episode.1 -The Priestess-
episode.1-7「抱えるもの(後編)」5/2night
影時間は深夜零時から始まる。
いや、まだ一日は終わっていないのだから十二時と言うべきだろうか。
どちらにせよもう遅い時間だ。
特別課外活動部の面々でも、タルタロスに出向いていなければ普通に部屋にいる時間だろう。
有坂湊も例外ではない。
湊は影時間になる前に寝てしまう。
授業中あれだけ寝ておいてまだ睡眠が必要なのかと不思議ではあるが、これが湊の生活サイクルなのだ。
湊にとって睡眠は非常に重要な要素なのだ。
加えて、登校初日にゆかりが湊を起こしに来たときの一件からもわかる通り、湊の寝起きは非常に悪い。
総勢十個の目覚まし時計を駆使し、ようやく朝に気付くといういまだに無遅刻であることが異常と言えるほどの有様である。
そんな湊に影時間に会いに来るものが居れば、それ相応のリスクがあることは自明である。
episode.1-7「抱えるもの(後編)」
「やあ。久しぶりだね」
湊の寝室に一人の子供、ファルロスが現れた。
しかし湊は自分の部屋に他人がいることを全く気付かず、ただ眠り続けていた。
「声かけたんだから起きてくれたっていいじゃない」
ちょっと拗ねたようにファルロスは呟く。
このままでは埒が開かないので、湊の体を揺すってみる。
湊は動かない。
揺すってみる。
動かない。
布団を引っ張ってみる。
引っ張り返される。
「……どうすればいいのかな?」
「俺に任せろ。昔からこいつを起こすのは俺の役目だったんだ」
ファルロスの問いに答えたのは、湊によく似た少年だった。
唯一異なるのは彼の髪と目の色。
湊の深い澄み渡った蒼色に対して、この少年はルビーのように輝く赤色である。
その少年がおもむろに湊に近づき……
「ふんぬらばー!!」
湊を布団ごと真上に放り投げる。
少年は続けて拳を繰り出す。
まるで格闘ゲームに出てくるような空中での連続技。
湊が空中に浮いている間に三発ヒットした。
「とどめ!!」
最後に鳩尾目掛けて上から叩き込むような右ストレート。
湊はベットに叩きつけられた。
「……あの、コレって死んじゃうんじゃ」
ファルロスは目の前で行われた人知を超える攻撃をただ口をあけて見ていることしかできなかった。
さすがに目が覚めたのか、湊がむくりと体を起こす。
「あ、よかった。無事だったんだね」
「……」
「今日僕が来たのはね……どうしたの?」
「……」
「あの、えっと……?」
ファルロスの言葉に湊はピクリとも反応しない。
様子を伺うように視線を投げるファルロスに、少年が呟く。
「この起こし方は睦スペシャル53なんだが、一つ問題があってな」
「なにさその睦スペシャルって……問題?」
「コレをやると、九割ぐらいの確率で湊が暴走する」
「ええーっ!!??」
とんでもないことをいまさら言う少年であった。
「まあ暴走は長くてもせいぜい三分だからその間自分の身を守ればいい。ただ……」
「ただ?」
「素人には命の危険がある」
「え!!??」
湊はありとあらゆる武術をかじっている。
先月部に入った弓道だけでなく剣道、ボクシング、フェンシング、棒術と非常に幅広い。
そして何より十年にも及ぶシャドウとの実戦経験がある。
そんな湊が理性が無い状態で暴れるなど、考えるだけで恐ろしい。
「なんでそんな起こし方するんですか!?」
「だってこれが一番手っ取り早いし、それに……」
殺気を感じファルロスがベッドの方を向くと、湊が仁王立ちしていた。
ファルロスは少年の後ろに隠れる。
「久しぶりに相手がしたかったんだよ!」
いたずらっぽく笑いながら少年がそう言うやいなや、湊の拳が飛んでくる。
少年はそれを最小限の動きでかわすが、湊の攻撃は止まらない。
軽快なフットワークから次々とパンチが繰り出される。
さすがにすべてのパンチをかわすことはできず、少年は腕を使ってガードする。
常人なら腕を砕かれてもおかしくないが、少年はびくともしない。
「腕上げたなあ。昔はさすがにここまでは……オワァ!?」
有効打が打てないことに焦れたのか、湊は攻撃を変えた。
湊の蹴りが少年の目の前をかすめる。
ボクシングならこれは反則だが、残念ながらこれは実戦だ。
少年は大きくのけぞってしまった。
