第9話.選択
「さて、何処かの誰かの力不足で、長々と続いてしまっていますが」
うるさいよ。
「そろそろ本題に入りましょうか」
「そうね」
そして、美亜は真剣な表情でスノウと向き合う。
「じゃあ聞かせて、麗を救う方法を」
その言葉を受けて、スノウも真剣な表情を見せる。
「もう一度確認するわ。この方法はとても危険なの。最悪の場合麗君だけでなく、美亜も命を落とすことになるかもしれない。それでも……」
「私の答えは変わらないわ」
はっきりとした決意を込めて、美亜はスノウの説明を遮る。
「たとえ可能性が限りなく0に近くても、私達はやり遂げてみせる」
「……分かったわ。ではその方法を教えます」
いよいよだ。美亜は聞き漏らす事が無いように、スノウの言葉に全神経を集中する。
「とは言っても、実は方法は極単純なものなの。美亜はもちろん、天真やハヌマーンさんもしっているはずよ」
「え?」
「なんだって?」
「……」
スノウの意外な言葉に、美亜とハヌマーンが驚きの声を上げる。しかし、天真だけはその話を聞いて、顔をしかめた。
「……まさか、確かにそれならば何とかなるかもしれませんが。“覚悟”とはそういう意味ですか」
「って、今ので分かったのか?」
そのハヌマーンの問いには答えずにスノウに視線を送る天真。それを受けて一つ頷き、スノウがゆっくりとその方法を口にした。
「麗君を助ける唯一の方法は、彼を“転化”させることよ」
「転化? 僕が?」
姉と二人っきりになった病室で告げられた自分が助かる方法は、意外と言えば意外なものだった。
自分が“覚醒者”と言うなんだかよく分からないもので、それが病気の原因だと告げられたのがついさっきの事。その後姉と二人っきりになり、詳しい説明を受け、自分の病気を治す方法を教えられたが、正直、どのようなリアクションをとっていいのか分からなかった。
「えっと、ようするに僕が転化者になれば病気が治るの?」
その問いに美亜が頷く。
「簡単に言うと、麗の症状は中身が多すぎて器が壊れそうになっている事が原因だから、それなら器を丈夫なものに作り変えてしまおうと言うことらしいわ」
転化するという事は、乱暴に言ってしまえば、自分の内面の願望に合わせて、体を作り変えると言うことである。つまり今回の場合、これを利用して現在の病弱な体を、内在魔力に耐えられるように作り変えてしまおうと言うわけだ。
「……うん。その理屈は分かったけど、転化者って、なろうとしてなれるものなの?」
「普通なら無理らしいわ。でも方法はあるって。ただ、早く行わないと成功率が低くなっていくらしいけど」
「どういうこと?」
「私達がこっちに来て、そろそろ1年が経つでしょ?」
「うん。……そう言えば転化は普通、こっちに来て1年以内に起こるって聞いてるけど」
「それは、私達の体がこの世界になれるのにおよそ1年かかるかららしいわ」
次元を超えてこの世界に来た当初、人の体は元の世界との次元のずれを受けて、魔術的な意味で不安定な状態になる。存在に揺らぎが生じるのだ。そして、この状態のときは転化が起こりやすい。やわらかくなっているところで、新しい形に整えるようなものなのである。
だが、個人差はあるものの1年ほど経つと、ほとんどの人の状態はこの世界に順応して安定する。こうなると、通常は転化が起こらなくなるのだ。
「だから、今のうちに転化を行っておかなければならないらしいの」
「そうなんだ」
と、そこで美亜が表情を引き締める。そして、重い口調で麗に問いを投げかけた。
「麗は、どう思う? 転化するという事は普通の人間じゃなくなるということよ」
