第3話.資格を取ろうその3
カリカリカリカリカリ……
その室内では、途切れることなくペンを走らせる音が響き続けていた。
「そちらの書類へのサインが終わりましたら、次はこちらの書類に目を通しておいてください」
「分かりました」
魔王の執務室。そこでスノウは朝食の後から書類仕事をずっと行っていた。手元の書類に自らのサインを施し終え、宰相がもって来た次の書類に目を通す。
「それが終わりましたら、次はこちらの書類を。1時間後に国内産業についての会議がありますので、それまでに終わらせておいてください」
「……まだ、あるのですか?」
「ええ。会議が終わりました後は、人間側の使者との貿易路についての打ち合わせ。その後は海王の使者との内海航海ルートについての打ち合わせ。その後は……」
「え、あの、そんなに?」
「はい。誰かがここしばらく仕事を放っておかれていましたので」
「……すみません」
確かに普段から忙しかったが、ここ数日の忙しさは尋常ではなかった、しかし、どう考えても身から出た錆の様だ。
「済んでしまった事は仕方ありません。しかし、あなたは魔王。この世界シナルの6人の王の一人であらせられる。軽はずみな行動は以後慎んでいただきたく」
「本当に、申し訳ありません……」
「……ですから、あなたは魔王なのですから、臣下にそれほど簡単に頭を下げられては」
そう言いつつも、この辺りの素直さがこの王の美徳の一つであることは彼も理解していた。自らの誤りを素直に認められるのは、統治者としては得難い資質である。
ただ、高圧的になりすぎるのは考え物だとしても、この少女にはもう少し威厳というものを持ってもらいたい。腰が低すぎては民に示しが付かないのだから。
「あら? これは……」
手元の報告書に目を通していたスノウが、いぶかしげな声を上げる。彼女の手にあったのは、この近隣で報告されたモンスター、それも軍が出動しなければいけないほどの大物に関しての報告書だった。
「まさか、このようなものが近くにいるのですか?」
「裏付けは取れていません。しかし、単なる噂だとしても放置しておくことはできないかと」
「確かに……。これが本当なら、早急に手を打たなければ」
「事実の確認を急ぐと共に、既に軍の方には内密に話を通してあります。情報が黒と判断された場合には、即座に対応できるように」
「あるいは、将軍クラスが出なければいけないかもしれませんね」
「噂が白であればいいのですが」
その言葉に頷きながら、もう一度手元の書類に視線を落とす。そこに書かれていたのは、この世界でも最強の部類に属する、ある生物についての目撃情報だった。
「ブオオオオオ!」
雄叫びを上げながら、すさまじい勢いでこちらに突っ込んでくる黒い影。
「ひいいいいいいい!?」
そして、その雄叫びに負けないほどの悲鳴を上げながら、意外に素早い反応で突撃をかわすリピル。
ドゴンッ!
全長5メートル近くある巨体がそのままリピルの背後にあった木に激突。すさまじい音を立てて巨体が停止する。
バキバキバキ! ドゴンッ!
直撃を真正面から受けた木は、そのままへし折れて地面に横たわる。ちなみに、太さもそれなりにあった。
「さあ今がチャンスです。このまま攻撃を」
「そそそそそんなこと言われても!?」
その様子を、少し離れたところで見守っていた天真は、動きの止まったワイルドボアを確認して、リピルに攻撃を促す。しかし、先程の突撃がよほど心理的にこたえたのか、まだリピルは腰が引けていて、反撃どころではなさそうだった。
「大丈夫です。ほら、先程おっしゃっていたように、方向転換にはまだ時間がかかります。今なら反撃を受ける心配もありません。いざとなったら私も助けに入ります」
「ううううう。え、えーい!」
天真の声に後押しされて一つ気合を入れるリピル。目の前に両手を掲げて、呪文の詠唱に入る。
「風よっ!」
その叫びと共に大気が唸り、リピルの眼前に直径1メートルほどの風の球体が出現する。球体はそのまま、背後に向き直ろうとしていたワイルドボアに向かって飛んで行き……
ドンッ!
