第9話.グランギニョル
その爆発音が聞こえて来た時、美亜の心はこれから行うことへの不安で押しつぶされそうになった。結局天真はこの場所に現れなかった。何か別の任務を言い渡されたか、突発的なトラブルに巻き込まれたか。どちらにしろ今自分を助けてはくれないのは確かだ。しかし、彼が自分を守ると約束した以上そのうち現れるだろう。例えこれから行うことは一人でやら無くてはいけないとしても。
自分がこれから行うことは、これまでの集大成であり、この時のために何人もの同士が犠牲になったと言っても過言ではない。かく言う自分もさまざまな対価を払ってここまで来たのだ。だからここで失敗することは許されない。あの街で待っている弟のためにも。そう思ったときには内心の不安とは関係なく体が動いていた。
リング上の全員が先ほどの爆発音と立ち上る煙に気をとられていることを確認し、目立たないように目標の背後へと回り込む。護衛と思われる二人も爆発に気を取られているのか、こちらに気付いた様子はない。
その姿を視界の隅に置きながら、このときのために準備してきたものを手に取り、まずは護衛の二人の足元に投げる。仕込を終えてから懐に忍ばせてあった特別製のナイフを掴み、引き抜く。目的の人物の背後、十分に近付いたことを確認してナイフを腰溜めに構える。突き込む瞬間、ふとこちらに気がついたハヌマーンと眼が合った。
(巻き込んでごめんなさい)
そう胸の内で呟き、一気に刃を差し込む!
その数瞬前に護衛の二人がこちらに気付き慌てて駆け寄ろうとするが……
「爆ぜろ」
ドゴンッ!
先ほど仕掛けたトラップが発動。爆発に飲み込まれてその姿は見えなくなる。それを視界の隅で確認すると同時に、その手に肉を裂く手ごたえが―――
(!?違う)
何か硬いものを突き刺した手ごたえに一瞬動揺する。その瞬間、視界の隅で何かが奔ったと思う間も無く、
ブオンッ
慌てて姿勢を低くした美亜の頭上を何かが通り過ぎる。その場にいては危険だと覚り、後方にバックステップ。
「木人君、ごー」
なにやらやる気の抜けた声が響いたと同時に目の前の人物がマントを翻してこちらに突っ込んでくる。いや、
「これって!?」
マントを脱ぎ捨てて美亜に突っ込んできた人影は、明らかに人のものではなかった。慌てて懐に手を伸ばし、目的のものをつかみ出すとそれを前方に投げ……
「吹き飛ばせ!」
ゴウッ
言葉と同時に前方に衝撃波が発生。突っ込んできていた何かを後方へと吹き飛ばす。影はそのまま、リングに叩きつけられて静止した。完全に動かなくなったことを確認し、美亜は改めて周りを確認する。
「どうゆうことだ桃子、大丈夫と言っておいてこのざまか?」
「えーだってーあの子なんか変な技使ってくるんだもん。凍夜ちゃんもー見たでしょー」
鋭くこちらを睨みながら最初に声をあげたのは凍夜将軍。その全身からは息苦しくなるほどの殺気が発せられているのが分かった。そしてその凍夜将軍が声をかけたのは、
「は、はあ!?」
一人激しく推移する事態に置いてけぼりを食らっていたハヌマーンが素っ頓狂な声を上げる。だが、彼が驚くのも無理は無いと美亜も思った。凍夜将軍が声をかけた先、爆発に巻き込まれたにも関わらず何事も無かったかのように立っている全身マントの二人。今の今まで護衛だと思っていたその内の一人が先ほどの爆発でぼろぼろになったマントを脱ぎ捨てたのだが、その姿がこの場にはあまりにも似つかわしく無かったからである。
「何でメイドさんがこんなところに!?」
紺色の膝丈ワンピースに白のエプロン、カチューシャ、更には白のニーソックスをはいたどこからどう見てもアキバが主な生息地のメイドさんがその中から出てきた。耳が尖っていて地肌などが通常の人間には無い色なので彼女も魔族だろう。名前の通りの桃色の髪を肩まで伸ばしたかなりの美人だ。しかし、その眼からはやる気とか情熱とかそういう熱いものがまったく感じられない。一言で言えばものすごくやる気がなさそうな感じがする。先ほどの返答ともあいまって、なんだか駄目な大人の人を想像してしまう。
「なんかー、魔術っぽいんだけどー魔術とは少し違うような感じ? 何か投げてたからーそれが種だとは思うんだけどー」
「どうでもいい、俺達は魔王様の敵を排除するだけだ。貴様のガラクタ人形があの程度で壊れるような代物だと言うのなら俺がやる」
「さすがにーそんなことは無いってばー。もー凍夜ちゃんは相変わらずせっかちだなー」
「……だから何度もちゃん付けは止めろと言っているだろうが!」
「木人くーん」
「人の話を聞けっ!」