その隙を湊は逃さない。
素早く距離をつめ、少年の顔面に鉄拳を……
「待て、俺だ!睦だ!……ブグォッ!!」
「……兄ちゃん?」
湊が理性を取り戻したとき、目の前では二人の人間が気を失っていた。
一人は吹っ飛ばされた少年の後ろにいて巻き込まれたファルロス。
もう一人は有坂湊の双子の兄、有坂睦である。
「いてて、お前もうちょい手加減ってものをだな……」
「僕の眠りを妨げることは何人たりとも許さん」
「そんな某バスケ漫画みたいな台詞を……。それにしても僕まで巻き込まなくたっていいじゃない」
影時間が半分ほど過ぎたとき、ようやく二人は目を覚ました。
軽口を叩きつつ、湊は不信感を顕にする。
当然である。
長い間音沙汰の無かった、しかも自分以上に死神に憑依されているはずの兄が目の前にいるのだ。
「そう警戒した目で見るなって。ここにいる俺は幽体みたいなもんだ。お前に危害を加えるような能力はもっちゃいねえよ」
「寝てる僕に攻撃しかけてきたじゃない。まあ殺す気だったらもうとっくに僕が死んでるのはわかるけど」
殺す、という単語を当然のごとく使う湊。
湊は睦が自分を殺しかねない存在であると認識しているのだ。
「で、どうやってここへ?玄関から入ってきたとは思えないけど」
「ファルロスは俺とお前の中に同時に存在してる。それを媒体にして俺の意識をお前の方に送り込んだのさ」
湊の当然の疑問に対し睦はあっさりと答える。
「ついでに言うと俺はお前の精神を経由してるから、害意を持てばその瞬間お前の精神に拒絶されて俺は消えちまう。どうだ?理にかなってるだろ?」
「……まあわかったよ。で、兄ちゃんたちがここへ来た理由は?」
「ん〜、先にファルロスの方を済ませてもらうか」
睦はチラリとファルロスを見て、話をするように促す。
「僕は一言伝えに来ただけ。一週間後の満月の夜、次の試練が訪れるってね」
とばっちりを受けたファルロスはまだ拗ねているようで、いつもよりぶっきらぼうに答えた。
「試練?何のことだ?」
「簡単に言えば先月現れた巨大シャドウみたいなのがまた来る、ってことかな」
湊は背筋が凍った。
先月、寮に来て間もない頃に突如現れた巨大シャドウ。
前回は死神の暴走がうまい具合にはまったおかげで難を逃れたが、二度とそんな幸運は訪れない。
タルタロスで日々鍛えてるとはいえ、あんな化物を倒す自信はなかった。
「またあんなとんでもないのと戦わなきゃいけないのか……」
「いや、必ずしもそういう訳じゃないぜ」
湊の呟きに割って入ったのは睦だ。
「どういう意味?」
「俺に協力すればあのデカブツたちをどうにかしてやるってことだ」
「なっ……どうやって?」
「俺はある程度あいつらの意思に関与できる。お前よりも色濃い『死神』のおかげでな」
湊は少し考え、尋ねる。
「協力、っていうのは?」
「俺と同じ願いを持て。それだけだ」
非常に曖昧な答え。
しかし湊にはこの上なくその意味するところが伝わった。
「無理だよ。僕も死神に憑かれてはいるが、世界の粛清なんか望んじゃいない」
「これは人類の願いだ」
「そんなわけない」
「決して独りよがりで言ってるわけじゃない。世間を見ていれば、直に俺の言ってることがわかる」
「……兄ちゃんは死神に憑かれて洗脳されてるだけだ。兄ちゃんだって本当はそんなもの望んじゃいない」
「違う。これはあくまで俺の意思だ。死神はきっかけに過ぎない」
湊と睦の視線が静かに交錯する。
膠着した時間を打ち破ったのはファルロスだ。
「お取り込み中すまないけど、もうすぐ影時間は終わる。帰らなきゃ」
「……まあいい。今日だけで説得できるとは思っちゃいなかった。だがお前にもすぐにわかるぜ。俺の正しさがな」
またな、と言い残し睦とファルロスの姿は消えた。
それと共に時計の針が動き出す。
影時間は終わったようだ。
「兄ちゃんのバカ……」
優しくて、強くて、頼りになって。
自分が尊敬していた兄。
そして、誰よりも大好きだった兄。
いや、過去形にする必要はない。
今でも、それは変わらないのだから。
今でも、自分にとってかけがえのない兄。
その兄を思う湊の目には涙が浮かんでいた。
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