美亜の言う通りであった。天真などは転化者も人間も同じ“人”として扱っているが、実際転化者と人間の間には大なり小なり隔たりがある。通常の人間を超えた力に、異形の外見。これから先の人生では、今までと同じ道は歩めなくなるだろう。一度転化してしまえば人間には戻れないであろうし。
そんな姉の質問に、麗もまた質問で返した。
「姉さんは、どう思う? もし、僕が転化したとしたら」
「……私は、麗が転化しても変わらないと思う。どれだけ外見が変わっても麗は麗だもの。転化は中身まで変わるわけじゃない。だったら今までどおり麗のお姉ちゃんとしての自分でいるだけよ」
美亜の答えに麗は微笑を見せる。
「うん。姉さんはそう言うと思った。でもね、僕の意見は少し違うんだ」
「違う?」
思いがけない弟の返答に、面食らう美亜。そんな彼女を見つめながら、麗は自分の思いを打ち明ける。
「僕はね、自分が生きていることがすごく嫌だったんだ。だって、本当に“生きているだけ”で、それなのにずっと姉さんに迷惑をかけっぱなしだったんだから」
そんな麗の告白に、美亜はつらそうに表情をゆがめた。だが、麗の言葉を遮るようなことはせずに、膝の上の拳を握り締めたまま、じっと弟の言葉に耳を傾ける。
「だから、本当は早く死にたかったんだ。そうすれば迷惑をかけることもなくなるし、何より姉さんは僕に縛られずに生きていくことが出来るようになるから。姉さんも、僕のことが邪魔だと思ったことくらいはあるでしょ?」
「…………」
否定はできなかった。向こうにいた頃にも、こっちに来てからも、そういう気持ちが無かったと言えば嘘になる。麗の存在は自分を縛り付ける鎖で、そんな鎖から開放されて自由になることを夢見なかったとは言えない。
「うん。今こうやって話してて、ようやく分かったけど、姉さんの優しさが重過ぎて、僕自身それから自由になりたいって思っていたかな」
「そうね、そうかもしれないわね。私達、お互いが相手を縛り付ける鎖になっていたのかもしれないわね」
認めよう。確かに大切な存在ではあるけど、それでも時としてその存在は自分には重すぎた。相手が邪魔で仕方ないこともあった。自由になりたいと思ったこともあった。
「だけど、だからこそ、そういうことってちゃんと言わないといけないわよね。大切だから、そんなことを言ってはいけないなんて、それこそ相手を馬鹿にしているもの」
「そうだね。家族だからって遠慮することなんて無いのにね。むしろ、家族だからこそきちんと自分の思いを相手に伝えなくちゃ」
言葉にしなければ、思いは伝わらない。どんなに近くにいても、いや、だからこそ伝わらない思いもあるのだから。
「たとえ相手が傷つくとしても、伝えなければ思いは歪んで、いつか、自分自身とその周囲の人々をとても深く傷つけてしまう」
「だから言うよ姉さん。貴方の存在は、思いは時に僕には重すぎた」
はっきりと、自分の姉の目を見つめながら、彼女を傷つけてしまうであろう言葉を口に出す。
「だけど、それ以上に、僕は自分が惨めで仕方が無かった。姉さんに守られるだけの自分自身が嫌いで仕方が無かった」
さっきシェリナと出会って思い知ったこと。思い知らなければならなかったこと。
「だから、僕は変わりたい。姉さんを守れる自分に。誰かの荷物になるだけじゃない、誰かを守れる自分に」
それが、今の自分の願い。そして、姉の問いへの答えだった。
そんな弟の姿を、潤んだ瞳で美亜は見つめていた。ずっと、自分が守ってあげなければいけないと思っていた弟。一人では生きていけないのだから、自分が何とかしなければならないと思っていた。
だけど、その考えは自分の傲慢だったのだろう。弟は、自分が思っていたような弱い存在ではなかった。壊れかけの体でありながら、それでも姉のことを心配して、自分の無力を嘆きながら、それでも姉を守りたいと。
「分かった。それが麗の答えなのね」