衝撃音と共にワイルドボアを吹き飛ばす! 悲鳴と共にその巨体が宙を飛び……
「ぬおっ!?」
その近くにいた天真を襲う。慌ててその場を離れた直後、ワイルドボアは轟音と共に背中から地面に叩き付けられた。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ。問題ありません」
駆け寄ってくるリピルに心配ないという感じで手を上げる天真。ワイルドボアのほうを確認すると、完全に気を失っているらしくピクリとも動いていなかった。
「ごめんなさい……。本当はもっと威力の低い魔術のつもりだったんですけど……」
「もしかして、魔術が苦手だと言っていたのは」
「はい……。どうしても制御が利かなくて……、いつも周囲の人たちに迷惑を」
改めて魔術の着弾地点を見てみると、そこは地面がえぐれて悲惨な状況になっていた。
「ふむ、これはどうやら制御を途中で放り出すのが原因のようですね」
「え? そうなんですか?」
先程の魔術を行使する光景を頭の中で反芻しながら、そう断言する天真に、リピルは驚きの声を上げる。どうやら自身の魔力量が多すぎて、制御が追い付いていないらしい。
「言ってみれば、自転車に乗る練習中に、怖いからといって目をつぶってしまう様なものです。だから、途中で暴走してしまう」
「……やっぱり、私が怖がりなのがいけないんですね」
しょんぼりとそう呟くリピル。そんな彼女を横目で見つつワイルドオアのほうに近づいていく天真。
「さっきも言った通り、恐怖心を持つのは悪いことではありません。ただ、それに負けて目を閉じてうずくまったままでいるのは駄目です。よっと」
どう考えても、軽く100キロは超えているはずの仰向けの巨体を、腕一本でひっくり返す。その光景に、リピルは目をぱちくりさせていた。そんな彼女の様子を伺いながら、天真は話を続ける。
「リピルちゃんは、保有魔力が通常よりかなり多いようです。だから、力を使うときに無意識のうちに魔力の大きさに恐怖してしまう」
「…………」
リピルは、何も言い返せなかった。天真の言っている通りだと思ったからだ。
「ですが、そろそろそれも終わりにしなければいけません」
バキンッ! という音と共に、ワイルドボアの角が根元からへし折られる。リピルが驚いて確認すると、天真が手刀で角をへし折っていた。ちなみに、ワイルドボアの角は成人男性の太ももほどの太さがあり、そうやすやすと折れるものではない。
「あの、さっきからものすごい光景が私の目の前で展開されているような気がするんですが」
「え? 何がです?」
「……いえ、何でもありません」
どうやら本気で気が付いていないらしい。なんだか、そこにつっこんではいけない気がして、リピルはそれ以上の追求は断念した。そんな彼女に首を傾げつつも、天真は手の中のワイルドボアの角を確かめる。
「あなたは、弟や妹のために前に進む事を決意した。これからは手を引いてもらうのではなく、手を引いていかなければならない。その時目を閉じたままでは、正しい道を歩いていくことはできませんよ」
「私が……皆を」
そう呟きながら自分の手をじっと見つめる。
「子供達が歩いていく道を確かめるためにも、あなたがしっかりと目を開いて前の危険を確認していかなければいけません。いつか、子供達が誰かの手を引いて歩いていけるようになるまで」
「……はい!」
手をぎゅっと握りしめながら、自分に活を入れるように元気よく返事をするリピル。そんな彼女を微笑ましげに眺める天真。
「さて、それでは目的のものも手に入れましたし、さっさと他の皆さんと合流して帰りますか」
天真の言葉に頷くリピル。ちなみに、その他A、B、Cの皆さんはここにはいない。少し前に『手分けして探そう』ということになって別れたのだ。体のいい厄介払いであることは天真も分かっていたが、彼らも一応それなりに腕は立つようであるし、なによりリピルが心配であったのでその条件を飲んだ。
「しかし、そんなに奥のほうに行かなくても獲物は見つかったでしょうに、どうして奥まで進んでいくのか」
「あ、それは多分免許を貰う時に少しでもいいランクになるためだと思います」
「え? どういうことですか?」
リピルの言葉の意味が判らずに、首を傾げる天真。
「ハンター試験では指定された獲物をしとめられれば合格になります。けどその際、別の高ランクのモンスターを倒していた場合に、ハンターランクが一つ二つ上がる場合があるんです」
「ボーナスみたいなものですか」
「そんな感じです。ちなみに、ハンターランクはEから始まって、一番上はSですが、試験で高ランクのモンスターを倒せば、最初からDやCになれるというわけです」
「しかし、そんなに欲張ってもし対処しきれないようなモンスターに遭遇した場合は……」
「大丈夫だと思いますけど。この辺りにはそれほど危険なモンスターはいないはずですし」
「……だと、いいのですが」
そう言って森の奥の方を見つめる天真。その視線は鋭く、まるでその先で何か得体の知れないものと相対しているかのようだ。そんな天真を、リピルが不安そうなに見つめる。そんな彼女に気が付き、表情を改める天真。
「まあ、あの人達も無理はしないでしょうし、先に森の入り口にまで戻っていましょうか」
「そうですね、最悪でも私達は目的のものを手にいれたわけですし」
「ではそういう……!?」
瞬間、天真は森の入り口へと踏み出した足を止めて、素早く後方へと振り返る。その視線はこれまでに無いほどに険しい。突然の反応に目を白黒させるリピル。
「あ、あの、どうし」
天真の反応に、恐る恐る声をかける。だが、その途中で、
「うわああああああああ!?」
「ひっ!?」
突然森の奥から響いてくる悲鳴。
「な、何が」
「リピルちゃん!」
「は、はい!?」
いきなり自分の名前を呼ばれて、驚くリピル。だが、そんな彼女の反応も無視して、天真は鋭く告げる。
「すぐに森の入り口まで戻って、試験官の人たちに試験の中止を呼びかけてください。受験者を全員この森から避難させるように」
「は、ええ!?」
「同時にニューオーダーまで戻って軍の出動を要請するよう伝えてください。あ、あと入り口にハヌマーンという白い猿系の獣人がいる筈ですから、その人に避難を手伝うようにと」
「ち、ちょっと待ってください。一体何が」
混乱するリピルに、天真はその視線を更に鋭くしながら告げた。
「どうも、少々厄介な相手がいるみたいです。」
「うわあっ!?」
悲鳴を上げながら、何とかその場を飛びのく。一瞬後、たった今まで自分がいた空間を突き抜けていく細長い影。
「な、何なんだよこいつは……」
がちがちと、歯の根を鳴らしながらCチームのチンピラAは呆然と呟いた。
森の奥の開けた空間。そこに、自分たち3人と他のチーム5人が集まっていた。だが、自分を除く全員は気を失っているか、深手を負って動けないでいるかのどちらかだ。そしてその広場の奥、そこに存在する巨大な影。
と、その巨大な影がわずかに動いたと思った次の瞬間。
ザシュッ!