メイド姿の魔族―桃子の呼びかけと共に、先ほど吹き飛ばした影からガギギという何かが軋む様な音が響いた。かと思うとガキョンという音と共に今まで仰向けに倒れていた影が勢いよく起き上がる。
「……なんかゲームセンターとかで見たような」
「違うもーん。木人君はー元々中国で武術の……」
「敵と無駄話してる場合かっ!」
桃子に木人君と呼ばれた影は、丸太を数本人の形につなぎ合わせたような形をしていた。というか、先ほどの手ごたえから察するに実際に丸太で出来ているのだろう。どのように動かしているのかまでは分からないが。
「ってあれ? どう見てもさっきのマント姿の時より大きくなってるんだけど……」
ハヌマーンの言葉通りだった。先ほどのマントの時は彼より小さかったのに、今その姿は長身の彼とほぼ同じくらい、180cm以上は確実にあるだろう。
「それはー企業秘密ー?」
「そんな事言わずに俺様教えてほしいなおねーさんって、そんなこと言って口説いてる場合じゃねえ!?」
そのままナンパに移行しようとしたハヌマーンはようやく理解が追いついたのか、焦った様に美亜に向き直る。
「美亜ちゃん。いったい君は何を……」
「ハヌマーン」
その言葉を途中で遮り、美亜はハヌマーンに確固たる視線を向ける。その目に宿った光の強さにハヌマーンは言葉を発することができない。
「謝ってもしょうがない事だとは思うけど、言っておく。ごめんなさい」
「……だから何でっ」
「あなたは私達に利用されていただけだから、これから先不都合なことがあった場合はそう証言しておいて」
「美亜ちゃん!!」
「まだ分からんのか」
二人の言葉を遮る氷点下の声。その発生元に眼を向けると、相変わらずの鋭い視線でこちら睨みつける凍夜が。
「その女は人間どもの対転化者組織のエージェントだ。身の程知らずにも魔王様暗殺などという大罪を企てて仲間と共にこの大会に潜入していたのだ」
「……お詳しいこと。やっぱり情報が漏れていたの?」
その言葉を口にするのも汚らわしいというように、忌々しげに吐き捨てる凍夜。そして、そんな彼の言葉に表面上は平静を装いながらも美亜は内心、とても焦っていた。万全だと思われたはずの自分たちの計画が漏れている。とするならば魔王はここにはいないのだろう。自分たちはまんまと罠のど真ん中に放り込まれたことになる。他の仲間達は、天真は無事なのか。
焦る思考をなだめようとする美亜を無視して、凍夜はハヌマーンに話を続ける。
「貴様、ハヌマーンと言ったか。どうやら利用されていただけのようだが一応確認させてもらう。この反乱分子を処分した後話を聞かせてもらうぞ」
「ちょっ、処分だと!?」
その言葉に驚愕の表情を見せるハヌマーン。だが同じ反応を返したのは彼だけではなかった。
「ちょっとー、凍夜ちゃん。ス……魔王様からは出来る限り殺すなって言われているでしょー?」
驚いたことに、凍夜の言葉に魔王側のはずの桃子が反論を返す。しかし、
「駄目だ。あの方は優しすぎる。こんな反乱分子を放って置いたら何時また同じことを繰り返すか分からん。だから今回は見せしめのためにも実行犯については殺す」
「だからーそんなことしたら」
「黙れ」
ギロリと桃子を睨みつける凍夜。
「貴様が魔王様直属の近衛だとしても、今回の作戦の責任者は俺だ。文句は言わせん」
「……いいけどねー。後で怒られるだけで済めばいいけど」
「それであの方の負担が軽くなるならば」
「分かってないなー、凍夜ちゃん」
「……だからちゃん付けで呼ぶなと言っているだろう!」
「ちょっと待てよ!」
そのまま言い争いに発展しようとした二人の間にハヌマーンが割って入る。
「美亜ちゃんを殺すってのか? そりゃあ彼女は確かにさっき魔王様を暗殺しようとしたけど、でもそれは命令されただけかもしれないし、きっと何かわけが」
「黙れ」
そう言って凍夜は斧槍の切っ先をハヌマーンに向ける。その行為と自分に向けられる威圧感に次の言葉を飲み込まざるを得ない。
「それ以上言うなら、貴様も奴等の仲間と見なして一緒に処分するぞ?転化後の人間が魔王軍、いや6王に楯突くとどうなるか知らぬわけではあるまい」
「ぐっ……」
転化後の人間が6王の法律で重犯罪者と見なされた場合、一部の例外を除きそのほとんどは死刑などの重い刑罰を科せられることとなる。これは転化後の人間はほぼ全員が通常の人間より高い能力を得るため、その力を悪用すると被害は甚大なものとなるからであり、その抑止のために通常よりも重い刑罰が適用されているのだ。
よってここでハヌマーンが美亜を庇って魔王暗殺の仲間だと見なされた場合、確実に死刑となるだろう。だが彼はそれでも納得できなかった。目の前で女性を見捨てるなど自分の正義に反する。しかし、ここで抵抗すれば自分は間違いなく殺される。
