべる雪の姿。

「信じる。天ちゃんが私を外に連れて行ってくれるって。守ってくれるって」

 たとえそれが、先の見えない暗闇の中で見た幻だとしても。そのきぼうは少年と少女の胸に強く刻まれる。

 この後、少年と少女は別々の道を歩むこととなる。

 少年はその過去を忘却しながらも、その光の残滓を抱きながら闇を歩き。

 少女はその光を支えに、新たな世界を生き抜いていく。

 その道が再び交わるのに、10年の月日を要した。

 再会した彼らがどのような道を歩むのか、それはまた別のお話。

 鳥籠の中の小鳥達は、大空を羽ばたく術を知らず、その日を夢見る事しか出来ず。

 今はまだ、その夢が優しいものであるよう祈ることしかできない。


 更新遅れて申し訳ございません。ようやくこのお話を掲載することができました。
 ところで、座談会のほうなのですが、都合により今回は掲載を見送らせていただきます。楽しみにしてくれていた読者の皆様には大変申し訳ございません。その分、この外伝小説はボリュームを普段の2倍(作者比)にしております。楽しんでいただければ幸いです。
 それにしても今回は難産でした。時間もなく、少しスランプ気味で、本当に書きあがるのか自分でも心配でした。書いては消し書いては消しで、進まないのなんのって。

 あれ? 弟どこ行った?

 ……ま、まあとにかく、このお話が50話を超えられたのも読者の皆様の応援あってこそだと思っています。前にも言いましたとおり、更新頻度はしばらく下がってしまうと思いますが、これからも異世界見聞録魔王付きをよろしくお願いします。
 それでは今回はこの辺で。






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