「うん。僕は、生きたい」
はっきりと、そう言い切る麗。その瞳には確かな力強さを秘めた光が宿っていた。
「……麗の気持ちは分かったわ。だけど、この話にはまだ続きがあるの」
「続き?」
いぶかしげな視線を自分に向ける弟を見ながら、この話を聞いて、彼がどのような決断を下すのかを考えた。
この選択肢を突きつけることは、きっと麗を傷つける。だけど、さっきの麗の言葉を聞いて、美亜も決心した。
麗なら、この傷を乗り越えられる。そう信じて、残酷な現実を彼の前に明かす。
「あなたは“覚醒者”。その魔力は常人とは比べ物にならない。そして、私達がこちらに来てもうすぐ1年。すでにあなたの体はこの世界に順応して安定化を始めているわ」
美亜の説明を聞きながら、麗は自分の胸の内に不安が広がっていくのを自覚していた。
「今あなたを転化させるという事は、固まりかけた硝子の器の形を無理やり変えるということに等しい。自然、強引な手段を取らざるをえない。そして、その結果によっては器は粉々に砕け散る」
「それって、僕が死ぬっていうこと?」
「いいえ、それだけではすまないらしいわ」
そして、その事実を突きつける。
「失敗すれば、内在魔力が開放されて、周囲の全てを吹き飛ばす。詳しい規模は分からないけど、この城くらいは跡形もなくなるらしいわ」
「!? そんな……」
思ってもいなかった事実に愕然とする麗。だが、美亜の話は更に続く。
「転化を行うには、私もその場にいることが条件の一つだって言われた。つまり、失敗すれば私も死ぬことになる」
「なっ!?」
自分だけでなく、姉も死ぬ。突きつけられた現実は、麗に重くのしかかった。
「成功する確率は50パーセント。つまり半々だって言われたわ。そしてもう一つ、今なら周囲に被害を出さずにあなたを人間のまま死なせることも出来るみたい。この方法なら死ぬのは麗だけで、リスクは0」
つまり、命の危険がある方法に姉を巻き込んで生き延びるか、このまま誰にも迷惑をかけずに死ぬか選べと言うことだ。
そして、生き延びる方を選んだとしても成功の確率は50パーセント。高いとは言えない。
「麗は、どうする。どっちを選ぶ?」
麗はその選択を前に悩み、迷い、そして―――
「だけど本当なのか、この城くらいは吹っ飛ぶって言う話は」
「もちろんです。今回やろうとしていることは、言わば炉心融解寸前の核分裂炉で修復作業を行うようなものなんですから」
麗の病室を出た天真一行は、近くの談話室で姉弟の話し合いが終わるのを待っていた。そんな中、ハヌマーンが天真に改めて覚醒者ついての質問をする。
「私も向こうにいた頃に数えるくらいしか会ったことはありませんでしたが、全員例外なく強力な力を持っていました。おそらく、麗君は覚醒者としては弱い部類に入るので、被害もその程度と予想できますが」
「……城一個吹っ飛ばすのが弱い? それ基準がおかしくねえか?」
「むしろ麗君のような存在の方が貴重なんですよ。他の覚醒者はもっと強烈で、力を得る代わりに人として大事な部分をごっそりと無くしたような奴らだけだったんですから」
「え? 覚醒者ってそんな奴らばっかなのか?」
「一説によると、根源に近付き過ぎたせいで、人としての精神が破綻してしまっているのだと言われていますが。巨大すぎる力の代償と言ったところでしょうか。あるいは、人間として逸脱しすぎた者の業、とでも言うべきか」
そう言う天真の視線は宙を睨んだまま、目元も険しい。それが、元の世界での覚醒者との出会いが愉快なものではなかったことを、無言のうちに示していた。
「……でも実際、麗君はどんな答えを出すんだろうね」
そんな天真の様子を気遣って、スノウは話題の転換を図る。だが実際には、その問いはこの部屋の者全員の問いかけの代弁だった。