「ハヌマーン」
自らの命と美亜の命を天秤にかけられ、葛藤するハヌマーンに美亜が声をかける。
「あんたはスケベで間抜けなエロ猿で女の色香に迷って利用されただけ。そういうことだから」
「……美亜ちゃん。だけど」
「私のせいで死んだりしたら目覚めが悪いのよ」
そう言って微笑む美亜。ハヌマーンは拳を握り締める。このままでは確実に彼女はテロリストとして殺されるだろう。だが、たとえ今自分が彼女に味方しても事態が好転するかどうか。しかし、それでも彼女を見捨てるなんて、
「まあまあそう深刻にならないでー」
そんなシリアスな雰囲気をやる気がかけらも感じられない声がぶち壊す。ちょっと恨めしそうな表情を向けると、桃子がいつの間にか木人君を従えて前に出ていた。
「大丈夫ー。少なくともこのお譲ちゃんは私が捕まえるから死なないよー」
「桃子っ!?」
その言葉に凍夜が口調を荒らげる。そんな彼に桃子は変わらないめんどくさげな視線を向けて、
「私がー確保してー、身柄を預かるからー死刑とかにはしないー」
「……貴様命令に逆らうつもりか?」
「そっちこそー」
相変わらず怒りの形相で睨み続けている凍夜を一瞥し、あくまでペースを崩さずに話し続ける桃子。ちなみに本人の様子がものすごく軽く見えるので度胸があるのか、神経が無いのかが分からない。
「私達はー魔王様からー独立裁量権を与えられてるからー、私が捕えた罪人に関する処断はー私が行ってもいいはずだよねー?」
「……ちっ」
その言葉に舌打ちをする凍夜。自分が至上の存在としている魔王を引き合いに出されたのでは反論はできない。いらだたしげに呟く。
「……いいだろう。あの女は貴様に譲ってやる」
「りょうかーい。凍夜ちゃんありがとー」
「だ・か・らちゃん付けは止めろ!」
どうやら話は纏まったようだとハヌマーンは少し安堵する。魔王やその他の王達は転化前の人間の大部分からは悪鬼羅刹のごとく言われている存在だが、実はそれほど話が分からないわけではない。
特に魔王に関しては人間に関してかなり慈悲深いという話であるから、自分も何かしらの証言をすればもしかしたら軽い罪で済むかもしれないと思ったその時、
「本人を目の前に、捕まえるだの死刑にするだの好き勝手言ってくれてるじゃない」
美亜が低い声で呟いた。慌ててそちらを見ると左で逆手にナイフを持ち、右手を懐に入れた完全に戦闘体制に入った彼女の姿が、
「ちょっと美亜ちゃん!? 何やってるの!? 何でそんな殺る気なわけ!?」
「私も遊びでこんな事やってるんじゃないのよ」
その姿を見た桃子はものすごくめんどくさそうな顔をして、
「えっとー、身の安全は保障するからーできれば投降してくれるとうれ」
「ふざけた事抜かしてるんじゃないわよ」
ピシャリと強い調子で相手の台詞を遮る。
「さっきも言った通り子供のお使いをやってるんじゃないの。それにここで捕まるつもりも無い。あんた達をぶちのめして脱出させてもらうわ」
あの女が言う通り、ここでつかまれば確かに死ぬことはないかもしれない。しかし、その身柄はほぼ確実に魔族の首都へと移送されてしまうだろう。その後はどうなるか、不確定要素が多すぎてまったく分からない。しかし、確実に言えるのは今自分がここでつかまれば、弟と再会できる日が限りなく遠くなるだろうと言うことだ。それだけは絶対に避けなければならない。
「だから美亜ちゃん待って。高位の魔族に普通の人間が勝てるわけ……」
「転化後の人間が必ずしも転化前の人間より優れているとは限らないのよ」
ハヌマーンは頭を抱えて困惑していた。確かに美亜の言ったことは間違ってはいない。しかし、魔軍の将軍や魔王の直属の兵士にそんな理屈が通るはずが無いのだ。そういう役職についているのであれば、間違いなく彼らの力は魔族の中でも最上位に近いものだろう。それを普通の人間が打ち破るなどどう考えても夢物語以外の何でもない。それは美亜も十分に分かっているはずだ。
短い付き合いだが彼女がそれほど愚かではないことは分かっていたつもりだ。その上で彼女はあの二人を相手にすると言う。自分の目が節穴だったのか、それとも何か秘策があるのか。
いや、たとえ何か奥の手があったとしてもあの二人に通用するかと言われれば……
「仕方ないなー。木人君ー」
諦めぎみに溜息を吐くと同時に、背後の人形に指示を出す桃子。
「ちょっと難しいけどー傷つけないように昏倒させてねー。それじゃあ……」
わずかに腰を落として突撃の姿勢になる木人君。そして、
「GO!」
主の掛け声と共に、忠実な人形は鈍重な外見からは想像できないスピードで飛び出した。 |