「ぎゃあああああっ!?」
風切り音と共に飛来した何かが、Aの太ももを切り裂いた。鮮血が派手に飛び散る。
「ひ、ひいいい……」
激痛と出血のショックで腰を抜かすA。そんなAの様子に、全員が行動不能に陥ったと確認したのか、影はその体から、数本の触手を再び伸ばす。そして、その先端が示すのは……
「や、やめ」
その先端が自分を狙っているのを確認して、尻餅をついた状態で後ずさりする。だが、もちろんそんな動きでは相手の攻撃範囲内から逃れることはできず。やがて、触手の先端はぴたりとAに狙いを定めて……
「うわあああああ!?」
すさまじい速度で、Aを貫こうとする。思わず、目をつぶるA。だが、触手は容赦なくAの体に突き刺さ
ヒュッ
何かが風を切るかすかな音が聞こえたと思った次の瞬間、
「何とか間に合ったようですね」
どこかで聞いたような声がして、目を開けるとそこには―――
「やれやれ、8人ですか。思った以上に人が多い」
「お、お前何で!?」
足手まといになると思い、途中で置いてきた人間―天真―が目の前の巨体をじっと見つめながら立っていた。その足元には、切り落とされた触手が。
「まさかとは思っていましたが、これは……」
その巨体を一言で表現するならば木の化物であった。樹齢何百年クラスの巨木を使用した、まるで子供が粘土遊びでふざけて作ったような外観。4速歩行の動物のような上半身を持ちながら、下半身は木の根のまま。その体に不釣合いなほど巨大な両腕も、末端は根っこのようになっている。その根は不気味に蠕動し、樹皮がまるで生き物のように蠢いている。頭と思われる部分には口と思われる巨大な穴が開いていて、その上には瞳が一つだけ。そして、体の各部から伸びた枝には青々とした葉が生えていた。
「お、おい!? この化け物のこと知ってるのか!?」
「……このタイプのものは見たことはありませんが、同族ならば何回か遭遇したことがあります」
新しい獲物の出現に、化物はその目標を変更する。頭部と思われる部分にある巨大な瞳が天真を見つめる。
「あれは、竜です」
「は、はあ!? 竜!?」
「もっと正確に言うならば、木竜ですか」
天真の言葉に素っ頓狂な声を上げるA。と、その時、
ヒュンッ!
再び聞こえる風切り音。だがその瞬間、天真の両腕が霞む。
「……なるほど。これを高速で飛ばして、刃物のように使用すると」
そう呟く天真の手、その指の間には刃物のように鋭く尖った木の葉が何枚も挟まっていた。それを見て、自分を襲った物の正体を知るA。だが、自分が視認すらできなかった凶器を素手で掴み取るこの人間は一体何者なのか。
「ち、ちょっと待て!? えっと、あれが竜!? 嘘だろ!? ぜんぜん姿が違うじゃねーか!」
「竜という種族は、一般的に知られている、トカゲを巨大化させて翼をくっつけた姿の物だけじゃないんですよ。その性質によって姿も千差万別になるんです」
木竜は木の葉の攻撃を防がれたことを理解したのか、今度は体の各部から枝を伸ばしてその先端を天真に向ける。その姿を眺めながら、ゆっくりと前に出る天真。
「お、おい!? どうするつもりだ!?」
「あなたの怪我は見た目ほど深くありません。周りの人達を連れてすぐに森の入り口まで戻ってください。軍の方には連絡が行っている筈ですから、すぐに救援部隊が来るはずです」
「いや、お前は……」
「とりあえず、あなた達が逃げ延びるまでの時間稼ぎが必要ですからね」
ある程度の距離まで近づき、立ち止まる。相手に対して半身になり、柄に軽く手を添えた。その姿に何かを感じたのか、木竜はすぐに攻撃には移らずに、その様子を伺う姿勢を見せる。
「ではお相手しましょう。自然の力の具現にして、世界の落とし子たる存在よ」
天真の言葉と同時に、無数の枝がその体を貫かんと襲い掛かった。 |