「さて、どのような結論を出しても、それは麗君が彼自身で決めた事。ここで私達が話し合っても意味は無いですが」
「そりゃそうだが。まだ子供なのに、命のかかった選択を選べって言うのは少し酷過ぎないか?」
「そうでも無いかもしれませんよ」
天真の返答に、どういうことだと視線で問いかけるハヌマーン。
「麗君は生まれてからずっと死の危険と隣りあわせで生きてきました。確かに彼はまだ子供ですが、あるいは命の重さというものに関して、一番理解しているかもしれません。見た目よりもしっかりしているんですよ彼は」
「麗は、強いよ。ちゃんと、言いたいことを言えたから」
天真の言葉を、シェリナが肯定する。
「ですから、そんな彼の選択を私は尊重します。もちろん、彼が生き延びると言う選択をしたならば、全力でサポートしますし」
「やっぱり、天真も彼の転化に付き合うつもりなの?」
「そう言う雪もですか?」
確認するように問いかけるスノウに対して、同じ質問を返す天真に、スノウは苦笑しながら応える。
「彼が転化する時には私の能力が必要になると思うから、私は参加しないと」
「ですが失敗すれば死にます。そんな危険な場所に魔王様じきじきのお出ましとは……って、もしかして黙って行くつもりですか?」
「……ソ、ソンナコトナイワヨ? ちゃんと皆には了解を取って」
なぜかあさっての方向を向きながら、弁解を始めるスノウ。だらだらと脂汗までかいている。
「私、聞いて無いよ?」
「……スノウさん」
「雪ちゃんは一度決めると梃子でも動かんからの」
上からシェリナ、リーン、神裂がジト眼でスノウを睨む。
「うう……駄目、ですか?」
眼を潤ませながら、その中で一番年長の神裂に許可を求めるスノウ。と言うか、単に一番御しやすいからかもしれない。
「……仕方が無いのう」
「ちょ!? 神裂先生!? どうしたんですか!? いくら普段はどうしようもないエロジジイでも、こういう場面では一応、たぶん、おそらくちゃんとした判断を下せる人だったじゃ無いですか!? とうとうボケたんですか!?」
「……リーンよ、後でじっくりと話し合う必要がありそうじゃの」
ジト眼を今度はリーンに向けながら、神裂がのたまう。そして、コホンと一度咳払いした後に天真に向き直り、
「小僧、任せたぞ」
「無論。言われるまでもありません」
そのやり取りに、今度はスノウが慌てた声を上げる。
「天真、確かに天真は強いけど、今回はそういう力は意味が無いんだよ? 危険だし、今回は……」
「いえ、むしろ今回のような事にこそ、“私達”の力を使うべきなのです」
その言葉に、神裂以外の面々がきょとんとした表情を見せる。
そして、天真は厳かな声で詠うように言葉を紡ぐ。
「我らの力は世界に押し潰される者達のために。我らの相手は人に非ず、魔に非ず、神に非ず、世界也。気高き思いを守るために、報われぬ嘆きを救うために。我ら、その力持て神を堕とし、魔を浄化し、理を破断し、業を浄滅せん。我ら、“破浄”の名を持って世界と相対さん」
天真の言葉が終わっても、しばらくは誰も言葉を発さなかった。あるいは、その場の雰囲気に飲まれていたのかもしれない。
「まあ、要するに駄々っ子の集まりなんですよ、私達は。だからこそ、こういう時に有用な存在でもある。まあ今回は畑違いと言いましても、術法も多少は使えますし」
と、
コンコン
「入るわよ」
ドアを開けて入ってきたのは、予想通り美亜であった。彼女の様子を伺いながら、天真が声をかける。
「どちらを選ぶか、決まりましたか?」
「ええ、決まったわ」
そこで美亜は一度、全員の顔を見渡す。彼らの視線が自分を捕えていることを確認し、口を開く。
「麗は……」
そして、美亜は麗の決断を告げた。 |